月別アーカイブ: 2026年1月

「世界史の眼」No.70(2026年1月)

2026年最初の「世界史の眼」では、木畑洋一さんに、今年刊行された小倉充夫『民主主義の躓き 民衆・暴力・国民国家』を書評して頂きました。また、米山宏史さんに、松本通孝『一世界史教師として伝えたかったこと-「私の授業」-生徒とのキャッチボール-』を評して頂きました。また、世界史寸評として、油井大三郎さんに「高市首相の台湾有事発言の時代錯誤性を批判する」を、吉嶺茂樹さんに「アジア世界史学会(AAWH)第六回ドーハ大会 参加記」をお寄せ頂きました。

木畑洋一
書評:小倉充夫『民主主義の躓き 民衆・暴力・国民国家』(東京大学出版会、2025年)

米山宏史
松本通孝『一世界史教師として伝えたかったこと-「私の授業」-生徒とのキャッチボール-』(Mi&J企画)から学び、受け継ぐこと

油井大三郎
世界史寸評 高市首相の台湾有事発言の時代錯誤性を批判する

吉嶺茂樹
世界史寸評 アジア世界史学会(AAWH)第六回ドーハ大会 参加記

小倉充夫『民主主義の躓き 民衆・暴力・国民国家』(東京大学出版会、2025年)の出版社による紹介ページはこちらです。また、松本通孝『一世界史教師として伝えたかったこと-「私の授業」-生徒とのキャッチボール-』(Mi&J企画、2025年)のamazon.co.jpのページはこちらです。

世界史研究所は、2026年も更なる活動の充実を図って参ります。どうぞよろしくお願い致します。

カテゴリー: 「世界史の眼」 | コメントする

書評:小倉充夫『民主主義の躓き 民衆・暴力・国民国家』(東京大学出版会、2025年)
木畑洋一

 日本を代表するアフリカ研究者として、数々の研究を積み重ねるとともに、すぐれた後継者たちを育ててきた小倉充夫氏が、『自由のための暴力 植民地支配・革命・民主主義』(東京大学出版会、2021年)という挑戦的な論文集を出版してから、わずか4年の間を置いただけで、これまたきわめて刺激的な著作である本書を世に送り出した。いずれもA5版で300頁になんなんとする本であり、現代世界を見通していく上で鍵となる問題について、著者が全力で取り組んでいる様相をよく示している。そこでの視角の中心を占めるのは、二著のタイトルに共通してあらわれる暴力と民主主義という問題だといってよいであろう。そして、暴力や民主主義を論じるに際しての著者の立場の特徴となるのは、前著の副題に出てくる植民地支配という要因にあくまでもこだわるという点である。アフリカ研究者としての著者の強みがその点で十分に発揮されるわけであり、それがこれらの本の価値を高めている。

 このことは、本書について特に言えるであろう。民主主義がいかなるものであり、あるいはそれがどのようなものと考えられ、現代世界においてどういった様相を呈しているかについては、実にさまざまな検討がなされてきている。とりわけ、近年になって各国で民主主義の危機が叫ばれるようになってからは、『民主主義の死に方』といったセンセーショナルなタイトルを掲げた本などもあらわれるように、民主主義についての議論はかまびすしいものがある。しかしそのほとんどの場合、検討の対象となるのは、欧米の「先進国」や日本であり、韓国や台湾など独裁体制から民主主義的体制へと劇的な変化をとげた国々も着目されることがあるものの、それ以外の国、とりわけアフリカ諸国の状況はごく付随的にしか扱われない。それに対して、本書ではアフリカの経験が大きな比重を占め、とりわけザンビアの事例が随所で詳しく論じられる。

 本書の第1章「永続的な革命としての民主化」に、そうした本書の特色はきわめてよくあらわれている。著者は、「はじめに」で述べるように「民主主義は完成されることはなく、新たな課題を克服すべく絶えず発展してきたし、発展していくべきものと考えることができる」(5、以下カッコ内の数字は本書の頁数)という視点に立った上で、人々が民主主義に期待するものが時代によって変化してきたこと、その期待が既存の民主主義に対する挑戦の形をとってあらわれることを重視し、その具体例として西欧諸国における1968年前後の諸運動をあげる。代議制民主主義に疑問が投げかけられ、直接民主主義を追求する動きが台頭した時期として「1968」に注目することは、民主主義を論じる上でとくに珍しいことではない。ただ普通は、フランスの場合を軸に据えながら、「プラハの春」など東ヨーロッパも視野に入れてヨーロッパ諸国の状況を論じ、米国でのベトナム反戦運動や黒人の動きに言及し、日本のことにも触れる、といった形で議論が完結するのではないかと思われる。しかし本書の場合、そのような国々の検討を受ける形で「同時代のアフリカ」についての考察がなされるのである。

 1968年のアフリカといえば、多くの国々が独立直後であり、植民地主義からの完全な脱却と人々の生活水準の向上という二つの課題をかかえるなかで、それを実現するための体制を模索していた。代議制民主主義は、アフリカにおいては、それまでの植民地支配国がいわば遺産として残していった体制であったが、その形が問われるなかで、複数政党制を否定し一党制に向かう方向性が目立つようになった。アフリカ諸国のこうした変化は、従来、民主主義の後退、権威主義化の動きとして解釈され、欧米の「1968」とはベクトルが全く異なるものとして論じてこられたが、それが本書では、代議制民主主義の意味の問い直しという点で欧米の「1968」と同じ地平で検討されているのである。

 その場合に最も重要な検討対象とされているのは、ジュリウス・ニエレレが指導したタンザニアである。政治的独立後の課題に取り組んでいくためには、人々の団結を脅かす複数政党制は危険であり、一党制の方が現実に合うという議論をニエレレは展開した。こうした主張を、植民地支配に伴う人工的な境界線引きの結果作られた国家領域のまま独立したアフリカ諸国の状況を重視する著者は、肯定的に受けとめる。そして、「普遍的人権を保障する政治制度についてみれば、各政治共同体成立の経緯や社会経済的条件の相違に応じて、特定の時点における制度の選択には様々な可能性があると考えるべき」(52)であると、「1968」の文脈にアフリカ諸国を位置づける際の基本的視座が再確認される。「1968」のアフリカ諸国にどのような「選択の可能性」があったかについては、より立ち入った検討が必要であるという感は残るものの、こうした柔軟な視点はきわめて重要である。

 著者は、本書のタイトルとした「民主主義の躓き」をもたらしている要因として、サブタイトルにある民衆、暴力、国民国家という三つの要因を指摘し、それらは民主主義の内部に存在しているとしつつ、今紹介した第1章につづく三つの章でそれぞれに関する議論を展開する。この内、第3章「民主主義の暴力」と第4章「国民国家の民主主義」では、アフリカについての考察が議論の中心に置かれることになる。

 第3章で著者は、構造的暴力への反抗としての暴動や社会的分断がもたらした暴力にまず着目する。構造的暴力の最たるものは植民地支配であったし、植民地から独立して新たな国家を形成する歴史的経緯から社会的分断を免れがたかったアフリカ諸国についての検討が、まさにこうした議論の核となる。ここで著者は、自身がザンビアの首都ルサカで約20年の間隔をおいて行った社会調査の結果に拠りながら、若年齢層を中心とするアフリカの都市住民の存在態様と意識についての分析を行っている。

 第3章ではさらに、20世紀末にアフリカ諸国があいついで民主化(「第三の民主化」)を遂げて複数政党制が導入されるようになった後の、「民主化に伴う暴力」も注目されている。複数政党制のもとで選挙が実施されるなかで暴力が誘発されていったわけであるが、それについて著者は、第1章で扱われた独立直後の状況とは異なって、民主化を推進していった外部要因(欧米諸国の援助政策の変化など)も十分考慮に入れる必要があるとしつつ、さまざまな国の例に言及する。そうした考察を踏まえた上で、著者は、「植民地主義・帝国主義によって作りだされた対立を克服し、構造の歪みを解消する運動が今日いたるところで噴出している」(161)と、民主主義のもとでの暴力の歴史的背景に改めて注意を促し、民主化を論じる際にそうした歴史が忘却されることに警鐘を鳴らすのである。

 第4章で問題とされる国民国家に関しても、検討の中心はアフリカに置かれる。ここで評者が最も注目した文章は次のようなものである。「[欧米では]代議制の展開は階級闘争の歴史でもあった。ところが植民地では北ローデシアの例から分かるように、代議制をめぐる対立は優れて人種差別、異民族支配とかかわる問題であった。議会や選挙権の問題は民族解放の問題であり、生れつつある国家の主体は誰なのかという問題であったといえる。」(195)植民地支配を脱して民族解放を達成した国々は、支配国によって恣意的に引かれた国境線のもと、国民国家として多くの問題をかかえており、「国家の主体は誰なのか」ということを追求するなかで、民主主義の躓きを経験してきたのである。「近代国家における国民形成とは、支配的民族への同化の進行というのが実態であった。ところが良かれ悪しかれ同化の中核となるべきものが、存在しないか、自明でない場合が旧植民地には多い」(221)という指摘が、問題の核心をついている。そうした条件を生んだ植民地主義という歴史的背景の重みにここでも気づかされる。

 第3章にせよ第4章にせよ、著者が取りあげる論点は多岐にわたっており、ここでの評者による紹介はその一部をすくいあげたものにすぎない。著者は欧米における事例や民主主義論にも広く眼を配りつつ、アフリカの問題を位置づけているが、その豊富な内容はここでは扱いきれない。そうした第3章、第4章の内容と比べた場合、民衆という要因を対象とした第2章では、民衆・大衆に関する欧米での議論(ジョン・スチュアート・ミルやオルテガ・イ・ガセットなど)の丁寧な検討や、代議制民主主義を補いうる制度としてのくじ引き制の考察など、これまた豊かな中身をもつものの、話題が欧米の事例に集中し、アフリカ(さらに他の非欧米世界も)への言及がなされていない。これは、本書を通読した後、評者が最も不思議に思った点である。すでに紹介したように、著者はアフリカでの社会調査を通してアフリカ民衆の声に直接接する体験などをもっているわけであるが、その知見は第2章での議論に生かされなかったものであろうか。第5章「失われた確信と新たな試練」、終章「未完の民主主義」で、現在における民主主義の後退の様相、デジタル技術の進歩とも関わる未来への展望が、アフリカの事例をも踏まえながら語られていることからも、本書のなかでの第2章の特異性が目立つのである。

 最後はないものねだりの書評となってしまったが、そのことが本書全体の価値を下げるものでないことは、強調しておく必要があろう。グローバル・サウスの考え方や動向がさまざまな局面で注目されている今、アフリカを視野の中心に据えて、植民地支配下にあった歴史的背景を常に念頭に置きつつ、独立後の模索の過程から、冷戦終結に連動する「民主化」の様相を経て、21世紀の現在までの民主主義の変遷を論じる本書がもつ意味は大きい。著者は、あくまでも「民主主義の躓き」について議論しているわけであり、「躓き」から立ち直れば、民主主義の将来はまた開けるというのが基本的な展望であろう。ただそのためには、民主主義の状況を傍観する姿勢は許されない。「闘うしかないことを覚悟するところから希望の光が生まれる」(279)という本書を結ぶ一文の意味は重い。

(「世界史の眼」No.70)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする

松本通孝『一世界史教師として伝えたかったこと-「私の授業」-生徒とのキャッチボール-』(Mi&J企画)から学び、受け継ぐこと
米山宏史

 青山学院高等部で42年の長きにわたり世界史教育に携わり、その後、複数の大学で非常勤講師として社会科教員の育成に尽力した松本通孝氏が標記の書籍を上梓した。本書は同名の3冊目の著作であり、教員としての軌跡を振り返り、「HR通信」「世界史通信」を掲載して授業実践やクラス運営の努力や工夫を紹介するとともに、デジタル化時代の現在にふさわしい歴史の授業方法について、様々な提言を寄せている。本書の内容を紹介しながら、松本氏の歴史教育の業績から学び、継承すべきことを考えてみたい。本書の構成は以下の通りである。

はじめに
第1章 「私の授業」を振り返る-生徒・卒業生との対話-
 序
 その1 「チョーク&トーク」式授業は、役に立たなかったのか
 その2 先輩の諸先生方の実践から学んだこと
 その3 「私の授業」での工夫 略地図・略年表を利用した授業
 その4 生徒との対話①「HR通信」……担任と生徒とのキャッチボール
 その5 生徒との対話②「世界史通信」……授業での対話を目指して
 その6 毎日の授業での工夫と限界……臨機応変の対応、問いと史資料の活用 
第2章 「これからの授業」を展望する
 その1 「インタビュー」記事の補足 私にとっての歴史教育の原点
 その2 定年後の歴史教育との接点
 その3 これからの歴史教育に期待すること
執筆を終えて

 第1章の序では、40数名が在籍する教室で「チョーク&トーク」式授業を展開しながら常に生徒とのコミュニケーションを取ることを重視し、歴史を学ぶことは、面白く、暗記は必要なく、自分の頭で考え推論すること、縦の連関と横の連動、視角を変えると別の解釈が成り立つことなどの大切さを伝えてきたと述べ、講義式授業でも工夫しだいで生徒自身が思考する授業の試みが可能であることを紹介したいと語っている。

 つづく第1章では、6つの節を通じて、自身が中学・高校時代に経験した「チョーク&トーク」式授業を自分が教員としても続けてきたこと、授業の本質が教員-生徒間の対話である以上、この授業スタイルから学ぶことは尽きないこと、毎時の授業で色チョークで略地図を記入し空間的把握の大切さを強調したこと、随時刊行した「世界史通信」(2006年には年間60回の授業で36回刊行)に各学習テーマの略年表や「今週の授業のねらい」などの情報のほか、お勧めの美術館・博物館やテレビ番組・映画作品の案内、推薦図書などを載せ、また、それらに対する生徒の感想や意見を掲載し続け、授業の内外で生徒との対話を追求したことなどが詳述されている。

 第2章では、第1節で「インタビュー記録 歴史教育体験を聞く 松本通孝先生」(歴史教育史研究会編『歴史教育史研究』第20号、所収)が掲載され、小学校まで遡り、卒業論文など学生時代の学びをたどりながら松本氏の歴史教育者としての歩みが語られている。第2節では定年退職後、卒業生との読書会を立ち上げ(2018年5月開始、60回以上を開催、登録メンバーは50余名)、日本史を含む世界史の様々なテーマの学習活動を行っていること、学習ボランティアとして中高生の社会科学習のサポートに関わり、「生徒の立場から見た授業」を知り、中学校歴史的分野の教科書記述が詳しすぎること、生徒がタブレットの情報や教員が求める「正答」に縛られているとコメントしている。第3節では、歴史の授業の最大の問題点として、歴史の授業から何を学ぶか、そしてある程度の知識の定着を挙げ、さらに歴史を理解できるために知識、分析力、関連づけて考える力の重要性を指摘し、そのためにはアナログ的手法とデジタル的手法の対立ではなく両者のプラス面を最大限に生かした新しい手法が必要だと語っている。

 本書を通じて、松本氏の教員人生の歩みを理解し、氏の歴史教育の仕事から学び、継承したいことは多々あるが、とくに以下の6点に注目したい。その第1は、生徒(保護者・卒業生)との対話の重視とその実践である。氏の他者を尊重し、真摯に対話を行う姿勢は、現職の教員時代だけでなく定年退職後の学習ボランティアや卒業生との読書会でも首尾一貫している。とくに、授業を、教員から生徒への一方的な伝達ではなく教員と生徒との対話の場と位置づけ、それを追求してきたことは、氏の歴史教育論の核心として極めて重要である。そこには、氏が指針として学んだという鈴木亮氏ら先人の歴史教育者からの影響(授業は教員から生徒への問題提起であり、生徒と教員の学び合いの場である)がうかがわれる(鈴木『世界史学習の方法』岩崎書店、1977年)。

 第2に、対話の重視と並ぶ松本氏の教員人生の特徴は、生涯、探究心を持って学び続け、自己研鑽を重ねる姿勢である。それは、比較史・比較歴史教育研究会への参加や近現代史教育研究会の結成、世界史の教科書や辞典、『世界史史料』(歴史学研究会編、全12巻、岩波書店)をはじめとする様々な論考の執筆活動や編集作業に現れている。研究会での人との出会いや書籍からの豊かな学びが氏の教員としての力量を高め、授業方法の刷新・更新の契機になっている。

 第3に、教室を越えた生徒への学びの提供である。近年、働き方改革が社会問題となり、教員の長時間労働が問題視されているが、それに先立ち、氏は生徒の世界史への興味・関心の涵養をめざし、多くの時間と労力を費やして教科通信を精力的に発行し、教室を越えた生徒との世界史対話を実践した。「世界史通信」には教員からの情報提供だけでなく、多くの生徒からの投稿原稿が掲載されたことにより、教科通信が教員と生徒、生徒と生徒を結びつけ学び合いを作り出すことに成功した。また、毎月1回、放課後に若手教員と有志の生徒が集まり、その時々の歴史のテーマ(明治維新の諸改革と『夜明け前』に描かれた農村の変化の比較、ウィーン体制下のオーストリアの音楽家たちの活躍など)を語り合う「自主講座」は、教室空間を越えて生徒と教員が対等な立場で、人格的に触れ合い学び合う極めて優れた教育実践である。よく見られる風景である定期試験直前の補習や質問会ではなく、大学のサブゼミのように何らかのテクストの輪読会などを設け、生徒と教員の学び合いを恒常的に続けることができれば、非常に理想的な歴史実践となる。

 第4に、毎時の授業の中で、略地図と略年表の活用を重視したことを特記したい。世界史の学習では、今日の授業で扱うテーマがいつ、どこで生じた歴史的事象であるかという空間認識と時間認識の保障が単元を理解する前提となる。その点で氏が毎回、色チョークで略地図を板書し、生徒がそれを書き写す作業は、氏のおなじみの授業風景であるとともに生徒の「縦の連関と横の連動」の把握に資したに違いない。氏は、世界史学習における地図利用の重要性を吉田悟郎氏や鈴木亮氏から学んだと記している(吉田氏が提唱した「世界史の同時代的・全面的(全地域的)把握」の構想(吉田『歴史認識と世界史の論理』勁草書房、1970年)は、その後の世界史教科書の「○○世紀の時代」やグローバル・ヒストリーの歴史把握にもつながり、再評価に値する)。

 第5に、多様な世界史像や世界史の見方の追究が挙げられる。氏は比較史・比較歴史教育研究会への参加などを通じて、「自国史と世界史」「世界から見た日本、日本からの世界」という視点を獲得し、それを追究したほか、定年退職後に卒業生との読書会を立ち上げ、教会音楽史、アジアから見たヨーロッパ、日本の開国と連動する世界史、アメリカ合衆国の先住民政策や1920年代の人種差別など多岐にわたるテーマを学び合い、常に世界史認識を拡大・深化させ、更新している。松本氏の姿勢が示すように、世界史教育に携わる者は、世界史の研究動向に敏感であり、新しい研究潮流(グローバル・ヒストリー、パブリック・ヒストリー、ジェンダー史、地球環境・生命環境系の歴史、歴史の構築主義・構成主義など)を学ぶ必要がある(小川幸司「<私たち>の世界史へ」『岩波講座世界歴史01』岩波書店、2021年)。また、氏が歴史教育の方法論的仮説として探究した「自国史と世界史」とそれに先行する「世界史と日本史との統一的把握」(上原専禄が1957年に問題提起)は現在の「歴史総合」の授業づくりに役立ち、参照されるべきである。

 第6には、デジタル的手法とアナログ的手法の両立・併用という指摘である。グローバル化とともに社会のデジタル化が進行し、生徒が一人一台端末を所有・活用する現在、デジタル教材の利用は不可欠である。その際、デジタル教材か、アナログ教材かの二者択一ではなく、両者を併用した有効活用が現在の学校教育の実際の授業風景である。たとえば、中学校2年生の歴史の授業でホロコーストを学習する際、デジタル教材としてロイロノートのシンキングツールとアナログ教材として新聞や絵本が併用され、学習成果を上げている(原琴音「戦争と平和を考える-デジタル×アナログ教材での学び-」教育科学研究会編『教育』960号、2026年1月号)。

 戦後80年の今年(2025年)、松本氏の3冊目の『一世界史教師として伝えたかったこと』に接し、「伝えたかったこと」を受け止め応答したいという想いから本書の内容を紹介し、受け継ぐべき論点を提示した。氏のメッセージが今後の世界史教育に継承され、授業づくりに資することを願ってやまない。

(「世界史の眼」No.70)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする

世界史寸評
高市首相の台湾有事発言の時代錯誤性を批判する
油井大三郎

1.発端・・・2025年11月7日、高市首相は衆議院予算委員会の質疑で台湾に対する中国の軍事攻撃を日本の「存立危機事態」とする答弁を行った。それに対して中国側は「内政干渉」として激しく反発し、日中関係は一挙に険悪な状況に陥っている。この高市発言は、2015年に成立した安全保障法制に照らして法的に妥当するものなのか、また、米中関係の現状からして果たしてリアリティのある発言なのか、検証してみたい。

 高市首相の問題発言とは次のようなものである。「軍艦を使って、そして武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態にはなりうるケースであると私は考える」(『朝日』2025年11月19日)。

 ここでいう「存立危機事態」は、「武力攻撃事態等及び存立危機事態における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」の第二条4項でこう規定されている。「我が国と密接に関係のある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態」とされている。

2.法的問題点・・・この規定による「我が国と密接に関係のある他国」とは台湾危機の場合でいえば、米国であると考えられる。つまり、台湾が独立を宣言し、これに反対する中国が武力で介入したことに対して、米軍が台湾を擁護するために軍事介入した事態を日本の「存立危機事態」と解釈しているのである。

 この主張の第一の問題は、1972年に日中が国交回復した際の共同声明で、中国側が「台湾は中国の不可分の領土である」と表明したことに対して、日本側は「十分理解し、尊重する」と表明していたこととの関連である。つまり、日本政府は、中国本土との国交回復にあたり、台湾が中国に帰属するという「一つの中国」論を受け入れていたのであり、今さら台湾の独立支持論に転換するのは自らの公約に反することになる。

 関連して、日本では、ロシアのウクライナ侵略と中国の台湾への軍事攻撃を同類のものとして論じる向きがあるが、ウクライナは明確に独立国であるのに対し、台湾は「中国の一部」として日本は認めてきたので、この類推はそもそも成り立たない。むしろ、ウクライナ侵略によってロシアも多大な犠牲を被っている事態が中国に台湾に対する軍事侵攻を自制させる効果をもつと考える方が自然ではないだろうか。

 第二の問題点は、近年の台湾で実施された世論調査によると、当事者である台湾の人々の約6割は「現状維持」を希望しており、独立支持は3割にとどまる点である(南塚信吾ほか『軍事力で平和は守れるか』岩波書店。2023年、p.238)。台湾が独立を宣言すれば、中国の軍事介入を招き、最も大きな犠牲を被るのは台湾の人々であることを台湾の人々は十二分に予想しているがゆえにこのような結果が出ているのである。このような台湾の世論状況を無視して、台湾独立を前提にして軍事的危機を煽る議論を行うのは台湾危機を利用して日本の軍拡を推進する者のためにする議論と言わなければならない。

 第三の問題点は、台湾で軍事紛争が発生した場合に、米軍が軍事介入する可能性がどれだけあるのか、という点である。米国には台湾関係法(1979年制定)があり、台湾への「防御的武器供給」の規定はあるが、米軍の参戦規定はない。それ故、米軍が参戦する場合には、改めて米国議会に承認を得ることが必要になるが、この間のアフガニスタンやイラクでの「対テロ戦争」に嫌気がさしてきた議員たちが簡単に派兵を承認するか、疑問である。とくに、「アメリカ・ファースト」を主張するトランプ政権は、最近、経済的利害を重視して、対中接近を優先する外交を見せているだけに、台湾問題で対中戦争に踏み切る覚悟があるのか、はなはだ疑問である。この点は現在の東アジア情勢の検討から後により詳しく検討したい。

 第四に、「存立危機事態」は、日米安全保障条約で同盟関係にある米国が台湾危機に軍事介入した場合に発生するもので、米軍なしで日本だけ単独介入する根拠にはならない。高市発言はその点を曖昧にして、台湾危機があたかも日本「国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される事態」であるかのように主張するのは著しい飛躍といわなければならない。台湾の情勢がなぜ日本国民の生命や自由」などに危機を及ぼすのか、きちんと説明すべきである。

3.昨今の東アジア情勢から見た問題点・・・高市発言の前提には、台湾に中国が軍事介入した場合、米軍が台湾防衛のために軍事介入するということが自明のこととして考えられているが、その前提は昨今のトランプ政権の対中国政策の動向から妥当なものといえるのだろうか。

 この点に関する第一の問題は、2025年11月にホワイト・ハウスが発表した『国家安全保障戦略』文書との関連である。この文書では、「モンロー・ドクトリンのトランプ系論(Corollary)」として西半球を米国の安全保障に密接にかかわる地域として重視する姿勢を明確にして、勢力圏分割的な姿勢を明示している。また、インド太平洋地域に関しては、そこが世界の名目GDPの半分くらいを占める成長地域であることを指摘した上で「長期的に、米国の経済的・技術的優越性を維持する確実な道は大規模な軍事衝突を抑止し、防止すること」と明記している。その上で、台湾については、「軍事的な優位を維持することにより、台湾をめぐる紛争を抑止することが第一である。・・・米国は、台湾海峡の現状の一方的な変更支持しない」と述べている。

 また、他の所で、トランプ政権は、中国の市場開放をめざした、従来の対中政策が失敗だったと指摘し、「米国の経済的独立を回復するために、相互性や公平性を優先することにより、中国との経済関係をリバランスする」と主張し、そのためにも、「インド太平洋における戦争の抑止に、明確で絶えることのない焦点を当てる」ことを強調している。

 つまり、第二次トランプ政権は、何よりも中国との経済的な「リバランス」を追求し、インド太平洋における戦争の抑止を重視しているのであり、その前のバイデン政権と比較すると、中国とのイデオロギーや安全保障戦略上の対抗より、経済的な利害調整を重視する姿勢を強めている。

 その結果、10月9日には、中国が米国からの農産物輸入の代わりに、レアアースの供給停止を1年間停止する合意が成立した。また、10月末のアジア太平洋経済協力会議の折に行われた米中首脳会議では、半導体輸出関税を18ケ月間保留することで合意し、目下、米中間は関税戦争を停止して、歩み寄りの姿勢を見せているのである。そのような折に、台湾の軍事紛争に米軍が介入することを前提する「台湾有事論」を提起するというのは、全く東アジア情勢の展開を知らない情報オンチの発言か、または、意図的に東アジアの緊張激化を醸成しようとするためにする発言としか思えないのである。

 第二に、以上のような米中接近の現状との関連で、高市首相の「台湾有事」発言はトランプ政権にとっては不都合なものであり、11月25日には、トランプ大統領と高市首相の電話会談が米国からの要請で行われた。その場で、トランプは、前日に行われた習近平との電話会談で「米国側は中国にとっての台湾問題の重要性を理解する」と発言したことを高市に伝えたという。来年4月に習近平の訪米を予定している米中間では、米中対立を激化させる争点の浮上は避けたい意向が浮上しているのであり、それに逆らう高市発言はむしろトランプ政権からさえ警戒されるものであった。それが11月25日に日米の電話会談が急遽行われた理由であろう。

 トランプ大統領の発言には、一貫性がないので、この対中宥和姿勢が何時迄続くのか不確定な面があるが、少なくとも東アジア情勢の緊張緩和を促進する効果を持つのは確かだろう。この機会を利用して日中も緊張緩和を促進するのが日本にとっても利益になるのではないだろうか。しかも、10月30日にはやはりアジア太平洋経済協力会議の機会を利用して日中首脳会談が実現したのであるから、その機会を日中間の緊張緩和促進に持ってゆくべきだったのに、その1週間後に官僚の用意した答弁書にはなかった「台湾有事論」を個人プレイとして発言するとはどういうことであろうか。政治家としての情勢認識力を疑わざるを得ない。または、米中の緊張緩和に抵抗する対中強硬論者の「確信犯」的発言だったのか、心配になる発言であった。

 日本の世論調査では、高市発言を今のところ支持する世論が多いと聞くが、一時的な嫌中感情に流されず、法的や情勢論的な問題点を冷静に検討する姿勢が広まることを期待したい。

カテゴリー: 世界史寸評 | コメントする

世界史寸評
アジア世界史学会(AAWH)第六回ドーハ大会 参加記
吉嶺茂樹

 アジア世界史学会(AAWH)第6回大会は、2025年10月25-26日に、カタール国ドーハのドーハ大学院大学Doha Institute for Graduate Studiesにおいて、“ Gulf and the Globe”をテーマに開催されました。大会の概要と各パネルの詳細については、AAWHの下記URLから閲覧することができます。
https://www.theaawh.com

 今回の大会約一か月前の9月9日、ドーハ在住のハマス幹部に対するイスラエルのミサイル攻撃が行われたことは日本国内でも広くニュースになりました。この影響もあったのか、今回、対面での参加者はおよそ70名くらいでしたが、内容的には活発な討論が行われたと思っています。日本からの直行便も問題なく運行されていました。2009年5月に大阪大学で第一回の大会が開かれて以来、第六回のドーハ大会までのふり返りが最終セッションClosing Remarksで報告されました。2008年の Nankai Conference以来の研究会の歴史が写真入りで紹介されていたのが印象的でした。初代会長である、世界史研究所長南塚先生の写真も全体に紹介されました。

 今回の学会のテーマは、要項では、事前に次のような点が示されていました。

• Maritime Trade, Oil and a Diversified Economy
• Archaeology, Anthropology and Disease
• Political Ecology of Development in the 20th & 21st Century
• Politics of Nation in the Age of Globalisation
• Writing and Teaching of World History

 これまでのAAWH大会の中では、テーマの柱の一つとして、アジア各国の歴史教育の比較がテーマに取り上げられてきました。しかし、個人的な感想を述べれば、日本側が組織し私も参加した「歴史総合に関する歴史教育パネル」への参加は少数でした。日本の歴史教育が歴史総合必修化以降大きく変更されていることは私たち日本で歴史教育に当たっているものには大きな問題ですが、やはり日本の歴史教育に関する関心は、会場ではそれほど高いものではありませんでした。これは、会場が私たちのパネルだけ別会場であったということも理由にはなると思われますが、イスラム圏における歴史教育のあり方が様々な困難を抱えていることにも原因があると思われます。このことを、筆者はすでに以前の南塚先生主催の、”World History Teaching in Asia”Berkshire,2019にまとめられた研究会の中で、インドのSatyanarayana ADAPA先生から教示されていました。今回実際に会場の実務スタッフとして動いていた大学院生たちと議論するなかで、「歴史総合という新しい科目が日本では高等学校で必修科目として全員が学ぶ科目に創設された、私たちはそのことを議論に来ました」ということを述べましたが、スタッフの大学院生の中では、そもそも「教科書の中の歴史像を刷新する」ということの必要性をあまり感じていないということを知らされました。おそらくイスラム的な価値観と、歴史教科書の保守性という問題もあるのかと思われます。やはり日本は、彼らのようにイスラム圏で社会科学を研究する人たちにとって「少し遠い国」なのかもしれません。日本からは他にもジェンダー史パネルや高校大学双方での教育的なプログラムに関するパネルなど、日本側の参加者が大活躍でした。

 秋田茂前会長は、”GEOPOLITICS IN THE ASIA-PACIFIC REGION”と称する地政学のパネルなど、複数のパネル組織に始まり、司会進行など中心的なご活躍をされていました。この地政学のパネルは、1970年代前後の石油産業を中心とする国際的な貿易構造がどのように構成され、どのような構造を持ち、どのように解体していったのかを中心に分析する非常に刺激的な議論が行われたパネルでした。個人的にも、私の父が九州の石油販売会社に勤務しており、第一次オイルショックが中学生の時でしたので、眼の前で起きていたことの歴史的な意味を分析していただきました。他にも桃木至朗先生(日越大学教授)が1日目午後のKey Note Speechを行いました。逆に中華人民共和国、韓国からの参加者があまり見られなかったように思われます。さらにCovid19以降、オンラインでの会議が普通に行われるようになり、今回も多くのオンライン参加が見られました。筆者も前回のニューデリー大会ではオンラインでのパネル組織を行いました。オンラインでの接続や資料提示の問題は別にして、学会運営がこのようになってくると、対面で国際学会を行うことの意味が問われていくことになるかもしれません。筆者自身は2日間、ランチを共にしながらの会話から得られることも非常に多かったので、コーディネートは大変だと思われますが、今後もこのような対面での開催を検討していってほしいと思いました。

 私たちが組織したパネルは次のようなものでした。

Thema:Session 12 UNPACKING THE CHALLENGES OF JAPAN’S NEW HISTORY  EDUCATION  REFORM
パネルのオーガナイザーは徳原拓也さん(神奈川県立横浜国際高校)。

 報告者は荒井雅子さん(拓殖大学)の「学校史を用いることで生徒に歴史教育を身近なものとする」という前任の高校(立教大学新座中高等学校)での実践を通じた検討、徳原さんは教室の中でセンシティヴな課題を検討する際に、生徒に与える倫理的な葛藤の問題をどう考えるべきなのか、そして、矢景裕子さん(神戸大学付属中高等学校)が「歴史総合において使われる『私たち』とは誰なのか?」という課題を授業の中で検討し実践した結果が報告されました。私(吉嶺)は、現在国際バカロレアコースで担当している’IB History’と、日本の歴史総合教科書の間にある相違について、ナショナリズムと言う言葉と考え方がそれぞれの科目の教科書の中にどのような記述として現れているかを検討し、そのケーススタディとして北海道と沖縄の近代史を考えるという内容でした。この4本に対して、向正樹さん(同志社大学)と大西信行さん(中央大学)からの的確なコメントが行われました。向さんのコメントは、4人の報告者が描く世界史像というものが、それぞれどのように生徒の歴史認識像を変容させる可能性があるのかについてのものでした。大西さんのコメントは、日本の中世史研究を背景に、Covid19がよみがえらせた「日本史の中の中世的な伝統」を示すことで、社会の変容が歴史の記憶を呼び戻すことについての大変刺激的なコメントでした。

 1日目の最終セッションは、”From that Small Island“というドキュメンタリー番組の ディレクターズカット版上映会が1時間半にわたって行われました。このフィルムは、アイルランドという小さな島の古代から現代までの歴史を1時間半で振り返るというものでした。この監修をされ、番組にも進行役として登場するトリニティ・カレッジのJane Ohlmeyer先生によるコメントが行われました。大変興味深い内容でしたが、私の報告のテーマであるナショナリズムに引き付けていえば、「この小さな島から」というタイトルが示すように、アイルランドという小さい島から世界中に広がっていったケルト=アイルランド人が世界の各地でいかに活躍し偉大な成果をなしとげたのか、それは現代にどのようにつながっているのか、というストーリーを描いたものでした。そこではやはりアメリカの最初のアイルランド系カトリック大統領としてのケネディが賞賛されることとなります。会場で一緒に見た桃木先生の言葉と、「アジア世界史学会」という名称に引き付けていえば、ケネディとそのスタッフがのちにベトナムで何をしたのかが描かれていません。私は、北海道や沖縄で、明治政府が「内国植民地」化や「日本化」の過程で行ったこととの対比をしながら拝見しました。(でも、内容は大変面白く、映像としてもよくできていました。なお2025年11月19日水曜日の報道によれば、このフィルムはカリフォルニア・フィルムフェスティバルのドキュメンタリー賞を受賞したとのことです)。
From that Small Island wins documentary award at Californian film festival | Anglo Celt

 二日目の最後には、新しい会長として、南洋工科大学(シンガポール)のLiu Hong先生が紹介され、3年後の再会を約束して閉会しました。次の大会は順調にいけば3年後の2028年。アジア民族主義が台頭するきっかけとなった第一次大戦の集結から110年で、不戦条約と張作霖爆殺事件から100年となります。これから20年ほど、7回続く予定の大会で、AAWHは、アジアという場でのWWⅡとその記憶と向き合うことになります。その際にどのような議論が行われるべきなのか、さらに各国の中等教育での歴史学はこの課題とどのように向き合うべきなのか、アジア諸国との歴史の共有と共生はそもそも可能なのか…こういうことを考えながら、帰国の途につきました。

 

カテゴリー: 世界史寸評 | コメントする