西洋が世界の歴史を主導しているという西洋中心的な世界史は、どのような経緯をたどって誕生したのか。本書は、キリスト教的な「普遍史」を体現するアウグスティヌスの『神の国』(413‐426)から、「ランケ的世界史」を著した米国のG.P.フィッシャーによる著作まで、実に1450年の長きにわたってヨーロッパや北米において発表されたさまざまな世界史叙述を考察してこの問いに答える。
本書の最大の特徴は、明治期日本に紹介され、近代日本へ影響を与えた「万国史」を中心に、西洋の世界史をとらえるという視点である。著者は2016年に「近代日本の「万国史」」(『「世界史」の世界史』ミネルヴァ書房)という論考を発表している。西洋で生まれた西洋中心的な世界史を、明治期以降の私たちの世界史観の問題に引き付けて考える著者の仕事に多くの読者が共感を覚えるだろう。
目次は以下のとおりである。
はじめに
第1章 キリスト教的「普遍史」の世界
第2章 「科学的」世界史の模索
第3章 啓蒙主義の世界史
第4章 多元的世界史の試み
第5章 「普遍史」からの脱却へ
第6章 実証主義の歴史学とヨーロッパ中心の世界史
第7章 ナショナル・ヒストリーと世界史
アダムとイヴの誕生から人類の歴史が始まり、神の摂理によって導かれるという「普遍史」は、ゆったりとした時間をかけて、人間を主体とする世俗的な歴史へとシフトしていった。聖書に記述のない「新世界」の「発見」、宗教改革によるカトリシズムの相対化、自然科学的な絶対時間という観念の広がり、合理的認識論の成立や人間理性を重視する啓蒙主義などを契機に、西洋の世界観および歴史観は変わっていった。
18世紀には、フランスのヴォルテールやG.-T.レーナル、コンドルセ、ドイツのJ.C.ガッテラーやA.シュレーツァーらによって、世界史の世俗化(脱キリスト教化)は加速した。世界の諸民族の習俗や風習、交易などの経済活動、精神性の発達など、さまざまな観点から世界史をとらえ、叙述する試みが現れる。カトリックの聖職者であるC.F.ミロは、『一般史の諸要素』(1768)の中で、「真実」の追究を掲げ、世界の始まりを正確に示す文献はないと断じて聖書の記述には触れず、「ギリシア・ローマ以前」として歴史を書き始めた。歴史と宗教は分離される。日本の啓蒙主義研究においてほとんど論じられることのないミロに着目し、彼の歴史像やアジア観に迫った考察は貴重だ。
こうして「普遍史」的要素が脱色された世界史とはどのようなものか。
19世紀の世界史について、著者が最初に取り上げるのがスコットランドのA.F.タイトラーである。彼の『一般史の諸要素』(1801)は、アメリカを経由して明治期日本に最初に翻訳された。ほかにもアイルランドのW.C.テイラーや、オランダ語訳によって幕末日本に紹介されたドイツのK.ペリッツ、「気球に乗って眺める世界史」を書いたアメリカのパーレイ、「コーカサス人種」を世界史牽引の主体とする「人種的世界史」のE.A.フリーマンやW.スウィントンなど、日本に輸入された世界史が、19世紀の西洋の史学史に名を刻むミシュレやヘーゲル、ランケ、マルクスらの著作とともに考察される。
興味深いのは、「普遍史」の根強さである。「キリスト教の確立が世界史全体のなかで唯一の重要性をもつ出来事」とするボシュエの『普遍史』(1682)は、19世紀になっても広く読まれた。ボシュエは、ヴォルテールやタイトラーらによって厳しく批判されたが、タイトラーの著作自体が、彼の死後、19世紀半ばになっても普遍史的な方向へと「逆戻り」する改訂版が出されるなどの展開を見た。また、アダムとイヴからの聖書的歴史叙述に、ローマ帝国以降の世俗史を継ぎ合わせる「折衷型」は、ドイツのK.ロテック、T.B.ヴェルター、イギリスのH.ホワイトのように19世紀半ばまで見られた。ヴェルターとホワイトは、ともに明治期日本でも翻訳された。米国にも、ヨーロッパの「世界史」が輸入、紹介され、女子教育に携わるE.ウィラードや教会学校の教育に関心をもつM.J.カーネイなどが「自前」でボシュエに似た「普遍史」を書き、歴史教育で活用された。19世紀半ばを過ぎると、Ch.ダーウィンの『種の起源』(1859)および『人類の起源』(1871)が、「キリスト教的な天地創造論への決定的な批判」となるが、米国における「普遍史」の根強さは、現代も残る進化論への反発にも大きく関わるであろう。
もう一つ、19世紀の世界史を考察するにあたって興味深いのは、ランケに代表される実証主義的歴史学がヨーロッパ中心的な世界史確立に与えた意味である。
ここでは、聖書の「天地創造」だけではなく、人類が「理性」や「自由」を獲得して「進歩」していくさまも、「科学的」に実証することは不可能であるとして退けられる。「事実はいかにあったのか」、「それがあったままに記述する」ことが目指され、「科学的」歴史叙述は、史実を確定できない原始時代や遠方の民族や文化、とりわけ西洋との接点をもたない諸民族の歴史を切り捨てることにつながった。世界史は、「実証できる史実」からなり、「実証できない語りや伝説」は排除されるべきであった。
また、ランケは、地上における諸民族との関係や関連を見極めることで世界史を把握するとし、ローマ的・ゲルマン的諸民族を「偉大な歴史的発展の諸要素」とみなしてその中心に据えた。彼の世界史は、この「支配的な民族の行動、影響力、闘争、他民族との『関係』」をたどるものとなった。
本書の最終章では、1870年代以降のナショナル・ヒストリー勃興の時代における世界史が考察されている。ランケの未完の『世界史』(1881‐88)に加え、スイスのJ.ブルクハルトおよびイギリスのJ.アクトンをとりあげ、ナショナル・ヒストリーへの抵抗という立ち位置にも注意を払う。
ブルクハルトの『世界史的省察』(1905)においては、ナショナル・ヒストリーの「錯覚や傲慢さ」が批判され、諸民族や諸文化の多様性と共存性をとらえて、「すべての種族や民族や慣習や宗教をも相互に関連させて正当に取扱うように努める」世界史が目指された。しかし、ブルクハルトのいう「種族」や「民族」はヨーロッパのそれであり、彼の眼差しは、西洋世界を超えることはなく、ランケ以上にヨーロッパ中心的であった。
最後に著者が考察するのは、アメリカのG.P.フィッシャーである。彼の『ユニヴァーサル・ヒストリー概論』(1885)は、ランケ的な歴史学の「科学的」方法を取り入れ、「古代から現代までをネイションで構成」し、ヨーロッパ中心の文明史的世界史であった。日本でフィッシャーの抄訳が出版されたのは1890年代で、ランケの『世界史』の紹介はそれから約30年を経た第一次世界大戦後であったため、「フィッシャーを通したランケの方法の部分的紹介」は、当時の日本の世界史理解において「重要なできごとであったにちがいない」と結ばれている。
* * *
ところで、冒頭に述べたように、本書の最大の特徴は、日本に影響を与えた西洋の世界史の「ヨーロッパ中心史観の淵源」を問うものである。そのために著者が依拠するのが、上原専禄『世界史像の新形成』(1955)の問題提起である。
上原は、「近代歴史学がその経験科学的実証的方法によって、いったいどのような世界史像形成の実践を行ってきたのか」を批判的に問う必要性を訴えた。しかし、日本の歴史学において上原の問題提起を受け止める研究はこれまでになく、本書がそれにわずかでも応えるものとして位置づけられる。著者は第一章でキリスト教的「普遍史」の考察を終えると、上原の問題提起を詳細に述べて整理し、第二章以降の世界史叙述の考察基盤を提示する。「キリスト教を離れても、なんらかの『超越的ファクター』が設定され続ける」という上原の見解が、幾度となく挙げられ、検証される。
なるほど、日本の歴史学界において、かつて上原のような歴史家がいたことは特筆に値する。しかし、上原を引き合いに出すことに違和感を抱く読者もいるのではないだろうか。
いうまでもなく、1955年の上原と2023年の著者では、「世界」も変化しており、両者がアクセスできる世界史叙述も違う。20世紀末のポスト・コロニアリズム以降の歴史学は、西洋史研究においても西洋中心史観の相対化が図られ、かつてドメスティックな関心しかなかったヨーロッパの西洋史家が、今や植民地抜きの西洋史叙述などありえないと述べる時代である。それにもかかわらず、著者は半世紀以上前の上原の疑問に立ち返ろうとしている。これまで数々の世界史論を展開してきたグローバル・ヒストリアンである著者が、なぜ上原にこれほど依拠するのだろうか。現在の読者にとっては、20世紀半ばの上原ではなく、21世紀の世界史研究を切り拓いてきた著者の存在感の方が大きい。上原の問題提起に応えることは、日本の歴史学界内部の、いわば内輪の話である。著者自身の問題提起を前面に出すことで、副次的、結果的に上原の声に応えるということで充分ではないだろうか。
そもそも、著者がそこまで重視する上原とは何者なのか。20世紀半ばの日本の歴史学界にいながら、西洋の世界史に対するこのような問題意識をなぜもったのか。本書を読むだけでは読者にはわからない。歴史家も社会の産物である。「歴史を研究する前に、歴史家を研究せよ」「歴史家を研究する前に、歴史家の歴史的・社会的環境を研究せよ」と述べたのはE.H.カーだが、本書においてこの原則から唯一外れているのが上原ではないだろうか。上原の『世界史像の新形成』だけが、この作品を生み出した歴史的文脈から断ち切られて、つまりア・ヒストリカルに存在している。第二次世界大戦の敗北から10年後の日本はどのように世界を見ていたのだろう。当時の日本の歴史家たちは、どのような使命感をもって歴史研究を進めていたのだろう。
評者の専門分野である啓蒙主義研究の視点からも一点付言したい。
著者はカントの『世界市民という視点からみた普遍史の理念』(1784)とヘルダーの『人類の歴史哲学考』(1784‐91)を「多元的世界史の試み」として啓蒙主義の外に置いている。啓蒙主義の世界史は、理性の重視によって啓蒙に到達した西洋を頂点に、世界の諸民族が一元的に進歩の歴史を歩むという定義からであるが、両作品もまた啓蒙主義の産物と理解する研究者は評者も含めて少なくない。
啓蒙主義の時代においては、非西洋における民族の多様性は、キリスト教的価値観ではなく、人間の理性によって承認された。すなわち、世界の諸民族が一元的に進歩の階段をのぼるのであれ、多元的な文化や価値観で多様な位置を占めるのであれ、これらの議論はともに神の摂理から離れ、人間を中心とする啓蒙の知であった。カントもヘルダーも啓蒙主義を批判したというが、理性と批判を重視する啓蒙主義は、啓蒙主義自らにも批判を向ける。I.バーリンのように、ヘルダーをヴィーコらとともに反啓蒙主義者と位置づける流れもあるが、著者も参照している笠原賢介のように、近年の啓蒙主義研究では、ヘルダーの歴史哲学を啓蒙との連続性の中にとらえ、文化の多様性の肯定や非ヨーロッパへの関心が理解されている。
もちろんこのような指摘は、数多くの世界史の著作を読みこみ、その要点を手際よくまとめて世界史変容のプロセスをたどる本書の価値を損なうものではない。
読者は、著者による妥協のない考察に圧倒され、著者の情熱を感じるだろう。タイトラーの『一般史の諸要素』やヘーゲルの『歴史哲学講義』などには複数の版があり、ランケの世界史の構想については、1820年代、50年代、80年代と3つの時期に分けて、思想や記述の変化が丁寧に考察されている。英語、フランス語、ドイツ語の原典、および明治期の翻訳本にあたるマルチ・リンガルな読解力に加え、岡崎勝世やI.バーリン、J.フォークト、D.ウルフ(Woolf)らの先行研究を押さえ、世界史叙述の「微妙な変化の積み重ね」に迫る手腕は見事というしかない。そのような著者だからこそ一層、上原専禄の提起した問題に応えた書と位置づける謙虚さが、読者にはもどかしく感じるのである。
(「世界史の眼」No.44)