月別アーカイブ: 2021年4月

「シリーズ『日本の中の世界史』への書評に関して考えること」が『歴史学研究』に掲載されました

 昨年8月、『歴史学研究』No.999に、世界史研究所の研究員も執筆しているシリーズ「日本の中の世界史」(全7巻、岩波書店)の各巻を取り上げた書評が掲載されました。(詳しくはこちら

 この書評を受け、この度、執筆者側からの回答と問題提起が、『歴史学研究』No.1008(2021年4月号)の「批判と反省」に掲載されました。

南塚信吾・小谷汪之・木畑洋一「シリーズ『日本の中の世界史』への書評に関して考えること」『歴史学研究』No.1008、49-53頁。

シリーズ「日本の中の世界史」の岩波書店の紹介ページはこちらです。

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「世界史の眼」No.13(2021年4月)

今号では、3本の書評を掲載します。慶應義塾大学の伏見岳志さんには、アラン・テイラーの『先住民vs.帝国 興亡のアメリカ史-北米大陸をめぐるグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房、2020年)を、木畑洋一さんには、ジョン・ダーウィンの『ティムール以後 世界帝国の興亡1400-2000年』上・下(国書刊行会、2020年)を、藤田進さんには、早尾貴紀『パレスチナ/イスラエル論』を評して頂きました。

伏見岳志
書評:アラン・テイラー著(橋川健竜訳)『先住民vs.帝国 興亡のアメリカ史—北米大陸をめぐるグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房、2020年)

木畑洋一
書評:ジョン・ダーウィン(秋田茂・川村朋貴・中村武司・宗村敦子・山口育人訳)『ティムール以後 世界帝国の興亡1400-2000年』上・下(国書刊行会、2020年)

藤田進
書評 : 早尾貴紀『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎、2020年3月)

アラン・テイラーの『先住民vs.帝国 興亡のアメリカ史—北米大陸をめぐるグローバル・ヒストリー』のミネルヴァ書房による紹介ページは、こちらです。ジョン・ダーウィンの『ティムール以後 世界帝国の興亡1400-2000年』の、国書刊行会による紹介ページは上巻がこちら、下巻がこちらです。早尾貴紀『パレスチナ/イスラエル論』の紹介ページは、こちらです。

「世界史の眼」も2年目に入りました。読者の皆さま、寄稿者の皆さまの支えにより、安定して更新できるようになりました。今後とも、世界史に関わる論考や書評を、多様な角度から掲載して参ります。どうぞよろしくお願い致します。

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書評:アラン・テイラー著(橋川健竜訳)『先住民vs.帝国 興亡のアメリカ史—北米大陸をめぐるグローバル・ヒストリー』(ミネルヴァ書房、2020年)
伏見岳志

 本書は、北米大陸の植民地史をコンパクトに描きだした著作である。この点は、原著の題名Colonial America: A Very Short Introductionに端的に表されている。A Very Short Introductionはオックスフォード大学出版局が刊行しているシリーズであり、さまざまなテーマに関して、第1線の研究者が書いた平明で簡潔な入門書を集めている。本書もこの主旨に則って、植民地時代の北米の全体像を目配りよく、かつ簡潔に平明に記述している。

 ただし、邦訳をみると、題名が原題の直訳ではないため、北米植民地史の入門書という印象は受けない。それよりも、日本語の題名は、本書が持つ独自性を伝えることに力点をおいている。入門書とはいえ、その内容はかなり挑戦的であるからだ。

 著者の姿勢は、序章での伝統的な歴史像への批判によく示されている。伝統的な「アメリカ例外主義」的な記述では、大西洋側のヴァージニアやニューイングランドというイングランド起原を強調し、その植民者たちがヨーロッパの因習を打破し、個人主義と共和主義を太平洋側にまで押し広げていくという物語が展開される。しかし、「植民地期アメリカは、イングランド人がアメリカ人になるという単純な話よりも、はるかに大きな広がりがあった(9頁)」と著者は主張する。

 著者が特に重視するのは、多様な先住民集団である。序章の冒頭では、先住民カトーバがサウスカロライナ総督に与えた地図を分析し、カトーバにとっては、彼らこそが中心であり、植民者はその流儀を学ぶべき「周縁的な存在」であったことが指摘されている。

 「先住民を重要な存在として植民地史の中に置き直そうとする(7頁)」試みは、「大陸史」と呼ばれ、その成果によって歴史像は刷新されつつある。多様な集団から構成される先住民は、けっして「原始的で周縁的で、消えゆく」わけではなく、お互いに競いあい、植民者ともわたり合う存在である。

 先住民諸集団の相互関係や植民者との交渉を中心に植民地史を描く際に、もうひとつ視野にいれるべきは、植民者側の多様性である。イングランドの植民地が多様であることに加えて、北米に進出したヨーロッパ勢力はフランス、スペイン、オランダ、ロシアなど数多い。先住民が遭遇したのは、こうした複数のヨーロッパ勢力であるから、先住民と植民者の接触は単純な二項対立では語れない。

 したがって、本書は、アメリカ合衆国の前提としてのイングランドによる北米植民地史という枠組みを取り外し、16−18世紀にわたって展開された、諸勢力による多様な関係の束として歴史叙述を構築し直そうとする試みだといえる。合衆国を前提としないため、本書が扱う空間は拡大し、カナダやカリブ地域をも含みこんでいる。

 ただし、多様な関係性や広い空間を簡潔な一冊の書物にまとめ上げるためには、それ相応の枠組みは必要となる。著者が用意した枠組みはいくつかあるが、まず強調されるのは、先住民の環境への適応力の高さである。序章につづく第1章では、ベーリング海峡を超えて以来、先住民が各地での環境やその変動に適応した生活様式を生み出してきた長い歴史が概観される。コロンブスの交換による生態系変化や人口激減にも関わらず、先住民はその適応力を発揮する。

 では、その適応力は、北米の各地でどのように発揮されたのか、第2章〜第6章は、先住民と植民者の関係を、各ヨーロッパ勢力の進出地域ごとに描き出す。第2章はスペイン領、第3章はフランス領、第4章はイングランドのうちチェサピーク、第5章はニューイングランド、第6章はカロライナと西インドが扱われる。章の順番は、各植民地が成立した年代に基づく。なお、オランダとロシアの進出は独立した章ではなく、第7・8章のなかで扱われている。

 第2〜6章は独立した内容だが、お互いを関連付けるための工夫も多い。まず、各植民地の特色を説明するために、他の植民地との比較がおこなわれる。例えば、フランス植民地では入植者数が少ないことが、フランスとイングランドとの移民押し出し要因の強弱によって説明されている。人口データを多用している点も、各植民地の特徴や変化を比較によって把握しやすくするための配慮であろう。

 もうひとつの工夫は、各植民地の相互影響を描くことである。たとえば、第2章ではプエブロ族が、北からのアパッチ族の侵略を防がないスペイン人に失望して、1680年に反乱したことが語られる。では、アパッチが南下するのはなぜか。それは第3章を読むと、彼らがフランス人から銃を入手し、馬に乗ることで、狩猟域を広げたことが背景にある。このように、ある章の叙述について、別の章では異なる視点から理解を深める記述が随所に盛り込まれており、各植民地が連関していることが示されている。

 比較と連関に加えて、北米史をより広い空間から考察した点も本書の特徴である。最後の第7−8章では、多様なはずの北米でなぜイングランドが力を持ち、そこからアメリカ合衆国が登場するに至ったのかが説明されている。記述にあたっては、北米史研究の一大潮流であり、グローバル・ヒストリーの草分けである「大西洋史」の知見が十二分に盛り込まれている。さらに、近年進展が目覚ましい「太平洋史」も参照され、のちのハワイ併合までもが射程に収められている。北米史を、それをとりまく大洋やその向こうの世界という広いコンテクストのなかで眺めることで、帝国としてのアメリカ合衆国が成立するダイナミズムを活写したのが、この2章である。

 以上のように、本書はコンパクトでありながら、広い視野に立って、だいたんな見解を盛り込むことで、北米植民地史に新しい叙述の可能性を開いたといえる。しかも、文章は平明であり、各章は20頁前後でまとまっているため、講義でも使いやすい。実際、評者は大学1・2年生向けの授業で使用しており、日本人向けの補足は必要(例えば「ヒスパニック」の意味内容)なものの、学生にとっても読みやすいようだ。

 読みやすさは、翻訳によるところも大きい。原文に忠実でありつつ、わかりにくい箇所には単語が補う配慮がなされている。また、訳者である橋川健竜氏の解説がたいへん充実している。書評を準備するにあたり、何度か目を通したが、書くべきことは解説で網羅されているので、途方に暮れた。評者はラテンアメリカ史が専門であり、北米史の研究者には明るくないが、解説を読み、著者アラン・テイラーが重要な研究者であり、他の著作の翻訳が待望されることもよくわかった。

 最後に、ラテンアメリカ研究の視点から感想を書くと、南北アメリカ大陸でヨーロッパ諸勢力の抗争の場となったのは、北米とカリブ(沿岸地域も含む)、それからラプラタ東岸地域であろう。このうち北米とカリブの違いは、ヨーロッパ以外のアクターとしてより重要なのが、先住民かアフリカ系奴隷か、という点にある。北米でもアフリカ系は重要なテーマだが、本書では、チェサピークやカロライナの章での記述はあるものの、書物全体に占める記述は相対的に少ない。いっぽうで、先住民の捕虜に関する言及は多い。先住民とアフリカ系双方の拘束を含めた考察は、北米史理解にとっては重要であろう。翻って見ると、ラプラタ地域も抗争のなかで、先住民捕虜やアフリカ系奴隷が問題系として顕在化する。双方を共通の視座で描くことは、ラテンアメリカ史の課題でもあることに思い至った。その点でも、示唆に富む著作であった。

(「世界史の眼」No.13)

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書評:ジョン・ダーウィン(秋田茂・川村朋貴・中村武司・宗村敦子・山口育人訳)『ティムール以後 世界帝国の興亡1400-2000年』上・下(国書刊行会、2020年)
木畑洋一

 世界史認識におけるヨーロッパ中心主義を批判する声があげられはじめてから、すでに久しい。しかし、具体的な歴史叙述でその考えを説得的に示していくことは、決して容易ではない。本書は、イギリス帝国史研究を嚮導してきたイギリスの歴史家によるそのような世界史叙述の試みとして、大きな意味を持つ。

 著者ダーウィンは、第一次世界大戦直後のイギリスの対エジプト・中東政策研究から出発して、1980年代末には現在でもイギリス帝国の脱植民地化についての標準的概説とされている本を2冊上梓したことで、名前が広く知られるようになった。その彼が、あたかも満を持する形で、2010年前後に、大冊の著書を3冊立て続けに出した。その最初が本書、After Tamerlane: The Rise and Fall of Global Empires, 1400-2000 (London: Penguin, 2008, ただしアメリカ版New York: Bloomsbury Press, 2008のサブタイトルは、The Global History of Empire since 1405 )であり、次がイギリス帝国をイギリス世界システム(British World System)として再定義しつつ、その歴史を19世紀から脱植民地化期まで追った、The Empire Project: The Rise and Fall of the British World-System 1830-1970 (Cambridge: Cambridge University Press, 2009) である。さらに3冊目として、より長いタイムスパンをとって、帝国を生み出した諸力を多角的に検討した、Unfinished Empire: The Global Expansion of Britain (London, Allen Lane, 2012)が刊行された。いずれも読み応えのある書物であるが、そのなかでの白眉は本書であるといってよく、それが信頼のおける翻訳の形で日本の読者に示されたことについて、訳者たちの労を多としたい。

 本書は、「ティムール以後」というタイトルをもち、15世紀以降の世界史を、主としてユーラシア大陸における諸帝国の興亡を軸として描いた作品である。上述したように、原書のサブタイトルに示された年代はペンギン版とブルームズベリ版で異なるが、ティムールが死去したのは1405年であるため、その点の正確さを期するとすれば、起点はブルームズベリ版の年代の方になるであろう。ユーラシア大陸に広がる帝国を築こうとしたティムールがそれを成し遂げられないままに没した後の歴史を追った末に、著者は本書の最後で、この長い期間を通していえることは、ティムールに似た願望をもった存在がいたとしても、「均質なシステムや一人の絶対的支配者、あるいは特定の体系的ルールに対して、ユーラシア大陸においては抵抗が止むことはなかった」ことであると結論づけ、我々はいまなお「ティムールの影のなか」にいる、より正確にはティムールの「失敗から、なおも逃れることはできていない」と述べている(下324、以下カッコ内に本書の頁数を示す)。一見したところ分かりにくい本書のタイトルの意味、さらに本書全体の主張は、これで理解できよう。

 本書は9章から成る。第1章と第9章は序論と結論にあたり、その他の章は、次のような時代区分となっている。第2章(1620年代まで)、第3章(1620年代~1740年代)、第4章(1750年代~1830年代)、第5章(1830年代~80年代)、第6章(1880年代~1914年)、第7章(1914~1942年)、第8章(1942~2000年頃)。第7章と第8章が1942年で区切られているのは、著者が第二次世界大戦の決定的な転換点をその年に求めていることによる。これらの時期区分をめぐってもいろいろ議論はありうるが、ここではその点には立ち入らず、こうした時期区分のもとで、著者が、帝国の興亡という点を強調しながらどのような世界史像を提示しているかを、評者なりにまとめてみたい。

 本書では15世紀以降の世界が対象となるが、それまでの中世においては、ヨーロッパは中国や近東のイスラーム世界と経済的・技術的にようやく肩をならべられるようになった「成り上がり」の存在にすぎなかった(上60)。「長期の16世紀」(1480~1620年頃)にはヨーロッパの勃興がみられるものの、その影響はまだ限定的であった。アメリカ大陸でのスペインの成功にせよ、その要因は、ヨーロッパの軍事力ではなく、文化的・生物学的要因(疫病など)やアメリカ大陸側の帝國体制の脆弱性の方に求められる。そしてヨーロッパ台頭の勢いは、1740年代までの時期には失速していった。ユーラシアでは、諸帝国(オスマン帝国、イランのサファヴィー朝、ムガル帝国、中国)や徳川幕府下の日本が力をもっていたのであり、オスマン帝国やムガル帝国も、実態はよく抱かれる衰退イメージとは異なっていた。またロシアのダイナミックな拡大活動も目立っていた。

 こうした均衡状態は、18世紀後半から1830年代にかけての「ユーラシア革命」で、ヨーロッパの優位がはっきりしてくるなかで崩れていく。それは産業革命だけでは説明できず、地政学上の革命(18世紀半ばからナポレオン戦争にかけてのヨーロッパや南アジアでの戦争)、文化上の革命(ヨーロッパで、宗教への疑念や経験・実験重視の姿勢が拡がり、空間・時間への関心が高まったことなど)も考慮に入れなければならない。経済面での「大分岐」(著者は大枠でポメランツの「大分岐」論を受け入れている)と並んで、文化面でも「大分岐」が生じたのである。とはいえ、1830年代でもヨーロッパの優位はまだ限られていた。

 1830年代から80年代までは、ヨーロッパで地政学的な安定(平和)がみられるなかで、アメリカの存在感が増し、ヨーロッパは「西洋として再創造」されていった。ヨーロッパの対外活動は、ヨーロッパの拡大に強固に抵抗する現地の人々の動きの前で、「不確かな帝国」という形しかとりえなかった。中国でも、ヨーロッパ側はそこを半植民地のような状態に変えていくことはできなかった。

 1880年代以降になって、ヨーロッパの拡大はアフリカなどで加速化し、「世界史上初めて、身体的、経済的、文化的パワーの階層化が世界規模で押しつけられる」(下13)ことになった。とはいえ、分割されたアフリカにおいても、植民地国家は軽い存在でしかなかった。また中国が領土分割や経済的監督を免れたことやオスマン帝国が立ち直りを見せたことも重要である。この時期に諸大国が世界の支配権をめぐって互いに戦う意図をもっていた証拠はないものの、バルカン半島での状況にヨーロッパでの勢力均衡が対応しきれないなかで、第一次世界大戦が始まった。この大戦はいくつかの帝国の墓場となったが、ロシア革命を経たロシアでは、「党による帝国」という形をとって帝国が元に復したし、オスマン帝国後の中東でのヨーロッパの権威は表層のみにとどまることになった。1930年代になると、19世紀末よりもはるかに粗暴な帝国主義があらわれ、第二次世界大戦につながっていった。

 第二次世界大戦後、帝国と植民地支配は国際関係のなかでの正当性を失い、脱植民地化が進行した。著者は、戦後世界が冷戦の時代としてのみ描かれがちであることについて、「冷戦への流れは物語のほんの一部でしかなく、世界の多くの地域では物語の核心部分ではなかった」(下224)と論じて、脱植民地化の意味を強調し、さらに脱植民地化については、それが植民地統治の終わりということだけでなく、「領域支配と治外「権益」とを密接に結びつけつつヨーロッパが中心となって展開してきた大国秩序の解体として考えるほうがずっと意味がある」(下227)と述べる。これは著者の年来の所論であり、きわめて重要な考え方である。さらに、脱植民地化が進行するなかで、「公言されない帝国」としてアメリカとソ連が残り、1990年以降はアメリカがただ一つ世界帝国となったと著者は指摘する。そのアメリカの力は本書で取り上げられてきた15世紀以降の諸帝国が抱えた限界をこえようとしているとしつつ、将来の予言はできないとして、著者は議論を結んでいる。

 以上、評者なりにくみ取った本書の議論の流れであるが、本書自体はそれぞれの帝国についての丁寧な記述を含んでおり、内容の豊富さがこうした紹介では全く伝えられていないことはお断りしておきたい。その上で、本書を読んでの評者の感想を若干述べてみたい。

 ヨーロッパ中心的歴史像を排して近現代世界史を描くという著者の試みは、概して成功している。帝国の興亡を軸としながら15世紀以降の世界史を論じた本として評者が思い浮かべるのは、David B. Abernethy, The Dynamics of Global Dominance: European Overseas Empires, 1415-1980 (New Haven: Yale University Press, 2000)である。アバーナシーの本で起点とされている1415年は、ポルトガルが北アフリカ地中海岸のセウタを占領した年である。そのことから、またサブタイトルから分かるように、この本は、もっぱらヨーロッパが支配する帝国を対象としていた。それに対し、本書は、ユーラシアに展開した諸帝国の力、持続性、柔軟性を強調しながら、それとならぶ形で、あるいはそれに追いついていく存在としてヨーロッパの帝国を位置づけ、その相対化に成功している。また本書の主張とも通じる本として、最近邦訳された、ジェイソン・C・シャーマン(矢吹啓訳)『<弱者>の帝国 ヨーロッパ拡大の実態と新世界秩序の創造』(中央公論新社、2021年)をあげることもできるが、ヨーロッパの軍事的優位という要因を(18世紀までについては)否定しながら世界史を描こうとするシャーマンの本が、議論の枠組みの提示を急ぐあまり少々独断的にすぎる感を与えるのに対し、本書は熟達した歴史家としての著者の力量をよく示す豊かな叙述によって、新たな世界史象を提示しているのである。

 19世紀以降世界のなかでのヨーロッパの優位がみられたことについては、著者も否定せず、「大分岐」があったことを指摘している。その際、上述したように、ヨーロッパ文化とそれ以外のユーラシアの諸文化の間でも「大分岐」が生じたと論じていることが注目される。ヨーロッパ文化について著者があげているのは、懐疑論への寛容、経験と実験を尊重する姿勢、空間と時間に対する考え方の変化である。「大分岐」は、確かに世界史上の決定的な変化であり、それを経済面に限ることなく、こうした形で幅広く検討していくことは必要であろう。

 本書のなかには、評者が問題を感じる点もある。ヨーロッパが優位を占める状況が展開するなかでの帝国主義の時代を扱った部分は、評者が本書のなかで最も物足りなさを感じた箇所である。この時代の世界史を論じるなかで、アフリカ分割がもった意味をあまり強調すべきでないという指摘は、評者も自戒をこめて受け止めたいと思うものの、「アフリカ分割は(少なくとも、ヨーロッパ人にとって)平和的分割」(下39)であったという記述は、本書の主張を薄めるものにならないだろうか。ヨーロッパ列強がアフリカで作った植民地国家は軽かったとするような評価も首肯しがたく、総じてこの時代の帝国がもっていた暴力性、抑圧性が軽視されているのではないかという危惧をいだかざるをえない。

 さらに現代についての部分では、冷戦と脱植民地化の評価は上述したように説得的であるものの、1990年代以降、アメリカがただ一つ世界帝国となったという形で現状を説明していることには、疑問が残る。冷戦終結後のアメリカを帝国と呼ぶことについての疑問を評者はいろいろなところで論じてきたので、ここでは繰り返さないが、本書の原書が出版された時(それはちょうどリーマンショックの年であった)から現在までの世界の変化が、その疑問をますます強くさせているということのみは述べておきたい。またこの間に、本書が一貫して重視している中国の姿も大きく変った。もし著者が今改訂版を作るとすれば、結論部分も変るはずであり、アメリカ論も修正されるのではないかと(勝手に)思っている。

 最後に、著者がユーラシアの一角としての日本にも終始関心を寄せており、各時代における日本の説明に相当のスペースを割いていることを強調しておきたい。日本史研究者からはさまざまな注文があるだろうが、世界史のなかでの日本の位置づけとして、高等学校での新しい歴史科目「歴史総合」を教える際には、十分役立つ材料になると考えられるのである。

(「世界史の眼」No.13)

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書評 : 早尾貴紀『パレスチナ/イスラエル論』(有志舎、2020年3月)
藤田進

 早尾貴紀氏は、イスラエルの政治・文化、ユダヤ人問題等々の思想的考察を重ねてきた日本のパレスチナ・イスラエル学思想史部門を代表する研究者であり、一方現代世界をめぐる思想論争にも精力的に参加している。本書は2005年から2016年にかけて執筆した諸論文に大幅な加筆を加えて一冊にまとめたものである。

I

 2018年5月15日、半世紀以上パレスチナ占領を続けるイスラエルが建国70年を迎え、トランプ米大統領はこれを祝して在イスラエル米国大使館を首都テルアヴィヴから占領下の聖地エルサレムへ移転し、さらに19年3月25日、イスラエル占領下シリアのゴラン高原に対する「イスラエル主権」を認める公式文書に署名し、アメリカがイスラエルの軍事占領政策を公式に承認したことを世界に表明した(バイデン新大統領の登場でこの承認の行方が注目されている)。著者はこのときの心境を次のように記している。

 「いま、パレスチナ/イスラエルをめぐる問題は、直視することも放棄したくなるほどの惨状にある。パレスチナのガザ地区はイスラエルの建設したフェンスで封鎖され、物流も制御された巨大監獄と化し、パレスチナ人のデモには日常的にイスラエル軍スナイパーによる容赦ない狙撃が加えられ、東エルサレムでは理不尽な家屋破壊が遂行されている。そして、イスラエル社会内部にも国際社会にも、それを止めようとする動きは少ない。このような暴力を対岸の出来事として見るのではなく、パレスチナ/イスラエルを、日本を含む近現代世界史の文脈のなかで論じ、またそれをとおして世界と日本を問いなおすことが、いま求められている」(本書のカバー表紙の一文より)。

 やりきれなさと切迫感のなかで完成した本書は以下の構成からなる。

まえがき
第I部 国家主権とディアスポラ思想
 第一章 ディアスポラと本来性―近代的時空間の編制と国民/非国民
 第二章 バイナショナリズムの思想史的意義―国家主権の行方
 第三章 オルタナティヴな公共性に向けて―ディアスポラの力を結集する
第II部 パレスチナナ/イスラエルの表象分析
 第四章 パレスチナ/イスラエルにおける記憶の抗争―サボテンをめぐる表象
 第五章 パレスチナ/イスラエルの「壁」は何を分断しているのか―民族と国家の形を示す五つのドキュメンタリー映像
 第六章 パレスチナ/イスラエルにおける暴力とテロリズム
第III部 歴史認識
 第七章 イスラエルの占領政策におけるガザ地区の役割とサラ・ロイの仕事
 第八章 ポスト・シオニズムとポスト・オリエンタリズムの歴史的課題
 第九章 イラン・パペのシオニズム批判と歴史認識論争
あとがき

 第I部はパレスチナ/イスラエルについての「民族」や「国家」をめぐる思想史的展開を扱う思想編、第II部はドキュメンタリー映画や劇映画やモニュメント作品の表象分析を行う表象編、第III部は歴史認識論争や占領政策の歴史的展開を扱う歴史編である。

 評者の見立てによれば、本書は1990年代後半以降に輩出した著者を含む「新世代の中東研究者」の共同研究の成果と現代哲学・政治思想分野における最新の学説を支えとし、イスラエルの「新しい歴史家ニュー・ヒストリアン」イラン・パぺのイスラエル建国「正史」批判とサラ・ロイの現地調査にもとづく被占領地ガザ政治経済分析を最重要実証資料として著者自身のイスラエル体験に照らしながら、イスラエル国家のシオニズム思想とそれに基づくパレスチナ占領政策について網羅的に考察した思想書であり、イスラエルをその内側から徹底的に考察した貴重な労作である。

 著者は冒頭、「パレスチナナ/イスラエル」と/を用いている理由を、次の諸点を挙げて説明している。「一般に言われているように、パレスチナとイスラエル、アラブ人とユダヤ人は対立し衝突しているわけではない。中東にはユダヤ教徒のアラブ人(=アラビア語を話す人)も普通に存在する」。「どの地理的範囲を指して『パレスチナ』と言い、『イスラエル』と言うべきなのか、きわめて錯綜している」。「『多くが共存し混淆した文化圏』が『本来的ヨーロッパ』によって分断されたことにより両者は対立関係に立たされている」(4-10ページ)。ここに、「アラブ/ユダヤ人」という複合アイデンティティを重視する著者の姿勢があらわれており、本書はこの立場からのシオニズム考察である。考察は次の諸テーマをめぐって展開する。

⑴ ディアスポラと「本来的国民」:近代国民国家論と「ユダヤ人国家」における排除の論理とディアスポラをめぐる考察。
⑵ イスラエル建国後のバイナショナリズム:ユダヤ人人口・領土の拡大をめざすシオニスト側の議論とそれにのみこまれた「パレスチナ自治」をめぐる考察
⑶ テロリズム:アラブ側のみを「テロ」と糾弾するイスラエルの「テロ」議論の考察
⑷ 「純粋ユダヤ人」:アラブ系ユダヤ人を取り込んでユダヤ人口拡大をめざすイスラエル政策についての考察
⑸ 分離隔離壁:第二次インティファーダ以降のヨルダン川西岸占領地を取り巻く分離隔離壁構築による領土的分断および「パレスチナ人」アイデンティティ分断を企てながらパレスチナ人を「強制収容所」状態に閉じ込めて生殺与奪権を握る占領権力の「例外状況的主権行使」についての考察
⑹ 「ユダヤ人国家」内部における反シオニズム派とイスラエル建国擁護派の葛藤

 以上のようにテーマが多岐にわたるうえ様々な議論・理論を踏まえた思想的考察中心のため内容は少々難解である。筆者は⑴を中心に著者の議論を追いつつコメントを加えることにして、あとは本書に目を通す読者におまかせしたい。

II

 著者のシオニズム考察は、現代国民国家におけるディアスポラの問題を取りあげることから始まる。1990年代以降のグローバリゼーション時代において膨大な民が国境を越えて移動する現象が世界的激動因となっているのを前にして、著者は「越境的に移動する民を『ディアスポラ』と呼ぶことが人文社会科学全般に増えてきており、それにともない従来『ユダヤ人のディアスポラ』と理解されてきた用語に意味の転用が生じた」と指摘している。さらに著者は「移住者とその子孫とは『よそ者』つまり『本来的には国民でない者』として、端的に差別の対象となりがちである」という「ディアスポラ」を脅かす現実を指摘して「本来的国民」対「ディアスポラの民」の対立関係を描いたうえで、「『本来的国民』と『非本来的ディアスポラの民』を分ける『本来性』とは何か」との問いを発している。

 著者は「本来性」をめぐって、19世紀初頭の近代国民国家論者のヘーゲル(『歴史哲学講義』)や弟子のヘーゲル主義者たちの発言を検討し、次の諸点を指摘する。
 ●ヘーゲルは、宗教改革と啓蒙思想を経た後のフランス革命がヨーロッパ近代国民国家をもたらしたことを重視し「世界史においては国家を形成した民族しか問題とならない」との立場から、世界史をギリシャ世界からローマ世界、ゲルマン世界へと一直線に至るヨーロッパ近代国民国家の完成に向けた歩みとして描き、ギリシャ文化がアラブ世界を媒介して西欧世界に持ち込まれたという事実を無視した。つまり「狭い内海を共有し、現代国家間のような国境や分断のなかった(ヨーロッパを含む)中東・地中海世界」を、ヨーロッパ対中東という対立した分断の図式でとらえた。ヘーゲルは一方で、個人の理性を国家の理性と同一視して国家を絶対的空間と想定し、国民=均質な民族と規定している。国家における「均質な民族」対「その他」の関係が示唆されている。
 ●19世紀半ばにおけるヘーゲル主義思想家たちは「キリスト教ヨーロッパ世界の純粋性と自律性」を強調し、「世界のすべての民族共同体は排他的な領土を所有し国民国家を目指して発展していく。国民国家の実現を見ていない地域は未開地・後進地域として支配対象となる」と説いた。こうした発言はヨーロッパ世界内のユダヤ的要素とイスラーム的要素を否認することに影響した。当時のヨーロッパでは反ユダヤ主義が高まり、科学を装った人種主義学説が横行するなかで「縮れ毛」や「鷲鼻」を身体的特徴とするステレオタイプの「ユダヤ人種」概念が捏造された。そうした状況下において、プロイセンは「ドイツ=キリスト教国家」の立場からキリスト教徒を「本来的国民」とする一方、「ユダヤ教徒のドイツ人」は均質な民族ではないとしてユダヤ教徒国民を「本来的国民」から除外し、プロイセンは人種差別的国民国家として成立した。

 著者は以上から、現代の国民国家において「本来的国民」と「非本来的な他者」を分断する「本来性」が、19世紀近代国民国家成立期における宗教的差別を通じて生み出されたことを確認する。

 では、「ユダヤ人国家」や「ディアスポラ・ユダヤ人」はどのように成立したのか。著者はそれに関して以下を指摘する。
 ●1842年ドイツのユダヤ人解放令廃止と51年のナポレオン3世のクーデタによるヨーロッパの決定的反動化によって、国民国家における市民革命を通じてユダヤ人を解放する夢が消えたとき、ヘーゲル左派思想家のユダヤ人モーゼス・ヘスは民族主義者に転向した。当時捏造された「ユダヤ人種」がユダヤ教徒を苦しめている状況をしりめに、ヘスはこの人種概念を敢えて自らのアイデンティティとして受け入れるとともに、「ユダヤ教徒は信仰においてユダヤ教徒なのではなく、『人種としてのユダヤ人』である」との強引な解釈を打ち出した。
 ヘスは「世界中に離散しているユダヤ人種は、他のどの人種にもまして、いかなる緯度の場所の気候風土にも順応できる能力を有している」、「ユダヤ人種は自らの歴史的使命を自覚して、自らの民族としての諸権利を主張することが許される諸民族のひとつである」(『ローマとエルサレム』)と唱えて、血のつながりに基づく「ユダヤ人国家」建設(シオニズム)構想を表明した。ヘスの「ユダヤ人国家」構想は西欧列強の援助を前提としており、「ユダヤ人国家」建設は「ヨーロッパ文明世界対野蛮で未開な他者」というヘーゲルの描いた図式に則ってヨーロッパの外部に「ヨーロッパの飛び地」をつくるという西欧列強の取り組みの一環に他ならなかった。
 ●ヘスから「ディアスポラ・ユダヤ人の民族郷土への帰還」を呼びかけた19世紀末のヘルツルを経てイスラエル建国に至るまでの「ユダヤ人国家」建設運動に共通しているのは、「ヨーロッパから排除されつつもその支援を受けたシオニストがヨーロッパ文明世界の先鋒を自認し、来るべきユダヤ人国家を『アジアの野蛮への防壁』(ヘルツル『ユダヤ人国家』)とみなしてその実現を図るために、『多くが共存し混淆した文化圏』のパレスチナにおいてアラブ人を『野蛮で未開な他者』と位置づけて征服・殲滅・追放する」という内容である。シオニストがヨーロッパ帝国主義の手先となってパレスチナでの暴力的任務を果たすのと引き換えに「ユダヤ人国家」領土を獲得する取り組みの凄まじさについて、イスラエル歴史家のイラン・パペは「ヨーロッパ世界出身のシオニストらが行ったのは、できるだけ広い土地からできるだけ多くのアラブ人を殺害や追放することであり、この意図的な政策および軍事行為の総体は『民族浄化エスニック・クレンジング』である」と述べている。
 ●19世紀末のシオニズム運動の展開過程で、「ディアスポラのユダヤ人」という用語がつくりだされた。「ディアスポラ」は元来「ギリシャ人の入植活動」あるいは「戦争による離散」を意味する古代ギリシャ語であったが、東欧におけるポグロム(ユダヤ人襲撃)の嵐にユダヤ人たちがさらされているのを前にして、シオニストは「ディアスポラ」は「ディアスポラのユダヤ人(=離散状態のユダヤ人)」の意味に転用した。「ユダヤ人のディアスポラ」は「古代ユダヤ王国喪失以来土地なき民となったユダヤ人の離散状態を終わらせるためにユダヤ人国家が必要である」との論理を正当化するのに活かされ、またヨーロッパ諸国で「非本来的他者」として差別されているユダヤ人にパレスチナ移住を呼びかけるシオニズム・キャンペーンに利用された。
 1948年「ユダヤ人国家」イスラエルの誕生で、「ディアスポラのユダヤ人」とされてきた人々は「本来的なユダヤ国民」として解放されたものの、今度は占領されたパレスチナのアラブ住民が「非ユダヤ人」とされて「ディアスポラの民(=故郷を追放された移動民)」とされた。「人種」を根拠とする「ユダヤ人国家」は「他者」に対してきわめて排他的・暴力的であり、イスラエル支配の拡大とともに増えていくパレスチナ占領地住民、イスラエル国内のアラブ少数民、中東出身ユダヤ人等々多様な「ディアスポラ」に対する差別的・暴力的抑圧の凄まじさは、イスラエルル建国前後史を「民族浄化」と位置づけるイラン・パペと、占領下ガザについて「長期封鎖と度重なる軍事攻撃で経済成長も通常の社会の存続ももはや不可能で、人間としての生存が危機に瀕している」と分析するサラン・ロイの証言に明らかである。

 ヨーロッパ起源の近代国民国家が「文明的ヨーロッパ」という独善思想と「本来性」という分断論理と「ユダヤ人」という被差別対象を組み込んだ人種差別的統治制度として成立し、最悪の国民国家たる「ユダヤ人国家」をもたらしたとする著者の考察を、評者は以上のように理解した。評者はそこに多くを学んだ。

III

 本書はイスラエルおよび欧米日本側の資料・分析に依拠している。1992年12月、イスラエルがハマースのメンバーやその関係者と疑う多数のパレスチナ人をレバノン南部山岳地帯のイスラエル占領地域とレバノン軍支配域との狭間の雪に覆われた無人地帯に追放したときこの事件を、追放者たちを法も人権も及ばない場所で生存の危機に晒す「例外状態の統治」という最悪の弾圧政策の事例として取りあげている。しかし、アラブ・パレスチナ現代史を専門とする筆者にはこの位置づけは物足りない。エルサレム発行のアラブ紙「アル・クドゥス」はこの事件についてアラブ住民連帯の形成という別の側面を伝えている。

 「イスラエル政府がパレスチナ人追放者たちを追放者居留地のテントに1週間分の食料・燃料だけを与えて送り込み、国内から支援物資が届かぬよう道路を閉鎖し、レバノン側の道路も閉鎖されて国際支援団体の救援物資が届かず、追放者たちは生命の危険にさらされた。しかしそのとき、谷底の追放者テントを見下ろす山岳地帯のアラブ村から夜間密かに食料が運ばれた。村はムスリムとキリスト教徒住民からなり、村はイスラエルのレバノン占領と対決するシーア派ヒズボッラーの拠点でもあり、ヒズボッラー隊員は「我々はパレスチナ人追放者たちが飢えと寒さで死んでいくのを見過ごすことはできない。村は総出で精一杯支援活動をしている」と語った。一方追放者居留地では「テント村委員会」が設置され、テントのいくつかに診療所が開設されて追放された医師たちが仲間を診察するとともに近隣村の住民たちを無料診察した。追放者居留地に一種のコミューンが形成され、追放者たちは全員一緒に故郷に戻るまでこの地を離れないと確認しあい、追放5ヶ月後にはイスラエル軍占領地の境界線までの抗議デモを繰り返すようになった。追放者たちは世界の注目を集めてほぼ一年後に家族のもとへ帰還し、イスラエルの企ては失敗した。」(「アル・クドゥス」1993年1月7日以降の報道から)。

 当時は被占領下パレスチナにおけるイスラエル占領反対抵抗闘争の第一次インティファーダが5年目を迎えていた。反占領住民総決起闘争への参加、追放先でのアラブ住民との交流・協力体制の構築を経て一年後の帰還、それに注目する国際世論の変化等々の一連の流れにおいて追放者たちをとらえれば、そこに「ディアスポラのパレスチナ人」の主体性=抵抗局面が見て取れる。

 本文中に、「・・毎回確実に一定数が射殺されているのを承知でフェンス際に人々が結集するのは、・・・「自爆テロ」ならぬ「自殺デモ」だ」と論じている箇所があるが、そうは断言できないと思う。

 著者は国民国家と「ディスポラ」に関連して次のように述べている。「『本来性』とはたかだか二世紀のあいだのイデオロギー的産物にすぎない。本来性から逸脱したディアスポラたちの存在は絶えずその事実を想起させる」。「国民国家から『本来性』を抜き去ることができるとすれば(だがどうやって?)、そのとき『国民』は『市民』にとって代わられ、住民はすべからく市民権を有することのできる『市民国家』が生まれるのかもしれない。」

 評者は、「アラブ/ユダヤ人」という複合アイデンティティを重視する著者が「ディアスポラのアラブ」により深い考察を加えることを期待したい。

(「世界史の眼」No.13)

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