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「世界史の眼」特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考える 7(2023年12月23日)

「これが『自衛権』なのか」

 2023年12月22日の『東京新聞』の「社説」は、「これが『自衛権』なのか」というタイトルで、イスラエル軍の「逸脱した行動」を非難し、「自衛権についての疑問を投げかけている。イスラエル軍がハマースに拘束されていたイスラエル市民3人を銃撃した事件、ガザのカトリック教会でのパレスチナ人女性の射殺した事件、イスラエル警察がトルコ人記者を集団で暴行した事件その他を挙げ、こうした兵士の「蛮行」は、イスラエル高官がハマースを「人間の顔をした動物」と侮辱したことと無関係ではなかろうと指摘するとともに、こうした行動は、イスラエルが今回のガザ攻撃を「自衛権」の行使だとする主張に疑問を抱かせるとしている。私見では、この「社説」は、さらに、今回の攻撃は「自衛権」の行使だという主張はそもそも成り立たないという国連関係者の主張(特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考える 2(2023年11月21日)参照)にまで行きつかざるをえないと思われる。イスラエル、そしてその背後の欧米の主張は、冷静に、クリティカルに受け止められねばならないであろう。

(南塚信吾)

藤田進
戦争の裏に天然ガスあり

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戦争の裏に天然ガスあり
藤田進

 12月12日、国連総会は、ガザにおける「人道的停戦」を求める決議を、賛成153、反対10、棄権23の圧倒的多数で採択した。日本はこれに賛成した。反対したのはイスラエル、米国、オーストリア、チェコなどで、棄権はイギリス、ドイツなどであった。al-JazeeraはもちろんNHKでさえ、ここに米国の「孤立」が見て取れると指摘している(南塚氏の12月13日記事より)。圧倒的多数で採択された事実には、パレスチナにおけるイスラエルの残虐な蛮行に対しこれ以上見過ごせないとする各国の思いが見て取れる。

 同時に、アメリカとイスラエルは状況が壊滅的になろうとも殺戮を止めないことに関して興味深い報告が発表され注目を集めている。

 ロンドンで発行されているアラビア語紙「アル・クドゥス・アル・アラビー」2023年11月25日付(電子版)[i] は、石油・天然ガス専門情報組織OIL PRICEの11月23日のウェブサイト に掲載された「ガザ沖合の天然ガスによってガザ経済の再建は可能」(Offshore Gas Field Could Help Gaza Recovery)と題するCharles Kennedy報告[ii] を取り上げた。

 Charles Kennedyは「ガザ沖合の天然ガス埋蔵地区(Gaza Marine)の海底に10兆立方マイル以上の天然ガスが埋蔵されており、これは将来のパレスチナ経済の大きな財源である」と指摘している。その上で、「イスラエル政府がGaza Marineを狙っており、天然ガスがイスラエルとハマースの戦争の理由となるとしばしば言われてきた」のにふれ、さらに11月にイスラエルを訪問した米大統領エネルギー安全担当顧問Amos Hochsteinの発言を通じて、ヨーロッパのエネルギー危機で東地中海の天然ガスが熱い視線を浴びている今、イスラエルの天然ガス会社を含めたいくつもの企業がGaza Marineのガス田開発に強い関心を抱いているのに不思議はない、とする米国の反応を伝えている(写真参照)。

 同報告は「ハマース殲滅」を掲げて住民を強制退去させガザ全面支配をめざしているイスラエル軍のジェノサイド攻撃が、抵抗を排除してガザ沖合天然ガス開発事業を本格化させようとする米国・イスラエル・国際資本の意向と結びついていることを浮かび上がらせた。以下ではCharles Kennedy報告・その他関連資料に依拠しながら、天然ガスをめぐるイスラエルとパレスチナ住民の抗争の経緯をたどってみたい。

 ガザ沖合の海底天然ガス開発がはじまったのは、「パレスチナ国家(通称パレスチナ自治政府)」成立6年後の1999年である。1993年オスロ合意が、イスラエルのパレスチナ占領地返還とPLO(パレスチナ民族代表機関)の対イスラエル武力闘争放棄に合意した両者間の平和条約(=「パレスチナ・イスラエル平和条約」)として成立した。オスロ合意に基づいて「ガザとヨルダン川西岸地区」を領土とするパレスチナ自治政府が誕生し、1995年制定のオスロ第二協定(Oslo AccordsⅡ)は「パレスチナの沖合20マイル以内の海域はパレスチナ領」と定めた。

 パレスチナ自治政府は1999年、パレスチナ領内の「ガザ天然ガスエリア」(Gaza Marine)の試掘権をBritish Gas(BG)とアラブ建設企業のConsolidated Contractors Company(CCC)に与え、BGは2000年海底に巨大な天然ガス層を発見した。パレスチナ自治政府はBGと、Gaza Marineのほぼ全域でのガス田開発を認めるとともにパレスチナ諸関連産業の振興をはかることを内容とする25年期限の契約を交わし、BGは2つの天然ガス田の開発に着手した[iii]。豊富な天然ガスの発見に接した自治政府代表のアラファトは2000年9月のテレビ演説で「この資源は経済の堅固な土台をなしわれわれの独立国家を支えてくれることだろう」と喜びを語った[iv]

 しかし、イスラエル政府は当初からパレスチナ自治政府が独自に天然ガス開発に取り組むことに難色を示し、イスラエル海軍を出動させてBGの操業を執拗に妨害した[v]。さらに2002年、BGがガス田から抽出した天然ガスをガザの加工プラントに送るパイプラインの建設を提案しパレスチナ自治政府がこれを承認すると、イスラエルはこれに介入し、「天然ガスを送るパイプラインをイスラエル国内の港につなぎ、天然ガスの余剰部分は市場価格より大幅安値でイスラエルに供与する」[vi],また「“テロの資金になることを防ぐ”ためパレスチナ側に渡るすべての収入をイスラエルが管理する」[vii]要求を自治政府に突きつけた。パレスチナ自治政府はオスロ合意に基づいた確固たる「主権国家」であり、パレスチチナ側が自国領海内で独自にすすめる天然ガス開発事業を妨害したり計画内容の変更を迫ったり、収入の管理にまで手を出すのはパレスチナ自治に対するあからさまな自治権侵害に他ならなかった。

 イスラエル管理下のガザ天然ガス開発が続く一方で、豊富な天然資源による経済的繁栄が約束されるはずのパレスチナ住民達の生活は、オスロ合意以降、以前にも増してあらゆる妨害や抑圧により状況は悪化の一途を辿っていた。その状況を変えることができず自治政府や一部の特権階級が振りかざす腐敗した権力に対する不満が住民達の間に生じるのは当然のことであった。生殺与奪の権を握るイスラエルと自治政府に抗う民意が、2006年1月パレスチナ自治議会選挙で「占領がある限りパレスチナ人の平和はない」としてイスラエルの占領を黙認するオスロ合意に反対し占領軍・入植者に対する武力抵抗を続けてきたイスラム政治組織のハマースを合法的に政権の座につかせたのである。

 イスラエルとカルテット(米・ロシア・EU連合・国連)はハマースがパレスチナ自治政府の政権の座につく事態に動揺し、パレスチナへの経済援助の停止とハマース拠点のガザへの空爆の圧力で民衆を離反させハマース政権の失脚を企てたが失敗した。ハマース政権放逐が困難となった2007年、イスラエルはガザ沖合の天然ガス開発エリア(Gaza Marine)を軍事封鎖した。さらにガザ長期封鎖策を開始した2008年12月、国際法に違反して「Gaza Marineはイスラエル領」と一方的に宣言した。この宣言によって、ガザ天然ガス開発事業に取り組んできたBGは活動を停止し、その後ロイヤル・ダッチ・シェルがBGを買収したものの、Gaza Marineの天然ガス開発事業は好転せずそのまま休眠状態となった。イスラエルはGaza Marineを封鎖して天然ガス生産を凍結する一方で、長期封鎖体制下のガザ住民が外部に依存する電力および電力を起こす火力発電所の燃料の供給を管理しており、たとえば2008年1月22日火曜日のガザ住民は次のような締め付けを被っていた。「人口150万人のガザの必要電力量は240メガワットであるが、通常200メガワットくらいしか配電されない。電力の60%はイスラエルが供給し、エジプトの送電量は8%で、残りの電気はガザの火力発電所で発電するが、発電用燃料はすべてイスラエルが供給する。1月17日、ハマースによるイスラエル南部ミサイル攻撃の報復としてイスラエルはガザへの燃料搬入を禁止した。発電所は燃料切れとなり19日以降ガザ市は停電状態が続き、国際社会はガザ住民生活の危険な状態を憂慮した。」[viii]

 一方イスラエルは2009―10年に天然ガス埋蔵地帯の一角に二つの巨大な海底ガス田を開発し、同国は天然ガス輸出国となったにも関わらず、パレスチナ領内にあるGaza Marineに関しては占拠したままガス田開発凍結状態を解こうとしなかった。

 2019年国連貿易開発会議(UNCTAD)調査報告が発表され、①東地中海のエジプト、パレスチナ、イスラエル、レバノン一帯のLevant Basin Province Assessment Area(地図参照)には1220兆立方フィートの天然ガス埋蔵量―世界の最重要天然ガス埋蔵地のひとつ―がある、②ガザ沖合のGaza Marineには45億9200万ドル相当の天然ガスがある、➂パレスチナのヨルダン川西岸地区とガザに石油と天然ガスの埋蔵地点が確認されており「パレスチナの貧困改善に大いに役立つ」ことが明らかにされた。

 この調査報告でパレスチナ沖の豊富な天然資源がパレスチナ人を貧困から救う切り札であることが明確になった後も、イスラエルは一貫してそれに触れることを許さず、占領下パレスチナで必要とされる燃料、ライフラインは全てイスラエルが管理し、イスラエルの判断で遮断される状況が現在も続いている。

 ところがGaza Marine開発を凍結していたイスラエルが、突如開発に舵を切ると態度をかえた。2023年6月18日、ネタニヤフ首相は「イスラエル、エジプト、アッバース・パレスチナ自治政府はパレスチナの経済発展と治安の安定に向けて協力し、ガザ沖合の天然ガス埋蔵地域(Gaza Marine)の開発事業に共に取り組むことを決定した」ことを明らかにした[ix]

 この発表の前年の2022年、ウクライナ戦争によるノルドストリーム・パイプライン爆破、ロシアに対する経済封鎖と輸出禁止によりヨーロッパを中心に世界的なエネルギー供給危機が起き、急激な天然ガス需要拡大がもちあがった。この緊急事態への対応をめぐって同年6月エジプトのカイロで、米、イスラエル、エジプト、パレスチナ自治政府、湾岸産油国などが出席した7か国首脳会議が開かれ、会議期間中にイスラエルの天然ガスをエジプト経由ヨーロッパ輸出することを決めたイスラエル・エジプト協定が、フォン・ディア・ライエン欧州委員会委員長立会いのもとでむすばれた[x]。ネタニヤフの発表は、前年来のイスラエルを含む中東諸国と欧米の経済協力関係の前進を踏まえてのものだった。

 ネタニヤフ首相がGaza Marine新規開発計画を発表した翌19日、その計画に反対するハマースのスポークスマンが次のメッセージを発した。「天然ガスはパレスチナ人民の財産である。ガザ沖の天然ガスは貧しい人々、青年たち、そしてパレスチナの将来を担って次々やってく者たちのものである。」[xi]

 ガザを違法占領して住民を長期完全封鎖下に置いているイスラエルが、パレスチナ領内のガス田を管理し掘削を許可する権限をもっているのを、アッバースのパレスチナ自治政府は受け入れてイスラエルと一緒になって新規開発計画を協議している(写真参照)。その様子は、海底に自分たちの豊富な天然資源を有しながら近づくことも利用することもできないガザ住民には屈辱的である(写真参照)。

ネタニヤフ イスラエル首相とアッバース パレスチナ自治政大統領の密談(2023/11/20)
https://www.alquds.com/en/posts/101527
「ガザの沖合天然ガス田は我らのもの」とデモする住民  (2022 年 9 月)
Palestinians demand right to natural gas field off Gaza Strip – Middle East Monitor

 冒頭に示した、Charles Kennedy報告が指摘した「イスラエル政府がGaza Marineを狙っており、天然ガスがイスラエルとハマースの戦争の理由となるとしばしば言われてきた」ことを歴史に遡ることにより、イスラエルの蛮行の真意が明確なものとして可視化されたのではないだろうか。利権を巡り行われるあらゆる残虐行為や虐殺が理由付けされて公然とまかり通っている現状は許されて良いはずがない。

 最後に、2023年11月17日、ジュネーブ国連本部でのナダー・アブー・タルブッシパレスチナ国連大使が訴えたメッセージの一部分を下記に示しておきたい。[xii]

 「今年イスラエルの財務大臣がパリでこう発言しました。『パレスチナ人などという人々は存在しない』。9月24日のネタニヤフ首相は国連総会に出て「新しい中東」と書かれた地図を広げた。その地図でパレスチナは消されていた。すべてがイスラエルになっていた。イスラエルが領土拡大や差別を国是としていたとしても、ここでは通用しません。」

 「侮辱と根拠のない重大な非難を浴びせるだけでなく、イスラエルは皆さんがぞっとするようなことを述べました。事実上こう言ったのです。『私はガザのあらゆる人間をひとり残らず殺すことができる。ガザにいる230万人はテロリストか、テロリストの支持者か、人間盾のどれかだ。だから、標的にするのは合法的なのだ』と。イスラエルによれば、ガザのすべての人間がこれらの3つのいずれかに分類されるのです。子ども、ジャーナリスト、医師、国連職員、保育器のなかの未熟児も、それゆえイスラエルは人々を殺したあとで、大胆にもこの会議に出席し、『我々は国際法に準じて行動している』と。この1カ月の犠牲者は11,350人以上になりました。たとえそれが、子ども、ジャーナリスト、国連職員、病める人、高齢者であれ、イスラエルはそれぞれの死を正当化しました。」

 「私たちの民を強制的に移住させ、私たちの土地を占領し、私たちの家を破壊し、その所在地から追い出しました。10月7日以降だけでなく、それ以前の75年間にわたってみてきた事実です。」

 「例え『ガザを消してしまえ』また『パレスチナの人々の上に核爆弾を落とそう』『ヒューマン・アニマルと邪悪な子供を殺せ』」と煽ってもこう考えていませんか?威嚇や脅迫的な言葉を続けることで世界の眼を事実からそらせると、イスラエルは今この瞬間も赤ん坊、子ども、男女、高齢者まで殺しています。幼くても年老いても重病であっても、攻撃対象からは外れません。」

劫火の中で高まる抵抗の民意

 パレスチナの民間調査機関「パレスチナ政策調査研究所」(PSR)が12月13日と11月22-12月2日に、ヨルダン川西岸地区とガザ地区で1231人に対面で行った世論調査の結果を次の様に発表した。
・ハマース支持44%、ファタハ支持17%。
・「パレスチナ自治政府の大統領選が行われた場合はどちらを選ぶか」の質問への回答
現アッバース大統領支持16%、ハマース指導者のハニーヤ支持78%」
(「赤旗」12月5日付より引用)


[i] https://www.alquds.co.uk/(2023/11/25)

[ii] https://oilprice.com/Energy/Natural-Gas/Offshore-Gas-Field-Could-Help-Gaza-Recovery-html

[iii] Betsey Piette, Behind Israel’s ‘end game’ for Gaza: Theft of offshore gas reserves, posted on November 14, 2023  https://www.workers.org/2023/11/74864/ 

[iv] Emad Moussa,Gaza’s gas fields:A symbol of Palestine’s shackled economic potential, https://www.newarab.com/analysis/gazas-gas-fields-how-israel-shackled-palestines-economy

[v] Wikipedia’ Natural gas in the Gaza Strip https://www.workers.org/2023/11/74864  

[vi] Betsey Piette, op.cit.

[vii] Wikipedia, op.cit.

[viii] http://english.aljazeera.net/News/aspx/print.hym

[ix] al-Quds al-Arabi,19,June,2023  https://www.alquds.co.uk

[x] al-Quds al-Arabi,7,January,2023 https://www.alquds.co.uk

[xi] al-Quds al-Arabi,19,June,2023 https://www.alquds.co.uk

[xii] 特定通常兵器使用禁止制限条約(CCCW)第5回締結国会議における発言 https://www.youtube.com/watch?v=_IvuYQNHcts

(「世界史の眼」2023.12 特集号7)

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「世界史の眼」特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考える 6(2023年12月20日)

「植民地主義」

 2023年11月7-8日に日本で行われたG7プラスの外相会議で、議事の重要な柱として、パレスチナでの戦争について話が行われた。会議はハマスを非難した後、早期の休戦や人道的救済などについて合意した。その会議後、8日に外人記者クラブでの会見で、アメリカのブリンケン国務長官は、G7会議での合意を説明した後、ガザとパレスチナの戦後の体制について、こういう趣旨の発言をした。

 米国は、ガザからのパレスチナ人の強制退去、ガザをテロの温床にすること、戦後のガザを再占領すること、ガザを封鎖したり包囲すること、ガザを地域的に縮小することは望まない。平和を持続させるためには、危機後のガザの統治の中心にパレスチナ人の声と願いが置かれなければならない(the Palestinian people’s voices and aspirations at the center of post-crisis governance in Gaza)。それは、パレスチア人の率いる政府であり、パレスチナ人政権のもとでガザを西岸と合体することである(Palestinian-led governance and Gaza unified with the West Bank under the Palestinian Authority)。そうして、イスラエル人とパレスチナ人が自分自身の国家を持って共存し(Israelis and Palestinians living side by side in states of their own)、同じような安全と、自由と機会と尊厳をもつようにするべきである、と。(https://www.state.gov/secretary-antony-j-blinken-at-a-press-availability-41/

 これを受けて、ローデシアのジャーナリストTafi Mhakaは、Aljajeeraの12月15日付Opinion「アフリカはパレスチナについての西の植民地ゲーム・プランに反対しなければならない(Africa must challenge the West’s colonial game plan for Palestine)」において、G7東京会議は、ビスマルクが主催した1883-4年の西アフリカ・ベルリン会議のようだと批判した。つまり、パレスチナにせよ西アフリカにせよ、ともに当事者のいないところで、当事者たちの統治形態を議論しているというのである。植民地史上「悪名高い」ベルリン会議は原住民の意向を考慮すると言いながら、会議に原住民を一人も呼ばなかったではないか。かれは、これは「植民地主義」にほかならないという。パレスチナ人の「自決権」などブリンケンは触れもしなかった。

 そのうえで、Tafi Mhakaは、アメリカが提案しているように、ガザをヨルダン川西側と合わせて、「パレスチナ人を代表する政権」の統治下に置くという事は、西岸のアッバス政権の統治下に置くということにほかならず、その方式には反対だという。それは、極めて「人気のない」「無能の」アッバス政権は、アメリカなどの「傀儡政権」にほかならないからだと言う。これは「植民地主義」の手段にほかならないというのである。

 Tafi Mhakaは言う。パレスチナ人には自分が好む政府を選ぶという民主主義的権利があるのだ。G7はハマスを排除した新たな政治体制と政治システムを押し付けるべきではない。パレスチナにおける民主主義というのは西の(そしてイスラエルの)要求と同義語であってはならない。

 ハマスは2006年の議会選挙でアッバスのファタハ党を破ってからガザを統治してきていた。だが、その時以来、西側諸国は、ハマス政府を転覆して、ガザをファタハの支配下に戻そうと共謀してきた。それはブッシュ政府のもとで数回試みられた。こういう不法な計画は失敗したが、今日また、米国とその強力な同盟諸国は、ふたたび、ハマスを排除し、占領されたパレスチナ人の土地をすべて、イスラエルに友好的な傀儡政府の下に置こうとしている。名前だけはパレスチナだが、実際には植民地列強(colonial powers)の言いなりになっている政府の手にパレスチナを委ねることは、持続的な平和と正義をもたらしはしない。

 このように述べた後で、Tafi Mhakaはアフリカ人としてこう述べた。

 「アフリカ人として、われわれは、そのような新植民地主義の傀儡政府がすぐにつぶれて新たな流血を生んだり、あるいは暴力や抑圧や外部からの支援を得て長らく政権にとどまったりしていることを知っている。後者のような政府は、その植民本国の名で統治する領土を、腐敗と人権侵害と極度の貧困と大規模な失業の沼地にしてしまっている。その沼地は、きれいにするには、国民的政府が、数十年とは言わぬまでも長い年月を必要とするのである。」(https://www.aljazeera.com/opinions/2023/12/15/africa-must-challenge-the-wests-colonial-game-plan-for

 上で見たような意見は、アフリカの一ジャーナリストの意見であるが、「ガザ戦争」を別の角度から見る場合の参考になることは間違いがないであろう。

 もちろん、イスラエルのネタニヤフは、上のブリンケン発言とも違って、戦後の「ガザ」について、それのイスラエルによる「管理」を主張しているのであるから、アフリカの人はさらに憤りを懐くであろう。

(南塚信吾)

木畑洋一
イスラエル批判と反ユダヤ主義

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イスラエル批判と反ユダヤ主義
木畑洋一

 本特集「イスラエルのガザ攻撃」を考える4の「米国内で目立ち始めたイスラエル批判の動向」において、油井大三郎氏は、「米国では、イスラエルを批判すると、すぐ「反ユダヤ主義者」のレッテルが貼られ、それ以上の批判が封印される傾向がずっと続いてきたが、近年、シオニズムに反対するユダヤ系知識人の台頭が目立つようになっている」と、指摘した。これは確かに、現在のイスラエルによる暴虐な行動を前にした、米国での目立った変化といえよう。しかし、イスラエル批判が「反ユダヤ主義」と同一視されるような形で激しい社会的攻撃の対象となる事態が、米国で顕著に見られていることにも、また注意しておくべきであろう。その一例が、パレスチナの現状に関する大学内での意見表明をめぐる最近の動きである。

 今月(2023年12月)5日、米国の連邦下院の教育・労働委員会で開かれた公聴会において、証人として出席した、ハーヴァード大、ペンシルヴァニア大、マサチューセッツ工科大の学長に対して、共和党のエリーゼ・ステファニク議員(トランプ派として知られる)が、「ユダヤ人のジェノサイドを呼びかけることは、あなた方の大学では、いじめやハラスメントを禁止する学則違反に該当するか」と、質問した。ここで、「ユダヤ人のジェノサイドを呼びかけること」と表現されている対象は、各大学の学生の間で盛り上がったイスラエル批判の運動のなかで、パレスチナ人によるインティファーダ(反イスラエル蜂起)が鼓吹されたりしていることなどを指していた。それに対して、ペンシルヴァニア大のエリザベス・マギル学長は、「文脈による」と答え、他の学長たちも同じような回答を行った。

 学長たちのこうした発言に対し、「ユダヤ人のジェノサイド」への呼びかけを完全に非難しなかったことは反ユダヤ主義的であるとの批判が生じた。そして、ペンシルヴァニア大学では、多額の寄付をしていた人物が寄付金を引き上げ、ユダヤ系学生が同大学はユダヤ人に対する憎悪、差別の温床と化していると訴えるといった事態が展開することになり、そうした動きを前に、マギル学長が、12月9日に学長を辞任すると表明せざるをえなくなったのである。他の学長たちは職にとどまっているが、こうした「反ユダヤ主義」批判がこれからも米国の大学キャンパスでさらに激化することが予想される。

 この状況をめぐり筆者が考えていることを、以下で簡単に述べてみたい。

 問題は、イスラエル批判、イスラエルの行為に対する非難が、反ユダヤ主義と同一視されるという点である。イスラエルがユダヤ人によって作られたことはいうまでもない。イスラエルにはユダヤ人以外の人々も多く居住しており、ユダヤ人国家と言い切ってしまうことは厳密にはできないものの、とりあえずそう呼んでおこう。そうであるとしても、イスラエル政府、イスラエル軍がパレスチナ人に対して現在行っている(そしてこれまで長年行ってきた)非人道的残虐行為、国際法違反行為を批判することが、ユダヤ人差別や反ユダヤ主義とそのまま重なるわけではない。にもかかわらず、その同一視がまかり通っているのである。

 その要因の一つとして、反ユダヤ主義に関する国際的なある定義を紹介しておこう。それは、2016年に国際ホロコースト記憶連盟(International Holocaust Remembrance Alliance: IHRA)という政府間組織(日本は非加盟)が下した定義である。それは、「反ユダヤ主義はユダヤ人についての一観念であり、それはユダヤ人に対する憎しみと表現できる」と一般的に規定した上で、11の具体的例を挙げている。そこに、ユダヤ人の殺害を求めたり正当化したりすることとならんで、「イスラエル国家の存在を人種主義的営為と主張」したり「現在のイスラエルの政策をナチスの政策と比較」することが挙げられているのである。この定義は法的な力をもつものではないが、米国政府とEU諸国の大半はそれを受け入れる姿勢を示し、2019年には米国のトランプ大統領が、この定義による反ユダヤ主義から学生が守られていない大学に連邦政府が資金を提供することをやめる旨の行政命令に署名した(Masha Gessen, “In the Shadow of the Holocaust“, The New Yorker Daily, Online, 2013.12.9)。この定義に対しては当然批判も起こり、2020年には研究者たちが、イスラエル批判の言辞と反ユダヤ主義的言動とを区別することを例示した「エルサレム宣言」を出したものの、IHRAの定義は国際的な影響力を持ちつづけている。

 IHRAのこの定義については、イスラエルの政策とナチスの政策の比較という論点に着目する必要があろう。ここでいうナチスの政策が、ユダヤ人の大量虐殺を中心とするホロコースト(その犠牲者はユダヤ人だけではなく、シンティ、ロマなども含まれていたが)であることは、いうまでもない。ハマスによる10月7日のイスラエル攻撃への反撃、人質の解放という名目のもとで、女性、子供の大量殺戮を伴いながら進められているイスラエルによるガザでの戦争は、ガザのパレスチナ人の根絶(肉体的抹殺だけでなく、住む土地からの根こそぎの追放をも指す)を狙うもので、まずはユダヤ人の国外追放(マダガスカルなどが追放先として考えられた)を、さらにはその肉体的抹殺をめざしたナチスの政策をまさに思い起こさせるものであるが、この定義はそうした歴史的想起を禁じているのである。本特集の1「ハマースのアル・カッサーム部隊のイスラエル軍事侵攻を検証する」の末尾で、藤田進氏は、ユダヤ系ポーランド人で強制収容所生還者の両親をもつガザ経済史研究者サラ・ロイ氏が、イスラエルによる2009年のガザ空爆直後に、「ホロコーストのむごさを心に刻む者たちが、なぜこんなことをできるのか」と述べたことを、紹介しているが、IHRAの定義は、問題の核心をつくこのような問いを封殺するものでしかない。

 IHRAによる反ユダヤ主義の定義では、ナチスによるホロコーストとイスラエル政府・軍の対パレスチナ人政策との比較可能性が否定されているが、ホロコーストと世界史上の他の虐殺行為が比較可能であるかどうかという問題は、1980年代にドイツで展開された「歴史家論争」以来、しばしば提起されてきた。そのなかで、ホロコーストが規模や残虐さの面で格段に重い意味をもっていたとしても、それは決して他の虐殺との比較を拒むものではないことが、認識されるようになってきている。ホロコーストを念頭に置いて考え出されたジェノサイドという概念が、世界現代史のさまざまなケースについて検討されていることは、その点を示している。前述したステファニク議員の質問がジェノサイドという言葉を用いていること自体も、逆説的ではあるがその証左といえよう。ジェノサイドという概念の適用可能性をも含めて、イスラエル政府・軍のガザにおける現在の行動がどのようなものか考えていくためには、ナチスの政策との比較を含む歴史的な眼が求められるのである。

(「世界史の眼」2023.12 特集号6)

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「世界史の眼」特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考える 5(2023年12月13日)

「孤立」

12月12日、国連総会は、ガザにおける「人道的停戦」を求める決議を、賛成153、反対10、棄権23の圧倒的多数で採択した。日本はこれに賛成した。反対したのはイスラエル、米国、オーストリア、チェコなどで、棄権はイギリス、ドイツなどであった。AljajeeraはもちろんNHKでさえ、ここに米国の「孤立」が見て取れると指摘している。参考までに決議への投票状況を下に載せて置く。

(南塚信吾)

In favour: Afghanistan, Albania, Algeria, Andorra, Angola, Antigua and Barbuda, Armenia, Australia, Azerbaijan, Bahamas, Bahrain, Bangladesh, Barbados, Belarus, Belgium, Belize, Bhutan, Bolivia, Bosnia and Herzegovina, Botswana, Brazil, Brunei, Burundi, Cambodia, Canada, Central African Republic, Chad, Chile, China, Colombia, Comoros, Congo, Costa Rica, Cote d’Ivoire, Croatia, Cuba, Cyprus, Democratic People’s Republic of Korea (North Korea), Democratic Republic of the Congo, Denmark, Djibouti, Dominica, Dominican Republic, Ecuador, Egypt, El Salvador, Eritrea, Estonia, Ethiopia, Fiji, Finland, France, Gabon, Gambia, Ghana, Greece, Grenada, Guinea, Guinea-Bissau, Guyana, Honduras, Iceland, India, Indonesia, Iran, Iraq, Ireland, Jamaica, Japan, Jordan, Kazakhstan, Kenya, Kuwait, Kyrgyzstan, Laos, Latvia, Lebanon, Lesotho, Libya, Liechtenstein, Luxembourg, Madagascar, Malaysia, Maldives, Mali, Malta, Mauritania, Mauritius, Mexico, Monaco, Mongolia, Montenegro, Morocco, Mozambique, Myanmar, Namibia, Nepal, New Zealand, Nicaragua, Niger, Nigeria, North Macedonia, Norway, Oman, Pakistan, Peru, Philippines, Poland, Portugal, Qatar, Republic of Korea (South Korea), Republic of Moldova, Russia, Rwanda, Saint Kitts and Nevis, Saint Lucia, Saint Vincent and the Grenadines, Samoa, San Marino, Saudi Arabia, Senegal, Serbia, Seychelles, Sierra Leone, Singapore, Slovenia, Solomon Islands, Somalia, South Africa, Spain, Sri Lanka, Sudan, Suriname, Switzerland, Syria, Tajikistan, Thailand, East Timor, Trinidad and Tobago, Tunisia, Tuvalu, Turkey, Uganda, United Arab Emirates, United Republic of Tanzania, Uzbekistan, Vanuatu, Vietnam, Yemen, Zambia, Zimbabwe

Against: Austria, Czechia, Guatemala, Israel, Liberia, Micronesia, Nauru, Papua New Guinea, Paraguay, United States

Abstain: Argentina, Bulgaria, Cabo Verde, Cameroon, Equatorial Guinea, Georgia, Germany, Hungary, Italy, Lithuania, Malawi, Marshall Islands, Netherlands, Palau, Panama, Romania, Slovakia, South Sudan, Togo, Tonga, Ukraine, United Kingdom, Uruguay

出典:https://www.aljazeera.com/news/liveblog/2023/12/13/israel-hamas-war-live-world-calls-for-ceasefire-as-israel-bombards-gaza?update=2553990

油井大三郎
米国内で目立ち始めたイスラエル批判の動向

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米国内で目立ち始めたイスラエル批判の動向
油井大三郎

 2023年10月23日、バイデン大統領はイスラエルを訪問し、ハマスによるイスラエル攻撃を2001年9月11日の同時多発テロ事件になぞらえて、イスラエル人の怒りの感情に理解を示しながら、こう語った。「私は警告する。怒りを感じても、それに飲まれてはいけない。9.11の後、我々は激高した。正義を求めて、それを実現した。だが同時に過ちも犯した」と(『朝日』10月23日号)。

 第二次世界大戦後の米国は、一貫してイスラエルを支持してきたが、イスラエルにネタニヤフ政権のような右翼政権が成立し、パレスチナ人地区への侵攻が繰り返されるようになると、少しずつ批判の姿勢を見せ始めている。特に、イスラエルによるガザへの報復攻撃が激化するにつれ、イスラエル支持の世論が減少し始めている。例えば、PBSなどの世論調査でイスラエルが「やり過ぎ」とした意見は、10月11日時点では26%であったが、11月6-9日時点になると、38%に増加していた。

 11月25-26日のニューヨーク・タイムズの世論調査で、全体の平均では親イスラエルが38%、親パレスチナが11%、同等が28%であったのに対して、自分を「大変リベラル」と考える人では、親イスラエルが16%、親パレスチナが32%、同等が35%となった。つまり、革新的なグループの間では親パレスチナが親イスラエルの倍を記録するに至っている。

 このような動きは、イスラエルがガザに報復爆撃をした直後に、「平和のためのユダヤ人の声」などの団体が呼び掛けて「ガザでの虐殺停止」を要求するデモが連邦議会内で行われ、300人が逮捕された事件にも表れている。このデモに参加したナオミ・クラインは、イスラエルがナチによるジェノサイドの恐怖を利用して、現在の虐殺を試みていると非難し、「我々はこのような形で反ユダヤ主義の恐怖を操作することを許さない」と宣言した(The Guardian, October 19, 2023)。

 米国では、イスラエルを批判すると、すぐ「反ユダヤ主義者」のレッテルが貼られ、それ以上の批判が封印される傾向がずっと続いてきたが、近年、シオニズムに反対するユダヤ系知識人の台頭が目立つようになっている。その代表格が、2007年に『イスラエル・ロビーとアメリカの外交政策』(邦訳も2007年刊)を出版したジョン・J・ミヤシャイマーとスティーヴン・M・ウォルトであった。この本では、米国のイスラエル・ロビーがイスラエルを無条件で支持するように米国政府に圧力をかけて来たとした上で、「こうした米国の外交政策は米国の国益に適っていない。それどころか、イスラエルの長期的な利益も損なう」(上巻、p.4)と主張した。

 彼らが特に米国の利益を損なった例として挙げたのは、9.11事件以来の「対テロ戦争」の一環として2003年3月に始まったイラク戦争であった。この戦争の開戦理由として当時のブッシュ(子)政権があげたのがフセイン政権が大量破壊兵器を保有しており、それがテロリストに渡るのを防ぐ必要性であった。しかし、実際に開戦後、フセイン政権が打倒され、米軍がイラクを隈なく探したが、大量破壊兵器は発見されなかった。

 つまり、ブッシュ政権は「がせネタ」に踊らされて、国連安全保障理事会の同意も得られないまま、開戦したこと、その結果、長期にわたるイラク占領で、米兵にも多数の犠牲者をだすことになったのであった。当然、米国の議会ではこの「がせネタ」を誰が流したのか、追求したが、この本の著者はそれがイスラエル政権から流され、米国のイスラエル・ロビーがブッシュ政権の開戦決断に重大な影響を及ぼしたと主張した(下巻、p.71)。

 例えば、開戦1年前の2002年4月中旬、ネタニヤフ・イスラエル元首相がワシントンを訪問し、米国の上院議員や『ワシントン・ポスト』の編集委員と会談し、こう語ったという。「サダム・フセイン大統領は核兵器を開発中である。その核兵器は、スーツケースや小型かばんに入れて運ぶことができるものだ。もちろん米国本土にも運び入れることができる」と(下巻、p.79)。また、当時イスラエルの外相だったシモン・ペレスはCNNの番組に出演しこう語った。「サダム・フセインはビン・ラディンと同じくらい危険です。米国はフセインが核兵器を開発しているのに、ただ座ってそれを見物しているべきではないのです」と(下巻、p.79)。

 当時のブッシュ政権では、副大統領のチェイニー、国防長官のラムズフェルトら「ネオコン」と呼ばれた保守派の対外干渉主義者が政権の中枢を占めていた。このネオコン・グループは、1997年に2000年の大統領選挙で共和党政権を奪還すべく結成された「新アメリカの世紀プロジェクト」に起源をもっていた。このグループの中には、ノーマン・ポドレッツのような保守化したユダヤ系の知識人も参加していた(拙著『好戦の共和国 アメリカ』。pp.265-6)。

 米国におけるユダヤ系移民の多くは19世紀末に東欧やロシアから移民し、大都市の不熟練労働者として、民主党を支持する傾向が強かった。しかし、1980年代になると、富裕化して共和党に鞍替えするものが出始め、イスラエルを無条件で支持する「保守的国際主義」の主張を展開するようになった。それでも、過去の差別やホロコーストの体験から現在でも革新的な立場を維持しているユダヤ系も多く、彼らは民主党左派に影響力を維持している。

 その民主党ではイスラエルのガザ侵攻が激化する中で、4分3が停戦を支持するようになっており、即時停戦を求める決議が40人の民主党議員によって提案されたという(『朝日』12月5日)。他方、共和党の中にはトランプ前大統領の影響を受けて「アメリカ・ファースト」の動きが出て、イスラエルへの軍事援助が減額される可能性もある。そうなると、従来のように米国政府が無条件にイスラエルを支持し続ける政策に転機が訪れる可能性もある。今後の米国世論や政府の動向を注視する必要があるだろう。

(「世界史の眼」2023.12 特集号5)

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「世界史の眼」特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考える 4(2023年12月9日)

 「世界史の眼」特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考えるの第4回として、藤田進さんにお寄せ頂いた、「イスラエル軍ガザ攻撃60日目の今」を掲載します。

藤田進
イスラエル軍ガザ攻撃60日目の今

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イスラエル軍ガザ攻撃60日目の今
藤田進

Israeli tanks surrounding the Al-Shifa Medical Complex in Gaza City. (Photo: via WAFA)

 11月14日深夜イスラエル軍は、ガザ北部のシファ病院地下にハマースの司令部があるとして突入に踏み切った。そして病院敷地内で地下トンネルの「入り口」を発見、武器も発見したと主張した。ハマースはこれらの情報についてイスラエル軍のでっち上げとした。病院は命を繋ぐ最後の砦であり、如何なる大義名分を掲げようとも決して侵されることが許されない。最大限の言葉で非難すると共に、この凄惨な事態を伝える情報の乏しさと偏りによって、パレスチナの人々の命を危機に晒す残虐行為が正当化されることの無きよう、現地の報道や情報を交え現状をお伝えしたい(藤田進)。

Ⅰ イスラエル軍によるシファ病院蹂躙の詳細

 シファ病院はガザ最大の総合病院であり、特に高度の技術水準の医師と最新医療設備を備えた外科・整形外科の存在はガザ住民にとりきわめて重要であり、年間3万2000件の手術(2022年)をこなしてきた(https://www.aljazeera.net/encyclopedia/2023/11/27)。ガザ自治政府広報部の発表によれば、イスラエル軍封鎖当時シファ病院には約1500人の医師、約700人の患者、新生児39人、さらに家を失い安全を求めて避難してきた人々が約7000人いた。

 11月14日深夜イスラエル軍がシファ病院に突入した。翌15日の衛星テレビのアル・ジャジーラのインタビューで、ガザ病院連合会長のムハンマド・ザクート氏は病院の窮状について次のように語った。

 「シファ病院はイスラエル軍突入の数日前から戦車で包囲されており、電力も燃料も断ち切られた中で集中治療室の患者と新生児の多くが死亡した。イスラエル軍はイスラムの戒律に基いて死者を弔い埋葬することを禁じ、病院当局はやむなく昨日14日に100人の犠牲者の遺体を病院の構内に集団埋葬した」。

 「イスラエル軍突入時、病院構内にはパレスチナ人コマンドもイスラエルの人質も見当たらず、軍は一発の銃弾も浴びなかったにもかかわらず、建物の通路から出てくる人々を銃撃した。」

 「イスラエルはシファ病院にハマースの軍司令部があると主張したが、ハマースはこの主張を全面的に否定し、国連調査委員会にことの真相をあきらかにするよう要求していた。」

 「イスラエル占領軍は自軍兵士が病院内へ突入すれば勝利は自分たちのものだと判断し、15日の明け方緊急治療棟と外科病棟の二つの建物に突入した。しかしハマース軍の存在を示すようなものは何も発見できなかった。病院内に閉じ込められた患者、患者の付添人、医師たちは院内を移動することも禁止されて10時間にわたる取り調べを受け、取り調べは今も続いている。」

 「新生児が看護、保育器、薬を欠いて特に危険な状態にあり、我々ガザの医師団はイスラエル軍に発電用燃料を病院に緊急に供給して欲しいと訴えたが、占領軍はその要求を拒否した。」

 「エジプト側のラファ検問所を通って運ばれてくる医療支援物資は2週間前から全くガザ市に届いておらず、我々は患者たちのエジプトへの移送を強く求めている。」https://www.alijazeera.net/news/2023/11/15

 11月18日、シファ病院を占拠しているイスラエル軍はムハンマド・アブー・サルミーヤ病院長に病院を明け渡すよう通告した。院長はこれまでに通告を何度か拒否してきたが、ついに数百人の患者と避難者たちをガザ南部の他の病院へ移し、また数十人の新生児を安全地帯へ緊急移送する措置を講じた(https://www.alijazeera.net/news/2023/11/27)。

Ⅱ WHOのシファ病院惨状視察報告

 患者、避難民、医師団のほとんどが病院から立ち退かされたあと、世界保険機関(WHO)などの専門家チームがシファ病院の惨状視察に訪れた。イスラエル軍の許可をえて1時間だけ病院内に入ったWHOは記者会見でシファ病院を『死の地帯』と表現し、病院の惨状について次のように発表した。

 「病院にはイスラエル軍の爆撃や銃撃の弾痕跡が多く認められ、病院の入り口付近の敷地は集団埋葬地となっており、80人以上の遺体が埋葬されているとのことである。」

 「院内には25人の医療スタッフと291人の患者しか残っておらず、病院から強制退去させられるときに数人の患者が死亡している。換気装置が止まった集中治療室の2人の患者と人工透析機がかろうじて動いている22人の患者は極めて危険な状態にある。重度の骨折状態の患者29人は医療介護者を欠いて動くこともできない状態にあった。心的外傷患者の多くが伝染予防措置や抗生物質の欠如により感染症を患っていた。新生未熟児31人は無事にガザ南部のラファの病院に搬送された。」

 WHOはシファ病院の患者、医療スタッフ、さらにはガザ北部で部分的医療業務を続けている病院に取り残されている人々の安全と健康状態について重大な危惧を表明した。

 最後にWHOは病院とハマース軍事拠点との関連についても触れ、「シファ病院の医師たちは病院内にいるのは一般市民だけでコマンドの姿は見たことがないと語っていた。我々も、病院がハマース軍事本部として使われていたとする根拠を見いだすことはできなかった」と述べた。

 WHOは、ガザにおける人道にもとる大破滅を阻止するために即時停戦ととぎれることのない人道支援にむけて全世界が一致して取り組むよう訴えた(https://www.palestinechronicle.com/al-shifa-hospital-was-turned-into-who)。

Ⅲ イスラエル軍の「病院地下のハマース軍事指令部」説の破綻

 11月16日、シファ病院捜索中のイスラエル占領軍のダニエル・ハガル報道官が「病院にハマースの地下トンネルと武器・秘密情報機材等を発見した」と発表した。しかしこの主張がハマースの全面否定や先のWHOのコメントが指摘するように物証不足で説得力を欠く中、11月23日のアメリカ衛星テレビCNNのインタビューで、元イスラエル軍司令官でイスラエル首相も務めたエフード・バラク氏が「イスラエルはガザを占領していた40~50年前にシファ病院の地下に避難所を作り、地下トンネルもそのときに掘った」と証言し(https://www.aljazeera.net/politics/2023/11/23)、イスラエル側の「ハマースの築いた地下トンネル」説は決定的に破綻した。イスラエルが「テロリストのハマースの軍事拠点」を発見して「ガザ侵略戦争」を正当化しようと企てた情報戦略は、多方面からの証言や情報により信憑性は揺らぎ、イスラエル軍はガザ住民への残虐行為を繰り返しているに過ぎないという現状が浮き彫りとなった。

 イスラエルとハマースは人質交換とガザへの緊急支援物資搬入のため、11月24日から4日間(その後3日間延長)の停戦協定を結んだ。しかし停戦期間4日目の11月27日、ガザ自治政府保険省スポークスマンのアシュラフ・アルキドラ氏がガザ北部の医療システム崩壊状況を次のように明らかにした。

 「イスラエル占領軍はガザ北部の病院組織を破壊して同地域から住民をガザ南部へ立ち退かせようとしており、医師・看護士たちも一緒に追い立ててその多くを死傷させようとしている。救急車は60台以上が破壊され、医療関係施設は160か所が爆撃されて28の病院は医療活動不能となり、応急措置を施す医療センター63か所も破壊された。」

 「イスラエル・ハマース停戦協定発効直後にガザに搬入された医療物資は必要量より少く、しかも遺憾なことにガザ北部の病院には全く届かなかった。停戦協定期間中もイスラエル軍の病院弾圧は続いており、ガザの医療状態の悪化は極限まできている。ガザの保険組織を保護する役割を担っている国連諸機関は全くその任を果たしていない。医療必需品が十分供給されぬままガザの医療システムは刻々崩壊しつつある。」(The Palestine Information Center,2023 November 27  https://palinfo.com/864355

Ⅳ 停戦期間打ち切り後のハマース政治局員サーレフ・アルアルーリーの声明

 12月1日ドーハで行き詰まった人質交換交渉決裂後、イスラエル軍はガザ報復攻撃を再開し1日で200名以上のパレスチナ人を殺害した。2日夕方、ハマース政治局員のサーレフ・アルアルーリーが次の様なメッセージをアル・ジャジーラ・ネットとのインタビューで表明した。

  1. 「ハマースは最初から外国人の人質は無条件で解放し、また子どもと女性も人質対象でないので解放することにしていた。いま我々のもとにいる人質はイスラエル人の兵士と元軍人だけである。イスラエルが兵士の人質解放交渉を途中で拒否したのは、女性や子供を殺害し続けることによって我々を屈服させようと考えているからである。だがもはや我々は、イスラエルが敵対戦争を終了するまで人質解放交渉に応じるつもりはない。これが我々の公的で最終的な立場である。」
  2. 「イスラエル軍はガザ攻撃に陸軍の3分の1、空軍の3分の1以上を動員したが、その軍事力は数か国を完全に打ち敗れるほど強力である。しかしイスラエルはその軍事力を駆使して50日もかけながら、ガザ北部の3分の1の侵略にとどまりしかも我々の抵抗にあって同地域を完全掌握できないままである。そしてイスラエルが軍事力でハマース殲滅、人質奪還、ガザ占領を実現すると宣言したのを当初支持した国々も、今ではそれらの目的実現は困難だと確信するに至った。」

 そしてアルアルーリーは声明の最後で、イスラエルを断固支持するアメリカについて次の様に述べた。「アメリカは、パレスチナ人に対する数々の犯罪を隠ぺいし、それらの犯罪を様々な口実を設けて正当化し、またみずからも加担している。アメリカは犯罪性において、シオニスト国家イスラエルと同列である。パレスチナにおける戦闘の武器供与国であるアメリカは道徳的に完全に破綻しており、占領国家というよりはファシズム・ナチズム型国家である。」(引用はアル・ジャジーラ記事を掲載したパレスチナ情報センター12月2日ニュースからhttps://palinfo.com/news/2023/12/02/865255)

イスラエル空爆下の病院で懐中電灯で照らしながら負傷者を手当するパレス人医師(2023年11月10日、ガザ市のインドネシア病院)© 2023 Anas al-Shareef/Reuters (https://www.hrw.org/news/2023/11/14/gaza-unlawful-israeli-hospital-strikes-worsen-health-crisis
1948年5月イスラエル軍に村から集団追放されたパレスチナ人家族(ナクバ)(https://www.aljazeera.net/midan/reality/politics/2023/12/7/)
右2023年11月、イスラエル軍にガザ北部から追い出され南部に徒歩で向かうパレスチナ人家族(ナクバ再来の恐怖)
(https://palinfo.com/?p=861054)

投稿日: 2023年12月7日

(「世界史の眼」2023.12 特集号4)

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「世界史の眼」No.45(2023年12月)

今号では、本年刊行された、小山田紀子、吉澤文寿、W.ブリュイエール・オステル編『植民地化・脱植民地化の比較史―フランス・アルジェリアと日本・朝鮮関係を中心に』(藤原書店、 2023年)を、南塚信吾さんに書評して頂きました。

南塚信吾
小山田紀子・吉澤文寿・W.ブリュイエール・オステル編『植民地化・脱植民地化の比較史―フランス・アルジェリアと日本・朝鮮関係を中心に』藤原書店 2023年

小山田紀子、吉澤文寿、W.ブリュイエール・オステル編『植民地化・脱植民地化の比較史―フランス・アルジェリアと日本・朝鮮関係を中心に』(藤原書店、 2023年)の出版社による紹介ページはこちらです。

*  *  *

世界史研究所では、11月より、「「世界史の眼」特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考える」と題して、この問題に関する論考を掲載しております。これまで3度に亘り掲載してまいりました。今後も続けてゆく予定です。

「世界史の眼」特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考える(2023年11月12日)

藤田進
ハマースのアル・カッサーム部隊のイスラエル軍事侵攻を検証する

木畑洋一
パレスチナ問題の起源:第一次世界大戦期のイギリス三枚舌外交

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「世界史の眼」特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考える2(2023年11月21日)

藤田進
ハマース政治局情報センターの緊急メッセージ

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「世界史の眼」特集:「イスラエルのガザ攻撃」を考える3(2023年11月26日)

藤田進
イスラエル軍ガザ攻撃47日目の今

藤田進
「ユダヤ人国家」イスラエルはどのように実現したのか―分割され奪われ続けるパレスチナ (1)―

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小山田紀子・吉澤文寿・W.ブリュイエール・オステル編『植民地化・脱植民地化の比較史―フランス・アルジェリアと日本・朝鮮関係を中心に』藤原書店 2023年
南塚信吾

 本書は、フランスのアルジェリア植民地支配と日本の朝鮮植民地支配になんらかの形で関係する研究をしている歴史家たちが、「植民地化・脱植民地化の比較史」を目指して書いた論文を集めた論集である。

 表題から考えると、今日、日本と韓国・朝鮮との関係が「冷たい」のは、何が問題だったのだろう。世界のどこでも植民国と植民地との関係であったところでは、こうしたものなのだろうか。例えば、フランスとアルジェリアの関係はどうなのだろう。日本の朝鮮植民地化がフランスのアルジェリア植民地化とどう違うのだろう。朝鮮の脱植民地化への日本の関与と、フランスのアルジェリアの脱植民地化への関係とはどう違うのだろう。あるいは、きわめてよく似ているのか。こうした問題を念頭に置いてしまう。本書はそうした問題に直接的に答えるものではない。しかし、考えるヒントは与えてくれている。

 本書は必ずしも植民地化・脱植民地化の「比較」を徹底しているわけではないが、「比較」すべき論点はほぼすべて提供している。本書の構成は以下のようである。

Ⅰ 植民地化・植民地支配と民族運動・労働運動
Ⅱ 脱植民地化の過程
Ⅲ 独立/解放後の政治と経済
Ⅳ 人の移動と被植民者(移民)の地位
Ⅴ フランス・アルジェリア・日本関係から見たグローバル・ヒストリー
Ⅵ 植民地と文学
Ⅶ 「記憶の戦争」と植民地責任論

 この目次からは直接的には見えてこないが、「比較」すべき論点として、「植民地戦争」というとらえ方、植民地支配と在地権力の関係、反植民地抵抗運動、植民地の民衆の眼から見た植民観、「植民地責任」の問題、脱植民地のもとでの社会主義と新自由主義の役割、脱植民地後の人の移動、旧植民地から来た人たちの法的地位・二重国籍の問題、引揚者による「歴史の記憶」「記憶の戦争」という問題、旧植民地出身者の内部対立、植民地史教育など、実に多様なものが提起されている。

 ここでは、評者の視点から、「比較」のポイントを四つだけ拾い挙げて、それに本書がどのように答えようとしているのかを探ってみたい。

 まず「植民地化」についてであるが、第一に、「植民地戦争」という捉えかたが提起されている。「植民地戦争」という見方は、植民地から見れば「植民地支配」=平時と「戦争」=戦時とは分離できず密接に結びついているのであり、これらを一体として考えるべきであるというものである。そしてこれは、日本の朝鮮支配について有効な見方だと主張されている。「韓国併合」後の「植民地支配」下での個々の抑圧・軍事的暴力からアジア太平洋戦争下での大陸膨張までを、全体として植民地戦争と捉えるべきであるというわけである(槇論文)。では、フランスのアルジェリア支配はどうなのかという問題が当然出てくる。本書では、1961年のアルジェリア解放戦争での異議申し立て運動などが論じられているが、アルジェリア戦争は植民地戦争とみるとどういう視野が開けてくるのだろうか。おそらく1830年のフランスのアルジェリア進出からの支配が全体として論じられることになるのだろう。

 第二に、植民地支配についての民衆の眼という視角が提起されている。日本の朝鮮支配の時期の民衆レベルでの日本観、日帝支配観が論じられている。朝鮮民衆にとって、「文明開化なんて、たいしたものじゃない。一言でいうと、人殺しの道具が上等だってことと、ひとさまの持ち物をかっさらうのが文明開化じゃないか」、「昔はわれわれの前にひざまずいていた倭奴たちが、俺たちの喪服をまねて自分たちの着物を作った・・・」のだと受け取られていた。だが、では日本人とは何なのか。「日本人に民族主義など存在しない。あるとしても希薄で、軍国主義と皇道主義が本筋だ。」結局、日本人は天皇という現人神を崇拝する人間だということだと考える。そして朝鮮民衆の抵抗意識の頂点にあるのは、日本人の現人神崇拝への批判とそれを押し付けられることへの抵抗であったという(申銀珠論文)。植民者の精神構造への抵抗こそが、反植民地抵抗運動なのである。では、アルジェリアの民衆の眼から見たフランス観はどうか。

 第三に、在地権力の問題がある。これは幕末の駐日公使レオン・ロッシュの研究として提起されている。ロッシュの個人史は興味深いが、「植民地化」の比較の中では、どのように扱うべきであろうか。小山田は、フランスが植民地帝国と発展していく過程で、フランスは北アフリカのマグレブの支配のために在地権力を利用しようとし、同じく日本でも日本をフランスの経済圏に引き込むために在地の幕府権力を利用しようとしたというところに意味を見出している。つまり、自由主義帝国主義のために「植民地」「反植民地」にどういう政策で入り込むかという問題への一つの答をここに見ているのである。日本が韓国の在地権力をどのように利用したか、それとの比較がされていくと、議論が広がるのではないだろうか。

 次に「脱植民地化」についてみてみよう。

 第一に、「植民地責任」の問題がある。「植民地支配」と「戦争」とを全体としてとらえる「植民地戦争」という視角は「植民地支配責任」につながる。1910年の韓国併合とその後の韓国支配を合法的な植民地支配と捉え、第二次世界大戦期の「慰安婦問題」などと切り離して、「慰安婦問題」の実在性を問おうという日本政府の姿勢に対し、日露戦争期の抗日義兵闘争以来の対日「植民地戦争」という見方は、第二次世界大戦期までの「植民地支配」の責任を問うのである(吉澤論文)。日本は朝鮮への植民地責任を回避し、それを解決済みと称し、問題を太平洋戦争中の「慰安婦問題」に集約しているというわけである。では、フランスのアルジェリアへの植民地責任についてはどうなっているのだろう。これが比較されるとよかった。

 第二に、「脱植民地化」のもとで採用された社会主義と新自由主義の問題が提起されている。アルジェリアでは、独立後1960-70年代にベン・ベラおよびブーメディエンのもとで社会主義政策がとられたが、資源依存経済は脱却できず、工業化も前進しなかった。80年代前半には原油価格の高値に支えられて経済は好調であったが、後半には価格が下がり、経済困難に陥った。そこで採用されたのが新自由主義のための「構造調整」政策であった。農地を含む民営化、市場化が実施された。しかし、これは食糧問題、失業、住宅問題などを引き起こし、新自由主義政権を批判する抗議デモが各地で起きた。そして、2019年には民衆的平和的・非暴力的抗議運動ヒラクが起きて、ついに政権を倒壊させた。この「市民革命」は、諸個人の自発性に基づき、多様性と協調を基調とし、自由と平等を主張するものであった。それは新自由主義的グローバル化時代における民衆運動の発現形態であるとされる。とすれば、それは世界の他の地域でもあり得る運動であった(福田論文、渡辺論文)。それは韓国ではどうであったか。脱植民地化が南北朝鮮の動きとして南北を同時に視野にいれて考察されていて興味深い。ただ、「脱冷戦」期の南北朝鮮の動きも、新自由主義との関係で論じられていれば、「比較」が実り多いものになったように思われる。

 最後に「比較」史とグローバル・ヒストリーの関係について問題提起を行った短い論稿がある。ここでは、地理的にも時代的にも離れた二つの植民地化・脱植民地化の「比較」は、グローバル・ヒストリーの中に位置づけられなければ、意味をなさないのではないかという問いが発せられている。その問いに対して、本章は、必ずしも十分な解答を与えているわけではないが、いくつかの可能性を示唆している。その一つは、帝国主義的アプローチをする歴史学の刷新であるという。つまり、「ある国家が軍事的手段によって領土を支配することをどのように設定し正当化するのかという帝国構築のプロセス、またそれによって引き起こされる暴力を理解すること、そして古い行政機関を消滅させ、新しい植民地行政機関を構築する論理を問う」ことを比較しあえるというのである。

 この書評では、比較研究のすべての論点を扱うことはできなかったが、今回の日本・朝鮮、フランス・アルジェリアの「植民地化・脱植民地化」の比較研究が、地球的規模で展開され、さらには、植民地化・脱植民地化の研究全体にどのような新たな視角を提供するのだろうか、見守りたいものである。世界史を考えるうえで重要な諸問題を投げかける一書である。

(「世界史の眼」No.45)

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