歴史研究にジェンダー視点の導入の必要性が指摘されて久しい。だが、グローバル経済史(経済史)では、依然としてジェンダー視点の導入の試みが乏しい。本書は、この点に「問題提起」と「挑戦」を試みた本であり(260頁)、大変に刺激に満ちた研究書である。
編者のひとりである浅田進史氏が言うように、ジェンダー史とグローバル経済史は「交わることなく並行の関係」にある(6頁)、あるいは本書で姫岡とし子氏が言うように、通史とジェンダー史には「折り合いの悪さ」(251頁)がある。それに対して序章では、論争のなかのグローバル経済史とジェンダーの論点が紹介され、両者を接続することが重要な課題であることが示されている。紹介されている論点は、①ジェンダー史からの「イギリス高賃金経済」論批判、②「ガール・パワー」論をめぐって、③性別分業をめぐってであり、「序章」は本書全体の位置づけ、問題の所在と課題を明快にまとめている。加えて各章では、先行研究と論点の整理に留意したうえでの論証がめざされている。
その結果、本書は、ジェンダー史を無視するグローバル経済史は居心地が悪いはずだというところまで、グローバル経済史に対して問題提起がかなりできているように思えた。「あとがき」(浅田進史)にある、グローバル経済の現場に接近するほどに、「いかにその支配のあり方がジェンダーと不可分に結びついており、それが全体の支配構造を支えていることがわかるのではないか」(260頁)という言葉が本書の問題関心をよく表現しており、もっとも深く胸に突き刺さった。
本書の概要を紹介しよう。「序章」(浅田進史)に続き、本書は3つの部で構成されている。第1部「産業革命・グローバル史・ジェンダー」には、第1章「産業革命とジェンダー」(山本千映)、第2章「18―19世紀イギリスの綿製品消費とジェンダー」(竹田泉)、第3章「18世紀フランスにおけるプロト工業化とジェンダー」(仲松優子)、第2部「19世紀グローバル化のなかのジェンダー」には、第4章「ハワイにおける珈琲業の形成」(榎一江)、第5章「市場の表裏とジェンダー」(網中昭世)、第6章「ドイツ植民地に模範的労働者を創造する」(浅田進史)、第3部「グローバル経済の現段階とジェンダーの交差」には、第7章「生産領域のグローバル化のジェンダー分析」(長田華子)、第8章「ポスト新国際分業期におけるフィリピン女性家事労働者」(福島浩治)がそれぞれ配置され、コラムも3本おかれている(「工業化期イギリスの女性投資家」<坂本優一郎>、「家事労働の比較経済史へ向けて」<谷本雅之>、「グローバル経済史とジェンダー史の交差の可能性」<姫岡とし子>)。
本書は、2017年6月に開催された、政治経済学・経済史学会春季学術大会春季総合研究会「グローバル経済史にジェンダー視点を接続する」をもとに構成されたものであるが、上記のように研究会の記録にとどまらず、本書全体および各章にわたり、問題提起と課題の所在、論点などがよく整理された触発力の大きな研究書になっている。
本書は、「グローバル経済史にジェンダー視点を接続する」ことを課題にするとうたっているが、本書を少し読めば、本書の射程はグローバル経済史にとどまらず、経済史一般に対する問題提起であることがすぐにわかる。そのことをもっとも明瞭に示しているのが、プロト工業化論に対してジェンダー視点の欠落を鋭く指摘した第3章の仲松優子論文である。プロト工業化論では、家族が重要な研究対象であったが、「女性労働とこれをめぐる権力関係に対する視野をほとんどもちえておらず」、「議論の基盤に大きな欠陥を抱えていた」(76頁)という指摘は、正鵠を射ているであろう。今後、仲松論文を抜きにしてプロト工業化論を語ることはできないはずである。
日本経済史研究でもジェンダー視点の接続に対する問題関心は、長い間、希薄であったが、近年いくつかの問題提起が続いている。小島庸平『サラ金の歴史――消費者金融と日本社会』(中公新書、2021年)は、ジェンダーを重要な視点にすえており、「感情労働」などのキーワードを駆使しつつ、サラ金苦と男女の対応の相違や感情労働のあり方を具体的に検討している。消費や労働の研究にジェンダーの視点を導入したものとして、今後の研究の新しい方向性を示している。また私も、高度成長期の企業の社内報に掲載された主婦の文章から「機嫌」と「ぐち」というキーワードに注目し、企業社会における夫の労働と主婦の規範・実践に含まれた非対称のジェンダー関係に注目する必要性を提起した(大門「高度成長期の「労働力の再生産と家族の関係」をいかに分析するか」『歴史と経済』247号、2020年4月)。本書は、これらの研究をより広く位置づける役割もはたしているように思われる。
本書は、グローバル経済史(経済史)におけるジェンダーへの問題関心を促し、さらにジェンダー視点の必要性を説いたものであり、日本経済史研究を含めて大変に時宜にかなった研究書である。広く共有されることを望みたい。
(「世界史の眼」No.19)