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世界史寸評
参政党の歴史観を考える(その2)―「南京事件は捏造」なのか

 2025年10月3日の『毎日新聞』デジタル版は、“「南京事件は捏造」と主張する参院議員 研究者が鳴らす警鐘とは”と題する記事を載せた。矢野大輝記者によるこの記事は、「今夏の参院選で、旧日本軍が1937年に中国・南京を占領後、捕虜や民間人を殺りくした南京事件(南京大虐殺)を「捏造(ねつぞう)」「フィクション」と主張する候補が当選した」ことを問題として取り上げたものである。

 南京事件は、日中戦争で上海を攻略した旧日本軍が、中国国民党政府の首都・南京を陥落させた1937年12月~38年3月に、南京の都市部や農村部で中国兵捕虜や住民らを殺害し、強姦などを重ねた事件を指すが、これを「捏造」とする者が当選したというのである。

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 記事によれば、8月8日に「ユーチューブ」にアップされた教育研究者の藤岡信勝氏との対談で、参院選で初当選した参政党の初鹿野(はじかの)裕樹氏=神奈川選挙区=が「南京事件は捏造」だと主張し、隣に座った参政党の神谷宗幣代表も、南京事件は「もうすっかり日本軍の罪にされて」と付け加えたという。初鹿野氏は、南京事件で殺されたという人たちの「(遺)骨もどこにあるか分からないし、証拠だという写真も全部捏造。何も証拠もないような状況で、あったと断定するにはおかしいのではないか」と言ったという。実は、初鹿野氏はX(ツイッター)でもすでに6月18日に「南京大虐殺が本当にあったと信じている人がまだいるのかと思うと残念でならない」と投稿しているという。

 初鹿野氏が南京事件を否定している根拠の一つが、南京市の人口である。上の「ユーチューブ」では、旧日本軍が侵攻した37年12月にそれは「20万人」で、2カ月後には「25万人に増えている」とし、「30万人も40万人も人が亡くなっていることはない」と主張している。さらに『毎日新聞』が初鹿野氏に送った質問状への回答では、この人口について、事件当時南京在住の外国人で組織した南京安全区国際委員会が作成した文書群「DOCUMENTS OF THE NANKING SAFETY ZONE」(39年出版)を根拠として示したという。加えて、南京事件を否定している別の根拠として、写真も「南京事件の揺るぎない証拠として認定されたものはない」し、南京事件の目撃者や1次資料について「中立性のある第三者による有効なものがない」と回答したという。その上で、「歴史教科書のほぼすべてが南京事件があったという前提で書かれていることが問題と捉えている」と指摘したという。

 記事は、日本保守党から比例代表で出馬し初当選した作家の百田尚樹氏も、南京事件について組織的、計画的な住民虐殺はなかったとしていることを、想起している。かれの著書『日本国紀』(2021年、文庫版)では「占領後に捕虜の殺害があったのは事実」で、「一部で日本兵による殺人事件や強姦(ごうかん)事件はあった」と認める一方、「民間人を大量虐殺した証拠はない」と主張している。その根拠の一つとして、同じく人口問題を取り上げて、「南京安全区国際委員会の人口調査によれば、占領される直前の南京市民は約20万人」とし、「『30万人の大虐殺』が起きたという話がありますが、これはフィクションです」と記しているというのである。

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 『毎日新聞』の記事は、このような主張に対する歴史家たちの批判をあげている。

 まず、南京事件の研究者で現代史家の秦郁彦氏は、虐殺があったと裏付ける証拠写真の特定は難しいとしつつ「(証拠)写真がないからといって南京事件がなかったとはならない」と言う。その理由として、当時の旧日本軍の戦闘詳報や外務省東亜局長が日本軍の不法行為を日記に書きとめていたことを挙げ、初鹿野氏の主張について「根拠が乏しい。ある程度の規模の民間人の虐殺があったことは否定できない」と批判したという。

 次に、同じく南京事件について研究する都留文科大学の笠原十九司(とくし)氏は、初鹿野氏と百田氏が持ち出す「人口」の根拠を、もっと実証的に「間違っている」と指摘しているという。

 笠原氏によると、南京市内に「占領前に20万人」いたという資料はなく、南京市政府の調査では占領直前の人口は50万人だったと記載されている。笠原氏は、初鹿野氏と百田氏が持ち出す「20万人」という数字は、南京安全区国際委員会で委員長を務めたドイツ人がヒトラーに宛てた手紙の中に出てくるものだが、これは市内の安全区に避難すると見込まれた人数の推計で「南京市の人口ではない」という。笠原氏は、占領2カ月後に「25万人に増えている」という主張についても否定する。旧日本軍がその頃に中国軍の敗残兵を見つけ出す目的で実施した住民登録で南京城内の住民は、安全区に20万人、その他の地域に5万人いたことを示す資料はあるが、南京市の占領直前の人口が50万人だったことを考えると「増えた」とする根拠にはならないという。

 なお、笠原氏は、その著書『南京事件』(岩波新書 1997年)において、南京事件を史実をもって跡付けており、外国人ジャーナリストや外国大使館員らが事件を報じていることも示している。さらに氏の『南京事件 新版』(岩波新書 2025年)は、関係者の証言をさらに加え、写真も載せ、そして南京事件の犠牲者の総数についてデータをもって証明している。

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 最後に『毎日新聞』の記事は、被害者数については日中の研究者で開きがあるものの、事件そのものは日本政府も認めていると指摘する。外務省はホームページに「日本政府としては、日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できない」との見解を掲載している。

 また、日中両国政府による「日中歴史共同研究」の日本側の報告書(10年)には「日本軍による捕虜、敗残兵、便衣兵、及び一部の市民に対して集団的、個別的な虐殺事件が発生し、強姦、略奪や放火も頻発した」と記載されていて、死者数は、中国側の見解が「30万人以上」、日本側の研究では「20万人を上限として、4万人、2万人などさまざまな推計がなされている」としている。

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 記事の中で、笠原氏は、世界各地で戦争が今も絶えず日本でも防衛費が増額していることに触れ、「南京大虐殺の基礎知識や日本の侵略戦争がいかに残酷で無謀だったかということを知らない世代も増えてきている。デマに流されず、事実を見つめてきちんと反省しないと、日本は戦争という同じ過ちを繰り返すことになる」と述べている。記事は、戦後80年を迎え戦争の記憶が薄らぐ中、歴史研究者は「史実を見つめないと、また同じ過ちを繰り返すことになる」と「良識の府」(参議院)の担い手に警鐘を鳴らしていると、指摘している。これは「良識の府」だけの問題ではないであろう。

(南塚信吾)

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「ガザ」とアメリカ歴史学会―P.マニングからのメールに思う

 わたしたちが出した『世界史の中の「ガザ戦争」』(大月書店)を、先日、アメリカのピッツバーグ大学のパトリック・マニングに届けた。マニングは、この本に国際連合の改革についての論稿を載せてくれた歴史家で、アメリカの内外で「世界史」を先導していることで知られている。

 この本をかれに送るについてはひと騒ぎがあった。9月に始め、日本からアメリカの彼に本を送ろうと郵便局へ行ったところ、この本は金額的にも本の目的としても問題ないはずであるが、いまトランプ関税の影響で通関業務が混乱していて、本がいつ着くか分からないし、無事に着くかも分からない、その場合には本は戻ってくるが、郵送料は帰ってこないと言われた。だから、1か月ぐらいは様子を見た方がいいというのであった。途方に暮れていたところ、たまたまわたしの息子が9月に末にワシントンへ仕事で行くというので、かれに本2冊を預けて、ワシントンで郵送してもらうことにした。それで無事にマニングに本が届いたのであった。

 さて、本を受け取ったマニングから早速メールで本2冊の安着を知らせてきた。そして、こう書いてきた。

  1. 本の1冊をピッツバーグ大学の世界史センターのセンター長であるラージャ・アダルRaja Adalに渡そう。かれは日本史の専門家で日本語もできる。かれに言って、日本語をできて、ガザ危機に関心を持っている人たちに、この本の事を広めてもらうつもりだ。
    ―マニングは2008年にピッツバーグ大学の世界史センターを創設した人物で、わたしもその最初の研究員として招聘され、4か月を過ごしたことがある。
  2. アメリカ歴史学会American Historical Association (AHA)の中に、ガザに関心を持って非常にアクティヴに活動している「平和と民主主義を求める歴史家集団」Historians for Peace and Democracy (HPAD)というのがあるので、そこに書簡を送って、今回の本のことを知らせ、日本語ができる歴史家たちに接触してこの本を探して読むように勧めるつもりだ。ついでに言うと、アメリカ歴史学会(AHA)は、2025年の総会においてガザでの「学校潰し」”scholasticide”についての決議を拒否していたが、最近HPADのリーダーたちに接近し、ガザに関する委員会をAHAに設けることで一致した。最近、われわれは、この重要な問題について、少しずつではあるけど、前進しているのだ。
    ―この「学校潰し」についての決議をめぐる問題というのは以下のようである。2025年1月5日にAHAの実務者会議business meetingが、「ガザでの学校潰しに反対する決議」を出していた。イスラエルがガザであらゆる教育機関を攻撃してそれを潰していたことに反対する決議である。決議はイスラエルのジェノサイドとアメリカのそれへの支援を非難するものであった。しかし、1月17日のAHA評議会はその決議を否決した。それは教育と研究というAHAの学術的な目的を規定したAHA規約の枠外にあるものだからというのであった。ところが、そのようなAHA指導部の姿勢が最近変化したというのである。マニングは2016-2017年にAHAの会長をしていたから、このようなAHAの変化にホッとしたことであろう。(詳しくは、The American Historical Association Council Betrayed its Members and the People of Gaza – Left Voice

 このように、マニングのメールからは、ガザへの関心を広めようという動きが細々と進められていること、そしてアメリカにおけるガザ問題が歴史家のあいだに竜巻を引き起こしていることを垣間見ることができるのである。

(南塚信吾)

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参政党の歴史観を考える

 参政党は「日本人ファースト」などという借り物のスローガンで選挙民を引き付けたが、われわれはその考え方の基本となく歴史観をしっかりと把握しておく必要がある。参政党の歴史観を知るうえで参考になるのが、2025年7月19日の毎日新聞に出た日本近現代史家の山田朗さんのインタヴュー記事(栗原俊雄氏による)である。それは、《参政党の歴史観を「面白い」に危機感 史実無視した演説、歴史学者は》と題されていて、1930年代からの日本の戦争についての参政党代表の考えを批判的に論じたものである。

●治安維持法

 参政党は戦前の日本の政治体制について、どう考えているのか。神谷代表は、鹿児島市での7月12日の街頭演説で、1925年成立の治安維持法を巡り、こう語っていた。

<日本も共産主義がはびこらないように治安維持法って作ったんでしょ。(中略)悪法だ、悪法だっていうけど、それは共産主義者にとっては悪法でしょうね。共産主義を取り締まるためのものですから。だって彼らは皇室のことを天皇制と呼び、それを打倒してですね、日本の国体を変えようとしていたからです>

 これに対して、山田さんは、治安維持法というのは、「共産主義取り締まりを名目として『国体変革』を目指すとされたさまざまな反政府運動・思想を弾圧した」としたうえで、「朝鮮などでは独立運動家も治安維持法によって厳しく取り締まりを受けている。国内でも次第に自由主義者に弾圧が拡大された」と指摘した。つまり、治安維持法は、共産主義だけでなく広く思想や言論の自由を弾圧する法律であったと指摘した。

このような法律を駆使して、戦前の日本の支配層は日本が戦争へ進む歯止めをはずして行ったのである。

●日中戦争

 神谷代表は6月23日に、那覇市での街頭演説で、1931年の満州事変に始まる日中戦争についてこう語っていた。

<(日本は)中国大陸の土地なんか求めてないわけですよ。日本軍が中国大陸に侵略していったのはうそです。違います。中国側がテロ工作をしてくるから、自衛戦争としてどんどんどんどん行くわけですよ>

 満洲を侵略し支配していた日本の関東軍に対して、中国側が起こした抵抗を「テロ」と断定していたわけである。山田さんは「日中戦争は、近代日本の膨張主義の結果であり、とりわけ満州事変(1931年)を成功事例とみなした結果の侵略行為だった」と指摘した。さらに「日本には中国への勢力拡張を目指す勢力とそれを支持する人たちがいて、その結果が満州事変と満州国建国(32年)だった。そして満州国を足がかりに中国華北にさらに勢力を拡張しようとして『華北分離工作』を行っていた。その最中に起きたのが盧溝橋事件(37年)だった」と述べて、満州事変以後の日本軍の対中侵略戦争を「自衛戦争」とする見方を否定した。

●太平洋戦争

 神谷代表は、同じ演説で1941年からの太平洋戦争についても次のように述べていた。

<大東亜戦争は日本が仕掛けた戦争ではありません。真珠湾攻撃で始まったものではありません。日本が当時、東条英機さんが首相でしたけど、東条英機を中心に外交で何をしようとしてたかというと、アメリカと戦争をしないことです。そして、中国と和平を結ぶ。当時、中国ってないですけどね、支那の軍閥、蔣介石や毛沢東、張学良、ああいった人たちと、いかに戦争を終わらせるか、ということをやるんだけど、とにかく戦争しよう戦争しようとする人たちがいるわけですよ。今も昔も>

 毎日新聞は、日米開戦に至る経緯を次のように振り返っている。「日中戦争は欧米諸国が中国側を支援したこともあり、泥沼化した。さらに、日本は40年、米国の同盟国である英国と戦っていたドイツ、イタリアと三国同盟を結んだことから、英米との関係が悪化した。近衛文麿首相はルーズベルト米大統領との直接会談を模索するなどしたが、かなわなかった。鍵は米国が求めていた、中国からの日本軍撤兵だった。しかし東条英機陸相らが強硬に反対。近衛内閣は総辞職した。代わって誕生したのが東条内閣だ。」と。事実関係は、このとおりである。

 戻って、参政党代表の主張に対して、山田さんは「日米交渉の中で、米国が日本軍の中国からの撤退を要求すると、東条を中心とする陸軍が『日中戦争の成果を無にすることはできない』と主張し、英米との戦争に踏み切った」と反論したのだった。

●開戦

 神谷代表は、鹿児島市での7月12日の街頭演説で、太平洋戦争が始まった経緯についても、次のように述べていた。

<(共産主義者は国体を)自分たちだけでは変えられなかった。彼らは何をしようとしたか。政府の中枢に共産主義者とかを送り込んでいくんですね。スパイを送り込んでいくんですね。そして日本がロシアや中国、アメリカ、そういったところと戦争をするように仕向けていったんです。ロシアとされると困るんです。旧ソ連ですね、ソ連は共産主義だから。じゃあアメリカやイギリス、そのバックアップを受けている中国とぶつけよう。それで日本は戦争に追い込まれていったという事実もありますよね。教科書に書いてないですよ。なぜか。戦後の教科書は、彼らがチェックしてきたからです。こういうことをちゃんと、国民の常識にしないといけない>

 こうした歴史認識について、山田さんは「戦争は『共産主義者』の陰謀という見方は、戦前から存在する典型的な陰謀史観。事実認識としては全く誤っている」と指摘する。

 神谷代表は、こういう歴史観をどこから仕入れてきたのだろう。上の「陰謀史観」を事実でもって証明した議論を聞きたいものである。

●ユダヤ系国際金融資本

 毎日新聞は、神谷代表の演説の背後を探ろうと、彼の編著による「参政党Q&Aブック 基礎編」(2022年)に当たっている。そこでは、「ユダヤ系の国際金融資本を中心とする複数の組織」を「あの勢力」と呼び、太平洋戦争が起きたのは日本が「あの勢力」に逆らったためとする説を主張しているという。

 これに対し山田さんは、「(戦争は)『ユダヤ系金融資本』の陰謀とする見方も、世界に広く流布している典型的な陰謀論『ディープステート』論の一つ。実態はないが、人々にそのようなものが存在しているかもしれないと思わせ、被害者意識を膨らませ扇動する政治的手法だ」と批判した。

 当然ながら、なぜ、こうした「陰謀論」が公然と語られ、また、影響力を持ち続けるのかという疑問がわいてくる。これに対して、山田さんは、「真面目な歴史学者や地道なジャーナリズムの成果が、出版や教育を通じて一般化されておらず、歴史的事実を無視した極端な議論が『面白い』『新しい』と受け取られてしまう状態が広がってしまっている。戦後80年の節目に、こうした状態を転換したい」と話したという。このような山田さんの危機感をわれわれはどう受け止めていくべきであろうか。真剣に考えなくてはならないであろう。

(文責 南塚)

 

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広島原爆投下直後の米軍メモ―国家安全保障アーカイブの新公表資料から
木畑洋一

 国家安全保障アーカイブ(The National Security Archive:NSA)は、1985年に米国のワシントンにあるジョージ・ワシントン大学で創設された民間組織であり、情報公開制度を用いて米国政府資料の発掘を積極的に行うなど、世界現代史に関わる資料の収集につとめ、それを公開する活動を展開してきている。そのNSAが日本への原爆投下に着目したのが、投下後60年目に当たる2005年であり、それ以降、この問題に関わる資料を公開してきている。投下後80年目の今年(2025年)にも、新たな資料の発掘・公開が行われているが、そのなかに、広島への原爆投下直後で長崎にはまだ投下されていない8月8日に、テニアン島(原爆を投下したエノラ・ゲイの出発地)の米空軍所属の誰か(人物の特定はできていない)がまとめた、原爆投下状況に関するメモが含まれている。きわめて興味深いメモであるため、その概要を紹介してみたい。

 なお、このメモは、Library of Congress Manuscript Division, Henry Arnold Papers, box 5, Chron Correspondence にあるもので、NSAの公開にかかるurlは以下である。

https://nsarchive.gwu.edu/document/33330-doc-71a-headquarters-20th-air-force-telecon-fn-08-21-comgenaaf-20-c0mgenustaff-rear

 以下は5頁強にわたるこのメモの骨子である。

 広島について今いえることは、Hiroshima is no more という4語で足りる。広島は、最大級の地震によるよりもさらに壊滅的な形で、地図から消し去られたのだ。火事の徴はないが、それは燃えるものが何も残らないような形で、核の力がすべてを粉砕したためである。

 爆発によるクレイターも存在しないが、それはそうした穴を残さないようにした爆弾投下計画の結果である。

 広島の人口は334000人である。その内、完全に破壊された地域に住んでいる20万人以上が命を失ったと考えられるが、最も控えめに推定しても、少なくとも10万人が「すでに負けたと知っている戦いを続けることにこだわった軍事指導者の犠牲」になった。彼らが米国などによる条件[ポツダム宣言]を受け入れない限り、近い将来、広島の何倍にも上る犠牲者が出ることになるだろう。

 8月6日に用いられた原爆のエネルギーは理論上TNT火薬100万トンに相当するが、現行知識の限界から、実際に用いることができたエネルギーはTNT火薬8000トンから2万トンに限られた。それでも、人間が作った武器としては最大の爆発力である。

 原爆投下の5時間後に行った偵察飛行によると、広島市の上空は爆発による雲に覆われたままだった。7月にニューメキシコで行われた実験の際には、5時間後に雲は消失したので、広島での爆発力がはるかに大きかったことが分る。これは、空爆の体験豊富な飛行士が誰も経験したことがなかった事態である。

 原爆を投下したエノラ・ゲイの機長ポール・ティベッツ大佐は、支給されていた色眼鏡をかけるのを忘れていて、まぶしさのために眼が見えなくなったと語っている。「眼の前が完全に真っ白になってしまった」のだ。

 同じくエノラ・ゲイに搭乗していた[副機長]ロバート・A・ルイス大尉は、「町のその部分は引き裂かれてしまったように見えた」と言い、「そんなものはこれまで見たことがなかった」という言葉を繰り返した。「[投下の]結果を見ようと機首を戻したところ、眼の前にあらわれたのは見たこともないような爆発だった。市の9割は煙に包まれ、それは3分もしない内に3万フィートの高さに達した。それは予想をはるかに超えていた。恐ろしいことが起こりそうだとは思っていたものの、実際に眼にしてみると、我々は皆、25世紀の未来の戦いを描いた映画バック・ロジャーズ[1939年に公開された映画]の戦士であるかのように感じたのだ。」

 原爆の開発にも関わり、エノラ・ゲイに搭乗していたウィリアム・S・パーソンズ大尉も、「ひどい光景」だったと述べる。「きのこ雲の下の方では直径3マイルにわたって紫がかった灰色のちり状の物体が煮えくりかえっていた。全地域が煮えくりかえっていたのだ。」「きのこ雲の頂上部分から大きな白い雲が離れて上昇していった。2番目の白い雲も空中に昇り最初の雲を追いかけていった。きのこ雲のてっぺんも煮えくりかえっていた。」「もしジャップが、隕石に打たれたと言ったりすれば、我々は、この爆弾の出発点にはこれがもっとあるのだと答えることになろう。」

 この間、この基地では、日本がポツダム宣言を受け入れなければさらなる攻撃にさらされることになると日本の軍部指導者を説得するための努力が払われ、これから36時間以内に「日本の人々」に宛てて投下される予定のビラの文言として次のようなものが考えられている。

我々が新たに開発した原子爆弾は2000機のB29に匹敵する爆発力をもつ。それに疑いをもつなら、広島で何が起こったか調べてみるといい。この爆弾を使って軍の資源を全滅させる前に、戦争を終わらせることをあなた方が天皇に請願するよう求めたい。今軍事的抵抗をやめなければ、戦争を速やかに無理矢理にでも終わらせるため、我々はこの爆弾や他のすぐれた武器を使っていくことになる。

 いうまでもなく、このメモが書かれた翌日の8月9日、同じテニアン島を飛び立った航空隊によって、長崎に二つ目の原爆が投下されたのである。

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アメリカのイラン攻撃をどう考えるか―主要新聞の社説から―
南塚信吾

 2025年6月21日、アメリカが突然イランの核施設3か所を攻撃した。イスラエルに続いてアメリカがイラン攻撃に参戦したわけである。この問題をめぐって、ネット上に登場した日本の主要新聞の「社説」「主張」を比較点検してみた。比較したのは、日本経済新聞6月22日社説、読売新聞、産経新聞、朝日新聞、毎日新聞、信濃毎日新聞、東京新聞、北海道新聞、神戸新聞の各6月23日社説・主張である。すでに、イスラエルのイラン攻撃についての各紙の社説などは、比較して検討してみたが、それを受け継いで、アメリカのイラン攻撃についての社説などを検討しようというのである。なるべく重複は避けるようにしてみた。

 論点は多岐にわたるが、以下では主なものについてのみ、検討の対象としている。

1.国連憲章との関係について

(1)アメリカのイラン攻撃が国連憲章と国際法への明白な「違反」「暴挙」であると厳しく批判しているのは、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、東京新聞、信濃毎日新聞、北海道新聞、神戸新聞、赤旗である。
 例えば、北海道新聞は、「最大限に非難する」とし、毎日新聞は、「ルールや手続きを一切度外視し、思いのままに他国の領土を攻撃するトランプ氏の行動は、道理に反し、看過できない」とし、朝日新聞は、「法の支配」の揺らぎは深刻だと警戒している。東京新聞は、「米政権は4月以降、核開発を進めるイランとの交渉を続け、軍事介入とは距離を置いてきたが、イスラエルのイラン攻撃を受けて、攻撃を準備しつつ、イランに無条件降伏を迫る姿勢に転換した」として、イラン攻撃の根拠の曖昧さを突いた。

(2)これに対し、読売新聞、産経新聞は、アメリカの攻撃は国連憲章への違反だという批判はしていない。読売新聞は、「国連憲章や国際法に違反している」というのは、イランの主張だという。では、イスラエルの攻撃にどういう正当な理由があるというのだろう。読売新聞は、「ウクライナやパレスチナ自治区ガザでの停戦はめどが立たず、イランとの核交渉も行き詰まっていた。外交で実績が乏しい中、トランプ氏は成果を急いでイラン攻撃を決断した」とするだけで、正当な理由は示していない。
 産経新聞は、アメリカは「核武装を阻止するとしてイランを攻撃中のイスラエルに加勢した」のであり、「核兵器級の90%へ近づく行動で、イスラエルなどがイランは短期間で核兵器を生産できると危機感を強めたのは当然だろう。」とする。
 両紙とも、国際法上の理由は示していない。この論理では、自国の都合や判断で、いつでも他国を武力攻撃できることになる。

(3)この問題は「自衛権」の有無に関係している。一主権国家が他の主権国家を武力攻撃するというのは、国連憲章に認められた「自衛権」の行使以外にはありえないわけであるが、アメリカがイランのために自国の危機が差し迫っているわけではないので「自衛」ということは当てはまらないというのが、朝日新聞、毎日新聞、日経新聞などの主張である。
 毎日新聞は、「国際法上、他国への武力行使が認められるのは、自衛権の行使か国連安全保障理事会の決議がある場合に限定されている。自衛権の行使は、攻撃を受けた後に反撃する場合や、差し迫った脅威があることが前提となるが、いずれにも当たらない。」と厳しい。したがって、「国連のグテレス事務総長が「深刻な懸念」を示し、「世界の平和と安全に対する直接的な脅威だ」と警告したのは、当然だろうという。
 朝日新聞も、アメリカの攻撃は、「自衛権の行使を例外に紛争の武力解決を禁じた国連憲章に反する。グテーレス国連事務総長が「国際の平和と安全に対する直接的な脅威だ」と批判したのは当然だと言う。 
 日本経済新聞も、「国連憲章は武力行使を原則として禁じる。例外として自衛権の行使を認めるが、米国に正当化できる差し迫った脅威があるのだろうか。軍事介入を認める国連安全保障理事会決議も得ていない。」と批判する。
 6月15日から6月17日に開かれたカナダでの主要7カ国首脳会議(G7会議)nには期待する面もあったが、その共同声明は米国への配慮からイスラエルの自衛権を支持したのだった。東京新聞は、「誤りは明白だ」と厳しく批判した。そして、「米国の軍事行動を厳しく非難し、国際秩序を守る決意の言葉を発するよう求める」と強い論調を張った。
 これら各紙は、イスラエルについてさえ、そのような自衛権は認められないとしていたわけであるから、ましてアメリカについては、自衛権などは問題外だということである。
 一方、読売新聞の議論では、アメリカは、イスラエルの「自衛権の行使」を認め、自らはイスラエルに加担したのだと、説明している。産経新聞は、自衛権の問題にはまったく触れていない。
 この問題は、さらにイランの核開発の評価に関係している。

2.イランの核兵器開発について

(1)朝日新聞、日本経済新聞、東京新聞、北海道新聞、神戸新聞は、イランの核開発が核兵器の保有近くにまで進んでいたからと言って、アメリカが攻撃したことは非難すべきだとしている。とくに日本経済新聞、東京新聞、神戸新聞は、アメリカはイランが核を保有しているという「根拠」を示すべきだと主張している。
 この問題では、日本経済新聞が厳しい姿勢を取っている。同紙は、国際原子力機関(IAEA)のグロッシ事務局長は、イランの核兵器開発に向けた組織的取り組みの証拠はないとしていたことを指摘し、イランが核兵器を持っているという「根拠はあやふやだ」と批判する。東京新聞も、イランの核兵器製造の「証拠がない」と指摘する。
 日本経済新聞は、ギャバード米国家情報長官が3月時点で、イランは核兵器を製造していないとの見解を示していたのに、トランプ氏がその分析を否定すると、同氏と足並みをそろえて説明を翻したとして、トランプの圧力を示唆する。同じく、朝日新聞も、アメリカの情報局長がイランの核保有を否定しているのに、トランプがそれは嘘だと否定した件を取り上げている。
 以上の新聞や赤旗は、すべて2003年にアメリカのブッシュ大統領がイラクを攻撃した時、イラクが大量破壊兵器を持っていると主張して攻撃したが、のちにイラクは大量破壊兵器を持っていなかったことが判明したことを引き合いに出して、その轍を踏まないよう警告していた。例えば、「2003年のイラク戦争の教訓を米国は忘れてしまったのか」と、日本経済新聞は驚きを隠さない。イラク攻撃のときも安保理決議はなかったが、パウエル米国務長官が安保理で報告するなど一定の手続きを踏む姿勢をみせた。それに比べ、トランプ政権は軍事介入につき国連安全保障理事会に報告さえしようとしていないという。毎日新聞も同様の主張である。

(2)これに対して、読売新聞と産経新聞は違った議論をしている。産経新聞は、イランの核武装を前提にして、アメリカはイランの核武装を阻止するためにイスラエルに加勢したのだとし、イランは速やかに核兵器を放棄すべきだと主張する。「核兵器級の90%へ近づく行動で、イスラエルなどがイランは短期間で核兵器を生産できると危機感を強めたのは当然だろう。」「イランはイスラエルの生存権を認めないと公言する唯一の国である。イランが核兵器を持てば、直接または親イラン武装勢力によって、イスラエル攻撃に用いられる恐れがあった。それは核戦争の勃発につながる」と、理解を示した。しかし、これはアメリカの危機ではないのではなかろうか。
 このようなイスラエルやアメリカの危機対応を理解してあげる教訓として、産経新聞は、2003年のイラク戦争ではなく、1994年の北朝鮮問題を挙げる。1994年に北朝鮮の核武装をめぐってアメリカが北朝鮮に妥協して、その後の北の核武装を許してしまったと主張して、そのような失敗をするなと言うのである。「1994年当時の米国や日韓は北朝鮮の核武装を見過ごしたが、現代のイスラエルや米国は核武装に進むイランの行動を傍観しなかったことになる」と、正当化するのである。
 一方、読売新聞は、アメリカは、イランとの核交渉も行き詰まり、外交で実績が乏しい中、トランプが成果を急いでイラン攻撃を決断したとする。イスラエルは、米国に軍事介入するよう求めていたが、トランプは当初、否定的だった。だが、イスラエルの攻撃が成果を上げたとの見方が広がると、一転してイラン攻撃へと傾いたのだという。だが、これは攻撃の正当化にはならない。
 いずれも、核兵器保有の「根拠」などは必要なかったと見ているわけである。恐ろしいことに、この二紙によれば、核兵器保有の可能性があれば、大国は自由に他国を攻撃できることになる。

3.イランの反応について 

 アメリカの攻撃を受けたイランについては、各紙はどのように論じているのだろうか。

 第一に、アメリカの攻撃を受けたイランの自制を求めるのが多い。例えば、日本経済新聞は、「イランは米国の軍事介入があれば報復する構えを示してきた。中東の米軍基地に反撃し、周辺のアラブ諸国に戦火が広がりかねない。報復の連鎖は危険だ。イランに慎重な行動を求めたい」と述べた。

 第二に、アメリカの攻撃がイランの核開発を刺激することを怖れる声が多い。例えば、同じく日本経済新聞は、イランが通常兵器だけでは抑止力を回復できないとみて、核兵器の製造に傾くかもしれない。そうなれば不安定な中東に大きな火種を残す。イランが核拡散防止条約(NPT)からの脱退に動けば、世界の核不拡散の努力に向かい風が強まるという議論を展開している。信濃毎日新聞も同様にイランの核開発に懸念を表明している。

 第三に、朝日新聞は、「イランに非がなかったわけではない」とする。イランは、「原発の燃料などに必要な濃度をはるかに上回る高濃縮ウランの貯蔵量を増やし続けた。これが、トランプ政権と距離を置いていた欧州の疑念も呼び、イスラエルに攻撃の口実を与えた」というのである。たしかにそうではあるが、このような「非」を主張しているのは、同紙だけであった。

 第四に、イスラエルのイラン攻撃に際しては、イランの体制危機を問題にしていた毎日新聞などは、今回は、それを問題にしなかった。代わって、東京新聞がこう述べていた。「軍事的にはイランの劣勢は明白だが、最高指導者ハメネイ師にとってイスラム革命体制の維持が最優先で、体制崩壊につながる降伏は選択肢になり得ない。」と。

 体制の危機を意識したのか、ともかく、イランの報復は限定的で、戦火は当面拡大はしなかった。しかし、イランの体制にどういう問題が生じたのか、またイランが核開発をどのように再開したのかなどは分からない。

4.イスラエルの対応について

 アメリカのイラン攻撃に関連して、イスラエルがどのように論じられたのだろうか。

(1)イスラエルの動きを最も厳しく批判するのが、北海道新聞である。国際法違反の主権侵害を先に行ったのはイスラエルだ。そのイスラエルの要請に応じ、世界最大の軍事大国が歩調を合わせたことを国際社会は最大限非難しなければならない。アメリカは、国連決議や正当な根拠もなく、一方的に先制攻撃を加えた。こうアメリカを批判した後、同紙は、イスラエルについて、イスラエルのネタニヤフ首相は米国の攻撃を称賛した。イスラエルはガザで非人道的な攻撃を続けている。同国は、事実上の核保有国であるにもかかわらず核拡散防止条約(NPT)に非加盟で、国際原子力機関(IAEA)の査察も受けていないと批判する。そのイスラエルに肩入れする米国のこうした中東地域での偏った対応は、国際テロ組織アルカイダや過激派組織イスラム国(IS)などの憎しみの連鎖を生むことにもつながったのだと指摘した。
 日本経済新聞も厳しい。今回のトランプのアメリカのイラン攻撃は、「イスラエルと一体化した軍事行動を急いだ場当たり的な対応との印象が拭えない」という。そして、イスラエルのネタニヤフ首相が「強さこそが平和を生み出す」とトランプ氏をたたえたこと、同国はパレスチナ自治区ガザへの攻撃を1年半以上も続ける傍ら、今月になって一方的にイラン攻撃を始めたこと、国際法違反との非難が周辺国から相次いだことを指摘したうえで、米国はイスラエルに強い影響力を持つのに自制させず、イラン攻撃に加担したと批判した。

(2)ネタニヤフへの直接的な言及をしないが、イスラエルの立場を基本的に批判するのが、多い。朝日新聞は、「イスラエルが一方的にイランの核保有が間近だと主張して先制攻撃した。そして、イスラエル単独では破壊できない地下施設などの攻撃に米国が協力した」とし、その正当性の欠如を指摘した。だが、主要7カ国(G7)首脳会議は、戦線を広げるイスラエルに自制を求めず、むしろ「自国を守る権利」を認めたと批判した。
 信濃毎日新聞は、イスラエルは、イランの核開発が自国への脅威だとして一方的な攻撃を仕掛けたのであり、武力行使の禁止を原則とする国連憲章に違反し、「自衛」は正当化できないと批判する。そのうえで、今回、米軍がイスラエルに加勢し、イランの核施設を攻撃したのであるとする。したがって、正当性はまったくないことになる。そして、日本を含む国際社会は、米国とイスラエルの攻撃を厳しく非難した上で、イランを含めた当事国に強く自制を促すべきだと警告した。
 毎日新聞は、米軍による核施設攻撃は、「イスラエルが要請していた」と断言する。そしてネタニヤフ首相はアメリカのイラン攻撃を「大胆な決断」とたたえ、「米国は無敵だ」と述べた。そもそもイランに対するイスラエルの先制攻撃が国際法に抵触する。米軍の攻撃はその違法行為に加担したも同じだと厳しく批判する。
 神戸新聞は、アメリカは、イスラエルが仕掛けたこのたびの戦闘に、核兵器開発の根拠を示さず加担したという。そして、イランだけでなく、イスラエルの核兵器開発の実態も解明してもらいたいと、ポイントを突いた注文を出していた。同紙は、覇権主義こそが今の世界情勢を危機にさらしている元凶だとして、イスラエルとアメリカなどの覇権主義を批判する立場を取っている。

(3)読売新聞は、ややあいまいな姿勢を取った。イランを巡ってはイスラエルが今月中旬、核施設を空爆し、米国に軍事介入するよう求めていた。トランプ氏は当初、否定的だったが、イスラエルの攻撃が成果を上げたとの見方が広がると、一転してイラン攻撃へと傾いた。トランプ氏は以前から、他国の紛争に米国は関与すべきではないという立場を取り、武力行使には慎重とみられてきた。だが今回は、イスラエルの「自衛権の行使」を認め、自ら加担した、というのである。ただ、これを正当だとも、誤りだとも明言していない。

(4)産経新聞はアメリカ、イスラエルの攻撃を正当化している。アメリカは、核武装を阻止するとしてイランを攻撃中のイスラエルに加勢したのである。イランはイスラエルの生存権を認めないと公言する唯一の国である。イランが核兵器を持てば、直接または親イラン武装勢力によって、イスラエル攻撃に用いられる恐れがあった。それは核戦争の勃発につながる。産経新聞は、こうして正当化した。
 ともかく、今回のアメリカの攻撃は、イスラエルと通じた両国の連携攻撃であると各紙のいうところから確定することができる。残念ながら、その後イスラエルやアメリカの攻撃を諸国は押しとどめることはできていない。イラン攻撃をめぐる両国の動きが当たり前になって、その結果、イスラエルは、核兵器の有無などに関係なく、ユダヤ教徒の保護を口実に他国を武力攻撃することを「自由」に行うようになっている。それは、7月16日のシリア攻撃に明確に表れている。

5.国際的対応

 アメリカのイラン攻撃が世界全体に与える影響については、各紙はどのような点を指摘しているのだろうか。

(1)核不拡散条約(NPT)の信頼崩壊を懸念

 朝日新聞は他紙とは違って、NPTの信頼崩壊を懸念している。曰く、「今回の攻撃で破壊されたのは、半世紀以上にわたり核軍縮に重要な役割を果たしてきた、核不拡散条約(NPT)への信頼だ。NPTは、米英仏中ロの5カ国にだけ核兵器を持つことを認めている。不平等だが、ほとんどの国連加盟国が批准し(ている)・・・ところが今回、NPTに加盟せずに核兵器を持つとされるイスラエルが、加盟国イランの核関連施設を攻撃した。これに核大国である米国も加勢した」。「核保有国は、条約が定める軍縮努力を怠るどころか、軍拡に転じている。自国の安全を守るには、NPTを脱退して核保有を目指すほうが得策だと考える風潮すら高まりかねないことを危惧する」。こうして、「法の支配」の揺らぎは深刻だと捉えている。

(2)第三国

 第三国の役割の重要性に言及する紙がある。朝日新聞は、米ロ中の3大国が既存の秩序に挑んでいると捉え、新たな「戦間期」を生まないために求められるのは、「ミドルパワーの西欧や日本が軸となり、多国間協調を築く覚悟」であるという。神戸新聞は、「今後の停戦や核に関する協議は、中立的な第三国が仲介し、国際協調下で行う必要がある」という。 
 一方、日本経済新聞は、「大国間の競争から距離を置くグローバルサウス(新興・途上国)が米国に向ける視線は厳しさを増す可能性が高い」とし、グローバルサウスに注目している。同じく毎日新聞も、「欧州や中東の戦争により、経済的なしわ寄せを受けているグローバルサウス(新興・途上国)の不信感も増大するに違いない」と注目している。
  大国への不信は北海道新聞も明言している。「先進7カ国首脳会議(G7サミット)は米国の離反を避けようとして、イスラエルの攻撃を容認する共同声明をまとめた。腰の引けた姿勢では米国の暴走を止めることはできまい。」とし、「国連は、欧州やアジア各国だけではなく、中ロも巻き込み事態収拾を急ぐ必要がある。」と主張した。そして、北海道新聞は、「中東情勢の激化により、原油高など日本だけでなく米国や世界の経済活動も不確実性が増す。日本は在留邦人の保護に万全を期すとともに、米国の攻撃を支持しない姿勢を明確にして仲介に動くべきだ。」と行動を求めた。

(3)アジア諸国

 アジアへの影響については、毎日新聞が、「アジアでは北朝鮮が核弾頭を製造し、搭載可能な弾道ミサイルを多く配備する。脅威の度合いはイランより深刻だ」と警戒している。朝日新聞は、「欧州、中東、アフリカの戦乱に加え、先月は南アジアの核保有国であるインドとパキスタンの軍事衝突も起きた。日本が位置する東アジアも、台湾海峡と朝鮮半島の緊張が続く。大戦終結から80年の今年、国際社会は未踏の危険水域に進みつつある」と警戒する。産経新聞はよりリアルに、「中東方面への米軍出動の間隙(かんげき)を突いて、北東アジアで中国が軍事的圧迫を強めてくる事態への警戒も怠れない」として、警戒を強調した。これらは、どこまで根拠のある警戒なのであろうか。あるいは、どこまですぐに軍事的に対応しなければならない脅威なのであろうか。

(4)アメリカの暴走

 実は、朝日新聞が、一言、「イラク戦争時から未解決な国際問題は実は、中東の混迷だけでなく、米国の暴走に対処するすべを世界が見いだせていない現実だ」と述べている。この指摘は重要である。同紙は、2025年6月のアメリカのイラン攻撃だけでなく、2003年の大量破壊兵器の保有という間違った口実に下で始めたイラク戦争以来のアメリカの「暴走」ということを言っている。しかも、アメリカの「暴走」については、「中東の混迷だけでなく」と言って、ウクライナ問題もそこに含めているのである。同様の指摘は、神戸新聞にも見られ、同紙は、トランプ氏は、イランが和平に応じなければ「将来の攻撃はさらに強大になる」と威嚇し、イスラエルのネタニヤフ首相も「力による平和を」と歓迎したが、しかし、「覇権主義こそが今の世界情勢を危機にさらしている元凶だ」と指摘していた。

6.日本の対応

 アメリカのイラン攻撃にたいする日本の対応について各紙はどのような問題を指摘しているだろうか。

(1)まずは、アメリカの同盟国としての日本の役割という観点から、毎日新聞は、「日本は、同盟国として米国の身勝手な軍事力の行使を見過ごすようなことがあってはならない。欧州とも連携して自制を促すべきだ。」と論じた。同じく、日本経済新聞も、「日米同盟への配慮が必要とはいえ、安易に支持するのは控えるべきではないか。」とやんわりと日本の姿勢を批判した。
 この延長線上で、日本の責任を問い、警告したのが、朝日新聞と信濃毎日新聞で、朝日新聞は、「戦禍への懸念よりも、イスラエル寄りの米国への配慮を優先した欧州、カナダ、日本は、重い責任を負ったことを自覚せねばなるまい」と警告した。また信濃毎日新聞は、「
 日本を含む国際社会は、米国とイスラエルの攻撃を厳しく非難した上で、イランを含めた当事国に強く自制を促すべきだ。(日本は)歴史的にイランと友好関係を築いてきた立場を踏まえ、米国とは距離を置き、緊張を緩和する役割を主導すべきだ。」と指摘した。
 北海道新聞は、上述のように、「日本は在留邦人の保護に万全を期すとともに、米国の攻撃を支持しない姿勢を明確にして仲介に動くべきだ。」と行動を求めた。

(2)この間の日本政府の主張の矛盾をついているのが、赤旗で、同紙は、石破政権はイスラエルがイランに先制攻撃を加えた際、「核問題の平和的解決に向けた外交努力が継続している中、軍事的手段が用いられたことは到底許容できず、極めて遺憾であり、今回の行動を強く非難する」との外相談話を発表していました(13日)が、ところが、石破首相を含めた主要7カ国(G7)首脳の声明(16日)はトランプ大統領の意向をくんで、イスラエルの「自国を守る権利」を認め、「(同国の)安全に対する支持」を表明しましたと、日本政府の立場の二面性を指摘した。

(3)このような問題には触れず、イラン攻撃の日本人への影響を具体的に論じたのが、読売新聞であった。同紙は、「イスラエルとイランから在留邦人とその家族計100人以上が周辺国にバスで出国した。多くは民間機で日本に向かうという。政府は、民間機が使えなくなる場合などに備えて、自衛隊の拠点があるアフリカ東部・ジブチに空自の大型輸送機「C2」を2機派遣した。円滑に任務を果たすことを期待する。」と述べた。産経新聞は、軍事的対応にもっと踏み込んで、「機雷除去へ海上自衛隊の派遣は必要ないのか。世界の米軍基地や米国民へのテロ攻撃もあり得よう。在日米軍基地や空港の警備強化も急ぎたい。」と述べた。

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世界史寸評
イスラエルのイラン攻撃をどう考えるか―主要新聞の社説から―
南塚信吾

 2025年6月13日、イスラエルが突然イランの核関連施設や軍事関連の人と場所を攻撃しはじめた。すぐにイランも反撃し、双方の攻撃が続いた。この問題をめぐって、ネット上に登場した日本の主要新聞の「社説」「主張」を比較点検してみた。比較したのは、ネット上で取りやすい日本経済新聞6月13日社説、読売新聞6月14日社説、産経新聞6月14日主張、信濃毎日新聞6月14日社説、東京新聞6月14日社説、朝日新聞6月14日社説、しんぶん赤旗6月15日主張、毎日新聞6月17日社説、西日本新聞6月17日社説である。

 論点は多岐にわたるが、以下では主なものについてのみ、検討の対象としている。

1. 国連憲章との関係について

(1)明白な違反

 イスラエルのイラン攻撃が国連憲章への明白な違反であると主張しているのは、朝日新聞、毎日新聞、日本経済新聞、それに赤旗である。この場合、国連憲章というのは、戦後の国際秩序ということも含めている。この他の新聞は、イスラエルの攻撃は国連憲章への違反だという批判はしていない。しかし、信濃毎日新聞などは、国連憲章違反だとは言わないが、イスラエルの「無謀な軍事行動」を「強く批判」した。赤旗は、イランを不法に攻撃するイスラエルを「制裁」せよとまで主張している。

(2)国連憲章と「自衛権」

 一主権国家が他の主権国家を武力攻撃するというのは、国連憲章に認められた「自衛権」の行使以外にはありえない(例外的に、国連安保理の決定による場合があるが)。

 国連憲章はその第51条において、「この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。」と規定している。

 イスラエルは今度の攻撃は、そういう「自衛権」の行使であると主張している(ちなみにイスラエルはガザ地区の攻撃についても「自衛権」の行使であると主張している)。では、今回イスラエルの言う「自衛権」というのは成り立つのかどうかという問題がある。

2. イランの核兵器開発について

(1)核開発の脅威と「自衛権」

 では、イランの核兵器開発を理由に、軍事攻撃はできるのだろうか。イスラエルは、イランの核開発が自国の安全保障上の脅威であるから、それを阻止するために「自衛」のための攻撃をしたとしている。

 これを認めているのが産経新聞である。同紙は、①イランは数日間で核兵器級の濃縮が可能な水準に達していた、➁国際原子力機関(IAEA)理事会は、6月12日IAEAとの査察協定に反しているとイランを非難する決議を採択した、③イランが核兵器を手にすれば親イラン武装勢力に渡ってイスラエル攻撃に使用する恐れがあると、主張して、イスラエルの攻撃を容認したわけである。そのうえで、「最大限の自制」を関係国に求めた。

 一方、イスラエルは、イランの核開発は「自国の生存への脅威だ」と主張し、国際法で原則禁止されている先制攻撃を正当化するが、これについては、危機が差し迫っているわけではないので「自衛」ということは当てはまらないというのが、朝日新聞、毎日新聞、赤旗の主張である。毎日新聞は、自衛権を認めていないという意味で、イスラエルの攻撃が国連憲章違反だとしていると考えられる。また(、)イスラエルの主張は「自衛権の拡大解釈」で「危うい」とするのが日本経済新聞である。東京新聞もイスラエルの主張は「とても受け入れられない」と批判している。

 読売新聞はこの問題を避けているようである。

(2)イランの核保有について

 イランが核兵器を保有しているかどうかという点については、どの新聞も確定できていない。いわば伝聞で終わっている。だが微妙な違いがある。

一番確定的なことを述べているのが、「核弾頭9発分の高濃縮ウランを製造し、兵器化の段階に入っていると指摘されている」という西日本新聞で、同じく、イランがウランを濃縮して「核爆弾9個分に相当するウランを持つとされる」とするのが読売新聞である。ともに「核弾頭9発分」という数字を出している。

 これに対し、イスラエルは、イランが「平和利用」を隠れみのに、核兵器を開発していると「主張する」として、漠然とした伝聞で終わっているのが毎日新聞である。

 高濃縮ウランの製造までで話を止めている新聞もある。日本経済新聞は、イランが「核兵器をつくらないと公言しながら、核爆弾に使えるレベルの高濃縮ウランをため込むのは理解に苦しむ。」とし、イランは自ら核について真相を明らかにすべきであると、注文している。東京新聞も、「ウラン濃縮活動」のみを確認するにとどめている。

 イランの核保有に懐疑的なのが朝日新聞で、「確かに、イランは原発用の燃料などよりはるかに高い濃度のウラン保有量を増やしてきた。ただ、核兵器を持つ意思はないと繰り返し強調し、国際機関も兵器級までの濃縮は確認していない。」とする。

(3)イランとアメリカの核協議

 イランの核開発について、アメリカとイランの間で協議が行われていたわけであるが、一つの論調は、この協議が行われているにもかかわらず、そのさなかに、イスラエルがイランを攻撃したことを非難するもので、読売新聞、朝日新聞、東京新聞、西日本新聞、赤旗がそうである。平和的に交渉すべきで、軍事力を持ってすべきではないというのである。

 もう一つの論調は、アメリカとイランの間での協議は行き詰まりを見せていたのであり、それに期待を寄せられないから、イスラエルは攻撃したのだというものである。これは産経新聞の主張である。

 この交渉に関連して、「イランが米欧中ロなどと結んだ2015年の核合意を一方的に破棄したのはトランプ」大統領であったことを想起すべきであるとするのが朝日新聞である。

 その後の展開を見ると、どうやらアメリカは交渉をしながら、イスラエルの軍事攻撃になんらかの形の支持を与えていたようであり、上の両方の見方は修正されなければならないかもしれない。

(4)イスラエルの核保有

 イスラエルはイランが核武装することを阻止するために攻撃をしたと言うが、イスラエル自身が核を保有しているのに、そういうイラン批判をするというのは、筋が通らないという批判がある。これは、西日本新聞、信濃毎日新聞、毎日新聞、朝日新聞の社説である。イスラエルは90発以上の核兵器を保有しているというのが、広く認められている情報である。

 中でも、「イスラエルは中東で唯一、核拡散防止条約(NPT)に加盟せず、核弾頭を90発保有するといわれる。他国の核開発を理由に攻撃する正当性がどこにあるのか。」と厳しくイスラエルを批判するのが、西日本新聞であり、朝日新聞も、「NPTの枠外で核を持つイスラエルが、NPT加盟国であるイランの核開発を力ずくで阻止することに、国際社会の理解は得られまい。」と批判する。

3. アメリカの「支持」について

 アメリカは今回のイラン攻撃には関与していないというが、産経新聞はその言明をそのまま報じている。それに対し、アメリカはなんらかの責任は免れないとするものがあって、アメリカは何らかの支援をしているのでありその責任は重いとする西日本新聞や朝日新聞、アメリカは止められなかったのかとする日本経済新聞、アメリカは黙認の責任はあるとする赤旗がある。東京新聞は、アメリカが「関与」していないなら、イスラエルに「攻撃を中止するよう強く迫るべきではないか」と主張している。

 それより注目されるのは、アメリカは事前にイスラエルのイラン攻撃のことを知っていたがイスラエルを「抑え」られなかったとすると、そのことはアメリカの影響力の低下を物語るのであり、アメリカが戦争に巻き込まれるのではないかと心配する読売新聞である。アメリカの責任は別として、イスラエルの後ろにいるアメリカが巻き込まれる可能性があると指摘するのが、信濃毎日新聞である。

 その後の展開を見ると、アメリカは「抑え」ようとしていたのかどうか、不明である。表面上は、そういう姿勢を見せているが、水面下ではイランとの協議にも拘わらず、暗黙の支持を与えていたのかもしれず、真相は分からない。しかし、まさに読売新聞の言うように、アメリカは、6月21日、イランの核施設3か所を爆撃し、「戦争に巻き込まれ」、直接交戦国となった。

4. 西欧諸国の態度について

 西欧諸国のイスラエルへの態度については、評価の微妙な違いがある。イスラエルのガザ戦争についてもそうであるが、ユダヤ人迫害の歴史を持つ西欧諸国は、ロシアのウクライナ戦争についてはこれを厳しく批判するが、イスラエルのガザやイランへの攻撃についてはこれを批判しないという「二重基準」を適用しているとして、イスラエルのイラン攻撃を黙認し批判をためらっていると指摘するのが、毎日新聞、朝日新聞である。

 このような基本的認識の上で、そういう西欧諸国の態度に変化が見られ、イスラエルに批判的になってきていると見るのが、東京新聞、朝日新聞、信濃毎日新聞、赤旗である。それゆえ、離れかかっている西欧諸国を引き戻そうとしているのだと信濃毎日新聞は主張している。

 その後の展開を見ると、西欧諸国も、イスラエルを積極的に支持するドイツと、批判的なフランスに二分されてきているように見える。

5. イスラエルの国内問題について

 イスラエルがこのような「無謀」な攻撃をしたのはなぜか。これについては、ネタニヤフ首相は対外危機をあおって、国内の団結を図り、自分の政権の延命と維持を狙っているのだとするのが、東京新聞、日本経済新聞、信濃毎日新聞である。他紙は、そういう問題を立てていない。

 イスラエル国内では、ガザ戦争などをめぐって、リベラル派と極右との間の対立が激しくなりつつあり、この際、中東全体に問題の舞台を拡げて対立をぼかすという意味もあるようである。その観点から、イスラエルはイランの現体制の転覆までを狙っているのであると指摘するのが、毎日新聞である。その後、この説はさまざまな方面から確認されつつある。

6. 日本のなすべきこと

 日本はなにをなすべきか。国際秩序を守るため、外交努力により両国に自制を求めるべきであるというのは、全紙揃っている。そのうえで、信濃毎日新聞は、自衛隊が巻き込まれる恐れがあり、日本経済に影響を与える恐れがあるから、日本は「被爆国として」外交努力をすべきだと言う。ただ、「中東で侵略や植民地支配の歴史のない日本」は、国際的に影響力を行使できるのだと朝日新聞は言うが、「中東」に限って日本の植民地支配の有無を言っても、どこまで国際的に説得力があるであろうか。

 またイラン攻撃が日本の石油供給に与える影響を考慮すべきであるとするのが、読売新聞である。そして、イラン戦争の影響で、自衛隊の派遣という問題も出てくると指摘するのが、それぞれの立場は違うが、産経新聞と信濃毎日新聞である。

 

 次回は、アメリカによるイラン攻撃について、同じように各紙の社説を比較してみたい。

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世界史寸評
チャゴス諸島の主権をめぐる英-モーリシャス合意
木畑洋一

 2022年4月、この「世界史寸評」欄に、「国連地図のなかのチャゴス諸島」という記事を寄稿した。普通の地図でチャゴス諸島(イ)というようにイギリス領であることが示されているインド洋の島嶼が、国連地理空間情報セクションの作成にかかる地図ではチャゴス諸島(モーリシャス)Chagos Archipelago (Mauri)と記されており、モーリシャスに帰属することになっているということを、その記事では指摘した。

 問題の経緯を改めて簡単に紹介しておこう。

 現在インド洋の米軍基地所在地として知られるディエゴガルシアを含むチャゴス諸島は、1960年代まで英領モーリシャスの一部としてイギリス帝国に属していた。冷戦の進行下、インド洋で軍事基地を作ろうとした米国は、この島に眼をつけた。脱植民地化が進み、モーリシャスの独立も予定されるなかで、チャゴス諸島の帰属をそのままにしてモーリシャスの独立が実現すると、イギリスが島の利用を米国に許す権限がなくなってしまうため、英米両政府は共謀して、モーリシャスの独立以前にチャゴス諸島を切り離し、新たなイギリス領土(英領インド洋地域)とすることにした。こうした過程を経て、ディエゴガルシアは米国に貸与されたのである。それに伴って、チャゴス諸島の住民はすべて放逐され、モーリシャスなどで困難な生活を強いられることとなった。

 その後、住民たちの島への帰還要請は、イギリス政府によって拒まれつづけてきた。一方、独立時のチャゴス諸島切り離しは自国の独立を不完全なものにしたとして、チャゴス諸島の主権移譲を求めてモーリシャス政府が国連に行った提訴は、国際司法裁判所の判断を経て、2019年5月の国連総会における、イギリスによる統治の終結を求める決議につながった。それが前稿で紹介した地図での帰属表記となったのである。

 しかし、これはあくまで地図記載上の変化であり、それ自体興味深くはあるものの、実際に主権移譲が行われていたわけではない。外交上の変化が生じたのはその後で、2022年11月にイギリス政府が、チャゴス諸島の主権帰属をめぐる交渉をモーリシャス政府との間で始めたことを公表したのである。この交渉がどのように進んでいるか、当該問題に関心を抱き続けてきた筆者も気にかかっていたが、情報は全く入ってこなかった。今年(2024年)初めには、イギリスのデイヴィド・キャメロン外相(かつての首相経験者)が、主権帰属にからむ住民の帰還問題について、彼らの再定住はありえないという発言を行うといったこともあり、交渉は進展していないのではないかと思っていた。

 ところが、今年10月3日に、イギリス政府とモーリシャス政府の間で、チャゴス諸島をモーリシャスに引き渡すという合意が成立したことが、突如発表された。このことの背後に、今年の総選挙での労働党大勝の結果として7月に労働党内閣が誕生したという変化が存在したことは確かであろう。この過程の詳細はまだ明らかでないが、脱植民地化過程での異常事態をめぐる国際社会の健全な判断がイギリス政府の動きに大きく影響したことの結果と見ることができる。

 この合意で注目すべき点は、ディエゴガルシアについてはイギリスが引き続き主権を行使することが99年間保証され、その間における基地の存続も保証されていることである。住民が帰還できるのもディエゴガルシアを除く他の島々であり、かつて最大多数の人々が居住していた同島への帰還は、この合意によっても実現しない。合意の形成に際しては、米国の承認が必要であったはずであり、基地の存続が米政府にとって譲れない条件だったであろうことは容易に想像できる。

 こうした内容の合意をめぐって、英議会でのチャゴス諸島問題をめぐる全党派議員グループのとりまとめを行ってきた元外交官のデイヴィド・スノクセル氏は、筆者への私信のなかで、「英領インド洋地域が解消し、モーリシャスは領土を取り戻し、チャゴス諸島民は外域の島々に戻れるようになり、国連や国際社会におけるイギリスの立場が回復する」取り決めとして大歓迎する、と書いてきた。

 一方、チャゴス島民が作っている最大の団体である「チャゴス難民委員会」は、合意の成立を歓迎しつつも、ディエゴガルシアへの住民帰還が是非とも必要であるとし、当事者である自分たちがこれまでの交渉から排除されてきたことを批判し、今後の正式の条約締結に至る過程への参加を求めている。筆者としては、ディエゴガルシア軍事基地そのものの存続を問題にし続けていくことが必要であると思うが(チャゴス島民たちの多くは、基地の存続は致し方ないものとして認めている)、同島が基地として使われ続けるとしても、現に島外から来た多くの労働者がそこで働いていることを考えれば、かつての島民の帰島を妨げる絶対的な理由はないはずである。この点の進展があるかどうかは、注視していく必要があろう。

(「世界史の眼」No.56)

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世界史寸評
外から見た日本の平和:ヨハン・ガルトゥング再考
南塚信吾

 わたしたちの著した『軍事力で平和は守れるのか』(岩波書店、2023年)でも紹介したように、1959年にオスロ平和研究所を創設して「平和学」の祖と言われるヨハン・ガルトゥングは、1958年に、平和を定義して、武力紛争など「直接的暴力」を克服することによって達成される「消極的平和」と、社会構造に生じる貧困や差別などの「構造的暴力」を克服することによって達成される「積極的平和」を分けることができ、とくに後者の平和が重要になってきていると主張した(かれの積極的平和の概念は、安倍元首相の「対米追従」の積極的平和主義と用語は似ているが内容は大いに異なるものであり、ガルトゥング自身、「印象操作」だと批判している)。そのガルトゥングは、2017年に『日本人のための平和論』(ダイヤモンド社)という著書を著している。この書において、ガルトゥングは、日本における平和論が「外から」はどのように見えているのかを示してくれている。同書については、すでに法律家の大久保賢一氏らの紹介がある(ヨハン・ガルトゥング著『日本人のための平和論』を読む (hankaku-j.org))が、歴史学の面からも検討されてよいと考える。

***

 ガルトゥングはまず、日本の安全保障観が「外から」どのように見えているのかを、以下のように指摘している。筆者の観点から少し断定的にまとめてみた。

  1. 日本は外からは完全にアメリカの「従属国」であり、「占領」下にある「植民地のレベル」にあると見られている。日本は「対米追従」をやめて、アメリカから「真に独立」すべきである(『日本人のための平和論』14-16、115-116、122ページ)。 
  2. 米国は日本の憲法第9条も邪魔だと考え始めている。日本国憲法は、もともと米国が統治しやすいように「押し付けた」ものだが、米国は、第9条がなくなれば、いまや変化した米国の世界戦略に日本を有効に使えると考えている(14-15ページ)。一方、「憲法9条があるために、これまで日本では現状を変えるための平和政策が生まれてこなかった。ほとんどの日本人は9条がすべて面倒を見てくれると信じ、代替案が必要などと考えもしなかった」。「いざとなったら憲法9条が守ってくれる。その発想がいまの日本を危うくしているのではないだろうか。」という(223-224ページ)。
  3. 沖縄は「琉球処分」の前に戻って、「自立」すべきである。例えば、日本の中の「特別な地位」を認められるべきである。そして、沖縄の米軍基地は全廃すべきである(40-43ページ)。
  4. すべての米軍基地を日本から撤退させればいい。日本は米軍基地などなくても安全を確保できる。米国は基地と主要兵器を各国の中心から離れた周辺に置いているが、日本ではそうではない。そういう基地がない方が創造的な平和政策が実施しやすくなる(33-35ページ)。
  5. 国を守るためには、外交努力だけでなく武力による防衛も必要である。だが、日本は攻撃的な武器を持たず、徹底して「専守防衛」を維持すべきである。とくに長距離兵器を持たないなどの原則を立てるべきである(44-53、120-121ページ)。これに関連して、原子力発電とも決別すべきである(125-128ページ)。
  6. 尖閣、北方4島などは関係各国の「共同所有・管理」にするのがよい(61-63、116-118ページ)。
  7. 中国の考え方を理解すべきである。向こうから戦争してくることはあり得ない。中国はこれまで一度も日本本土を攻撃したことがない。中国は自分の文明を他より優れていると考えて、傲慢かもしれないが攻撃的ではない。むしろ防御的である。中国はヨーロッパ諸国や米国と違って、軍事力をひっさげて広大な世界に進出したことはない。中国に日本を攻撃する意図があるとは思えない。日本人は、「私たちは彼らを攻撃したことがある。彼らは報復を計画しているに違いない。ゆえに彼らは危険だ」というパラノイアを懐いているのだ(74-80ページ)。 
  8. 北朝鮮とは「和解」のチャンスはある。日本が植民地支配と戦争中に与えた損害にたいして政府が明確な「謝罪」をし「補償」をすれば一歩前進する。「慰安婦問題」については、北朝鮮は韓国ほどヒステリックではない。「拉致問題」は日本が戦争中までに行った強制労働などへの「単純な復讐」なのである。北朝鮮の核保有は「抑止力」のためであり、国力の誇示のためである。経済制裁はまったく「逆効果」である(91-100,245-259ページ)。北朝鮮が望んでいるのは、平和条約締結、国交正常化、核なき朝鮮半島である(119ページ)。
  9. 日本は関係各国と歴史的事実を共同で確定し、「和解」を探るべきである。慰安婦問題、南京事件、真珠湾攻撃、原爆投下問題について、関係国とこれを行うべきである(101-114ページ)。
  10. 「東北アジア共同体」を構想するべきである。そこには中国、北朝鮮もメンバーにはいるべきである。諸国間の緊張・対立はアメリカを利するだけである(118-120ページ)。

 要するに、日本は「対米追従」をやめて、近隣アジア諸国と対話し、独自の外交と防衛の政策を追求すべきであるというのである。

***

ガルトゥングは、以上のような指摘をしたうえで、次に、アメリカの対日政策について、以下のように言う。

  1. 米国が他国に行う軍事介入の目的は、テロとの戦いのためでも、人権や民主主義の擁護のためでもなく、覇権主義の行使であり、経済的利益の確保なのである(28ページ)。
  2. こういう覇権主義を進めるアメリカは頼れる仲間を次第に失いつつある。中南米、ヨーロッパで足場を失いつつある。そして、今や中国の挑戦を受け始めている。そういう時、「この手詰まりを打開するために日本を使おうとしている」のだ(30ページ)。
  3. 米国は日本に対し、ただ米国に守られているだけでなく、米国とともに戦闘に参加させる必要があると考えている。そのためには憲法第9条は邪魔だと考えている(14-16、36.ページ)。
  4. 日本が他国に攻められたとしても、米国が日本を助けに来るとは思えない。そのことは強く疑うべきである(36ページ)。
  5. 「核の傘」などということは信じられない。米国が日本を守るために中国と核戦争に突入するリスクを取るということは信じられないことである(36-37ページ)。
  6. いま多くの日本人は、米国に守ってもらわなければ日本の安全は守れないのではないか、そのためには「集団的自衛権」を行使して米国に協力しなければならないのではないか、日本はテロとの戦いに参加する道義的義務があるのではないか、と思っているように見受けられる。「集団的自衛権」は日本を守るどころか、日本の安全を脅かすものでしかない。それは日本をより危険な状況に陥れる。「集団的自衛権」は、全くのナンセンスであり、プロパガンダである。それは軍事同盟であり、「米国による他国攻撃に参加する権利」なのである(16-18ページ)。
  7. 中国や韓国の人々は、米国と、米国に動かされる日本の「タカ派」を恐れている。日本は、他国からは、それほど「安全な国」だとは見られていない、むしろ「危険な国」と見られていることを自覚しておく必要がある(21-23ページ)。

***

 ガルトゥングが示すこのような「外から」の見方によって、われわれは自分の置かれている場所を見つめなおすことができるのではないだろうか。われわれのかなりの人は、日本は平和憲法を持っている平和な国民なのであり、さらに日米同盟によりアメリカに守られているのだと、思っているかもしれない。ガルトゥングは、「外から」見れば、それは「幻想」だというのだ。

 しかし、われわれはそれを「幻想」と言われると反発する。それは、われわれの思考があまりにもアメリカべったりになっているからではないだろうか。いったい、日本はいつからこのようにアメリカべったりになったのだろうか。

 考えるに、1950年代-70年代においては、日本はアジア諸国や社会主義圏との関係も尊重して、ある程度自分たちの行方を模索していたのではなかろうか。1955年のバンドン会議、56年の対ソ交渉、1972年の日中国交回復などを見ればわかるだろう。十分な検証が必要ではあるが、転機は1979年頃ではなかろうか。「日米同盟」という用語が使われ始めたのは、1979年ごろからである(冨田佳那「「日米同盟」言説の出現」『慶應義塾大学大学院法学研究科論文集』2019)。それが既成事実となり、大義になり、日常になる。1980年代の中曽根・レーガン時代はそうであった。そして、今やわれわれの思考はあまりにもアメリカべったりになってしまっている。政治だけでなく、文化もメディアもそうである。歴史学もそうでないといいのだが。ガルトゥングの言う事は、日本はもっと創意工夫をした外交と安全保障の政策を追求すべきだということであろう。なお、「対米従属」がもたらす諸問題については、最近出た内田樹・白井聡『新しい戦前』(朝日新書、2023年)でも論じられている。

(本論での出典は、ヨハン・ガルトゥング著 御立英史訳『日本人のための平和論』ダイヤモンド社、2017年―Johan Galtung (with Miguel Rivas-Micoud), People’s Peace: Positive Peace in East Asia & Japan’s New Role, Tuttle-Mori, 2017)

(「世界史の眼」No.46)

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世界史寸評
「広島ヴィジョン」を考える
南塚信吾

 2023年5月19日から21日のG7広島サミットが終了した。岸田首相は「歴史的な意義」を強調したが、たしかに「歴史的」に重要なメッセージを発した会であった。会が発した中心的なメッセ―ジは、「首脳宣言」と「広島ヴィジョン」であろう。

 「首脳宣言」は、『日本経済新聞』2023年5月21日に全文が掲載され、『毎日新聞』5月22日に詳しい「要旨」が掲載された。それは、現在世界が直面するほとんどすべての問題について、G7はその解決に努力すると宣言している。これは毎年のG7恒例の声明であると言ってよい。

 ほかならぬ広島からのG7のメッセージとして重視されているのが「広島ヴィジョン」である。これは被爆地広島から発せられた核問題についての「ヴィジョン」とされている。この全文は外務省のHPに英文と和訳とが載せてある。岸田首相の強調する「歴史的な意義」はまさにこの文書になければならないはずである。

 この「広島ヴィジョン」についてこれまでメディア上には、散発的にコメントがなされているが、歴史文書として改めて検討するとどうであろうか。「ヴィジョン」の文言から見て行こう。

(1) 「我々の安全保障政策は、核兵器は、それが存在する限りにおいて(for as long as they exist)、防衛目的のために役割を果たし、侵略を抑止し、並びに戦争及び威圧を防止すべき(should)との理解に基づいている。」

 この文が言いたいのは、核兵器は抑止力を持っており、平和に貢献するのだから、核兵器は持っていいのだということである。いわゆる「核抑止論」に立っているわけである。

(2) 「核兵器不拡散条約(NPT)は、国際的な核不拡散体制の礎石(cornerstone)であり、核軍縮及び原子力の平和的利用を追求するための基礎(foundation)として堅持されなければならない。」

 この文章の前半、つまり「核兵器不拡散条約は、国際的な核不拡散体制の礎石」であるという文章は、現在拡散防止条約に加盟している核保有国以外の他の国は核を持つなということである。それは、「我々は、いかなる国もあらゆる核兵器の実験的爆発又は他の核爆発を行うべきではないとの見解において断固とした態度をとっており、それを行うとのいかなる威嚇も非難」する。「我々は、まだそうしていない全ての国に対し、核兵器又は他の核爆発装置に用いるための核分裂性物質の生産に関する自発的なモラトリアムを宣言又は維持することを求める」という主張によって補強されている。

(3) 「米国、フランス及び英国が、自国の核戦力やその客観的規模に関するデータの提供を通じて、効果的かつ責任ある透明性措置を促進するために既にとってきた行動を歓迎する。我々は、まだそうしていない核兵器国がこれに倣うことを求める。」

 この文章では、米英仏は情報を公開し、透明にして核保有と核開発をしていると、自慢している。そのうえで、中国、北朝鮮、イラン、そしてロシアを批判している。「透明性問題」はほかならぬロシアと中国に対してむけられたメッセージである。とくに中国に対しては、「中国による透明性や有意義な対話を欠いた、加速している核戦力の増強は、世界及び地域の安定にとっての懸念となっている。」と指摘している。

(4) 「我々は、全ての者にとっての安全が損なわれない形で、現実的で、実践的な、責任あるアプローチを通じて達成される、核兵器のない世界という究極の目標に向けた我々のコミットメントを再確認する。」

 この文章が最も曲者である。これは文書作成者が非常に神経を使って書いた文章であろう。だから原文も見ておこう。原文はこうなっている。

 We reaffirm our commitment to the ultimate goal of a world without nuclear weapons with undiminished security for all, achieved through a realistic, pragmatic and responsible approach.

 「首脳宣言」においても、この文言は繰り返されている。

 この文章は二重の意味で、曲者である。まず第一に、「全ての者にとっての安全が損なわれない形で」という文である。訳文では核の廃絶については、「全ての者にとっての安全が損なわれない形で」とあるので、「達成される」に繋がると理解してしまうが、そうではない。核の廃絶については、「全ての者にとっての安全が損なわれない形の」(with undiminished security for all)状態としての核のない世界を目指すというのが原文である。「核兵器のない世界」は当然「全ての者にとっての安全が損なわれない形の」世界であるはずだが、なぜこういう限定を付けているのであろうか。そういう「形の」核のない世界はあり得ないのだと言わんばかりである。しかし、訳文に戻って、「全ての者にとっての安全が損なわれない形で」核の廃絶に向うということは、現在において「安全が損なわれて」いる者がいるという現実を見ないで、あるいはそこから目をそらして、将来のことを問題にするという、論点ずらしに他ならないのである。このような論法は、ごく最近のLGBT理解増進法にも見られ、最後に加えられた修正の一部に出てくる「性的指向又はジェンダーアイデンティティにかかわらず、全ての国民が安心して生活することができることとなるよう」という限定がそれである。この論法は現状保守派の定番になりつつあるようである。

 つぎに第二に、「現実的で、実践的な、責任あるアプローチ」で核のない世界に行くべきという文章である。「現実的で、実践的な、責任あるアプローチ」とはどのようなアプローチなのだろうか。核兵器不拡散条約は、「核軍縮及び原子力の平和的利用を追求するための基礎」であると、宣言は言っている。その基礎からどのように「核軍縮」に至るのであろうか。宣言は、「核兵器のない世界は、核不拡散なくして達成できない」と繰り返している。だが、これは北朝鮮とイランを批判するために使われている命題で、どのように核軍縮や核廃絶を達成するかは示されていない。宣言は、「核兵器禁止条約」には全く触れていない。同条約は「現実的で、実践的な、責任あるアプローチ」ではないというのであろう。なぜそうなのか。「現実的で、実践的な、責任あるアプローチ」などと限定して見せて、結局、核廃絶は遠い理想として、棚上げされているのである。

(5) 「我々は、・・・全ての国に対し、核兵器の実験的爆発又は他のあらゆる核爆発に関するモラトリアムを新たに宣言すること、又は既存のモラトリアムを維持することを求める。」「我々は、民生用プログラムを装った軍事用プログラムのためのプルトニウムの生産又は生産支援のいかなる試みにも反対する。」

 このように、五つの「核を持つ国」以外の国は、核実験をするな、プルトニウムを作るなと言っている。核独占の論理である。

 以上の主張は、まぎれもなく五つの「核を持つ国」の立場から論じられていると言える。日本はその神輿担ぎをしているわけである。こういうヴィジョンを広島から発した意味は何か。被爆地広島から発するのであれば、核廃絶であり、そこへの合理的な道筋であるべきである。広島は宣伝に利用されただけではないだろうか。おりから、6月21日の『朝日新聞』で、元広島市長の秋葉忠利氏は、「広島ビジョン」は「広島」を冠にしたことで、「あたかも広島全体がお墨付きを与えたかのような印象を狙っているように思える」とし、広島を「冒涜」していると批判している。

 実は「ヴィジョン」にはもう一つ大事な問題がある。

(6) 「我々は、全ての国に対し、次世代原子力技術の展開に関連するものを含め、原子力エネルギー、原子力科学及び原子力技術の平和的利用を促進する上で、保障措置、安全及び核セキュリティの最高水準を満たす責任を、真剣に果たすよう強く求める。」「原子力発電又は関連する平和的な原子力応用を選択するG7の国は、原子力エネルギー、原子力科学及び原子力技術の利用が、低廉な低炭素のエネルギーを提供することに貢献することを認識する。」

 「首脳宣言」においても、この文章は繰り返されている。

 この文章は核の平和利用をうたっていて、原発は低廉で、技術も向上したという理由で、原発を公然と支持する姿勢を取っている。「福島」はどこへいったのであろうか。「広島が位置する日本」には「福島」も存在する。そういう日本から発したヴィジョンであるにかかわらず、ヴィジョンは、見事に福島を無視しているのである。福島からは、ヴィジョンは福島を「冒涜」したと見えるかもしれない。

 以上の意味で、確かにこのヴィジョンは「歴史的意義」を持っている。のちの世界史を語る歴史家は、2023年5月に不思議なメッセージが広島から発せられたと記録するであろう。広島、福島そして日本の国民の多くを「冒涜」したメッセージが。

(「世界史の眼」No.40)

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世界史寸描
太平洋戦争とパラオ現地民―中島敦にかかわる一つのエピソード―
小谷汪之

 「李陵」、「山月記」などで知られる作家、中島敦は専業作家となる以前の1941年7月から1942年3月まで、南洋庁の教科書「編修書記」として、「南洋群島」(日本の国際連盟委任統治領)に赴任していた。その間、中島は「南洋群島」の島々を巡り、その地の公学校(現地民子弟のための初等教育機関)や小学校(国民学校)を訪ねて、教員などと教科の内容について議論を重ねた。それ以外にも、中島は自らの文学的関心にしたがって、「南洋群島」の島々を訪ねた。本稿はその中で中島が現地民とかかわった一つのエピソードを取りあげる。そこには、自分とは全く関係のない列強同士の戦争(太平洋戦争)によって翻弄されるパラオ現地民の姿が浮かび上がってくる。

 1941年9月15日、中島は南洋庁のあったパラオ諸島コロール島からパラオ丸で東向し、トラック諸島(ミクロネシア連邦チューク州)、ポナペ島(ポーンペイ島)、クサイ島(コスラエ島)を経て、9月27日マーシャル諸島のヤルート環礁ジャボール島に到着した。帰路はこのコースを逆にたどり、10月6日トラック諸島夏島(トノアス島)に着いた。しかし、ここで船便や航空便に混乱が起こり、結局11月5日早朝、水上飛行機、朝潮号で夏島を出発、「〔午後〕2時、すでにパラオ本島を見る。2時20分着水。そのまま機毎、陸上に引上げらる」(中島「南洋日記」、『中島敦全集 2』ちくま文庫、291頁)。

 中島は朝潮号が引き上げられた飛行場(水上飛行機発着場)について何も書いていないが、これはコロール島の西に隣接するアラカベサン島の東北部に設営されたミュンス(ミューンズ)飛行場である。この飛行場の遺構は今日でも残されていて、幅40メートル長さ200メートルほどのコンクリートのスロープを見ることができる。中島の乗った水上飛行機、朝潮号はここに引き上げられたのである。

 本稿で取り上げるエピソードはこのミュンス飛行場にかかわるものである。中島は翌1942年1月、異色の民俗学者、土方久功に案内されて、パラオ諸島バベルダオブ島(パラオ本島)をめぐる旅に出たのであるが、その途次アイミリーキ地区のある新開村を訪れている。ただ、その時中島はその新開村とミュンス飛行場との密接な関連については知らなかったようである。

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 1942年1月17日、中島敦と土方久功はコロール島を出発、東回り(反時計回り)でバベルダオブ島を一周する旅に出た(この旅について詳しくは拙著『中島敦の朝鮮と南洋』岩波書店、2019年、178-188頁)。1月25日にはバベルダオブ島南部のアイミリーキ地区に着き、熱帯産業研究所(熱研)の「倶楽部」に泊まった。その翌日、26日にはアラカベサン島のミュンス村の移住先である新開村を訪ねることにした。中島は次のように書いている。

アラカベサン、アミアンス〔ミュンス〕部落の移住先を尋ねんと、9時頃土方氏と出発、昨日の道を逆行。如何にするも浜市に至る径を見出し得ず。新カミリアングル部落の入り口の島民の家に憩い、……爺さん(聾)に筏を出して貰いマングローブ林中の川を下る。〔中略〕30分足らずにして、浜市の小倉庫前に達し上陸。児童の案内にてアミアンス〔ミュンス〕部落に入る。頗る解りにくき路なり。移住村は今建設の途にあり。林中を伐採し到る所に枯木生木、根等を燃やしつつあり。暑きこと甚だし。切株の間を耕して、既に〔サツマ〕芋が植付けられたり。アバイ〔集会場〕及び、2、3軒の家の他、全く家屋なく、多くの家族がアバイ中に同居せり、大工4、5人、目下1軒の家を造りつつあり。朝より一同働きに出て今帰り来りて朝昼兼帯の食事中なりと。又、1時となれば皆揃って伐採に出掛くる由。(中島「南洋日記」311頁)

 中島はここでアラカベサン島、ミュンス村の人々がどうしてバベルダオブ島、アイミリーキ地区に移住して新ミュンス村を建設しているのか、その理由については何も書いていない。おそらく知らなかったのであろう。この点について、土方の方は次のように書いている。

ガラカベサン〔アラカベサン〕のミュンスの部落が、今度旧部落をそっくり日本の海軍に取りあげられてしまって、村をあげてここに引移って来ているので、そこを訪ねてみようということにして、9時頃敦ちゃんと二人で出かける。(土方「トンちゃんとの旅」、『土方久功著作集 6』三一書房、1991年、375-376頁)

 アラカベサン島のミュンス村は、もともと、中島が朝潮号で上陸したミュンス飛行場の場所にあったのである。その旧ミュンス村の土地をそっくり日本海軍に取りあげられてしまったので、やむなくバベルダオブ島のアイミリーキ地区に新ミュンス村を建設することになったということである。ただし、ミュンス飛行場はもともとは軍民共用の飛行場として1937年頃に建設されたとされているから、その建設時にミュンス村の土地がとりあげられたわけではない。1941年12月8日、太平洋戦争(日米開戦)が勃発すると日本海軍はミュンス飛行場を拡大強化して、大型水上軍用機が発着できるようにした(倉田洋二他編『パラオ歴史探訪』星和書店、2022年、114頁)。この時に旧ミュンス村の土地がそっくり日本海軍によって取りあげられたのであろう。したがって、中島と土方が訪れた1942年1月には新ミュンス村はまだ建設途上だったのである。

 1944年になると、「南洋群島」はアメリカ海軍太平洋艦隊による激しい攻撃を受けるようになった。最初に狙われたのは「南洋群島」最東端のマーシャル諸島で、1944年2月1日アメリカ軍はクェゼリン島に上陸した。クェゼリン島には日本海軍の第6根拠地隊の司令部が置かれていたのであるが、クェゼリン島を含むクェゼリン環礁は2月6日までにアメリカ軍によって完全に制圧された。マーシャル諸島を押さえたアメリカ軍は、次にマーシャル諸島の西に位置するトラック諸島(トラック環礁)を攻撃目標とした。トラック環礁は日本海軍第4艦隊の泊地であっただけではなく、当時は連合艦隊もここを泊地としていた。1944年2月17日から18日、アメリカ軍はトラック諸島、特に「夏島」に猛爆撃をかけ、日本軍に大打撃を与えた。そのため、連合艦隊はトラック諸島から撤退し、さらに西のパラオ諸島を泊地とすることになった。そのパラオ諸島も1944年3月30日から31日、アメリカ軍による大空襲を受け、アラカベサン島の海軍水上基地やミュンス飛行場など重要な軍事施設、さらにはコロール島の住宅街などほとんどすべてが破壊された。

 このような状況下、コロール島やアラカベサン島に駐屯していた日本軍将兵や在住日本人の多くがバベルダオブ島(パラオ本島)に退避した。しかし、それを追うようにアメリカ軍はバベルダオブ島にも激しい空爆や艦砲射撃を加えたので、バベルダオブ島には食料などの補給物資が一切入らなくなった。人口が一挙に数万人増えたうえ、食料補給を絶たれたバベルダオブ島は飢餓状態となり、軍・民多くの人々が餓死した。

 中島と土方が訪ねたアイミリーキ地区の新ミュンス村も同じような飢餓状態に陥っていたであろう。新開村だけに状況はもっと悪かったかもしれない。ただ、アラカベサン島の現在の地図を見ると、かつてのミュンス飛行場の遺構の西側道路沿いにミュンス村という表示が見える。アイミリーキ地区に移住した人々のうち少なくともその一部は、日本敗戦後アラカベサン島の旧村に戻り、村を再建したのではないかと思われる。

 ミュンス村の人びとは、日本軍によってアラカベサン島の旧ミュンス村を奪い取られ、やむなくバベルダオブ島、アイミリーキ地区に新村を建設した。しかし、その新ミュンス村もアメリカ軍の空・海からの猛爆撃やそのもとにおける飢餓状況で多くの犠牲者を出したと思われる。しかし、生き残った一部の人びとは日本の敗戦後アラカベサン島の旧村の地に戻り、村を再建したようである。このミュンス村のミニ・ヒストリーは太平洋戦争が「南洋群島」の現地民に強いた苦難の一コマということができるであろう。

「ミュンス飛行場跡」(2017年4月10日、南塚信吾氏撮影)

(「世界史の眼」No.39)

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