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「世界史の眼」No.77(2026年8月)

本号には、世界史研究所創立期顧問、九十余翁の下村由一さんに、「「永遠の赤」の独り言―時間認識の成立と『資本論』」をご寄稿頂きました。

また、書評を二本掲載しています。静岡文化芸術大学の加藤裕治さんに、2025年に日本語訳が刊行されたユヴァル・ノア・ハラリの『NEXUS 情報の人類史』を書評して頂きました。また、稲野強さんに、今年日本語訳が刊行されたダリン・M・マクマホンの『〈平等〉の人類史―先史時代からアイデンティティ・ポリティクスまで』を書評して頂いています。

下村由一
世界史寸評「永遠の赤」の独り言―時間認識の成立と『資本論』

加藤裕治
書評:ユヴァル・ノア・ハラリ著『NEXUS 情報の人類史』上下 柴田裕之訳(河出書房新社、2025)

稲野強
書評 ダリン・M・マクマホン(東郷えりか訳)『〈平等〉の人類史―先史時代からアイデンティティ・ポリティクスまで』作品社(2026)

ユヴァル・ノア・ハラリ(柴田裕之訳)『NEXUS 情報の人類史』(河出書房新社、2025年)の出版社による紹介ページは上巻がこちら、下巻がこちらです。ダリン・M・マクマホン(東郷えりか訳)『〈平等〉の人類史―先史時代からアイデンティティ・ポリティクスまで』(作品社、2026年)の出版社による紹介ページはこちらです。

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世界史寸評
「永遠の赤」の独り言―時間認識の成立と『資本論』
下村由一

 近代的時間(時刻)認識の特徴は、言うまでもなく無条件の均等性、すなわち普遍妥当性の確立である。ヨーロッパ人の思う「世界」のどこへ行っても,またいつ行っても変わりなく通用する時間の観念ができて、これがある少数の主張でなく「社会」の相当の範囲に広がって実際に行われるようになることである。それが正確にはいつかを知るのは僕には無理であるが。やがてこのことが分からないのは「野蛮人」となるわけだ。

 ここで明治に入って直ぐに日本へきたお助け外人の例を挙げよう。かれらは口を揃えて日本人には時間の認識がないと言った。いくら7時に仕事場にこいと言われても平気な顔で昼頃に来て、親方なんで俺がいかんというのと言っているらしい職人を異人たちは見ていた。かれらには理解できんが、職人には無縁の話なのだ。

 ヨーロッパ人の主張は、家内手工業、マニュファクチャーから次の段階に移行し始めたときに否応なく「実行」されるようになる。時間認識は当たり前なんだが、それが原則として確立されて長くたったいまに住む我々には、そのことが理解しにくい。従業員が約束の時刻に現れないと企業は躊躇なく状況に応じて彼を処分する。日本社会はこれをほとんど非難しない。

 マルクスの労働価値論は無条件に「時間」の均一性を関係者、この場合には資本家が疑いなく受け入れてはじめて有効になる。マルクスが、12時間労働は認めていいが15時間労働は明らかに不当(12時間という労働時間の枠はいいが、15時間を続けて働かすことは不当)というとき、この主張が賛否の対象になる。現実の労働者には理解し難いがやがて受け入れるほかなかった。これが産業革命のもたらしたひとつの重要な「遺産」ではないか。ただし実際にはよく知られているように、労働者は日曜日のほか月曜日はおろか週の前半は飲んだくれていて、後半に「就業規則」を無視して夜半まで働き、補助をする女性と未成年者を巻き込むのだった。これを知っているはずのマルクスが不当な搾取と批判するが、それを読むときに抑えきれない苛立ちを感じるのは僕だけだろうか。

 江戸時代で認められていたごくあたりまえの刻(とき)認識はどうなったのか。生きている間に「いつ」誰しもがみんなわかっているのだろうかと疑問を持つのは無駄。夏冬で寝る刻と外で働いたりする刻がまるで違うんだが、この違いはなにかと思う奴は愚か者なのか。人々が生きている間に「とき」をどのように理解していのるだろうかと書いていて思い出した。地図作りに専念したあの人(伊能忠敬)は例外だったに違いない。なぜなら彼は地図を作るために、地表のある点を確定するために天体の動きを正確に知る必要があったが、それには刻ではなく、近代的な時間概念を使い全体の位置を正確に把握して、地表の各点を確定したからだ。つまり地図を作るためには刻ではなく、近代的な時間概念が不可欠だったのだ。

 明治になって、お上が何度も公が決めた年月日に従わない奴輩を叱ったのは、例外が僕のいうほどいたことの証拠だろう。ヨーロッパでも当然そうだろうが、僕はその実例はほとんど知らない。日本では遅刻観念の成立、時刻厳守は、社会道徳の第一歩とする明治政府の努力によるが、それを知るにつけ、なるほどこうして「民族の特徴」の形成、伝統の創出がすすむのだなと思う。

2026年7月27日

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書評:ユヴァル・ノア・ハラリ著『NEXUS 情報の人類史』上下 柴田裕之訳(河出書房新社、2025)
加藤裕治

1. 情報メディア論の視点から

 恥ずかしながら、この『NEXUS 情報の人類史』(以後、本書)を読むまで、ユヴァル・ノア・ハラリの書籍は敬遠していた。当然、『サピエンス全史』『ホモ・デウス』といった大ベストセラーは知っていた。しかし、「石器時代から現代まで」を概観して記述するという方法(論)と、あまりに多くの人々が称賛することへの警戒感があった。

 何よりも、メディアテクノロジーや情報と社会の関係を語る本書が、私がこれまで参照してきたW.ベンヤミンやT.アドルノ、W.-J.オングやM.マクルーハン、また本書と近接する議論を展開するF.キットラーといった(情報)メディア論にほぼ言及がない点も、敬遠してきた理由である。確かにAIの時代への危機感はあるのだろうが、だからと言ってこれまでの学術的な蓄積を参照せず議論を進めてしまうことこそ、AI時代の問題点でもあるようにも感じる。ただし、そもそもハラリの学術的バックボーン(専門は中世史や軍事史)が異なるので、この点を問題にするのはフェアではないかもしれない。

 本書で初めてハラリの著作に接し、改めて『サピエンス全史』(以後、『全史』)と比較してみたのだが、本書は構成がいささか複雑である。

 ハラリの名を一躍世間に知らしめた『全史』は、「虚構」という概念をもとに、改めて人類史を見直すという明快さがある。このハラリの姿勢は、現実主義やエビデンス至上主義といった価値観が高まる現代社会において、人間の(虚構を駆使できる)知性の可能性を論じるという批評性があったといえる。

 その一方、本書はタイトルの「NEXUS(ネクサス)」でまずつまずいてしまう。この言葉は一般的な用語ではなく、また(少なくとも私の知る範囲での)情報史やメディア論でも見かけない(ただし最終的にNEXUSは「つながり」程度の認識でも問題ない)。また邦訳のサブタイトルは「情報の人類史」だが、英文からの直訳は「石器時代からAIに至る情報ネットワークの小史」となる。「情報と情報ネットワーク」の違いは、「オールドメディア」の新聞では「記事と配信・配達網」の違いとなるので、本来はかなり異なる議論の対象である。ただしこの差異は、本書ではほとんど問題にならない。おそらく、メディアの伝達内容(知識や情報)と伝達方法(メディアテクノロジー)とを分けて考える議論では、AI革命を説明できないとハラリが考えているからだろう。

 AIが他のテクノロジーと異なるのは、AIが「自ら情報を分析するのに求められる知能を持っており、したがって意思決定で人間に取って代わることができる。AIはツールではない-行為主体」(上巻p.21)だからである。それゆえにAI時代の情報ネットワークは、「人間のものとは異質の知能の決定や目標によって制御されている」(下巻p.20)。情報(知識)の生成、情報に基づくネットワークの形成、そして意思決定自体が人間の制御を離れ、AIという人間の外側の他者=「エイリアン・インテリジェンス」に委ねられる社会へと変容する。本書のハラリの危機感は、AI革命へのこうした見立てから生じている。

 こうしたハラリの主張に対して、彼がAIテクノロジーをどれほど理解しているのかという批判は、あえて脇においておこう。現実的に日々、ハラリの認識に頷いてしまう事態に遭遇するからだ。AIをすでに多用している学生たちを前にして、大学教育の変化は不可避だと感じる。研究のコミュニティでは、AIの活用や危険性、AIとの付き合い方の議論が盛んだ(これはAIに対する人間による自己修正メカニズムの作動といえる)。

 しかし一方で、AI革命に対する本書の見解に対して、判断するための材料がまだ足りないのではないかとも感じる。それゆえなのか、本書はある種のテクノフォビア(新たなテクノロジーの出現に対する嫌悪)と受け取られる傾向もあるようだ(イギリスの『ガーディアン』(2024/9/11)の書評で、本書は「神託めいた説教」と評されている)。また、ハラリが性急に警告するこの振る舞い自身が、AI時代の加速主義的な言説空間に影響されている可能性もある。その一方で、本書で記述されているコンピューターやAIへの理解や説明に関しては、2000年前後、情報社会の到来を受けて監視社会論を提唱したD.ライアンの議論と比較することも有意義であるように思われる。だが本書のテーマからすると、そうした情報メディア論からの学術的な指摘はやや的外れかもしれない。

2. 「AI革命」は人間社会に何をもたらすのか―本書の概要

 情報メディア論からの指摘がなぜ的外れなのか。一読すればわかるように、本書の本題は、メディアの問題というよりも、AI時代における人間による統治の行方を問う政治論だからである。ハラリは自由民主主義が「多くの欠陥を抱えているものの、もっとも優れた手段を提供した」政治システムだと指摘する(下巻p.156)。AI革命後の人間社会、特に民主主義の行く末を論じることが、本書の最終的な目的である。この説明の際、本書で重要な概念となるのが「自己修正メカニズム」である。「自由民主主義の大きな強みは、強力な自己修正メカニズムを備えていることだ」(下巻p.156)。

 第1部「人間のネットワーク」では、コンピューターが出現するまでの歴史において、自己修正メカニズムが人間社会でどのように作動していたのかが説明される。そこで重要なのは、情報と自己修正メカニズムの関係性である。ハラリによれば、情報のネットワークは、真実を通して知恵を生み出す力を持つだけでなく、嘘やプロパガンダといった虚構の情報さえ使い、秩序の維持を担う力も持つという。ただしこの関係は複雑だ。情報ネットワークによる真実を生み出す力と秩序を維持する力が、順接するだけでなく逆接することもあるという矛盾を抱えているからである。

 例えば第4章の「誤り」では、この二つの力の関係が矛盾するメカニズムについて、魔女狩りを例に説明される。ハラリによれば、印刷術の誕生は、これまで指摘されてきた自由な情報流通の拡大、つまりカトリック教会の情報ネットワーク独占からの解放をもたらしたとは言い切れないという。それはなぜか。自由な情報の流通が、魔女の存在といった陰謀論を拡散することにもなったからである。さらに、宗教の側はそのような陰謀論を抑え込むのではなく、むしろ自分たちは不可謬であるとして、陰謀論を支持して秩序を維持したのである。この動きに反するのが、科学革命だとハラリは説明する。科学は、自らの知識が誤っている可能性を認識する情報ネットワーク(の機関)として、強固な自己修正メカニズムを作動させてきた。ただし科学の強固な自己修正メカニズムが可能であるのは、政治的な役割である社会秩序の維持を担う必要がなかったからだという。

 上巻第5章から下巻では、こうした情報ネットワークと自己修正メカニズムの関係性が、民主主義や全体主義においてどのように作動してきたのか、またこの作動が「エイリアン」の知性であるAIに担われた時、何が起こるのかが論じられる。ハラリは、民主主義の情報ネットワークは、中央を経由するものもあれば、多様で独立したノード(中継地点)を経由して分散する場合もあると説明する。一方、全体主義では、全ての情報が中央を経由することを望むネットワーク構築が志向されるという。

 重要なのは、民主主義であろうと全体主義であろうと、真実の追求と秩序維持の間の矛盾を内包しながら、情報ネットワークを人間自身が制御してきたことである。しかしコンピューターテクノロジーの出現によって、人間の理解の及ばないエイリアンであるAIがその制御を担うことになる。AIは機械学習によって、人間の介在なしに自らのアルゴリズムを自己修正する。そのため、AIの自己修正の内容を人間は知ることができない。しかもAIは「疲れない」ので、中央集権的な国家が望むような監視システムを、常時オンで執拗に作動させていくことが可能となる。その結果、政治・経済領域に関わりなくプライバシーが侵害され、人々の社会信用の判断やランク付けが、人間がその過程を知ることや理解することができないまま決定される社会が到来してしまう。

 それゆえハラリは、コンピューターが自らの可謬性に気づいていくアルゴリズムの構築や、AIを人間が抑制できる制度や機関を作る必要があると結論づける。だが彼の未来予測はかなり悲観的だ。というのも、民主的な情報ネットワークはすでに崩壊に直面しており、全体主義はAIに適合的なので、独裁者そのものがAIの支配に怯える状況になってしまうという。こうした予測の上で、ハラリはグローバル社会の行く末を、情報と権力の集中化を進めるAIが全世界を統制する帝国に陥るか、あるいは各情報ネットワークに閉じ込められ、(シリコンのカーテン・デジタルコクーンによって)分断された世界に陥るか、という可能性として描き出す。

3. 時事性が揺るがす本書の主張

 本書は、長い歴史を一つのテーマで大胆に切り込んでいく明快さを持ち、先の魔女狩りの例のように、私たちの常識を揺さぶるように事例の解釈を試みる。その解釈に唸らされる面もある。ただし、そうした解釈のまとめは、意外に既視感のある議論でもある。例えば、AIによって全世界が帝国化するか、あるいは逆に分断化された世界に陥るかといった指摘は、マクルーハンの「グローバルヴィレッジ(地球村)」を思い出す。また、情報の繭の中に人々が分断されていく「デジタルコクーン(シリコンのカーテン)」の考え方は、1970年代に中野収が指摘した「カプセル人間」の現象が、デジタルを原因とした集団的なものとして捉え直されているように感じられる。そして、人間にとってエイリアンの知性であるAIに対して、人間の自己修正メカニズムを介入させる必要性を論じる結論は、常識的で穏当なものである。この主張自体にはそれほど違和感はなく、納得させられる。

 その一方で、事例として扱われる個々の歴史事象を理解するにあたり、本書の「情報」という切り口の解釈からだけでは、やや物足りなさを感じてしまう読後感もある。たまたま最近、S.フェデリーチ著『キャリバンと魔女』(小田原琳・後藤あゆみ訳、以文社、2017年)という書籍を読んだのだが、そこでは「魔女狩りの犠牲者のほとんどが農民女性だった」という調査結果から、魔女狩りと資本主義の発展との関係性が周到に、しかもスリリングに論じられる。階級やジェンダーの視点から緻密に論じられる歴史(学)を読むと、ハラリの歴史的な事象への説明は、やや簡略化されすぎているようにも感じてしまう。

 さらに(情報)メディア論の視点からすると、AIを論じる上でハラリの認識は、近年の重要な論点を考慮に入れていないように思われる。それは自然の問題である。

 ハラリは本書で「現在進んでいる物質ベースの経済から知識ベースへの移行のせいで、戦争の潜在的な利益が減った」(下巻p.257)と論じているが、この見立てには素直に応じられない。現在、AIを支えるハイテク産業において、物質的な資源の獲得は最重要の課題だ。半導体にはレアメタルが必須であり、データを集約するデータセンターの稼働には莫大な電力(その供給には莫大なエネルギー資源も必要)と、サーバーの熱を冷却するための水資源が必要である。こうした資源の問題は、全世界で大きな課題になりつつある。J.パリッカなどによるメディア考古学の領域で、こうしたデジタル時代の情報テクノロジーにおける「物質性」の問題は、以前から論じられてきた。AIという「知性」の問題の手前で、その知性が自然(物質資源)に大きく規定されているという現実的な問題が現れている。

 さらに言及すると、21世紀も四半世紀が過ぎたこの時期に、情報ネットワークを人間(サピエンス)とテクノロジーとの関係のみで捉えてしまう本書の議論の前提への疑問が生じる。20世紀前半の時点でW.ベンヤミンは、自然に対する人間とテクノロジーの関係を論じている。ベンヤミンによれば第一の技術は、人間がテクノロジーを使って自然を直接支配=制御しようとする技術である。しかし第二の技術は、テクノロジーの介在によって、人間と自然を遊戯的な協働関係へと導く技術である。この議論は、ハラリの危機感とは異なり、人間とAI、そして自然との肯定的な関係性を考察するうえで、より長い射程を持つものだ。

 これに対して、ハラリの議論において自然は、人間とテクノロジーにとって「環境」でしかないように思われる(「サピエンスのみならず他の無数の生命体も危険にさらす」下巻p.274)。しかし、現在、情報ネットワークを考える際に、エコロジー的な視点はもはや無視できない。例えば2026年5月に公開された是枝裕和監督の『箱の中の羊』では、AIと自然の連帯が描き出されている。その映画のラストシーンでは、AIと自然が連帯することで、むしろ世界を制御していると思い込んでいる人間こそが、自然やAIにとってのエイリアンではないかと自覚を促される。人間とAIに限定して世界の運命を論じる本書の議論は、情報ネットワークを物質的に構築するレアメタル資源である、「比喩」ではないシリコンをめぐる政治にも言及が必要だったのではないか。

 このように、私が自然や物質性に言及してしまったのは、本書の時事性とも関わっている。本書は、原著が2024年、邦訳が2025年に出版されているが、AIが鮮烈に登場した時期に合わせて書かれたものだろう(OpenAIによるChatGPTの公開は2022年)。だが、この書評を書いている2026年7月に全世界で懸念されているのは、AIの問題以上に、アメリカやイスラエルといった民主主義国家による軍事的な暴力の行使であろう。そしてこの暴力において最大の争点となってしまったのは、政治体制の問題以上に、石油といった資源の問題である(またアメリカのグリーンランドへの関心はレアアース資源が狙いといわれている)。AIの知性をめぐる危機の手前で、人間はAI革命を成就させるための資源闘争を行っている。

 本書でハラリが論じてきた「人間(サピエンス)」とは一体、何であったのか。AI革命という時事的な関心からおそらく生じた本書の危機感は、現在の世界をめぐる時事的な問題によって認識のポイントがずれてしまったようにも思う。今後、本書の指摘が、改めて争点になる日が来るだろうか。本書の思想性の深さが確かめられるのは、その日が来た時である。

(「世界史の眼」No.77)

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書評 ダリン・M・マクマホン(東郷えりか訳)『〈平等〉の人類史―先史時代からアイデンティティ・ポリティクスまで』作品社(2026)
稲野強

 平等、と言えば、ほぼ反射的に「神の前の平等」、「生まれながらの平等」という理念が想起される。この理念は、まぎれもなく人間存在にとって何人も認める極めて価値の高い規範である。本書の著者ダリン・M・マクマホンによれば、「人間は本質的に平等であり、同等の価値があり、この理念を経済、政治の各方面の社会構造に反映させるべきことは、現代のほぼすべての道徳の政治理論の基本的信条の一つ」なのである。

 そうであるならば、平等は、権力の支配と被支配との関係を解き、人種・民族、階級、身分、地域、宗教、文化、言語、教育ばかりか、男女性や障害者に関する偏見や差別を認めない万能薬のひとつとなるはずである。

 ところが、マクマホンは、現代は「平等の危機に直面している」と断言する。不平等の研究はあまた存在するが、平等を扱う研究が少ないことも、そのことを裏書きしているのだろう。

 確かに、不平等の大音響の前では平等の音は微かにしか聞こえない。200年以上前の啓蒙時代・フランス革命で高らかに掲げられた「自由・平等・友愛」のスローガンは、今日でも相変わらず「目標」(夢)なのである。

 このように人びとは、長きにわたって不平等の拡大・深化や差別の高い壁を経験してきために平等を獲得する闘争心を失ってきた。そこで平等の理念は、相互に複雑に絡み合う多種多様の差別・偏見や排除の洪水になす術のない状態のなかで、時には現実離れした理想主義として退けられ、「冷笑されてきた」のである(注)。

 もっとも平等の理念にも大きな欠陥がある。それは、平等が、体制内部では序列化、統一化や優越化を促すと同時に、外部に対しては、異質性の排除を強化させることである。歴史的に見れば、国民国家やファシズム国家形成過程ではとくに顕著であったが、平等は、必然的に自我(=民族我)の確立を促すから、他者との同一性を嫌う人間の性向によって、国ないしは地域の優越性・序列化を生み、それによって内部における凝集力・求心力を増すと同時に国ないしは地域の外部に対しては、排他性を促進させるのである。

 著者は、人びとは、平等の観念が過去にどう理解されてきたか、驚くほど関心がない、と嘆く。言い換えれば、あまりにも多くの不平等の現実を前にして、戦う意欲を削がれるほど激しい不平等への慣れの常態が続いたために、われわれは「平等を想像することが難しい時代」に生きていることになり、そのような状況ではまともな歴史すら書くことができないと訴えたいようである。

 そうした深い現状認識を踏まえて、本書は、人類史、政治史、哲学史、社会心理学、社会学を駆使しつつ、太古から現代までの人類の長い歴史のなかで、平等の観念がどう「発明され」、破壊され、再生され、今日に至ったのかを時系列に沿って解き明かそうとしたスケールの大きな意欲作である。

 さて、その点を本書の内容に沿って見ると、平等の理念は、すでに狩猟採取時代に「支配の序列」に対する抵抗によって生まれたとされる。こうした社会では、「逆の順位制」または「平等主義的序列」と呼ぶもの、つまり大勢が一緒になって少数の者を支配する関係の基礎が敷かれたのである。だが、次のギリシャ・ローマの時代には非市民、女性、奴隷は平等権を与えられず、排除された。また紀元前1千年紀の「枢軸時代」には、世界各地で主要な宗教が誕生し、「平等の発明」とともに、「仲間意識」が生まれたが、それらの宗教は、排除と分断の新たな形の土台を敷くことになった。さらに時代を下がって、18世紀の啓蒙主義・フランス革命の時代には、普遍的な価値を持つスローガンが、革命を促進させ、反植民地運動に応用されたこともあるが(ハイチ独立運動)、例えば、女性は「理性がないから」との理由で市民権を得ることができなかったまた近代・初期社会主義の時代には、資本家と労働者との階級対立が先鋭化されるなかで、一部で平等の社会的実験は試みられたが、格差はそれまで以上に拡大し、「持たざる」人びとは、幻想を抱いた分だけ大きな幻滅を味わうことになった。次いで19世紀の国民国家形成期には、国家統一の掛け声のもとで、民族・人種主義運動の台頭を見、地域間差別が助長された。そうした流れは、ファシズム国家に歪んだ形で受け継がれることになる。第二次世界大戦後の国連主義の時代における「世界人権宣言」から現代に至るまで、改めて人種・信条・性別・社会的身分・門地などにより差別されない権利が再確認されたが、現代はグローバル化と格差の拡大により平等の危機を招来させ、平等を想像する力そのものも弱っている。

 こうして平等の理念は、誰でもが認める最高の価値であるにもかかわらず、現代にいたるまで時代の制約によって過酷な現実にぶつかるとその矛盾(=不平等)を露呈させてきた。著者は、人類が平等の幻想から不平等という幻滅の時代を経験したことを踏まえて、現代を「平等の危機に直面している」「平等を想像することさえ難しい時代」とみなしている。だがそのうえで、著者は、平等がつねに「想像の産物」であり、歴史上人びとは「枢軸時代」や「啓蒙主義時代」など何度も「平等を発明」してきていることを重視しており、その想像力にこそ不平等と闘う強い確信を見出している。

 ちなみに著者による想像力の再生のシナリオは、著者の研究の主要拠点であるアメリカをモデルとして描かれる。すなわち現代は、「第一の再建」(南北戦争以後の奴隷を国民に統合)、「第二の再建」(1950、60年代の公民権運動の「活性化の時代」)に続く「第三の再建」(アメリカにおける近年の人種間対立を「過去、現在、未来を再考する機会」)と位置づけられる。これは、過去の革命的エネルギーを利用して、「人種間の平等のための新たな闘争」を行い、最終的に未来により平等な世界を築く「夢」を実現化するための機会だと捉えられるのである。そして言い放つ。「悪夢は、それでも夢なのだ」と。

本書は、平等の理念の再発見ないしは復権の書であると同時に人類史を俯瞰した未来志向の書である。

(注)神学者・宗教学者の森本あんりは「近年は人権や平和、平等の理念が、理想主義だと冷笑されることが少なくない」「万人が誰かとの比較ではなく一番だと思える『絶対性思考』をもっと了解することが重要だ」と述べた。「取材考記」『朝日新聞』(夕刊)2026.5.25。

(「世界史の眼」No.77)

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「世界史の眼」No.76(2026年7月)

今号では、小谷汪之さんに、前号に引き続いて「蓼科の近代史」から「蓼科の近代史 Ⅱ(下)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち」をお寄せ頂きました。なお(上)はこちらです。また、桜美林大学の辻村伸雄さんに、今年ミネルヴァ書房から刊行された、シンシア・ストークス・ブラウン(世界史研究所訳)『ビッグ・ヒストリー―宇宙誕生から始まった私たちの物語』を書評して頂いています。

小谷汪之
蓼科の近代史 Ⅱ(下)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち

辻村伸雄
書評:シンシア・ストークス・ブラウン『ビッグ・ヒストリー―宇宙誕生から始まった私たちの物語』南塚信吾ほか監訳、世界史研究所訳(ミネルヴァ書房、2026年)

シンシア・ストークス・ブラウン(世界史研究所訳)『ビッグ・ヒストリー―宇宙誕生から始まった私たちの物語』(ミネルヴァ書房、2026年)の出版社による紹介ページはこちらです。

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蓼科の近代史 Ⅱ(下)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち
小谷汪之

はじめに
1 諏訪鉄山の鉱床と鉱区
(以上、前号)
2 諏訪鉄山で働いていた人びと
おわりに
(以上、本号)

2 諏訪鉄山で働いていた人びと

(1)諏訪鉄山の労働者構成

 1944年4月、日本鋼管の子会社として日本鋼管鉱業株式会社が設立された。諏訪鉄山(諏訪鉱業所)はその傘下に入り、軍需会社法(1943年)に基づく軍需事業場に指定された。そのために、鉄鉱石の飛躍的な増産が要請され、徴用や学徒勤労動員や勤労奉仕などさまざまな形で、極めて多くの人々が諏訪鉄山で働くことになった(『諏訪の近現代史』611頁)。

 こうして、1944年8月の時点で、諏訪鉄山では以下のような人数の人々が就労していた(『諏訪の近現代史』612頁、『茅野市史 下巻』525頁。いずれも典拠は日本鋼管鉱業株式会社の社史であると思われるが、原本を見ることができなかった)。

表1 諏訪鉄山の労働者構成(1944年8月)

鉱山作業員
  鉱員          328人
  徴用工         221人
  臨時工          69人
建設作業員
  鉱員          339人
  徴用工         682人
 以上、総計 1,639人

 それ以外に、学徒勤労動員として、立命館大学採鉱冶金科の学生20人と旧制諏訪中学校(現、諏訪清陵高校)の生徒100人ぐらいが採鉱業務などに従事していた。それに婦人会などの日帰り勤労奉仕者を加えると、毎日2,000人以上の人々が諏訪鉄山で働いていた(『諏訪の近現代史』612頁)。

(2)「徴用」された朝鮮人たち

 『茅野市史 下巻』(525頁)には、朝鮮人の「徴用工」に関する以下のような記述がある。

徴用工には兵役に服さない諏訪地方壮年男子のほか、朝鮮半島から青壮年二〇〇名が強制的に徴用され、緑山温泉に収容されて働いていた。

 『諏訪の近現代史』(611頁)にも、次のように書かれている。

既に日本鋼管直営のころから兵役に服さない諏訪地方の男子の中から毎日一〇〇名ほどが徴用工として採掘作業に従事するようになっていた。[昭和]十八年[1943年]には、更に朝鮮人の徴用工二〇〇名ぐらいが緑山温泉に強制収容され、主として採掘現場での作業を担当していた。

 このように、表1の徴用工の中には朝鮮人の「徴用工」200人ぐらいが含まれていたとされているのであるが、この朝鮮人の「徴用工」という表現には注意が必要である。というのは、朝鮮人(当時の行政用語では、「半島人」)を国民徴用令(1939年)によって実際に徴用して、日本国内に「移入」したのは1944年(昭和19年)9月からだからである。したがって、1944年(昭和19年)8月時点の諏訪鉄山には、厳密な意味での朝鮮人徴用工はいなかったはずである。しかし、諏訪鉄山で多くの朝鮮人が働かされていたことは事実である。とすると、このような朝鮮人たちはどのようにして諏訪鉄山に連れてこられたのであろうか

 1939年(昭和14年)7月4日、戦争遂行に要する労働力を計画的に動員するために、「労務動員実施計画」が閣議決定された。「そしてそのなかに、日本内地の炭鉱等に配置するべき労働力の給源として朝鮮半島からの労働者八万五〇〇〇人分が計上されたのである。これが日本帝国による日本内地にかかわる朝鮮人労務動員政策の最初の決定である」(外村大『朝鮮人強制連行』岩波新書、2012年、42頁)。この1939年度の「労務動員計画」以降、毎年度ごとに労務動員計画が策定され(1942年度からは「国民動員計画」と改称)、動員するべき朝鮮人労働者の数が明記された。しかし、実際に動員された朝鮮人労働者の数は計画を下回り、1939年度で3万8,700人(1939年9月から翌年3月までの数)、1940年度では、計画の8万8,000人に対して実際の動員数は5万4,944人であった(外村前掲書、58,72,78頁)。

 1944年8月の時点で、諏訪鉄山で働いていた朝鮮人の「徴用工」というのは実際にはこの労務動員計画(国民動員計画)によって日本に連れてこられた朝鮮人労働者たちだったのであろう。ただし、労務動員計画によって朝鮮半島から日本に連れてこられたのではなく、「私的に」日本に移住していた朝鮮人も動員された。1943年(昭和18年)度の国民動員計画では、朝鮮半島から導入するべき労働者12万人以外に、日本内地在住朝鮮人労働者5万人の動員が計画されていた(外村前掲書、122頁)。諏訪鉄山で働いていた朝鮮人労働者の中には、このような日本内地在住朝鮮人もいたのであろう。

 このように、朝鮮人「徴用工」という表現には曖昧さがあるとしても、朝鮮人たちが諏訪鉄山で働かされていて、差別的な取り扱いを受けていたことは確かである。1995年6月に茅野市大字北山・糸萱公民館で開催された「諏訪鉄山を語りしのぶ会」において、かつて旧制諏訪中学校3年生の時に、学徒勤労動員によって諏訪鉄山関係の工事(花蒔から茅野駅までの鉄道敷設工事)で働いていた人が当時の想い出を次のように語っている。

 また、朝鮮の方々と一緒に働いていたわけです。時間をかけて長い石のノミで穴をあけるのに、まめが破れて血がしたたっていたけれども、それでも強制的に働かせられていた。

 また、発破(はっぱ)[ダイナマイト〕が爆発するときは鐘を鳴らして、我々中学生は早々と後方へ引き下がるわけですけれども、朝鮮から来た人たちはいっこうに下がらせていただけなくて、飛んできた石が頭や手にあたって、血が噴き出しているようなことも目撃いたしました。

 また、畑の中に種をとるために真っ赤になった大きな胡瓜かなんかあったのを、十七歳で徴発されてきたという我々と同じくらいか、あるいは一つだけ年上くらいの少年が、どうしても腹がすいていけないから胡瓜を食べたいということで、私がとってきて、その人にあげたところ、二十世紀梨を食べるように、むしゃぶりついて食べたのを今でも思い出します。(伊藤編『平和を今こそ』92~93頁)

 この「想い出」の最後に出てくる「十七歳で徴発されてきたという」朝鮮人少年は厳密な意味での徴用工だったのであろうか。それとも、労務動員計画(国民動員計画)によって日本に連れてこられた朝鮮人だったのであろうか。あるいは、日本内地在住朝鮮人だったのであろうか。

 朝鮮人「徴用工」たちには、金堀場に建てられた「飯場はんばと呼ばれる長屋があてがわれていた」(『諏訪の近現代史』612頁)。「飯場」の建物は1990年代半ばまで残っていたが、その後、取り壊された(茅野市八ヶ岳総合博物館『紀要』第18号、35頁)。ところが、『茅野市史 下巻』や『諏訪の近現代史』には、朝鮮人「徴用工」たちは「緑山温泉」に収容されていたと書かれている。この「緑山温泉」というのが何を指しているのか、調べてみたが分からなかった。『茅野市史 下巻』と『諏訪の近現代史』がともに依拠していると思われる原資料(おそらく、日本鋼管鉱業株式会社の社史であろう)に、朝鮮人「徴用工」たちは緑山温泉に収容されていたという記載があるのだろうが、これは原資料の誤記あるいは誤認のように思われる(特に、『諏訪の近現代史』は、朝鮮人「徴用工」の宿舎について、611頁と612頁で矛盾した記述をしている)。

 日本の敗戦後、朝鮮人「徴用工」たちは「博多へ引きあげていった」(『茅野市史 下巻』527頁)。博多から本国に帰って行ったのであろう。

(3)北山俘虜収容所の連合国軍俘虜たち

 1945年6月4日、激しさを増すアメリカ軍の空襲を避けるために、東京俘虜収容所(大森俘虜収容所)から247人の連合国軍俘虜が当時の長野県諏訪郡北山村に設置されていた東京俘虜収容所・第6分所(北山俘虜収容所)に移送された(伊藤編『平和を今こそ』52頁)。ただし、資料により、俘虜の人数に若干の異同があり、伊藤編前掲書でも、他の箇所では243人(アメリカ人57人,イギリス人55人、オランダ人91人、カナダ人34人、オーストラリア人4人、その他2人)となっている(40頁)。

 北山俘虜収容所は長尾根鉱床の付近にあったから、連合国軍俘虜たちはそこから標高にして数百メートル高い石遊場鉱区に坂道を登って通っていた。主要な作業は低品位の褐鉄鉱にコークスを混ぜて焼結する作業で、極めて高温の環境での作業であった。以前は、学徒勤労動員された旧制諏訪中学校の生徒たちが行っていたのだが、彼らに代わって、連合国軍の俘虜たちが焼結作業に就かされたのである。

 前述の「諏訪鉄山を語りしのぶ会」には、諏訪鉄山で働かされていた一人のアメリカ軍俘虜が参加していた(彼がこの会に招待された経緯については伊藤編『平和を今こそ』各所を参照)。彼の名前はアルフレッド・マックグルー(Alfred Mcgrus)と言い、1922年10月、アメリカ合衆国オハイオ州で生まれた。1941年1月、18歳でアメリカ陸軍に入隊、フィリピン、マニラ湾口の要衝コレヒドール島の守備隊に配属された。1942年5月7日、日本軍の攻撃によりコレヒドール島が陥落した時、日本軍の俘虜となった。その後、日本に送致され、東京俘虜収容所に収容されていたが、1945年6月4日、北山俘虜収容所に移送された。

 アルフレッド・マックグルーが記憶を頼りに描いた北山俘虜収容所の図によれば、収容所の矩形の敷地は高い塀(TALL FENCE)と空壕(DITCH)によって二重に囲われていて、四隅には照明が設置されていた。その敷地の中に、二棟の俘虜宿舎(POW BARRACKS: POW=Prisoner Of War)と一棟の米・英将校(AMER. & BRITISH OFFICERS)用宿舎が建っていた。BENJO(便所)は別棟で、門のそばには看守たちなど日本人用の宿舎(JAPANESE BUILDING)があった(伊藤編『平和を今こそ』53頁)。

 アルフレッド・マックグルーもこの収容所で起居しながら、諏訪鉄山・石遊場の焼結炉(スメルター[smelter])で「俘虜としての労働を強いられ、食糧難と戦い、のみしらみに苦しみながら、約五〇〇メートルの高低差、四分の三マイルの山道を[石遊場の]作業場に通勤した」(伊藤編『平和を今こそ』76頁)。

諏訪鉄山・石遊場の焼結炉(スメルター)

出典:マックグルー手書きの絵(伊藤編『平和を今こそ』97頁)
図中の英文:IRON ORE SMELTER SUWA PRISONS CAMP 

 1945年8月、戦争が終わると、連合国軍俘虜たちは横浜に集結して、帰国の途に就いた。北山俘虜収容所にいた俘虜たちも、同年9月6日、茅野駅から横浜桜木町に引き揚げた。アメリカ人54人、イギリス人55人、オランダ人89人、カナダ人25人、オーストラリア人4人、その他2人の計229人、1人病院送達であった(伊藤編『平和を今こそ』74頁)。

 アルフレッド・マックグルーはその引き揚げ時の様子を次のように語っている。

 トラックが朝早くに収容所に来ました。それは、九月六日でした。私は三番目のトラックに幸運にも乗ることができました。駅に着いた時、トラックから飛び降りて、それから列車に乗ろうとしました。誰も日本人は付き添っていませんでした。一時間以上そこで汽車が来るのを待ちました。汽車はいっぱい人がいたんですけれども、そこになんとか乗り込みました。汽車に乗っていた日本人の人たちはみんな自分たちを見てびっくりした様子でした。[中略]

 北山で、[俘虜たちのための救恤]物資が[米軍機B29によって]投下されたときに、別にチラシもありまして、そこに「戦争が終わった、今、アメリカ軍が横浜にいる」ということが書いてあったそうです。

 でも、自分たちが茅野から乗って行った汽車は、横浜までは行きませんでした。それで東京で汽車を降りました。どうやったら横浜まで行けるかと聞きました。小さな電車が、たった一台の電車が来ました。それから、乗れるだけその電車に乗って横浜まで行きました。(伊藤編『平和を今こそ』122~123頁)

 当時、連合国軍俘虜とかかわりを持つと、俘虜収容所関係者とみなされて戦犯容疑をかけられる恐れがあったので、北山俘虜収容所の俘虜たちも日本人に敬遠され、ほとんど自力で横浜まで行かざるをえなかったようである(伊藤編『平和を今こそ』123~124頁)。実際、北山俘虜収容所の所長だった人はアメリカ軍の横浜BC級戦犯裁判で有罪とされ、服役した(同、60頁)。

 それから約50年後の1995年6月、諏訪鉄山跡を訪れたアルフレッド・マックグルーは、最初、そこが俘虜生活を送った場所であると信じることができなかった。戦後50年の年月は周囲の状況をすっかり変えてしまっていたからである。しかし、マックグルーが描いた石遊場の焼結炉の絵が、当時旧制諏訪中学校4年生で学徒勤労動員されて焼結炉で働いていた人の記憶と一致したことから、そこがマックグルーの作業していた場であると確認された。また、マックグルーなどの俘虜たちは、夜間、フェンスの緩んだところから収容所の外に出て、付近の畑のジャガイモなどを掘り取って、食べていた。その畑の持ち主と出会えたこともマックグルーの記憶をよみがえらせた(伊藤編『平和を今こそ』100~103頁、147~148頁)。

おわりに

 諏訪鉄山は敗戦とともに一時閉山された。しかし、1948年、日本鋼管は諏訪興業株式会社を設立し、諏訪鉄山の採掘を再開した(1950年、同社は諏訪鉱業開発株式会社と改称)。社長には、日本鋼管鉱業株式会社の諏訪鉱業所(諏訪鉄山)・所長だった高野太治郎が就任した。1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると鉄鉱需要が増大し、諏訪鉄山も活況を呈した。従業員は1951年の最盛期には150人を越えた。しかし、朝鮮特需が終わり、諸外国からの鉄鉱石輸入が盛んになると、諏訪鉄山の低品位の鉄鉱石は需要がしだいに減少して、1965年、最終的に閉山となった(『茅野市史 下巻』527~528頁)。

 いま、別荘地やゴルフリゾートとして知られ、鬱蒼とした山林の中に瀟洒な別荘や広大なゴルフ場などが広がる蓼科も、70年ほど前は鉄鉱石採掘場として、裸の山肌を曝していたのである。

(完)

(「世界史の眼」No.76)

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書評:シンシア・ストークス・ブラウン『ビッグ・ヒストリー―宇宙誕生から始まった私たちの物語』南塚信吾ほか監訳、世界史研究所訳(ミネルヴァ書房、2026年)
辻村伸雄

1. ブラウンの歴史的評価の準備が整う

 ついにブラウンによる初のビッグヒストリーの通史が邦訳された。これで彼女のビッグヒストリーに関する主要著作が出揃ったことになる。シンシア・ストークス・ブラウン(1938–2017)は長年カリフォルニア・ドミニカン大学(Dominican University of California。2000年にDominican Collegeから改称。Dominican Universityとは別の大学であることに注意)に勤めたが、2001年に同大の常勤職を退いた後、晩年の十年間に三度(みたび)ビッグヒストリーの通史を書き残した。

(1)単著『ビッグ・ヒストリー』(原書初版2007年・新版2012年、邦訳2026年)
(2)共著『ビッグヒストリー』(原書2013年、邦訳2016年)
(3)単著『ビッグバンからあなたまで』(原書2016年、邦訳2024年)

 2007年に初めて自分で書き上げた通史が本書である。

 2010年に同大は新入生に対しビッグヒストリーを必修化したことで注目を集めた。

 2013年にはデイヴィッド・クリスチャンとクレイグ・ベンジャミンと共著で大学生向けのビッグヒストリーの教科書『ビッグヒストリー』(邦訳は明石書店)を上梓した。これが彼女にとって二冊目の通史となる。

 この共著も入れると彼女にとって三冊目の通史であり、単著としては二度目の通史となる『ビッグバンからあなたまで』(邦訳は亜紀書房)が図らずも最後の著作となった。

 今回ブラウンが初めてものしたビッグヒストリーの通史が日本で刊行される最大の意義は、上記の既刊の邦訳二冊と併せて、日本語でブラウンの変遷を追い、彼女の仕事を評価するための基盤が初めて整ったということだろう。

 生きている人物は評価が難しい。これからの行動や著作によって評価が変わりうるからだ。対して、物故した人物は動かないので業績が固まっている。全生涯とその帰結を見渡した上で、歴史的に評価を行う営みは、その対象となる人物が没してから始まるのだ。

 今、私たちはブラウンが故人であるがゆえに、その生涯の到達点から過去の全著作を見渡すことのできる時点に立っている。すなわちビッグヒストリーに限って言えば、本書が初期、次に出た共著が中期、遺著が晩期のブラウンのスタンスを表していると見ることができる。

2. 「複雑さ増大の敷居」の良し悪し

 本書に見られる初期のブラウンの叙述が、中期・晩期のそれと明らかに異なる点は、宇宙史・地球生命史・人類史を貫く根底的パターンである「複雑さ増大の敷居」(thresholds of increasing complexity)を採用していない点にある。

 ハーヴァード大学で「宇宙進化論」(Cosmic Evolution)の名のもとにビッグヒストリーを講じた宇宙物理学者のエリック・チェイソン(Chaisson 2001)は、宇宙から地球を経て私たちに至る歴史には、「複雑さの増大」という一貫した傾向が見て取れることを指摘した(とはいえ、そのような一貫した傾向が見て取れる惑星を、私たちは地球以外に知らない点には留意が必要である)。

 これに触発を受けたクリスチャンは、米国のサンディエゴ州立大学でビッグヒストリーを教える際に、ビッグバンから今に至る歴史を区分けする目安として、「敷居」という時代区分を導入し、それは2008年に発売された彼のDVD講義『ビッグヒストリー―ビッグバン、地球上の生命、人間の台頭』(未邦訳)で公にされた。それを見たビル・ゲイツが感激し、ビッグヒストリー・プロジェクトが立ち上がるのである。当然、「複雑さ増大の敷居」は同プロジェクトの骨組みともなっている。

 このように、「複雑さ増大の敷居」はビッグヒストリーを教える上で便宜的に導入されたもの(教授法の一つ)であるが、その利点は、宇宙史から人類史に至るまでを一気通貫する統一的視座から語ることを可能にしてくれるところにあった。

 もちろんクリスチャンにせよ、ブラウンにせよ、このような統一的・一貫的視座を初めから持っていたわけではない。本書の「2012年版への序文」において、ブラウンが同書はビッグヒストリーに通底するパターンを提示していないと述べているのはそのためだ。

 ビッグヒストリーを人間史に自然史を付け足した以上のものにすることを望んでいた2000〜2010年代のビッグヒストリアンたちにとって、それを可能にしてくれる「複雑さ増大の敷居」は願ってもないものであった。かくて複雑さへの着目は一世を風靡する。

 とはいえ、「複雑さ増大の敷居」という時代区分に基づく限り、ビッグヒストリーを描く際の構成は、ある程度似たり寄ったりになってしまう点は否めない。“複雑性ブーム”がひと段落し、その恩恵ばかりでなく弊害も目につくようになった今日から見ると、そのブームに染まる前のビッグヒストリアンたちの著述に、むしろ個性や新鮮さを覚えるのだ。

3. 本書『ビッグ・ヒストリー』の構成

 本書はシンプルな二部構成となっている。

 第I部「時空間の奥行き」は、宇宙が始まってから、太陽と地球が生まれ(第1章)、生命が登場し、進化と絶滅を経て(第2章)初期の人類が登場し(第3章)、彼らが狩猟採集をもとにした高度な社会を営む(第4章)ところまでを描く。

 第II部「温暖な1万年」は、人類の一部がアフロ・ユーラシアで農耕畜産へと移行し(第5章)、最初の都市を建設し(第6章)、都市生活のもたらす苦悩に応じて救済型の宗教が出現し(第7章)、それと相まってアフロ・ユーラシアの大部分を包摂する通商網ができ(第8章)、並行して南北アメリカでも農耕文明が発達するさま(第9章)を描く。次いでモンゴル帝国などによるアフロ・ユーラシアの統合(第10章)、西欧諸国による二つの半球の統合(第11章)が工業化につながるさまを描き(第12章)、「成長の限界」に突き当たる今日の状況を見据えつつ将来を展望する(第13章)。

 第II部は概ね通常歴史の授業で扱われる範囲と重なっており、第I部はその前史に当たる。長らく教員志望の学生たちに歴史を教えてきたブラウンにとって、第II部は慣れ親しんだ内容だろう。対して、おそらくブラウンがもっとも勉強を要し、書くのに苦労したのは第1部であると思われる。本書が二部に分かれているのは、そういう実際的な理由からだろうが、今から見ると、素朴ながらも思い切った構成にも感じる。

 読み味としては、第I部の初めの2章については散漫な印象が否めないものの、第3章「ヒトの登場」に入ると、肩の力が抜けたのか筆の運びが変わってくる。第II部に至っては、ブラウンの世界史の講義を受けているような気がしてくる。そこに奴隷制や人種主義についての記述を端的に織りこむ手さばきは、米国の公民権運動史をもう一つのライフワークとしてきたブラウンならではのものだろう。

 それでは第I部と第II部を通読して見えてくるものは何であろうか。これは本書全体の意義に関わる話である。ブラウンが強調するように、私たちの世界と私たち自身を理解するためには文字記録のない歴史にも目を向ける必要があると言うならば、文字記録のない歴史(第I部)を見ることで文字記録のある歴史(第II部)に対する見方が変わらなければならない。それがないならば、両者を通観する必要はなく、畢竟、ビッグヒストリーなぞあってもなくても同じということになるからだ。

 これに対する著者の応答は、文字通りには「地球の物語とそこに住まう人間の物語を結合してみたときに私が見出したのは、人々が子孫を増やし続けようとして取る行動は、地球の環境とその生命体を深刻な危機に晒してきたということだった」(iii頁)ということになろう。とはいえ、ここで指摘されていること自体は、人間の歴史のみに着目した場合にも気づきうることであり、人間以前の歴史を持ち出す必然性や説得性に欠ける。

 よって評者としてはむしろ「地球はそこに生息するいかなる生命に対しても、長期的かつ永続的な条件を提供してはいない」(32頁)という地球生命史の現実を踏まえると、「地球が私たちに服従を強いる前に、この惑星と和睦する」(367頁)ことが不可欠なのだという点こそが、人間以前の歴史なくしては至れない認識であると指摘したい。

4. 〈環境と宗教の変化の連動〉は類書にない特徴

 次に、以上の背景と概要を踏まえた上で、本書の特徴を考えたい。結論から述べると、既訳の類書にはない本書の真の特徴は、「人間の歴史以降について、政治や経済、環境等に関する〝外形〟的な記載が中心で、思想や観念、宗教や世界観等の変化や革新についての論述がうすい」というビッグヒストリーへの不満(広井2021: 128)に応える内容を含んでいる点にある。というのも、本書は環境の変化に伴う意識や信仰の変化に随所で言及しているからである。評者にとってはそれが一番読んで面白い部分であった。

 例えば、地球は1万7000年ほど前から1万年前にかけて温暖化し、地表を覆っていた多くの氷河が解け、海水面が140メートルも上昇した。これに伴い、世界各地で海岸線と陸橋の水没が起こった。大規模な洪水は8000年前ごろまで続いた。人間の祖先は何千年もの間、洪水を経験し、それが数多の洪水神話に刻まれているというのである(92–94頁)。

 ブラウンは人間の主たる生業が狩猟採集から農耕畜産に移行すると、意識や信仰のあり方も変わったと言う。狩猟採集民は巨大な捕食獣に囲まれて生きており、その生活は不安定で恐ろしいものであった。そのような状況下では野生動物を鎮めることに焦点が置かれたが、農耕に移居する生活では生命そのものの源に敬意を表し、その助けを願うことに焦点が移った。精霊を崇めるアニミスティックな信仰から豊穣の地母神を崇めるような信仰への移行である。同時に人々は森林の伐採や野獣の家畜化について相反する感情を抱き、これで良かったのかと自らを疑うようにもなった。ギルガメシュ叙事詩やアダムとイヴの失楽園の物語には、そうした葛藤や嘆きが残響している(88、124、129–130、180頁)。

  ブラウンの筆はさらに「枢軸時代」と言われる時期の変化に説き及ぶ。人々が小さな農村を離れ、人口の集中する都市で暮らすようになると、新たな種類の宗教が現れた。都市はその繁栄期にあっても不安定で不公正であった。また都市の暮らしはそれ以前に住んでいた村の慣習に反する面があった。選民であっても、都市の暮らしに同化するのか、元いた村の慣習を守るのかという選択を迫られた。都市の中では満ち足りた生活をかなえることが難しいと悟った人々にとって、来世や天国など現世を超越した救済を約束する新たな宗教が慰めであった。何らかの宗教共同体に属することは、村での暮らしの特徴であった相互扶助の機会を人々に取り戻させた。世界各地で進んだ都市化は、それを補完する救済型宗教の普及と結びついていたのである(180–181、210頁)。

 本書では他の箇所でも宗教にふれているが、個人的に一番面白く、本書の読みどころと感じた部分は以上である。

 ちなみに当初、ビッグヒストリーの著作の多くにおいて、思想や宗教の扱いが薄かったのは、学問上の理由というよりは、今なおインテリジェント・デザイン論などが影響力を持つ米国にあって、新興のビッグヒストリーが知識人からの信頼を得るには、「科学の仮面をかぶった宗教」、すなわち疑似科学との印象を持たれないようにすることが先決であり、そのためには思想や宗教を強調しないほうが無難であるという政治的・戦略的判断が影響したと評者は聞き及んでいる。

 もちろん、事はそう簡単でなく、ビッグヒストリーの通史の多くが物質の組み合わせによる複合・複雑化や生物の身体的進化には注目しても、意識や精神となるとほぼ人間の話に終始し、生命史全体における知覚や意識、知性の進化には無関心になりがちな点を思うと、これは方法論的物質主義と人間中心主義の問題でもある。

5. 本書の学説史上の意義

 最後に、評者の研究関心の一つであるビッグヒストリーという分野の歴史ならびにその学説史の上から、本書の意義を二点挙げて終わりたい。

 一つは、ビッグヒストリーという名称は1991年にクリスチャン(Christian 1991)が『ジャーナル・オブ・ワールドヒストリー』誌上で提唱して以降、広まったものであるが、ビッグヒストリーの取り組みやそれに類するものは、それ以前にも以後にも世界各地に存在した。それらを掘り起こし、22世紀以降へ向けビッグヒストリーの思想史を再構築することが評者の研究課題の一つである。

 その点から見ると、本書ではビッグヒストリーの先駆者およびその業績として、マリア・モンテッソーリのコスミック教育(その中心となる著作は『人間の可能性を伸ばすために』として邦訳されている)、クライブ・ポンティング『緑の世界史』、ラリー・ゴニック『マンガ版 地球の歴史』(原題は本書にある通り『マンガ宇宙の歴史』)、エリック・シュルマン『時間の簡潔な歴史』(未邦訳)と複数のものが挙げられている点が参考になるし、シュルマンの著作以外は日本語でも読める。翻訳大国にいるありがたみを感じる次第である。

 もう一つは、一般に「産業革命」と呼ばれる変化を、ビッグヒストリーの中にどう位置づけ理解するかをめぐり、クリスチャンとブラウンの間には実に面白い対照と交錯が見られるが、そのことが本書によって日本の読者にも見えやすくなったということである。冒頭で言及した初期・中期・晩期の順に説明しよう。

 1)初期の段階では、クリスチャンもブラウンも「複雑さ増大の敷居」という時代区分を用いていなかった。

 クリスチャンは、『時間の地図』(未邦訳)において、西欧では18世紀から19世紀前半に近代に至る敷居がまたがれたとし、それを経済・政治・文化が三位一体をなす革命と捉えた(Christian 2004: 437–438)。「私たちはこの変容の真っ只中にいるため、その特徴を客観明朗に見てとることは難しい。ゆえに、それを記述するのに『近代革命』(Modern Revolution)という曖昧な呼び名でよしとしたい」(Ibid.: 335、評者訳)とクリスチャンは書いている。彼にとって産業革命はこのより大きな革命の経済面のみを指す語であり、政治面ではフランス革命が、文化面では科学的態度の普及がその変化を代表するものであった(Ibid.: 437–438)。

 他方ブラウン(本書第12章)によれば、1750年頃にイングランドで始まった、化石燃料、工場制度、製造経済への転換は、ヨーロッパ社会単独ではなくアフロ・ユーラシアと両アメリカの交流がもたらした地球規模の現象であり、それには前段としてアフロ・ユーラシアが統合され、次いで東西の半球が互いに結びつくことが必要であった。ゆえに、このように長い緩やかな変化を指すには「産業革命」よりも「工業化」(industrialization)という言い方が相応しいと言う。

 両者を比べると、ブラウンは工業化を通常より長い時間軸の中に位置づけ、クリスチャンはそれをより広範な社会の変化の中に位置づけたと言える。

 2)中期はクリスチャンとブラウンがベンジャミンを含め合同で大学生向け教科書『ビッグヒストリー』を作った時期である。ここで大事な前提は、クリスチャンがその前に「複雑さ増大の敷居」という時代区分を導入し、本書の改版時にはそれに従わなかったブラウンも、それを受け入れ、三人の共著がこの時代区分に沿って書かれたということである。

 それでも、この教科書は章ごとに起草者が異なるため、よく読むと、起草者によるスタンスの違いが整合されないまま残っている(注)。

 この共著において、共通暦1000〜1700年を扱う第10章はクリスチャンが起草したものであるが、同章を読むと「第8の敷居のことは、あえて曖昧に近代革命と呼ぶことにする」(Christian, Brown & Benjamin 2013: 216=2016: 254、評者改訳)とあり、近代に至る変化を政治面・文化面も含めて多元的に捉えるスタンスは「敷居」導入後も保たれていることがわかる。

 これに続いて共通暦1700〜1900年を扱う第11章は、ブラウンが起草したものであり、そこでは「産業革命を第8の敷居と見なす根拠は、それが人間社会に引き起こした急速な変革にある。〔…〕この変革の基底にあるのは石炭と石油の燃焼である」と書かれている。敷居8の指すものがクリスチャンとブラウンで違うわけである。その上で、産業革命の本質を「製造・輸送・通信において、人力・畜力に代わり、化石燃料を系統立てて利用するようになったことを受けて起きた様々な変化」のことであるとブラウンが喝破し定義しているのは興味深い(Ibid.: 244=288、評者改訳)。

 ここには敷居8をあくまで政治・経済・文化の三重革命と捉えるクリスチャンと、そのうちの経済(産業革命)に焦点をしぼるブラウンとの違いが見て取れる。

 3)晩期はクリスチャンとブラウンが共に「複雑さ増大の敷居」の時代区分に則って自身の通史を書き改め、世に問うた時期であるが、ここまでに述べた違いと変遷を踏まえると俄然面白くなる。

 ブラウンは、遺著『ビッグバンからあなたまで』(原書2016年)において、敷居8を論じる際に工業化に焦点をしぼる立場は変わらないものの、同書第1章で敷居7を「農業の出現(有機エネルギー)」、敷居8を「工業化の出現(化石燃料エネルギー)」とし(Brown 2016: 12 =2024: 42、評者改訳)、同書第9章で農業を、同書第10章で工業化を論じる際に明らかにエネルギーを軸足に置いている。

 その上で、敷居8を論ずる第10章を「地球一体化 敷居8(1500–2000年)」と題し、本書『ビッグ・ヒストリー』においても人間史を描く際の軸であった地球一体化(globalization)を
 ステップ1 世界システム
 ステップ2 産業革命
 ステップ3 20世紀
の三段階に分け、工業化つまり産業革命をその中間段階に位置づけ直している(Brown 2016: Chaps. 9–10=2024: 第9–10章)。原点に立ち返り自身の史観を刷新したとも言えるだろう。翌2017年に彼女は世を去った。

 残されたクリスチャンは、ブラウンに感化されたのか、近著『オリジン・ストーリー』(原書2018年)において、敷居8を経済面(産業革命)に特化して捉える彼女の路線をさらに突き進め、そのエネルギー源たる化石燃料に着目してそれを「化石燃料革命」(fossil-fuels revolution)と呼ぶようになる。近代革命という大づかみながらも総体的な概念を捨て、エネルギー重視の立場を鮮明にしたわけである(Christian 2018: Chapter 10=2019: 第10章)。

 ところがそれが、なんでもエネルギーの流れに還元し、それをどう汲み出し管理するかが社会や統治のあり方を規定するならば、政治の役割や人間の主体性はどこに見出せるのかという批判(Hesketh 2021)を招くことになる。

 クリスチャンとブラウンは初期においてはそれぞれ比較的独立にビッグヒストリーを論じた。二人が協働する中期に入ると、ブラウンはクリスチャンの「複雑さ増大の敷居」を受容するとともに、その8番目の敷居を論じるに当たって経済面を重視し、晩期にはその根底にあるエネルギーに叙述の軸を置いた。ブラウンの中期から晩期にかけての変化を(当人の意識は別として)一番受け継いでいるのはクリスチャンである。こうした相互の影響も、本書を踏まえてこそ見えてくることなのである。

むすびに

 以上で明らかな通り、既存の訳書に本書が加わることで、それらの読み解き方は幾重にも広がり深まりうる。類書と読み比べながら味読されることをおすすめする。

 なお、カリフォルニア・ドミニカン大学の新入生向け必修科目がビッグヒストリーとは違う内容に変わってしまって久しいが、同大でビッグヒストリーを教えたい教員向けに行った夏季講習(summer institute)に参加した、フィリピンのホーリー・エンジェル大学(Holy Angel University)の同僚たちによって、ビッグヒストリー教育の火は受け継がれている。ホーリー・エンジェル大では毎年数千名の全新入生にビッグヒストリーの履修が義務づけられており、同大の受講生は今や、世界でビッグヒストリーを学ぶ大学生の一番大きな割合を占めている(Tsujimura 2025)。ブラウンが灯した火は今なお燃えつづけているのである。

 教科書『ビッグヒストリー』(邦訳は明石書店)の各章の起草者については、著者の一人であるクリスチャン教授にご教示いただいた。ここに記して感謝するとともに、後学のため共有する。
 序章:クリスチャン
 第1章:クリスチャン
 第2章:ベンジャミン
 第3章:ブラウン
 第4章:ブラウン、クリスチャン、ベンジャミン
 第5章:ベンジャミン
 第6章:ブラウン
 第7章:クリスチャン、ベンジャミン
 第8章:ベンジャミン
 第9章:ブラウン、クリスチャン
 第10章:クリスチャン
 第11章:ブラウン
 第12章:クリスチャン
 第13章:ブラウン、クリスチャン

参考文献

Big History Project: 現在のサイト(https://www.oerproject.com/Big-History)と教材は2026年7月28日に利用不可となり、同日以降は新しいサイト(https://www.oerproject.com/Big-History-Project)と教材に移行する。

Cynthia Stokes Brown Collection on the previous Dominican University of California website: https://scholar.dominican.edu/cynthia-stokes-brown-collection/ [カリフォルニア・ドミニカン大学の公式サイトは新ウェブサイト(https://www.dominican.edu/)に移行しており、旧サイト上にアーカイブされているブラウンのオンライン文庫はいずれ無くなるおそれがある。見られるうちに魚拓をとるなど保管をおすすめしたい。]

Brown, Cynthia Stokes (2016) Big History, Small World: From the Big Bang to You, Great Barrington, Massachusetts: Berkshire. [本には2017年出版と印字されているが、実際に出版されたのは2016年6月である。証拠として同年7月に刊行された国際ビッグヒストリー学会の会報Origins, Vol. VI, No. 7, p. 11 (https://cdn.wildapricot.com/56234/resources/Documents/Origins/Origins_VI_07.pdf)を参照のこと。]ブラウン、シンシア・ストークス (2024)『ビッグバンからあなたまで――若い読者に贈る138億年史』片山博文、市川賢司訳、亜紀書房。

Chaisson, Eric (2001) Cosmic Evolution: The Rise of Complexity in Nature, Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press.

Christian, David (1991) “The Case for ‘Big History’,” Journal of World History 2 (2): 223–238.

Christian, David (2004) Maps of Time: An Introduction to Big History, 1st edition, Berkeley and Los Angeles, California: University of California Press [2nd ed., 2011].

Christian, David (2008) Big History: The Big Bang, Life on Earth, and the Rise of Humanity, 8 DVDs, The Great Courses, Chantilly: The Teaching Company.

Christian, David (2018) Origin Story: A Big History of Everything, London: Allen Lane. クリスチャン、デイヴィッド (2019)『オリジン・ストーリー 138億年全史』柴田裕之訳、筑摩書房。

Christian, David, Cynthia Stokes Brown and Craig Benjamin (2013) Big History: Between Nothing and Everything, New York: McGraw Hill. [本には2014年出版と印字されているが、実際に出版されたのは2013年8月である。証拠として同年9月に刊行された国際ビッグヒストリー学会の会報IBHA Members’ Newsletter(後にOriginsに改称), Vol. III, No. 8, pp. 2–3 (https://bighistory.org/Origins/Origins_III_08.pdf)を参照のこと。] クリスチャン、デヴィッド、シンシア・ストークス・ブラウン、クレイグ・ベンジャミン (2016) 『ビッグヒストリー――われわれはどこから来て、どこへ行くのか 宇宙開闢から138億年の「人間」史』長沼毅日本語版監修、石井克弥、竹田純子、中川泉訳、明石書店。

ゴニック、ラリー (1993)『マンガ版 地球の歴史――ビッグバンからアレキサンダー大王まで』武者圭子訳、心交社。

Hesketh, Ian (2021, December 16) “What Big History misses,” Aeonhttps://aeon.co/essays/we-should-be-wary-about-what-big-history-overlooks-in-its-myth

広井良典 (2021)『無と意識の人類史―私たちはどこに向かうのか』東洋経済新報社。

モンテッソーリ、マリア (2018)『人間の可能性を伸ばすために―実りの年6歳〜12歳』新版、田中正浩訳、青土社。

Novak, Philip (2015) “Big History at Dominican” in Richards B. Simon, Mojgan Behmand, and Thomas Burke eds., Teaching Big History, Oakland, California: University of California Press: 311–317.

ポンティング、クライブ (1994)『緑の世界史』上下、石弘之、京都大学環境史研究会訳、朝日新聞社。

Tsujimura, Nobuo (2025, November) “A Torch is Passed: In Remembrance of Ma. Rubeth Ronquillo-Hipolito,” ABHA Newsletter2, Asian Big History Association.

(「世界史の眼」No.76)

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「世界史の眼」No.75(2026年6月)

今号では、小谷汪之さんに、随時連載中の「蓼科の近代史」から、「蓼科の近代史 Ⅱ(上)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち」をお寄せ頂きました。また、東京外国語大学の小野寺拓也さんに、昨年白水社から刊行された、マイケル・マン(横田正顕監訳)『ファシストたちの肖像―社会的〈力〉と近代の危機』を書評して頂いています。さらに、米山宏史さんに、本年刊行された、茨木智志『戦後教育改革期における高校社会科「世界史」の成立過程に関する研究』(風間書房)の書評をお寄せ頂きました。また、藤田進さんには、「世界史寸評」として、イラン戦争へのアラブ世界の見方を伝える「米・イスラエルが仕掛けたイラン戦争についてのアラブの論評(2026年3月23日 Palestine Chronicle編集長ラムジー・バルード)」の翻訳をお寄せ頂いています。

小谷汪之
蓼科の近代史 Ⅱ(上)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち

小野寺拓也
マイケル・マン、横田正顕監訳『ファシストたちの肖像―社会的〈力〉と近代の危機』白水社、2025年。

米山宏史
書評:茨木智志『戦後教育改革期における高校社会科「世界史」の成立過程に関する研究』(風間書房、2026年3月)

藤田進 訳
世界史寸評 米・イスラエルが仕掛けたイラン戦争についてのアラブの論評(2026年3月23日 Palestine Chronicle編集長ラムジー・バルード)

マイケル・マン(横田正顕監訳)『ファシストたちの肖像―社会的〈力〉と近代の危機』(白水社、2025年)の出版社による紹介ページはこちらです。また、茨木智志『戦後教育改革期における高校社会科「世界史」の成立過程に関する研究』(風間書房、2026年)の出版社による紹介ページはこちらです。

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蓼科の近代史 Ⅱ(上)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち
小谷汪之

はじめに
1 諏訪鉄山の鉱床と鉱区
(以上、本号)

2 諏訪鉄山で働いていた人びと
おわりに
(以上、次号)

はじめに

 戦前から戦後初めにかけて、長野県諏訪郡北山村(現、茅野市大字北山)には諏訪鉄山(諏訪鉱山)と総称される鉄鉱石採掘場が広く存在した。そこで産出された褐鉄鉱は茅野駅から専用貨車で中央線・横浜線を経由して、川崎の日本鋼管株式会社の製鉄所に直送されていた。『日本鋼管株式會社六十年史』(1972年、150頁)には、次のように書かれている。

 鉄鉱石については、鉱石自給の線に沿って可能なかぎり鉱山の開発を行った。そのおもな鉱山は、国内では諏訪鉱山、上岡鉱山[福島県富岡町]、中国では山東省金嶺鎮鉱山、江蘇省利国鉱山などであり、東南アジアではタマンガン鉄鉱山があった。

 諏訪鉄山(諏訪鉱山)は日本鋼管にとって国内の最も重要な鉄鉱山だったのである(伊藤岩廣編『平和を今こそ―諏訪鉄山と捕虜収容所ものがたり』長野日報社、2009年、26~27頁)。

諏訪鉄山の褐鉄鉱(長尾根鉱床跡)

出典:伊藤編『平和を今こそ』所載の写真版

 諏訪鉄山の褐鉄鉱は「鉄バクテリアや緑そう類もその生成に関係していると考えられる一種のしょう鉄鉱てっこうで、鉄分に富む温泉あるいは池水より[鉄分が]沈殿し、層状の地表鉱床をつくっている」(『茅野市史 別巻 自然』1986年、85頁)。しかし、鉄の含有率はあまり高くなく、「基準品位Fe四五%を確保することはむずかしかった」(諏訪教育会編『諏訪の近現代史』1986年、612頁。Feは鉄の元素記号)。そのため、基準品位まで鉄の含有率を上げるには、焼結炉でコークスと混ぜて高温で焼結することが必要であった(同上)。第二次世界大戦、特に太平洋戦争が始まると、日本は鉄鉱石や屑鉄の輸入が困難となったために、このような低品位の国内鉄資源に頼らざるをえなくなったのである。

 本稿では、この諏訪鉄山に焦点を当てて、その歴史とともに、そこで働いていた人々の姿を追ってみたいと思う。その中には、「徴用」された朝鮮人約200人やアメリカ、イギリス、オランダなど連合国軍の俘虜たち約250人も含まれていた。

1 諏訪鉄山の鉱床と鉱区

(1)金堀場鉱床

 諏訪鉄山は現在の茅野市大字北山の諸地域に広がる鉱床・鉱区の総称で、いずれも標高1,000メートルを越える高地にあった(以下の記述は「八ヶ岳総合博物館企画展 諏訪鉄山」茅野市八ヶ岳総合博物館『紀要』第18号所載、その他に拠る。各鉱床・鉱区の位置については付図「諏訪鉄山全体図」参照)。

 諏訪鉄山で最初に採掘が始まったのはかな堀場ほりば鉱床であった。現在、国道299号を走るアルピコ交通バスの麦草峠線(中央線茅野駅―麦草峠間)で茅野駅から麦草峠方面に向かい、茅野市大字北山の糸萱集落から糸萱大橋を渡って緩やかな上り坂を数百メートルほどいったところに「鉄山入口」というバス停がある。このバス停の西側、北にかけての一帯が金堀場鉱床であった。

 1937年、日本鋼管は諏訪鉄山の採鉱のために、諏訪鉱業所を設立した。同年、関東運輸株式会社の高野太治郎が日本鋼管・諏訪鉱業所の下請けとなって、金堀場鉱床で褐鉄鉱の採掘を開始した。金堀場鉱床の土地は外山とやま財産区(当時の北山村芹ヶ沢区・糸萱区と湖東村金山区・新井区・山口区・中村区・上菅沢区、合計7区の共有財産区)の所有地であった(『茅野市史 下巻 近現代・民俗』1988年、523,692頁)。財産区というのは、1889年(明治22年)の市制・町村制施行によって、それ以前に存在した村の多くが町村合併されて、町・村の下の区となったことに伴って作られた制度である。町村合併により、旧村(区)によって総有されていた入会地などの財産が町・村に移管されることに対して、旧村(区)の側から強い反発が起こった。財産区はそれに対応するために作られた制度で、これによって、旧村(区)の入会地が財産区の所有地として認められた(渡辺洋三「財産区の沿革と問題点」渡辺洋三編著『入会と財産区』勁草書房、1974年、所収。ただし、この時点では「財産区」という明確な呼称は使われていない)。財産区には、多数の区(旧村)の共有財産区とともに、一つの区(旧村)の単独財産区も設定された。外山財産区は7区の共有財産区であったが、この外山財産区の金堀場周辺の所有地が諏訪鉄山の採鉱のために「坪二円五〇銭くらいで買収され、当時の地価としては高価なものであった」(『諏訪の近現代史』610頁)。

 金堀場から糸萱集落までは石畳の道が敷設され、採掘された鉄鉱石はトラックで糸萱経由茅野駅まで運び出された。

 金堀場には、採掘事務所や診療所などが置かれ、諏訪鉄山の初期の中心であった。しかし、鉄鉱石埋蔵量が残り少なくなったため、1942年1月、諏訪鉄山が日本鋼管の直接経営となった頃には、諏訪鉄山の中心は後述の石遊場いしやすばに移っていた。

(2)長尾根鉱床

 「鉄山入口」バス停から西側の谷あいに入り、金堀場鉱床を越えて北東に1キロメートルほど登った所の尾根筋が長尾根鉱床で、独立した鉱床としては諏訪鉄山の中で最も規模が大きかった。1940年頃から採掘が始まり、諏訪鉄山の一つの中心的な鉱床であったが、敗戦時にはほぼ堀尽くされていたとされる。

 金堀場鉱床と長尾根鉱床は隣接していたので、合わせて金堀場・長尾根鉱区(あるいは糸萱鉱区)と称された(付図「諏訪鉄山全体図」参照)。

(3)石遊場鉱区

 石遊場いしやすばは広範囲にわたる鉱床の総称で、1941年頃から本格的な採掘が始まった。石遊場の中心地は、10年ほど前まで別荘会社「蓼科ビレッジ」の管理事務所があった場所(現在はアルピコ交通バス・麦草峠線の緑山バス停付近)で、その周辺に広がる鉱床群が石遊場と総称された。それで、石遊場は石遊場鉱区と称された。

 石遊場には、日本鋼管の現地事務所、鉄含有率を上げるための焼結炉20基、焼結された鉄鉱石をトラックに積み込むための設備である「万石まんごく」などの諸施設が設置されていた。1942年には、採掘された鉄鉱石を運ぶ索道(4.6キロメートルの空中ケーブル)が石遊場と芹ケ沢地区の花蒔の間に架設され、1944年には同区間に第2索道も掛けられた。花蒔から茅野駅まではトラックで輸送されていたが、1944年9月には、茅野駅と花蒔駅を結ぶ鉄鉱石輸送専用の鉄道(鉄山鉄道と呼ばれた)が敷設された(付図「諏訪鉄山全体図」参照)。しかし、この頃からアメリカ軍による空襲が始まり、全国的に鉄道網が乱れたため、「鉄山鉄道」はあまり役に立たなかったとされている(伊藤編『平和を今こそ』90~91頁)。

(4)明治鉱区

 明治鉱区は諏訪湖にそそぐ上川かみがわの上流部である渋川に沿った標高1,500メートルほどの地域に散在する鉱床群からなる鉱区であった。鉱床は渋川右岸の渋川温泉と左岸の明治温泉を含む地域に広がっていた。明治鉱区の褐鉄鉱は硫黄や燐の含有率が低く、諏訪鉄山の中では比較的良質な鉄鉱石であった。1941年頃から本格的な採掘が始まり、1944年には、明治鉱区から石遊場までの索道(2.9キロメートルの空中ケーブル)が設置され、明治鉱区で採掘された鉄鉱石はこの索道によって石遊場まで運ばれた(付図「諏訪鉄山全体図」参照)。

(次号に続く)

(「世界史の眼」No.75)

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マイケル・マン、横田正顕監訳『ファシストたちの肖像―社会的〈力〉と近代の危機』白水社、2025年。
小野寺拓也

 近年のファシズム研究では、定義や類型化、段階分けといった議論は低調である。「ファシスト・インターナショナル」論の近年最大の成果と言ってよいヘディンガー『枢軸』では、以下のように指摘されている。

 「枢軸に共有された歴史を見れば、「ファシズムの必要条件」や段階モデルの適用が、ファシズムのグローバル・ヒストリーにとってあまり生産的でないことがわかる。というのも、このようなチェックリスト、必要条件、典型性といったものは、その大部分がヨーロッパ中心主義的なものだからである」(ダニエル・へディンガー、清水雅大監訳『枢軸―ベルリン・ローマ・東京 一九一九――一九四六年』白水社、2025年、415ページ)。

 ファシズムを理念的にモデルしようとする試みは、へディンガーが指摘するようにヨーロッパ中心主義的であるだけでなく、偶発性や歴史的経緯を軽視することにも繋がりかねない。ファシズムという現象は「極めて偶発的な組み合わせ」によってもたらされたものであり、「意図的に再現できるものではない」(同書424ページ)からだ。パスモア『ファシズムとは何か』(原著は2014年刊行)による次の指摘は、そうしたモデル化にたいする歴史研究者の警戒感を端的に表している。

 「ファシズムの研究者とほとんど同じ数だけファシズムの定義がある。そして、それらのいずれが正しいかについての合意はない、という点だけを指摘しておこう。私見によれば、定義からアプローチするのは、そもそもそれ自体に欠陥を内在させているのである」(ケヴィン・パスモア、福井憲彦訳『ファシズムとは何か』岩波書店、2016年、9ページ)。

 その欠陥とは、「現実の運動や体制が持っていた豊かさや多様性」を「定義による特徴に合わせ」(同書27ページ)てしまう点にほかならない。

 そのため近年の研究では、ファシズムの一般的な定義(あるいはファシズムのミニマム・モデル)を求めたうえで各国のファシズムがそこからどの程度変化、逸脱していたのかを論じるのではなく、ファシズムとも権威主義とも保守主義とも明確に定義しがたい流動的な状況の中で、それぞれの国々や運動が自らの国々の文脈へとファシズム的な動きをどのように「翻訳」し、異なる文脈に位置づけ、あるいは違う形で表現していったのかを明らかにすることが目指されている。

 評者もこうした近年の動向に基本的に賛成である。本書は2004年に刊行された本格的なファシズム研究であり、ヘディンガーからは二世代、パスモアからは一世代近く前の研究となるが、「戦間期ヨーロッパ全体を考える上で発見的な意義を持つ枠組みを探究しているのに過ぎない」のであって、「多くの時代や場所に適用できるような一般的な定義を最初から追求することはしない」(34ページ)のだと、定義に慎重な姿勢を見せている。とはいえ権威主義を、その度合いが高くなっていく順番に「準権威主義体制」「準反動的権威主義体制」「コーポラティズム体制」「ファシズム体制」の四段階に位置づけているように、モデル化・一般化という方向性が強いことは否めない。評者としては、こうした類型化は戦間期の複雑な事象を理解する助けになるというよりは、その急進性を序列化することで「ナチ体制に比べれば穏健」といったようなかたちで、あまり建設的とは言えない予断を生む可能性が高いと考える。たとえば本書でも、日本についてわずかに言及はあるものの、日本は「下からの大衆運動も、準軍事組織も欠いていた」(64ページ)のであり、1931年以降の日本はファシズムの要素を含んでいるものの「コーポラティズム体制」であったと分類される。しかしこれでは、ドイツやイタリアから何を学習し(あるいは逆にドイツやイタリアが日本から何を学び)どのように急進化していったのかという視点は抜け落ちてしまう。

 ただしそれでも、理論化を過度に忌避することにも問題はある。評者がそう強く感じたのは、歴史教育の文脈においてである。周知のように高等学校では2022年度から「歴史総合」、2023年度から「日本史探究」「世界史探究」が始まっている。これらの科目の軸の一つに、「世界史と日本史を概念でつなぐ」という点がある。「近代化」「大衆化」「グローバル化」という三つの大きな概念、「工業化」「産業革命」「市民革命」といったさまざまな小さな概念を通じて、世界のさまざまな出来事を繋いでいくことが求められているのである。当然「ファシズム」もそうした小さな概念の一つになるが、いくらその定義が困難だからといって、また定義によって現実の多様性が見えなくなるからといって、教科書でミニマムな定義を示さないわけにはいかない。まずは歴史的事象を整理した上で定義は最後に行うという思考方法は、歴史研究者にとってはなじみのあるやり方かもしれない。しかし高校生が歴史事象を大づかみに理解する(あるいは高校教員がおおまかな全体像を示す)うえで、一定の定義は避けられないだろう。

 さらに「ファシズム」概念には、近年の新興右派や右派ポピュリズムなど、明らかに「ファシズム」と本質的な特徴を少なからず共有している現象をどのように理解するかという、「現代的な諸課題」もついてまわる。「ファシズム」という概念は戦間期に限定して使用すべきだというのが評者の立場であり、山口定が『ファシズム』で提唱した以下の「原則」はいまなお有効だと考えている。

 「『ファシズム』概念を現代史の分析や教科書の記述の中から追放しようとする動きには徹底してあらがうこと,しかし,いわゆる現状分析の一環としては,『ファシズム』概念はできるだけ使用しないように慎重に振る舞うこと,つまり,相手に対する批判と告発の中で『ファシズム』や『ファシスト』というレッテル貼りを行いたくなったときには,その言葉で言おうとした内容そのものをできるだけパラフレーズして表現すること」(山口定『ファシズム』岩波書店、2006年、ⅳページ)。

 だがそれでも、現代との相違点・共通点を考える上で、この概念を避けるわけにはいかない。そうした意味で、「ファシズムとは何か」という議論にはいまなお社会的重要性があり、それと取り組む上で本書には大きな意味があるだろう。

 本書ではファシズム運動と体制を、「極端なナショナリズム、権威主義的国家主義、階級闘争の超越の主張、政治・民族・宗教などあらゆる敵の浄化〔殲滅〕」、そして「直接行動の名の下の暴力」という五つの主要なイデオロギー的要素の結合という観点から定義する。多くの点で、現代の右派ポピュリズムと共通点を有することがここからも理解できるが、しかし相違点としてとくに重視せざるを得ないのが、五番目の「暴力」の問題だろう。ファシスト党の「黒シャツ隊」やナチ党の「突撃隊」のような政党所属の準軍事組織が路上でデモや行進、乱闘を行うというのは現代では考えにくく、「現代にファシズムが復活することはない」という主張の有力な根拠となっている。

 本書では、準軍事組織による活動の目的が三点挙げられている。まず、政敵を挑発して相手から暴力的反応を引き出すことを目的としており、そのことによって自らの暴力を「自衛」であると宣言すること。第二に、街頭で政敵を鎮圧することで、自分たちは「秩序」をもたらしているのであり「規律正しい暴力」なのだと主張すること。第三に、最後の手段としてクーデターを起こせるという選択肢を持つこと。このような準軍事組織の戦闘性や、それがもたらす同志的連帯感が、とくに若者を多く惹きつけた。本書で指摘されるように、ファシストの運動は伝統右派とは違って「ボトムアップ型」であり、自らを「人民の」運動と考えていた。権力の座につくうえで選挙を重視しており、その意味で大衆民主主義を基盤とする運動だった。こうした「草の根の暴力」は、大衆民主主義と相性が良かったのである。

 そう考えると、現代社会では路上での政治暴力にかわって、インターネットやSNS上での言葉の暴力が似たような役割を果たしていると考えることもできる。第三の点についても、2021年のアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件を考えれば、決して無縁とは言えないだろう。他方で、第一次世界大戦という経験がなければ、暴力があれほど広範囲に共有されることも、ファシズムが急速に支持を集めることもなかっただろう。また、階級対立の激しさや、「赤の脅威」に対する「明らかな偏執狂」(145ページ)、容赦ない暴力行使などは、工業社会で労働者が社会の多数派を占めていたからこその状況であって、ポスト工業社会の現在とは質的に異なる。

 「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む」というマーク・トウェインの言葉にもあるように、つねに歴史にはこうした連続性と断絶という層が多面的に顔をのぞかせる。ファシズムが現代によみがえる可能性はあるのか。そのままのかたちではないとしても、別のかたちで登場する可能性はないのか。

 この点について、著者はやや楽観的である。「右派ポピュリズムは、移民の生活を不快にすることはあっても、ファシズムその他の包括的イデオロギーを生み出す可能性は低い。これらの急進右翼政党は憂慮すべき存在かもしれないが、ヨーロッパの「システム政党」がマクロ環境の変化に適応しながら市民の要求に応え続ける限り、ヨーロッパのファシズムは打ち負かされ、死に絶え、埋葬されたままである」(579-580ページ)。だが、現在のヨーロッパの政治状況は楽観を許さない。フランスでは、2027年の大統領選挙で、国民連合の候補が決選投票でも勝利する可能性が高いと報じられている。イギリスでは、2026年の地方選挙でリフォームUKが第1党に躍進を遂げた。ドイツでは、AfD(ドイツのための選択肢)が支持率で第1位になるばかりでなく、9月に行われるザクセン=アンハルト州議会選挙では単独政権の可能性すら囁かれている。議会に入り込みながら議会制度そのものを廃止し、基本法を形骸化し、「外国人のいない国」を実現したいという主張がAfDの政治家によって公然となされているにもかかわらず、支持率が低下する兆しはまったく見えない(Philipp Ruch, Es ist 5 vor 1933. Was AfD vorhat und wie wir sie stoppen, München, 2024)。既存政党が市民の要求に応えられていないという失望感が、あまりにも大きいのである。もちろん、日本の政治状況も他人事ではない。

 本書が投げかける「ファシズムとは何か」「ファシズムを支えたのは誰か」という問いは、著者が想定する以上に現代的な緊張をはらんでいる。刊行から20年以上が経った現在、著者が示す楽観は素直には受け入れがたい。もちろん、本書が詳述するように、第一次世界大戦の経験や階級対立の激しさ、準軍事組織による路上の暴力といった諸条件が今日そのまま再現されることはないだろう。そして、「ファシスト」という言葉が「もっぱら自分が嫌いな人々に浴びせかける不正確な罵倒語」(572ページ)に成り下がらないためにも、「ファシズム」という言葉を、現代の問題に安易に持ち込むことにも慎重でなければならない。その一方で、歴史が踏む「韻」の部分は見極める必要がある。戦間期とは違うかたちで、しかし類似の構造をもつ問題が生じる可能性があるからだ。「ファシズム」という概念を厳密に歴史的文脈に位置づけながら、同時に現代との連続性と断絶を問い続けること—その困難な作業に取り組む上で、本書は今なお重要な出発点となりうる。

(「世界史の眼」No.75)

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