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「世界史の眼」No.51(2024年6月)

今号では、千葉大学の米村千代さんに、昨年刊行のメアリー・ジョー・メインズ、アン・ウォルトナー(三時眞貴子訳)『家族の世界史』(ミネルヴァ書房)を書評して頂きました。また、前号に続きパトリック・マニングさんの論考「国連改革の動き」(南塚信吾訳)を掲載しています。

米村千代
『家族の世界史』(メアリー・ジョー・メインズ、アン・ウォルトナー著、三時眞貴子訳、ミネルヴァ書房、2023年)書評

パトリック・マニング(南塚信吾訳)
国連改革の動き

『家族の世界史』の出版社による紹介ページは、こちらです。また、パトリック・マニング氏のウェブサイトContending Voicesは、こちらです。

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『家族の世界史』(メアリー・ジョー・メインズ、アン・ウォルトナー著、三時眞貴子訳、ミネルヴァ書房、2023年)書評
米村千代

 「家族を物語の中心に据えたときに、世界史はどのように見えるのか」(1頁)。著者によれば本書の目的はこの疑問に答えることにある。家族史研究は、時代や地域による個別性や多様性、いわば小さな物語を描き出すことに重点の一つがあったといえるだろう。もちろん家族史といっても研究の幅があり、一言でその特徴を述べることはできないが、少なくない研究は、人々の日常生活に焦点を当てた個別の歴史を描き出すことを重視してきたといえる。比較的大きな物語を描く場合でも、ヨーロッパのある社会層を対象とするなど、世界全体を対象とする研究ではなかった。そうした家族史研究のなかで一時代の日本の家族を研究してきた評者にとって、本書を最初に手にしたときの関心は、どのように一つの流れで「家族の世界史」を描くことができるのかという点にあった。本書は、文字通り家族の世界史を1冊にまとめた稀有な書であり、紀元前一万年以降の家族を、時間的・空間的多様性にも目を配り対象とするものである。家族の世界史がどのように描かれているのかを読み解いていくために、まずは、本書の全体像を目次から概観することから始めたい。章構成は以下のとおりである。

序章 ディープ・ヒストリーとしての家族史
第1章 家族生活と人生の起源-紀元前500年まで
第2章 神の誕生-宗教登場後の家族(西暦1000年まで)
第3章 支配者家族-政治の黎明期における家族のつながり(紀元前約3000年~1450年)
第4章 近世の家族-1400~1750年
第5章 グローバル市場における家族-1600年~1850年
第6章 革命期の家族-1750年~1920年
第7章 生と死の力―国家による人口管理政策時代の家族(1880年~現在)
終章  家族の未来

 次に、序章に記されている本書の視点を確認しよう。序章冒頭において、家族は歴史的に構築されてきた制度であり、自然に生み出されたものではないこと、「家族はそれ自体が歴史を持つと同時に、歴史を作り出してきた」ことを出発点にするとある(1頁)。家族史のすべてを網羅しようとするものではなく、冒頭に紹介したように「家族を物語の中心に据えたときに、世界史はどのように見えるのか」という疑問に答えることが目的であるという。そしてその方法を著者は二つあげる。一つは、「家族それ自体と、家族の時代的、空間的な多様性に焦点を当てる方法」であり、もう一つは、「これらの家族生活が時代とともにどのように変化してきたのか、それぞれの文化が家族生活を営むために独自の方法をどのようにして 見出してきたかについて探求する方法」(1-2頁)である。続いて、家族の定義(「家族は、結婚や類似のパートナーシップ、血統、そして/あるいは養子縁組による文化的に認識された紐帯で結びつけられた人々からなり、多くの場合、一定期間、同じ世帯を構成する小集団」(4頁))を行い、ディープ・ヒストリー/深層史(いわゆる先史の時代から現代までの長期的な展開を、人間の行動や文化の相互作用から読み解くもの)として家族史を位置付ける。

 目次からわかるように、章は時間とテーマに基づいて論じられているため、各章は時間軸として完全に独立しているわけではない。各章において複数の地域が取り上げられ、とりわけ後半においては、それらの地域の歴史は個別に取り上げられるのではなく、相互の影響関係において論じられる。紀元前500年までを対象とした第1章では、人類の起源あるいは初期の文明における女性の重要性に一つのポイントがおかれ、初期の家族生活とジェンダー分業に多様性があったことが指摘されている。第2章が西暦1000年までの家族であり、宗教と家族の関係がテーマとなる。ここから次章へとつながる流れのなかで家父長制が登場する。第3章は、主に古代君主制が取り上げられていて、父系制社会を主な対象としながらも、君主制を持たない地域も考察に含まれる。いずれの地域においても政治と家族関係の結びつき、特に支配者家族との結びつきが時代の特徴として取り上げられていて、この章の主要なテーマとなっている。続く第4章は近世社会がテーマで、アメリカ大陸という「新世界」と「旧世界(ヨーロッパ、アジア、アフリカ)」との接触から章が始まり、グローバルな家族史の視点がより直接的な題材となっている。この「接触」は、著者の言葉を借りれば「〔無関係な者同士の出会いではなく〕ある種の再会」であり、近世社会の「遭遇」は「人間とは何かについての新しい疑問」(94頁)を提起するものであった。たとえば、征服者は、その手段として被征服者の家族生活へと介入し、結婚を許さない形で被征服者が家族の絆を形成することを阻止しようとした。他方、別の場所では、同盟関係を結ぶための結婚や相続という対照的な戦略もとられた。近世ヨーロッパによる海洋進出と植民地獲得には、在地の宗教との葛藤やキリスト教への改宗という新しい緊張もはらんでおり、宗教もまた本書を貫く重要なモチーフの一つとなっている。第5章は表題の通りグローバル化する市場における家族関係がテーマである。親族による商業ネットワークの形成、混合婚、奴隷制、小農経営が取り上げられている。本書は、一つの国や地域の歴史を個別に論じるのではなく、「接触」や「遭遇」によってもたらされる社会や家族の相互関係と変容を描くことによって全体が構成されている。第5章はこうした本書の筆致が最もよくあらわれている章であるといえよう。第6章は「経済と政治の二重の革命」の家族生活への影響がテーマで、イギリスの産業革命、フランス革命、中国革命が取り上げられている。革命というテーマの下で、階層、ジェンダー、世代の問題が、他の章と同様に、やはり世界史的な観点から論じられる。第7章の主題は人口である。人口政策としての家族政策が、一方で、子育て支援や社会保障などの福祉政策を推進する方向性を持った一方で、植民地支配や優生政策として大量虐殺を引き起こした。著者は本章の末尾を「20世紀末までに、家族は事実上、すべての地域と国家で政治化されたのであった」(210頁)としめくくる。最終章は、歴史を通して未来を語る章となっている。

 空間と時間が交錯する歴史を家族という視点から見たときに、「生と死の力」というテーマは、今もなお、家族研究が重い課題を背負っていることを改めて思い出させてくれる。今日、家族は、多様化、個人化という文脈のもとに論じられる傾向にあるが、「政治化」という視点は依然有効であり、家族にはたらくさまざまな力を長い時間軸や広い空間的視野において絶えず捉えなおすことは、わたしたちに新しい気づきをもたらしてくれるだろう。

 なお、「訳者あとがき」には、11頁にわたる丁寧な解説があり、家族史を今日的な視点に接合するための示唆に富んでいることもあわせて紹介しておきたい。

(「世界史の眼」No.51)

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国連改革の動き
パトリック・マニング(南塚信吾 訳)

 先月、P.Manning(パトリック・マニング)が、かれのホームページContending Voicesに出した、USの政策を批判し国連の力の増大に注目する見解Who rules the world today? を紹介した。今月は、それに続いてかれが同じくContending Voicesに発表したThe Campaign for UN Reform(Mar. 3, 2024)を翻訳して紹介したい。もとはアフリカ史を研究していたマニングは、アフリカを中心とする途上国の動きをよく見ているようである。世界的に多数の諸国の動きとして、国連改革の動きは無視できないもののようにも思える。国際的に圧倒的多数の国々の批判を無視してガザのパレスチナ人ジェノサイドを続けるイスラエルと米国、これを許す国際秩序はじょじょに昔のものになりつつあるかもしれない。マニングの大局的な見方を参考にしていただきたい。(南塚)

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 国連の「未来サミット」が2024年9月にニューヨークで開かれるはずである。この会議は、国連の改組に焦点を当てたもので、国連事務総長アントニオ・グテーレスの支援を受けて、数年前から計画されてきたものである。このサミットの声明は、季候の持続可能な発展目標と社会的平等に焦点を当てることになっているが、サミットは長い間求められてきた安保理事会の改革の機会だとますます見られるようになってきている。

1. 国連安保理改革の呼びかけ

 国連の最高執行機関である安全保障理事会は、常任理事国5か国、非常任理事国10か国から成る。5か国はいかなる決議にも拒否権を持つ。この拒否権を使って、米国、英国、仏国は長らく他国の影響力を制限してきた。中国とロシアも常任国ではあるが、安保理にもっと多くの国を加えることを妨げ、グローバルなバランスを阻害してきたのは、米国と英国である。

 1992年にロシアがソ連の崩壊を受けて常任理事国となった時から、安保理の拒否権を見直そうという関心が高まってきている。2015年に、フランスとメキシコが、「大量虐殺」の場合は安保理の常任理事国は拒否権を行使しないことにしようという提案をした。2022年4月には、国連総会は、安保理におけるすべての拒否権を主題にして討議するよう命令を出した。

 もっと近いところでは、2022年10月に、ウクライナでの平和に関する決議にロシアが拒否権を使ったところから、安保理の改革がいっそう緊急の問題となった。(カーネギー国際平和基金の2023年6月のコロキウムでは多くの国から深刻な懸念が示された。)そして、ガザでの戦争が始まった後は、米国が、2023年の10月と12月に3回にわたって戦闘停止の決議に拒否権を使い、そのことが安保理の改革をより強く呼びかけることになった。

安保理に理事国を追加するという事は、強力な候補国の中から選ぶことを必要とする。現在の非常任理事国は選出されているわけであるが、それは世界の5つの地域からそれぞれ2か国ずつ選ばれていて、任期は2年である。そこで、さらに5か国の常任理事国と5か国の非常任理事国を選んで、25か国構成にするということが考えられる。常任理事国5か国には、アジアからインドと日本、西ヨーロッパからドイツ、東ヨーロッパからポーランド、ラテンアメリカおよびカリブ地域からブラジルとメキシコ、アフリカからはエジプト、ナイジェリア、南アフリカが候補として考えられる。

2. 今から9月までのキャンペイン

 2024年3月現在、イスラエルーハマス戦争に関連するいくつかの動きによって、国連の運営をめぐる争いがいっそう激しくなっている。第一の動きは、現在進行中の争いそのもので、2月2日に、米国はガザでの停戦決議にまたもや拒否権を発動した。(この拒否権についての国連総会での討論は3月4日に予定された)。

 第二の動きは、イスラエルに対するジェノサイド告訴に関する1月26日の国連司法裁判所の命令である。司法裁判所はできうる限りで最も強い命令を出して、イスラエルにすべての殺害をやめ、人道援助への干渉をすべてやめるよう要求した。それでも、裁判所は執行機関ではなく、安保理事会のみがこの命令の順守を強制できるのであり、米国はそういう行動には拒否権を使う用意をしている。

 最後に、司法裁判所はイスラエルによるパレスチナ占領は非合法であるか否かについて判断を下すように求める国連総会の要請に答えていた。2月19日の週に50か国以上が裁判所に意見を述べたが、その90%が占領は非合法であると述べていた。

このあと二つのデッドラインがこの先に待っている。一つは、3月10日で、ラマダンの開始の日である。イスラエルは、ハマスが人質をすべて解放しない限り、この日にガザの人口密集したラファ地区への全面攻撃を開始すると約束している米国主導の交渉は成功の見込みはほとんどない。ハマスもイスラエルがガザから撤退しない限り、同意しないという。さらに、ハマスはパレスチナの独立を主張するのに、イスラエルはパレスチナ国家を認めることを拒否している。そして、米国を始め他の8つの富裕国は、UNRWA救済機関への拠出を停止している。米国のバイデン大統領は一方でさらなる武器輸送を計画し、他方で停戦を呼び掛けている。3月には、停戦がなるだろうか、あるいはラファへの壊滅的な攻撃があるだろうか。あるいはその両方だろうか。

 二つ目のデッドラインは9月18日である。これは「未来サミット」の開会の日で、そこでの議論では国連改革が中心となるであろう。きっと大多数の国が、常任国と非常任国を降らして安保理事会を拡大すること、ならびに常任理事国の拒否権を廃止ないしは制限することを求めるであろう。アジア、アフリカ、ラテンアメリカ、島嶼諸国はほとんど一致して安保理改革を支持するであろうーもちろん言うまでもなくガザでの停戦も。一方、ヨーロッパの諸国は、ガザと安保理改革の双方について、意見が分かれるであろう。

 安保理改革のキャンペインは勢いを増している。ガザの停戦および安保理改革の両方を目指して外交活動を最も活発に行っている国々は、南ア、トルコ、ブラジル、アルジェリア、エジプト、スペイン、ベルギー、アイルランドである。アラブ連盟とアフリカ連合は団体として立場を明らかにした。ロシアと中国は、ともに拒否権を失うかも知れないが、このキャンペインを静かに支持し続けている。概して、安保理の構成国の大多数はしっかりと改革支持の立場である。現在の国連総会議長であるトリニダードのデニス・フランシスもかれの2023-24年の任期中ずっと改革を積極的に支持してきた。そして、アフリカから出るであろうかれの後任も、同じ政策を採りそうである。

 改革のキャンペインの原動力になっているのは、安保理の議長自身である。議長は構成国の中で毎月輪番で交代する。2024年の1月と2月の議長はそれぞれフランスとガイアナであった。3月から10月までの議長に選ばれているのは、順番に、日本、マルタ、モザンビーク、韓国、ロシア、シエラ・レオネ、スロヴェニア、スイスである。このすべてが改革支持派である(ロシアとスイスをも含んで)。しかし、9月のサミットが安保理の改革に動いたとしても、最後に2024年中に行われる二つの大統領・首相選挙を乗り越えねば、変化は起らないであろう。それは英国と米国の選挙である。

 安保理改革への支持は国連自身に限られてはいない。中東における旧来の敵対関係が解消しつつある。とくに、トルコとエジプトの関係であるが、サウジアラビアとイランの関係もそうである。ブラジルのルラ・ダシルバ大統領は、アラブ連盟のカイロ会議とアフリカ連合のアジスアベバ会議で、ガザおよび国連改革に言及した。かれは翌日、ブラジルに戻って、リオでのG20の外相会議を主宰し司会を務めた。ここには、米国のアントニー・ブリンケン国務長官も来ていた。この会議で、G20の外相たちは、ガザでの停戦を呼び掛けた。1年前には、この反対に、かれらはウクライナで対ロシア戦争の継続を求める米国起草の呼びかけを発していたのである。

3. キャンペインのありうべき帰結

 国連改革は、実際遅くとも9月の「未来サミット」において山場を迎えるのではないか。安保理の構成の変化の議論が具体的に起こるたびに(実際に起こったときには)、それは激しいものになり、激論さえ起こっている。改革を提案する側は、5大国の拒否権にも拘わらず改革を実現するための道を見出す必要がある。結局は、国連憲章をほんの少し変えるだけで済むはずだが、そのような変更を行い批准するには、国連組織の原則と手続きに基本的な転換が求められるであろう。

 もし、拒否権を縮小ないしは廃止し、安保理に新たな国を加えるといった国連改革が進むならば、安保理と総会と事務総長の間で協力して、パレスチナに国家を打ち立て、ジェノサイドとパレスチナの地位についての国際司法裁判所の命令を実行し、ウクライナ問題に取り組むことができるかもしれない。そのような協力があったとしても、パレスチナやウクライナの問題、さらに中国の領土要求についても、実際の解決は、スムーズには進まないかもしれない。しかし、それらは、根本的に違った世界秩序の中で取り組まれることになるのである。

 一方、若しこの国連改革が失敗するならば、拒否権はそのまま残るだろう。そして米国は軍事力と組織的支配力をもって、グローバルな覇権を維持しようとし続けるだろう。たとえ、他の国からの支持がほとんどなくてもである。最悪の場合には、ガザやウクライナやその他の場所でもっと死者が出るであろう。そしてそのあとには、何年も国連の行き詰まり、国連の政策に一国主義が広がるであろう。これはすべて将来の国連改革のための運動を再開するのに反する事になるだろう。この場合には、米国は多分国連を脱退することを決めるのではないだろうか。それは国連にとっても米国にとっても破滅的なことである。大国の拒否権のない国連は先例のない事ではない。他の大国は、「普通の国」としての地位になることの教訓を学んでおかねばならない。時とともに、これら諸国は皆、世界の共同体の中で協力し合う市民となることを学ぶことになるのである。米国はそれに続くであろうか。

(「世界史の眼」No.51)

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