18世紀ヨーロッパの「啓蒙の時代」。人間の理性こそ、社会の不条理や蒙昧を啓くと説かれ、「理性」はこの時代のキー・コンセプトとなった。これに対して、本書では、スコットランドのデヴィッド・ヒュームなどを中心に、人間の本性は理性ではなく感情であるという議論に目を向ける。理性だけでは、善悪の判断は不可能で、理性は人を懐疑的にし、自由な発想を奪うことすらある。相手の境遇に同情したり、言動や行為に共感することこそが人との交際を自然なものにする。理性主義の弊害を論じ、合理主義の陥穽を見抜く思想もまた啓蒙の一つの潮流をなしていた。
理性よりも感情を――そのような声はユーラシア大陸の遥か東方でも独自に発せられていた。18世紀、清国の実証主義者である戴震は、当時、「体制教学」であった朱子学を批判した。朱子学は「理」という概念を「世界の根本概念」としたが、戴震が生きた時代には、為政者は「理」「天理」というものを国の支配のために都合よく解釈し、「情」を軽んじ、厳格な道徳主義が人びとを苦しめていた。戴震は、人びとが互いの「情」というものを推し量らなければ、「理」というものは成立しないと考え、「感情の哲学」を展開した。
本書は、西洋の光が東洋の闇を照らし出すという発想で編まれているのではない。むしろ、西洋哲学に立脚した哲学史を反省し、西洋中心からの脱却を目指すという。ヨーロッパ、アメリカ植民地、イスラーム、中国、日本に生きた数々の思想家たちが「世界哲学史」という一つの舞台に登場する。本書を読んで、東西を越えた架空の哲学対話に興じるのは読者の特権だ。
たとえば、戴震は、孟子の性善説をひきつつ、人は生まれながらにして善というよりも、自ら学び、人間としての成長が可能なるがゆえに善という。イマヌエル・カントは同世代の戴震にこう語りかけるのではないだろうか。
「人は怠惰や臆病のせいで自ら未成熟な状態に陥ってしまう。そこから抜け出すことが啓蒙だと私は名づけました。自ら学び、人として成長することを善とする考えは、啓蒙につながりますが、感情だけでは権威や権力に盲従してしまいます。自分の知性を用いる勇気をもって立ち向かう。それには人間の理性というものがいかに必要か。」
すると戴震は答える。
「知性や理性というのは、人間誰しもがもつとお考えか?私はどんな人間でも、「恐れ」や「優しさ」といったさまざまな感情に出会うことで、学びの契機をもつと思うのです」。
戴震は「悔いて善に従うようになれば下愚ではなくなるし、それに加えて学んでいくなら、日増しに智に近づく」と考えた。理性は感情の上位にあるのではなく、「感情の鍛錬を補佐するもの」という考えはヒュームにも通じる。一方、カントは果たして万人に通じる理性を語ったのかと疑問もわいてくる。
より洗練され、完成した人間になるために感情や感性を重んじる姿勢は、18世紀の日本でも見られた。本居宣長は、歌や物語を学ぶことで多様な立場の人びとの心情を理解し、それが温和な人間という理想像へ導くとした。伊藤仁斎や荻生徂徠も、道徳をめぐる朱子学の理解に距離をおき、「人情」を知り、理解することの肝要さを説いた。人情に通じれば、他人の過ちにも他人の気持ちにも寄り添うことができ、「寛容」で「柔和」な人になれる。寛容の精神は、西洋の啓蒙思想の柱でもあるが、理性から踏み込むか、情から近づくか、方法は一つではない。
西洋から東洋へ、という伝播ではなく、18世紀における東西の哲学の同時代性が紡がれていくおもしろさが本書にはある。他方、19世紀から20世紀初頭におけるイスラームの「啓蒙」、あるいは「目覚め」や「復興」を意味する「ナフダ」と呼ばれた思想が取り上げられていることも本書の価値を高めている。「近代思想の祖」、リファーア・タフターウィーは、西洋の「自然権」や「自然法」、「自由」や「平等」という概念を、ムスリムの宗教的、伝統的な理念の中に見出そうとした。19世紀半ばに生まれたムハンマド・アブドゥは、西洋の拡張主義をにらみつつ、「啓示と理性の調和」を希求した。読者の中には、明治期日本の「啓蒙思想家」を想起し、イスラームの「啓蒙思想家」との異同を読み取る者もいるだろう。
本書は、「哲学という場において「世界」を問い、「世界」という視野から哲学そのものを問い直す試み」という。この姿勢が最も鮮明なのは、フランス政治思想の革命への契機をとらえる論考だ。18世紀半ばに七年戦争が勃発し、アジア・アフリカ・アメリカの植民地をめぐるイギリスとの戦いに敗北を喫したフランスでは、既存の枠組みを超えた新たな政治経済秩序体制が構想された。「啓蒙から革命へ」。近代主権国家・国民国家分立体制は、ここから世界的拡大を開始する。
とはいえ、本書における西洋思想の考察の多くは、「西洋世界」にとどまり、グローバルな「世界」が感じられない。ヒュームは一神教の不寛容と迫害を多神教の寛容と対比させたというが、それ以上は深く掘り下げられない。ヒュームやアダム・スミスが説く「共感」の対象に、被植民者や奴隷がなぜ想定されなかったのかも気になる。トーマス・ジェファーソンらが説く自然権や人民主権というアメリカ独立の思想が、いかにフランスに影響を与えたのかを論じる論考が収められているが、D.A.グリンデ・Jr./B.E.ジョハンセン『アメリカ建国とイロコイ民主制』(星川淳訳 みすず書房 2006)などによると、「建国の父たち」は「インディアンの政府」を参照し、先住民の「民主主義」や「自由」概念から示唆を受けた。本書の読者は、むしろこうした考察が世界哲学史にどう組み込まれるのかということに関心をもっている。
西洋において、「人」とは誰で、「世界」とは何を指したのか。哲学であれ、歴史学であれ、西洋近代に確立された学問体系をいったんエポケー(停止)するという作法が、世界史を論じるためには不可欠である。自戒をこめてそう感じさせられる一冊であった。
(「世界史の眼」No.16)