2022年4月、この「世界史寸評」欄に、「国連地図のなかのチャゴス諸島」という記事を寄稿した。普通の地図でチャゴス諸島(イ)というようにイギリス領であることが示されているインド洋の島嶼が、国連地理空間情報セクションの作成にかかる地図ではチャゴス諸島(モーリシャス)Chagos Archipelago (Mauri)と記されており、モーリシャスに帰属することになっているということを、その記事では指摘した。
問題の経緯を改めて簡単に紹介しておこう。
現在インド洋の米軍基地所在地として知られるディエゴガルシアを含むチャゴス諸島は、1960年代まで英領モーリシャスの一部としてイギリス帝国に属していた。冷戦の進行下、インド洋で軍事基地を作ろうとした米国は、この島に眼をつけた。脱植民地化が進み、モーリシャスの独立も予定されるなかで、チャゴス諸島の帰属をそのままにしてモーリシャスの独立が実現すると、イギリスが島の利用を米国に許す権限がなくなってしまうため、英米両政府は共謀して、モーリシャスの独立以前にチャゴス諸島を切り離し、新たなイギリス領土(英領インド洋地域)とすることにした。こうした過程を経て、ディエゴガルシアは米国に貸与されたのである。それに伴って、チャゴス諸島の住民はすべて放逐され、モーリシャスなどで困難な生活を強いられることとなった。
その後、住民たちの島への帰還要請は、イギリス政府によって拒まれつづけてきた。一方、独立時のチャゴス諸島切り離しは自国の独立を不完全なものにしたとして、チャゴス諸島の主権移譲を求めてモーリシャス政府が国連に行った提訴は、国際司法裁判所の判断を経て、2019年5月の国連総会における、イギリスによる統治の終結を求める決議につながった。それが前稿で紹介した地図での帰属表記となったのである。
しかし、これはあくまで地図記載上の変化であり、それ自体興味深くはあるものの、実際に主権移譲が行われていたわけではない。外交上の変化が生じたのはその後で、2022年11月にイギリス政府が、チャゴス諸島の主権帰属をめぐる交渉をモーリシャス政府との間で始めたことを公表したのである。この交渉がどのように進んでいるか、当該問題に関心を抱き続けてきた筆者も気にかかっていたが、情報は全く入ってこなかった。今年(2024年)初めには、イギリスのデイヴィド・キャメロン外相(かつての首相経験者)が、主権帰属にからむ住民の帰還問題について、彼らの再定住はありえないという発言を行うといったこともあり、交渉は進展していないのではないかと思っていた。
ところが、今年10月3日に、イギリス政府とモーリシャス政府の間で、チャゴス諸島をモーリシャスに引き渡すという合意が成立したことが、突如発表された。このことの背後に、今年の総選挙での労働党大勝の結果として7月に労働党内閣が誕生したという変化が存在したことは確かであろう。この過程の詳細はまだ明らかでないが、脱植民地化過程での異常事態をめぐる国際社会の健全な判断がイギリス政府の動きに大きく影響したことの結果と見ることができる。
この合意で注目すべき点は、ディエゴガルシアについてはイギリスが引き続き主権を行使することが99年間保証され、その間における基地の存続も保証されていることである。住民が帰還できるのもディエゴガルシアを除く他の島々であり、かつて最大多数の人々が居住していた同島への帰還は、この合意によっても実現しない。合意の形成に際しては、米国の承認が必要であったはずであり、基地の存続が米政府にとって譲れない条件だったであろうことは容易に想像できる。
こうした内容の合意をめぐって、英議会でのチャゴス諸島問題をめぐる全党派議員グループのとりまとめを行ってきた元外交官のデイヴィド・スノクセル氏は、筆者への私信のなかで、「英領インド洋地域が解消し、モーリシャスは領土を取り戻し、チャゴス諸島民は外域の島々に戻れるようになり、国連や国際社会におけるイギリスの立場が回復する」取り決めとして大歓迎する、と書いてきた。
一方、チャゴス島民が作っている最大の団体である「チャゴス難民委員会」は、合意の成立を歓迎しつつも、ディエゴガルシアへの住民帰還が是非とも必要であるとし、当事者である自分たちがこれまでの交渉から排除されてきたことを批判し、今後の正式の条約締結に至る過程への参加を求めている。筆者としては、ディエゴガルシア軍事基地そのものの存続を問題にし続けていくことが必要であると思うが(チャゴス島民たちの多くは、基地の存続は致し方ないものとして認めている)、同島が基地として使われ続けるとしても、現に島外から来た多くの労働者がそこで働いていることを考えれば、かつての島民の帰島を妨げる絶対的な理由はないはずである。この点の進展があるかどうかは、注視していく必要があろう。
(「世界史の眼」No.56)