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「世界史の眼」No.75(2026年6月)

今号では、小谷汪之さんに、随時連載中の「蓼科の近代史」から、「蓼科の近代史 Ⅱ(上)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち」をお寄せ頂きました。また、東京外国語大学の小野寺拓也さんに、昨年白水社から刊行された、マイケル・マン(横田正顕監訳)『ファシストたちの肖像―社会的〈力〉と近代の危機』を書評して頂いています。さらに、米山宏史さんに、本年刊行された、茨木智志『戦後教育改革期における高校社会科「世界史」の成立過程に関する研究』(風間書房)の書評をお寄せ頂きました。また、藤田進さんには、「世界史寸評」として、イラン戦争へのアラブ世界の見方を伝える「米・イスラエルが仕掛けたイラン戦争についてのアラブの論評(2026年3月23日 Palestine Chronicle編集長ラムジー・バルード)」の翻訳をお寄せ頂いています。

小谷汪之
蓼科の近代史 Ⅱ(上)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち

小野寺拓也
マイケル・マン、横田正顕監訳『ファシストたちの肖像―社会的〈力〉と近代の危機』白水社、2025年。

米山宏史
書評:茨木智志『戦後教育改革期における高校社会科「世界史」の成立過程に関する研究』(風間書房、2026年3月)

藤田進 訳
世界史寸評 米・イスラエルが仕掛けたイラン戦争についてのアラブの論評(2026年3月23日 Palestine Chronicle編集長ラムジー・バルード)

マイケル・マン(横田正顕監訳)『ファシストたちの肖像―社会的〈力〉と近代の危機』(白水社、2025年)の出版社による紹介ページはこちらです。また、茨木智志『戦後教育改革期における高校社会科「世界史」の成立過程に関する研究』(風間書房、2026年)の出版社による紹介ページはこちらです。

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蓼科の近代史 Ⅱ(上)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち
小谷汪之

はじめに
1 諏訪鉄山の鉱床と鉱区
(以上、本号)

2 諏訪鉄山で働いていた人びと
おわりに
(以上、次号)

はじめに

 戦前から戦後初めにかけて、長野県諏訪郡北山村(現、茅野市大字北山)には諏訪鉄山(諏訪鉱山)と総称される鉄鉱石採掘場が広く存在した。そこで産出された褐鉄鉱は茅野駅から専用貨車で中央線・横浜線を経由して、川崎の日本鋼管株式会社の製鉄所に直送されていた。『日本鋼管株式會社六十年史』(1972年、150頁)には、次のように書かれている。

 鉄鉱石については、鉱石自給の線に沿って可能なかぎり鉱山の開発を行った。そのおもな鉱山は、国内では諏訪鉱山、上岡鉱山[福島県富岡町]、中国では山東省金嶺鎮鉱山、江蘇省利国鉱山などであり、東南アジアではタマンガン鉄鉱山があった。

 諏訪鉄山(諏訪鉱山)は日本鋼管にとって国内の最も重要な鉄鉱山だったのである(伊藤岩廣編『平和を今こそ―諏訪鉄山と捕虜収容所ものがたり』長野日報社、2009年、26~27頁)。

諏訪鉄山の褐鉄鉱(長尾根鉱床跡)

出典:伊藤編『平和を今こそ』所載の写真版

 諏訪鉄山の褐鉄鉱は「鉄バクテリアや緑そう類もその生成に関係していると考えられる一種のしょう鉄鉱てっこうで、鉄分に富む温泉あるいは池水より[鉄分が]沈殿し、層状の地表鉱床をつくっている」(『茅野市史 別巻 自然』1986年、85頁)。しかし、鉄の含有率はあまり高くなく、「基準品位Fe四五%を確保することはむずかしかった」(諏訪教育会編『諏訪の近現代史』1986年、612頁。Feは鉄の元素記号)。そのため、基準品位まで鉄の含有率を上げるには、焼結炉でコークスと混ぜて高温で焼結することが必要であった(同上)。第二次世界大戦、特に太平洋戦争が始まると、日本は鉄鉱石や屑鉄の輸入が困難となったために、このような低品位の国内鉄資源に頼らざるをえなくなったのである。

 本稿では、この諏訪鉄山に焦点を当てて、その歴史とともに、そこで働いていた人々の姿を追ってみたいと思う。その中には、「徴用」された朝鮮人約200人やアメリカ、イギリス、オランダなど連合国軍の俘虜たち約250人も含まれていた。

1 諏訪鉄山の鉱床と鉱区

(1)金堀場鉱床

 諏訪鉄山は現在の茅野市大字北山の諸地域に広がる鉱床・鉱区の総称で、いずれも標高1,000メートルを越える高地にあった(以下の記述は「八ヶ岳総合博物館企画展 諏訪鉄山」茅野市八ヶ岳総合博物館『紀要』第18号所載、その他に拠る。各鉱床・鉱区の位置については付図「諏訪鉄山全体図」参照)。

 諏訪鉄山で最初に採掘が始まったのはかな堀場ほりば鉱床であった。現在、国道299号を走るアルピコ交通バスの麦草峠線(中央線茅野駅―麦草峠間)で茅野駅から麦草峠方面に向かい、茅野市大字北山の糸萱集落から糸萱大橋を渡って緩やかな上り坂を数百メートルほどいったところに「鉄山入口」というバス停がある。このバス停の西側、北にかけての一帯が金堀場鉱床であった。

 1937年、日本鋼管は諏訪鉄山の採鉱のために、諏訪鉱業所を設立した。同年、関東運輸株式会社の高野太治郎が日本鋼管・諏訪鉱業所の下請けとなって、金堀場鉱床で褐鉄鉱の採掘を開始した。金堀場鉱床の土地は外山とやま財産区(当時の北山村芹ヶ沢区・糸萱区と湖東村金山区・新井区・山口区・中村区・上菅沢区、合計7区の共有財産区)の所有地であった(『茅野市史 下巻 近現代・民俗』1988年、523,692頁)。財産区というのは、1889年(明治22年)の市制・町村制施行によって、それ以前に存在した村の多くが町村合併されて、町・村の下の区となったことに伴って作られた制度である。町村合併により、旧村(区)によって総有されていた入会地などの財産が町・村に移管されることに対して、旧村(区)の側から強い反発が起こった。財産区はそれに対応するために作られた制度で、これによって、旧村(区)の入会地が財産区の所有地として認められた(渡辺洋三「財産区の沿革と問題点」渡辺洋三編著『入会と財産区』勁草書房、1974年、所収。ただし、この時点では「財産区」という明確な呼称は使われていない)。財産区には、多数の区(旧村)の共有財産区とともに、一つの区(旧村)の単独財産区も設定された。外山財産区は7区の共有財産区であったが、この外山財産区の金堀場周辺の所有地が諏訪鉄山の採鉱のために「坪二円五〇銭くらいで買収され、当時の地価としては高価なものであった」(『諏訪の近現代史』610頁)。

 金堀場から糸萱集落までは石畳の道が敷設され、採掘された鉄鉱石はトラックで糸萱経由茅野駅まで運び出された。

 金堀場には、採掘事務所や診療所などが置かれ、諏訪鉄山の初期の中心であった。しかし、鉄鉱石埋蔵量が残り少なくなったため、1942年1月、諏訪鉄山が日本鋼管の直接経営となった頃には、諏訪鉄山の中心は後述の石遊場いしやすばに移っていた。

(2)長尾根鉱床

 「鉄山入口」バス停から西側の谷あいに入り、金堀場鉱床を越えて北東に1キロメートルほど登った所の尾根筋が長尾根鉱床で、独立した鉱床としては諏訪鉄山の中で最も規模が大きかった。1940年頃から採掘が始まり、諏訪鉄山の一つの中心的な鉱床であったが、敗戦時にはほぼ堀尽くされていたとされる。

 金堀場鉱床と長尾根鉱床は隣接していたので、合わせて金堀場・長尾根鉱区(あるいは糸萱鉱区)と称された(付図「諏訪鉄山全体図」参照)。

(3)石遊場鉱区

 石遊場いしやすばは広範囲にわたる鉱床の総称で、1941年頃から本格的な採掘が始まった。石遊場の中心地は、10年ほど前まで別荘会社「蓼科ビレッジ」の管理事務所があった場所(現在はアルピコ交通バス・麦草峠線の緑山バス停付近)で、その周辺に広がる鉱床群が石遊場と総称された。それで、石遊場は石遊場鉱区と称された。

 石遊場には、日本鋼管の現地事務所、鉄含有率を上げるための焼結炉20基、焼結された鉄鉱石をトラックに積み込むための設備である「万石まんごく」などの諸施設が設置されていた。1942年には、採掘された鉄鉱石を運ぶ索道(4.6キロメートルの空中ケーブル)が石遊場と芹ケ沢地区の花蒔の間に架設され、1944年には同区間に第2索道も掛けられた。花蒔から茅野駅まではトラックで輸送されていたが、1944年9月には、茅野駅と花蒔駅を結ぶ鉄鉱石輸送専用の鉄道(鉄山鉄道と呼ばれた)が敷設された(付図「諏訪鉄山全体図」参照)。しかし、この頃からアメリカ軍による空襲が始まり、全国的に鉄道網が乱れたため、「鉄山鉄道」はあまり役に立たなかったとされている(伊藤編『平和を今こそ』90~91頁)。

(4)明治鉱区

 明治鉱区は諏訪湖にそそぐ上川かみがわの上流部である渋川に沿った標高1,500メートルほどの地域に散在する鉱床群からなる鉱区であった。鉱床は渋川右岸の渋川温泉と左岸の明治温泉を含む地域に広がっていた。明治鉱区の褐鉄鉱は硫黄や燐の含有率が低く、諏訪鉄山の中では比較的良質な鉄鉱石であった。1941年頃から本格的な採掘が始まり、1944年には、明治鉱区から石遊場までの索道(2.9キロメートルの空中ケーブル)が設置され、明治鉱区で採掘された鉄鉱石はこの索道によって石遊場まで運ばれた(付図「諏訪鉄山全体図」参照)。

(次号に続く)

(「世界史の眼」No.75)

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マイケル・マン、横田正顕監訳『ファシストたちの肖像―社会的〈力〉と近代の危機』白水社、2025年。
小野寺拓也

 近年のファシズム研究では、定義や類型化、段階分けといった議論は低調である。「ファシスト・インターナショナル」論の近年最大の成果と言ってよいヘディンガー『枢軸』では、以下のように指摘されている。

 「枢軸に共有された歴史を見れば、「ファシズムの必要条件」や段階モデルの適用が、ファシズムのグローバル・ヒストリーにとってあまり生産的でないことがわかる。というのも、このようなチェックリスト、必要条件、典型性といったものは、その大部分がヨーロッパ中心主義的なものだからである」(ダニエル・へディンガー、清水雅大監訳『枢軸―ベルリン・ローマ・東京 一九一九――一九四六年』白水社、2025年、415ページ)。

 ファシズムを理念的にモデルしようとする試みは、へディンガーが指摘するようにヨーロッパ中心主義的であるだけでなく、偶発性や歴史的経緯を軽視することにも繋がりかねない。ファシズムという現象は「極めて偶発的な組み合わせ」によってもたらされたものであり、「意図的に再現できるものではない」(同書424ページ)からだ。パスモア『ファシズムとは何か』(原著は2014年刊行)による次の指摘は、そうしたモデル化にたいする歴史研究者の警戒感を端的に表している。

 「ファシズムの研究者とほとんど同じ数だけファシズムの定義がある。そして、それらのいずれが正しいかについての合意はない、という点だけを指摘しておこう。私見によれば、定義からアプローチするのは、そもそもそれ自体に欠陥を内在させているのである」(ケヴィン・パスモア、福井憲彦訳『ファシズムとは何か』岩波書店、2016年、9ページ)。

 その欠陥とは、「現実の運動や体制が持っていた豊かさや多様性」を「定義による特徴に合わせ」(同書27ページ)てしまう点にほかならない。

 そのため近年の研究では、ファシズムの一般的な定義(あるいはファシズムのミニマム・モデル)を求めたうえで各国のファシズムがそこからどの程度変化、逸脱していたのかを論じるのではなく、ファシズムとも権威主義とも保守主義とも明確に定義しがたい流動的な状況の中で、それぞれの国々や運動が自らの国々の文脈へとファシズム的な動きをどのように「翻訳」し、異なる文脈に位置づけ、あるいは違う形で表現していったのかを明らかにすることが目指されている。

 評者もこうした近年の動向に基本的に賛成である。本書は2004年に刊行された本格的なファシズム研究であり、ヘディンガーからは二世代、パスモアからは一世代近く前の研究となるが、「戦間期ヨーロッパ全体を考える上で発見的な意義を持つ枠組みを探究しているのに過ぎない」のであって、「多くの時代や場所に適用できるような一般的な定義を最初から追求することはしない」(34ページ)のだと、定義に慎重な姿勢を見せている。とはいえ権威主義を、その度合いが高くなっていく順番に「準権威主義体制」「準反動的権威主義体制」「コーポラティズム体制」「ファシズム体制」の四段階に位置づけているように、モデル化・一般化という方向性が強いことは否めない。評者としては、こうした類型化は戦間期の複雑な事象を理解する助けになるというよりは、その急進性を序列化することで「ナチ体制に比べれば穏健」といったようなかたちで、あまり建設的とは言えない予断を生む可能性が高いと考える。たとえば本書でも、日本についてわずかに言及はあるものの、日本は「下からの大衆運動も、準軍事組織も欠いていた」(64ページ)のであり、1931年以降の日本はファシズムの要素を含んでいるものの「コーポラティズム体制」であったと分類される。しかしこれでは、ドイツやイタリアから何を学習し(あるいは逆にドイツやイタリアが日本から何を学び)どのように急進化していったのかという視点は抜け落ちてしまう。

 ただしそれでも、理論化を過度に忌避することにも問題はある。評者がそう強く感じたのは、歴史教育の文脈においてである。周知のように高等学校では2022年度から「歴史総合」、2023年度から「日本史探究」「世界史探究」が始まっている。これらの科目の軸の一つに、「世界史と日本史を概念でつなぐ」という点がある。「近代化」「大衆化」「グローバル化」という三つの大きな概念、「工業化」「産業革命」「市民革命」といったさまざまな小さな概念を通じて、世界のさまざまな出来事を繋いでいくことが求められているのである。当然「ファシズム」もそうした小さな概念の一つになるが、いくらその定義が困難だからといって、また定義によって現実の多様性が見えなくなるからといって、教科書でミニマムな定義を示さないわけにはいかない。まずは歴史的事象を整理した上で定義は最後に行うという思考方法は、歴史研究者にとってはなじみのあるやり方かもしれない。しかし高校生が歴史事象を大づかみに理解する(あるいは高校教員がおおまかな全体像を示す)うえで、一定の定義は避けられないだろう。

 さらに「ファシズム」概念には、近年の新興右派や右派ポピュリズムなど、明らかに「ファシズム」と本質的な特徴を少なからず共有している現象をどのように理解するかという、「現代的な諸課題」もついてまわる。「ファシズム」という概念は戦間期に限定して使用すべきだというのが評者の立場であり、山口定が『ファシズム』で提唱した以下の「原則」はいまなお有効だと考えている。

 「『ファシズム』概念を現代史の分析や教科書の記述の中から追放しようとする動きには徹底してあらがうこと,しかし,いわゆる現状分析の一環としては,『ファシズム』概念はできるだけ使用しないように慎重に振る舞うこと,つまり,相手に対する批判と告発の中で『ファシズム』や『ファシスト』というレッテル貼りを行いたくなったときには,その言葉で言おうとした内容そのものをできるだけパラフレーズして表現すること」(山口定『ファシズム』岩波書店、2006年、ⅳページ)。

 だがそれでも、現代との相違点・共通点を考える上で、この概念を避けるわけにはいかない。そうした意味で、「ファシズムとは何か」という議論にはいまなお社会的重要性があり、それと取り組む上で本書には大きな意味があるだろう。

 本書ではファシズム運動と体制を、「極端なナショナリズム、権威主義的国家主義、階級闘争の超越の主張、政治・民族・宗教などあらゆる敵の浄化〔殲滅〕」、そして「直接行動の名の下の暴力」という五つの主要なイデオロギー的要素の結合という観点から定義する。多くの点で、現代の右派ポピュリズムと共通点を有することがここからも理解できるが、しかし相違点としてとくに重視せざるを得ないのが、五番目の「暴力」の問題だろう。ファシスト党の「黒シャツ隊」やナチ党の「突撃隊」のような政党所属の準軍事組織が路上でデモや行進、乱闘を行うというのは現代では考えにくく、「現代にファシズムが復活することはない」という主張の有力な根拠となっている。

 本書では、準軍事組織による活動の目的が三点挙げられている。まず、政敵を挑発して相手から暴力的反応を引き出すことを目的としており、そのことによって自らの暴力を「自衛」であると宣言すること。第二に、街頭で政敵を鎮圧することで、自分たちは「秩序」をもたらしているのであり「規律正しい暴力」なのだと主張すること。第三に、最後の手段としてクーデターを起こせるという選択肢を持つこと。このような準軍事組織の戦闘性や、それがもたらす同志的連帯感が、とくに若者を多く惹きつけた。本書で指摘されるように、ファシストの運動は伝統右派とは違って「ボトムアップ型」であり、自らを「人民の」運動と考えていた。権力の座につくうえで選挙を重視しており、その意味で大衆民主主義を基盤とする運動だった。こうした「草の根の暴力」は、大衆民主主義と相性が良かったのである。

 そう考えると、現代社会では路上での政治暴力にかわって、インターネットやSNS上での言葉の暴力が似たような役割を果たしていると考えることもできる。第三の点についても、2021年のアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件を考えれば、決して無縁とは言えないだろう。他方で、第一次世界大戦という経験がなければ、暴力があれほど広範囲に共有されることも、ファシズムが急速に支持を集めることもなかっただろう。また、階級対立の激しさや、「赤の脅威」に対する「明らかな偏執狂」(145ページ)、容赦ない暴力行使などは、工業社会で労働者が社会の多数派を占めていたからこその状況であって、ポスト工業社会の現在とは質的に異なる。

 「歴史は同じようには繰り返さないが、韻を踏む」というマーク・トウェインの言葉にもあるように、つねに歴史にはこうした連続性と断絶という層が多面的に顔をのぞかせる。ファシズムが現代によみがえる可能性はあるのか。そのままのかたちではないとしても、別のかたちで登場する可能性はないのか。

 この点について、著者はやや楽観的である。「右派ポピュリズムは、移民の生活を不快にすることはあっても、ファシズムその他の包括的イデオロギーを生み出す可能性は低い。これらの急進右翼政党は憂慮すべき存在かもしれないが、ヨーロッパの「システム政党」がマクロ環境の変化に適応しながら市民の要求に応え続ける限り、ヨーロッパのファシズムは打ち負かされ、死に絶え、埋葬されたままである」(579-580ページ)。だが、現在のヨーロッパの政治状況は楽観を許さない。フランスでは、2027年の大統領選挙で、国民連合の候補が決選投票でも勝利する可能性が高いと報じられている。イギリスでは、2026年の地方選挙でリフォームUKが第1党に躍進を遂げた。ドイツでは、AfD(ドイツのための選択肢)が支持率で第1位になるばかりでなく、9月に行われるザクセン=アンハルト州議会選挙では単独政権の可能性すら囁かれている。議会に入り込みながら議会制度そのものを廃止し、基本法を形骸化し、「外国人のいない国」を実現したいという主張がAfDの政治家によって公然となされているにもかかわらず、支持率が低下する兆しはまったく見えない(Philipp Ruch, Es ist 5 vor 1933. Was AfD vorhat und wie wir sie stoppen, München, 2024)。既存政党が市民の要求に応えられていないという失望感が、あまりにも大きいのである。もちろん、日本の政治状況も他人事ではない。

 本書が投げかける「ファシズムとは何か」「ファシズムを支えたのは誰か」という問いは、著者が想定する以上に現代的な緊張をはらんでいる。刊行から20年以上が経った現在、著者が示す楽観は素直には受け入れがたい。もちろん、本書が詳述するように、第一次世界大戦の経験や階級対立の激しさ、準軍事組織による路上の暴力といった諸条件が今日そのまま再現されることはないだろう。そして、「ファシスト」という言葉が「もっぱら自分が嫌いな人々に浴びせかける不正確な罵倒語」(572ページ)に成り下がらないためにも、「ファシズム」という言葉を、現代の問題に安易に持ち込むことにも慎重でなければならない。その一方で、歴史が踏む「韻」の部分は見極める必要がある。戦間期とは違うかたちで、しかし類似の構造をもつ問題が生じる可能性があるからだ。「ファシズム」という概念を厳密に歴史的文脈に位置づけながら、同時に現代との連続性と断絶を問い続けること—その困難な作業に取り組む上で、本書は今なお重要な出発点となりうる。

(「世界史の眼」No.75)

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書評:茨木智志『戦後教育改革期における高校社会科「世界史」の成立過程に関する研究』(風間書房、2026年3月)
米山宏史

 今年2026年は、戦後の高等学校社会科「世界史」の実施(授業開始)から77年目を迎えている。「世界史」の設置に関しては、その経緯などに未知の要素が多く、不明な部分が少なくない。そうした現状に対して、茨木智志氏(上越教育大学教授)が修士論文以来の多年にわたる「世界史」の成立事情に関する研究成果を集大成し、表記の大著を上梓した。本書の概要を紹介し、その研究成果を共有したい。本書の構成は以下の通りである。

  序章「本研究の課題と方法」
第I部「敗戦以後の外国史教育における歴史科から社会科への転換」  
  第1章「敗戦による歴史科外国史教育の変容」
  第2章「歴史科外国史教育から社会科外国史教育への転換の試み」
第II部「教育行政による社会科「世界史」の設置と対応に見る外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第3章「高校社会科「世界史」科目の設置とその意義」
  第4章「教育行政による社会科世界史教育への対応」
  第5章「教育行政による「世界史」学習指導要領の作成とその内容」
第III部「歴史教師・歴史研究者による社会科「世界史」への対応に見る外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第6章「高校での「世界史」授業における外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第7章「「世界史」準教科書における外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第8章「「世界史」大学入学試験問題における外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第9章「成立過程から見た高校社会科「世界史」成立の意義」
  終章「本研究のまとめと意義」

 本書は436頁からなり、序章と9つの章、終章を置き、全体を3部で構成し、第9章で第Ⅰ部~第Ⅲ部のまとめを論じている。

 序章「本研究の課題と方法」では、研究目的として、戦後の教育改革で成立した新科目「世界史」を歴史科外国史教育(「東洋史」「西洋史」)から社会科「世界史」教育への転換過程に位置づけ、「世界史」の設置理由と成立過程、実践方法、その特徴と意義、達成事項と今後の課題を総合的かつ実証的に解明することを挙げている。次に、通史的な一部の研究や個別な研究が存在するものの、戦後教育改革期に「世界史」設置を位置づけた全体的な考察がなされていないという先行研究の実情をふまえ、「世界史」の成立過程を日本側の史資料と占領軍の史料を併用して探究するとしている。

 まず「世界史」成立の複雑な過程の概略を確認する(1戦前の外国史教育(「東洋史」「西洋史」)、2戦後の外国史教育(「東洋史」「西洋史」)、3新制高校発足(1948年4月)後の社会科外国史教育(「東洋史」「西洋史」)、4社会科「世界史」教育(1948年10月、設置の発表、1949年4月、実施・授業開始、1952年3月、「世界史」学習指導要領の発行、4月、検定教科書の使用開始)。本書は、上記の複雑な「世界史」成立過程を、実に多様な史料の分析や聞き取り調査などを駆使し、緻密で実証的な論証を積み重ねて明らかにしている。

 第I部「敗戦以後の外国史教育における歴史科から社会科への転換」は、2つの章で組み立てられている。

 第1章「敗戦による歴史科外国史教育の変容」では、1945年12月、占領軍の「修身」「日本歴史」「地理」停止指令がすでに1944年7月、米国国務省で決定されていたこと(「日本:軍政下における教育制度」)、逆に外国の歴史や文化を学ぶための外国史教育を推奨し、米国を模範となる外国、次に民主主義国として連合軍加盟諸国を挙げていたこと(1945年9月22日、「降伏後における米国の初期対日方針」)、それに対して、日本の文部省は1945年11月、「国史教育ノ方針(案)」を省議決定し、神話の扱い方の変更のみで皇国史観の脱却を求めなかったことなどを戦後初期の日米の歴史教育観の齟齬として紹介している。また、文部省とCIE(占領軍の民間情報教育局)教育課との協議で「教科用図書委員会」が設けられ、「教科用図書委員会」を通じての文部省主導の「教科書改訂」構想を進めたが、占領軍による教科書発行の許可という壁を打破できずに挫折した。他方で、この委員会のもとに位置づけられた「歴史科専門委員会」のみはいち早く組織されて、文部省による国史と外国史の暫定教科書作成の後ろ盾となり、「歴史科専門委員会」が国史と外国史の暫定教科書の作成に取り組んだ。国史は、文部省が神話の記載に固執しCIEとの合意が得られずに頓挫したが、外国史教科書は、東洋史・西洋史ともに「近世史」以後を全面的に書き直し『暫定中等歴史一・二』(一は東洋史、二は西洋史)として発行された(1946年)。こうして「東洋史」「西洋史」は戦後も存続を果たした。第1章は、戦後直後の混乱期における歴史教科書の作成をめぐる複雑な経緯を詳述している。

 第2章「歴史科外国史教育から社会科外国史教育への転換の試み」では、1946年6月から文部省内の教科課程改正委員会がCIE教育課と協議しながら新しい教科課程の検討を進め、初等・中等教育を貫く社会科の導入を主張するCIEと日本史の通史的系統学習を重視する文部省側の対立がおこり、9月に妥協が成立したこと(第7学年から10学年=中学1年~高校2年までは統合社会科を、第11~12学年=高校1~2年で「人文地理」「東洋史」「西洋史」「時事問題」を開設する)、文部省ではなく若手の歴史研究者が「東洋史」「西洋史」の学習指導要領と教科書を作成し、「東洋史」では従来の中国王朝史にインドや中央アジアを加え、西洋の文化の受容による東洋の近代化を明記し、「西洋史」では西洋文明と民主主義を強調したこと、両者ともに教員の講義式・知識の暗記の歴史学習を厳しく批判し、学習活動の例として生徒自身が調べたり、発表したり、討論したり、報告書や伝記を作成する活動などを提示し、社会科としての外国史学習を志向していたことが考察されている。

 第II部「教育行政による社会科「世界史」の設置と対応に見る外国史教育から社会科世界史教育への転換」は3つの章で構成されている。

 第3章「高校社会科「世界史」科目の設置とその意義」では、「世界史」設置に関わった研究者、文部省の担当者の証言や回想の信憑性を検証したうえで、1948年4月の新制高等学校教科課程研究委員会の発足から、普通教育分科会での「世界史」を含む素案の作成と承認(5月18日)、「新制高等学校教科課程改正案」の文部大臣への提出(8月),「新制高等学校教科課程の改正について」の通達(10月11日)という「世界史」設置の決定プロセスを精査し、「東洋史」「西洋史」に代わる「世界史」の導入の経緯を詳論している。そして、「世界史」設置の意義として、1「国民の共通教養」の提供、2その後の世界史の探究の起点、3「世界史」という名称の普遍性を挙げ、「世界史」と併せて「国史」(1949年度から「日本史」)の導入が歴史科目を2科目に限定したいという意図と相まって「世界史」設置の直接的契機になったことに言及している。私は、上原専禄が同1948年に刊行した『歴史的省察の新対象』(弘文堂、1948年2月)で主張した国史・東洋史・西洋史の三区分の批判と世界史的観察方法の採用の必要性が後付けながら「世界史」設置の理論的な支柱とみなされたという著者の指摘に大きな感銘と深い示唆を得た。

 第4章「教育行政による社会科世界史教育への対応」では、1949年4月の「世界史」の実施から1952年3月の「世界史」学習指導要領の発行に至る時期における行政の「世界史」教育への対応を「世界史」教科書検定基準(1949年3月)や「高等学校社会科日本史、世界史の学習指導について」の通達(1949年4月11日)を分析して明らかにしている。何も準備が整わない状態での「世界史」実施=授業の開始にあたり、文部省が出した上記通達には、社会科歴史学習の目標達成のための留意事項として、社会科の一般目標との合致、現代社会の諸問題の意義の認識、歴史の発展の必然性の理解、歴史の進歩・発展の理解による社会発展に対する自己の責任と情熱、現在の社会・経済・政治の問題解決に必要な能力の発達、学習形態として一般社会科に準拠し、概説の学習に陥らない留意と生徒の自主的学習活動を刺激するための単元学習の推奨などが示されている。この通達は、文部省が高橋磌一(文部省で中学校「国史」教科書編集に従事、のちに歴史教育者協議会第2代委員長(1971~1985年))と協議して作成したとされるが、戦後の新教科 社会科の教育理念と「戦後歴史学」の学風が看取されて興味深い。

 次に、「世界史」実施後、「世界史」検定教科書の使用までの長く複雑な道のりが詳述されている。「世界史」実施初年度には、「世界史」の検定教科書もその他の準教科書も存在せず、教科書『西洋の歴史 (1)』(1947年発行)のみが存在した。そこで文部省は従来の歴史教育を容認し暫定的な措置を取り、「世界史」検定教科書の発行と旧来の外国史教科書(『西洋の歴史(2)』『東洋の歴史(1)』『東洋の歴史(2)』)の刊行をめざしたが、後者は実現できなかった。さらに、文部省は1950年秋、教科書出版3社の「世界史」教科書を公的な了承のもとで準教科書として発行させ学校で使用し、その後、「世界史」教科書検定基準(1949年2月、1950年11月に改訂)にもとづき検定教科書の使用が1952年4月にようやく開始された。「世界史」の実施から検定教科書の使用に至る3年間の試行錯誤のプロセスが著者の緻密な論証を通じて丁寧に記されている。

 第5章「教育行政による「世界史」学習指導要領の作成とその内容」では、「世界史」学習指導要領の作成の経過を検証し、その内容を詳細に分析している。1949年度の編集委員が「新学期に発表すべき試案」(要綱)の作成をめざしたが、東アジア情勢の変化(中華人民共和国の建国や朝鮮戦争勃発に至る東西対立)や米国内の事情(日本の歴史教科書に対する占領軍の責任回避)にともない公表を停止されたという。そして1950年度の編集委員(高校教員が4名、研究者が2名)が作業を受け継ぎ、1949年の暮れに大体の案を作成し、1950年9月に指導要領の中間発表(要綱)を通達し、実施から3年後の1952年3月に学習指導要領が発行された((昭和26(1951)年 )「中学校高等学校学習指導要領 社会科編I(a)日本史(b)世界史」、詳細は国立教育政策研究所教育研究情報データベースで同指導要領を参照)。著者は、「世界史」学習指導要領の「まえがき」(「日本史」「世界史」共通)、「I 世界史の特殊目標」、「II 世界史各時代指導上の参考目標および参考内容」「 III 世界史の参考単元例」を丁寧に分析し、「世界史」最初の指導要領(のちに「官報」で公示され、法的拘束力をもつとされるが当時は「試案」のまま)が「高い理想をもって、社会科としての世界史教育の実現を図るための学習指導の在り方を示そうと努めていた」「社会科「世界史」の出発点を象徴するものとなっている」として評価を与えている。同時に、欧米近代の民主主義の賛美=模範としての西洋、「アジア社会の後進性」、「先進」と「後進」を前提とした安易な比較、日本史を部分的に含みながらもヨーロッパ史と中国史を基本軸にした構成、その結果、東洋史と西洋史の枠をなくすはずの「世界史」、とくにその近代が東洋史と西洋史の峻別を主張している点など、様々な問題点を指摘している。「まえがき」では、教員が教科書記載の歴史的事実を頁ごとに講義することや生徒に歴史的事実の暗記を押し付けることを戒め、歴史的思考力の養成のための問題解決学習を求めていること、「学習活動の例」として「話し合い」「検討」「発表」「報告」「討論」「作文」などが例示されていることは、現在の「歴史総合」「世界史探究」の学習方法との親和性が認められる点で注目に値する。上記の内容が記載された背景には、この学習指導要領の作成に(2名の歴史研究者のほかに)4名の東京都立高校の教員が関わったことの意義と、当時の「初期社会科」の理念の影響があることを強く感じた。

 第III部「歴史教師・歴史研究者による社会科「世界史」への対応に見る外国史教育から社会科世界史教育への転換」は、第6章から第9章で組まれている。

 第6章「高校での「世界史」授業における外国史教育から社会科世界史教育への転換」では、教育行政が具体的な措置を講じないまま実施された「世界史」に対する教員たちの模索と苦労、生徒たちの受け止め、2名の教員(橘高信、上野実義)の意欲的な取り組みが詳論されていて興味深い。とくに、「世界史」実施から4年を経過した1952年になっても高校教員の間には「東洋史と世界史の分離」を希望する意見が少なくなく、「世界史」は、教えにくく、むずかしい科目と見なされ、若い教員ほど苦労したという記録や回想は、学習指導要領が掲げた「世界史」の高い理想と現場の意識の乖離を暗示している。それに対して、学習者の高校生にとって「世界史」への関心は高く、1952年の文部省の調査(308頁、表6-3-2)では生徒数43,193名のうち、「世界史」の履修率は71.1%に達しており(「日本史」65.9%、「人文地理」53.6%、「時事問題」22.0)、「世界史」が高校生に支持され期待された科目であることがわかる。上記のデータから察すれば、のちに「世界史未履修問題」がおこる(2006年)とは、予想さえできないであろう。

 「世界史」が教員には教えにくく、むずかしい科目でありながら、生徒には期待を集めた科目であったという一見矛盾した関係の中で良心的な教員が独自の授業実践を模索していた。その一人である橘高信(東京都立文京高校)が授業を、単元への導入、個人の学習、班の学習、学級全体の学習(発表と質疑)という段階的な発展学習として構想・実践していたことは、現代のアクティブラーニングの先駆けとも思われ、示唆に富む。他方、上野実義(広島大学附属高校)は、「西洋世界の発展を尺度」にして世界史を先史から現代までの6つに分け、「社会、経済、政治、宗教、文化」の5項目の中から各時代の特色を1つ選び、検討するという学習を通じて社会科としての「世界史」を追究した。橘や上野の構想と実践は、「世界史」の草創期の模索として再評価すべきであろう。

 第7章「「世界史」準教科書における外国史教育から社会科世界史教育への転換」では、「世界史」の実施後、未だ検定教科書が存在しない194951年度に活用された「準教科書」(30種50冊)について、その位置づけと資料的価値、発行状況や作成主体、準教科書における世界史の構成や学習の意味が幅広く考察されていて、多くの事実を学ぶことができる。準教科書は、位置づけや基準の曖昧さ、使用状況の情報量の少なさ、体系的な収集・所蔵機関の不在などの点で「世界史」教育史研究で未知な部分が多いという。戦前の「東洋史」「西洋史」検定教科書の執筆者が歴史研究の権威的人物であったことに対して、準教科書では40歳代を中心とする比較的若手の研究者であったこと、さらに、個人の高校教員や日教組近畿協議会などの組合団体、信濃教育会など地域の教育団体などが執筆の主体であったという事実に新鮮な感銘を受けた。新科目「世界史」への当時の人々の期待と課題意識などが強く感じられる事例である。また、「世界史」準教科書には、戦前・戦後の外国史教科書(国定・検定)とは異なり、多くの設問や学習課題を設け、参考文献が掲載されていたことも、生徒の自主的な学習を謳う社会科「世界史」学習の特色として興味深い。

 次に、内容と構成に関しては、「内容の伝達を重視した準教科書」(世界史を1つにまととめたタイプと東洋史・西洋史に区分したタイプなど)や「単元にもとづいて構成した準教科書」など様々な構成が現れたが、西洋史を中心にして東洋史を融合・統合することに苦慮していたこと、そしてモデルとしての西洋近代が世界史学習の主軸になる起点が形成されたことを指摘している。それは、敗戦後のGHQの占領統治が続く中、模範としての西洋近代の大きさと、世界史を構成する作業の困難を示している。

 第8章「「世界史」大学入学試験問題における外国史教育から社会科世界史教育への転換」では、1949年度の「世界史」実施と、同年度に発足した新制国立大学の入学試験の関係を実証的に論じている。「世界史」は新科目であるため、1948年度の選択科目「東洋史」「西洋史」「国史」が受験科目となり、1949年6月に入試が行われた。文部省は「出題方針と問題例」を配付し、社会科の学力検査について、知識の記憶量や些末で特殊な専門的な事項の出題、従来の論文テストを避け、客観的なテスト(組み合わせ法、選択法など)の作成を指示した。また、「問題例」として3つの「テストすべき能力」(A 重要な概念および原則の理解、B データを正しく処理し解釈する能力、C 基礎的な知識や原則を応用する能力)を提示した。しかし、国立大学入試の実施後、全国の高校教員からは、入試とそのための暗記学習が「世界史の学習にわざわいしている」「世界史(学習)の発展にブレーキをかけている」という多くの批判が出されたという。これは、「世界史」実施の初年度からすでに「社会科としての「世界史」授業と入試の試験問題との乖離」が顕在化したことを意味し、現在に至る学校教育での授業と大学入試の関係・接続の困難を実感させる。翌1950年度入試では初めて「世界史」が入試科目になり(「東洋史」「西洋史」は1951年度入試まで残る)、文部省は大学側に「世界史学習上の重要概念(試案)」を「学力テスト出題の参考」として提示したが、高校側(学習指導要領も検定教科書も未発行状態)には提示されず、しかも挙げられた概念が極めて西洋史に偏り、「アジヤ社会発展の特殊性」などが含まれていたと指摘している。ここには、文部省と大学側、高校側との連携の不足、根強い西洋中心史観の刻印がうかがわれる。その後も文部省は大学入試に対する具体的な施策を重ね、1955年度入試対応として「客観テスト」と「論文体テスト」の併用へと方針をシフトさせるが、試験の形式面の改革が先行し、受験生に過重な記憶を強いる出題が後を絶たず、従来の知識偏重を助長する結果を招いたという。著者は「世界史」がその実施とともに大学入試に組み込まれ、「世界史」学習の内容を問う検討と入試問題の検討が別々になされ、教育の理想と入試の現実のはざまに立たされた「世界史」教員の苦悩が「世界史」実施直後に始まっていたと述べている。私は上記の事実を知り、小川幸司氏が名づけた「嫌われる“暗記地獄”としての高校世界史」「苦役への道は世界史教師の善意でしきつめられている」という言葉(『歴史学研究』2009年10月増刊号、のちに『世界史との対話(上)』地歴社、2011年に再掲)を想起し、2006年の高校世界史未履修問題の原点を垣間見たような印象を覚えた。

 第9章「成立過程から見た高校社会科「世界史」成立の意義」では、8章までの考察をふまえ、「世界史」新設の意義を総括している。「世界史」設置は、新制高等学校の発足に伴う新しい教育課程とその理念を実現するための教育的要請にもとづくこと、戦中・戦後直後(1945~1946年)の歴史科外国史教育から社会科「世界史」教育への転換には2つの課題(1歴史科の教育から社会科の教育への移行、2「東洋史」「西洋史」の外国史教育から「世界史」教育への転換)を内包したこと、しかも、社会科の外国史教育(「東洋史」「西洋史」)は形式的で内容が不十分だったため「世界史」教育への転換は一足飛びの飛躍が求められ、「世界史」の実施後、学習指導要領も検定教科書も未発行の「何もない状態」のなか手探りで授業がスタートした事実を再記している。現在の社会科教育・歴史教育が「世界史」の実施期にその目的、内容と構成、方法などを根本から検討していた取り組みに学ぶことが多いという指摘に強く共感した。

 終章「本研究のまとめと意義」では、各章の考察・分析の結果を再度紹介していて、本書の研究の全体像と到達点を理解することができる。従来、未解明の要素の多い「世界史」設置の具体的な経緯と意味をはじめ、敗戦後の外国史教育の状況、教育行政による「世界史」への対応、教員たちの授業づくりと実践、「世界史」の大学入試の諸問題などを一次資料や多数の教科書(準教科書を含む)、回想やインタビュー調査を通じて明らかにした著者の研究業績は極めて大きい。

 最後に、著者は、今後の課題として、当時の授業状況のより広範な追究、未見の準教科書の分析をはじめ、対象を広げ明治期以降の歴史教育、1950年代後半以降の歴史教育の探究を挙げている。本書の刊行を通じて、高校「世界史」の成立過程の諸問題が広く社会に理解されるとともに、著者の今後さらなる研究の進展を心から期待したい。

(「世界史の眼」No.75)

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世界史寸評
米・イスラエルが仕掛けたイラン戦争についてのアラブの論評(2026年3月23日 Palestine Chronicle編集長ラムジー・バルード)
藤田進 訳

2003年のイラク自由作戦の一環としてイラクで展開する米海兵隊(写真:USMC/ウィキメディア・コモンズ)

 3月22日(日)にイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、世界の指導者たちに米イスラエルによるイランに対する軍事作戦への参加を呼びかけ、テヘランを世界的な脅威として位置づけた。

  「もし誰かが、なぜイランが文明の敵であり、世界全体の敵であり、危険なのかの説明が必要ならば、過去48時間以内にすでに入手できている」と、ネタニヤフはイスラエルの南部都市アラドのイランのミサイル爆撃現場を訪問した際に語った。

 数日前の3月17日、アメリカ大統領ドナルド・トランプはNATO同盟国が戦争に参加を拒否していることを批判し、その立場を「非常に愚かな誤り」と呼んだ。その後、3月20日には批判をエスカレートさせ、彼らが戦いから外れたことを「臆病者」と非難した。 こうした訴えーそしてその後の明らかな消極的姿勢―は、自制や中立に関する公式声明よりも、はるかに、多くのことを物語っている。

 しかし、誇大宣伝を信じてはならない。もしヨーロッパやアラブ諸国政府が、2月28日に開始された米イスラエル戦争が本当に成功する可能性があると信じたなら、多くの国はすでに参加していただろう。

 これは、ヨーロッパや中東の指導者たちが「これは我々の戦争ではない」と主張している中で、厳しい結論に聞こえるかもしれないが、歴史はまったく異なる物語を語っている。スペイン、オマーン、その他いくつかの例外を除き、西側諸国や親米アラブ政権は原則に基づいて導かれることはほとんどなかった。彼らの記録は、リスク、リターン、勝利の可能性によって形作られた計算された日和見主義的なものである。 彼らの現在のためらいを理解するには、時を巻き戻す必要がある。

 1990年から91年にかけてイラクがクウェートに侵攻した際、ワシントンは現代史上最大級の軍事連合を迅速に結成した。国際法の名の下に、国連安全保障理事会の明確な支持のもと、米国は介入を限定的な任務、すなわちクウェート解放として位置づけた。

 その枠組みが重要だった。ヨーロッパ列強や主要なアラブ諸国も熱心に参加した。この戦争は正当で勝てるものと見なされ、アメリカの指導のもとで中東における新たな「ポストソ連秩序」形成の基盤と見なされた。

  しかし2003年までに状況は変わった。アメリカのイラク侵攻はもはや侵略を覆すためではなく、それは「テロとの戦い」というレトリックに包まれた政権交代に関するものだった。今回は、特にフランスやドイツといった主要なヨーロッパ列強が公然と抵抗した。その時、アメリカ国防長官ドナルド・ラムズフェルドは異議を唱える同盟国を「旧ヨーロッパ」だとして一掃し、東欧のより従順な政府グループ、すなわち「新しいヨーロッパ」を高めた。

 1991年の正当性を再現できなかったため、ワシントンは「意志の連合」と呼ばれる、軍事的貢献は限定的だが象徴的価値を持つ国々を含む緩やかで政治的に構築された同盟をまとめ上げた。トニー・ブレア政権下のイギリスは最も著名なパートナーとなり、ワシントンの数十年ぶりに最も物議を醸した戦争にその運命を結びつけた。 しかし、それでもためらいは原則とは一致しなかった。イラクが侵攻され国家が解体されると、同じ国際的な関係者たちが—戦争を支持していたかどうかにかかわらず—迅速に動き、自分たちの影響力を確保しようとした。エネルギー契約が締結され、復興協定が配分され、外国政府が侵攻後のイラクの管理に介入した。戦利品の方が、それに先んじるリスクよりもはるかに魅力的だったようだ。

 アフガニスタンの戦争も同様のパターンを反映していた。9.11以降、米国は対テロと集団防衛の言葉のもと、NATOや数十のパートナー国を成功裏に結集させた。最盛期には50か国以上の兵士が参加した。再び、同盟国は任務が「正当化」され、調整され、戦略的成果が見込めそうな場合にコミットする意欲を示した。

 しかし、イラン戦争はこれらの保証を一切提供していない。 これは、中東における最近の米国主導の軍事作戦の中で最も非合理的で防御に乏しく、最も危険な戦争である。 イラクやリビアとは異なり、イランは孤立しているわけでも構造的に弱いわけでもない。人口は約9300万人、広大な地理的環境、そして長期的な対立を持続させる国内の軍産能力を持つ大きく結束した国家である。 イランは地域内外で標的を攻撃する能力を示しつつ、地域の同盟国やパートナーシップのネットワークを維持し、中国やロシアなどの主要世界大国との強い政治的結びつきを維持している。

  同様に重要なことは、信頼できる政治的枠組みが欠如していることである。国連の権限も、一貫した連合も、明確な最終目標もない。代わりに存在しているのは、衝動的な米国大統領とイランをはるかに超えた野望を持つイスラエル指導部との不安定なパートナーシップである。

 ドナルド・トランプは長年にわたり伝統的な同盟国間の信頼を損ない、世界の経済関係を不安定化させ、予測不能な統治を続けてきた。このような指導の下では、戦争は計算された戦略ではなく危険な賭けとなる。 

 欧州およびアラブ諸国政府にとって、問題はもはやイランに対峙すべきかどうかではなく、ワシントンがそのような対立の結果を管理できるかどうかである。ますますその答えは「ノー」である。

  ベンヤミン・ネタニヤフの目的は限定的でも隠蔽的でもない。これは単にイランの能力を無力化するだけの問題ではない。それは、最終的にはワシントンの最も緊密なアラブのパートナーさえも従属させ、トルコのような地域大国の自治に挑戦するような形で、中東地域の秩序全体を再構築することに関わっている。

 したがって、現在のヨーロッパとアラブ政権の距離を説明しているのは、抑制ではなく計算である。

 もしこの戦争が正当性、勝利の約束、物質的または政治的利益の見込みを持っていれば、馴染み深い連合はすでに形成されていただろう。 もしより予測可能なアメリカ政権――同盟を動員し、介入を法的正当性で隠す能力のある政権――が政権を握っていたなら、対応は異なっていたかもしれない。しかし、この戦争にはそれらが何も与えられていない。

  だから幻想は捨て去らなければならない。ヨーロッパは戦争を拒否しているわけではない。アラブ諸国政府も道徳的変革を遂げているわけではない。彼らはこれまで通りリスクを評価しているのである。

 そして今回の結論は明白である。彼らが戦争に加わらないのは、それに反対しているからではなく、失敗すると信じているからだ。

https://www.palestinechronicle.com/this-is-how-we-know-the-iran-war-is-failing-and-not-for-military-reasons/

(「世界史の眼」No.75)

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世界史寸評
オルバーン失脚の世界的影響―ハンガリー選挙をめぐる報道より(その2)
2026年4月12日―18日
南塚信吾

3.トランプ政権への影響はどうか   

 オルバーンの敗北は米国のトランプ大統領に大きな影響を与えたはずである。オルバーンは、トランプとは対外政策においても、国内の体制整備策においても、共通するところが多かった。またオルバーンはアメリカの右翼に相当なテコ入れをしていた。それらがなくなったのである。トランプは、オルバーンの勝利を願うメッセージを送り、選挙中にヴァンス副大統領をハンガリーに派遣したほどである。読売新聞は、これは内政干渉のそしりは免れないと批判していたほどである(『読売新聞』)。

 「極右の権威主義者ヴィクトル・オルバーンは選挙に敗れた」。「次は11月、議会にいるトランプの追従者たちや『MAGA』の過激派たちの番だ。冬が来る」(Kassam)というのが、一般的な反応であろう。   

 ただ、オルバーンの敗北にトランプはさしたるコメントは出していない。4月14日に、「オルバーンの敗北はあまり気にしていない。新しい首相のピーター・マジャールは好きだ。彼はいい仕事をするだろう」と述べた。オルバーンについては、「もっともヴィクターはよき友人だった」、「かれは移民問題を扱うのにいい仕事をして、人々が国に入ってきて国をだめにするのを防いだのだ」とコメントしただけである(Reuters, April 15, 2026:Hungary Today,April 15, 2026)

 NYT Intは、「トランプ運動は味方を失った」という記事で少し踏み込んだ見方をしている。曰く、オルバーンはアメリカの右翼に大きな影響を与えてきた。トランプとMAGAはDNAを長らく共有してきた。反移民、メディア抑圧、出生率低下への懸念など。スティーヴ・バノンはオルバーンの事を「トランプの前のトランプ」と称したほどである。トランプの支持者の多くはオルバーンを同志と考え、いろいろな考えの生みの親とみなしてきた。タッカー・カールソン(アメリカの保守派のコメンテイター)のインタヴューで見られたように、オルバーンからインスピレーション、多くの教訓をもらってきた。だが、いまや、オルバーンの敗北はアメリカの共和党と右翼に警報を鳴らしている。ロッド・ドレア(キリスト教右派の作家)は、オルバーンと同じことをしていては、2028年の選挙で負けると考えている。今度はかれの敗北から教訓を得るべきだ。とくに経済の停滞と腐敗という点で。次の首相のマジャルも保守主義者だから、保守が退潮したわけではない。オルバーンは、16年の支配の中で、国民との接点をなくしたのだ。そこを教訓とすべきだというのである(Browning)。

 さらに、オルバーンの失脚は、トランプのEU内での影響力にも影響を与えるという。オルバーンの敗戦はアメリカのトランプの欧州右翼との関係を危なくしている。オルバーンがトランプに近く、選挙前にもトランプや副大統領のヴァンスから応援を受けたにも関わらず大敗したことを受けて、欧州の右翼はみなトランプとの関係を再考している。とくにトランプのグリーンランド政策やイラン攻撃が不評であった(Adghirni)。

 このように、アメリカの保守派はオルバーンの敗北から、教訓を学ぶように迫られている。反面、民主党はマジャルの勝利から教訓を得るべきだという議論もある。

4.EUとの関係はどうか  

1)EU側の歓迎

 オルバーンの敗戦を最も歓迎しているのはEU指導部であろう。これまで、オルバーン政権がロシアに対するEUの追加制裁や、ウクライナへの900億ユーロ(780億ポンド)の追加融資に拒否権を行使したことを受け、オルバーン政権とEUの対立関係は新たな低水準にまで悪化していた。その後、オルバーン政権がEUの機密情報をモスクワに提供したとの疑惑が浮上し、ブダペストとブリュッセルの間の緊張は頂点に達した。こういう状況にあったから、EUはオルバーンの敗北とマジャルの勝利を歓迎した。

 フランスのマクロン大統領、ドイツのメルツ首相、スペインのサンチェス首相、ポーランドのドナルド・トゥスク首相、欧州連合(EU)のフォンデアライエン委員長らがマジャルの勝利を祝福することを表明した。フォンデアライエンは、4月12日、「今夜、ハンガリーで欧州の鼓動はより力強く響いている」と述べた。ただ、オルバーンと近い関係にあるとされてきたイタリアのメローニ首相は「友人のビクトル・オルバーン氏に対し、長年にわたる緊密な協力を感謝する」とねぎらいの言葉を投稿し、「今後も野党の立場から自国に尽くし続けるだろう」とした(「対立から結束へ」『朝日新聞』 2026年4月13日)。

 このように大体においてEUは歓迎しているが、マジャルはもろ手を挙げてEUに一体化するかどうかは不明である。かれはEUの対ウクライナ政策に全面的に賛成しているわけではない。マジャルはまた、EUの課す移民割り当てには反対し、国境のフェンスは維持することを公言している。かれの当面の狙いはオルバーンが民主的政治をしていないというので差し止められていたEUからの補助金を入手することである(Komuves)。

2)EU内のオルバーンの遺産

 オルバーンは、非リベラリズムを広めるため、国内では、研究機関としてドナウ研究所、教育機関としてマーチャーシュ・コルヴィヌス・コレギウムを作ったが、2022年にEUの中でも「MCCブリュッセル」というシンク・タンクを作り、ヨーロッパだけでなく世界中から非リベラリズムを研究する人を集め、発信していた。これはハンガリーのマーチャーシュから資金を受けていたが、マーチャーシュはハンガリーのMOLから資金をもらっていた。マジャルはこれらを解散すると宣言しているが、大統領のシュヨクが拒否するかもしれない。それに「MMCブリュセル」はかなりの人脈を作ってしまっている(Smialek)。それに、EU内には、ベルギーのデウェーフェル首相、ポーランドのナヴロツキ大統領、スロヴァキアのフィツォ首相、チェコバビシュ首相など、オルバーンに同調していた保守派が存在する。

 しかし、EUが少しは議論のできる場になったことは間違いなさそうである。

5.ロシアとの関係はどうか 

 オルバーンは、ロシアのプーチン大統領と関係が近く、EU加盟国の全会一致が必要な対露制裁やウクライナ融資などで再三、「拒否権」をちらつかせてきた。それゆえ、オルバーンの敗戦がロシアとの関係にどういう影響を与えるかが注目された。

 今回の選挙では、オルバーンを支持するロシアがSNSなどを通じて偽情報を拡散し、世論工作を仕掛けたと指摘されるが、これも内政干渉だと『読売新聞』は批判していた。

 ロシアへの影響という点では、オルバーンが負けても、ハンガリーとロシアとの関係が切れるわけではないだろうと言われる。エネルギー問題があるから、マジャルは「プラグマティック」に対応しようとしているし、ロシア側もそのようである(Nepszava Peszkov)。マジャルは現在80%をロシアに依存しているエネルギーの入手先を多様化すると宣言しているが、これには時間もかかるはずであり、「ハンガリーはモスクワと完全に手を切ることはできない」と考えられている(Flynn; Sonne)。

 また、ロシアのウクライナでの戦争について、ロシアのペスコフ大統領報道官は、選挙結果を受けてすぐに、「ロシアとウクライナの紛争の先行きとは何の関係もない」と主張した(「対立から結束へ」『朝日新聞』 2026年4月13日)

 ロシアも「プラグマティック」な関係で行こうと言っており、そういう関係がどうなるのか注目される。

6.ウクライナとの関係はどうか 

1)ハンガリー側から見ると

 ハンガリーとウクライナの関係はザカルパチアにいる16万人のハンガリー人マイノリティをめぐって、緊張しているが、オルバーンはそれを強調し、ウクライナのEU加盟への反対につないできた(Méheut)。マジャルもウクライナとの関係はウクライナ内のハンガリー人マイノリティの権利の回復次第だと言っている(Flynn)。マジャルは、ロシアへの傾倒が過ぎるのは批判したが、ウクライナ戦争については語っていない。またウクライナの早急なEU加盟には原則として拒否しているわけでないが、慎重だと観測されている(Méheut;Komuves)。

 Al Jajeeraは、反ウクライナだったオルバーンの敗北は歓迎している。というのは、トランプ―ネタニヤフ―オルバーン―プーチンと繋がっていた反EUの地政学が崩れたからである。この結果、ウクライナへの支援の障害が消え、イスラエルへの支援も消えたのだとみている。しかし、ハンガリーとウクライナの関係については、ロシアとのエネルギー問題があり、ウクライナの中のハンガリー人問題があるので、マジャルはウクライナを全面支持ではないだろうとみる。ただ、ウクライナへのEUの融資は認めるだろうと観測している(Ragozin)。

2)ウクライナ側から見ると   

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、マジャルがオルバーン前首相と同様に、同国への武器供与やキエフのEU加盟手続きの迅速化に反対する姿勢を継続すると表明しているにもかかわらず、ウクライナはハンガリーとの協力を進める用意があると述べた。「我々は、両国の利益のため、そして欧州の平和、安全、安定のために、会談や建設的な共同作業を行う用意がある」というのである(Kassam)。 

 たしかに、キエフにとってEU内の最も頑固な敵がいなくなった。EUからの900億ユーロのローンが可能になった。しかし、マジャルはウクライナの全面的な味方ではなく、EU内の他の指導者にもそれ以上キエフを支持することには懐疑的な人たちがいる。マジャルは、ウクライナへの軍事支援の拡大には慎重で、特にEUの早期加盟については反対している(Flynn)。

 Al Jajeeraは、反ウクライナだったオルバーンの敗北は歓迎しているが、まだヨーロッパには、ベルギーのデウェーフェル首相、ポーランドのナヴロツキ大統領、スロヴァキアのフィツォ首相、チェコバビシュ首相など、オルバーンに代わるウクライナ懐疑派がいるという(Ragozin)。オルバーンがいなくなってもこれは変わらないだろうというわけである。

7.イスラエルとの関係はどうなる

 オルバーンの敗北がもたらす影響は、イスラエルのネタニヤフ首相と、同政権の欧州における立場にも直ちに影響を及ぼしている。オルバーンは、欧州連合(EU)内でイスラエルにとって最も信頼できる同盟国としての役割を果たしていた。オルバーンとネタニヤフの政治的関係は、国家主権の重視、移民への敵意、そしてリベラルな国際機関への反対といった、共通のイデオロギー的基盤に根ざしていた(Palestine Chronicle, April 13, 2026)。

 オルバーンの敗北が、即座にイスラエルに対するハンガリーの敵対的な政策につながるわけではない。マジャルは、ガザ問題やネタニヤフ自身について、まだ明確な立場を打ち出していない。だが、ハンガリーは、イスラエルを標的としたEUの取り組みに対して反射的に妨害を行うことはもはやないと見られており、ガザ問題に関するより強固な共同の立場や、より広範な説明責任を求める措置への道が開かれたとされている(Palestine Chronicle, April 13, 2026)。Plestine Chronicleは、イスラエルのネタニヤフを押しているオルバーンが消えたので、安堵している。EUとして動いてくれることに期待しているわけである。 

8.中国との関係

 中国との関係については、NYTなどは語っていなかった。実はオルバーンは「東」への強い関心を持っていて、リベラルの支配する「西」とそうでない「東」との間の架け橋をするのが、非リベラル・デモクラシーのハンガリーなど「中欧」であると主張していたのであった。

9.世界の保守派とリベラル派への影響はどうか

1)保守派の動き

 読売新聞は、オルバーンは、移民やEUやウクライナなどを「仮想敵」とし、敵意や憎悪をあおってきた。同様の手法はハンガリー以外の欧州にも広がり、ドイツやフランスなどで「自国第一」を掲げる排外的なポピュリズム(大衆迎合主義)勢力を伸長させてきた。オルバーンの退陣が、欧州の極右勢力の伸長の変調につながるかどうかを注視する必要があるとする(『読売新聞』)。

 オルバーンの敗北は世界的な保守の動きに大きな意味をもつ。フィデス政権は、ドナウ研究所とマーチャーシュ・コルヴィヌス・コレギウムに世界中の保守派を集めて、支援していた。いまやそれはできなくなるはず。オルバーンのもとでは、ブダペシュトは祖国の政府ではのけ者にされた世界中の保守派のデズニーランドとなっていた(Goldberg  April 14)。オルバーンは、アメリカの保守派と繋がりがあり、彼らを支援していた。例えば、アメリカのキリスト教保守派のドレアをドナウ研究所のフェローに受け入れていた。

 NYTの一コメンテイターは、少なくとも過去20年間、世界的に見てリベラリズムに対する右翼の敵には活力とエネルギーがあったが、今や、現代ポピュリストの先駆者であるオルバーンも、その権化であるトランプも落ち目にあるという(Goldberg April 14)。そうかもしれないが、それでも、ポーランドのナヴロツキ大統領、スロヴァキアのフィツォ首相、チェコのバビシュ首相は保守派であることは無視できないはずではなかろうか。

2)リベラリズムが学ぶべきこと。

 NYTは、オルバーンの敗北からリベラリズムが学ぶべきこととして、保守派のコメンテイターの意見を載せている。

 第一の教訓は、ポピュリズムが台頭する状況下にある西欧の民主主義は、ある種の不安を抱くアナリストが示唆するよりもはるかに強靭であるということ。権威主義的な動きを見せる指導者がいることと、実際に権威主義国家であることとの間には極めて重要な違いがあり、前者の状況から後者へと至る道筋は、「専制政治」と書かれたスイッチを単に切り替えるような単純なものではない。

 第二の教訓は、ポピュリズムに対する最善の政治的対応は、民主主義の危機を理由に、いかなるものであれ人々に既成体制への支持を求めるのではなく、ポピュリズムの具体的な政策要求に対処することにある。

第三の教訓は、冷戦後の秩序の危機は、いわゆる「ポストリベラル」を標榜する知識人とは無関係に存在しているということ。ポピュリズムやナショナリズムという現象は、大量移民、出生率の急落、脱工業化、そしてデジタル化に伴うアノミーという時代に対する有機的な反応であり、保守派の知識人たちはこの反動に便乗してはいるが、彼らが生み出したわけではない。

 最後に、反民主的あるいは非自由主義的になり得るのはポピュリストだけではない。EUというリベラルな政治的枠組みでさえ、時に「民主主義の欠如」に侵されているといわれる。官僚階級が世論を無視し、国家主権を蹂躙するのである。欧州にもリベラリズムの名の下に「ソフトな専制」を行ったり、人権と人間の尊厳に対する冒涜を永続させたりしている諸政府があり、それと同時にポピュリストのオルバーンもいたのである(Douthat)。

 以上がNYTなどの論評である。オルバーンの退場とマジャルの政権発足ののち、数か月して、今回の政変の意味がより明確になってくると思わる。その時の観測はどうなるであろうか。注目しておきたい。

参考文献

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Dmitrij Peszkov: Soha nem voltunk barátok Orbán Viktorral, Nepszava, 2026.04.14
Donald Trump: Orbán Viktor a barátom volt, Nepszava, 2026.04.14
Így fogadták Bulgáriában a magyar választási eredményeket, Magyar Nemzet, 2026. 04. 15
「強権にノー、EU回帰へ=対ロ融和見直し―ハンガリー総選挙」,『時事通信』 2026年4月14日
「ハンガリー総選挙、オルバン首相の与党敗北 16年ぶり政権交代へ」 『朝日新聞』 2026年4月13日
「オルバン氏の退陣で何が変わる? ハンガリー総選挙、3つのポイント」 『朝日新聞』 2026年4月13日
「対立から結束へ ハンガリーの政権交代、欧州首脳が次々に「歓迎」」『朝日新聞』 2026年4月13日
「ハンガリー選挙 欧州極右伸長の流れ変わるか」『読売新聞』2026年4月16日

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Adghirni, Samy & Kowalcze, Ramil, Orban’s loss hurts Trump’s standing in Europe, The Japan Times(以下JT), April 16, 2026
Bennhold, Katrin, Hungary’s Populist Paradox, New York Times, (以下NYT), April 14, 2026
Bottoni, Stefano, Orban’s Fall Is an Astounding Achievement, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Bottoni, Stefano, Orban’s fall is an astounding achievement, New York Times International Edition (以下NYT Int) , April 16, 2026
Breeden, Aurelien, Who is Hungary’s next leader? NYT Int, April 14, 2026
Broder, David, For Orban, Trump may be his ruin, NYT Int, April 10, 2026
Browning, Kellen and Goldmacher, Shane, MAGA Absorbs the Loss of Orban, a Kindred Spirit to Trump’s Movement, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Browning, Kellen and Goldmacher, Shane, Trump Movement loses a ally, NYT Int, April 15, 2026
Douthat, Ross , The Four Lessons Liberals Should Consider After Orban’s Defeat, NYT, April 18, 2026
  (国際版に再録)
  Douthat, Ross, What liberals should learn from Hungary, NYT Int, April 21, 2026
The Editorial Board, Here’s How to Defeat Trumpism, NYT, April 14, 2026
  (国際版に再録)
  The Editorial Board, How to Stop a would-be autocrat, NYT Int. April 15, 2026
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Goldberg, Michelle, He Was ‘Trump Before Trump.’ Now He’s in Trouble. NYT, April 11, 2026
  (国際版に再録)
  Goldberg, Michelle, Orban was “Trump before Trump”. Now he’s finished, NYT Int, April 14, 2026
Goldberg, Michelle, What Orban’s Defeat Means for the Rest of the World, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Goldberg, Michelle, What Orban’s defeat means for the rest of the world, NYT Int, April 15, 2026
Higgins, Andrew, In Hungary, a populist lost his popularity, NYT Int, April 15, 2026
Jakes, Lara, 4 Takeaways From Viktor Orban’s Defeat in Hungary’s Election, NYT, April 13, 2026
Kassam, Ashifa and Garamvolgyi, Flora, Hungarian opposition ousts Viktor Orbán after 16 years in power, The Guardian, April 13, 2026
Kirby, Paul, Orbán era swept away by Péter Magyar’s Hungary election landslide, BBC April 184 2026
Kisilowski, Maciej, After Orban, Hungary faces an even harder battle, JT, April 16, 2026
Komuves, Anita, Once inspired by Orban, Magyar unseats him, JT, April 14, 2026
Landler, Mark , Orban’s Defeat Punctures Europe’s Far Right, but Also Offers It a Road Map, NYT, April 16, 2026 (Updated April 21)
Mead, Walter Russell, The Curtain Falls for Hungary’s Orbán, Wall Street Journal, April 14, 2026,
Méheut, Constant, Kyiv hopes its nemesis in the E.U. is gone, NYT Int, April 15, 2026
Ragozin, Leonid, Orban was defeated in Hungary, but Orbanism lives on, Al Jajeera, April 13, 2026
Simon, Zoltan & Escritt, Thomas, Vance picks fight with Europe over Orban in vote endorsement, JT, April 9, 2026
Smialek, Jeanna and Ryckewaert, Koba, Will Viktor Orban’s Legacy Lives On in Brussels, Even Without Him?  NYT, April 14, 2026
  (国際版に再録)
  Smialek, Jeanna and Ryckewaert, Koba, Populist vision lives on in Brussels think tank, NYT Int, April 16, 2026
Smialek, Jeanna, Orban Loss in Hungary Is a Big Moment for the E. U. Heres Why, NYT. April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Smialek, Jeanna, New leader in Hungary may bolster E.U. unity, NYT Int. April 14, 2026
Sonne, Paul, Hungary May No Longer Be Putin’s Ally, but It Can’t Afford a Full Break, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Sonne, Paul, Hungary can’t afford a full break from Moscow, NYT Int, April 17, 2026

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世界史寸評
オルバーン失脚の世界的影響―ハンガリー選挙をめぐる報道より(その1)
2026年4月12日―18日
南塚信吾

 2026年4月12日(日)に行われたハンガリーの国会選挙では、ヴィクトル・オルバーンの率いるフィデス(青年民主同盟)党が大敗し、ペーテル・マジャルの率いるティサ(尊敬と自由)党が地滑り的な勝利を得た。16年にわたって続いたオルバーン政権は終焉した。確定した結果によると、国会の議席199のうち、ティサは141議席を獲得し、フィデスは52議席にとどまった。

 一国の選挙がこれほど世界的に注目を浴びたのはまれであろう。この選挙は、ハンガリー国内だけでなく、アメリカのMAGA運動や世界中の極右勢力の強靭さを試す試金石として、世界中から注目された。彼らの多くはかねてよりオルバーンを模範として、その戦略を模倣しようとしてきたからである(Kassam)。 ニューヨーク・タイムズ(NYT)の国際版(NYT Int)やジャパン・タイムズ(JT)をみると、何度も全面を使ってオルバーン失脚の世界的意味を論じていた。オルバーン失脚の世界への影響はどうか。NYTとJTを中心に内外の報道を取り入れて議論を整理してみたい。

1.オルバーンはなぜ負けたのか

(1)オルバーンの敗因

1)経済不振と腐敗・縁故主義

 オルバーンの率いる右派ポピュリスト政権は、在任期間中、自らの権力を抑制していた権力分立の仕組みを着実に弱体化させてきた。具体的には、選挙法を自らの利益になるよう改正し、国内メディアの約80%を支配下に置くべく工作を行い、司法制度を再編した。(ガーディアン)16年に及ぶ長期政権を築いたオルバーンは、司法介入やメディア統制を通じ、権力を追求しつつ政敵を排除してきた(『時事通信』)。

 このように、オルバーンは、中央地方の政治・司法・文化の諸機関に自分の息のかかった人物を配置して、権力を固めたはずであるが、それでも選挙で負けたのである。

 その理由を読売新聞はこう伝えた。ハンガリーは、ロシア産エネルギーの輸入や、中国からの投資を頼りに経済成長を目指してきた。だが、国内総生産(GDP)成長率が2023年以降、3年連続で1%を下回った。1人あたりGDPはEU加盟国で下位にある。中露に依存し、国家管理を強化する手法が限界を迎えていたのは明らかだ。オルバーン体制で横行した汚職や縁故主義も、経済成長を妨げてきた要因といえる(『読売新聞』)。これは的を射ている。

 筆者の友人で、ハンガリーの著名な画家・イラストレーターであるフェレンツ・バンガが、2025年3月に日本へ来たときに、オルバーンの政治について聞いたことがある。かれは、①物価が高く、生活は苦しくなった。石油はあるが、とても高い。②小学校が教会に売却されて、半数は公立ではなく教会の経営になってしまった。だから教育が一面的になっている。③出版社がどんどんなくなり、経費を削減しようと、出版にさいしてイラストを入れなくなった。④身近にあった小さい商店が消えて、スーパーだけになった。⑤行政、メディア、教育・研究、病院などの管理職はすべてオルバーン派の人間になってしまった。⑥町には警官ばかりが目に付いてしまう。日本はとても少ないので驚きだ、などとオルバーンを批判していた。これが、ハンガリーの国民のレベルでの目線に近いだろう。

 要するに、経済と腐敗・縁故主義がカギであったようだ。ただ、この両者は因果関係にあったという指摘がある。政治での一党支配と家父長的な支配は、ハンガリーの19世紀以来の政治の伝統だから、それで批判が募ったということはない。そうではなくて、経済政策で、自分の周辺の人間に公的な金を流して太らせ、反面国民を貧困にした。特に中産階級が激減した(Bottoni)。

 これ以外に、アメリカのトランプ政権との絆が逆に作用したと指摘するものもある(Broder)。とくにイラン戦争はトランプ政権への評価を下げたようだ。

2)「ポピュリズムのパラドックス」 

 こういう国民を貧困にしたといった問題を、NYTはポピュリズムの問題として論じている。NYTは、ポピュリストがピープルの要求に答えられなかったのだという。「結局、右翼ポピュリズムのハンガリー人先駆者はポピュリストであることを完全にやめたのだ」。マジャルが批判したように、「オルバーンは何年もの間、ハンガリーの人々に関係する問題に注意を払ってこなかった。」「われわれは、かれが医療や教育や生活費について語るのを聞いたことがない」(Higgins)。

 オルバーンはプーチン(2019年)やトランプ(2016年)よリも早くに「リベラル・デモクラシーは盛りを過ぎた」と言った。しかし、かれは負けた。なにが起きたのか。それは政治の基本のことで、「選挙に勝つには人々に人気がなければならない」という基本が示されただけのことだ。日曜日に起きたことは、ハンガリー国民にイデオロギー的な地震や方向転換が起きたということではない。単に人間的なことである。国民は、しだいにおべっかと、大きな宣伝マシーンからの賞賛に甘やかされるようになった強いリーダーを倒したのである(Higgins)。

 オルバーンは「ポピュリズムのパラドックス」に陥って敗北したのだとする説もある。「ポピュリストのパラドックス」と呼ばれる、よく知られたパターンがある。一部のポピュリスト指導者は、「腐敗を一掃し、汚職と闘う」という公約を掲げて勝利を収める。しかし、一旦権力を握ると、彼らは汚職を防ぐための制度を徐々に弱体化させ、その汚職を利用して自らの支配を強固なものにしていくのである(Bennhold)。

3)政治家というよりは「興行主」

 最後に皮肉たっぷりの議論を「ウオール・ストリート・ジャーナル」が載せている。曰く、オルバーンを支持する米国の「オルタナ右翼」も、国際的なリベラル派のオルバーン批判者も決して、長年ハンガリー首相を務めた彼を真に理解していたわけではなかった。本当の独裁者であれば、自分の権力を脅かす選挙を回避あるいは制御する手段を見つけていただろう。オルバーンは結局、政治家というよりは興行主だった。移民、キリスト教、同性愛、世界主義的自由主義、国家主権にロシアなど、オルバーンはどこに熱い議論を巻き起こす争点があるかを知っていた。彼はそれを頻繁に強く刺激した。ナショナリスト的な保守派はそれを大いに喜び、世界主義的自由主義者は激怒した。その一方で、オルバーンは政治機構の構築に精を出したが、それは世界を変えることより、自分の権力を維持することを重視するものだった。

 過去16年の大半において、オルバーンの体制は機能してきた。彼が掲げた大義は、高齢化と人口減少が進むハンガリーにおいて、将来に不安を抱き、移民や文化的変容に脅威を感じる国民の共感を呼んだ。同時に、EUの世界主義的、脱国家的かつ脱歴史的なリベラル思想に対する彼の反対姿勢は、世界中で支持者を集め、それが彼の国内での地位強化に役立った。

 だが、オルバーンは建設者というよりエンターテイナーとして優れていた。広く称賛された彼の家族重視政策も、ハンガリーの人口減少を反転させることができなかった。有能な若いハンガリー人が西欧に移住する状況が続いた。汚職が広がる中、経済は停滞した。ハンガリー人はかつて旧ワルシャワ条約機構加盟国の住民の中でも最も裕福な部類に入っていた。だが現在では、ルーマニア人より貧しい。選挙区の恣意的な改定やメディア操作は、発想力に欠けるように見える指導部に対する国民の倦怠感の高まりを克服することはできなかった(Mead)。

 オルバーンもマジャルもイデオロギー的に大差がないことを考えると、このような見方もあり得るかもしれない。

(2)マジャルの勝因   

1)EUと縁故主義

 マジャルは、なぜ大勝したのか。鍵は、EUと縁故主義に主に求められている。マジャルは、ハンガリーとEUの緊張した関係を修復し、汚職を取り締まり、生活水準を引き上げ、長年放置されてきた公共サービスに資金を投入すると公約した(Kassam;Breeden)。マジャルは現在の体制とはきっぱりと決別すると断言し、とくに公的資金で私腹を肥やす連中は排除すると約束した(Goldberg April 13)と言われている。

 そのうえで、マジャルは独特の運動を繰り広げてきた。2年間にわたり、マジャルは急成長する自分の運動を全国の村々や町の広場、そして都市へと広め、長年にわたりハンガリーに蔓延していた縁故主義や汚職にうんざりしていたハンガリー国民を結集させてきた(Kirby)。私の友人で、元ハンガリー科学アカデミー総裁であった歴史家のベレンドUCLA名誉教授は、マジャルが全国の町や村を回って人々と直に接したことを重視している。もともとオルバーンは地方に強いはずであったが、そこを縁故主義や汚職を批判するマジャルに掘り崩されてしまったのである。

2)二つのポイント

 NYTの編集部はマジャルの選挙キャンペーンの二つのポイントを指摘した記事を載せている。

 一つに、生計に関する問題に焦点をあてたこと。ティサ党は、政府のサービスの非効率を批判、勤労家族の減税、医療の拡大、年金の増額、児童手当の拡大、学校の補助員の給料引き上げを公約、富裕税からの収入とEUからの基金で、これを賄うとした。数家族が国の半分を持っていると言われた。マジャルは、汚職問題を中心的争点とし、それとの関係で、ハンガリーの生活水準の停滞を取り上げたのだ。

 二つに、社会的進歩主義を採らなかったこと。マジャルは中道右派で勝利した。経済的には進歩主義だが、文化的には保守とは言わないが中道である。マジャルは、右派として愛国的シンボルを使った。国旗がその例だ。彼の名前も得している(=マジャルとはハンガリーのことである)。かれはナショナリストだと公言している。かれは農村部を回った。ウクライナのために軍隊や武器を送らないと約束した。LGBTQのデモには出なかった。移民については、オルバーンよりも厳しい規制を主張した。ハンガリー在住のアメリカの保守主義者ロッド・ドレアは、マジャルが勝ったのは、「少なくとも公的には、かれがオルバーンの支持するすべての事を受け入れたからである」という。マジャルは、不法移民に反対し、同性愛にも反対している。選挙は、中道右派と権威主義的右翼との争いだったのだ(The Editorial Board)。

3)「オルバーンでないこと」   

 マジャルの勝利は、イデオロギーや政策体系の故ではないとの声が強い。マジャルの勝利は、オルバーンとのイデオロギー上の隔たりを巧みに最小限にとどめつつ、自身の能力と誠実さに焦点を合わせたことにある(Mead)とか、マジャルは、オルバーンと同じような考えをする保守派であるが、かれはオルバーンほど好戦的でも断定的でもなく、自国ともEUとも仲良くやっていく「人間的な」ハンガリー人であることを約束したのだと言われた。そしてついには、マジャルは医療や教育やEU対策などについて詳しく語ったことはなく、かれの最大の強みは「オルバーンでないこと」だったのだ(Higgins)とされる。これがポイントかもしれない。

2.ハンガリーの国内政治はどうなる  

1)喜ぶ人たち

 『ガーディアン』は、オルバーンの敗北を喜ぶ国民の声を伝えている。「独裁政権や右派のイデオロギー、そういったものはすべて消え去り、私たちはより良い国を作るチャンスを得たのです」。「希望に満ちて、幸せです」。「これからの4年間が、過去16年間よりも良いものになることを心から願っています」。「今後4年間、ハンガリー国民は安全、平和、自由を享受でき、誰にも生活に干渉されることはないだろう」という声である(Kassam)。ハンガリーの地方都市に住むわたしの友人は、地方の文化の維持、育成に熱心に取り組んでいるが、彼は「これで、創造的な仕事ができるようになる」と喜んでいる。

2)そんなに喜んでいいのか

 たしかに、ティサ党が公約してきたように政府のサービスを効率化し、勤労家族の減税、医療の拡大、年金の増額、児童手当の拡大、学校の補助員の給料引き上げは実現していくだろう。富裕税を導入し、数家族が国の半分を持っているという汚職と縁故主義は一掃していくだろう。国民の生活水準の引き上げ、医療制度の改善も約束している。教育関係の改善も実行するだろう。また、対外的には、「同盟国からの信頼回復」や「脱ロシア産エネルギー」を目指し、EUとの関係改善に努めるとみられる。そして、オルバーンのように中国など「東」を重視するよりも、「西」へ回帰することを目指している。

 だが、マジャルはやはり保守派なのである。マジャルはかつてはオルバーンに刺激を受けた人物で、その後汚職問題などを機にオルバーンとフィデスに幻滅してそれを批判するようになった。しかし思想は保守なのである(Goldberg April 15)。マジャルは、難民受け入れには批判的である。また、LGBTQをオルバーンほど毛嫌いすることはないとはいえ、LGBTQには慎重である(Breeden)。対外的にも、ウクライナの「迅速なEU加盟」には反対の立場で、EUなどと一定の緊張関係が続く可能性はある(『時事通信』)。

3)もっと深刻に考える人もいる。

 「ハンガリーの今後の道筋は複雑なものである。フィデス党による経済界、メディア、行政、司法への支配は、広範囲かつ深く及んでいる」とみる人もいる(Kassam)。

 「オルバーンがいなくなってもハンガリーはまだむつかしい状態がつづく」とみるのは、選挙制度の問題があるからである。今回の選挙は独特の選挙システムのおかげである。ティサは投票の53%しか得ていないのに、議席は141も獲った。フィデスは49議席だが、43%も得ている。それだけ非リベラリズムの支持者がいるということだ。ティサの票には中道右派とリベラルと左派の票が混ざっているのであると言われる(Kisilowski)。

参考文献

Orbán Defeated: Netanyahu Loses Key EU Shield as Europe Reopens Gaza Debate, Palestine Chronicle, April 13, 2026
Dmitrij Peszkov: Soha nem voltunk barátok Orbán Viktorral, Nepszava, 2026.04.14
Donald Trump: Orbán Viktor a barátom volt, Nepszava, 2026.04.14
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Ragozin, Leonid, Orban was defeated in Hungary, but Orbanism lives on, Al Jajeera, April 13, 2026
Simon, Zoltan & Escritt, Thomas, Vance picks fight with Europe over Orban in vote endorsement, JT, April 9, 2026
Smialek, Jeanna and Ryckewaert, Koba, Will Viktor Orban’s Legacy Lives On in Brussels, Even Without Him?  NYT, April 14, 2026
  (国際版に再録)
  Smialek, Jeanna and Ryckewaert, Koba, Populist vision lives on in Brussels think tank, NYT Int, April 16, 2026
Smialek, Jeanna, Orban Loss in Hungary Is a Big Moment for the E. U. Heres Why, NYT. April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Smialek, Jeanna, New leader in Hungary may bolster E.U. unity, NYT Int. April 14, 2026
Sonne, Paul, Hungary May No Longer Be Putin’s Ally, but It Can’t Afford a Full Break, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Sonne, Paul, Hungary can’t afford a full break from Moscow, NYT Int, April 17, 2026

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「世界史の眼」No.74(2026年5月)

今号では、南塚信吾さんに、「幕末に於ける対外認識―レザノフ事件とモリソン号事件の影響(その2)」をお寄せ頂きました。(その1)はこちらです。また、南塚信吾さんには、昨年みすず書房より刊行されたフィリップ・テーア『東欧の体制転換と新自由主義―1989年以後のヨーロッパ』の書評もしていただいています。

南塚信吾
幕末に於ける対外認識―レザノフ事件とモリソン号事件の影響(その2)

南塚信吾
書評:フィリップ・テーア『東欧の体制転換と新自由主義』福田宏ほか訳 みすず書房 2025年

フィリップ・テーア(福田宏ほか訳)『東欧の体制転換と新自由主義―1989年以後のヨーロッパ』(みすず書房、2025年)の出版社による紹介ページはこちらです。

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幕末に於ける対外認識―レザノフ事件とモリソン号事件の影響(その2)
南塚信吾

2025年12月1日掲載の(その1)より続く

 高野長英と同じく、渡辺崋山も、モリソン号への対応について幕府を批判した。崋山が、モリソン号の噂を聞いて1838年(天保9年)に書いた『慎機論』や、1839(天保10年)に書いた「事情書3部作」、つまり『初稿西洋事情書』、『再稿西洋事情書』、『外国事情書』は、広い国際的な展望のもとに、日本の鎖国的な政策を批判したものであった。

 崋山は伊豆の韮山代官江川英竜(海防論者として幕閣に入っていた)の依頼により、世界情勢を論じた無題の論稿を書いた。最初の稿は、のちに佐藤昌介が『初稿西洋事情書』と名付けたもので、過激なものであった。これを書き直したのが、のちに同じく佐藤によって『再稿西洋事情書』と名付けられたものであるが、これも激しすぎるというので受け取られなかった。そこで書かれた第三稿が江川に上申され、これを江川が『外国事情書』と名付けたのである。以下、崋山の「事情書3部作」の内容を比較・検討してみることにする。

***

 まず、『初稿西洋事情書』(以下『初稿』)は、「西洋諸蕃の事情を知るは、誠に今時の急務」であると始める。「西洋諸蕃の義は、一地球(世界全体)に拘り候間、只欧羅巴計(ばかり)にては申し尽し難く候」という。そして、事実上、世界史を論じていく。論点を整理して見ていくことにしよう。

(1)地球中(=世界中)、赤道以南の地は「恐るるに足らず」なので、以北を考えると、一般に、「南地のもの文華有之(これあり)、北地のもは武術有之」。

(2)地球上には、五大州があるというが、実際は欧羅巴・亜細亜洲、阿弗利加洲、亜墨利加洲の三洲であり、そのほかに亜烏斯答羅利(あうすたらりー)洲がある。このうち、欧羅巴・亜細亜洲は文物制度が最も進んでいる。「人道」はみな亜細亜洲から出ており、ヨーデン宗(ユダヤ教)、ヘイデン宗(仏教のこと)、キリス宗(キリスト教)、孔子はみなこの洲から出ている。ヨーデン宗、キリス宗は北漸し、欧羅巴では、ローマ、ギリシアを経て(=順番が間違い)、「今の各国瓜分(かぶん)の世」となった。その北の「韃靼」の地の民は強壮で、東は唐山(中国)を併せ、西はアラビア、欧羅巴を併せ、南はインドを併せ、モンゴルとなっている。このように「北狄(ほくてき)」が強いが、最近は同じく北の魯西亜が世界第一の大国となっている。しかし、「物極れば衰ふ」。むかし、払郎察(ふらんす)のボナパルテという者も西洋諸国を「打平げ」たが、魯西亜に負けてしまった。このほか、アラヒヤ、エチプト等はトルコに并(へい)せられ、印度はイギリス、フランスなどの地となり、唐山は満洲に併せられた。

(3)現在は、西洋が教政隆盛である。その理由は、教主が国王と並ぶ地位にあり、教主が「生殺之権」を持ち、国王が「予奪之権」(=官吏の任免権)を持つ。国王は「役」である。こうして国は「身を治(おさめ)、人を治(おさむる)を第一の任」と考え、「開土造士」(=開化・教育)を専らとする。国は学問・教育を進め、「造士の道」を盛んにする。学校が盛んなのは、ドイツとフランスで、それに次いでイギリスである。オランダも最小国であるが、学校が盛んである。

(4)このように「学術実践を以て天地四方を詳(つまびらか)に致し、人を育し国を広め候」ゆえに、「今は、地球中、一地も欧羅巴諸国の有に之無くは御座なく候。」ただ亜細亜だけがまだ欧羅巴の領地になっていないが、これとても唐山は魯西亜、ポルトガル、アメリカ、イギリスに脅かされ、ペルシア、アラヒヤ、印度、シャム、チャンパなどは、「西洋の領に之無くは之無し」という。結局、亜細亜では「其国を古来より失わざるものは」ペルシアと日本だけである(=ペルシアの理解は矛盾しているし、シャムもおかしい)。これは「誠に心細き事」であるが、知らなければ「井蛙(せいあ)に安んじ」てしまうことにもなる。

(5)現在、我国に「涎を流し」ているのは、魯西亜と英吉利である。今は「神風」に頼ることはできないから、「敵情を審(つまびらか)に仕る」他はない。魯西亜は「仁義を専ら」とし、「地続きの国を広め」、兎角「極寒不毛の地」を相望み、次第に「南下」している。英吉利は、「智略を専ら」とし、航海を頼み、海外諸地を略し、兎角魯西亜の先を潜るような動きをしている。そういう違いはあるが、二国とも「土地を開拓」することと、「人の国を奪取」ることが、非常に「妙」である。例えば、イギリスは北アメリカを取って民を移したり、新阿蘭(オーストラリア)を開拓している。フランス、オランダも開拓しているが、7分はイギリスである。このように「天地を一統」致し、表は「同仁の意思を称し」、みだりに兵力を使うことはない。そういうわけで、英吉利などを「夷狄(いてき)」などと軽んじていることは、誠に「盲人の想像」である。

(6)およそ「時変に従ひ、政を立」てるというのは、「古今の通義」である。日本についてこれを見ると、太古の代の日本は小さかったが、次第に地方を組入れて、太閤の征戦となった。その後、鎖国となり、ただ一国を治めるようになって、終に「海外の侮」を受けるようになった。西洋が怖ろしいからとて、「雷を聞きて耳を塞ぎ、電(いなずま)を忌(いん)で目を塞ぎ候」ことはいけない。西洋は、「万事議論、皆究理を専務と仕候」。「究理」の一つに、外国は日本の地誌をよく調べている。シーホルトは魯西亜の「学頭」に乞われている。

(7)西洋では、兵は「非常の備の奉公」をするだけで、「常の事を兼ね勤る」のであり、これによって政庁、教堂、学校等に多くの人を当てることができる。そのように、質素なのは、「皆人才を育し、学文を専に、実用専一に」しているからである。したがってこの後10年、20年は事無きをえるものの、「永世の策」がないと、亜細亜諸国は、一日も安じ申さず候。」

(8)「権を全地球に及ぼし候洋人は、実に大敵と申も余り有之」。故に、「なにとぞ此の上は、御政徳と御規模の広大を祈る」ところである。

 「井蛙」、「盲人の想像」、「永世の策」がないなど厳しい幕府批判であった。この『初稿』は、あまりにもはっきりとした幕府批判をしていたので、崋山は江川に送ることを断念した。しかし、前年の『慎機論』と合わせてこの『初稿』は、「蛮社の獄」において崋山に幕府批判の罪を問う材料となったものである。

***

 次に、『再稿西洋事情』(以下『再稿』)であるが、崋山は『初稿』で露骨に幕府批判をしたので、いくらか修正が加えて、改めて『再稿』を書いた。それは『初稿』と同じく、「西洋諸蕃の事情」を知るのは「実に今時の急務」であるとし、「西洋諸蕃の義は、一地球(世界全体)に拘り候間、只欧羅巴計(ばかり)にては申し尽し難く候」という。そして、事実上、世界史を論じていた。

(1)『初稿』と同じく、『再稿』も地球中、赤道以南の地は「恐るるに足らず」なので、以北を考えるとし、一般に、「南地のものは文華有之(これあり)、北地のもの武断有之」とするが、やがて「教化は次第に北に移り、英武の主は次第に南に移り」、天地が一変したという。

(2)『初稿』と同じく、地球上の欧羅巴・亜細亜洲、阿弗利加洲、亜墨利加洲などの区分を見るが、このうち、欧羅巴・亜細亜洲は人の素質も抜群である。『初稿』では「文物制度」としていたが、今度は「人」になっていた。そして、『初稿』にある「人道」ではなく「聖人」は、みな亜細亜洲から出ており、ヨーデン宗、ヘイデン宗、キリス宗、孔子をあげるが、『再稿』はここにマホメット宗を加えている。そして、インド、ペルシア、ナトリア、アラビア、エジプトに至る地方は、古代には「教化」が盛んであったとし、それはやがて、北方は韃靼に伝わり、西北では欧羅巴に伝わったとする。そして欧羅巴では、ローマ、ギリシア(=依然として順番が間違い)を経て「今の各国瓜分(かぶん)の世」となった。「韃靼」の地も教化が早く(『初稿』では「民が強壮」という)、東は唐山(中国)を併せ、西はアラビア、欧羅巴を併せ、南はインドを併せ、モンゴルとなっており、『初稿』と同じく最近は同じく北の魯西亜が世界第一の大国となっているという。しかし、『初稿』では「物極れば衰ふ」として、ボナパルテという者も魯西亜に負けてしまったと述べて終わっていたが、『再稿』ではその後1815年以後、西洋諸国は会盟し、今の静謐となる、が加えられている。半面、この間のアラヒヤ、ナトリア、エジプト、インド、唐山などへの言及は削除されている。

(3)『再稿』も西洋で教政が盛んなるは、教主と国王が位を同じくし、国王は「職役」なのだからだと述べ、この体制により、西洋は「造士開物(=教育と研究)之学校」を「政事之根本」と考えているという。そして学校が盛んなのは、独仏英などであるとしたうえで、『初稿』とは違って、西洋諸国は小国ではあるが、新知識を秘すことはなく、「ナチュール(=天意)」に背くことを嫌うということを付け加えている。それゆえ、風説(ニュース)を印刷するところがいくつもあり、新聞(新しい見聞)が諸国に広められている。西洋は、果断に事を行うが、これは「窮理」(物事の道理を窮める)から来ている。だから、諸国の政の改正が度々起こるという。

(4)『初稿』と同じく,この結果、ただ亜細亜だけがまだ欧羅巴の領地になっていないが、これとても唐山は北狄の有となっていたりして、結局、亜細亜では「古来独立」しているのは日本とペルシアだけであるとし、これは「誠に心細き事」であるという。『再稿』はさらに、唐山はキャクタやイルコーツカでロシアと交易をし、広東・マカオにて土地を貸して、ポルトガル、アメリカ、イギリスなどと交易をしている。そのほか、西洋はペルシア、アラビアに商館を置き、セイロン、インド、マラッカ、チャンパなどや、マリアナ諸島、フィリピン諸島、モルッカ諸島などすべてを「領」していると述べている。ここはより正確になっている。そして、これ以後が新しい。『再稿』は、我国は「途上遺肉」(=道に捨てられた肉)のようであり、「狼虎」(西洋諸国)がこれを顧みない筈がない。しかるに、我国は「知らざれば井蛙も安じ、小鷦(しょうしょう=小さなミソサザイ)も大鳥を笑ふ」のようになっていると警告した。

(5)『再稿』も、現在我国に交易を望んでいるのは、魯西亜と英吉利であるとし、今は「神風」に頼ることはできないから、先ず「敵情を審に仕る」他はないという。そして、両国の違いを指摘しているが、『再稿』との違いは、魯西亜が兎角「極寒不毛の地」を望むのは、「南移」の基を固めようとしているからであるとしている点であろう。また、二国とも「土地を拓き」、「人の国を蚕食」する事、非常に「妙」であるとするのは同じである。以下の記述は、『初稿』より拡充されている。イギリスは北亜米利加に人民を移し、フランス・オランダも土地を開いたが、イギリスに蚕食され、いまでは七分はイギリス領である。北アメリカは自立して「合衆国」と言い、「共治之政」(共和制)となった。イギリスは、「人之国を奪う」ことが巧みで、とくに印度は巧みにオランダから奪った。インドには他にポルトガルとフランスも「拠」っている。そのほか、アフリカ、アメリカ、アウスタラリーは、みな「洋人」の「巣穴」となっている。そして、『初稿』と同じように、英吉利などを「夷狄(いてき)」などと軽んじることは、誠に「妄人(盲人)の想像」であると批判した。

(6)このあとに『初稿』では、およそ「時変に従ひ、政を立」てるというのは、「古今の通義」であるとして、日本がこれに乗り遅れていることが書かれていたが、『再稿』では、それは消え、唐土や印度など古代の聖人のいたところは、その後の変化を知らず、「空疎無稽乃識」におぼれ、一国も残らず夷狄の地となったとされる。『初稿』では、それに対して西洋人は、「万事議論、皆究理を専務と仕候」とするが、『再稿』は、「物事之理を押窮(おしきわめ)」て、「教政補益を致」すので、教政が並びに盛んになって、いまでは「邪教(=キリスト教)」の至らないところはないくらいであるという。根本は「地球を審(つまび)らかに致、四方を弁じ、風俗を察し、政度を明に致」すことであるので、「掌中の物を見る如く」である。日本についてもそのように調べられている。「シーボルト」もいまではロシア政府に仕えていると重ねて指摘する。

(7)西洋の軍事についてみると、軍は陸軍と海軍に分かれている。軍人は、人口の100分の1か50分の1ぐらい。兵士は毎日軍装をして「場所」に出て「操練」を受けつつ「番」をしている。軍備に人を使うので、家の下僕は印度人、ネーケル人(=ニグロ 黒人)を使う。教育についてみると、学校には多くの人がいることを善治と考えている。故に国王の供(とも)の数は少ない。ひとえに、「人才を育」そうとするのである。それゆえに、「たとえ此後患(わざわい)之無く」とも、西洋は「漸進」の勢いにあって、「亜細亜諸国の備え忽(ゆる)がせにすべからず」と警告した。

 『初稿』ほどではないが、『再稿』も「井蛙」、「妄人の想像」、「時変」に遅れなど、依然、幕府批判をにおわせていた。崋山はこれを江川に送ったが、江川はこれを却下し、書き直しを命じた。

***

 こうしてできたのが、第三稿の『外国事情書』(以下『外国』)である。それは、前の二つの事情書の数倍の長さがあり、構成もガラリと変わっていた。

(1)『外国』は、『再稿』と同じように始める。「地球」上の五大州(アジア、ヨーロッパ、アフリカ、アメリカ、アウスタラリー)のうちの亜細亜・欧羅巴州が最古より「教化」が進んでいた。その中でも古代「南方は尊く、北方は卑く」あったが、その後「教化」は南方から北方へと移動した。唐土の教えは満洲・蒙古などに入り、元や清になった。「如徳亜の教」(=ユダヤ教)が北へ行って邪宗(=キリスト教)になり、アラビアや印度の教えが「回回宗」(=マホメット教)やラマ宗になった。そして「モンゴル」とヨーロッパがさかえた。しかしモンゴルは東西に拡張したが、いまや英仏ポルトガルに「拠られ」ている。一方、ヨーロッパ諸国は、海外に広がり、四大洲諸国を「押領」している。今日、「独立」して「最古より一毫も汚瀆(うとく=けがれ)を受けざるもの」は世界中で「只皇国」のみになった。崋山はこれを、「誠に有難」きことであるとして終えている。『再稿』では、日本の「古来独立」のことはもっと後に出てきていた。

(2)次に『再稿』にはない新たな議論が入ってくる。『外国』は、上のように古今の間に大きな変化があったが、「大道」(人倫の道)に関してはどの国も「今は古に及ばない」という。しかし、「物理の学」(自然科学)に関しては、「古は今に及ばず」とする。「物理の学」の世界では、遅れて興った国がたちまちに文明化することが起こるのである。その例が、ロシアと合衆国であるという。ロシアは極北の国だが、ペートル(ピョートル)という英主が出て以来、道路や運河や都市や寺院を作り、産物を集め交易を始め、人民の教化に勤め、世界第一の帝国となった。また、ちかごろ北アメリカ州にイギリスから独立して、「レピュフレーキ」(=共和国)の「フルヱーニグテ・スターデン」(=合衆国)ができて、農業・工業を発展させ、「教・政・物理の学」を盛んにして、軍事力も整備して、急速に世界で最も富裕な国となった。しかも「ストームボート」(=蒸気船)といわれるものも持っているという。『再稿』では、ロシアやアメリカ合衆国への言及はあったが、「物理の学」とは違った文脈に置かれていた。

(3)以下も『外国』の新しい議論である。西洋諸国は「物理の学」(自然科学)を専らにして、「天地四方」(世界)をますます「審らか」にしてきた。そして、「一国を以て天下」とせず、「天下を以て天下」とし、領土を拡張しようとしている。イギリスなどは代表的である。国を安定させ、民を豊かにさせれば、「自張」(拡張)せんとするのは「自然の理」なのである。アジア諸国は「人性善良温雅」で、外観を飾るだけであるのに対し、ヨーロッパ人は表面は「謙遜礼譲」であるが、内面は「誇大」で、功利を基としている。それでも、世界の事情に通じているので、「了簡」は狭くないと考える。    

(4)さらに以下も『外国』の新しい議論である。西洋諸国は互に自らを拡張しようとして、八面みな敵になっている。そこで合従連衡をはかっている。それゆえ、国内の政治に勤め、内政・外交を「慎密」(=慎重で綿密)にしている。政体は三つに分けられ、独立国(君主国)、守盟国(従属国)、共和国である。宗教は、ヨーデン、キリステン、マホメットの三宗である。政治は、「養才造士」つまり教育を第一としている。教育の内容は、教道、政道、医学、物理学のほか、芸術、手職である。学校も、大学校、ラテン学校(コルレギーン)、小学校、幼学院、その他各種職業学校や、貧子院、女学院などがある。西洋諸国では、国王と並んで「教主」が対等の地位を占めている。キリスト教の教主は、上は国王から下は庶民に至るまで人倫五常の道を説き、君主をも諫める。それは我国の一向宗と似ている。政府の官僚は内外政に精励し、功を立てたものはほめたたえられる。軍事は、「武術学場」(=軍事学校)が設けられ、平時はそこで操練をうけている。こうして、諸国は「実政」に勤め、年々新領土や属領の獲得に相競っているので、「外患」も生じてくる。それ故、「世々権略之政」(=臨機応変の政略)も多く、「時勢の枢機」(時勢の動きの本質)を巧みにとらえることに長じている。世界がその害を受けるのは、十分に守りをしていないからだけではなく、ヨーロッパ諸国が「呑琢」(併呑)に奔競しているからなのである。たしかに西洋諸国のバランスのとれた説明になっている。

(5)『外国』は、西洋人の警戒すべき点を以下のように指摘した。西洋人は、忍耐強いが、仁も智も義もうわべだけで、信ずれば篭絡され、礼をもってすればへつらわれ、その行為も真偽がいろいろで、幻惑されてしまう。かれらはいったん「規画」すると目的の実現まで忍耐強く粘り続ける。イギリスがインドを征服し、オランダがジャワを占領したのもそうである。このように西洋諸国は、「深忍積思」をもってさまざまな規画を立て、実行しているのである。かれらは世界中に領地を持っていて、その地に「風説板行署」(新聞発行所)を作り、世界中の風説書を相互に取りかわして世界中の事情がわかるようにしている。かの国で歴史と言えば、地球中(世界中)の歴史のことである。こうして、西洋諸国は世界の事情について詳しい知識を持っているというのだった。『再稿』では、新知識を秘すことは「ナチュール」に背くという文脈で風説書が述べられていたが、ここでは違っているわけである。

(6)そういう世界知識の一つとして、西洋諸国は、日本についての知識も深めて来ているとして、『外国』は日本について論じたオランダやロシアでの情報を紹介している。中でも、ロシア人「レサノー」(レザノフ)に従って来た「クルウセン」(=クルーゼンシュテルン)の紀行を詳細に引用して、とくに蝦夷の事情をよく知らせていた。この紀行は『奉使日本紀行』として林宗訳で1828年に刊行されていたから、崋山は読むことができていたわけである。崋山は、「クルウセン」が紀行の、「蝦夷の北隅、ソーヤ岬・リーシリ島を検査」したおりに考えたことを下記のように記していた。

 まず、「クルウセン」は択捉を取るべしと言っていた。「「アニワ」(=エトロフ島のことか)を取て、之に拠らんことは、少しも難しきことあるべからず。此処の日本人は兵器の用意もなく、防守の慮(おもんぱかり)はなしと見たればなり。又此処を人に奪われたりとも、日本の政家(政府)の之を取返す手配は容易に仕難かるべし。」ついで「サカリン」(樺太)については、「日本人の「アイヌ」に遇する、甚だ仁愛を以て扱ふと見ゆ。是故に、此の地を治るは「アイヌ」に恩を施し、・・・恩愛も政法も怠りなくして治むべきなり。」そのうえで、「サカリン」は、そこに欧羅巴人の商館を置き、日本と交易をなすべきである、というのであった。このような日本についての記述は、『初稿』、『再稿』にはない記述である。

(7)『再稿』と同じく、『外国』も西洋諸国の内、「皇国に関係」しているのは、イギリスとロシアであるとしていたが、『再稿』とは違って、両国の地誌や歴史を非常に詳しく述べていた。すなわち、イギリスについては、その名称、領土、属領、宗教、政体、国内行政区分、国税、商船について、ロシアについては、その名称、領土、人種、宗教、政体、軍隊、国内行政区分が述べられた。そのうえで、『初稿』『再稿』と同じく、両国の違いが指摘されて、ロシアは陸軍に長じ、地続きの国を併呑したが、極寒で不利な地を占めている。南方に出ようとしているように思われるが、「仁義をしき事を称」しているのは、守りを固くするためである。一方、イギリスは海軍に長じ、沿革の地を併呑している。暖帯の利地を拓き、海峡の要地や航海に便利な島々を占領して、他国に先立って土地を占領して命名し、他国が併呑することを邪魔している。世界を征服する「大望」があるように見えると警告した。

 以上のような『外国事情書』は、鎖国批判の部分は削除されて、海外事情の説明になっていた。そして、外国勢力の危険性を知らせ、海防策ぐらいでは不十分であることを気づかせようとしたのであった(佐藤他校注 1971 21-22,18-42,66-72頁;佐藤編 1972 113-158頁)。

***

 これら「事情書3部作」において、崋山は、モリソン号の渡来の背景を探っていく中で、世界情勢を的確に把握していることを示した。それは西洋諸国を中心にしながら、アジア、アフリカ、アメリカにも目を広げていた。その中でも、とくに日本に迫ろうとしているロシアやイギリスについてその歴史を交えて、詳細に論じていた。

 しかし、このような論を立てた崋山は長英とともに、1838年5月に捕らえられ、12月に処罰された。これは広く蘭学者への弾圧であり、「蕃社の獄」として知られることになったが、崋山のような世界史認識が積み上げられることはなく、日本の対外認識の遅れをもたらしたことは、容易に想像がつく。

参考文献

Plummer, Katherine, The Shogun’s Reluctant Ambassadors; Japanese Sea Drifters in the North Pacific, The Oregon Historical Society, 1991

石山禎一・宮崎克則「シーボルトの生涯とその業績関係年表1(1796‐1832年)」『西南学院大学国際文化論集』第26巻 第 1号 2011年9月 155-228頁

大槻玄沢・志村弘強編 杉本つとむ他解説『環海異聞 本文と解説』八阪書房 1986年

木崎良平『漂流民とロシア』中公新書 1991年 

久米邦武『特命全権大使・米欧回覧実記』岩波文庫 1980年

佐藤昌介編『日本の名著 渡辺崋山・高野長英』中央公論社 1972年

佐藤昌介・植手通有・山口宗之校注『渡辺崋山・高野長英・佐久間象山・横井小南・橋本左内 日本思想体系55』岩波書店 1971年

佐藤信淵『西洋列国史畧』 https://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko08/bunko08_c0210/bunko08_c0210.pdf

宮永 孝「北米・ハワイ漂流奇談」(その1) 『社会志林』(法政大学社会学)60巻 2号 2013年9月

森永貴子『ロシアの拡大と毛皮交易』彩流社 2008年

(「世界史の眼」No.74)

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書評:フィリップ・テーア『東欧の体制転換と新自由主義』福田宏ほか訳 みすず書房 2025年
南塚信吾

 本書のドイツ語の原題は『古い大陸における新しい秩序―新自由主義の歴史』である。本訳書のタイトル『東欧の体制転換と新自由主義』から想像されるような1990年前後の「東欧の体制転換」に限られた議論をしているのではないが、議論の中心はそれには違いない。著者は、2010年からウイーン大学の教授で、2020年にできた「転換研究センター」の長を務める。

 本書の章立てを並べても話の構造は分からないので、訳者自身の読み方に従って、書評をしていきたい。

1.1989年以前

 本書は、1989-91年の前に、ヨーロッパの東西において、同じように新自由主義的な転換を迎える素地が準備されていたと主張する。つまり、西欧では、80年代に福祉国家の改革は失敗し、サッチャーのような改革派が新自由主義の方向を取った。一方、東欧では、80年代に国家社会主義の改革を目指す動きがあった。東欧諸国の人びとは、冷戦研究に長らく影響を与えてきた全体主義理論がいうようには、強制的に同質化され、おびえて暮らしていたわけではなく、社会主義の体制を改革しようという動きがあった。しかし、その改革はうまく行かず、結局、新自由主義の方向に動いていった、というのである。

 これは確かにそうだが、東欧では、ソ連のゴルバチョフが東欧支援を停止せざるを得なくなったことの影響、西側で作られた新自由主義の考えがIMFなどによって東欧に植え付けられた経緯などは、もっと考慮しなければならないのではなかろうか。

2.1989-90年代:新自由主義化の第一波     

 1989年にポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ルーマニアの諸革命、ベルリンの壁崩壊、そして1990-91年に東ドイツの終焉、ユーゴスラヴィアの解体、アルバニアの体制崩壊、ソ連の解体が起きた。本書はまず、このような諸変革によって単一民族の国民国家が形成されたという。それは19世紀後半以来の国民国家形成をいっそう推し進めた国民国家形成の新時代が到来した。単一民族化の原則はこれまでより強かったという。

 東欧の体制転換を本書は「革命」と捉えている。ただ、本書は、1989年は一貫して革命と言っているが、1989-91年全体では「大変革」と言ったり、「革命」と言ったりしていて、読者には混乱させられる。ともあれ、1989―91年は、当時においてはだれも「革命」とは言っていなかった、「革命」はあとから名付けられたのだという。

 諸革命の結果、ヨーロッパでは諸革命の本当の新しさはそれが非暴力的に展開され、「交渉による革命」として進められた点にある。この非暴力性はそれまでのどの革命にもなかったという。そういう革命はいかに展開したか。本書は、旧来の国家社会主義はまだ意味があって、体制内の反対派はその改革を考えていたが、それが実現しないうちに、新自由主義が支配的になっていったと見ている。  

 こうして、東欧での新自由主義化の第一波がやってきた。本書は、東欧のなかでも、中東欧諸国(ヴィシェグラード諸国)と南東欧と旧ソ連を区別している。中東欧では1989-90年に新自由主義化が始まり、南東欧とロシアでの新自由主義化は1990年代半ば以降という。この第一波で、民営化、規制緩和、市場化が行われるが、民営化について言えば、

 この時期には、国家が統制した企業の民営化と郵便・通信・エネルギーなどの民営化が行われた。評者から見ると、90年代初頭の東欧での農業の変革問題が重視されるべきなのではないかと思われる。ポーランドを除いた東欧での生産協同組合の解体、土地の私有化が持ったインパクトは大きかったはずである。

 本書は、東欧での変化は西側世界に種々の影響を及ぼしたという。とりわけ「市民社会」という概念は東から西へ伝播した例であると指摘する。だが、評者は、「市民社会」論は、新自由主義とともに、西から来たのではないかと思っている。

 しかし、総じて西は東の転換には無反応であった。東欧の転換は、「鉄のカーテンの東側だけで生じた文字どおり片面的な革命」であった。西の平和運動や環境運動の活動家たちは動かず、チャンスが活かされなかった。左派の知識人も東欧の革命に懐疑的だったという。その間に、自由は市場での自由になってしまって、種々の改革運動は消えてしまった。そして、西も東も新自由主義が覆うことになった。

3.2000年   

 本書は、2000年ごろに東欧には新自由主義化の第二波がやってきたと見ている。西から金融セクター、不動産への外資が広まり、老齢年金や健康保険などの民営化が行われた。中東欧全体に新自由主義が浸透して、民主化が成功し定着した。南東欧と旧ソ連諸国は新自由主義化の遅れを取り戻したとされる。

 ここで、本書は、新自由主義の四つのパターンを見ている。

  1. 福祉国家的な要素を残した新自由主義体制―ヴィシェグラード諸国
  2. 明確な新自由主義体制―バルト諸国と南東欧
  3. ネオーコーポラティズム型―スロヴェニア
  4. オリガルヒ型―旧ソ連諸国

 旧ソ連では国家資本主義の体制ができたが、それは、「権威主義体制の枠組みに合うように調整された新自由主義のハイブリッド」であったという。

 こういうパターンの違いはあったが、総じて、東欧では豊かな都市と貧しい地方の格差が拡大したことを本書は指摘している。

 だが、本書は、東欧諸国のEU加盟は、この格差を縮小するのを助けたという。2004年と2007年に中東欧、南東欧はEUに加盟したのである。EUは投資をして、東部を飛躍させ、新自由主義化の第二波による格差拡大を緩和させたというのである。ただ、旧ソ連諸国では大衆とオリガルヒとの格差は拡大した。

 ヨーロッパの東西で言えば、2008年までに、東のEU新加盟国は西の既加盟国の経済水準に近づいたとされる。ヨーロッパ全体が新自由主義の下で、経済成長をするようになったのである。その中で、1990年以後の新自由主義的改革の中で主に苦しんだのは、東欧では、高齢者と年金受給者、南欧(イタリアなど)では若い世代であったと、本書は指摘する。だが、本書は農村を見ていないようだ。

4.2008―09年:金融危機  

 本書は2008年のリーマン・ショックに始まる金融・株式市場の危機を、東欧における新自由主義の危機ととらえている。この危機の中で、西欧の投資家による資本の引き上げが興り、国家予算が危機に瀕してIMFが出動することになった。この2008―09年の危機は、EU新加盟国と旧ソ連諸国に、ドイツやオーストリア以上に強力な打撃を与えた。そして、このグローバルな金融・財政・経済危機はEU新加盟国の既加盟国との経済格差の縮小傾向を突然終わらせたのだった。

 この危機への対応を本書は次にように分類している。

  1. 国家支出増で対応―ドイツ、オーストリア、ポーランド、スロヴァキア
  2. 新自由主義型―バルト諸国、南東欧
  3. 場当たり的―ウクライナ
  4. 新自由主義からの離脱―ロシア「国家資本主義」ほか

 ただし、ロシアについては、新自由主義からの離脱と言っても、完全な離脱ではないとしている。チェコやハンガリーはどこに入るのだろうか。

 本書は、2008年以降、ほぼすべてのEU新加盟国は、既加盟国より深刻な不況に陥ったが、速やかに危機を克服したという。それに比べ、南欧諸国(イタリア、ギリシア)は回復が大幅に遅れた。だからイタリアでは、左右のポピュリストが台頭した。

 この際、東部ヨーロッパでは、危機への対応として、大規模な労働移民が起き、これが景気後退の影響を緩和したという。1990年代にはポーランド人の移民が多かったが、2008年以後は、ルーマニア、ラトヴィア、リトアニアなどからの移民が多かったのである。

 この危機が克服されるにつれ、EUをさらに東へ拡大するよう働きかけが行われた(誰によってかは明記されていない)。その例が、2014年のウクライナの「オレンジ革命」であったという。この時、ウクライナでは「民主的に選ばれた」大統領ユーシェンコはEU加盟を打診した。だが、EUは「距離」を取った。EUは無理解だったと本書はいう。ついで、2013-14年にウクライナでは「本当の意味での革命的な状態」がやってきた。この革命運動(マイダン革命―評者)によって、ウクライナでは「持続的な民主主義」が確立したが、しかし、クリミアがロシアに併合され、東部ウクライナが不安定になって、革命に悲劇的な結果をもたらしたと、本書は見る。だが、本書は、ウクライナのEUへの正式加盟の選択肢を排除すべきではないという。「国全体がヨーロッパに位置し、民主的に統治され、かつEUへの加盟を望んでいるのであれば、その国家を拒絶する説得的な理由は何もない」というのである。

 ここに著者の目線がはっきりと示されている。「民主的に選ばれた」とか「持続的な民主主義」が確立したというのは、どうだろうか。例えば、マイダン革命がアメリカの「関与」したクーデタであることは、オバマ自身が認めていることである。ともかく、新自由主義を東方へ広める動きは、停滞した。

5.2016年以後:新自由主義化の停滞 

 新自由主義が深刻な社会的・地域的格差を生んだ。そのために2016年に「反自由主義的転回」が起きた。本書は、新自由主義秩序によって特に悪影響を受けた人びとの反抗が反映したのが、2016年のイギリスのEU離脱(ブレグジット)であり、アメリカ大統領選でのトランプの当選であったという。ハンガリーのオルバーンは「非リベラル・デモクラシー」を唱えて、新自由主義に対抗し始めた。これらに見られるような動きによって、本書は、この時期までに新自由主義化は「停滞」し、まもなく新自由主義と大転換の時代は「終焉」を迎えたという。本書は「停滞」といい「終焉」というが、両者はあまりきちんと整理されていないように思われる。

 本書は、この2016年の「反自由主義的転回」によってもたらされた「一時代の終焉」がパンデミックによって改めて示されたという。パンデミックは新自由主義的グローバル化に根源的な批判を突き付けた。それは、一つには、自然への容赦のない搾取への批判であり、二つには、格差の拡大への批判である。

 本書は、2022年2月24日に始まるロシアのウクライナでの戦争は、「ウクライナに対してだけでなく、自由なヨーロッパ、西側、さらには1989年の諸価値に対する戦争」であるという。しかし、他の諸事件の場合の分析と違って、本書はこの戦争の始まる過程の分析をしていない。新自由主義を東へ進めようとしたことへのロシアの反発は考慮されていない。

 ともあれ、本書は、この結果、新自由主義的秩序はさらに弱体化され、新自由主義的グローバル化は「終焉」したという。ただ本書は、ヨーロッパの新自由主義化をポジティヴに評価し、そのマイナス面は改革で直せるという立場を取っているようである。

 このあと世界はどこへ行くのか。本書はこう見ている。

「ロシアや中国によって喧伝される多元的世界秩序は、寂肉強食や暴力、勢力圏を求めての武力闘争によって特徴づけられるものとなるだろう。これは、19世紀における帝国主義の時代への逆戻りとなるかもしれない。だからこそ西側は、ウクライナがこの戦争に勝利すべく文字通り全力で支援しなければならない。1989年における民主革命の遺産を守ることが重要である。」

 現在の世界の情勢を見ていると、「19世紀における帝国主義の時代への逆戻り」をしているのは、アメリカ、イスラエルではなかろうか。「1989年における民主革命の遺産」とは、新自由主義的グローバル化のことだろうか。しかし、それは「終焉」したと言っているはずであるが、まだ「守る」べき遺産なのだろうか。

 本書では、多くの歴史的事象にかなり細かい周到な検討がされている。しかし、そういう検討がなされていない事象も散見される。それだけに、本書を素材にさまざまな議論をすることができそうである。

(「世界史の眼」No.74)

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