本書は、1988年に岩波書店から出版され、2011年に岩波人文書セレクションの一冊として再刊されたことがある本の現代文庫版である。岩波現代文庫[学術]は、さまざまな学問分野で大きな意味をもった本を復刊して、新たな読者に提供していくという役割を担ってきた。本書が関わる国際関係・国際政治分野においても、たとえば、細谷千博『シベリア出兵の史的研究』(2005年、原著:有斐閣、1955年)や斉藤孝『戦間期国際政治史』(2015年、原著:岩波書店、1978年)などがすぐ頭に浮かぶ。斉藤氏の本については、著者没後の刊行であったため、筆者が解説を書かせていただいたが、原著に初めて接した頃のことをいろいろと思い出して、楽しい仕事になったことを覚えている。本書の場合、著者百瀬氏は九〇歳をこえてなおお元気であり、現代文庫版でも「あとがき」を執筆されている。この「世界史の眼」を出している世界史研究所の前身組織を支える存在であった百瀬氏の代表作の一つが、こうした読みやすい形で幅広い読者に改めて示されたことを、まず何よりも喜びたい。
百瀬氏は、いうまでもなくフィンランド史を中心として、わが国における北欧、東欧の近現代史研究を牽引してきた研究者で、その著作はすこぶる多い。筆者が初めて氏の研究に接したのは、第二次世界大戦初期のソ連-フィンランド戦争(冬戦争)を扱った『東・北欧外交史序説 ソ連=フィンランド関係の研究』(福村出版、1970年)であり、その後も、『ソビエト連邦と現代の世界』(岩波書店、1979年)や『北欧現代史』(世界現代史28、山川出版社、1980年)などで、いろいろと学ばせていただいた。さらに、印象に残ったものとして、『国際関係学原論』(岩波書店、2003年)がある。氏に大きな影響を与えた江口朴郎氏の議論を基礎とする「人間解放の主体的諸契機」と題する章を中心的位置に据えるなど大胆な議論を展開したこの本が、氏の著作としてあまり言及されることがないのは、残念である。
そのような百瀬氏の北欧・東欧研究と国際関係全体にまたがる研究との結節点ともいうべき位置を占めるのが、本書『小国』であるといってよいであろう。本書の詳しい内容紹介は割愛するが、古代世界における「小国」論の系譜から説き起こす序論部分に始まって、19世紀のウィーン体制下、クリミア戦争期、帝国主義の時代、1920年代、1930年代、冷戦期、緊張緩和期という各時期に、「小国」の位置が国際関係のなかでどのような変化をとげ、さらに「小国」についていかなる議論がなされてきたかが、丁寧に述べられている。
強い力をもっている「大国」の思惑と行動を軸として描かれがちな国際政治の舞台において、「小国」(その定義自体論争をはらむが、ここでは立ち入らない)が、たとえば中立政策などを通じてどういった振る舞いをしてきたかが、本書では豊富な例に基づいて論じられる。その際挙げられている事例は、ヨーロッパのものが軸になっている。百瀬氏の専門上当然のことながら、北欧諸国の例が圧倒的に多く、東欧、バルカン半島も重視されている。一方ベネルクスに重点が置かれるのは第二次世界大戦後についての部分である。
このように、本書は、基本的には「ヨーロッパの小国」論といってよく、アジア・アフリカの「小国」については、1950年代からの非同盟外交の意味が強調されているものの、比重は小さく、また中南米の事例などは簡単に触れられるのみであり、それに不満を抱く読者がいることは十分想像できる。ただし、ヨーロッパ以外でも、日本については、「小国」論との関わりがかなりの密度をもって論じられおり、特に第9章「「戦後」日本の「小国」像」は、きわめてユニークな議論となっている。
こういった内容の『小国』が、2022年の日本において文庫本として再刊される理由は、何であろうか。
本書には、2011年に岩波人文書セレクションとして刊行された際に書かれた「「冷戦終焉」以来の「小国」をめぐる理念と現実」という文章も収録されており、EUのなかでの「小国」の問題や、太平洋の島嶼国家の変化などが触れられ、「小国」による地域協力の重要性や、「内なる小国」、すなわち大国を含む国家の内部の「小国家」とも言える地方自治体や地域の新たな意味に、注意が促されている。しかし、2011年時点での再刊の意味は、必ずしもはっきりしない。
それに比べ、2022年での文庫本としての再刊行の意味は、すこぶる明確であるといってよい。本書末尾の「岩波現代文庫本あとがき」で著者は、「本書が扱う事柄の応用問題ともいえる諸状況が、日本を含む世界各地で発生している」と述べつつ、「具体的な話題の中でも早速思い浮かぶのは、ウクライナ、そしてロシアの事態である」と記している。そして、ロシアのウクライナ侵攻の結果、フィンランドとスウェーデンがNATOへの加盟申請を行ったことに触れ、両国の動きはロシアの脅威への「敗北」と見られるかもしれないものの、「事態はそう単純ではないだろう」として、両国の今後の動きへの注視を促している。確かに、本書でも最も多く言及されているといってよいこれらの国々の最近の動きの意味を考える上で、本書の記述に戻ってみる意味は大きい。
さらに、著者が直接述べているわけではないが、ロシアによるウクライナ侵攻という行為自体が、隣接する「小国」への「大国」の軍事侵攻という事態の一例として、「小国」をめぐる問題に連なるものである。そして、1939年のソ連によるフィンランド侵攻が歴史上の先例として思い起こされるが、本書で同戦争を扱った部分が国際連盟によるソ連の追放問題に絞られているのは、若干残念である。とはいえ、ウクライナ戦争の帰趨に注目しつつ、本書の「小国」論に接してみることは(筆者のように再読する読者も含めて)、きわめて有益であろう。
ただ、35年前に刊行された本書の内容について、現在の時点からみて読者が不満を覚える点は、当然のことながら多々あるであろう。たとえば、本書には「小国」のなかの分化に着目した「極小国」と「弱国」についての議論が見られるが、そうした分化はさらに進んでいる。地球環境の変動によって、国の物理的存続自体が危ぶまれるような島嶼「極小国」の問題などが、すぐ頭に浮かぶ。さらに本書では、最後の方になって、それまでの議論と必ずしも明確にはつながらない形で(と筆者には感じられる)、「内なる小国」という問題が提示されている。それがもつ意味については、前述したように2011年版の追記で著者自身が触れているが、歴史を遡ってその視角を入れてみることも、「小国」の前提となる「国家」の姿そのものへの問いかけが強まっている現在、必要であろう。
とはいえ、こうした感想はあくまでないものねだりである。日本における「小国」論の古典とも呼べる本書が、現在もきわめて刺激的な内容に満ちているということを改めて指摘して、本稿を結ぶことにしたい。
(「世界史の眼」No.39)