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「世界史の眼」No.15(2021年6月)

今号では、中央大学附属横浜中学校・高等学校の柴泰登さんに、MINERVA世界史叢書の一冊として刊行された、桃木至朗(責任編集)、中島秀人(編集協力)『ものがつなぐ世界史』(ミネルヴァ書房、2021年)を評して頂きました。また、大阪大学の秋田茂さんには、杉原薫『世界史のなかの東アジアの奇跡』(名古屋大学出版会、2020年)の書評を寄せて頂きました。

先号より、『世界哲学史』シリーズの書評を連載し始めました。今号では、明治大学の薩摩秀登さんに、『世界哲学史』シリーズの中世の3冊を評して頂いています。

柴泰登
書評:『ものがつなぐ世界史』

秋田茂
書評:杉原薫著『世界史のなかの東アジアの奇跡』(名古屋大学出版会、2020年)

薩摩秀登
伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留(責任編集)『世界哲学史3 中世Ⅰ 超越と普遍に向けて』ちくま新書、2020年

伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留(責任編集)『世界哲学史4 中世Ⅱ 個人の覚醒』ちくま新書、2020年

伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留(責任編集)『世界哲学史5 中世Ⅲ バロックの哲学』ちくま新書、2020年

桃木至朗(責任編集)、中島秀人(編集協力)『ものがつなぐ世界史』のミネルヴァ書房による紹介ページは、こちらです。杉原薫『世界史のなかの東アジアの奇跡』の名古屋大学出版会による紹介ページはこちらです。また、筑摩書房によるシリーズ『世界哲学史』の紹介ページは、こちらです。

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書評:『ものがつなぐ世界史』
柴泰登

1. はじめに

 本書は、ミネルヴァ書房から発刊されている「MINERVA世史叢書」シリーズの中の1冊である。このシリーズでは、各国史の寄せ集め状態であった従来の世界史を反省し、グローバルヒストリーの視点から世界史を捉え直すことを試みている。このことは、各巻の巻頭において、以下のように力強く宣言されている。

 これは、これまでのわが国における世界史を反省して、新たな世界史を構築することを目指すものです。これまでの世界史が、世界の国民国家史や地域史の寄せ集めであったり、自国史を除いた外国史であったり、欧米やなんらかの「中心」から見た世界史であったりしたことへの反省を踏まえて、また、近年の歴史研究の成果を取り入れて、それらの限界を突き破ることを目指しています。

 シリーズの中で本書は、シリーズ全体の5巻目、「第Ⅱ期 つながる歴史」においては2巻目にあたる。第Ⅱ期は、「人々」「もの」「情報」にそれぞれ注目して世界史を再構築する諸巻を取り揃えており、世界史を全体的に、あるいは各国史の「タテ」ではなくグローバルヒストリー的に「ヨコ」の視点から捉えるものとなっている。

 その中でも、本書は「もの」に注目している。「人々」や「情報」と比較した場合、「もの」の形態は様々であり、その運搬手段もまた多種多様となる。また、「もの」の移動には需要と供給の関係がより強く働く。そのため、「もの」をテーマとして歴史を概観していく場合、諸地域間におけるプル要因とプッシュ要因、あるいはそれを可能にした輸送技術について必ず言及することになる。そのため、グローバルヒストリー的な視点から歴史を考えていくことが必須となり、結果として本書はシリーズの趣旨に叶う内容となっている。

2. 本書の構成

 本書の構成は以下の通りである。

 序 章 ものがつなぐ世界史(桃木至朗)
 第Ⅰ部 工業化以前の世界をつないだ「もの」
  第1章 馬(覚張隆史)
  第2章 帆船(栗山保之)
  第3章 陶磁器(坂井隆)
  第4章 貨幣(大田由紀夫)
  第5章 生薬(内野花)
  第6章 火薬原料(山内晋次)
  第7章 スズ(水井万里子)
  第8章 ジャガイモ(山本紀夫)
  第9章 毛皮(下山晃)
 第Ⅱ部 近現代世界を動かした「もの」
  第10章 石炭と鉄(小林学)
  第11章 硬質繊維(早瀬晋三)
  第12章 大豆(ディヴィッド・ウルフ(左近幸村訳))
  第13章 石油(西山孝)
  第14章 天然ゴム(高田洋子)
  第15章 半導体(西村吉雄)
  第16章 ウラニウム(井上雅俊・塚原東吾)

 実際に紹介された「もの」は16種類となっているが、その中には「生薬(第5章)」「半導体(第15章)」「ウラニウム(第16章)」の様に、従来ではあまり扱われることのなかった「もの」が取り挙げられている。特に、後者の2つの「もの」を中心に、本書では歴史学とは接点の薄かった、いわゆる「理系」の研究者が執筆を多く担当している。このことは、「文理融合型」による研究の重要性を日頃から主張しており、本書の責任編集である桃木至朗氏の面目躍如足るところと言える。

3. 総論

 本書の序章では歴史学において「もの」の研究がもたらす新しい可能性が論じられ、各論の導入となっている。執筆を担当している桃木氏の主張を整理すると、以下の3つにまとめられよう。

① 「もの」がもたらす新しい歴史学…従来には無かった視点を獲得することが可能となり、宗教・エスニシティ・ジェンダーなどの各テーマにおいて、新しい知見を得られる。また、国民国家史への建設的な批判が可能となる。

② 「もの」がもたらすグローバルヒストリー的な成果…近現代だけでなく前近代も射程としながら、グローバルヒストリー的な研究展開が出来るようになる。その結果、人類の拡散と技術伝播においてであったり、具体的な「国家」の成立と周辺との関係であったり、多くのテーマで成果を得られる。

③ 「もの」がもたらす射程の広さ…「商品」や「道具」だけでない「もの」(細菌・ウイルス・隕石・溶岩・火山灰など)も射程に入れることで、これまでの歴史学では明らかに出来なかった問題の解決が可能となる。

 総じて、「もの」が新しい歴史学に寄与する側面を、桃木氏はここで的確に指摘している。

4. 各論

 ここからは、各章の内容が、序章で桃木氏が整理した3つの可能性のどの事例に該当するか自分なりに当てはめていきながら、その概要を紹介していきたい。

 「もの」が歴史学に新たな知見をもたらした例として最初に挙げたいのは、「第5章 生薬」である。内野氏は、生薬の歴史を紐解いていくことで、現在のような現代西洋医学への偏重は近代以降の現象であり、近代科学技術の発展を土台にした現代西洋医学が世界を席巻するまでは、各地に独自の伝統医学が存在し、生薬を使用した治療が行われていたことを明らかにした。日本においても、医師になるためには西洋医学の習得が必須という法制度が明治時代に確立するまでは、いわゆる「漢方」と呼ばれる伝統医学が重要な存在であったことを示唆している。

 次に「第7章 スズ」において、水井氏はコーンウォール半島に軸足を置いてスズの歴史を見ていくことで、この金属を原料とするさまざまな用途と技術の開発、それに携わる人々と、製品を使用する地域が連関している様子を浮かび上がらせた。北米植民地のピューター業がロンドンのカンパニーの強いコントロール下で展開したこと、またコーンウォール出身の技術者たちが海峡植民地まで進出して現地のクーリーたちを指導していたことなどは、本章において初めて学ばせていただいた。

 「第11章 硬質繊維」では、フィリピンにおける硬質繊維生産と日本の産業の結びつきについて早瀬氏が丁寧に分析した結果、マニラ麻に代表される硬質繊維が、戦略物資、衣糧物資の原料として、両国の人々にさまざまなかたちで影響を与えたことが解明された。家父長制が強かった第一次世界大戦以降の時代、社会にあって、麻玉によって成人男性以上に稼ぐ女性が誕生したことにより、日本の一般家庭のあり方に影響をもたらした可能性を早瀬氏は指摘しているが、それは従来のジェンダー史を書き換えることになるかもしれない発見と言えるだろう。

 ディヴィッド・ウルフ氏は、「第12章 大豆」において、20世紀の大豆輸出の世界市場の動向が日本を望みのない戦争に駆り立てたことも含め、日米関係の紆余曲折を反映しているものであることを明らかにした。第二次世界大戦以前には満州産が世界の大豆輸出の大半を占め、その輸出貿易の分析が、東北アジアの地域形成だけでなく、主に日露による植民地化をめぐる競争の状態を示唆する基準となるという指摘も、非常に興味深いものであった。

 「第14章 天然ゴム」では、高田氏が、仏領インドシナにおけるプランテーションを分析して英領マラヤ、蘭領東インドとの比較を試みた。その結果、いずれのケースでも、開発に必要な労働力としてインドや中国、ジャワ等から大量の人々が集められ、多様な人種・民族から編成された複合社会が出現したこと、また、過酷な労働の実態から、資本の論理が人権に優先するという状況が明快に示された。現在でも著名なタイヤ会社などがこの開発に関わっていたことは、世界史における「不都合な事実」の一例と言えよう。

 また西村氏は、「第15章 半導体」において、トランジスタとコンピュータがほぼ同時に産声を上げた後、ともに刺激し合い、支え合いながら、急激に発展していく20世紀後半の産業界の過程を解明した。この章では、半導体発明に関わったスタッフが、単なる技術的な発明だけでなく「ムーアの法則」や「最小情報原則」など、それ以外の分野にも影響をもたらした知的営為も紹介しており、産業界の発展が我々の生活に及ぼしたインパクトの大きさを改めて知ることが出来た。

 続いて、「もの」がグローバルヒストリー研究に寄与している例として私がまず挙げたいのは、「第3章 陶磁器」である。この章では、坂井氏が陶磁貿易の歴史を概説的に紹介しながら人間と人間の空間を超えた交流の結果を伝えてくれており、窯業技術の拡散と生産組織がグローバル化していく過程を知ることによって、我々が世界の一体化について学ぶことが出来る章となっている。

 「第6章 火薬原料」では、硫黄という商品を通じて、ユーラシア世界に形成された「硫黄の道」の変遷が、グローバルヒストリー的な視点から明らかにされている。この章では、日本列島からペルシア湾・紅海にまたがる広大な地域から、海上貿易を通じて中国が硫黄を吸収していく「硫黄の道」が、やがて「複雑化」「多核化」していく過程が、山内氏によって見事に描き出されている。

 山本氏が執筆を担当している「第8章 ジャガイモ」では、ジャガイモがアンデスから世界へ、どのようにして広がり、世界各地でどのように利用されるようになったのかが概観されている。この章を読むと、グローバル化に伴って拡散していったジャガイモが各地の救荒作物として人々を救ったこと、それでも飢饉が起きたアイルランドでは、新天地への移民という現象が起こったことが分かる。

 「第9章 毛皮」においては、意外に詳細な先行研究が少なかった毛皮という商品をクローズアップして、下山氏が世界のグローバル化の一端を解明している。下山氏はそこから、先住民社会を強圧的に引き込み、ケモノを商品化して乱獲を競った毛皮のあくなきフロンティア精神が西欧的植民地主義の特徴と言えるものであり、多くの地域や産業を結び付け変質させながら、シベリアやアラスカなどの極北の地まで及んでいったと結論付けている。

 「第10章 石炭と鉄」では、製鉄のグローバルヒストリーを概観し、さらにイギリスの製鉄法の歴史を精査した小林氏が、製鉄と動力機関の発展における関係性を明らかにしている。すなわち、産業革命のなかで、蒸気機関を含む機械に鉄製の部品が使われるようになるとともに、史上初の熱機関である蒸気機関は製鉄法や鉄工所の原動機として使用され、共進化しながら展開したと小林氏は主張している。

 また、石炭と鉄とともに現代世界に欠かせない石油については、西山氏が「第13章 石油」でその歴史を紹介している。そこでは、埋蔵地の偏在性によりグローバルな世界商品となっていく石油が政治的戦略製品となり、資源ナショナリズムを巻き起こし、はては金融商品として扱われるようになっていく経緯を描き出している。

 最後に、「もの」が持つ射程の広さが生かされている例として、最初に「第1章 馬」の事例が挙げられる。いわゆる「理系」出身の研究者が「歴史科学」の姿勢から研究した馬の歴史は、これまで扱ってきた「もの」が、いつから馬によって運搬されるようになったのかを明らかにしている。覚張氏によれば、それは家畜化されてから1000年以上経ってからであったという。その背景には、馬を制御する馬具の発明があったと考えられている。

 同じように、運搬手段として発明された船については、「第2章 帆船」で栗山氏がその歴史や船の構造について、特にインド洋世界の事例を挙げながら詳細な分析を行っている。栗山氏はそこで、帆船の歴史を研究するにあたって、船そのものとともにそれを操る航海技術の重要性について最後に言及しており、インド洋世界でまとめられた『海洋の学問と基礎に関する有益の書』について、その概要を紹介している。

 一方、「もの」と「もの」の交換を媒介する貨幣については、大田氏が「第4章 貨幣」で、東アジアの事例を中心とした精緻かつ概説的な紹介がなされている。そこで大田氏は、1000年来のユーラシア経済史を概観した結果、そこに東アジア貨幣史が陰に陽に影響を及ぼしていることを指摘している。そして、東西で同一の貨幣(銀)が広く共用される15世紀以降、信用貨幣に依拠する西欧と現金(金属貨幣)に依存した東の諸地域(中国やインド)との差異が、世界各地の銀をアジアに引き寄せ、グローバルな銀流動を出現させる一因となったと結論付けている。

 また、「第16章 ウラニウム」では、従来の歴史研究では「もの」として扱われることが少なかったウラニウムを「もの」として捉えることで、井上氏・塚原氏によって新たな知見が提出されている。彼らによれば、時や場所に合わせた政治的意図に従って作り出される「原子力性」こそが「もの」としてのウラニウムの特徴で、現代社会における核をめぐる力の構造を生み出しているとのことである。

5. おわりに

 ところで私は普段、大学附属の中学校・高等学校でおもに世界史分野の授業を担当している。そこでは、時代・地域を特化させた大学の専門的な教育と異なり、様々な学部への進学を前提とし、全時代・全地域を網羅した「世界史」を教授する必要があり、そのため、私自身はいわゆる近年の「グローバルヒストリー」研究がもたらした成果を吸収しながら授業を展開することに努めている。

 しかしながら、世界の構造についての概念的な理解は、中学生・高校生といった発達段階の生徒には難しい側面がある。そう考えたとき、具体的な「もの」をキーワードとしてグローバルヒストリーを語っていくことは、複雑で多様な様相を見せる「世界の一体化」の過程を生徒が理解する上での一助足り得る。そういった点で、本書は全国の中学校・高等学校の教員が手元に置くべき必須の一冊となるであろう。

 また本書は、16種類にも及ぶ「もの」を扱うことで、人類の誕生から現代までにおいて、運搬・輸送技術の発達に伴って多くの「もの」が商品化し、またその流通範囲が拡大していく歴史を明らかにした。従来の「ひと」(王など)を追って歴史を構築するのではなく、「もの」を通じてそれを行った本書は、間違いなくグローバルヒストリー研究の発展に寄与したと言える。

(「世界史の眼」No.15)

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書評:杉原薫著『世界史のなかの東アジアの奇跡』(名古屋大学出版会、2020年)
秋田茂

 日本におけるグローバル経済史研究の代表的論者、杉原薫による待望のモノグラフが、ついに刊行された。序章、終章、三つの補論を含めた全18章、765頁におよぶ大著である。本書は、1996年のロンドン大学歴史学研究所でのグローバルヒストリー・セミナー報告から2020年に至る25年間の、杉原の研究の集大成である。前著『アジア間貿易の形成と構造』(ミネルヴァ書房、1996年)で、近現代アジア経済史研究の地歩を固めて以降、杉原の研究は文字通りグローバル・スケールで展開した。本書には、杉原が京都大学東南アジア研究所時代に文理融合型グローバルCOEプロジェクトで取り組んだ、「生存基盤論」による環境史の研究成果が大幅に反映されている。この25年間で杉原の研究は、オーソドックスな経済史から、環境・エネルギー問題の経済史への統合、環境経済史という新領域の開拓に大きくシフトした。評者自身は、経済史と政治外交史をベースに、政治経済学としてグローバルヒストリー研究に取り組んでおり、環境史や地球環境学には疎いが、西洋中心史観を脱構築して「アジアから見たグローバルヒストリー」の構築をめざす点では、杉原と志を同じくする。以下、評者がカバーする領域の限界をふまえつつも、書評を試みたい。

I 二つの経済発展径路の融合―西洋中心史観の相対化

 歴史学全般における本書の最大の魅力は、第I編「東アジア型経済発展径路の成立と展開」の標題にあるように、工業化を実現するにあたり、(1)従来常識とされてきた、イギリス産業革命以来の「西洋型」の工業化のパターン(径路)を相対化して、東アジアにおける独自の工業化の径路を対置した点と、(2)20世紀後半の東アジアで両者が「融合」して、新たな発展径路が生まれた結果、急速な経済成長(工業化)が実現した点を、膨大な貿易統計データで実証したことにある。これにより、工業化を起点とする近現代世界史において、支配的である西洋中心史観が相対化されて、新たな世界史像が浮かび上がった。

 西洋型の工業化とは、イギリス産業革命に代表されるような、労働力を機械化で代替する過程で大量の資本を投入する「資本集約型」(capital-intensive)工業化である。それに対して、東アジアでは、19世紀後半以降、資本の不足を補うべく、人口の増加に支えられつつ、良質で安価な労働力を活用した「労働集約型」(labor-intensive)工業化が展開した。日本の工業化は、西洋技術の移植と、在来技術の近代化の複雑な相互作用を通じて実現した。さらに西洋型の工業化は、石炭に代表される「化石エネルギー資源」の大量消費を伴う「エネルギー集約型」であったのに対して、東アジアでは、石炭や石油の消費を抑えた「エネルギー節約型」発展径路が主流であった。

 杉原論の独自性は、第3章「資源節約型径路の発見」の標題に示されるように、二つの経済発展径路の対照的な把握だけでなく、(3)工業化の本質が「化石資源世界経済」の発展であったこと、(4)新大陸の無尽蔵の資源を活用できた西洋に対して、資源制約に直面した東アジアは、近世以降の「アジア間貿易」(intra-Asian trade)と自由貿易体制を通じてその資源制約を緩和できたこと、以上のように、土地に関わる資源・エネルギー問題を焦点化したことであろう。資本・労働・土地は、生産の基本的な三要素であるし、杉原の前著が20世紀中葉までのアジア地域間貿易の実態を解明した点をふまえると、生産の三要素論とアジア間貿易論の接合には、アジア経済史家としての杉原の業績が全面的に反映されている。

 ここまでは、基本的に比較史の手法に基づく分析であるが、上記の二つの工業化・経済発展径路が、第二次大戦後の冷戦体制のもとで、「偶然」の結果として(90頁)「融合」することになった。戦後の世界経済・国際分業体制は、軍需・石油化学工業を中心としたアメリカの資本・資源集約型工業化、民需部門主導で繊維・造船・家電・自動車等の労働集約型工業化を進める東アジア諸国、および熱帯アジア・アフリカ・中東産油国のような第一次産品供給国の間の「三極構造」として発達した(図2-6 :103頁)。この過程で世界経済は、「南北格差をともなう世界貿易の二重構造から脱し、資本、労働、資源の三つの生産要素において比較優位をもつ諸地域が、それぞれ資本集約型工業品、労働集約型工業品、第一次産品を輸出するという国際分業体制を発展させることによって新しい発展径路を獲得した」(104頁)とされる。ここでは、グローバルヒストリー研究の関係史的手法が全面的に活用されている。多様な生産面での要素賦存を抱えた、太平洋を跨ぐ「アジア太平洋経済圏」の形成は、冷戦体制のもとでの第二次交通革命を通じた、経済発展径路の「融合」を実現したのである。第9章「アジア太平洋経済圏の興隆」の叙述は、非常に説得的でわかりやすい。

II 生産の三要素論から「生存」のための五要素論へ

 ここまでであれば、従来の経済史研究で支配的であった西洋中心主義、西洋モデルを大幅に修正して、東アジアモデルを組み込んだ、バランスの取れた、生産面を重視する工業化論・経済発展論として解釈できる。しかし、本書の真骨頂は、後半の補論3「熱帯生存圏」と「化石資源世界経済」の衝撃」で示されるように、工業化全史の再検討を行い、生産に関わる資本・労働・土地の三要素賦存論を、人類生存のための五要素論に拡張する、環境経済学・環境史からの問題提起にあると考えられる(図終-6 : 670頁を参照)。

 生存のための要素賦存として新たに加わったのは、化石資源と水である。前者の化石資源は、本書第3章で論じられた「エネルギー・資源節約型発展径路」論につながる。さらに後者の水は、補論1「南アジア型経済発展径路の特質」で論じられ、二径路論を補足する第三の径路としての、生存基盤の確保を課題とする「生存基盤確保型発展径路」論にかかわる。化石エネルギーとしての石炭や石油は、商品として輸入することで移動が可能であり、グローバル化の進展による対外貿易の拡大を通じて、アジアにおける化石エネルギー資源の制約が緩和された。

 南アジア・インドの経済発展でボトルネックになったのは、化石資源の制約よりもむしろ水の確保であり、その問題は、菅井戸の普及を伴った「緑の革命」による食糧増産・自給化の達成により突破された。「水」との格闘が、現代のアジア、とりわけ14億の人口を抱えるインドをつくりあげてきた点については、スニール・アムリスの『水の大陸アジア―ヒマラヤ水系・大河・海洋・モンスーンとアジアの近現代』(草思社、2021年)のような研究でも注目されている。「非貿易財」としての水や土地を、生存のため要素として改めて見直し、生態系の一部として保全することが、不可欠となっている。生態系システムは、工業化、都市化の環境的な基盤を提供しており、「水や土地を生態系から切り離して無理な商品化を図ることも、国際競争力に影響する可能性がある」(670頁)。こうした「生存基盤論」の詳細については、京都大学グローバルCOEプロジェクトの成果として刊行された、6巻本の生存基盤講座を参照するしかないが、杉原の「生存」のための五要素論は、ロンドン大学SOAS時代から積み上げてきた、南アジア地域研究との地道で緊密な研究協力からその発想が生まれたであろうと推測できる。アジア・アフリカ地域研究をベースとした、環境経済学の構築、環境経済史からの問題提起として注目に値する。

III いくつかの課題

 以上、700頁を超える大著の概要をかいつまんで紹介したにすぎない。最後に、いくつかの問題点を指摘して、書評者としての責務を果たしたい。

 第一に、これほどの大著であっても、当然紙幅には限界があるので、25年にわたる杉原のグローバルヒストリー研究の全貌を提示するには限界があったと思われる。経済史研究として、詳細な統計データを提示・分析する数多くの図表が収録されている(図表一覧を参照:図110個、表63個)。だが、それらをもってしても、経済理論やモデルに関係する箇所の叙述には、説明不足が感じられる。あるいは、読者がすでに主要な研究史を理解・把握していることを前提として、議論が展開されている。

 特に、冒頭の第1章「勤勉革命径路の成立」は、考察の対象時期が、1500年から1820年までにおよび、「近世」アジア世界(海洋アジア)の独自性が説明されるが、図表による議論の抽象度(難易度)も非常に高い。21世紀以降に登場したグローバルヒストリー研究の勃興の契機は、2000年のK.ポメランツの『大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』(名古屋大学出版会、2015年:原著The Great Divergence, Princeton University Press, 2000)の出版と、杉原自身も中心的にかかわった、グローバル経済史の国際共同研究であるLSEのGEHN(Global Economic History Network)である。それ以来、近世(early modern)、あるいは「長期の18世紀」に関する世界史像は劇的に変わり、現在でも新解釈が次々に出されている。本書第1章を的確に理解するには、「大分岐」論に関する論争だけでなく、速水融とヤン・ド・フリースの「勤勉革命論」(industrious revolution)など、今や経済史研究で常識となりつつある研究史の展開を丁寧に押さえておく必要がある。終章で展開される、「発展径路の三段階」を的確に理解するためにも、第I編には、「大分岐」論関連で、近世の経済史に関する別の章があってもよかったのではないだろうか。

 第二に、本書の画期性が、環境経済学、「生存基盤論」に依拠した環境史の観点からの考察・分析であることは前述の通りである。だが評者のように、杉原の前著『アジア貿易の形成と構造』に惹かれて、アジア経済史研究に関わるようになった者には、本書の環境史の色合いが強すぎる点が気になった。この点は、第III編「戦後世界システムと東アジアの奇跡」で提示された、冷戦と「東アジアの奇跡」との相互連関性、「同じコインの表と裏」という表現に象徴される、冷戦体制と東アジア諸国の高度経済成長との密接な繋がりの評価に関わる。

 第4章「近代国際経済秩序の形成と展開」では、20世紀後半の「開発主義的国際経済秩序」の世界史上の独自性が指摘されている。アメリカ合衆国の覇権性、「構造的権力」とアジア諸地域の工業化との関係性は、歴史学の研究対象として、公開された第一次史料を駆使して、近年急速に研究が進んでいる。杉原も部分的に指摘する、1980年代後半から90年代のアメリカ経済の金融化現象は、金融・サービスと工業化を結びつけて「東アジアの奇跡」を加速した、決定的な要因であろう。また、インド経済の国際競争力が構造的に弱体化した要因も、冷戦体制だけで説明するのは無理がある。やはり、政治経済学の観点から、総合的に考察する必要があるのではなかろうか。

 第三に、同じ問題は、「生存基盤確保型発展径路」を将来的に広めていく上で不可欠な、化石資源と水の安定的確保の問題にもあてはまる。モンスーン・アジア(海洋アジア)における水資源の確保をめぐる軋轢は、南アジアの大河や、インドシナ半島のメコン河開発で、国連や世界銀行、アジア開発銀行などの国際機関を含めて、国際協力・民間協力の焦点となっている。また杉原は、1970年代の石油危機が、メカトロニクス革命と併せて、資源節約的で労働節約的な工業化への転換点となり、「東アジアの奇跡」の技術的革新をもたらしたと指摘し、石油危機の技術面・発展径路面での画期性を強調している。評者も、1970年代の石油危機が、世界システムの一大変革(ソ連を中心とする社会主義圏の衰退、アフリカの経済的停滞、アジアにおける「緑の革命」の進展、東アジアの経済的再興)をもたらした相互連関性について、政治経済学の観点から、国際共同研究を行っている。環境問題と国際政治経済秩序の結びつきこそ、現代においてさらに探求すべき課題であろう。

 いずれにしても、この杉原の大著が、日本の学界から、世界の学界に向けて独創的な問題提起を行ったことは間違いない。欧米の研究者の研究成果を批判的に検討するだけでなく、人類史の未来に向けて、新たにアジア・日本からの世界史像を提示した画期的試みとして、高く評価できる。本書の学術的価値はもちろんであるが、本書で提示された近現代世界史像は、2022年から高等学校で始まる地理歴史科の新科目「歴史総合」のモデルにもなりうる。今後、本書をめぐる議論が広がることを期待したい。

(「世界史の眼」No.15)

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伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留(責任編集)『世界哲学史3 中世Ⅰ 超越と普遍に向けて』ちくま新書、2020年
薩摩秀登

 本書は、世界史的な視野のもとで普遍的・多元的な哲学の営みを全8巻(および別巻1)で展望するシリーズの第3巻である。このような試みを前にすれば、哲学という言葉自体がどのような意味であったかとふと考えてしまう。古代ギリシアに生まれ、長い道筋をたどって近代西欧に引き継がれたものが哲学であろうか、それとも世界各地で独自の哲学が展開したのであろうか。今でも哲学書と言えば、ヨーロッパの古典語や近代語で書かれた膨大な著作を想像しがちである。しかし本書の第1章では「「哲学」という語はギリシア起源であっても、その思考は世界至る所にある。西洋にしか哲学を認めないのは、哲学に対して偏狭すぎる」と明快に表明されている。

 この巻の対象はほぼ7世紀から12世紀であり、すでに古代文明の時代ではない。しかし世界を一つのシステムに吸収していく傾向が現れるのはまだ先である。西欧では中世の社会と文化が少しずつ形を整え始める。ビザンツ帝国やイスラーム帝国はこの時期に頂点を迎えており、隋・唐の世界帝国や北宋もこの範囲にほぼ収まる。本書はこうした時期における各地固有の世界観、世界認識の流れをたどっており、いわば同時進行的に、全く異なった文明のもとで、人間と世界に関して根底において通じ合う思考が展開されていたことを見通せる構成になっている。

 評者自身は哲学を正式に学んだことはないし、仮に「入門」程度を試みたにしてもただちに挫折した経験しかない。以下はそうした評者でも可能な範囲での紹介にとどまることを前もってご承知願えればと思う。

 第1章「普遍と超越への知」(山内志朗)は、この巻が対象とする時代を中世の前半部分と位置づけ、これを古典古代の文化が独自の展開を見せ始めた時代、文化が特定の地域に内閉せずに交流を始めた時代と性格づける。第2章「東方神学の系譜」(袴田玲)では中世ギリシア人の国ビザンツ帝国が舞台となり、東方神学の中にも実はギリシア哲学の用語や概念が潜んでいること、とはいえ東方神学の特質を最もよく示すのはヘシュカスムに代表される神秘主義的世界観であることが論じられる。以下、4つの章が、神学をすべての基礎としていた中世西欧において古典古代の学問がいかに取り入れられたかを論じている。第3章「教父哲学と修道院」(山崎裕子)は、「私は信じるために理解することは望まず、理解するために信じている」と述べたカンタベリーのアンセルムスから、「哲学とはすべての人間的神的事物の根拠を徹底的に探究する学問分野である」と述べたサン・ヴィクトルのフーゴーへ、時代の大きな転換を跡づける。第4章「存在の問題と中世論理学」(永嶋哲也)によれば、古代ローマ人によるラテン語訳でアリストテレスの思想を引き継いだ人たちにとって、その論理学は「神の真理に達する道が示されているかもしれないが、迷宮に導くかもしれない「地図」のようなもの」でもあった。第5章「自由学芸と文法学」(関沢和泉)は、自由学芸が人間の不完全性を補うために必要な学問と認識され始め、中でも文法学は諸学問の起点であり基盤であるとみなされたことを示す。さらに第7章「ギリシア哲学の伝統と継承」(周藤多紀)は西洋中世哲学の主要なスタイルである「註解」に注目し、これが権威への単なる盲従ではなく、観察や経験に基づき、自分が知りえた概念装置を駆使してテクストを分析し、その可能性を引き出す創造的な試みであったことを論じている。

 西洋以外で人々はいかに人間と世界を見つめてきたか、4つの章がいくつかの断面を示している。第6章「イスラームにおける正統と異端」(菊地達也)によれば、シーア派の一派イスマーイール派は独自の宇宙論・創世神話を発展させ、10世紀からは新プラトン主義哲学も導入された。これは異端視される可能性もあったが、イスラーム世界では正統と異端の区分線自体がもともと明確ではなかった。第8章「仏教・道教・儒教」(志野好伸)は、中国の人々が初めて遭遇した高度な外来思想である仏教と、古来の思想である儒教や道教との間で、精神や霊魂、心の構造、「孝」の実践などをめぐって展開した哲学的議論をたどる。第9章「インドの形而上学」(片岡啓)は、仏教とバラモン教双方の最先端の思想家たちが繰り広げた、認識論、存在論、意味論、論理学などに関する深遠な論争を紹介している。第10章「日本密教の世界観」(阿部龍一)は、密教的世界観をもとに平安朝宮廷の基本的方向性を示した空海について論じる。『大日経』のテクストの文字に無限の意味を読み取り、言葉と物との間に同時発生的関係を見出す空海の思想は、現代の言語学にも通じる。

 中世前半と言われれば停滞の時代を想像しがちだが、世界各地で古代の思想が引き継がれ、独創的かつ多彩な展開を見せていた姿が本書を通じて浮かび上がってくる。(文中敬称略)

(「世界史の眼」No.15)

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伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留(責任編集)『世界哲学史4 中世Ⅱ 個人の覚醒』ちくま新書、2020年
薩摩秀登

 シリーズ第4巻は主に13世紀が対象となる。この時期設定は明らかに西欧における哲学の展開を念頭に置いており、実際、全10章のうち6章が、アリストテレス哲学の全面的導入によって本格的に開花した西欧中世スコラ哲学にあてられている。それ以外ではアラビア哲学と中世ユダヤ哲学に1章ずつ割かれるが、こちらでは西欧に先駆けてアラビア語訳を通してアリストテレス哲学が導入されたことによる新たな思想的展開が論じられている。というわけで本書の主役はアリストテレスということになるかもしれない。古代ギリシアの学知の頂点が、千数百年にわたる時を隔ててユダヤ教、キリスト教、イスラームという一神教に取り入れられた時、そこに大きな揺さぶりをかけ、神についてあるいは世界の認識について深い議論を喚起し、新しい知的世界を切り開いていく様子を楽しみながら読み進めることができる。それ以外は中国の朱子学と日本の鎌倉仏教にそれぞれ1章があてられる。さすがにこちらは「アリストテレスの枠組みが適用できるような付置にはなっていない」(本書あとがき)。しかし評者の素朴な感想を述べさせていただくならば、心のあり方に関する朱子学の議論はどこかトマス・アクィナスの倫理学を思い起こさせる。そして日本の鎌倉仏教には、同時代の西欧におけるキリスト教の新たな展開に通じる性格があることはしばしば指摘される。以下、各章の内容にもう少し詳しく触れてみよう。

 第1章「都市の発達と個人の覚醒」(山内志朗)は、13世紀西欧におけるスコラ哲学隆盛の背景としての、都市の発達、商業の成長、教育と大学の発達、托鉢修道会の成功などを論じる。第2章「トマス・アクィナスと托鉢修道会」(山口雅広)は、知識人の活動舞台が人里離れた修道院から都市へと移り、特に市民の宗教的要求に答える托鉢修道会から登場した、当時を代表する神学者たちの動向をたどる。スコラ哲学と言えばあまりに有名な普遍論争に関しては、第1章および第3章「西洋中世における存在と本質」(本間裕之)そして第7章「西洋中世哲学の総括としての唯名論」(辻内宣博)の3章が主に論じている。実在論と唯名論の対立にあまりこだわるべきではなく、普遍と個体に関する議論の枠組みの違いに注目し、その連続性を考えた方が論争の意味が見えてくるという説明は新鮮である(第1章)。唯名論によって概念やことばの用法といった知性における構造が実在の世界から切り離されたことで、形而上学から独立した論理学が展開していく(第3章)。また、感覚や認識の出発点を心の中に置く唯名論は観念論的世界観に通じる一方で、近年の生態系中心主義や共同体論は実在論と相性がよいという指摘は、スコラ哲学が決して遠い過去の思想ではないことを教えてくれる(第7章)。このほか第6章「西洋中世の認識論」(藤本温)は、「感覚は事物をまるごと受け入れるのではなく、質料なしに形相を受け入れる」というアリストテレスの議論を出発点に、スコラ哲学者たちの感覚論や認識論の展開をたどっている。第5章「トマス情念論による伝統の理論化」(松根伸治)は中世西欧の倫理学がテーマである。スコラ哲学といえばひたすら晦渋な議論を想像しがちだが、人間のあらゆる情念の出発点には愛があるとトマス・アクィナスが説いていたとことを知れば、西洋中世世界のイメージも少々違ったものになってくる。

 西欧以外に関して、まず第4章「アラビア哲学とイスラーム」(小村優太)によれば、9世紀以降、ギリシア哲学とイスラーム神学の融和が大きく進んだ。アヴィセンナは存在と本質を区分した存在論を論じ、また神学者ガザーリーは哲学を批判しつつも、現実としては神学が哲学を取り入れていく道を開いた。第10章「中世ユダヤ哲学」(志田雅宏)は、中世ユダヤ教世界の知識人たちもまた、アラビア語を媒介として古代ギリシア哲学に関心を示していたことを教えてくれる。神の存在証明を試み、「第一原因」としての神概念を考察したマイモニデスはその頂点に位置する。

 第8章「朱子学」(垣内景子)は、主体性としての「心」をいかに保持するかに関する朱熹の議論をわかりやすく解説してくれる。朱子学は「理」の根拠を儒教の経書に求めたが、そのような典拠を持たない我々は安心して生きていくことはできないのか、話は現代へとつながる。第9章「鎌倉時代の仏教」(蓑輪顕量)によれば、伝統ある顕密系の学侶たちは様々な経綸の整合的理解をめざして議論を戦わせ、浄土系の思想家たちは凡夫の救済に心を悩ませ、禅宗もまた「戯論の働きを起さないように心を変えさせていく」方法を窮めようとした。

 本書を読めば、中世の真っ只中というべきこの時代が、人間と世界に関するいかに豊かな考察に満ち溢れていたか、実感することができるだろう。(文中敬称略)

(「世界史の眼」No.15)

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伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留(責任編集)『世界哲学史5 中世Ⅲ バロックの哲学』ちくま新書、2020年
薩摩秀登

 世界史的な視野で哲学を展望するシリーズの第5巻は、14世紀から17世紀までが対象である。西洋においては、教皇庁がアヴィニョンに移り、その権威に陰りが見え始めた時代から、百年戦争や宗教改革を経て絶対王政が登場するまでの大転換の時期である。なぜこうした時代設定となっているのか、第1章「西洋中世から近世へ」(山内志朗)はそのねらい語る。とはいえ著者自身が述べるように、15世紀西洋の哲学史は「現在でもほとんど解明されていない」し、16、17世紀の近世スコラ哲学は「あまりに錯綜していて手がつけてこられなかった」という状況であってみれば、本書を読むだけで評者のような初学者にも見通しが開けてくると期待するのは少々無理があろう。ここでは「14世紀のオッカムに代表される唯名論が嚆矢となって世俗主義が主流となり、近代への道が開けた」という従来の理解が混乱を招いていること、そして「14世紀から17世紀への西洋哲学の展開は基本的に中世の継承であり、キリスト教神学についても、カトリックとプロテスタントの対立図式で捉えて済ませられるものではない」という点を心に銘記したうえで、続く章の内容を見ていきたい。

 第2章「西洋近世の神秘主義」(渡辺優)は16世紀スペインの二人の神秘家アビラのテレサおよび十字架のヨハネをとりあげ、「神という見果てぬ他者に恋焦がれる」言葉を綴った二人の行為は、「知恵を愛する」を意味する哲学(フィロソフィア)のあり方に重要な論点を提起していると説く。第3章「西洋中世の経済と倫理」(山内志朗)では一転して商業による利益をめぐる議論が対象となる。経済活動に伴う蓋然性を認めて利子を肯定する思想が、なぜ徹底した清貧で知られるフランシスコ会急進派のオリヴィによって展開されたのか、近代資本主義の始原が改めて問いなおされる。第4章「近世スコラ哲学」(アダム・タカハシ)は16世紀の3人の神学者をとりあげる。パドヴァのポンポナッツィは魂の不死性は哲学的に証明されないという前提で倫理を論じ、スカリゲルは逆に魂の不死性を擁護した。そしてメランヒトンは古代の自然学を援用しつつプロテスタントの立場から神の摂理を説いた。いずれもアリストテレスやアヴェロエスが理論的土台である。第5章「イエズス会とキリシタン」(新居洋子)は、中国に出向いた宣教師と現地の知識人との議論に焦点をあてる。宣教師たちは哲学書を漢訳するにあたり、ratio(理性)に「霊性」の訳語をあてた。「霊」は「人間の持つ優れた気」を意味したからである。しかし万物の根源は神であるとする宣教師と、「性」(自然的に備わった本性)を物事の根源とみなす朱子学は対立せざるを得なかった。第6章「西洋における神学と哲学」(大西克智)は17世紀までに信仰と意志をめぐる考察がたどりついた地点を示す。罪に慄き、神を信じるからこそ理解したいと願ったアンセルムスに始まり、「信じる」という目的から「知」を解放しようとしたモリナとスアレスを経て、デカルトにおいてついに「意志の自由」の確信に到達する。とはいえこれもまた「意志による信」を論じていると解釈できるということであろうか。第7章「ポスト・デカルトの科学論と方法論」(池田真治)は、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツがいずれも、数学的方法に基づく自然哲学の構築というプロジェクトをデカルトから継承していること、そして三者ともスコラ哲学には批判的であったにもかかわらず、原理から世界像を立ち上げる第一哲学に関するアリストテレス的伝統を引き継いでいることを明らかにする。

 最後の3つの章はいずれも東アジアが対象である。第8章「近代朝鮮思想と日本」(小倉紀蔵)は、朱子学を基本とした朝鮮王朝時代、特に18世紀以降にどのような「近代的」、さらには「脱近代的」(と後になって評価される)思想が展開していくかをたどる。その基盤の上に書かれた1919年の「三・一独立宣言書」の格調高さに驚嘆せざるをえない。第9章「明時代の中国哲学」(中島隆博)は、朱子学を批判して王守仁(陽明)が説いたのは実は「弱い独我論」というべきものであったこと、そしてその後の陽明学者たちの議論を通じて、明末には公共空間の構想が重要なテーマになっていったことを論じる。第10章「朱子学と反朱子学」(藍弘岳)は、徳川前期の日本で主流となった朱子学に対して違和感を抱いた人たちの動向を主にたどる。中国の郡県科挙体制に生まれた朱子学は徳川政治体制の制度改革に直接用いることはできないと考えた荻生徂徠は独自の儒教学説を展開し、それは大陸の知識人にも注目された。

 本書からは、洋の東西それぞれ独自の道筋をたどって近代的世界観・人間観の入り口に近づきつつあったこと、しかし同時に、過去から引き継いだ思想を基盤に人間の生き方をめぐるすさまじい葛藤も生まれていたことが理解されるだろう。(文中敬称略)

(「世界史の眼」No.15)

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「世界史の眼」No.14(2021年5月)

今号では、小谷汪之さんに、秋田茂・細川道久『駒形丸事件―インド太平洋世界とイギリス帝国』(ちくま新書、2021年)を評して頂きました。また今号より、昨年筑摩書房より刊行されたシリーズ『世界哲学史』(全8巻)の書評を掲載して参ります。初回の今号では、大阪大学の栗原麻子さんに、古代にかかわる第1巻と第2巻を書評して頂きました。

『世界哲学史』シリーズの書評開始にあたって

栗原麻子
伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留編『世界哲学史1 古代1 知恵から愛知へ』(筑摩書房、2020年)、『世界哲学史2 古代2 世界哲学の成立』(筑摩書房、2020年)

小谷汪之
紹介・書評:秋田茂・細川道久著『駒形丸事件―インド太平洋世界とイギリス帝国』(ちくま新書、2021年)

筑摩書房によるシリーズ『世界哲学史』の紹介ページは、こちらです。秋田茂・細川道久『駒形丸事件―インド太平洋世界とイギリス帝国』の筑摩書房による紹介ページは、こちらです。

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『世界哲学史』シリーズの書評開始にあたって

 世界史研究所では、2020年に出版された『世界哲学史』(筑摩書房)のシリーズを数回にわたって全巻書評することにした。『世界哲学史』からは、哲学の分野においても、歴史の分野と同じような問題が生じていることが分かる。

 第一巻の序章「世界哲学に向けて」はその問題を率直に語っている。それによると、これまで欧米中心に展開されてきた「哲学」という営みを根本から組み替え、より普遍的で多元的な哲学の営みを創出する運動が「世界哲学」として呼ばれ、展開しているという。生活世界を対象とする哲学、多様な文化や伝統や言語の基盤に立つ哲学、自然環境や生命や宇宙から人類のあり方を反省する哲学が、「世界哲学」の名のもとに行われようとしているというのだ。

 では、何をするのであろうか。まず、地球上のあらゆる地域の哲学的な営みに注目し、 つぎに、人類・地球・宇宙という大きな視野と過去・現在・未来への時間の流れから、人間の伝統と知の可能性を見るのだという。

 このような「世界哲学史」の試みは、これまでの大学や学界での哲学の個別的専門化の伝統に反するものであり、「世界哲学史」は、哲学史を個別の地域や時代や伝統から解放して「世界化」する試みであるという。

 これまで「哲学史」は歴史学以上に「ヨーロッパ中心」であったようだ。それを乗り越えることがまず求められている。そして同時に、これまで哲学が扱ってこなかったか、十分には扱えなかった分野を、「世界哲学史」という場で扱っていこうとしている姿は、歴史にも通じるのではないかと思われる。それでは、どのような方法を取ろうというのであろうか。世界史でも方法は星雲状態である。

 編者によれば、「たんに様々な地域や時代や伝統ごとの思索を並べ」ることは退けて、「なんらかの仕方で一つの流れ、あるいはまとまりとして」扱わないと、「世界哲学史」にはならない。そこで、本シリーズでは、まず、
 ① 「異なる伝統や思想を一つ一つ丁寧に見ていくこと」を基本とする。
 ② 次いで、「それらに共通する問題意識や思考の枠組み、応答の提案など」を取り出して「比較」する。その一つは、「比較」を歴史の文脈の中で検討することであり、もう一つは、二者か三者の間の比較ではなく、「世界という全体の文脈において比較し、共通性や独自性を確認」する。
 ③ その上で、「それら多様な哲学が「世界哲学」という視野のもとで、どのような意味を担うのかを考察するという。

 これを見ると、「世界哲学史」においても方法はまだ模索中であるようだ。「世界史」を考えるものとしては、「比較」に次いで、「関係」や「影響」や「相互作用」や「連動」という面も考えたいところではある。

 ともかく、こういう編者の狙い(というか「問題意識」)が本シリーズにいかに生かされてくるのか、「世界史」に関心を持つものとしては、注目せざるを得ないところである。

(南塚信吾)

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伊藤邦武、山内志朗、中島隆博、納富信留編『世界哲学史1 古代1 知恵から愛知へ』(筑摩書房、2020年)、『世界哲学史2 古代2 世界哲学の成立』(筑摩書房、2020年)
栗原麻子

 『「世界史」の世界史』(ミネルヴァ書房)で、ギリシアの世界像・世界史像についての一章を担当したご縁で、この度完結した『世界哲学史』の古代編について論評するようにおすすめいただいた。『世界哲学史』は、①世界史上の思想文化圏における「哲学史」を俯瞰し、②これまで人類が、通時代的・通文明圏的に、何を哲学の問題としてきたのかを比較し、③思想文化圏相互の影響を問う、という3つの側面を持っているように思われる。近年の潮流を新書でまとめて知り、ソフィストの活動の見直しが進んでいることなど、情報を手軽にアップトゥデートすることができる啓蒙書としても魅力的だが、ここでは、「世界哲学史」が、歴史学の「世界史」へのまなざしとどのように交錯するのかを、西洋古代史研究者による読書ノートとして書き留めておきたい。

 第1巻「知恵から愛知へ」では、哲学者ヤスパースのいう「枢軸の時代」、すなわち紀元前5世紀を中心とする数世紀間に、世界哲学上の主要な思想が同時発生的に勃興した状況が、「世界と魂」を共通テーマとして、西アジア、旧約聖書、ギリシア、インド、中国といった地域ごとに描かれる。ここではギリシア、中国、インドという3つの思想文化圏の相互交渉は、この時期には未だ控えめであるが、アショーカ王碑文や「ミリンダ王の問い」のような事例が、ヘレニズム期のインド哲学とギリシア哲学が「翻訳」によって相互に交流していたことを伝えている。大戸千之『ヘレニズムとオリエント』(ミネルヴァ書房)が論じたように、ヘレニズムがギリシア文明の波及ではなく、各地の文化との相互交渉であることは、いまや共通認識といってよい。本書が際立つのは、ヘレニズムという外的枠組に依存するのではなく、あくまでテキスト内部の解釈と「翻訳」に基づいて、体系化された思考がほかの文化圏に移植される様相を検証する点にある。第2巻「世界哲学の成立と展開」では、「善悪と超越」を共通テーマとして、ヨーロッパの思想的基盤が形成される後6世紀ごろまでが扱われる。ローマ帝国でギリシア哲学とキリスト教が交錯し、西アジアでゾロアスター教とマニ教が成立し、インドで大乗仏典が成立し、中国で「古典中国」が成立するなど、思想文化圏の姿がはっきりしてくる。この時期は、ビザンツ帝国でのキリスト教の東方拡大や、インドで成立した大乗仏教と中国の儒教との出会い、プラトン主義哲学の影響など、相互影響が顕著となり、「翻訳」を通じて哲学が「世界化」する時期として描かれ、全体として古代における思想のグローバルヒストリーとなっている。

 相互影響への注目だけでなく、「哲学史」を俯瞰し、脱西洋中心的な哲学体系を構築しようとする点でも、本書は、近年の歴史学と通じるところが大きい。本書は、神話や宗教儀礼から発展したものも含む「宇宙を含む世界の全体と私たち自身のあり方」を問う知的行為を哲学とみなす。この極めて広義の対象設定のもとでは、韻文も考察対象から排除されない。古代インドにおける世界と魂を扱う第1巻第5章では、叙事詩「マハーバーラタ」の哲学テクストも含めた、対話的な「哲学の技法」が取り上げられる。また、認識論と並んで、神学も考察対象となる。第1巻では、ヘブライズムへの目配りがなされ、第2巻では、世界を理解するための営みとしての神学が扱われる。大乗仏教も「東洋における哲学という名にふさわしい思想」である。ところが、弁論術を広義の哲学史に含めることが検討されるといった柔軟さをみせながらも、西洋哲学史の殻は固い。ヘシオドスの思想は「数学的素養」に乗っ取っていないので考察対象から除外され、キリスト教学は、窮理という意味での哲学ではないという但し書きつきで扱われる。世界を対象として哲学史を語るために、それぞれの研究領域において哲学の対象範囲をどこまで広げることが有効なのか、執筆者それぞれの判断が問われているのである。

 哲学史において哲学とは何かを問うことは、史学史において歴史とは何かを問うことに似ている。かつてギリシア史家村川堅太郎は、中国には自由な探求の学問としての歴史学が成立しなかったと述べた。それにたいして川勝義雄が、司馬遷の例を引いて反論したことはよく知られている(『中国人の歴史意識』(平凡社))。論争の焦点は、司馬遷に自発的探究心と独自の歴史意識を認めることができるのか、という点にあったが、歴史叙述についてのあまりにギリシア中心的な価値評価にも問題があった。今日、ギリシア史研究者のあいだでは、ヘロドトスによる世界像の集成やトゥキュディデスによる批判的叙述といった大歴史家の仕事とならんで、編年体で書かれた各地の年代記や金石文によるローカルな記録行為に注目が集まっている。柔軟で包括的な対象理解が、比較史的な考察を可能とするのである。哲学史も同様であろう。

 最後に、『世界哲学史』の構想は、先行する複数の哲学史をひとつに収斂することを目指しているのだろうか。おそらくそうではない。編者は、「世界哲学史」を構想するにあたって、哲学の「始まり(アルケー)」を問いなおす。それは、哲学とは何かを問うことに他ならない。「始まり」を問い直すことで、ヨーロッパ標準の哲学史の規範性を相対化し、「多元的で普遍的な「世界哲学」の起源論」を模索しようとする姿勢を見て取ることができる。『世界哲学史』の「多元性」と「普遍性」が、比較と関係性のもとに、立ち現れることになる。

 各思想文化圏に固有の「哲学史」もまた、大乗仏教成立史の批判的再検証(第2巻第5章)が示すように、それ自体がメタな分析の対象である。歴史学の場合にも、各思想圏のなかで形成されてきた史学史の系譜それ自体が批判的な検証に値する。一例を挙げるならば、羽田正は、近代歴史学の成立過程のなかで、マホメット以降の中東が「イスラーム世界」として、歴史を持たない文明を扱う東洋学のなかに投げ込まれ、すでに西洋的な世界史叙述のなかに組み込まれていたエジプト文明やメソポタミア文明、旧約聖書の世界と分断された、と指摘する。『世界哲学史』は、このような史学史上の枠組上の分断に制約されない。エジプト・メソポタミア文明からヘブライズムとヘレニズムへ至る、伝統的な地中海古代史の流れを踏襲しながらも、ギリシア哲学の影響下に、グノーシス派による二元論的なキリスト教が出現し、それがマニ教においてペルシア的な二元論と結合して、中国にまで伝播し、イスラーム化した西アジア内部で生き続けた継けたことが語られる。ミッシングリンクの復元には限界もあるが、テキストに記された思想によって文明をつなぐ手法が、説得的である。

 このように単線的でない系譜を描くことが可能となったのは、『世界哲学史』が、共通テーマによって各時代を輪切りにする構成をとっているためである。そこに、既存の世界史のストーリーから個々の事象を切り離そうとする意図を窺うことも許されよう。それは奇しくも羽田正が『新しい世界史へ: 地球市民のための構想』(岩波書店)において、世界史の再構築のために提唱した方法でもある。

 ラファエロの描く「アテナイの学堂」が西洋哲学史を体現しているとすれば、これからの『世界哲学史』は、どのような絵図を描くことになるのだろうか。『世界哲学史』の再編は、狭い意味での思想史にとどまらず、受容と伝播をめぐる現行の世界史を書き換えることにつながることが予感される。歴史学研究者の注視が必要となる所以である。

(「世界史の眼」No.14)

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紹介・書評:秋田茂・細川道久著『駒形丸事件―インド太平洋世界とイギリス帝国』(ちくま新書、2021年)
小谷汪之

 本書は、駒形丸事件というそれ自体を取れば小さな事件の中に、さまざまな地域や社会や国のつながりからなる世界史の全体像を見渡そうとする野心的な試みである。

1 駒形丸事件とは

 駒形丸事件とは、1914年、北アメリカ(カナダ)へのインド人移民希望者を乗せた駒形丸がバンクーバー港への入港を拒否され、結局、インド・カルカッタ(今日のコルカタ)にインド人船客を輸送することを余儀なくされた事件である。

 駒形丸は1890年にイギリス(グラスゴー)で建造された総トン数3058トンの貨客船で、1914年当時は日本の神栄汽船の所有であった。1914年3月、インド人実業家グルディット・シンが香港で神栄汽船と駒形丸の傭船契約を結び、カナダへのインド人移民希望者を輸送することになった。駒形丸の船長と乗員42人はすべて日本人であった。

 1914年4月、駒形丸はインド人船客165人を乗せて香港を出港、上海、門司を経由して横浜に入港した。各港で船客を受け入れ、最終的に船客は376人に達した。船客全員がインド・パンジャーブ州の出身で、そのうちシク教徒が340人であった(シク教は16世紀のパンジャーブで、ヒンドゥーの諸宗教やイスラームを融合して創始された宗教で、総本山は後出アムリトサルの「黄金寺院」)。

 5月3日、駒形丸は横浜を出港し、5月21日にはバンクーバー港外の検疫所に到着した。検疫所で燻蒸証明書が出されたので、23日、駒形丸はバンクーバー港に入港しようとした。しかし、移民局によって入港を拒否され、港外に停泊せざるをえなかった。船客、乗員は下船を認められなかった。その後、移民局との交渉が続けられ、一人の船客の入国をめぐって裁判まで行われたが、入国を認められなかった。そのため、他の船客は入国審査を拒否し、結局、駒形丸は7月23日にバンクーバーを退去することになった。駒形丸は横浜(8月15日)、神戸(8月20日)、シンガポール(9月16日)を経て、9月25日、英領インド・カルカッタ(今日のコルカタ)付近に到着した。途中、下船者などもあり船客は321人に減っていた。

 9月29日、フーグリー川を遡上した駒形丸は、カルカッタ(コルカタ)の下流20キロメートルほどのバッジ・バッジ港に停泊した。フーグリー川はガンジス川から分流してベンガル湾に注ぐ川で、カルカッタはその左岸に位置する。バッジ・バッジ港で、インド政庁は船客に対して、特別列車に乗り換えてパンジャーブに行くよう要請したが、大部分の船客はそれを拒否して、徒歩でカルカッタに向かった。しかし、5キロメートルほど行ったところで警官隊や軍に阻止され、バッジ・バッジに戻ることになった。その夜、突然、銃砲の音が響き、双方の間に衝突が発生した。この衝突と銃撃により、船客20人などが死亡、多数の負傷者も出た。船客の多くは逮捕されたが、グルディット・シンなど28人は現場から逃亡した。

 駒形丸事件にかんする本書の詳細な記述を要約すると以上のようになる。

2 駒形丸事件の世界史的背景

 本書の特徴は、この駒形丸事件を「インド太平洋世界」の広い国際関係の中に位置づけることによって、第一次世界大戦前後の時代像を描き出そうとしている点にある。

 駒形丸事件の一つの世界史的背景としては、19世紀後半から20世紀初頭の北アメリカ(アメリカ、カナダ)におけるアジア系移民排斥の動きがある。1848年、北米カリフォルニアで金鉱が発見されてゴールド・ラッシュが起こり、中国人移民が急増した。その後、1857年にはカナダ(ブリティッシュ・コロンビア)でも金鉱が発見されて、カナダへの中国人の移動が始まった。1870年代には、カナダの東海岸と西海岸をつなぐカナダ太平洋鉄道の建設が進められたが、その労働力として中国人移民は不可欠であった。しかし、1885年にカナダ太平洋鉄道が完成すると、中国人移民に対する制限措置が取られるようになった。同年7月、カナダに到着した中国人に50ドルの人頭税が課せられることになり、その額が1900年に100ドル、1903年には500ドルに引き上げられた。その後、中国人移民に代わって、日本人移民が増大したので、1908年、カナダ政府は日本政府と日本人移民を年間400人に制限する協定を結んだ。当時、イギリスは日本と日英同盟を結んでいたので、イギリスの自治領としてのカナダもこれに拘束されていたから、中国人移民に対するような一方的な政策をとることができなかったのである。インド人移民の制限には、さらに複雑な問題があった。イギリスは、「1857年インド大反乱」が終息した1858年、インドを直轄植民地とした。これによって、インド人はイギリスの「帝国臣民」として、イギリス(大英帝国)版図内を自由に移動することができるようになった。したがって、カナダ政府もインド人移民を拒否することができないはずであったが、当時、イギリスからの自立を志向していたカナダはさまざまな方法でインド人移民を制限しようとした(本書には、その過程が詳述されているが、複雑なので省略する)。駒形丸事件はこのような状況の中で起こった事件で、結局、カナダ側のインド移民制限政策が成功したということができる。

 カナダによるインド人移民排斥にはもう一つの要因があった。1900年代初頭、アメリカ東海岸のインド人の間で反英民族運動が始まり、それが西海岸のシク教徒を中心とするインド人移民労働者の間にも広がっていった。1913年には、サンフランシスコで彼らの運動組織ガダル党(Ghadar Party)が結成された(「ガダル」はアラビア語起源の言葉で、「反逆」の意)。ガダル党の組織はカナダにも広がっていったために、カナダ政府もインド人移民の動向に注意を払っていた。駒形丸の船客とガダル党の間には直接的な関係はなかったようであるが、ガダル党の中心になったのがパンジャーブ出身のシク教徒だったので、カナダ政府は駒形丸のシク教徒船客に対して厳しい対応をしたのであろう。

 このシク教徒の問題は、イギリスにとって、さらに大きな広がりを持っていた。イギリス・インド軍(Indian Army)は1914年の第一次世界大戦勃発時、約20万人の兵員で構成されていたが、その主力がパンジャーブのシク教徒だったからである。ガダル党員はインド、特にパンジャーブに潜入するとともに、武器弾薬などをインドに密輸して、イギリス・インド軍兵士に反乱を呼び掛ける活動などを行った。インドに入ったガダル党員の数は8000人に上ると推定されている。このガダル党員の動きを遠因として、1915年2月、シンガポールでイギリス・インド兵の反乱が起こった。パンジャーブ出身のムスリムの兵士800人ほどが兵営を占拠し、捕虜とされていたドイツ人兵士などを解放した。イギリスは反乱鎮圧のために日本の援助を求め、日本の軍艦二隻がシンガポールに急行した。反乱は一週間後にほぼ制圧された。

 第一次世界大戦中、イギリスはインドの戦争協力の見返りとして、戦後に大幅な自治権を認めると約束していたが、それを反故にして、インドの自治要求運動に対する弾圧を強化した。それにより、インドの反英民族運動は逆に激化し、特にイギリス・インド軍兵士を多く出したパンジャーブでは大きなデモや集会が繰り返され、一部には暴力行為も起こった。そんな中、1919年4月13日の夕方、アムリトサルのジャリヤーンワーラー・バーグ広場での集会に参加していた約二万人の大群衆に対して、ダイヤー准将率いる軍隊が無差別の発砲を行い、死者1200人、負傷者3600人を出す大惨事を引き起こした。このいわゆる「アムリトサル事件」によって、インドの反英民族運動はさらなる高揚を見せた。

3 インド史における駒形丸事件

 駒形丸事件とその世界史的背景について、日本におけるインド(南アジア)通史ではどのように扱われてきたのかを、以下の3冊を取り上げて検討してみたい。①山本達郎編『世界各国史Ⅹ インド史』(山川出版社、1960年)、②辛島昇編『新版世界各国史7 南アジア史』(山川出版社、2004年)、③長崎暢子編『世界歴史大系 南アジア史4 近代・現代』(山川出版社、2019年)の3冊である。

 ①には、駒形丸事件とシンガポールのインド兵反乱についての記述はない。ガダル党については、「北米のインド人移民・亡命者たちが祖国のパンジャーブと連絡を取って、インド各地に革命を起こそうと試みたテロリストの流れをくむ運動—北米で発行した機関誌の名をとってしばしば『ガママダル』(反乱の意)運動とよばれる—もたしかに存在した」(314頁。松井透執筆)という記述がある。ただ、インドの反英民族運動「本流」からは外れた動きという印象を受ける書き方である。①に特徴的なのは、「アムリトサル事件」について4ページにわたって極めて詳細に記述されていることである(371-374頁)。

 ②にも駒形丸事件への言及はないが、ガダル党とシンガポールのインド兵反乱については、次のような記述がある。「暴力革命派の活動も活発であった。インド人兵士が武装反乱を起こし、イギリス支配の転覆をはかるという、一八五七年の大反乱モデルにならった反乱ガダル党の計画も立てられた。この計画は一九一五年二月、政府に摘発されて国内では未遂に終わる。〔中略〕シンガポールでも一五年、反乱党の計画につながるインド兵士の反乱がおこり、イギリスは日英同盟を利用して、日本軍の援軍によってやっと鎮圧したほどであった」(379—380頁。長崎暢子執筆)。ただし、ガダル党そのものについては何の説明もないので、一般の読者にはちょっと分かりにくいであろう。②における「アムリトサル事件」の記述は、①とは対照的に極めて簡略で、数行にとどまる(386頁)。

 ③の該当箇所の執筆者は②と同じなので、記述内容だけではなく、文章そのものもほぼ同じである。ただし、②の近・現代南アジア史の部分がB6版で123頁なのに対して、③はA5版468頁全体が近・現代南アジア史である。それにもかかわらず、ガダル党、シンガポールのインド兵反乱そして「アムリトサル事件」に関する記述の量は両書で同じである。ということは、③ではこれらの出来事に関する記述の比重が極めて低下しているということである。

 以上のような状況は、次のように理解することができるであろう。①が書かれた段階では、まだ現地南アジアにおけるインド(南アジア)研究が十分に発達していなかったので、イギリス人研究者による英印関係史やインド国民会議派的なインド民族運動史に依拠せざるをえなかった。そのため、「アムリトサル事件」に多くのページが割かれ、ガダル党のようなインド国民会議派とは異なる路線の運動は軽視された。それに対して、②が書かれた段階になると、南アジア史の多様な側面が研究対象となり、英印関係史(国際関係史)的な記述が後景に退き、インド国民会議派以外の政治団体や社会運動にも多くの紙面が割かれるようになった。③が書かれた段階では、その傾向が一層顕著に進み、社会史、女性史、ジェンダー史などの記述が大幅に増大した。その結果、英印関係史(国際関係史)的記述の比重が極めて低下したのである。

 これら3冊のインド(南アジア)通史の性格の変化を上のようにとらえられるとすると、そこには次のような一般的な問題があるように思われる。それは、歴史研究が国家や社会の内部やさらには個人の内面にまで深く入って行けばいくほど、それらを取り巻く外部の世界への関心が希薄化していくという問題である。あるいは、歴史の研究が精緻になって行けばいくほど、全体への関心が後退する傾向といってもいいかもしれない。

 本書のような諸地域、諸社会、諸国家のあいだを結ぶつながりを重視するグローバル・ヒストリーの歴史記述は、そのような歴史研究の趨勢に対する批判となりうるであろう。しかし、同時に、一個人、一地域、一社会、一国家の歴史の中に深く沈潜しようとする歴史研究との間をどう架橋するかという課題が今後に残されているということができると思う。人々の幾重にも重層化した生活世界の最も外側の層がグローバルなつながりなのであるから。

(「世界史の眼」No.14)

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