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「世界史の眼」No.30(2022年9月)

今号では、南塚信吾さんに、「「万国史」における東ヨーロッパ I-(3) 明治期「万国史」における「東ヨーロッパ」(その3)」をお寄せ頂きました。本論考で、「「万国史」における東ヨーロッパ」の第一部は完結します。I-(1)はこちら、I-(2)はこちらです。また山崎が、昨年刊行された、『神川松子・西川末三と測機舎-日本初の生産協同組合の誕生』を紹介させて頂きました。

南塚信吾
「万国史」における東ヨーロッパ I-(3) 明治期「万国史」における「東ヨーロッパ」(その3)

山崎信一
文献紹介:南塚信吾(編著)、西川正幹(編集協力)『神川松子・西川末三と測機舎-日本初の生産協同組合の誕生』(アルファベータブックス、2021年)

南塚信吾(編著)、西川正幹(編集協力)『神川松子・西川末三と測機舎-日本初の生産協同組合の誕生』(アルファベータブックス、2021年)の紹介ページは、こちらです。

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「万国史」における東ヨーロッパ I-(3)
明治期「万国史」における「東ヨーロッパ」(その3)
南塚信吾

Ⅰ パーレイ的「万国史」の中で:明治初期の文部省教科書

4. 『巴来(パーレイ)万国史』牧山耕平訳、文部省、1876年(明治9年)

 ようやく明治9年に、寺内章明『五洲紀事』らが依拠したパーレイの本が完訳された。牧山については知られるところは少ないが、他に経済関係の翻訳がある。『巴来(パーレイ)万国史』は、上下各2巻、計4巻からなっていた。それまでは、英語版を文部省内外で読んでいたのであろう。1867年の再渡米のさいに、福沢諭吉が一冊持ち帰っていることが知られている。そのパーレイの全体的な姿が日本語で登場したわけである。原書は「グードリッチ氏ペートルパーレーノ名ヲ假リ著セシ」ものと紹介している。英語版の初版はSamuel Griswold Goodrich (Peter Parley), Universal History: on the Basis of Geography(Boston,1837)である。英語版は何版も出ていて、1885年には日本でも出ていたが、牧山の翻訳にあたっては、1837年版が使われたようである。

 本書は、明治初期の「万国史」のベストセラーであった。これは教科書ではなかったが、自由選択教科書時代の産物であった。すでに述べたように『五洲紀事』の元になった教科書であった。

 緒言では、本書は、「風船ニ駕シテ游行スル事並ビニ目撃スル所ノ奇事ノ説話」であるとし、歴史並びに地理誌の概説、地球上水陸の区分、亜細亜阿弗利加及び其の他の国々の人民、世界の各種の人民のことを述べるとある。ここで、「歴史」は「世界創造以来人世の紀事」(上の一)であり、「既往の事の記録」(上の四)である。

 そして本論では、以下のように五つの洲を次々とめぐっていた。

1)亜細亜:気候・物産・山嶺・人民・動物等、世界の創造及び洪水、ノア及び親族方舟を出ること、アッシリア、ヘブライ、エジプト、ユダ国、救世主、波斯、支那、日本、アラビアとマホメット、アジア総説

2)阿弗利加:地理並びに人民、上古のエジプト、イシオピア、バルバリ・ステーツ(モロッコ・アルジェリア・チュニジア・トリポリ)の海賊、賣奴(奴隷売買)の史

3)欧羅巴:地理及び事情、希臘、波斯戦争、マケドニア、希臘の今世史、羅馬、阿多曼(オットマン帝国)、土耳古史の結末、西班牙(スペイン)、ムール戦争、「宗門検査」、葡萄牙、仏蘭西、高盧〔ゴール〕人、シャルルマン、十字軍、封建の制度、仏蘭西諸王、仏蘭西革命の乱、ナポレオン、ナポレオン三世、瑞西(スイス)、日耳曼(ゲルマン)、墺太利及び洪牙利、洪牙利・波希米亜(ボヘミア)・チロル、普魯西(プロシア)、魯西亞(ロシア)、瑞典(スウェーデン)、臘巴蘭(フィンランド)・那威(ノルウェー)・丁抹(デンマーク)、大猊列顛(グレートブリテン)・阿爾蘭(アイルランド)

4)亜米利加、アイスランド・グリーンランド、南亜米利加、西印度

5)オーシェアニカ(オセアニア)、ポリネシア

 以上のように、聖書によって創世とノアの子孫から始めている。世界各地を巡って、それぞれの国や地域の地理を押さえたうえで、その歴史を古代から近代まで縦に述べて並列していた。そこには「中心」も「周辺」もなく、どの国どの地域も排除はされないはずであった。ただ、記述の比重は、ヨーロッパが圧倒的で、ほぼ半分を占めていた。

 では、この中でヨーロッパの東部はどのように扱われていたのだろうか。寺内らはこの本に依っていると書いていたが、全文が翻訳されてみてどうであろうか。結論的に言えば、東部では、ギリシア、ハンガリー、ボヘミア、ポーランドが出て来る。

 先ずは、ギリシアである。ギリシアの「今世史」が古代ギリシアの崩壊の後に来る。そこでは、人民の戦いにより多く注目されている。

「1450年の頃に至り、土耳古より東羅馬を侵伐して希臘国を略奪す。爾後殆ど四百年間土耳古人は希臘人を奴隷の如く接遇せり。」

「其後、千八百二十一年に至りて希臘人其残虐を惡み、遂に土耳古に叛けり。因りて忽ち戦争起り争乱久しく絶えず、互に暴虐を行ふこと甚し。」

「諸国の人民、希臘を援るもの多し。是皆其国史を知り、且古昔の名誉を悲みて親愛せし者なり。彼の高名なる英吉利の詩人ロルト(ロード)・バイロンも亦此国の為に死したり。」

「土耳其の人民は性質勇悍にして、希臘を棄ることを肯ぜず。希臘人は死を決して必ず其苛酷の管制を脱せんことを欲せり。然れども英仏魯三国の援を得るに非ざれば、其志望を達すること能はざるべし。」

 こうして英仏魯三国の軍事力を借りてギリシアはトルコの管制を脱したが、「自立」して国を治めることができず、三国は「其人民の為めに」君主を選んで、オットーを国王とした。(上の二、第六十五章)

 ここでの土耳古はオスマン帝国のことである。まだ「独立」という概念はできていないようで、「自立」が使われている。その「自立」も英仏魯三国に依存していたことが指摘されている。

 つぎにハンガリーである。ハンガリーについては詳しい記述を設けている。 

「匈牙利は、広大の国にして、数州を其の版図中に有す。都会ブダは、大奴皮(ダニューブ)河畔に位して頗る壮麗なり。」「気候は和煦にして美味の葡萄を産す。之を以って精良なる葡萄酒を醸す。山は金銀を産すること頗る多し。其の人民(inhabitants)は貧富の二類に別てり。富者は壮麗なる宮殿に住み、貧者は僅かに富者の奴僕を免かるるのみ。」    

「匈牙利の人民(inhabitants)は猛悪なる数人種(tribe)の混したる者なり。是皆、太古の時、アルタイ山を経過して亜細亜より欧羅巴に移りし者なるべし。其の人種は彼のサラセン帝国を亡ぼして土耳古帝国を創立せるトルクスと呼ばれたる韃靼人種に似たり。」「匈牙利の人種中第一なるものは、ヒュンスと云う。是れ、450年の頃、残忍無道の将師アッチラと云うものに従属して、伊太利を襲撃せり。。。。」

「匈牙利は、。。。1563年に当たりて墺太利帝国の一統する所となる。1848年に至りて其人民(原文になし)コッシュストと云うものに誘導せられ、自由(liberty)を復さんが為に狂妄の謀を為すと雖も、終に其功を遂げず。現今猶墺太利の属国たり。」(下の一 第百二十六章)

という具合である。スレイマンの侵攻などへの言及がなく、ベルギー、おらんだなどとハンガリーをフン人と結びつけていたり、人種的すぎるという点を除いても、貧富の差の指摘など、鋭いものがある。

 注目されるのは、ボヘミアが扱われていることであるが、ボヘミアについては、情報がとぼしく、また混乱している。 

「波希米亜は四囲山を擁して銀鈴及び寶石等の鉱山に富む。人口は幾ど四百万あり、現今の人民多くは猶太なり。又ジプシースと云ふ奇異の流族多し。」

この猶太やジプシーのことは、パーレイの原文自体が、間違っている。くわえて、これに続く一節が不可解である。

「初め此国は紀元前六百年の頃亜細亜より移住せし所のセルツと云ふ人種なりしが紀元後四百五十年の頃、其国は日耳曼人種の其の管制せしによりて遂に駆逐せらる。シャルレマン(シャルルマーニュ)又此国を附庸となすと雖も其後独立して王国となれり。千五百二十六年に当りて又墺太利に属して方今に至るまで其附庸なり。」(下の一 第百二十六章) 

このセルツ(原文ではCelts)が問題で、おそらくケルト人の事であろうが、かれらがアジアに由来するというのも、ボヘミアの人がケルト人であるというのも、パーレイの間違いである。

 最後にポーランドであるが、これは他の本でそうであるようにロシアとの関係では出てこないで、ベルギー、オランダなどヨーロッパの小国らとともに出て来る。 

波蘭は昔欧羅巴中の一国たりと雖も、今は否らず。其土壌東北は魯西亜の轄地に界し、南はドニーストル河に濱し、西は普魯西に接す。千七百七十二年に當りて、魯西亜、普魯西、墺地利の三国の君、其国を囲みて大に其地を分取す。千七百九十五年に三国の君、又其余地を剖割せり。其居民は自主自由の国たらんと欲して奮戦すと雖も、其功を遂ぐるを得ず。其民魯西亜ニコラスの爲めに数千人は徒刑に處せられ、数千人は他国に移されたり。或は其残忍を避けて合衆国に來住するものあり。(下の一、第百三十七章)

 ここでも列強による分割を厳しく批判している。とくに居民の事情を記しているのが特徴である。

***

 東ヨーロッパの記述から見た限りで、パーレイの翻訳本の方法を考えよう。パーレイを基にしていたはずのこれまでの「万国史」、つまり寺内章明訳『五洲紀事』以降、文部省『史略』と師範学校編輯『万国史略』を経て、田中義廉『万国史略』までの「万国史」に比べてどうであろうか。

  1. 五洲を順に回って、その中でも国ごとに縦に歴史を記述する、ヨーロッパは東西の区別なく、国ごとに並列されて構成するという方法は、それぞれ同じく踏襲されていた。
  2. 時代区分はなく、たんに時代順に記述するという方法も同じであった。
  3. 牧山の英語版訳では、「人民」への視線があり、たんなる「権力」の歴史ではないことが分かる。寺内章明訳『五洲紀事』と田中義廉『万国史略』にも「人民」という視線は出て来ていた。その点で、文部省の教科書は「権力」の観点からの歴史で、「人民」「國人」という視線は弱いといえる。
  4. さらには、牧山の訳書では、ハンガリーのところでも分かるように、貧富の差ということも視野に入っていた。これは、寺内章明訳『五洲紀事』以降、『史略』、『万国史略』、田中義廉『万国史略』には出てこない観点であった。
  5. 最後に、英語の訳語について見ると、訳語がまだ流動的であることが分かる。例えば、nationは、「国」ないし「人民」と訳されている。peopleは「人民」で一貫しているがinhabitantsも「人民」と訳されることが多い。したがって、「人民」はpeople, inhabitants, nationの訳語として使われている。そして「人民」の意味は、「住民」であったり、「居民」であったり、「世界の各種の人民」のように使われたりている。「国民」や「民族」という概念はまだ登場していないのである。一方、tribeは「人種」で一貫している。
    政治的な用語では、independentは「自主」で、まだ「独立」という概念は出てきていない。Liberty, freedom はともに「自由」と訳され、重要な概念になっている。
    そして、revolutionは牧山版では「革命」と訳されていて、「仏蘭西革命」と出て来るが、訳語はまだしばらくは定まらず、「動乱」などとも訳される時期は続くことになる。

***

 以上、三回にわたって明治初期における「万国史」において東ヨーロッパがどのように論じられてきたのかを検討してきた。この時期の「万国史」を主導したのは、文部省のグループであった。整備された文部省と学制のもとで「万国史」が積極的に出版されたのである。文部省のグループが依拠したのは、パーレイ(グードリッチ)の「万国史」であった。そのパーレイの本自体は、1876年(明治9年)になってようやく完訳されたのであった。

 しかし、明治6,7年から明治14年の政変までの時期には、パーレイ的な見方とは違った「万国史」も出て来ていた。明治14年以後は「文明史」的な「万国史」で一色になるので、それまでの時期は、非常に面白い時期であった。その時期の「万国史」の検討はいずれ機を改めることにしたい。

(Ⅰ-(1), (2), (3)完)

(「世界史の眼」No.30)

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文献紹介:南塚信吾(編著)、西川正幹(編集協力)『神川松子・西川末三と測機舎-日本初の生産協同組合の誕生』(アルファベータブックス、2021年)
山崎信一

 本書が主として取り上げるのは、神川松子という名の人物である。20世紀初頭に活躍した彼女は、平民社に加わった社会主義者、女性の地位向上を主張する評論家、ロシア文学の翻訳者、生産協同組合「測機舎」の設立者といった、多くの面を持っていた。彼女の女性運動家としての側面は比較的知られているが、その人物像は断片的に理解されることが多く、その他の活動、とりわけ生産協同組合の活動との関わりの中で論じられる機会は多くない。本書は、一つには神川松子という人物のさまざまな事績を統一的に論じようという試みであり、夫の西川末三の植民地官吏としての台湾での体験とも相まって、両者の理想が生産協同組合「測機舎」に結実したことを明らかにしている。

 537ページという大部の本書では、「第一部 測機舎の歴史的意義」において、測機舎の歴史的意義が論じられる。神川松子、西川末三両者の簡単な伝記から、松子と平民社との関わり、末三の台湾体験、ロシア語翻訳者としての松子、当時末三が籍を置いた玉屋商店での労働争議を経て測機舎の設立過程、測機舎への「空想的社会主義者」の影響、設立後の測機舎の状況などが述べられている。そして、本書の紙幅の過半が割かれているのが、300ページを超える分量の「第二部 神川(西川)松子資料」である。彼女自身の手による各種雑誌に掲載された論考、赤旗事件裁判の資料、ロシア文学の彼女による翻訳が収められている。各論考は、平民社時代の『世界婦人』などに掲載のもの、赤旗事件の公判に関するもの、一九一四年以降の女性の地位向上を主張するもの、ロシアの作家イワン・ブーニンの作品の翻訳、トルストイ作品の翻訳に分けられている。「第三部 測機舎誕生関係資料」は、測機舎の設立前後の各種規定や関係する新聞記事をまとめている。以上を見てわかるように、本書には各種資料が掲載されており、神川松子と測機舎の歴史に関して、実際の史料に則して理解が可能となるように作られているのが大きな利点となっている。資料にはそれぞれ、専門家による解説が付されている。

 本書は、2021年の晩秋に刊行されて以降、少なくない反響を呼んだ。『週刊読書人』(2022年2月11日)、『進歩と改革』(2022年2月号)には、書評が掲載され、特にその現代につながる意義が好意的に論じられている。

 本書の刊行には、少なからぬ意味があるだろう。まず、測機舎という日本で最初の生産協同組合の発足から展開にかけての経緯は、純粋に興味深いものである。契機としての玉屋商店経営陣との対立から組合設立への動き、労務出資と金銭出資の組み合わせによる協同組合の仕組みの整備、発足当初の困難の克服といった点は、一つの特異な組織の歴史としての面白さに満ちている。さらに、書評に取り上げられているように、測機舎を、利潤拡大を第一の目的としない現代における「ワーカーズ・コレクティヴ」の先駆者として位置付けることも可能だろう。

 そしてそれに加えて著者が強調しており、私もそれに共感するのは、測機舎の試みが「日本の中の世界史」の一つの実践例として意義を持っている点である。本書が、測機舎の経緯を追うだけではなく、その思想的源泉を同時代の欧米の社会主義思想や協同組合運動の中に追っている点もそれ故だろうし、神川松子の思想形成、西川末三の植民地体験が扱われているのもそうだろう。こうして、測機舎は単なる日本の一生産協同組合としてではなく、この時代の「世界史」を体現するものとして描かれることとなる。

 私は、ヨーロッパのバルカン地域にかつて存在したユーゴスラヴィアの歴史の研究を専門としているが、「測機舎」の生産協同組合のあり方から、第一に連想したのが、社会主義政権下のユーゴスラヴィアで試みられた「労働者自主管理」のことであった。いずれにおいても、「労働者が企業を所有し、経営する」という実践が試行錯誤の中で行われていた。ユーゴスラヴィアにおける労働者自主管理の発展の背景には、ソ連との関係断絶後、ソ連型の国家統制型社会主主義ではない社会主義のあり方の模索があり、出発点は無論測機舎と異なるものだが、その理想としての組織のあり方が非常に類似したものとなっている点は興味深かった。労働者自主管理とその体現したユーゴスラヴィアにおける自主管理社会主義のあり方に関しても、世界史的視野での再検討が必要であろうと感じた。

 最後に、本書は読み物としての面白さにも満ちている。資料に現れる軽快な筆致も相まって神川松子の人物像が生き生きと浮かび上がる。「補遺」として収録されている、西川末三の文章もまた人情味溢れ、二人の魅力を浮かび上がらせる。

 本書を手に取って、神川松子の人間としての魅力、測機舎を巡る波乱万丈の物語に接するとともに、その背後にある同時代の世界との繋がりにも思いを馳せて頂ければと思う。

(「世界史の眼」No.30)

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