「不法入国者は殺人者と強姦魔だ」。この中傷発言とともに2016年米大統領選に出馬したドナルド・トランプは、「メキシコとの国境に堅固で均質な壁を建設して不法入国を阻止し、われわれの仕事を中国とメキシコから取り戻す」との公約を掲げて没落する白人中産階級や失業に苦しむ白人貧困層、白人差別主義者らの支持をつかみ大統領選を制した。公約の「堅固な国境の壁」の建設は議会の反対や様々な混乱に直面して遅々として進まぬなか、2019年2月トランプは非常事態宣言を発して大統領権限で国防総省予算から費用を捻出して壁の建設を強行しようと企てた。
「全長3200㎞、数十億㌦規模の米墨国境の壁建設を米大統領が繰り返し命じることが鬱屈した有権者のある種の心の支えになっている。それは、われわれの文明の行く末が論じられる際には、どこかにこの壁の問題がつねに潜んでいるということだ」。そう憂慮する建築家でデザイン批評家のイアン・ブルナーは、そもそも「壁」とは何かという根源的な問いを発した。彼は「新石器時代前期の終わりからの1万年間に人類が定住したほとんどの土地には境界を示す何らかの建造物があった」ことに注目し、古今東西の様々な壁についての発掘調査報告や多岐にわたる参考文献にあたって知見を深めるとともにみずから現場を訪れて「壁」を観察し考察するという作業に取り組んだ。本書はその作業の成果であり、人類史において壁がどのような意味と役割を発揮してきたかを論じている。第1章「差異の発明」は本書の核心部分であり、以下ではこの章を中心に見ていくことにする。
パレスチナのヨルダン川西岸地区にあるイェリコの城壁は世界最古の城壁である。考古学・人類学の発掘調査によれば、その出現は紀元前8300年にさかのぼり、城壁があったイェリコは、ユダヤ丘陵地帯のふもとにあった泉のそばにつくられた集落を備えた世界最古の町でもあった。人類はイェリコの町がつくられたずっとあとの時代まで狩猟採取生活段階にあり、町の住民と城壁の外側の遊牧民との違いは壁の有無だけでほとんど区別はつかなかったはずなのになぜ両者を分ける壁が築かれたのかは謎であった。だがこの謎は1980年代の発掘調査によって解けた。イエリコ城壁の内側に高い尖塔があったことが発見され、この尖塔の影が一年で最も日の長い日に太陽が沈むと城壁内の集落全体に重なったであろうことが天文学的・地形学的計測によって割り出された。その結果、イェリコの城壁は防御のためではなく、人を感動させ招き寄せる儀式に使うための建物だったとの説が有力となったのである。紀元前8000年代の地層には激しい戦争の形跡が見られず、最初の壁がつくられた時代に埋葬された人物が当時としては長寿だったことからも、イェリコの城壁が比較的平和な時代に建造され、人を遠ざける要塞ではなかったとの説が一層有力となった。著者はそれらの発掘調査の成果を踏まえて、イェリコの壁は「“われわれ”と“彼ら”を分ける差異の概念」とともに「“われわれ”と“彼ら”がともにいるという考え」をも生みだしたというように理解した。
著者は次に、長らく史実とされてきた旧約聖書におけるイェリコの町占領と城壁崩壊の記述について検討している。『ヨシュア記』第6章における「イェリコの占領」の記述はこうである。
ヨルダン渓谷に到着したモーセの後継者ヨシュアに率いられたイスラエル人の軍勢は、神の命令に従って契約の箱をかつぎ、カナン人が閉じこもる防壁で囲まれたイェリコの町を包囲し、7日目に城壁が奇跡的に崩壊してイスラエル軍は町を侵略し、ユダヤの神の怒りを恐れて従った内通者のラハブの一族を除く城内のすべての者たちを殺してカナンを征服し、約束の地におけるユダヤ王国を実現した。
しかし発掘調査によって、紀元前8300年にできたイェリコの城壁は紀元前3000年にはすでに崩れて消えており、イスラエル十二支族がカナンの地を奪った紀元前1500年頃のイェリコには町も何も残っておらず、また地層には戦乱の形跡も見当たらないことが判明している。したがってイェリコ陥落の記述は史実ではなく、『ヨシュア記』の第2-7章はあとから創作されたと考えられている。
『ヨシュア記』の成立はカナン征服のはるか後のバビロン捕囚期(紀元前597-578年)においてである。ユダヤ王国滅亡後バビロンに連れ去られたエルサレムの祭司たちが、ペルシャ国王の命令でユダヤ王国没落にいたる以前のモーセ五書の歴史全体の要約・再解釈作業に取り組む(紀元前538-458年)なかで『ヨシュア記』は編纂された。同書において、モーセの法(神の教えと戒め=律法)が不信仰者を罰する<法>として据えられ、異民族との結婚や異教信仰を受け入れたイスラエル人は「混血階層」として「ユダヤ人」から排除され、そしてカナン人やヱビス人、ヒビ人などセム系民族はカナン征服時に絶滅させられる等々が記述され、また同じ時期に編まれた『エゼキル書』には、神に選ばれたユダヤの民が囚われの身でエルサレムへ戻るのを待つ間に憎しみを向ける対象として「ゴグとマゴグ」という神に敵対する邪悪な存在が記述された。「ユダヤ人の伝統と言語がかつてなく脅かされている時期」(著者のことば)に編纂された両書は、モーセの法を破ったユダヤの民に試練を与えつつ他の諸民族と切り離して「ユダヤ民族」を確立して滅ぼされたユダヤ王国を復活させる意図を示していた。
『ヨシュア記』において律法が人を裁く<法律>とされ、「イスラエル人」以外の民族は絶滅させられる描写には“われわれ”を脅かすものは壁を設けて排除するとの意志が表れている。
イスラエル占領下の現在のイェリコを訪れた著者は、1万年にわたりパレスチナで実際に暮らし続けたカナン人、モアブ人、エブス人、古代ヘブライ人、アラブ人などの子孫にあたるパレスチナ住民たちが、「ユダヤ民族」思想を体現したイスラエル国家がユダヤ人入植地を守るために設けた隔離壁・防衛フェンスによって土地を奪われ日々の生活を暴力的に弾圧されている現実を目にした。彼はその光景に、古代イェリコ城壁に見出した「われわれと彼らが区分をまたいでともにいる」という平和状態が、「不公正に対する正義の勝利を示す寓話」(著者のことば)が築いた「イェリコの町を囲む堅固な壁」という空想の産物によって打ち破られているのを感じている。
次いで著者は、南北アメリカ大陸の先住民には壁がなかったことを取り上げている。人類学者によれば、北アメリカ先住民の生活習慣において壁が意味をなさなかったのは、多くの先住民間の戦争は決まった季節に短期間の小競り合いをする程度の儀式的なものであり、従って集落を壁で囲むことも攻撃者を撃退する仕組みも必要なかったのだという。
だがその状態は、西欧国家が対外進出を拡大する17世紀にマサチューセッツ湾にプリマス植民地が出現したことで一変した。1621年11月、力が弱く数でも劣る入植者たちが土地を浸蝕されて敵意を抱くマサ―チュセッツ族の首長から威嚇メッセージを受け取ると、指導者のスタンディシュは先を尖らせた板壁の巨大な正方形の防御柵を築いて武装部隊を配備した。その後に交渉のため首長を夕食に招き閉じ込め刺し殺した後に、周囲の森に待機するマサチューセッツ族の兵士たちを殺して首をはねた。集落を包囲する壁とそれにともなう戦争はこのような形で出現し、多くの先住民族はこの事件に恐れをなして周辺地域から逃げ出し、マサチューセッツ族とナラガンセット族は完全に消え去ってニューイングランド全体がヨーロッパ人入植地として利用できるようになった。
ユダヤの聖書における「ゴグ・マゴグ」の脅威は新約聖書の『ヨハネ黙示録』に受け継がれており、ハルマゲドン(終末の決戦場)にキリストの町を包囲する軍勢としてそれがあらわれるとの予言は多くのキリスト教徒の信じるところとなった。ハルマゲドンの後に到来するとされた「新しいエルサレム」の建設を新大陸において試みたピューリタンのキリスト教徒植民者たちは指導者の指示に従って、抵抗する異文化世界の住民を「ゴグ・マゴグ」に見立ててこれを殲滅した。著者はここに、「ゴグ・マゴグ」に端を発する「“われわれ”を脅かす“彼ら”の脅威から守らなければならない」というロジックを駆使して民衆をみずからの利益に向けて組織・動員する国家の時代の指導者の戦略を見出しており、彼らが築く「壁は権力の付属物であり政治の道具である」ことを認識している。アメリカや世界の他の多くの場所で排他的な感情が高まって有形無形の壁がつくられている理由を見出している。
しかし一方で著者は、壁が軍事的役割を余り果たさなかった点に注目している。紀元1世紀ローマ皇帝ハドリアヌが「野蛮人のカレドニア人」の襲撃を遮断するため巨大な「ハドリアヌスの長城」を築いて多数の守備隊を配置したものの外敵の襲撃を軍事的に食い止めることはできず、むしろ壁をはさんでローマ軍兵士とカレドニア人が接触して交流を深め、また非ローマ人に一定の条件のもとでローマ市民権を認めるローマ帝国の寛容政策がローマ文化にあこがれる被征服民のローマ軍外人部隊やカレドニア人を引きつけたことがむしろ国境の安全につながったこと、また中国の万里の長城は北方・南方民族の侵略を防ぐ軍事的防衛ラインとしてよりも、城壁の多くに交易所を設けて遊牧民と農耕民族の相互交易をつかさどる役割を果たしたことが中国王朝の安全をより良く保つたことを指摘している。さらに19世紀末以降米墨国境における中国系メキシコ人やメキシコ革命勢力の越境阻止固めに出動したパーシング指揮下のアメリカ国境騎兵隊は不法越境者との銃撃戦で危険にさらされた多くの中国系メキシコ人を保護してアメリカに連れ帰り、彼らを砂漠地帯での軍事施設建設作業につかせた後「パーシングの中国人」としてアメリカに定着させるというようなことも起きている。
だがそのような分断のゆるい壁の時代は終わり、いま世界は多数の壁で遮断され、「冷戦の時代」が戻ってきたみたいだと著者は言う。そこには、1980年代以降新自由主義経済体制の全開で、中東、東欧・バルカン、アフリカ、中南米で資源、金融・サービス、兵器輸出で莫大な利益を収めてきたグローバル資本とそれを擁護する国家権力が、それらの地域での「民主化」運動の高まりでみずからの利益が損われるのを危惧する状態がからんでいる。彼らは「イスラム・テロリズム」、「文明の衝突」、「反民主主義の高まり」等々の説明によって「われわれの安全が脅かされている」というロジックをつくりあげ、歴史的・文化的・宗教的つながりを維持して暮らしてきた地元住民同士の民族的・宗教的衝突を煽動したうえで多数の軍事的境界線や隔離壁を築いて軍事介入し自己の利益を守ろうとすることにより住民の生活破壊や難民化を引き起こしているというのが真相である。
「現在は壁の時代であり、人びとがその背後にある物語を信じるのをやめないかぎりは、壁の増殖がつづくのを食いとめるものは何もないように思われる」。これが著者の結論である。そして壁によって翻弄されているわれわれの現状を変えるには、「壁なしで栄えたあらゆる場所のこともまた研究しなければならない。壁の不在をたどること、それには壁の存在をたどることよりもさらに大きな価値があるのかもしれない」との希望的ことばを残して本書を終えている。
(「世界史の眼」No.6)