冷戦という現代世界史にとってきわめて重要な対象について包括的に学びたいと思った時、日本語で参照できる本は意外に少ない。しかも、一人の著者が統一した視点のもとに、その著者なりの歴史像にそって冷戦史を描いた本となると、残念ながら日本人研究者の手になるものは思い当たらない。外国の研究者の本で邦訳のあるものとしてすぐ念頭に浮かぶのは、ジョン・ルイス・ギャディス『歴史としての冷戦 力と平和の追求』(慶應義塾大学出版会、2004年)であるが、冷戦を「長い平和」と形容したことからも分かるように、ギャディスの冷戦像はあくまでもヨーロッパ中心的である。そのような冷戦像に大きな疑問符をつけて、いわゆる「第三世界」と米ソの関係を詳細にたどることによって、新たな冷戦史像を提示してくれた研究が、O.A.ウェスタッド(佐々木雄太監訳)『グローバル冷戦史 第三世界への介入と現代世界の形成』(名古屋大学出版会、2010年)であった。その著者がさらに時間的に視野を広げ、空間的にもより包括的な形で冷戦像を提示した結果が本書である。翻訳にあたったのは『グローバル冷戦史』の邦訳にも関わった第一線の国際関係史研究者たちであり、益田実他編『冷戦史を問いなおす 「冷戦」と「非冷戦」の境界』(ミネルヴァ書房、2015年)の寄稿者でもある。
時間的な視野の拡大は、本書の叙述が1890年代から始まっていることに示されている。冷戦の起源といえば、最大限遡ったとしても1917年のロシア革命、あるいはそれを生み出した第1次世界大戦までということが常識であろう。それを19世紀末、20世紀への世紀転換期に求める理由として、著者は二つの問題に着目する。一つは、「アメリカとロシアが強烈な国際的な使命感をみなぎらせた二つの帝国に変容していった」ことであり、今一つは「資本主義とそれを批判する者との間に存在するイデオロギー的な分断が先鋭化していった」ことである(上26、以下本書の頁をカッコ内に示す)。これは重要な着眼点であるが、評者としては、第1点目について、とりわけロシアに関しては留保したい。一方、第2点目の方は冷戦の起源論として確かに首肯できる問題提起である。そのことは、冷戦の性格についての著者の議論に関わる。
冷戦について、かつては資本主義と社会主義という社会体制をめぐるイデオロギー的対立を強調する議論が主流であった。しかし、社会主義圏の解体という形で冷戦が終焉を迎えて以降、冷戦下の東西両陣営の対立を権力政治的面からとらえてイデオロギー的側面を軽視する傾向が強まってきたという感がある。それに対して著者は、「冷戦は、そのイデオロギーの中心性とそれを信奉する人々の熱心さゆえに大半のものごとに影響をおよぼした」(下437)と、あくまでもイデオロギー的性格を重視する姿勢を崩していないのである。この点からみて、19世紀末から分析を始めることは的を射ていると考えられる。
ただ、19世紀末から第2次世界大戦までの時期を扱った部分は、必ずしも多くなく、序章と終章を除く全22章の内、第1章と第2章の2章分のみである。本書を繙く前に評者が予想していたよりはるかに少なく、若干の不満が残った。
しかし、第3章以降の冷戦史本体の叙述には、予想に違わずすばらしいものがある。ヨーロッパでの冷戦の展開についての記述は比較的オーソドックスであるが、前著につづき、非ヨーロッパ世界での冷戦の展開を、ヨーロッパと同列に目配りしながら、脱植民地化過程と関連させて議論する姿勢は他の追随を許さない。冷戦の最終的な終焉を示したソ連の崩壊について、「まさに脱植民地化の一つの事例であり、イギリスやフランスの帝国に生じたことを想起させるものだった」(下430)と論じていることには、我が意を得た感がした。個々の分析に立ち入る余裕はないが、例として、ソ連のアフガニスタン侵攻の前段階として、アンゴラややエチオピアの情勢を論じている点であるとか、冷戦終結時の東欧の変動にグローバルサウスの社会主義国の変容が先行していたとの指摘とかをあげておきたい。
著者はもともと中国研究者として出発したが、本書でもその蓄積は大いに生かされている。たとえば第9章(上巻)の「中国の災難」という章は本書全体の中でも対象を最も詳細に描いている章である。一例をあげよう。文化大革命が始まる頃、毛沢東は杭州に滞在中ある講演のなかで、「諸君は徐々に現実と接するべきである。しばらくの間は田舎に住み、少々のことを学ぶべきである。・・・本物の分厚い学術書などを読む必要はない。小さな書物を読んで一般的な知識を少々身につければ十分だ」(上346)と語ったというが、この史料は、「筆者所有の謄写版複写」である(第9章注18)。
また、インドの役割についてかなり詳しく論じられていることも重要であろう。
本書の他のメリットとして、特に下巻におけるオンライン史料の活用・引用という点を最後にあげておきたい。本書は長期間を扱った通史であるが、細かな引用について丁寧な出典注がつけられている。たとえば、アメリカのジョージ・ワシントン大学にあるアメリカ国家安全保障アーカイヴでデジタル化されている興味深い史料も引かれており、評者は本書の叙述に導かれて原史料に入り込むということを度々行ない、学ぶこと大であった。
こうした本書は、冷戦史を語る際にまず参照すべき本の一つであるといえよう。
(「世界史の眼」No.9)