世界史研究所のウェブサイトにようこそ

世界史研究所は、2004年7月10日の設立以来16年間に渡って、世界史研究とそれにかかわる情報交換の拠点として活動して参りました。2020年4月1日からは、母体となっていた「歴史文化交流フォーラム」の解散に伴い、ウェブサイトでの活動を主とする研究所として新たにスタートしています。毎月1日に「世界史の眼」と題する論考・コラムを掲載している他、世界史に関する情報の発信・集積や出版活動に努めています。具体的な活動方針に関しては、こちらをご覧ください。また、世界史研究所が関与した書籍に関しては、こちらをご覧ください。

世界史研究所ウェブサイトに掲載の論考の著作権は、各著者に帰属します。無断転載はお断りします。引用に際しては、必ずURLを明記してください。

カテゴリー: お知らせ | 世界史研究所のウェブサイトにようこそ はコメントを受け付けていません

「世界史の眼」No.79(2026年10月)

本号では、小谷汪之さんに、 連載中の「蓼科の近代史」の続稿となる「蓼科の近代史 Ⅲ(下)―白樺湖の築造と京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』」をお寄せ頂きました。また、木畑洋一さんに、「書評:水谷智・馬路智仁・山田智輝編『トランスインペリアル・ヒストリー 植民地主義への新たな視座』(人文書院、2026年)」をご寄稿頂きました。

小谷汪之
蓼科の近代史 Ⅲ(下)―白樺湖の築造と京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』

木畑洋一
書評:水谷智・馬路智仁・山田智輝編『トランスインペリアル・ヒストリー 植民地主義への新たな視座』(人文書院、2026年)

水谷智・馬路智仁・山田智輝編『トランスインペリアル・ヒストリー 植民地主義への新たな視座』(人文書院、2026年)の出版社による紹介ページはこちらです。

ミネルヴァ書房より、世界史研究所の小谷汪之氏と南塚信吾氏のそれぞれの新刊が刊行されます。小谷汪之氏の『「辺境」からの世界史—「満蒙」と「南洋」』が10月に、南塚信吾氏の『世界史のなかの北前船—長者丸が漂流した19世紀』が11月に刊行されます。いずれも、日本史・アジア史を「世界史」の中で論じる意欲作です。手にとってお読み頂けますと幸いです。出版社による紹介ページはこちらとこちらです。

カテゴリー: 「世界史の眼」 | コメントする

蓼科の近代史 Ⅲ(下)
―白樺湖の築造と京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』
小谷汪之

はじめに
1 「鳥の城」の事件
2 池の平をめぐる「山論」
3 白樺湖の築造
(1)温水溜池としての白樺湖
(2)白樺湖築造における曲折
(以上、前号)
4 白樺湖の築造と「鳥の城」
5 「鳥の城」と「死の概念」
おわりに
(以上、本号)

4 白樺湖の築造と「鳥の城」

 白樺湖築造についての『陰摩羅鬼の瑕』の記述はかなり長く、詳しい。それは、白樺湖築造の経緯がこの小説の主題と密接にかかわっているからであろう。白樺湖築造と「鳥の城」の関係について、『陰摩羅鬼の瑕』では、「伊庭」元刑事の独白の形をとって、 次のように書かれている。

 鳥の城の住人は、多分貯水池造りには全く関与していない筈だ。目の前に湖が出来上がっていく様子を、窓越しに眺めていただけなのだろう。
 彼かの家は入村式をしていないと聞いた。 
 池の平に入植してきたのが何時いつ頃のことなのかは能く知らないが、その際も引受人を立てていないと云うし、然しかるべき手続き―勿論もちろん法的なそれではなく慣例としてのそれなのであるが―も、してはいないようだった。当然、鳥の城の住人は村役となることもないし、村の組にも入っていない。村の行事や寄り合いに顔を出すでもない。オテンマと呼ばれる村の公的な課役も免れていた[長野地方では、道や用水路の整備などのような村の共同作業をテンマ、オテンマといった。伝馬から派生]。
 そこは―鳥の城と呼ばれる建物とそこに暮らす住人達は―共同体から完全に孤立していたのだ。
(『陰摩羅鬼の瑕』248~249頁)

 このように、『陰摩羅鬼の瑕』において、「鳥の城」は白樺湖を最終的に自力で完成させた地域住民たちの「共同体」からは完全に孤立した存在であり、逆から言えば、「鳥の城」は、地域住民たちにとっては、単に異様で不可解な他所者にしか過ぎないものとされているのである。

 そこ[鳥の城]は村ではなかったのだ。
 行政区画上の所番地―住所のことを云っているのではない。共同生活体としてのムラの一員ではなかった、と云う意味である。
 ムラは一緒に生きる。一緒に死ぬ。
 単に結束しているのではない。運命を共有しているのだ。だから国が見放しても湖なんかを造ることが出来る。木場は先程、湖は地元民の努力の賜物たまものだと云うようなことを云っていたが、その物云いは土地の者の耳には別の聞こえ方をする。
 それは多分、ムラが決め、ムラの意思でムラとして行動したからこそ出来たことなのだ。村の共有林を伐採ばっさい売却して財源を確保し、村の若衆や男衆を労働力として成した事業―と云うことなのだろう。
 そうでなければ―個人や家単位に判断が委ねられていたのでは、幾ら利害関係が一致していたとしても意志統一は難しいし、財源も労働力も確保は出来ない。
(『陰摩羅鬼の瑕』247~248頁)

 白樺湖築造についての『陰摩羅鬼の瑕』の記述が長く詳しいのは、白樺湖を自力で完成させた地域住民の「共同体」(ムラ)の強固な団結力を強調するためであろう。それとの対比において、「共同体」(ムラ)から完全に孤立した「鳥の城」の異様さ、不可解さが際立って見えるようになるからである。

5「鳥の城」と「死の概念」

 『陰摩羅鬼の瑕』の主題は「死の概念」(1,121頁)なのであろうが、この小説の最後の方で明らかにされる「由良伯爵」家三代目の「死の概念」は極めて異様で不可解である。この異様で不可解な「死の概念」は「鳥の城」の異様さ、不可解さと深くかかわっているとされているようである。

 伯爵にとっては、
 生きることとは存在することなのだ。
 そして存在しなくなることが死ぬことなのだ。
 伯爵にとっての殺人とはつまり、人間をこの世界から消滅させてしまうことであり、そうでなければ人間の形を失わせてしまうことなのである。人間の形をして此の世に存在して居る以上、伯爵にとってその人は生きて居るのだ。
 生命いのちのあるなしは―。
 関係ないのである。存在するモノは総すべて生きて居るのだ。草も木も花も机も椅子も布巾ふきんも階段も、何もかも、生きて居る。
 机は、机として、生きて居る。
 布巾は布巾として生きて居る。
 机が壊れてしまえば、それは机としては死んだことになるが、木材としてはまだ生きて居る。燃えてなくなってしまった時―それは完全に死んだことになる。人間も―同様だ。
(『陰摩羅鬼の瑕』1,122~1,123頁)

 このような異様で不可解な「死の概念」が生まれる場は「鳥の城」のような異様で不可解な空間でなければならないというのがこの小説の構想なのであろう。「伊庭」元刑事は初めて「鳥の城」に入ったときの印象をこう語っている。

 ―そこは。
 化物屋敷だ。人なんか住んじゃいない。
 あの館は。[中略]
 そう、あの光景は。
 或る意味狂気の沙汰だ。[中略]
 鳥が。
 鮮明に思い出した。
 鳥が、到るところに鳥が。
「こう、屋敷中に、馬鹿みたいに鳥の剥製が並んでてな。鬼魅きみが悪いったらないのよ」
「屋敷中に?」
「ああ、それも百や二百じゃない。もう数え切れない程だった。俺も、一緒に行った同僚も、……すっかり吞まれちまった」
「呑まれた」
「場の雰囲気によ。だって、考えてみろ。剥製と云やァ死骸だろうが。それが何百と並んでいるんだぞ。鬼魅きみが悪いや。城みてェに立派だが中には鳥しかいないのよ。だから―鳥の城だったんだな」 
(『陰摩羅鬼の瑕』253~254頁)

 「鳥の城」に並べられている無数の鳥の剥製は、博物学者として少しは知られていたとされる「由良伯爵」家の二代目が金にあかせて世界中から掻き集めた珍しい鳥を、邸内に住まわせていた剥製師に剥製にさせたものということである(前述のように、「由良伯爵家」二代目は陰摩羅鬼を思わせる偽物の鶴の剥製を作らせたことが発覚して、博物学者としての経歴を絶たれ、三代目の成人を待って自殺したとされている)。

 「鳥の城」で生まれた「由良伯爵」家の三代目は、病弱だったこともあり、20年間「鳥の城」からほとんど一歩も出なかった。三代目は無数の鳥の剥製に囲まれて育ち、外の世界のことをほとんど何も知らなかったのである。それで、三代目はこれら無数の鳥たちを「生きて居る」ものと思うようになったということなのであろう。鳥(モノ)の形をとって此の世に存在して居る以上、それらの鳥(モノ)は「生きて居る」のだという三代目の「死の概念」は、「鳥の城」と呼ばれた「由良伯爵」邸のこのような異様で不可解な空間において形成されたとされているようである。

おわりに

 白樺湖の「建設当時には観光に利用する意図は全くなく、誰も今日のように観光で発展するとは思ってもみなかったようである」(『茅野市史 下巻』763頁)。それにもかかわらず、1950年代後半から、白樺湖一帯は観光地化し始めた。「八子ヶ峰から見る湖底に沈んだ音無川の川筋や、大門街道の道筋がはっきり確認できるほど湖水は澄んでいて、水没した白樺林の先が湖面に突き出て神秘的な美しさをたたえていた」(『茅野市史 下巻』763頁)という魅力的な景観が観光客を呼び寄せたのであろう。

 その頃から、貸ボート業が盛んになり、湖面には多くのボートが浮かぶようになった。ニジマス、ワカサギ、鯉の養殖も始まって、観光客を引き寄せた。湖岸では、農耕用の馬を農閑期に有効活用する観光馬車業が広まった。白樺湖周辺の山の斜面には多くのスキー場が開設され、1960年代のスキーブームに乗って、大勢のスキー客が訪れるようになった。

 観光客の増大に伴って、白樺湖周辺には大きな旅館やホテルなどがたくさん建設されていった。こうして白樺湖周辺はすっかり様変わりしてしまったので、もしそこに「鳥の城」が本当にあったとしても、もう「異様に目立つ」ということはなかったであろう。

 しかし、2000年代になると、白樺湖の観光業は衰退しはじめ、廃墟化する旅館やホテルが出始めた。白樺湖の観光開発は、主として、この周辺一帯の土地を所有している柏原財産区(北山村柏原区の単独財産区。財産区については、拙稿「蓼科の近代史Ⅰ―満洲開拓と戦後開拓」参照)によって行われてきた。その観光開発の方式が時代状況の変化に適応できなかったことも白樺湖観光業衰退の一因とされている。それに、国内観光業の不振やスキーブームの衰退が追い打ちをかけたのであろう。

 ところが、2020年代に入ると、白樺湖の観光業は復活し始めたようである。同じく茅野市大字北山にある蓼科湖周辺でも、一時、観光業の衰退が見られ、人影もまばらになったが、近年、同じような観光業復活の動きが見られるようである。コロナ禍や円安の急激な進行によって外国旅行に行く日本人が減少し、その結果、日本人観光客の国内回帰が起こったということなのであろうか。

(完)

(「世界史の眼」No.79)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする

書評:水谷智・馬路智仁・山田智輝編『トランスインペリアル・ヒストリー 植民地主義への新たな視座』(人文書院、2026年)
木畑洋一

 世界の現況を反映する形で、最近帝国史研究が盛んになっているが、本書はその流れに一石を投じる野心的な論文集である。編者の一人水谷智氏は、2018年に刊行された、日本植民地研究会編『日本植民地研究の論点』(岩波書店)に寄稿した研究動向紹介「「間-帝国史trans-imperial history」論」で、「間-帝国史」という研究分野の確立に向けて取り組んでいることを宣明していた。その努力の一つの成果が本書である。「間-帝国史」という少々座りの悪い日本語でなく、国際的に研究が進んでいるトランスインペリアル・ヒストリー(以下TIHと略記)という言葉がそのまま用いられているが、適切な選択である。水谷氏の研究プロジェクト自体国際的な広がりをもって取り組まれており、TIH研究を国際的に主導するダニエル・ヘディンガーとナディン・ヘーという二人の研究者も中心的な筆者となっているのである。

 本書では、序章「「トランスインペリアル・ヒストリー(TIH)」とは何か」を編者3人が、第1章「トランスインペリアル・ヒストリー」をヘディンガー、へーの両氏が執筆し、TIHというアプローチが何を意味するかを解説している。重なりあうところが多いこの二つの章の内容を評者なりに少し強引にまとめてみれば(両章で提示された豊富な論点の内、省略しているものもある)、次のようになろう。

1)対象としての複数帝国:これまでの帝国史研究では多くの場合ある特定の帝国が研究対象とされていたが、TIHは一つの帝国で完結するのでなく、複数の帝国を同時に扱う。
2)新たな対象空間設定:複数帝国のはざまに置かれた地域や複数帝国を包含する空間など、これまでの帝国史研究で等閑視されてきた空間をも対象とする。
3)相互関係の動態的把握:TIHはさまざまな事象の相互関係を複数帝国にまたがって扱うが、その場合、対象の可変性に留意しつつ、動態的な把握を行う。
4)新たな比較の視座:これまでも複数帝国間での比較という作業は行われてきていたが、それはいわば静態的に行われるきらいがあった。TIHでは、相互認識や越境的な関係を重視した動態的な比較がなされる。
5)非国家的主体への着目:帝国運営に関わる国家的な主体以外のさまざまな人びと、とりわけ帝国の草の根の次元を構成する支配される人びとが重要な研究対象となる。
6)反植民地主義の重視:TIHは帝国支配に関わる事象も抵抗に関わる事象も扱うが、とくに反植民地主義とその運動の連関性が重視される。

 このようにTIHの方法論を展開した冒頭部分に、第Ⅰ部「異民族統治をめぐる<比較のポリティクス>」、第Ⅱ部「帝国の<はざま>における経験―移動・帰属・入植」、第Ⅲ部「トランスインペリアルな被支配経験―もつれあう抵抗と連帯」という三部構成の本論が続く。以下では、とくに部の区別にはこだわることなく、各章についての簡単な紹介を、TIHという方法との関連に注目しながら行っていきたい。

 第2章フロリアン・ヴァーグナー「リベラルな帝国とファシスト帝国の境界を曖昧にする」は、1893年から1949年まで存在した国際植民地研究所(ICI)に集って植民地支配に関わる「知の交換と産出に携わった」(81頁、以下頁は省略)人びとが、原住民社会についてどのような情報の交換をし、どのような方策で植民地主義を実践しようとしたかを検討する。ICIが関心を寄せたのは、植民地農村の協同組合や都市の手工業組合であり、それとの関連で、大戦間期には、イタリアのファシスト体制がとっていたコーポラティズムが着目された。こうした国際組織の研究は従来もなされてきたわけで、TIHとして行うとなれば、それなりの独自性が求められるが、コーポラティズムを推賞したインド(ポルトガル領ゴア)出身の経済学者フレッペル・コッタについての議論(96-97)などを除いて、残念ながら本章ではそれがうかがえなかった。なお、著者はICIと日本の関係(柳田国男もICIの日本人会員三人のうちの一人であった)にも注意を払っている。ヘディンガー、ヘーの両氏もそうであるが、日本帝国の問題を巧みに取り入れることができる外国人研究者をそろえているのは、本書の強みであろう。

 第3章ダニエル・ヘディンガー「ファシスト国際主義」は、『枢軸―ベルリン・ローマ・東京 1919―1946年』(人文書院、2025)の著者による、ファシズム運動の国際的連携をめぐる論考であり、イタリアのファシズムを中心として日本の汎アジア主義運動にも周到な目配りをした議論が展開されている。ここで示されているファシスト国際主義の構図自体はきわめて具体的であり、読者はその消長過程についてのイメージを抱くことができる。その反面、国際ファシズムという概念とトランスインペリアルという概念の間の関係については、分りにくさが残るという感が否めない。帝国主義とファシズムの間の関連に留意しつつトランスインペリアルという問題を追求するなかで、国際ファシズム運動がどういう形で位置づけられるのか、についての説明が欲しかった。

 第4章馬路智仁「≪帝国知翻案者≫の可能性」は、国際関係思想史家による、TIHへの思想史的接近についての方法的提言である。ここで提示される方法は二つで、一つは≪比較のポリティクス≫、今一つは≪帝国知翻案者≫である。≪比較のポリティクス≫は、歴史のなかで実践された帝国間の比較作業に迫る方法であり、そうした比較などの結果がどのようにその実践者の帝国構想のなかに織りこまれていくかを「翻案」という作業などに着目しつつ分析していくことが、≪帝国知翻案者≫としての対象に迫る方法である。著者がTIHとしてより可能性が大きい方法として提起するのが後者であることはいうまでもない。それぞれについて、具体的な事例が挙げられているが、共通して取りあげられているのが矢内原忠雄の帝国論であり、違いが説得的に提示されている。帝国をめぐる言説を展開し、さらに帝国運営の実際にも関わったさまざまな人びとについて、この方法を適用することは、確かにTIHに思想史的広がりを付与していくことになろう。

 第5章東栄一郎「入植者植民地主義」は、近年注目が深まっている入植者植民地主義論がイギリス帝国中心的視点を取りがちであることを批判してその是正が必要であるとしつつ、さまざまな入植者植民地主義の間の絡まり合いに着目するTIHとの組み合わせが重要であると説く。そして、その具体的事例として、著者の主著『帝国のフロンティアを求めて――日本人の環太平洋移動と入植者植民地主義』(名古屋大学出版会、2022)でも検討されている、アメリカに入植していた日本人がアジアに回帰して日本の植民地拡大に寄与していく問題を取りあげる。入植者植民地主義論とTIHという方法的視座を結びつけることがその双方を豊かなものにするのは確かであり、大きな可能性をもつ提言であると感じた。

 第6章鶴見太郎「三つの帝国のはざまで」は、シオニズムの生成と展開を、ロシア帝国、オスマン帝国、イギリス帝国という三つの帝国が競い合う空間のなかに位置づけていこうとする試みである。著者は強調しないものの、これはオーストリア・ハンガリー帝国やドイツ帝国も視野に入ってくる枠組みであり、TIHという方法の有効性がよく示されている。ただ、第5章との関連では、イスラエルがガザやヨルダン川西岸で見せている「入植者植民地主義」の様相が、章の最後のところで触れられてはいるものの、シオニストが経験してきたトランスインペリアルな空間の規模感覚の問題に回収されてしまっているようにみえるのは残念である。トランスインペリアルな関係性のなかで展開してきた「入植者植民地」の歴史が、現在パレスチナの地で集中的に発現しているという点に、今少し踏み込めたのではないだろうか。

 第7章増渕あさ子「日米帝国のはざまで」は、沖縄からハワイへの移民の子として生まれた比嘉太郎という人物に焦点をあてて、第二次世界大戦期の彼の行動の軌跡(米軍の一員としてのイタリア戦線での従軍、日系人強制収容所での戦争協力姿勢喚起のための演説活動、沖縄戦期における沖縄への駐留)に重点を置きながら、「彼の主体性や帰属/疎外の意識がどのように揺れ動いていたか」(244)を検討する。TIHは、複数の帝国の力が交錯したり、複数の帝国のはざまに置かれたりしている空間に生きた非エリート層の人びとの生き様を重要な研究対象にするというが、「沖縄人」であることを意識しながらハワイという「故郷」を重視しつづけた比嘉の姿を描いた本章はそのような方向性をよくあらわしている。そうした比嘉の人種意識が揺れ動いていたことについても的確な分析がなされており、近現代世界において重層的な形でひろがる人種主義の様相に迫っていくのにTIHがきわめて有用であることが示されている。

 第8章水谷智「トランスインペリアル・ヒストリーからみた反植民地主義」は、反植民地主義の主体となった人びとの、異なる帝国の境界をこえたつながりをたどるなかで、TIHの射程を浮き彫りにする試みである。評者も、イギリス帝国史研究のなかで、アイルランドのナショナリストとインドのナショナリストの関係の重要性などを指摘してきたが、水谷氏は、TIHはそうした一帝国内に限られた関係をこえた複数帝国間での反植民地主義の連動に迫るものであるとして、具体的素材として、インドのナショナリストと日本帝国の関係を扱っている。日本の汎アジア主義を支持するインド人ナショナリストもいたものの、植民地支配国としての日本を批判し、日本に支配される朝鮮の人びとに共感したナショナリストも多かったとして、その代表例として詩人タゴールを取りあげるのである。この事例研究は、TIHの意味をよく示すものとなっている。ただ、たとえばタゴールを取りあげるとなれば、日本帝国との関係だけでなく、フランス帝国との関係も問題となりうるわけであり(タゴールが朝鮮の人びとに「東方の燈火」という詩を送った1929年という年の重要性を著者は強調しているが、その年に彼は仏領インドシナを訪問し、ベトナム人と交流した)、より多面的な形でTHIの構図を追求すべきではないか、という感が残った。

 第9章山田智輝「請願と出版文化」は、第一次世界大戦期までドイツの植民地であったトーゴが、大戦後国際連盟のもと英仏間に分割されて委任統治領にされていくにあたり、フランスの統治下に入ることを嫌った人びとからイギリスの政府や経済界、さらに国際連盟に対してなされた請願活動を分析する。こうした植民地住民の動きは、TIHの対象として確かに興味深い。また「他帝国の近隣植民地を中心とする地域的な出版文化を活用」する(304)という点もTIHのアプローチに即する重要な着眼点と考えられる。

 第10章呉叡人「相互的な主体化への道」は、すでに公刊されている中国語論文の翻訳である。著者は、イギリス帝国、日本帝国、中国帝国との関係に留意しながら、台湾と香港の近現代史を、人びとの主体形成という問題に即して検討していく。それによれば、台湾での政治的主体の形成は日本による植民地統治下で起こったのに対し、住民に植民地協力者としての性格が強かった香港における主体形成は冷戦期、それも1960年代以降を待たねばならなかった。著者の議論はきわめて明快で、台湾と香港の間の周到な比較によって支えられているが、これをあえてTIHと呼ぶ必要があるのかという点については、疑問を覚えざるをえない。相互の連関や交流、さらには相互参照といった局面がさらに示されるのであれば、TIHの好例になるとは思われる。ただ、複数帝国のはざまに置かれた地域のすぐれた比較研究として、本章の価値が高いことは確かである。

 第11章中尾沙季子「抵抗の連帯か帝国の拡張か」は、パン・アフリカ主義の初期を先導したアメリカの活動家たち、とりわけブッカー・T・ワシントンが推進していた黒人に対する実業教育活動である「タスキーギ・モデル」のリベリアへの導入問題を中心として、章タイトルに示されるアフリカン・アメリカンとアフリカとの関係がはらむ両義性に迫る試みである。帝国的性格をもったアメリカのアフリカへの関心と、パン・アフリカ主義を担ったアフリカン・アメリカンの思想と行動が、どのように絡み合っていったかという問題はすこぶる興味深いが、著者自身が「おわりに」で触れているような諸点―ハイチがしばしば参照軸となった意味、「黒人」という人種概念の機制、日本の植民地支配への投影―をより詳しく論じていけば、TIHという方法をより生かしていくものになったであろう。

 このように、本書には、TIHの日本におけるマニフェストにふさわしい力作が並んでいる。全体を通して評者が感じたのは、TIHというアプローチを生かすことができる研究対象の選択が重要だという点である。少々乱暴に整理してみれば、中にはTIHを意識することによって初めて浮かび上がってくる研究対象(たとえば第7章)がある。一方、これまでもさまざまな形で議論されてきた対象にTIHを用いることで、新たな相貌が見えてくる研究対象(たとえば第6章)もある。さらに、従来もTIHに近い形で研究されてきたもののTIHを意識することで視野をさらに広げられる研究対象(たとえば第8章)もある。TIHの追求によって、さまざまな形での研究の開拓が見通せると思われるのである。そうした研究にあたっては、複数言語の必要などから、言語をまたいでの共同研究が必要であることは、編者たちが指摘している通りであるが、その実践例を本書がよく示していることを、最後に指摘しておきたい。

(「世界史の眼」No.79)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする

「世界史の眼」No.78(2026年9月)

本号には、小谷汪之さんに、 連載中の「蓼科の近代史」の続稿、「蓼科の近代史 Ⅲ(上)―白樺湖の築造と京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』」をお寄せ頂きました。また、帝京大学の後藤玲子さんに、「「福祉への想像力」―書評:金沢周作他編『福祉の世界史』」をご寄稿頂いています。

小谷汪之
蓼科の近代史 Ⅲ(上)―白樺湖の築造と京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』

後藤玲子
「福祉への想像力」―書評:金沢周作他編『福祉の世界史』

金澤周作、帆刈浩之、松沢裕作、三浦徹 編『福祉の世界史』(有斐閣、2025年)の出版社による紹介ページはこちらです。

世界史研究所の木畑洋一氏の新刊、『イギリス帝国―支配と残影』(岩波新書 新赤版2123)が8月に刊行されました。氏のこれまでの幅広い研究を踏まえ、植民地帝国イギリスを、パレスチナ問題に代表される21世紀の現在まで残り続けるその負の遺産までを視野に入れて叙述しています。手にとってお読み頂けますと幸いです。出版社による紹介ページはこちらです。

カテゴリー: 「世界史の眼」 | コメントする

蓼科の近代史 Ⅲ(上)―白樺湖の築造と京極夏彦『陰摩羅鬼の瑕』
小谷汪之

はじめに
1 「鳥の城」の事件
2 池の平をめぐる「山論」
3 白樺湖の築造
(1)温水溜池としての白樺湖
(2)白樺湖築造における曲折
(以上、本号)

4 白樺湖の築造と「鳥の城」
5 「鳥の城」と「死の概念」
おわりに
(以上、次号)

はじめに

 京極夏彦の『陰摩おんも羅ら鬼きの瑕きず』(講談社文庫版、2006年)は白樺湖(長野県茅野市大字北山。湖面の標高約1,400メートル)の周辺を舞台とする小説である。「陰摩羅鬼」とは、もともとは仏典(蔵経)に出てくる妖怪で、『淸尊録』(宋代)のような中国の妖怪書を通して江戸時代に日本に入った。死亡直後の遺体の気が変じたものとされ、鶴のような姿をしているという。ただし、本稿では、この妖怪が問題なのではない。この小説に描かれた白樺湖築造にかかわる近代史が本稿の主題である。

 『陰摩羅鬼の瑕』の設定では、明治20年(1887年)、後に白樺湖が築造されることになる池の平の地(当時、長野県北佐久郡芦田村)に、「由良伯爵」家の初代が豪壮な洋館を建てた(1,152頁)。その40~50年余り後、「由良伯爵」家の三代目の時代に、この洋館で花嫁が結婚式の翌朝に死亡する事件が連続して起こるようになったというのがこの小説の筋立てである。

 池の平は蓼科山の西麓に広がる湿地帯で、いわゆる高層湿原に分類される。高層湿原というのは、枯死したミズゴケなどが泥炭となって大量に蓄積されて周囲よりも高くなったために、地下水が地表まで届かず、雨水のみによって維持されている湿原のことである。

 池の平からは音無川が南に流れ出し、芹ケ沢の付近で上川かみがわに合流する。上川は八ヶ岳連峰西側の冷山に源を発して、滝之湯川や音無川を合わせて西流し、茅野市域を時計回りに半円を描くように流れた後、流路を北西に変えて、諏訪湖の南端近くで諏訪湖に流入する。

 芹ケ沢から音無川を遡るように北上するのが大門街道で、白樺湖の西から大門峠を越え、旧中山道長久保宿西の落合追分で旧中山道に接続する。池の平の「由良伯爵」邸に行くには、中央本線茅野駅から芹ケ沢を経て大門街道に入るのが主要な経路と想定されているようである(図1「白樺湖関係図」参照)。ただし、中央本線が岡谷まで延伸され、茅野駅が開業するのは明治38年(1905年)であるから、それまではどういう経路で「由良伯爵」邸に行っていたのか作中に言及はない。

1 「鳥の城」の事件

 地元の人たちは「由良伯爵」家の豪壮な洋館を「鳥の城」と呼んでいた。この「お城」には漆黒の鶴(これは「由良伯爵」家の二代目が剥製師に作らせた偽物の鶴で、陰摩羅鬼を暗示しているようでもある)をはじめとして、無数の鳥の剝製が置かれていたからである。この「お城」で最初の花嫁死亡事件が起きたのは昭和5年(1930年)で、「由良伯爵」家三代目の最初の結婚式の翌朝に花嫁がベッドの上で死んでいるのを発見された。これを皮切りに、昭和9年(1934年)、昭和13年(1938年)と、「由良伯爵」家の三代目が次々と結婚式を挙げるたびに、結婚式の翌朝に花嫁が死体となって見つかった。昭和20年(1945年)、敗戦の年にも4度目の花嫁死亡事件が起こったが、連合国軍(米軍)の占領下でろくに捜査もできなかったらしいとされている。

 最初の花嫁死亡事件が起こったのが昭和5年(1930年)で、「今」から23年前のこととされているから、この小説の「今」は昭和28年(1953年)である。

 最初の事件があった時に、その捜査に当たった長野県警察部刑事の一人に「伊庭」刑事がいた。池の平の周辺に生まれ育ったらしい「伊庭」刑事は戦前の3件の花嫁死亡事件すべての捜査に加わった。しかし、日米開戦と同時に、長野県警察部を辞めて上京し、「工廠」で働いていた。戦後になって警視庁に採用され、5年間勤務した後退職して、「今」では東京で年金暮らしである。

 その「伊庭」元刑事の家に警視庁麻布警察署の「木場」という刑事が訪ねて来た。「木場きば」は「伊庭いば」と間違えられて、国家地方警察長野県本部からこの花嫁死亡事件について問い合わせを受けたので、「伊庭」のもとを訪ねたということであった。「木場」によれば、「今」、同じような事件が白樺湖畔の豪壮な洋館で起きそうだという。「由良伯爵」家の三代目が5度目の結婚式を挙げることになったからである。それを聞いて、「伊庭」は「だだっ広い荒野の外れに聳そびえる、石造りの建物」を思い出した。「伊庭」は少年時代に、「あれは御殿だ、お城だと聞かされていた」。「そんな立派な建物なのかい」と問う「木場」に、「伊庭」はこう答えた。「多少大袈裟おおげさかもしれないがな。そんな感じだ。こっち[東京]じゃ巨おおきい建物なんざ珍しくもないが、あの辺りにはない。だから異様に目立ったんだ」(『陰摩羅鬼の瑕』246頁)。

 この「木場」刑事の訪問がきっかけとなって、「伊庭」は事件の発生を未然に防ぐために、国家地方警察長野県本部に協力することになった。戦前の3件の花嫁死亡事件の捜査に当たった者が「今」の国家地方警察長野県本部には一人もいないというのがその理由であった(国家地方警察は1948年から1954年まで存在した過渡的な警察組織で、この小説の「今」である1953年はこの期間内に含まれる)。

 こういうことで、「鳥の城」には、国家地方警察長野県本部の刑事たちや「伊庭」元刑事だけではなく、某元子爵の息子という奇妙な自称探偵やそのお守役の鬱症状の作家、さらには怪しげな古本屋の主人などいわくありげな者たちが集まって、事件が起こるのを防ごうとした。しかし、結局、今回も同じような事件が起こり、花嫁は死亡してしまった。この件がどういう結末を迎えるのかということについては、『陰摩羅鬼の瑕』を読んでいただくとして、次節からはこの小説と白樺湖とのかかわりについて検討することとしたい。

2 池の平をめぐる「山論」

 白樺湖が築造されることになる池の平の地をめぐっては、南の柏原村と北の芦田村が江戸時代初期から争いを繰り返してきた。いわゆる「山論」(入会地抗争)である。南の柏原村は諏訪藩の領地内で、北の芦田村は小諸藩の領地内であったから、この争いは諏訪・小諸両藩の境界をめぐる争いでもあった。池の平周辺はちょうど分水嶺で、南流する川は最終的に諏訪湖にそそぎ、西流あるいは北流する川は最終的に信濃川に流入する。それで、諏訪・小諸両藩の境界になっていたのである。

 池の平をめぐる柏原村と芦田村の山論が史料に初めて現れるのは寛永14年(1637年)である。芦田村側の言い分によれば、この年、柏原村の庄屋弥兵衛が「麦草にて……材木をぬすみ切り候所を」、「芦田村の御鷹たか見の者が見つけ、材木を焼き捨て弥兵衛の馬二匹を取った」ということである。両村の山論は慶安3年(1650年)に再び起こり、芦田村の側は柏原村の者たちが「わがままに麦草御鷹たか山にて材木」を切り取ったとして、諏訪藩に訴えたが取り上げられなかったので、幕府に訴え出た。麦草(麦草平)というのは蓼科山南麓、池の平の東に位置する地域で、ここには小諸藩が鷹狩りに使う鷹のヒナを捕獲する鷹山があった。この鷹山の見張り役(御鷹たか見)を芦田村の者たちが務めていたのである。

 まだ幕府の裁許が出ていない延宝4年(1676年)、柏原村の者たちが麦草平で小屋掛けをして炭焼きをしていたところ、芦田村の者たち数百人が鉄砲6、70挺などをもって炭小屋を襲撃した。驚いた柏原村の者たちは逃げ出し、木炭2,000俵などが奪われた。翌、延宝5年(1677年)、幕府の裁許が下され、「小諸領申す所の屋しが峰[八子ヶ峰]境」を両村の村境とし、「諏訪領の者境越し立科山[蓼科山]の内に入るべからず」とされた。柏原村の側では、その後も芦田村との村境はもっと北であると繰り返し主張して争ったが、延宝の幕府裁許が変わることはなく、そのまま明治に至った(以上、『茅野市史 中巻 中世・近世』1987年、688‐693頁)。

 現在の地図を見ても、芦田村(現、長野県北佐久郡立科町)と柏原村(現、茅野市大字北山・柏原区)の境界はスズラン峠から八子ヶ峰に至る稜線上になっている。ただし、八子ヶ峰の西で境界が北に上がり、芦田側に食い込んでいる(図1「白樺湖関係図」参照)。これは、明治38年(1905年)、芦田村と北山村柏原区の間で、「芦田村字蓼科八ヶ野五、一五○ノ内、実測反別一○二町六反三畝一五歩」の土地を「四、一○五円四○銭」で北山村柏原区に売り渡すという売買契約が交わされ、明治45年(1912年)にその支払いが完了したので、この土地が北山村柏原区の所有地となったからである。「これが今日の白樺湖の一帯である」(『茅野市史 下巻 近現代・民俗』1988年、144頁)。ただし、白樺湖北部東側の一部の土地は芦田村の地籍(現、長野県北佐久郡立科町大字芦田八ヶ野)である。

3 白樺湖の築造

(1)温水溜池としての白樺湖

 前述のように、東京で隠居暮らしをしていた「伊庭」元刑事の家に警視庁麻布警察署の「木場」刑事が訪ねて来て、白樺湖畔の豪壮な洋館で事件が起こりそうだという話をした。その時の二人の会話の中で、白樺湖築造の目的や経緯が語られている。

 「伊庭」が池の平というのは「何もない処だぞと云うと、白樺湖があるでしょうと木場は云った」。「湖なんかなかったぞ」と「伊庭」がさらに言うと、「造ったんですよと木場は答えた」。それで、「伊庭」は、「そう云えば」と遠い記憶を思い起こされた。

 温水溜池造営事業を県と国が採択したのだと云うような話を聞いた記憶がある。国庫補助金も出るのだとか騒いでいたし、農林省の技師とやらが調査にも来ていたようだった。(『陰摩羅鬼の瑕』242頁)

 それで、「伊庭」は「木場」に尋ねた。

「そりゃ温水貯水池じゃないのか」 
「貯水池?さあ、俺は湖だと聞いたがね」
「いや、池の平ってのはあの辺一帯の水田の水源なんだよ。ところが音無川ってのは水温が低い。蓼科山から湧く水は、稲育てるには冷た過ぎるんだ。取り入れ口付近の稲はみんな水口みなくち立だちになっちまう」
「水口立ち?」
「実が付かないんだよ。黄金色の穂が垂れる時期になっても、青いまま突っ立っているわけだ。恒久的な冷害だな」
 そう。農家は困っていたのだ。少し気温が下がっただけで水田の半分近くが収穫出来なくなるような話も耳にした。そこで音無川を堰せき止めて池の平に温水用溜池を造ろうと云う計画が立ち上がったのだ。
(『陰摩羅鬼の瑕』243頁)

 白樺湖築造に関するこの『陰摩羅鬼の瑕』の記述は基本的には正しいが、もう少し詳しく年代などを入れると次のようになる。

 昭和13年(1938年)、北山村柏原区の総会で、水温の低い音無川を堰き止め、天日で水温を5度から10度上げるための温水溜池として、湖面面積36ヘクタールの貯水池を造成する計画が提起された。地元では、「北山村池の平耕地整理組合」が結成され、国や県に数度にわたって陳情を行った。その結果、「県営北山村他三ヶ村農業水利改良事業」として白樺湖の築造が行われることになった。「他三ヶ村」というのは、北山村より音無川・上川の下流に位置する米沢村、豊平村、永明村(1948‐1955年の間は、「ちの町」と称された)のことで、北山村を含むこれら4カ村の水田総計500ヘクタールに給水することを目的とする計画であった(これら4カ村の位置関係については、図2「茅野市域の村区分」参照)。この計画は国と県の承認するところとなり、昭和15年(1940年)3月、高さ11メートル、長さ70メートル、幅6メートルの堰堤築造工事が国の補助による県営工事として着工された。総事業費は24万円で、国から50%(補助金12万円)、残りは県30%(3万6000円)、地元70%(8万4000円)の負担とされた(『茅野市史 下巻』762‐763頁)。

 高冷地の多い長野県では、多くの川の水温が低く、そのまま水田に入れると稲の生育を阻害する恐れがあった。そのために、川の水を一度溜池に貯めて天日で水温を上げてから水田に給水するという方法が採られた。このような溜池は温水溜池と呼ばれ、長野県各地に広く見られる。『茅野市史 下巻』(685頁)には、現在の茅野市域にある18の温水溜池の一覧表が示されている。

(2)白樺湖築造における曲折

 こうして、白樺湖の堰堤築造工事が始まったのだが、順調には進まなかった。「伊庭」がこの「計画は頓挫とんざしたのだと思っていた。着工早早に戦争が始まっている筈だ。国が亡ぶかと云う戦いの最中に池堀りでもあるまい」と言うと、「戦後に工事再開して完成したんですよと木場は云った」。そして、「木場」はこう続けた

 何でもね、地元民が相当に苦労して造ったんだってェ話は新聞かなんかで読みましたがね。行政が手を引いた代わりに山の木ィ伐きって売ッ払って、それを財源にして近在住民自らが人足になって無休で工事やったとか―。(『陰摩羅鬼の瑕』243頁)

 この『陰摩羅鬼の瑕』の記述もほぼ正しいが、より詳しく言うと次のようになる。

 前述のように、昭和15年(1940年)に白樺湖の堰堤築造工事が始まったのだが、昭和19年(1944年)までに建設費のすべてを使い果たし、長野県は白樺湖堰堤築造工事を打ち切りとした。戦時の財政逼迫によることであろう。しかし、北山村柏原区の人たちはあきらめず、さらに必要となった建設費15万円を自ら負担し、労力は柏原区民と旧制諏訪中学校(現、諏訪清陵高校)生徒の労働奉仕に依拠して堰堤築造工事を続行した。旧制諏訪中学校の生徒たちが白樺湖堰堤築造工事に従事していたのは、学徒勤労動員によって諏訪鉄山(拙稿「蓼科の近代史Ⅱ―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち」参照)で働いていた旧制諏訪中学校の生徒たちの一部が白樺湖堰堤築造工事の方に回されていたからである(伊藤岩廣編『平和を今こそ―諏訪鉄山と捕虜収容所ものがたり』長野日報社、2009年、93頁)。「地元柏原区・[北山村池の平]耕地整理組合の熱意と努力、血と汗によって戦時下の諸困難をのりこえて」(『茅野市史 下巻』763頁)、白樺湖は戦後の昭和21年(1946年)になって完成に至った。しかし、堰堤からの漏水が激しかったため、昭和24年(1949年)には、堰堤の補強工事が県と地元有志の出資によって行われた(『茅野市史 下巻』763頁)。この補強工事については、柏原区民全員の賛同が得られなかったので、有志が代行組合を作って資金を調達したのである。こうして出来あがった白樺湖は今日なお、茅野市大字北山などの水田に水を送り続けている。

(次号に続く)

(「世界史の眼」No.78)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする

「福祉への想像力」―書評:金沢周作他編『福祉の世界史』
後藤玲子

はじめに

 きわめてあたりまえのことだが,現に在る「福祉」は,だれかが,ここ,そこ,あそこで受けている福祉であって,概念としての福祉ではない.概念としての福祉がどこかに実在し,実際に観察されるわけではない.そうであるにもかかわらず,私たちはまたしても,福祉とは何か,を問う.そして,そのあるべく姿を問う.なぜか.おそらくそれは,目の前に苦しむ人がいるから,またしても現れるから.そして,いまある福祉のもとで,ひっそりと苦しむ人がいるおそれを,否定することができないからだろう.

 だれであろうと,福祉を必要とする人たちを,いつであろうと,どこであろうと,ほったらかしにはしない,そのためには,いったいどうしたらよいのだろうか.そんな祈りにも似た気持ちをもって本書を開いた.

1.豊かなケイパビリティ

 当初,本書から,縦・横の移動を自由に組み合わせながらゴールへと進んでいくボードゲーム(あるいは数学でいう格子経路)のような印象を受けた.その印象は,―各論考の独自性と完成度がきわめて高いこともあり―,小さな布地(キルト)を縦横に縫い合わせ,重ね合わせる壮大なタペストリーへと変わった.おそらく読み方に特定のルールがあるわけではないだろう.時系列的な流れをより全体的に俯瞰しようと,縦の「章」をつないで読むことも,福祉を支える背景思想をより総合的に理解しようと,横の「章」をつないで読むことも,許される.

 あるいは,索引を手引きとしながら,特定の項目を異なるキルトから拾い出し,異なる文脈をつなげることもできる.同種の主題を扱った論考(縦糸と横糸),ならびにコラムを重ね合わせて読み解くこともできよう.A.センの「ケイパビリティ(潜在能力)論」を専門とする私の脳裏にちらっと,「本のケイパビリティ」という語が浮かんだ.本書は実に多様な読み方を可能とする豊かなケイパビリティを備えた本である,と.

 例えば,「出入り自由な往来」に関心をもつ私は,「行き倒れ」の項目に眼を惹かれた.行き倒れとなった「無宿非人」を運ぶ駕籠は「町」の負担である一方,粥・薬等は幕府の負担であった(経糸3-5章「日本」),あるいは,行旅病人の救助については,救助地の府県が救助費用を負担することとされた(経糸4-6章「日本」)などの記述である.通常,保険と理解されることの多い医療保障のもつ公共性を示す貴重な断片である.

 経糸1-1章「先史時代」にも,人骨から単独歩行が不可能な外傷や病状を負った人への介護ケア(助け合い)が確認され,集団移動時には(被介護者自身の)個人搬送を伴ったと理解される,とある.これらは,現代,移動困難者の支援を行っている「同行援助」や「福祉有償運送事業」の担い手たち,NPO法人や市町村行政を勇気づけるに違いない.

 かくも豊かなケイパビリティを備えた本書であるから,異なる角度から書評が書かれるに違いない.より公平で中立的な本書の紹介は他に譲り,以下では,冒頭に記した筆者自身の関心と,経済哲学というバックグラウンドから,いくつかコメントするにとどめたい.

2.分析枠組み

 本書の分析枠組みは,次のようにまとめられる.

 まず,(1)本書の鍵となる「福祉」概念は,広く緩やかに,「人々が享受する,適切な生存・生活の質」,「適切ではないと判断された物質的・精神的な欠乏や不足や不安への対応全般」と捉えられる. 

 分析に当たって,本書は,(2)(福祉を担う)「人間集団の範囲と価値観,そして利用可能な手段を考慮に入れ」ながら,供給主体の複数性や「福祉の複合体」に着眼点を置く.

 叙述は,(3)対象の地域・時代の福祉を当時の概念や用語法を踏まえて描かれる.ただし,5つの時代区分,ならびに,四重のセーフティ・ネット(自助努力・助け合い・富裕者からの私的な慈善・公的な福祉)が,共通の「測り」(共通尺度)とされる.

 この枠組みのもとで,「各時代を代表する福祉の展開するひとまとまりの時空間」を「経糸」とし,「ある時期に広く共有された現象(宗教やイデオロギー,政治・経済的トレンドと福祉のかかわり)」を「緯糸」として,本書全体が編み込まれていく.

 本書の最大のメリットは,編者らがこのような分析枠組みを明示していること,それに呼応するように,他の論考が共通の枠組みと,類似した概念に依拠しながら,議論を進めている点にある.例えば,経糸5-7章「インド」には次の記述がある.「(特定カテゴリーの集団権益の保証から,権利に基づく個人の利益の保障へという変化は)チャリティ的なるものやインフォーマルな互助から,フォーマルな公的救済へと発展してきたものではない」,「(霊的な見返りを得たい人々の想い,社会奉仕活動により蓄財とのバランスを維持したい,政治的支持と引き換えに貧困対策を行う政府や政治家の利害,汚職のない公平な社会の実現を願う企業家など)異なる組織や個人の想い,思惑,利害が併存,対立し,時には絡み合うことでもたらされてきたのである」.

 とはいえ,すべての論考が共通の分析枠組みにすんなり収まっているわけでは毛頭ない.そもそも何を福祉と呼ぶのか,みなすのか.ここからそれぞれ論を起こし,その意味内容は一様ではない.「私的慈善」に対置する「公的福祉」を現わす言葉とする論考もあれば,端的に,「一般に社会的弱者への支援を福祉と呼ぶ」とする論考もある(経糸5-3章ドイツ).「どこで何があっても,すぐに緊急救援に駆けつける」活動こそを福祉の根幹だと認識していると指摘する論考もある(経糸5-6章イスラーム世界).「社会的救済機能を担った「福祉」はいわば普遍的な現象である」として,終始かっこつきのまま,「福祉」現象,「福祉」事情,「福祉」的活動を広く捉えようとする論考もある(経糸2-2章「ビザンツ帝国」,経糸2-1章西ヨーロッパ).「福祉」の語がまったく登場してこない―「慈善」はあっても―論考も少なくない.

 「慈善」については,おおまかな定義の一致があるように見受けられる.けれども,例えば,「慈善信託」のような事象には,給付型奨学金などの公益財団的な活動が入り込んでくる(経糸3-1章西ヨーロッパ,経糸4-1章イギリス,緯糸4-i(帝国主義・植民地主義)〔1〕イギリス).それらが教育・就労などの「機会の実質的平等」に資することは間違いない.あるいは,遺贈を託された行為主体の道徳性をめぐって,福祉と共通する困難さを内包していることも間違いない.だが,ときに生産性論理を超える価値や論理の追求へとわれわれをかき立てる福祉との間には,見逃すことのできない異質性があることは否めない.

 とはいえ,各論考は専門性の高い膨大な研究蓄積のもとに書かれているだけに,いずれも大変,興味深く,これらの異質性もまた,本書の統一性を損ねるどころか,むしろ編者らの意図をよりいっそう鮮明に浮かび上がらせることに成功しているといえるだろう.

3.障碍者福祉

 冒頭に記した私の関心から,もっとも興味深かったのは,障害者福祉に関する次のような記述である.「救済されるべき弱者は「条件つき」であった.例えば,生得の障害者は救済対象ではなく,排除の対象であり,彼らは最終的には殺害されるに至っている」とある(経糸5-3章ドイツ).「障害者を増やさない政策,それまで戦争障害者と労務災害障害者以外の,生得障害者を排除する論理にどう対抗するか」「「自立支援」という名のもとに個々人の努力を重視する政策ではなく,当事者に寄り添った公的支援をどのようにしていくのか」という問いかけは重要である(コラム5-②障害者福祉).

4.高齢者優遇

 儒教の思想で紹介された「ハンセン病患者への差別」と「高齢者優遇」とのコントラストが,上記の記述と響き合う(経糸1-3章中国).ハンセン病患者は罪状にかかわらず「定殺」(溺死の刑)とされる,対して高齢者は労役刑以上の罪を犯したとしても一般民衆と同じ手続きでは告訴されない,むしろ告訴により尊厳を傷つけた者の方に大逆不道の罪が適用される(言語的身体的虐待を行ったものも同様)という.これらをもとに,著者は,高齢者という弱者の立場は,一般の人々にとって,「自分ごと」として捉えやすいのに対し,疾病や障害,性差などは,「自分ごと」としては捉えづらいのでは,と問いを投げかける.

 宗教的な思想であれば,この難点を克服できるだろうか.宗教は,第三項を立てることにより,福祉の担い手と受け手の間にある非対称的関係性が,支配-従属,優位-劣位関係に転化することを食い止めてきたとある(緯糸2(世界宗教)〔2〕キリスト教,緯糸2(世界宗教)〔3〕イスラーム,経糸5-6章イスラーム世界など).富裕者はただ神に寄贈し,貧者はただ神から拝受する.神を挟んだ二者は,相互に比較不可能な存在として対等性を担保される.先に言及した「慈善信託」やワクフなどが,イギリスやイスラーム世界などで超国家的なしくみとして普及し,機能してきた(規模は大きいが組織化は進まない)一方,日本では根付きづらかった(行政的組織化がより強化であったが,「家」を超える贈与行為の規模はごく限られる)理由も,このあたりにありそうだ(経糸4-6章日本).

5.福祉供給主体の動機

 本書の重要な貢献は,福祉供給主体の動機について,コアとなるものを,さまざまな位相で,ほぼ体系的に網羅した点にあるだろう.例えば,「信託」の語は,国家間(宗主国と植民地など)や民族間(先住民と入植者など)の支配-従属,優位-劣位関係を律する倫理としても注目される.緯糸4-ii,トランスナショナル・ネットワーク[2]では,労働者インターナショナルの活動に献身したローザ・ルクセンブルクの言葉,「雲と小鳥と人の涙のあるところ,そこがすべてわが家である,と私には感じられます」が紹介される.さまざまな動機や目的で国境を越える,実に多様なネットワークの重層性と拡がりのあることが示唆される.ここには「自分ごと」かどうかを越える福祉の思想が潜まれているのかもしれない.残念ながら,今回は,これらの論考を十分に読み込むことができなかった.宿題としたい.

6.慈善と公的福祉

 本書の主題である慈善と公的福祉については,例えば,「民間慈善」対「権利」に関する「貧民救済論」(末広重恭)と「非貧民救済論」(肥塚竜)の論争が興味深かった(4-6章「日本」).前者は,民間慈善には「必要な人に届くとは限らない」不安定性があるため,むしろ,「救済を受ける権利」を全国民に確立すべきだと主張する.後者は,これを退けて,「裁判所に訴える権利」は全国民がもつといえるが,「救済を受ける権利」はそうはいえないと主張する.慈善については,「世の中には慈悲深い人もいればそうでない人もいる,法律で一定に制限することはできない」と流している(経糸4-6章日本).

 文字通り,すべての国民に,あるいは,すべての地球市民に,必要な人に必要なものが届くためにはどうしたらよいのだろうか.そう考えながら,頁をめくると,経糸5-5章アフリカの「底辺層は自らの生活世界の保護と拡充のために,多種多様な扶助のチャンネル(公的支援,市場原理の貸し出し,伝統的互助講の再編成版など)を自らの生活の必要に合わせて混淆させて,巧妙に対応していることがわかった」という言葉が眼に入った.

おわりに

 概念としての福祉を求める前に(そして,それを求めるためにも),ここ,そこ,あそこに在る(在った)個々の福祉をもっと学びとる必要がありそうだ.1つ1つのキルトを再度,丁寧に読み込みながら,本書との対話を継続していきたい.多くの問いとヒントを提示していただいたことに心からの感謝を表して,本稿の結びに代えたい.

(「世界史の眼」No.78)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする

「世界史の眼」No.77(2026年8月)

本号には、世界史研究所創立期顧問、九十余翁の下村由一さんに、「「永遠の赤」の独り言―時間認識の成立と『資本論』」をご寄稿頂きました。(本稿が掲載されたまさにその時に、下村さんはご逝去されました。謹んでお悔やみ申し上げます。(8/2追記))

また、書評を二本掲載しています。静岡文化芸術大学の加藤裕治さんに、2025年に日本語訳が刊行されたユヴァル・ノア・ハラリの『NEXUS 情報の人類史』を書評して頂きました。また、稲野強さんに、今年日本語訳が刊行されたダリン・M・マクマホンの『〈平等〉の人類史―先史時代からアイデンティティ・ポリティクスまで』を書評して頂いています。

下村由一
世界史寸評「永遠の赤」の独り言―時間認識の成立と『資本論』

加藤裕治
書評:ユヴァル・ノア・ハラリ著『NEXUS 情報の人類史』上下 柴田裕之訳(河出書房新社、2025)

稲野強
書評 ダリン・M・マクマホン(東郷えりか訳)『〈平等〉の人類史―先史時代からアイデンティティ・ポリティクスまで』作品社(2026)

ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之訳)『NEXUS 情報の人類史』(河出書房新社、2025年)の出版社による紹介ページは上巻がこちら、下巻がこちらです。ダリン・M・マクマホン(東郷えりか訳)『〈平等〉の人類史―先史時代からアイデンティティ・ポリティクスまで』(作品社、2026年)の出版社による紹介ページはこちらです。

カテゴリー: 「世界史の眼」 | コメントする

世界史寸評
「永遠の赤」の独り言―時間認識の成立と『資本論』
下村由一

 近代的時間(時刻)認識の特徴は、言うまでもなく無条件の均等性、すなわち普遍妥当性の確立である。ヨーロッパ人の思う「世界」のどこへ行っても,またいつ行っても変わりなく通用する時間の観念ができて、これがある少数の主張でなく「社会」の相当の範囲に広がって実際に行われるようになることである。それが正確にはいつかを知るのは僕には無理であるが。やがてこのことが分からないのは「野蛮人」となるわけだ。

 ここで明治に入って直ぐに日本へきたお助け外人の例を挙げよう。かれらは口を揃えて日本人には時間の認識がないと言った。いくら7時に仕事場にこいと言われても平気な顔で昼頃に来て、親方なんで俺がいかんというのと言っているらしい職人を異人たちは見ていた。かれらには理解できんが、職人には無縁の話なのだ。

 ヨーロッパ人の主張は、家内手工業、マニュファクチャーから次の段階に移行し始めたときに否応なく「実行」されるようになる。時間認識は当たり前なんだが、それが原則として確立されて長くたったいまに住む我々には、そのことが理解しにくい。従業員が約束の時刻に現れないと企業は躊躇なく状況に応じて彼を処分する。日本社会はこれをほとんど非難しない。

 マルクスの労働価値論は無条件に「時間」の均一性を関係者、この場合には資本家が疑いなく受け入れてはじめて有効になる。マルクスが、12時間労働は認めていいが15時間労働は明らかに不当(12時間という労働時間の枠はいいが、15時間を続けて働かすことは不当)というとき、この主張が賛否の対象になる。現実の労働者には理解し難いがやがて受け入れるほかなかった。これが産業革命のもたらしたひとつの重要な「遺産」ではないか。ただし実際にはよく知られているように、労働者は日曜日のほか月曜日はおろか週の前半は飲んだくれていて、後半に「就業規則」を無視して夜半まで働き、補助をする女性と未成年者を巻き込むのだった。これを知っているはずのマルクスが不当な搾取と批判するが、それを読むときに抑えきれない苛立ちを感じるのは僕だけだろうか。

 江戸時代で認められていたごくあたりまえの刻(とき)認識はどうなったのか。生きている間に「いつ」誰しもがみんなわかっているのだろうかと疑問を持つのは無駄。夏冬で寝る刻と外で働いたりする刻がまるで違うんだが、この違いはなにかと思う奴は愚か者なのか。人々が生きている間に「とき」をどのように理解しているのだろうかと書いていて思い出した。地図作りに専念したあの人(伊能忠敬)は例外だったに違いない。なぜなら彼は地図を作るために、地表のある点を確定するために天体の動きを正確に知る必要があったが、それには刻ではなく、近代的な時間概念を使い全体の位置を正確に把握して、地表の各点を確定したからだ。つまり地図を作るためには刻ではなく、近代的な時間概念が不可欠だったのだ。

 明治になって、お上が何度も公が決めた年月日に従わない奴輩を叱ったのは、例外が僕のいうほどいたことの証拠だろう。ヨーロッパでも当然そうだろうが、僕はその実例はほとんど知らない。日本では遅刻観念の成立、時刻厳守は、社会道徳の第一歩とする明治政府の努力によるが、それを知るにつけ、なるほどこうして「民族の特徴」の形成、伝統の創出がすすむのだなと思う。

2026年7月27日

カテゴリー: 世界史寸評 | 1件のコメント

書評:ユヴァル・ノア・ハラリ著『NEXUS 情報の人類史』上下 柴田裕之訳(河出書房新社、2025)
加藤裕治

1. 情報メディア論の視点から

 恥ずかしながら、この『NEXUS 情報の人類史』(以後、本書)を読むまで、ユヴァル・ノア・ハラリの書籍は敬遠していた。当然、『サピエンス全史』『ホモ・デウス』といった大ベストセラーは知っていた。しかし、「石器時代から現代まで」を概観して記述するという方法(論)と、あまりに多くの人々が称賛することへの警戒感があった。

 何よりも、メディアテクノロジーや情報と社会の関係を語る本書が、私がこれまで参照してきたW.ベンヤミンやT.アドルノ、W.-J.オングやM.マクルーハン、また本書と近接する議論を展開するF.キットラーといった(情報)メディア論にほぼ言及がない点も、敬遠してきた理由である。確かにAIの時代への危機感はあるのだろうが、だからと言ってこれまでの学術的な蓄積を参照せず議論を進めてしまうことこそ、AI時代の問題点でもあるようにも感じる。ただし、そもそもハラリの学術的バックボーン(専門は中世史や軍事史)が異なるので、この点を問題にするのはフェアではないかもしれない。

 本書で初めてハラリの著作に接し、改めて『サピエンス全史』(以後、『全史』)と比較してみたのだが、本書は構成がいささか複雑である。

 ハラリの名を一躍世間に知らしめた『全史』は、「虚構」という概念をもとに、改めて人類史を見直すという明快さがある。このハラリの姿勢は、現実主義やエビデンス至上主義といった価値観が高まる現代社会において、人間の(虚構を駆使できる)知性の可能性を論じるという批評性があったといえる。

 その一方、本書はタイトルの「NEXUS(ネクサス)」でまずつまずいてしまう。この言葉は一般的な用語ではなく、また(少なくとも私の知る範囲での)情報史やメディア論でも見かけない(ただし最終的にNEXUSは「つながり」程度の認識でも問題ない)。また邦訳のサブタイトルは「情報の人類史」だが、英文からの直訳は「石器時代からAIに至る情報ネットワークの小史」となる。「情報と情報ネットワーク」の違いは、「オールドメディア」の新聞では「記事と配信・配達網」の違いとなるので、本来はかなり異なる議論の対象である。ただしこの差異は、本書ではほとんど問題にならない。おそらく、メディアの伝達内容(知識や情報)と伝達方法(メディアテクノロジー)とを分けて考える議論では、AI革命を説明できないとハラリが考えているからだろう。

 AIが他のテクノロジーと異なるのは、AIが「自ら情報を分析するのに求められる知能を持っており、したがって意思決定で人間に取って代わることができる。AIはツールではない-行為主体」(上巻p.21)だからである。それゆえにAI時代の情報ネットワークは、「人間のものとは異質の知能の決定や目標によって制御されている」(下巻p.20)。情報(知識)の生成、情報に基づくネットワークの形成、そして意思決定自体が人間の制御を離れ、AIという人間の外側の他者=「エイリアン・インテリジェンス」に委ねられる社会へと変容する。本書のハラリの危機感は、AI革命へのこうした見立てから生じている。

 こうしたハラリの主張に対して、彼がAIテクノロジーをどれほど理解しているのかという批判は、あえて脇においておこう。現実的に日々、ハラリの認識に頷いてしまう事態に遭遇するからだ。AIをすでに多用している学生たちを前にして、大学教育の変化は不可避だと感じる。研究のコミュニティでは、AIの活用や危険性、AIとの付き合い方の議論が盛んだ(これはAIに対する人間による自己修正メカニズムの作動といえる)。

 しかし一方で、AI革命に対する本書の見解に対して、判断するための材料がまだ足りないのではないかとも感じる。それゆえなのか、本書はある種のテクノフォビア(新たなテクノロジーの出現に対する嫌悪)と受け取られる傾向もあるようだ(イギリスの『ガーディアン』(2024/9/11)の書評で、本書は「神託めいた説教」と評されている)。また、ハラリが性急に警告するこの振る舞い自身が、AI時代の加速主義的な言説空間に影響されている可能性もある。その一方で、本書で記述されているコンピューターやAIへの理解や説明に関しては、2000年前後、情報社会の到来を受けて監視社会論を提唱したD.ライアンの議論と比較することも有意義であるように思われる。だが本書のテーマからすると、そうした情報メディア論からの学術的な指摘はやや的外れかもしれない。

2. 「AI革命」は人間社会に何をもたらすのか―本書の概要

 情報メディア論からの指摘がなぜ的外れなのか。一読すればわかるように、本書の本題は、メディアの問題というよりも、AI時代における人間による統治の行方を問う政治論だからである。ハラリは自由民主主義が「多くの欠陥を抱えているものの、もっとも優れた手段を提供した」政治システムだと指摘する(下巻p.156)。AI革命後の人間社会、特に民主主義の行く末を論じることが、本書の最終的な目的である。この説明の際、本書で重要な概念となるのが「自己修正メカニズム」である。「自由民主主義の大きな強みは、強力な自己修正メカニズムを備えていることだ」(下巻p.156)。

 第1部「人間のネットワーク」では、コンピューターが出現するまでの歴史において、自己修正メカニズムが人間社会でどのように作動していたのかが説明される。そこで重要なのは、情報と自己修正メカニズムの関係性である。ハラリによれば、情報のネットワークは、真実を通して知恵を生み出す力を持つだけでなく、嘘やプロパガンダといった虚構の情報さえ使い、秩序の維持を担う力も持つという。ただしこの関係は複雑だ。情報ネットワークによる真実を生み出す力と秩序を維持する力が、順接するだけでなく逆接することもあるという矛盾を抱えているからである。

 例えば第4章の「誤り」では、この二つの力の関係が矛盾するメカニズムについて、魔女狩りを例に説明される。ハラリによれば、印刷術の誕生は、これまで指摘されてきた自由な情報流通の拡大、つまりカトリック教会の情報ネットワーク独占からの解放をもたらしたとは言い切れないという。それはなぜか。自由な情報の流通が、魔女の存在といった陰謀論を拡散することにもなったからである。さらに、宗教の側はそのような陰謀論を抑え込むのではなく、むしろ自分たちは不可謬であるとして、陰謀論を支持して秩序を維持したのである。この動きに反するのが、科学革命だとハラリは説明する。科学は、自らの知識が誤っている可能性を認識する情報ネットワーク(の機関)として、強固な自己修正メカニズムを作動させてきた。ただし科学の強固な自己修正メカニズムが可能であるのは、政治的な役割である社会秩序の維持を担う必要がなかったからだという。

 上巻第5章から下巻では、こうした情報ネットワークと自己修正メカニズムの関係性が、民主主義や全体主義においてどのように作動してきたのか、またこの作動が「エイリアン」の知性であるAIに担われた時、何が起こるのかが論じられる。ハラリは、民主主義の情報ネットワークは、中央を経由するものもあれば、多様で独立したノード(中継地点)を経由して分散する場合もあると説明する。一方、全体主義では、全ての情報が中央を経由することを望むネットワーク構築が志向されるという。

 重要なのは、民主主義であろうと全体主義であろうと、真実の追求と秩序維持の間の矛盾を内包しながら、情報ネットワークを人間自身が制御してきたことである。しかしコンピューターテクノロジーの出現によって、人間の理解の及ばないエイリアンであるAIがその制御を担うことになる。AIは機械学習によって、人間の介在なしに自らのアルゴリズムを自己修正する。そのため、AIの自己修正の内容を人間は知ることができない。しかもAIは「疲れない」ので、中央集権的な国家が望むような監視システムを、常時オンで執拗に作動させていくことが可能となる。その結果、政治・経済領域に関わりなくプライバシーが侵害され、人々の社会信用の判断やランク付けが、人間がその過程を知ることや理解することができないまま決定される社会が到来してしまう。

 それゆえハラリは、コンピューターが自らの可謬性に気づいていくアルゴリズムの構築や、AIを人間が抑制できる制度や機関を作る必要があると結論づける。だが彼の未来予測はかなり悲観的だ。というのも、民主的な情報ネットワークはすでに崩壊に直面しており、全体主義はAIに適合的なので、独裁者そのものがAIの支配に怯える状況になってしまうという。こうした予測の上で、ハラリはグローバル社会の行く末を、情報と権力の集中化を進めるAIが全世界を統制する帝国に陥るか、あるいは各情報ネットワークに閉じ込められ、(シリコンのカーテン・デジタルコクーンによって)分断された世界に陥るか、という可能性として描き出す。

3. 時事性が揺るがす本書の主張

 本書は、長い歴史を一つのテーマで大胆に切り込んでいく明快さを持ち、先の魔女狩りの例のように、私たちの常識を揺さぶるように事例の解釈を試みる。その解釈に唸らされる面もある。ただし、そうした解釈のまとめは、意外に既視感のある議論でもある。例えば、AIによって全世界が帝国化するか、あるいは逆に分断化された世界に陥るかといった指摘は、マクルーハンの「グローバルヴィレッジ(地球村)」を思い出す。また、情報の繭の中に人々が分断されていく「デジタルコクーン(シリコンのカーテン)」の考え方は、1970年代に中野収が指摘した「カプセル人間」の現象が、デジタルを原因とした集団的なものとして捉え直されているように感じられる。そして、人間にとってエイリアンの知性であるAIに対して、人間の自己修正メカニズムを介入させる必要性を論じる結論は、常識的で穏当なものである。この主張自体にはそれほど違和感はなく、納得させられる。

 その一方で、事例として扱われる個々の歴史事象を理解するにあたり、本書の「情報」という切り口の解釈からだけでは、やや物足りなさを感じてしまう読後感もある。たまたま最近、S.フェデリーチ著『キャリバンと魔女』(小田原琳・後藤あゆみ訳、以文社、2017年)という書籍を読んだのだが、そこでは「魔女狩りの犠牲者のほとんどが農民女性だった」という調査結果から、魔女狩りと資本主義の発展との関係性が周到に、しかもスリリングに論じられる。階級やジェンダーの視点から緻密に論じられる歴史(学)を読むと、ハラリの歴史的な事象への説明は、やや簡略化されすぎているようにも感じてしまう。

 さらに(情報)メディア論の視点からすると、AIを論じる上でハラリの認識は、近年の重要な論点を考慮に入れていないように思われる。それは自然の問題である。

 ハラリは本書で「現在進んでいる物質ベースの経済から知識ベースへの移行のせいで、戦争の潜在的な利益が減った」(下巻p.257)と論じているが、この見立てには素直に応じられない。現在、AIを支えるハイテク産業において、物質的な資源の獲得は最重要の課題だ。半導体にはレアメタルが必須であり、データを集約するデータセンターの稼働には莫大な電力(その供給には莫大なエネルギー資源も必要)と、サーバーの熱を冷却するための水資源が必要である。こうした資源の問題は、全世界で大きな課題になりつつある。J.パリッカなどによるメディア考古学の領域で、こうしたデジタル時代の情報テクノロジーにおける「物質性」の問題は、以前から論じられてきた。AIという「知性」の問題の手前で、その知性が自然(物質資源)に大きく規定されているという現実的な問題が現れている。

 さらに言及すると、21世紀も四半世紀が過ぎたこの時期に、情報ネットワークを人間(サピエンス)とテクノロジーとの関係のみで捉えてしまう本書の議論の前提への疑問が生じる。20世紀前半の時点でW.ベンヤミンは、自然に対する人間とテクノロジーの関係を論じている。ベンヤミンによれば第一の技術は、人間がテクノロジーを使って自然を直接支配=制御しようとする技術である。しかし第二の技術は、テクノロジーの介在によって、人間と自然を遊戯的な協働関係へと導く技術である。この議論は、ハラリの危機感とは異なり、人間とAI、そして自然との肯定的な関係性を考察するうえで、より長い射程を持つものだ。

 これに対して、ハラリの議論において自然は、人間とテクノロジーにとって「環境」でしかないように思われる(「サピエンスのみならず他の無数の生命体も危険にさらす」下巻p.274)。しかし、現在、情報ネットワークを考える際に、エコロジー的な視点はもはや無視できない。例えば2026年5月に公開された是枝裕和監督の『箱の中の羊』では、AIと自然の連帯が描き出されている。その映画のラストシーンでは、AIと自然が連帯することで、むしろ世界を制御していると思い込んでいる人間こそが、自然やAIにとってのエイリアンではないかと自覚を促される。人間とAIに限定して世界の運命を論じる本書の議論は、情報ネットワークを物質的に構築するレアメタル資源である、「比喩」ではないシリコンをめぐる政治にも言及が必要だったのではないか。

 このように、私が自然や物質性に言及してしまったのは、本書の時事性とも関わっている。本書は、原著が2024年、邦訳が2025年に出版されているが、AIが鮮烈に登場した時期に合わせて書かれたものだろう(OpenAIによるChatGPTの公開は2022年)。だが、この書評を書いている2026年7月に全世界で懸念されているのは、AIの問題以上に、アメリカやイスラエルといった民主主義国家による軍事的な暴力の行使であろう。そしてこの暴力において最大の争点となってしまったのは、政治体制の問題以上に、石油といった資源の問題である(またアメリカのグリーンランドへの関心はレアアース資源が狙いといわれている)。AIの知性をめぐる危機の手前で、人間はAI革命を成就させるための資源闘争を行っている。

 本書でハラリが論じてきた「人間(サピエンス)」とは一体、何であったのか。AI革命という時事的な関心からおそらく生じた本書の危機感は、現在の世界をめぐる時事的な問題によって認識のポイントがずれてしまったようにも思う。今後、本書の指摘が、改めて争点になる日が来るだろうか。本書の思想性の深さが確かめられるのは、その日が来た時である。

(「世界史の眼」No.77)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする

書評 ダリン・M・マクマホン(東郷えりか訳)『〈平等〉の人類史―先史時代からアイデンティティ・ポリティクスまで』作品社(2026)
稲野強

 平等、と言えば、ほぼ反射的に「神の前の平等」、「生まれながらの平等」という理念が想起される。この理念は、まぎれもなく人間存在にとって何人も認める極めて価値の高い規範である。本書の著者ダリン・M・マクマホンによれば、「人間は本質的に平等であり、同等の価値があり、この理念を経済、政治の各方面の社会構造に反映させるべきことは、現代のほぼすべての道徳の政治理論の基本的信条の一つ」なのである。

 そうであるならば、平等は、権力の支配と被支配との関係を解き、人種・民族、階級、身分、地域、宗教、文化、言語、教育ばかりか、男女性や障害者に関する偏見や差別を認めない万能薬のひとつとなるはずである。

 ところが、マクマホンは、現代は「平等の危機に直面している」と断言する。不平等の研究はあまた存在するが、平等を扱う研究が少ないことも、そのことを裏書きしているのだろう。

 確かに、不平等の大音響の前では平等の音は微かにしか聞こえない。200年以上前の啓蒙時代・フランス革命で高らかに掲げられた「自由・平等・友愛」のスローガンは、今日でも相変わらず「目標」(夢)なのである。

 このように人びとは、長きにわたって不平等の拡大・深化や差別の高い壁を経験してきために平等を獲得する闘争心を失ってきた。そこで平等の理念は、相互に複雑に絡み合う多種多様の差別・偏見や排除の洪水になす術のない状態のなかで、時には現実離れした理想主義として退けられ、「冷笑されてきた」のである(注)。

 もっとも平等の理念にも大きな欠陥がある。それは、平等が、体制内部では序列化、統一化や優越化を促すと同時に、外部に対しては、異質性の排除を強化させることである。歴史的に見れば、国民国家やファシズム国家形成過程ではとくに顕著であったが、平等は、必然的に自我(=民族我)の確立を促すから、他者との同一性を嫌う人間の性向によって、国ないしは地域の優越性・序列化を生み、それによって内部における凝集力・求心力を増すと同時に国ないしは地域の外部に対しては、排他性を促進させるのである。

 著者は、人びとは、平等の観念が過去にどう理解されてきたか、驚くほど関心がない、と嘆く。言い換えれば、あまりにも多くの不平等の現実を前にして、戦う意欲を削がれるほど激しい不平等への慣れの常態が続いたために、われわれは「平等を想像することが難しい時代」に生きていることになり、そのような状況ではまともな歴史すら書くことができないと訴えたいようである。

 そうした深い現状認識を踏まえて、本書は、人類史、政治史、哲学史、社会心理学、社会学を駆使しつつ、太古から現代までの人類の長い歴史のなかで、平等の観念がどう「発明され」、破壊され、再生され、今日に至ったのかを時系列に沿って解き明かそうとしたスケールの大きな意欲作である。

 さて、その点を本書の内容に沿って見ると、平等の理念は、すでに狩猟採取時代に「支配の序列」に対する抵抗によって生まれたとされる。こうした社会では、「逆の順位制」または「平等主義的序列」と呼ぶもの、つまり大勢が一緒になって少数の者を支配する関係の基礎が敷かれたのである。だが、次のギリシャ・ローマの時代には非市民、女性、奴隷は平等権を与えられず、排除された。また紀元前1千年紀の「枢軸時代」には、世界各地で主要な宗教が誕生し、「平等の発明」とともに、「仲間意識」が生まれたが、それらの宗教は、排除と分断の新たな形の土台を敷くことになった。さらに時代を下がって、18世紀の啓蒙主義・フランス革命の時代には、普遍的な価値を持つスローガンが、革命を促進させ、反植民地運動に応用されたこともあるが(ハイチ独立運動)、例えば、女性は「理性がないから」との理由で市民権を得ることができなかった。また近代・初期社会主義の時代には、資本家と労働者との階級対立が先鋭化されるなかで、一部で平等の社会的実験は試みられたが、格差はそれまで以上に拡大し、「持たざる」人びとは、幻想を抱いた分だけ大きな幻滅を味わうことになった。次いで19世紀の国民国家形成期には、国家統一の掛け声のもとで、民族・人種主義運動の台頭を見、地域間差別が助長された。そうした流れは、ファシズム国家に歪んだ形で受け継がれることになる。第二次世界大戦後の国連主義の時代における「世界人権宣言」から現代に至るまで、改めて人種・信条・性別・社会的身分・門地などにより差別されない権利が再確認されたが、現代はグローバル化と格差の拡大により平等の危機を招来させ、平等を想像する力そのものも弱っている。

 こうして平等の理念は、誰でもが認める最高の価値であるにもかかわらず、現代にいたるまで時代の制約によって過酷な現実にぶつかるとその矛盾(=不平等)を露呈させてきた。著者は、人類が平等の幻想から不平等という幻滅の時代を経験したことを踏まえて、現代を「平等の危機に直面している」「平等を想像することさえ難しい時代」とみなしている。だがそのうえで、著者は、平等がつねに「想像の産物」であり、歴史上人びとは「枢軸時代」や「啓蒙主義時代」など何度も「平等を発明」してきていることを重視しており、その想像力にこそ不平等と闘う強い確信を見出している。

 ちなみに著者による想像力の再生のシナリオは、著者の研究の主要拠点であるアメリカをモデルとして描かれる。すなわち現代は、「第一の再建」(南北戦争以後の奴隷を国民に統合)、「第二の再建」(1950、60年代の公民権運動の「活性化の時代」)に続く「第三の再建」(アメリカにおける近年の人種間対立を「過去、現在、未来を再考する機会」)と位置づけられる。これは、過去の革命的エネルギーを利用して、「人種間の平等のための新たな闘争」を行い、最終的に未来により平等な世界を築く「夢」を実現化するための機会だと捉えられるのである。そして言い放つ。「悪夢は、それでも夢なのだ」と。

本書は、平等の理念の再発見ないしは復権の書であると同時に人類史を俯瞰した未来志向の書である。

(注)神学者・宗教学者の森本あんりは「近年は人権や平和、平等の理念が、理想主義だと冷笑されることが少なくない」「万人が誰かとの比較ではなく一番だと思える『絶対性思考』をもっと了解することが重要だ」と述べた。「取材考記」『朝日新聞』(夕刊)2026.5.25。

(「世界史の眼」No.77)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする