書評:『ものがつなぐ世界史』
柴泰登

1. はじめに

 本書は、ミネルヴァ書房から発刊されている「MINERVA世史叢書」シリーズの中の1冊である。このシリーズでは、各国史の寄せ集め状態であった従来の世界史を反省し、グローバルヒストリーの視点から世界史を捉え直すことを試みている。このことは、各巻の巻頭において、以下のように力強く宣言されている。

 これは、これまでのわが国における世界史を反省して、新たな世界史を構築することを目指すものです。これまでの世界史が、世界の国民国家史や地域史の寄せ集めであったり、自国史を除いた外国史であったり、欧米やなんらかの「中心」から見た世界史であったりしたことへの反省を踏まえて、また、近年の歴史研究の成果を取り入れて、それらの限界を突き破ることを目指しています。

 シリーズの中で本書は、シリーズ全体の5巻目、「第Ⅱ期 つながる歴史」においては2巻目にあたる。第Ⅱ期は、「人々」「もの」「情報」にそれぞれ注目して世界史を再構築する諸巻を取り揃えており、世界史を全体的に、あるいは各国史の「タテ」ではなくグローバルヒストリー的に「ヨコ」の視点から捉えるものとなっている。

 その中でも、本書は「もの」に注目している。「人々」や「情報」と比較した場合、「もの」の形態は様々であり、その運搬手段もまた多種多様となる。また、「もの」の移動には需要と供給の関係がより強く働く。そのため、「もの」をテーマとして歴史を概観していく場合、諸地域間におけるプル要因とプッシュ要因、あるいはそれを可能にした輸送技術について必ず言及することになる。そのため、グローバルヒストリー的な視点から歴史を考えていくことが必須となり、結果として本書はシリーズの趣旨に叶う内容となっている。

2. 本書の構成

 本書の構成は以下の通りである。

 序 章 ものがつなぐ世界史(桃木至朗)
 第Ⅰ部 工業化以前の世界をつないだ「もの」
  第1章 馬(覚張隆史)
  第2章 帆船(栗山保之)
  第3章 陶磁器(坂井隆)
  第4章 貨幣(大田由紀夫)
  第5章 生薬(内野花)
  第6章 火薬原料(山内晋次)
  第7章 スズ(水井万里子)
  第8章 ジャガイモ(山本紀夫)
  第9章 毛皮(下山晃)
 第Ⅱ部 近現代世界を動かした「もの」
  第10章 石炭と鉄(小林学)
  第11章 硬質繊維(早瀬晋三)
  第12章 大豆(ディヴィッド・ウルフ(左近幸村訳))
  第13章 石油(西山孝)
  第14章 天然ゴム(高田洋子)
  第15章 半導体(西村吉雄)
  第16章 ウラニウム(井上雅俊・塚原東吾)

 実際に紹介された「もの」は16種類となっているが、その中には「生薬(第5章)」「半導体(第15章)」「ウラニウム(第16章)」の様に、従来ではあまり扱われることのなかった「もの」が取り挙げられている。特に、後者の2つの「もの」を中心に、本書では歴史学とは接点の薄かった、いわゆる「理系」の研究者が執筆を多く担当している。このことは、「文理融合型」による研究の重要性を日頃から主張しており、本書の責任編集である桃木至朗氏の面目躍如足るところと言える。

3. 総論

 本書の序章では歴史学において「もの」の研究がもたらす新しい可能性が論じられ、各論の導入となっている。執筆を担当している桃木氏の主張を整理すると、以下の3つにまとめられよう。

① 「もの」がもたらす新しい歴史学…従来には無かった視点を獲得することが可能となり、宗教・エスニシティ・ジェンダーなどの各テーマにおいて、新しい知見を得られる。また、国民国家史への建設的な批判が可能となる。

② 「もの」がもたらすグローバルヒストリー的な成果…近現代だけでなく前近代も射程としながら、グローバルヒストリー的な研究展開が出来るようになる。その結果、人類の拡散と技術伝播においてであったり、具体的な「国家」の成立と周辺との関係であったり、多くのテーマで成果を得られる。

③ 「もの」がもたらす射程の広さ…「商品」や「道具」だけでない「もの」(細菌・ウイルス・隕石・溶岩・火山灰など)も射程に入れることで、これまでの歴史学では明らかに出来なかった問題の解決が可能となる。

 総じて、「もの」が新しい歴史学に寄与する側面を、桃木氏はここで的確に指摘している。

4. 各論

 ここからは、各章の内容が、序章で桃木氏が整理した3つの可能性のどの事例に該当するか自分なりに当てはめていきながら、その概要を紹介していきたい。

 「もの」が歴史学に新たな知見をもたらした例として最初に挙げたいのは、「第5章 生薬」である。内野氏は、生薬の歴史を紐解いていくことで、現在のような現代西洋医学への偏重は近代以降の現象であり、近代科学技術の発展を土台にした現代西洋医学が世界を席巻するまでは、各地に独自の伝統医学が存在し、生薬を使用した治療が行われていたことを明らかにした。日本においても、医師になるためには西洋医学の習得が必須という法制度が明治時代に確立するまでは、いわゆる「漢方」と呼ばれる伝統医学が重要な存在であったことを示唆している。

 次に「第7章 スズ」において、水井氏はコーンウォール半島に軸足を置いてスズの歴史を見ていくことで、この金属を原料とするさまざまな用途と技術の開発、それに携わる人々と、製品を使用する地域が連関している様子を浮かび上がらせた。北米植民地のピューター業がロンドンのカンパニーの強いコントロール下で展開したこと、またコーンウォール出身の技術者たちが海峡植民地まで進出して現地のクーリーたちを指導していたことなどは、本章において初めて学ばせていただいた。

 「第11章 硬質繊維」では、フィリピンにおける硬質繊維生産と日本の産業の結びつきについて早瀬氏が丁寧に分析した結果、マニラ麻に代表される硬質繊維が、戦略物資、衣糧物資の原料として、両国の人々にさまざまなかたちで影響を与えたことが解明された。家父長制が強かった第一次世界大戦以降の時代、社会にあって、麻玉によって成人男性以上に稼ぐ女性が誕生したことにより、日本の一般家庭のあり方に影響をもたらした可能性を早瀬氏は指摘しているが、それは従来のジェンダー史を書き換えることになるかもしれない発見と言えるだろう。

 ディヴィッド・ウルフ氏は、「第12章 大豆」において、20世紀の大豆輸出の世界市場の動向が日本を望みのない戦争に駆り立てたことも含め、日米関係の紆余曲折を反映しているものであることを明らかにした。第二次世界大戦以前には満州産が世界の大豆輸出の大半を占め、その輸出貿易の分析が、東北アジアの地域形成だけでなく、主に日露による植民地化をめぐる競争の状態を示唆する基準となるという指摘も、非常に興味深いものであった。

 「第14章 天然ゴム」では、高田氏が、仏領インドシナにおけるプランテーションを分析して英領マラヤ、蘭領東インドとの比較を試みた。その結果、いずれのケースでも、開発に必要な労働力としてインドや中国、ジャワ等から大量の人々が集められ、多様な人種・民族から編成された複合社会が出現したこと、また、過酷な労働の実態から、資本の論理が人権に優先するという状況が明快に示された。現在でも著名なタイヤ会社などがこの開発に関わっていたことは、世界史における「不都合な事実」の一例と言えよう。

 また西村氏は、「第15章 半導体」において、トランジスタとコンピュータがほぼ同時に産声を上げた後、ともに刺激し合い、支え合いながら、急激に発展していく20世紀後半の産業界の過程を解明した。この章では、半導体発明に関わったスタッフが、単なる技術的な発明だけでなく「ムーアの法則」や「最小情報原則」など、それ以外の分野にも影響をもたらした知的営為も紹介しており、産業界の発展が我々の生活に及ぼしたインパクトの大きさを改めて知ることが出来た。

 続いて、「もの」がグローバルヒストリー研究に寄与している例として私がまず挙げたいのは、「第3章 陶磁器」である。この章では、坂井氏が陶磁貿易の歴史を概説的に紹介しながら人間と人間の空間を超えた交流の結果を伝えてくれており、窯業技術の拡散と生産組織がグローバル化していく過程を知ることによって、我々が世界の一体化について学ぶことが出来る章となっている。

 「第6章 火薬原料」では、硫黄という商品を通じて、ユーラシア世界に形成された「硫黄の道」の変遷が、グローバルヒストリー的な視点から明らかにされている。この章では、日本列島からペルシア湾・紅海にまたがる広大な地域から、海上貿易を通じて中国が硫黄を吸収していく「硫黄の道」が、やがて「複雑化」「多核化」していく過程が、山内氏によって見事に描き出されている。

 山本氏が執筆を担当している「第8章 ジャガイモ」では、ジャガイモがアンデスから世界へ、どのようにして広がり、世界各地でどのように利用されるようになったのかが概観されている。この章を読むと、グローバル化に伴って拡散していったジャガイモが各地の救荒作物として人々を救ったこと、それでも飢饉が起きたアイルランドでは、新天地への移民という現象が起こったことが分かる。

 「第9章 毛皮」においては、意外に詳細な先行研究が少なかった毛皮という商品をクローズアップして、下山氏が世界のグローバル化の一端を解明している。下山氏はそこから、先住民社会を強圧的に引き込み、ケモノを商品化して乱獲を競った毛皮のあくなきフロンティア精神が西欧的植民地主義の特徴と言えるものであり、多くの地域や産業を結び付け変質させながら、シベリアやアラスカなどの極北の地まで及んでいったと結論付けている。

 「第10章 石炭と鉄」では、製鉄のグローバルヒストリーを概観し、さらにイギリスの製鉄法の歴史を精査した小林氏が、製鉄と動力機関の発展における関係性を明らかにしている。すなわち、産業革命のなかで、蒸気機関を含む機械に鉄製の部品が使われるようになるとともに、史上初の熱機関である蒸気機関は製鉄法や鉄工所の原動機として使用され、共進化しながら展開したと小林氏は主張している。

 また、石炭と鉄とともに現代世界に欠かせない石油については、西山氏が「第13章 石油」でその歴史を紹介している。そこでは、埋蔵地の偏在性によりグローバルな世界商品となっていく石油が政治的戦略製品となり、資源ナショナリズムを巻き起こし、はては金融商品として扱われるようになっていく経緯を描き出している。

 最後に、「もの」が持つ射程の広さが生かされている例として、最初に「第1章 馬」の事例が挙げられる。いわゆる「理系」出身の研究者が「歴史科学」の姿勢から研究した馬の歴史は、これまで扱ってきた「もの」が、いつから馬によって運搬されるようになったのかを明らかにしている。覚張氏によれば、それは家畜化されてから1000年以上経ってからであったという。その背景には、馬を制御する馬具の発明があったと考えられている。

 同じように、運搬手段として発明された船については、「第2章 帆船」で栗山氏がその歴史や船の構造について、特にインド洋世界の事例を挙げながら詳細な分析を行っている。栗山氏はそこで、帆船の歴史を研究するにあたって、船そのものとともにそれを操る航海技術の重要性について最後に言及しており、インド洋世界でまとめられた『海洋の学問と基礎に関する有益の書』について、その概要を紹介している。

 一方、「もの」と「もの」の交換を媒介する貨幣については、大田氏が「第4章 貨幣」で、東アジアの事例を中心とした精緻かつ概説的な紹介がなされている。そこで大田氏は、1000年来のユーラシア経済史を概観した結果、そこに東アジア貨幣史が陰に陽に影響を及ぼしていることを指摘している。そして、東西で同一の貨幣(銀)が広く共用される15世紀以降、信用貨幣に依拠する西欧と現金(金属貨幣)に依存した東の諸地域(中国やインド)との差異が、世界各地の銀をアジアに引き寄せ、グローバルな銀流動を出現させる一因となったと結論付けている。

 また、「第16章 ウラニウム」では、従来の歴史研究では「もの」として扱われることが少なかったウラニウムを「もの」として捉えることで、井上氏・塚原氏によって新たな知見が提出されている。彼らによれば、時や場所に合わせた政治的意図に従って作り出される「原子力性」こそが「もの」としてのウラニウムの特徴で、現代社会における核をめぐる力の構造を生み出しているとのことである。

5. おわりに

 ところで私は普段、大学附属の中学校・高等学校でおもに世界史分野の授業を担当している。そこでは、時代・地域を特化させた大学の専門的な教育と異なり、様々な学部への進学を前提とし、全時代・全地域を網羅した「世界史」を教授する必要があり、そのため、私自身はいわゆる近年の「グローバルヒストリー」研究がもたらした成果を吸収しながら授業を展開することに努めている。

 しかしながら、世界の構造についての概念的な理解は、中学生・高校生といった発達段階の生徒には難しい側面がある。そう考えたとき、具体的な「もの」をキーワードとしてグローバルヒストリーを語っていくことは、複雑で多様な様相を見せる「世界の一体化」の過程を生徒が理解する上での一助足り得る。そういった点で、本書は全国の中学校・高等学校の教員が手元に置くべき必須の一冊となるであろう。

 また本書は、16種類にも及ぶ「もの」を扱うことで、人類の誕生から現代までにおいて、運搬・輸送技術の発達に伴って多くの「もの」が商品化し、またその流通範囲が拡大していく歴史を明らかにした。従来の「ひと」(王など)を追って歴史を構築するのではなく、「もの」を通じてそれを行った本書は、間違いなくグローバルヒストリー研究の発展に寄与したと言える。

(「世界史の眼」No.15)

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