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「世界史の眼」No.22(2022年1月)

2022年最初の「世界史の眼」をお届けします。今号では、明治学院大学国際平和研究所研究員の舩田クラーセンさやかさんに、小倉充夫著『自由のための暴力−植民地支配・革命・民主主義』の書評を、木畑洋一さんに、北村厚著『20世紀のグローバル・ヒストリー 大人のための現代史入門』の書評をそれぞれ寄稿して頂きました。

舩田クラーセンさやか
書評:小倉充夫著『自由のための暴力—植民地支配・革命・民主主義』(東京大学出版会、2021年)

木畑洋一
書評:北村厚『20世紀のグローバル・ヒストリー 大人のための現代史入門』(ミネルヴァ書房、2021年)

小倉充夫『自由のための暴力—植民地支配・革命・民主主義』(東京大学出版会、2021年)の出版社による紹介ページはこちら、北村厚『20世紀のグローバル・ヒストリー 大人のための現代史入門』(ミネルヴァ書房、2021年)の出版社による紹介ページは、こちらです。

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書評:小倉充夫著『自由のための暴力—植民地支配・革命・民主主義』(東京大学出版会、2021年)
舩田クラーセンさやか

本書の特徴

 本書は、日本で国際社会学をうちたて、アフリカ地域研究に軸足を置き続けてきた小倉充夫氏のもっとも野心的な著作である。それは、タイトルに如実に表れている。英語では『自由と暴力』と訳されているこの本が、日本語ではあえて『自由のための暴力』とされている点に、小倉氏のさまざまな想いが込められていることを想像するのは難しいことではない。

 他方で、このタイトルに戸惑いを覚える人は少なくないだろう。

 まさに、それこそが小倉氏の狙いと考えられる。本書における文章の潔さも含め、小倉氏の過去の著作を知っていれば、氏によるディシプリンと地域研究を超えた長年にわたる探求が、読者を導くある種の到達点に、感嘆の声を漏らさざるを得ないだろう。後述するように、小倉氏は本書も途中経過と考えている。しかし、本書の「はじめに」で述べられているとおり、本書は過去に出された二冊の本と密接な関係にあり(『現代アフリカ社会と国際関係ー国際社会学の地平』有信堂、2012年、『解放と暴力ー植民地支配とアフリカの現在』東京大学出版会、2018年)。これら二冊とそのほかの過去の著作を眺めるとき、本書が小倉氏のこれまでの研究の集大成の大きな部分に位置づけられることに気づくだろう。

本書のねらい

 本書のねらいを一言で述べることは難しい。あまりに豊かな広がりの奥行き、深みのある議論を「一言」で表するなどということは、無謀かつ失礼極まりない。それでも、この書評を経由して本書に感心を持ってくれる人がいるかもしれないとの希望的観測から、あえて評者自身の言葉で本書のねらいを纏めてみる。

 本書は、抑圧からの解放と自由を実現する手法として民主主義を求め続けた人びとの葛藤を、世界における現実—とりわけ近現代史的展開の中—に位置づけ、そこから生まれてきた理論(たとえ、批判に満ちたものであろうとも)を丹念に検討しつつ、現在と未来を検討するための議論の土台を提供しようとした画期的な本である。そして、その議論の土台の提供先が、現在と未来の日本の人びとに向けられていることは、本書の「はじめに」と「おわりに」で明らかである。

 小倉氏を「アフリカ地域研究者」として認識してきた人は、「はじめに」が「日本における報道の自由世界ランキングの低下」から始まっていることには驚くかもしれない。小倉氏の懸念は、続く文章で具体的に示される。

「(日本の)戦後民主主義が成熟するどころか、残念ながら形骸化していることを示す一例なのではないか。特に今世紀になって、市民社会の未熟さを痛感させられることが多くなってきた。(中略)かつては権威主義体制のもとで苦しんできたアジアの諸国が、民主化するにつれ、今や市民社会の成熟度において、日本をあっという間に抜き去った感がある…(i頁)」。

 そして、「本書を構想した動機の一つ」として紹介される以下の文章をここで示しておくことは、本書を読み解くうえで重要であろう。

(日本の/で)「民主主義を鍛えることが難しいのは、それを勝ち取ったという経験にかけているからではないのか。天皇制ファシズムと闘った人々は決して少なくないが、その体制の崩壊と民主化は、基本的には敗戦と占領の結果であった。(中略)重要なことは、やはり変革と民衆との関わりにあるのではなかろうか。日本は他のアジア・アフリカ諸国のようには、外国による支配や独裁体制からの解放を民衆が自力で勝ち取ったという経験を持たない。このことは日本の問題を考える際に、いかなる意味を持つであろうか…(i-ii頁)」

 これらの記述は、本書における小倉氏の問題意識の根底に、日本の戦後民主主義への懸念があり、課題の抽出において、アジア・アフリカ諸国、とりわけ被植民地支配や革命を経験した民衆による闘いから学ぶべきとの認識があることを示している。小倉氏は続けて、「闘う手段の選択を絶えず迫られてきた」民衆が手段としての暴力・非暴力を選択した要因、その実践の様相と結果に注目することの重要性を指摘し、「これらについて影響をおよぼしたと考えられる思想的背景、構造的要因、国際的条件など」を明らかにすることが本書のねらいであるという。

本書に先だっ

 この問題意識は、評者との共著『解放と暴力』(前述)でもすでに示されている。本書(『自由のための暴力』)は、先だって三年前に出版された同書の第1章「解放と暴力」で展開された議論を、格段に深め、広げたものである。同書出版後の本書に連なる小倉氏の取り組みについては、東京大学出版会が毎月発刊するUPの論稿において(「解放をめぐる暴力の諸相」2019年2月号、14頁)、以下のように紹介されている。

「退場しつつあると思われた偏狭な国家主義や人種主義が再び頭をもたげてきた。国際的な協調や多様な属性を持つ人々の共存の試みを否定するかのような言動や政策が、世界のあちこちで見られるようになた。(中略)しかし問題はもう少し根深いところにあると思われる。筆者は南部アフリカの植民地支配と解放、独立後の動向に注目し、それによって現代世界の問題を捉え、併せて専門諸科学を問い直すことを自らの課題としてきた。このような問題意識のもと(執筆されたのが)、…『解放と暴力』である。そこでは、帝国主義時代に強化された植民地主義と人種主義が過去のものではなく、近年危惧される傾向はそれらが継続・再編されたものであるという視点から論じた」。

 そのうえで、「鍵概念のひとつである暴力についての議論がやや不十分であった」ことから、同論考が準備されたという。同論稿では、本書の第1章で展開される議論が、「『自由を守る義務を負う名誉』とテロリズム」、「解放にとっての非暴力主義」、「革命批判と犠牲のピラミッド」、「合意なき国家の紛争」という小見出しにあわせて進められる。本書は同論考で示されたこれらの議論の骨子を、具体的な事例と豊富な理論的考察をもとに、さらに発展させたものである。

本書の構成

 本書は、以下のように構成される。

第1章 自由のための暴力

第2章 非暴力の理念と現実 

第3章 革命と暴力(1)― 理想と現実

第4章 革命と暴力(2)― 後進国革命と国家暴力

第5章 植民地支配と現代の暴力

第6章 民主主義と暴力

 以下、各章の特徴を、網羅的にではなく、評者の視点から重要と考える点を中心に取り上げていく。

(第1章 自由のための暴力)

 第1章では、本書の鍵概念である「自由」と「暴力」がさまざまな角度から論じられるが、とりわけ次の問いに根ざして議論が進められる。つまり、自由のための暴力行為は許されるのか?許されるとしたら、あるいは許されないとすれば、なぜか? 暴力の結果、生じた犠牲はどこまで許容されるのか、されないのか? つまり、本書のタイトルを見て感じるであろう読者の疑問に真正面から理論的に答えているのが本章である。いかなる批判もまずはこの章を読むところからしか始まらない。

 何より、本書においてもっとも重要であろう本章が、「抵抗と暴力」から始まっている点にこそ着目したい。小倉氏は次のように説明する。「政治的な暴力には様々な担い手があり、その特徴も異なる。そのことは国家権力による暴力とそれへの対抗暴力において典型的に示される」として、「抵抗」が「国家権力による暴力」を前提にしていることが示唆される。これは、本書が一貫として、①それが絶対王政のものであれ、全体主義や独裁国家のものであれ、共和国や議会制民主主義国家のものであれ、植民地支配下のものであれ、「国家権力による暴力」を問題としていること、②これに「抵抗」し、これを乗り越え、抑圧からの解放という「自由」を獲得するための「闘い」のあり方を考察の対象としていること—を明らかにする。つまり、小倉氏は、本章を通じて、被抑圧者による社会変革、ひいては世界変革に向けた闘いのあり方、現実の面での可能性と限界、その要因のおおまかな見取り図を示そうとしているのである。

 闘争の時間軸は、抵抗から解放に至ることで終わるわけではない。ここに、ザンビアの村からアフリカ大陸、第三世界までの「地域」に立脚して社会と国際関係の変容を研究してきた小倉氏の洞察がある。理論家が解放運動として成果を上げた組織や理論をどれほど賞賛しようとも、その先(解放後)の社会を誰がどのように導き、その結果として何が起こったのか、それはどこの誰の現実から、どのように分析されるべきなのか—これらの問いこそ、過去の著作ならびに本書における小倉氏の問題意識の根幹を成す。人によっては、これを、人びとの生きる現実により肉薄しようとする社会学的アプローチによるものと考えるかもしれない。しかし、本書を丹念に読み進め、読み通すことができた読者は、小倉氏がなぜ「解放後」にこだわったのか、ディシプリンを超えたところで理解できると思う。

 その一端を評者なりに捉えるならば、研究者がどれほど現実に肉薄しようとしても、最終的にはそれは不可能な試みである。それでも、研究者はさまざまな手法で現実に近づこうとする。そこで過去の人類の具体的な営みに基づいて生まれ出た思想や理論が与えてくれる示唆は重要な意味を持つ。他方で、だからといって研究がそこにとどまるとすれば、現実に害悪すらもたらしうる。研究が国際政治・経済に直接的な影響を及ぼすようになった20世紀においては、これは重要な点である。とりわけ二十世紀後半以降の冷戦期において、知的サークルにおける認識枠組みのあり方は、国際政治の場に強く深い影響を及ぼし、同時代を生きる「地域」の人びとの現在と未来に希望の一方で深い亀裂を作り出してきたからである。この点は、最終章にあたる第6章でより具体的に検討されるが、読者が第1章に示される理論上の射程を理解する助けになるだろう。

(第2章 非暴力の理念と現実)

 自由のための手段としての暴力を論じる点で避けて通れないのが、非暴力思想である。とりわけ、日本ではマハトマ・ガンディーの非暴力思想とインド独立への寄与が広く知られているため、暴力的手段による闘争は無意味なもの、あるいは「血に飢えた者の蛮行」として認識されやすい。しかし、小倉氏が指摘するように、ガンディーは暴力の一切を否定したわけではなかった。これは、同じく非暴力主義者として日本で認識されるネルソン・マンデラ(後に南アフリカ大統領)とて、同じであった。本書のタイトルに疑問を感じた読書こそ、この章を丹念に読んでほしい。

 小倉氏が、本章の第1節(「非暴力の主張と暴力批判」)の第1項(「非暴力思想の特徴」)で指摘するように、ガンディーが非暴力が内含する道徳的優位性が、暴力を振るう者への訴えにおいて一定の有効性を有していることは重要であるが、他方でこの非暴力は何もしないという消極的な非暴力ではなく、積極的な非暴力であった点は忘れてはならないだろう。ただし、小倉氏は、続く第2項(「非暴力の主張における問題」)で、非暴力思想への批判の紹介を怠らない。つまり、圧倒的な国家権力による暴力の実力行使の前では、非暴力による解決の主張が、現実から遊離し無力なばかりか、現状維持を長引かせることにつながるとの批判である。そのうえで、第2節(「手段としての非暴力」)では、解放運動の担い手たちにとって、「暴力を容認するか、それとも非暴力に徹するべきか」という原則主義的な議論ではなく、解放実現のための手段や戦略として非暴力が有用か否かこそが重要であったことが、「暴力も非暴力も」と名づけられた第一項で紹介される。

 本章では、小倉氏の著作に特徴的な議論の進め方の特徴がもっとも如実に示されている。以上のように、相反する認識や理論を真正面から突き合わせつつ、あまり知られてこなかった現実の具体的動きとその結果を紹介し、最後に筆者としての考えを示唆するスタイルである。本章においては、59頁に小倉氏の考えの一端が表されているが、明確には、次章以降に詳しく記される各革命の展開の中でさらに議論が深められていくので、読者はそれを待たなければならない。

(第3章 革命と暴力(1)理想と現実 /第4章 革命と暴力(2)後進国革命と国家暴力)

 本来、核となる第3章と第4章は、分けて丁寧に論じられるべきであるが、これらの章は相互に密接に関連しあっており、単体では扱うことが難しいため、あわせて紹介する。

 本書の最大の特徴は、理論を踏まえつつも各地における「後進国革命」の具体的事例に注目し論じている点にある。現在の日本で、かつ日本語で本書が出版されることの積極的なねらいと意義について、これら二章を読めば明らかと考えるが、評者の受け止めを少しだけ紹介したい。

 日本は自らを「先進国」と呼びながら、民衆の覚醒という意味でも、闘いという意味でも、到底「先進国」の名を掲げることはできない。経済的に「後進国」とされ、かつての被植民地主義国にあった人びとの変革への欲求と圧倒的な力の差における不断の努力がもたらした体制転換—それは植民地にとどまらず、「地域」全体、あるいは/そして宗主国側社会、さらには国際関係や世界史に影響を及ぼしたこと—から、日本の人びとと社会はたくさんの学びを得られるだろうし、得るべきである。本書全体の中にこの二章を位置づけることで、そんな想いが伝わってくる。

 またこれら二章においては、革命とその後に対するアプローチにおける国際関係の重要性が、豊富な具体的な事例をもとに示される。つまり、理想と現実が、革命が生じた社会内部の構成体や原初蓄積の状況にとどまらず、国際的な経済政治関係の推移の中で互いに影響を与え合いながら進んでいく様相である。

 国際的条件やその相互影響を考慮に入れない革命理論は多い。特に、「比較」という一見学術的に真っ当な手法によって、覆い隠されてしまう運動ならびに「地域」の現実、革命を取り巻くさまざまなレベルの主体との関係、ならびに歴史的に醸成された関係性の網を明らかにすることは、小倉氏による研究手法の基本にあり続けた。これは、共著『現代アフリカ社会と国際関係』において、小倉氏が担当した第1章により詳しい。

 これまでの小倉氏の注目してきた地域や現象を考えれば、キューバ革命に相当の紙幅が割かれていることは新鮮であった。なぜキューバ革命でなくてはならなかったのか? キューバ革命が、冷戦期の米ソの対立と世界戦略という冷戦状況下で起こり進展していくこと、また1960年代を通じて、とりわけラテンアメリカとアフリカにおける「後進国革命」に具体的に及ぼしていく世界史的かつ地理的拡大を影響を考えれば、これは納得がいくものである。とはいえ、キューバ革命の課題(エリトリア独立へのネガティブな影響を含む)の紹介を怠らない点に、先に紹介した小倉氏らしさが表される。

 なお、これらアジア・ラテンアメリカ・アフリカにおける革命を「後進国革命」とする整理は独特のものである。これには、本書の「あとがき」に出てくる学術的背景—津田塾大学国際関係学研究科での勤務—の影響を考えずにはいられない。これについては、最後に検討する。

 なお、第4章はエチオピア革命が中心に扱われている。小倉氏は、アフリカ解放後の社会主義革命を分析した際にタンザニアと並んでエチオピアを扱った後も、エチオピア革命とその後の国家暴力、国家分裂に関心を持ち続けた。この具体的事例の展開に基づく理解こそ、続く第5章の総括につながっていく。

(第5章 植民地支配と現代の暴力)

 本章は、ここまでの理論と現実、特に第4章のエチオピアの事例に関するの検討を踏まえつつ、先に紹介した共著本『解放と暴力』をより普遍化したものといえる。本章では、 「1. 支配の正当化と暴力」、「 2. 独立と解放の乖離」、「 3. 国家暴力の正当化 」、「4. 『合意なき国家』の形成と暴力」との見出しで筆が運ばれていく。ここでは、解放を実現し、国家権力を手に入れた運動体が、植民地支配などでもたらされた社会内の分裂傾向と厳しい国際環境に直面する中で、暴力に加担していくプロセスが、多様な事例に基づきつつも、驚くようなシャープさで纏められている。植民地支配からの脱却という目標を超えて、新しい社会の創造を前提とした社会変革を目指す解放運動ならではの課題が、過去の革命の盛衰や課題、第4章におけるエチオピア革命史を土台にしつつ、繰り広げられており、本書の中でもっともダイナミックな章といえる。ある意味で、「自由のための暴力」(そして「革命を取り巻く暴力」)をテーマとした本書の終章に位置づけられる本章における手堅い整理は、本書全体だけでなく、過去の小倉氏の著作における取り組みを振り返る際に役に立つ。

 本章最後の節となる「『合意なき国家』の形成と暴力」は、そのタイトルに示されるように、見かけ上の民主化を遂げてなお、アフリカの民衆が苦しむ国家権力による暴力とそれへの対抗暴力、そしてそれらが織り混ざって生じる暴力の蓄積と連鎖の苦しみが記される。同時代に生きる私たちが、現代世界の各地で生じ続ける暴力を理解するために不可欠な視点が披露されるとともに、その解決の難しさを実感させる中身となっている。

 革命後に薔薇色の社会が待ち受けるわけでも、革命崩壊後に自由が訪れるわけでもないという19世紀から現在までの教訓の先に、何があるのか? 誰の何からの解放・自由こそを、問題にすべきか? そんな問いが胸に重くのしかかってきたところで、本書の本来の最終章(第6章)の出番となる。

(第6章 民主主義と暴力)

 最後に、小倉氏は以上の議論を、「民主主義と暴力」という題目の下、西欧社会や日本に広げる。本章には、小倉氏が古今東西、「後進国革命」を通じて日本の読者と議論したかったであろう論点が、そこかしこに提示されている。また、なぜ本書が、暴力を真正面から取り上げ、「後進国革命」を問題にしたのか、そしてこのようなアプローチをとったのか、本章を読んでいくうちに明らかになるだろう。この章こそ、まさに小倉氏の本書の根底にある問題意識の在処が如実に示された章といえる。もう一点重要なことは、本章に、小倉氏の次の研究の方向性が示されている点である。

 本章の第1節「民主主義の暴力」で、冒頭に「構造的暴力と暴力批判」が取り上げられている点に注目したい。『解放と暴力』の第1章でも検討された点であるが、本章では、とりわけ暴力が民主主義体制下(見かけのものであれ)の社会で発現し続けていることに注目する重視性が指摘され、そこに引きつけた議論が展開される。革命達成を終着点とせず、その後の社会変革—故に人びとの解放と民主主義の可能性—に重きをおく小倉氏ならではの議論の展開である。本章では、一見民主主義的な制度をいくつか紹介しつつ、このような制度上の工夫すら、暴力と抑圧を生み出し続ける近代国家や集団主義の現実が炙り出される。

 小倉氏は、問題の本質が暴力行為を許容すべきか否かではなく、構造的暴力をどう捉え、これをどのように乗り越えるべきかにあるという。結局のところ、「民主主義の制度に集団主義的な原理を加えるだけでは不十分であること」、また「この原理はかえって対立を強め、暴力を増長することがあること」が指摘される。これに新たに移民の問題が加わる。

 小倉氏は、このような現代的課題を乗り越えんとする努力がすでに脱植民地化のプロセスと新国家形成期のアフリカであったことを、ザンビアのカウンダ初代大統領とタンザニアのニエレレ初代大統領の試み通じて明らかにしようとする。パン・アフリカズムのリーダーでもあった二人が、植民地支配によってつくり出された分裂を避け国民的な統合を実現・維持するという課題と、さまざまな地域や民族の共存を図るという二つの課題を抱えていたばかりか、冷戦とアパルトヘイト下という厳しい国際・地域的(南部アフリカ)条件に直面していた点も指摘されている。なお、これらの点に関しては、『解放と暴力』により詳しい。

 冷戦後、とりわけ西側諸国が、このような苦悩と試みを矮小化したまま、形ばかりの民主化を押しつけた結果として生じた社会的亀裂、それに続く大規模な虐殺や戦争に、小倉氏は警鐘を鳴らす。いつの間にか忘れられてしまったこの論点は、本書が一貫して注目する国家暴力と抵抗暴力の綱引きにおいて、民衆の熱望を誰がどう刈り取る(ってしまう)のか、民衆の覚醒と主体化はどのように/どこまで可能なのかに関する疑問に読者を誘う。この問いの根底に、日本の国家、市民社会、民衆の過去・現在・未来が、小倉氏の念頭にあることについては、「あとがき」に明らかである。

(あとがき)

 以上との関係で、そもそも小倉氏がなぜこのテーマに取り組んできたのかについて、次のように述べていることは重要であろう。

「日本が他の社会の革命、解放闘争、民主化にネガティブな意味で関わってきたからである。例えば、日本はイギリス・フランス・アメリカと共にロシア革命に対する軍事介入に加わったばかりか徴兵した最後の国だった。東アジア・東南アジアにとって日本は、いうまでもなく帝国主義的侵略国であった。戦後の冷戦期には、民主勢力を弾圧する独裁政権を援助で支え続けた。日本の関わりを一面的に性格づけることはできないが、解放の主体からすれば、長らく日本はたぶんに解放を妨げる存在であり、闘う相手であった。このように解放とのネガティブな関係の認識を踏まえることが、本書のようなテーマに取り組むための第一歩であろあう」

 そして、本書の最後の最後に読者は、小倉氏の眼差しの向こうに、「ある村の人びと」がいたことを知る。

「サラエヴォも沖縄もそこに住む人にとっては世界の中心である。(中略)自分もペタウケにいると世界の中心にいるとの感覚を持つようになった。常識的には、政治でも経済の面でも、世界の辺境とされる地で生活している人びとのそばにいると、様々な不条理に嫌でも気づかざるを得ない。ペタウケから、物理的な空間としてはザンビアが、南部アフリカが、そしてアフリカと世界が、そして歴史的には、帝国による侵略以来の支配・服従と解放、その痕跡と現状が見えてくる」

 この文章に込められた想いについては、新たに付け加えるべきことはないだろう。

 なお、評者があえて「地域」と「」付きで紹介してきた理由は、小倉氏にとって「地域」が、地域社会からアフリカ地域までを含む多元的なものであることを示すためであった。

 もう一点、本書を可能にした「場の存在」について。小倉氏にとっての勤務校・津田塾大学の国際関係学研究科ならびに研究所の重要性である。小倉氏は、そこに集う同僚や研究員たちから受けた刺激を繰り返し語ってきた。共著『現代アフリカと国際関係』は、そんな小倉氏が退任を迎えるにあたって、感謝の気持ちを込めて準備した本であった。多くが知るところであろうが、同研究科・研究所は、江口朴郎氏が開設したものである。同時代の国際関係という横軸と、世界史的展開という縦軸が交差しながら網の目のように関係しながら育まれていく民衆の意識と構造の変容、革命と反革命の綱引き—江口氏に特徴的な分析視点は、これまで小倉氏をはじめとする多くの研究者に大きな影響を及ぼしてきた。また、本書が「問題意識に沿って必要であれば学問領域の垣根を乗り越える、そのことの危うさを自覚しつつ、同時にそれが不可避であることを意識したことの賜である」との説明は、社会学を学問的出発点にしながらも、その垣根を越え続けた小倉氏ならではの総括といえる。

最後に

 以上から、第三者的な書評を認めるには、評論者の属性(博士後期課程以降、小倉氏に学び、過去に出された二冊の共著者)は、あまりに不適切なため、本稿は本の紹介にとどまるものとなってしまったことをお詫びしたい。各章で取り上げられている理論や現象、そしてその解釈について、何百もの付箋を付けたものの、それらを事細かに紹介するよりは、これまで小倉氏の研究姿勢と著作に大きな影響を受けてきた者として、なぜ氏が本書を書くに至り、このような構成を用い、またこれらの事例をこのような形で取り上げたのかを分析・紹介することで、研究者以外の一般の人を含む多くの人に興味を持って本書を手にとってもらえたらと考えた。

 本書で包括的かつ弁証法的な議論が展開されている以上、詳細は各自で読んでもらい、紙面上での対話を試みてもらうべきだろう。

 最後に、第6章では、小倉氏が今後このテーマで議論をさらに深め、進めようとしている論点がいくつか示唆されている。そして、本書は過去のいずれの著作よりも、また第6章はいずれの章よりも、躍動感を持って描かれており、長年にわたり小倉氏の文章に慣れ親しんできた者としては、ある種の清々しさを感じずにはいられない。恩師の瑞々しい文章に触れ、背筋を伸ばしたのは評者だけではなかったろう。

【参考図書】

・小倉充夫・眞城百華・舩田クラーセンさやか・網中明世・セハスモニカ『現代アフリカ社会と国際関係—国際社会学の地平』(有信堂、2012年)

・小倉充夫・舩田クラーセンさやか『解放と暴力—植民地支配とアフリカの現在』(東京大学出版会、2018年)

(「世界史の眼」No.22)

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書評:北村厚『20世紀のグローバル・ヒストリー 大人のための現代史入門』(ミネルヴァ書房、2021年)
木畑洋一

 先に『教養のグローバル・ヒストリー 大人のための世界史入門』(ミネルヴァ書房、2018年)という本を上梓して高い評価を得た著者が、その手法を引き継ぐ形で対象とする時代を20世紀から現在までに限定して著した本が、ここで取り上げる『20世紀のグローバル・ヒストリー』である。その手法とは、高校の歴史教育で用いられている教科書の内容にあくまで即しながら、著者なりの歴史像を提示していくというやり方である。参照された教科書は、前著においては「世界史B」(古代から現代までを詳細に扱う科目)の教科書であったが、本書では、それに加えて「世界史A」(近現代を中心に比較的簡潔に扱う科目)、「日本史B」、「日本史A」(BとAの違いは世界史と同じ)も参照されている。換言すれば、高校での歴史関係の教科書すべてを素材にしているわけであるが、それは、2022年から高校において新科目「歴史総合」が導入されるということに関わっている。従来の世界史と日本史を融合させる形で18世紀以降の歴史を扱うというこの新科目を見据えて、本書は書かれているのである。

 また前著と本書のタイトルがともにグローバル・ヒストリーという語を含んでいることから分かるように、著者が目指しているのは、グローバル・ヒストリーを意識した通史的叙述である。この点に関していえば、前近代についてもネットワークという考え方を適用して斬新な歴史像を提示した前著の方が刺激的であったとも感じられるが、本書でもさまざまな工夫が凝らされている。「はじめに」で著者が示している、グローバル・ヒストリーとして20世紀史を再構築する際のポイントは以下の5点であり、きわめて要を得ている。①人類共通の問題群を主軸にする、②国境をこえる関係性や結びつきを積極的に取りあげる、③地理的に広い範囲での歴史の動きを把握する、④大国よりもその周縁部に焦点を当てる、⑤「下からの」エネルギーに注目する。問題はこうした視点が貫徹した叙述になっているかどうかである。この内、③から⑤については、それなりに著者の努力がみられるものの(ただ③の広域性という視角は、前著においては非常に明示的に打ち出されていたが、本書ではそれほどでもないという印象をもった)、本書の「売り」となるのは、①と②ではないかと思う。それに関して例をあげてみたい。

 本書のプロローグ「20世紀前夜の世界」は、前著で著者が強調していたグローバル・ネットワークの完成についての議論から始まるが、そこで中心に据えられるのが、列強による植民地支配の拡大であり、さらにその支配を支えた人種主義である。人種主義は、上記の①にある人類共通の問題の一つであり、本書を貫く主軸の一つとなっている。著者は、1990年代初めのアパルトヘイト諸法の廃止に触れた個所で、「20世紀は人種主義の世紀だった。…人種主義が国家政策として公然と実施される時代はこれで終わった」と述べるのである。もとより人種主義そのものがそれで完全になくなったわけではないと著者は続けて論じるわけであり、このような形での20世紀論に評者は強い共感を覚える。

 また移民という問題も、「人類共通の問題」として重視されている。これをめぐっては、満洲国の建国後、日本が満洲移民を推進していく背景に、それまで日本人移民が多かったブラジルで強圧的な民族主義政策が開始されて移民が圧迫され始めたという要因も存在していたとの指摘が興味深い。これについての叙述に踵を接する形でナチ・ドイツのもとでのパレスチナへのユダヤ人移民問題を取り上げるといったところに、著者の巧みな工夫をうかがうことができる。

 ②の論点に関わる例としては、たとえば日露戦争とイラン立憲革命の関係をあげることができる。1906年のイラン立憲革命に日露戦争での日本の勝利が大きな影響を及ぼしたことは、これまでも教科書のなかで書かれてきたが、その様相を著者は簡潔ながら具体的に説明している。さらに、教科書ではお目にかかることはない指摘として、インドでのベンガル分割への反対運動に日露戦争が影響を与えた可能性が指摘されている。また、1960年代の世界の若者たちのカウンター・カルチャーと中国の文化大革命の同時性に着目し、前者への後者の影響に触れているところなども、印象に残った。

 こうした内容をもつ本書は、読みやすい文体で書かれており、教科書でおなじみのゴシック体による重要語句の強調も適度になされているなど、歴史教育のために使われるにふさわしい本になっている。ただ、注文したい点も若干存在するが、ここでは一点のみあげておこう。

 先に①から⑤というポイントを挙げたが、著者はそれに加えてあと二つの点を提示している。一つは、20世紀の世界史を10年毎に切り取る形で本書を構成するという点であり、いま一つは世界史と日本史の総合を意識するという点である。後者に関しては、ない物ねだりはいくらでもできるものの、本稿で指摘してきたような叙述など、工夫の努力がよく見られる。 

 一方、前者については、1930年代とか1960年代とか、確かに10年区分で議論をする意味がある場合も20世紀には多かったが、それでよいのかと思われる時期もある。たとえば1940年代である。これを一つの章にまとめてしまうと、1945年における第二次世界大戦終結の意味合いは、どうしても相対的に低められてしまうのではないだろうか。それは戦後変革の評価にも連動する。このことは、本書が念頭に置いている「歴史総合」での時期区分にもあてはまる問題である。「歴史総合」では、「国際秩序の変化や大衆化」という大項目と「グローバル化」という大項目とが、1945年ではなく、1950年代初めで区切られているのである。もちろんその区切り方を正当化する理由もありうるが、こうした点について何らかの説明が欲しかったところである。

 最後に一つ述べておきたいことがある。著者がこのような形で一書を著わすことができるというのは、日本の高校で使われている歴史教科書の中身がかなり標準化されていることの反映であるとも考えられる。叙述の中身にはそれぞれの特色が出されているとしても、頁数にせよ、用語にせよ、教科書がかなり似通ったものになっていることは否めない。固有名詞でも概念でも、従来の教科書で馴染みがないものは避けられがちであるし、頁数の制約のために叙述の密度も限られがちになる。本書は、そうした日本の教科書を素材にしながら、20世紀の世界史像をどこまで描けるか試した成果であるが、本書を読んだ上で、このような日本の歴史教科書のあり方自体を改めて問うてみることもできるのではないだろうか。

(「世界史の眼」No.22)

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「世界史の眼」No.21(2021年12月)

今号では、南塚信吾さんに、「『世界婦人』の伝える世界情報」を寄稿して頂きました。また、木村英明さんに、林忠行著『チェコスロヴァキア軍団−ある義勇軍をめぐる世界史』を紹介して頂いています。

南塚信吾
『世界婦人』の伝える世界情報

木村英明
文献紹介 林忠行『チェコスロヴァキア軍団−ある義勇軍をめぐる世界史』(2021、岩波書店)

林忠行『チェコスロヴァキア軍団−ある義勇軍をめぐる世界史』(2021、岩波書店)の出版社による紹介ページは、こちらです。

また、「世界史寸評」として、木畑洋一さんの「歴史総合の教科書を執筆して」を先月掲載しております。併せてご覧ください。

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『世界婦人』の伝える世界情報
南塚信吾

 『世界婦人』という新聞は、福田英子によって1907(明治40)年1月に創刊され1909(明治42)年7月まで、2年半にわたって、始めは月に2回、のちに1回のペースで発行された日本初の社会主義女性新聞である。わたしは神川松子の仕事を調べていてこの新聞に出会い、その視野の広さに驚いたのだった。それで改めてこの新聞を読み直してみた。幸い、労働運動史研究会編の『明治社会主義史料集』別冊(1)として『世界婦人』が全部収録されている。

 『世界婦人』は『新紀元』のあとを継ぐものと考えられていた。『新紀元』は、1905(明治38)年10月に平民社が解散させられたあと、11月から翌(明治39)年2月まで出ていたキリスト教社会主義の立場の新聞で、木下尚江、石川三四郎。安部磯雄、片山潜らが中心であった。

 『世界婦人』は、「女子をして最も自由なる天地に於て其の眞使命を自覺せしめ」、諸般の革新運動を鼓舞し開拓すること」を目指した(福田英子「發刊の辯」)もので、基調としてはキリスト教社会主義の立場に立っていた。ではなぜ、「世界」婦人なのか。「發刊の辯」にはそれは書かれていない。しかし、『世界婦人』の創刊を予告した『新紀元』最終号の記事は、こう言っている。『世界婦人』は婦人の世界的解放を成就せんことを以てその使命となす。故に『世界婦人』は先ず専ら世界的思想を婦人社会に注入するに勉むべし。『世界婦人』は此の脚地に立ちて、世界の政治問題、社会問題、宗教、教育、文学の諸問題を報導し、論議し、研究する、と(『明治社会主義史料集』別冊にある宮川寅雄の解説)。婦人の自覚は世界的視野でのそれが求められ、「世界的婦人」の出ることが期待されていたのである。それゆえに『世界婦人』は、婦人解放に関連する世界中の情報を提供していた。

 雑誌を主宰したのは福田英子であった。経営上福田を助けたのは、石川三四郎であり、寄稿したのは、二人のほか、安部磯雄、幸徳秋水、堺利彦、木下尚江、神川松子、片山潜らのほか、二葉亭四迷、板垣退助など、思想的に幅広いメンバーであった。福田英子をとおしてこの雑誌は田中正造とも密接な繋りを持っていた。

 では、『世界婦人』は、婦人解放に関連するどのような世界中の情報を提供していたのだろうか(本稿では、当時の用語に従い、「婦人解放」という表現を使うことにする)。『世界婦人』の全号の中から婦人解放に関する世界の情報を拾い出してみたい。ほぼ毎号、本文か「海外時事」という欄に諸外国の女性の動きについての情報が載せられていた。

 もちろん各号に載った福田英子、木下尚江、石川三四郎。安部磯雄、幸徳秋水らの論稿においては、時々海外の主題が含まれていた。たとえば、『世界婦人』16号では、幸徳秋水は「婦人解放と社会主義」と題する巻頭論文において、アメリカの「無政府党の領袖」エンマゴールドマン(エマ・ゴールドマン)を引いて、「婦人解放の第一着手は婦人をして社会主義を知らしむるにあり」と論じていた。

 しかし、『世界婦人』は、「海外事情」などの欄を設けて、そこで種々の海外での婦人解放にかんする情報を豊かに載せていたのである。この視野の広さには驚くほかはない。

 以下、どのような情報を載せていたのか、ジャンルに分けて「タイトル」だけを紹介しておこう。(・)は『世界婦人』の号数を示す。

1. 婦人労働(者)について

 「健脚の女丈夫」(英の郵便居局長)(5)、秘密印刷に従事する一日本婦人(ロシア)(11)、米国の婦人労働(14)、仏国の婦人労働、女子議員の職業―フィンランド(15)、仏国の婦人労働者(23)、アイスランド婦人の覚醒(27)、阿蘭(オランダ)婦人の訴願(29)、伯林(ベルリン)の婦人労働者(29)、婦人労働者同盟(英)(2)、英国の婦人労働協会(28)、英国婦人労働組合大会(30)、女子の裁判官(米国)(17)など。

 とくに婦人売買や女中問題などについて、

 婦人売買禁止列国大会(1)、下婢組合と下婢の権利(豪州)(7)、世界の女中問題(11)、英国女中団体(30)、家内労働者組合(14)など。

2. 婦人の運動 

 英国婦人の示威運動(2)、マンチェスターに於ける婦人問題大会(2)、英国婦人の覚醒(3)、独立労働党と婦人運動(3)、婦人達の擾動(英)(4)、女子教員の運動(16)、独逸の婦人運動(20)、英国女子の政治運動(22)、英国曼市に於る婦人示威運動(マンチェスター)(28)、萬國婦人大会(アムス)(28)、印度婦人団体(29)、滿洲の女馬賊(2)、流罪婦人の悲劇―シベリア(30)など。

3. 婦人参政権問題について

 英国婦人の選挙権運動(1)、豪州における婦人の勢力(選挙権)(2)ナイチンゲール女史と選挙権問題(5)、維納(ウイーン)通信―選挙権問題(5)、墺太利(オーストリア)の光景―普通選挙法可決(6)、英国婦人選挙権運動(7)、那威(なうるうえい=ノルウエー)と女子選挙権(16)、世界に於ける婦人選挙運動(21)、英国婦人選挙成行(25)、婦人参政権運動(英国)(26)など。

 これに関連して、婦人と議会に関するものとして、

 最初の婦人代議士、イギリス、フィンランド、ニュージーランド(12)、仏国婦人と議会(15)、芬蘭(フィンランド)国会(26)、香港議会における婦人問題の勝利(7)など。

4. 婦人と社会主義について 

 万国社会主義婦人会議(ドイツ)(16)、今週のすつっとがると=万国社会主義婦人会議(府人の万国的活動、ツェトキンスの働き振り、大会の花形役者ロザ・ルキセンブルグ、勇ましき武者振り、印度婦人の活躍など)(18)、英国の「教会社会主義者」(22)、欧州の社会主義者(22)、婦人社会主義者ルエーラ・ツッイニング(25)、墺國社会民主主義婦人大会(30)、婦人の社会主義観―シカゴ(31)など。

 これに関連して、婦人と革命という観点から、

 婦人は男子よりも革命を好む(7)、芬蘭の女子革命家(17)、露国革命婦人メリー・スピリドノヴワ(26)など。

5. 世界的に知られた婦人個人について

 マダム・ローラン略伝(3)、スノウデン夫人の演説(3)、ストウ略伝(4)、黄梁の一夢(烈婦ルイ、ミシェルを懐ふ)(5)、ルイ・ミセルの記念像(16)、「ヂァンダーク」略伝(24)、米国のプリマドンナ、ノルヂカ女史(35)、北米のプリマドンナ、イームス女史(36)など。

6. 婦人の教育について

 女子は学術に適せざる乎(15)、義務教育の延長(19)、英国女学生の光栄ある成功(26)、独逸に於る女子高等学校(29)、独逸婦人の勝利(30)、西洋文学と婦人の功績―帆雨棲主人(35)など。

7. 婦人の自由について

 文豪カーラエルと婦人自由問題(9)、土耳古(トルコ)婦人の自由(30)など。

 ここに見るように、婦人の労働、婦人の運動、婦人参政権問題、婦人と社会主義、それに婦人と教育が主なテーマであった。婦人解放は社会主義との関連でのみ実現されるという意識が強かったことを思わせる。また、婦人運動の組織化、婦人同盟の諸問題にも強い関心を寄せていた。すでに婦人売買や女中問題などにも関心を向けていた。そして、当時もっとも婦人解放の進んでいたイギリスを中心としつつ、フランス、ドイツ、オランダ、オーストリア、ノルウェー、フィンランド、ロシア、オーストラリア、ニュージーランド、アメリカ合衆国、あるいは、トルコ、インド、香港などに視野を広げ、滿洲やシベリアにおける婦人の状況にも関心を向けていた。『世界婦人』はこのような世界的な視野の元で、婦人の解放を考えてその2年半の生を終えたのであった。たしかに、婦人の自覚は世界的視野でのそれが求められ、「世界的婦人」の出ることが期待されていたことが伺える。そして婦人解放のために世界中で行われていることをすべて吸収して日本での婦人解放に生かそうという意気込みが見てとれる。世界史における重要な「傾向」が日本に「土着化」されようとしていた瞬間を見る事が出来る。この雑誌を中心に、当時の日本を含む世界における「婦人解放」の運動や思想の全体像がもっともっと研究されるといいのではないかと思った次第である。

(「世界史の眼」No.21)

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文献紹介 林忠行『チェコスロヴァキア軍団−ある義勇軍をめぐる世界史』(2021、岩波書店)
木村英明

 多くの人が、日本史や世界史の教科書ないし参考書で、「チェコスロヴァキア軍団」(以下、「軍団」)の名前は目にしたことがあるだろう。例えば日本のシベリア出兵の大義名分になった存在として、あるいはまたボリシェビキによる拙速なロシア皇帝ニコライ2世一家殺害の誘引の一つとして。しかしこのチェコスロヴァキア建国以前に姿を現した「軍団」が、なんのためにどのような経緯で組織され、第一次世界大戦とロシア革命期の混沌の渦中でいかなる活動を繰り広げ、その結果地域と世界の歴史に何をもたらしたのか、その詳細を叙述し、考察した日本語書籍はほぼ見当たらない。おそらく、これまでにもっとも多くの情報を提供してくれていたのは、同著者による『中欧の分裂と統合−マサリクとチェコスロヴァキア建国』(1993、中公新書)である。この前著では、初代大統領に就くことになるマサリクという個人を軸に、彼が世界をへめぐり、各国の政治状況、国際情勢と切り結びながら建国へと至る道のりが描かれていた。今回の著書は、独立国家創設を図るマサリクの切り札となる、しかし規模的には決して戦争の帰趨を決するような大兵団ではなかった「軍団」の活動を通して、チェコスロヴァキアという国が中欧に現実の姿を持つようになる過程、ならびに当時の入り組んだ世界史の形を巧みに浮き彫りにしていく。

 本書はプロローグとエピローグ、序章と終章に挟まれた全5章から構成される。文芸書を想起させるような、研究書としては独特な構成といえるかもしれない。まずプロローグで、著者はプラハのヴィートコフ丘にある無名戦士の墓を紹介している。そこに15世紀前半、フス派を率いて神聖ローマ皇帝軍と戦ったヤン・ジシュカの巨大な像がたち、その足もとに軍団兵士の遺骨も収められているからだ。ジシュカが19世紀以降のチェコナショナリズムにより神話化されたと書く著者は、両大戦間期において英雄視されていた「軍団」将兵の遺骨が1989年の共産党体制崩壊後になってそこに埋葬された経緯を叙している。社会主義期の歴史観を槍玉に挙げているのではなく、おそらく著書の冒頭部で単線的な語り=神話化に対する注意が喚起されているのだと思われる。著者は本書中で自らの叙述を何度か「物語」と呼ぶ。神々の趨勢を語る神話は批判を許さない非歴史的なものだろうが、人びとの来し方の物語は複線的であり、歴史であるだろう。エピローグは「最後に、軍団にかかわった人々のその後をたどって、この物語を終えることにしよう」と始められている。プロローグとエピローグが共鳴して、「物語」に隙のない枠を形作っていることが感じ取れる構成である。

 各章の内容については著者自らが序章で記しているのだが、以下に簡単に紹介しておく。

 序章では「軍団」の物語を始めるにあたって、ハプスブルク君主国(以下、「君主国」)中のボヘミアと上部ハンガリーの歴史空間、そこに住まう人びとの多言語性やナショナリズムの萌芽が語られる。また、「世界革命」と「世界戦争」の時代を歩んだ「軍団」を主人公に据え、「君主国」史と対ソ干渉戦争史を接合する形で整理するという本書の方向性が明示されている。

 第1章は大戦勃発を受けて、ロシア帝国領内のチェコ系・スロヴァキア系移民が、「軍団」のもととなる「チェコ・ドルジナ」(ドルジナはチェコ語で「従士団」の意)と名付けられた親ロシア義勇軍をキエフで結成したこと、またその軍旗の紋章の配列から、スロヴァキアがボヘミア諸邦の一つのように扱われていたことに触れている。この義勇軍は、近代ナショナリズムに基盤を置くチェコ系の体操運動「ソコル」の影響を受けていた。そして1916年に義勇軍は「チェコスロヴァキア狙撃連隊」と、初めてチェコスロヴァキアを冠する軍へ改称されたという。

 第2章は、大戦初期の「君主国」内に見るチェコ系政党と政治家の国内自治要求、それに対するロシアと結んだスラヴ帝国構想(ネオスラヴ主義)の議論を追跡する。前者の議論はボヘミア諸邦の「歴史的権利」に依拠していたため、スロヴァキアを含んでいなかった。並行して、パリとロンドンを軸足に独立運動を開始したマサリクの思惑が解説される。ロシアの帝政に批判的だったマサリクであるが、独立国家の領域についてはネオスラヴ主義者と同様に、スロヴァキアを含むものであったことが明らかにされる。そして1915年11月、「チェコ人在外委員会」の宣言で公式に「チェコスロヴァキア国家」の表現が使われたという。翌1916年2月頃には「チェコスロヴァキア国民評議会」(以下、「評議会」)が設立され、スロヴァキア人のシュチェファーニクが副代表として加わり、議長のマサリクを支えることになる。「評議会」は海外政府から認知を受けるようになるが、英仏ら協商国はまだ独立国家創設を支持しているわけではなかった。さらに、親ロシアの移民組織が独自に国民評議会設立を図るなど、この「評議会」内部にも路線闘争が起きた。アメリカ在住のチェコ系、スロヴァキア系それぞれの移民組織が結んだ「クリーヴランド協定」(1915)と「ピッツバーグ協定」(1918)にも触れられている(そこにはチェコとスロヴァキアの連邦化が約されていたため、独立後、両者の関係に火種を残すことになってしまった)。

 第3章は、1917年の二つのロシア革命に対応する「評議会」と「軍団」の動きが中心となる。2月革命は、ロシアにおいても「評議会」がマサリクの指導下にまとまることを促す契機となった。いっぽうでまたケレンスキーの臨時政府は、他国の地で祖国の軍と戦い、独立国家創設を掲げるチェコスロヴァキア義勇軍を快く思っていなかったが、「軍団」は独・墺軍に対するロシア臨時政府の7月攻勢下、ズボロフの戦いで名をあげる。その戦功の大小はさておき、両軍ともにチェコ系兵士多数であったことから、著者はこれを異国の地における内戦と呼び、革命戦争を象徴する戦いとしてのちに神話化されたと語る。また、この戦いにおける独・墺軍チェコ兵士の投降も愛国的行為という神話に昇華されたという。マサリクはこの機にロシア政府にたいし、「軍団」が「中央諸国と戦闘状態にある革命軍」であること、同軍が軍事的にロシア最高司令部に従うものの、政治外交面で「評議会」が責任を負うものと認めさせた。その後の10月革命とロシアの戦線離脱は、「軍団」にとって独・墺軍との戦場消滅という結果をもたらした。内戦に突入していくロシア国内で、「軍団」内部では革命軍への参加、あるいは反ボリシェビキ軍への合同と意見が錯綜する。マサリクの決断は、「軍団」の中立維持とフランスへの移送であった。ソヴィエト政権との間に「ペンザ協定」が結ばれ、武器携行の制限を受け、民間人としての移動が認められた。後続の章で、この協定への反発と「軍団」の反乱が語られることになる。

 第4章は「軍団」のシベリア横断とその反乱を取り上げる。ウラジオストクへ向けて東進を開始した「軍団」であったが、赤軍への編入を望むトロツキーの思惑、ドイツ人捕虜の帰還にとってその存在を障害とみなすドイツ政府の介入、さらにチェコ系、スロヴァキア系共産主義者による妨害行為などが絡み合い、遅々とした歩みを余儀なくされる。そうしたなかで、1918年5月には「軍団」とソヴィエト軍の衝突がチェリャビンスクで起き、「軍団」はチェリャビンスクを占拠してしまう。直後に開かれた代表者会議で、「軍団」はペンザ協定に背き、武装解除を拒否することを決め、反ソヴィエト反乱へと突き進んでいく。軍は長大なシベリア鉄道沿いに「チェリャビンスク・グループ」、「ペンザ・グループ」、「ノヴォニコラエフスク・グループ」の3つの部隊に別れて、それぞれを若い士官が指揮することになった(3人の若い士官はたちまちに少将へと昇進する)。各軍とも実戦経験に乏しい急拵えのソヴィエト軍を圧して進軍し、また反ソヴィエト勢力との協力関係も築き上げる。マサリクによる内戦への不介入、中立維持の指示は守られなかったことになる。

 第5章ではロシアの戦線離脱を受けた連合国の東部戦線に対する対応、それに絡んで「評議会」と「軍団」の扱いが移り変わっていく軌跡が綿密にたどられる。まずイギリスは、「軍団」がロシアに留まり東部戦線の再構築に投入されるべきだと考えていた。他方、フランスは西部戦線でドイツの攻勢に備えるために、「軍団」のフランス移送にこだわった。独立国家成立後に外務大臣を務める「評議会」事務局長のベネシュは、「軍団」を手札に各国の利害の狭間で独立国家の可能性をかけた外交を展開することになる。4月には、ウラル以西の「軍団」をアルハンゲリスクないしムルマンスクに移動させるイギリス案にベネシュは同意したとされるが、翌5月に「軍団」の反乱が始まってしまう。西部戦線で苦戦する英仏軍の要請を受け、日本やアメリカは「軍団」救援を目的にロシアへの軍事干渉を決定し、著者の言によれば「軍団」は「連合国の前衛」となった。このような状況の変化を受けて、連合国の「君主国」にたいする政策も転換していく。チェコスロヴァキア独立には明確な支持の声が上がらなかったものの、英仏は相次いで「評議会」を国家の代表として承認する。また国際情勢の変化を映して国内でも、以前の「チェコ国民委員会」が7月に、スロヴァキア人メンバーは不在ながら「チェコスロヴァキア国民委員会」と改組され、チェコスロヴァキアを名乗る国家の現実味が増していく。この時期、チェコスロヴァキア人という言葉も新聞等の見出しにふつうに用いられるようになっていたという。国内組織は「君主国」内への残留にこだわる派もあったようだが、終章で述べられるように、ボヘミア諸邦で19世紀後半から育まれた政党政治は、異なる意見を調整し妥結点を見出すほどに成熟していた。1918年10月28日、チェコスロヴァキアは独立を宣言し、イタリアで戦っていた義勇軍の力を得て、上部ハンガリーのスロヴァキア地域も構想通り新国家の領土に組み込まれた。

 終章では、ロシアの「軍団」が内戦下で物資確保のために行った工場運営などの経済活動が紹介されていて興味ぶかい。国家独立後に「在露チェコスロヴァキア軍」となった「軍団」は、新たな祖国へ帰還するために、赤軍が攻勢を強めるシベリアを逆方向のウラジオストクへ向けて進み続けた。1919年10月に始まった正式撤退は、オムスクの反ボリシェビキ政権の崩壊もあって困難な道のりとなる。1920年4月には、「軍団」と日本軍の間で、当初の発砲がどちらからだったか曖昧なままに銃撃戦となった、いわゆるハイラル事件も起きた。最後の部隊がようやくウラジオストクを出港したのは、同年9月に入ってのことだった。「軍団」を舞台回しに語られた建国の物語の最後に、著者はその後の国家をみまうことになった、ドイツ系住民の追放問題や1992年末日のチェコとスロヴァキアの分離についても触れている。ナショナリズムを規定するのは国内要因以上に、それを取り巻く国際環境であるという指摘は、本書を通読した後で確かな説得力を持って迫る。

 国家成立後、両戦間期から第二次世界大戦を経て、戦後の社会主義期を各自各様に過ごした本書登場人物の生涯が簡潔に示されたエピローグは、胸に染みる。

 拙稿を閉じるにあたり、私事になり恐縮なのだが、一つのエピソードを紹介することを許していただきたい。30年近くもまえ、著者とわたしはスロヴァキア南西部のとあるお宅にお邪魔したことがあった。著者はチェコ語で、当時本国でもよく知られていなかった「軍団」の活動と建国の歴史を熱心に語られた。その家の、日本式に言えば小学校上級生程度だった少年は、この折の経験に忘れ難い印象を受け、大学で国際関係論を学び、現在は国際関係に特化されたNGOで活躍している。著者のグローバルな視野は、現実においてもグローバルに作用したのである。

(「世界史の眼」No.21)

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南塚信吾編著『神川松子・西川末三と測機舎―日本初の生産協同組合の誕生』が刊行されました

南塚信吾編著『神川松子・西川末三と測機舎―日本初の生産協同組合の誕生』アルファーベータブックス、2021年11月、定価3500円(税別)が刊行されました。これには世界史研究所のウェブサイトに南塚が連載していた「神川(西川)松子と西川末三―世界史の凝縮としての測機舎」が一部修正のうえ、再録されています。

内容は、

第一部 測機舎の歴史的意義
神川松子と西川末三の作った労働者生産協同組合―日本の中の世界史としての測機舎―
南塚信吾

第二部 神川(西川)松子資料
 一 女性の解放をめざして―平民社時代 一九〇五年―一九〇八年
 二 「赤旗事件」関係 一九〇八年
 三 女性の地位向上をめざして 一九一四年―一九二一年
 四 ブーニンの翻訳
 五 トルストイの翻訳

第三部 測機舎誕生資料
 一 規約関係
 二 新聞記事

補遺 「士魂商才」
西川末三

となっています。

世界史研究所を通じて頂きますと、2割引きでお求めになれます。

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松本通孝『一世界史教師として伝えたかったこと(補遺)「生涯一教師」これからの歴史教育への提言』が刊行されました

松本通孝『一世界史教師として伝えたかったこと(補遺)「生涯一教師」これからの歴史教育への提言』Mi&j企画、2021年11月 定価500円(税別)が刊行されました。前著『一世界史教師として伝えたかったこと』の「補遺」という位置付けです。

第一章 私にとっての歴史教育とは?
第二章 資料編―定年後の諸活動
第三章 これからの歴史教育の在り方、課題と期待

という内容です。

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世界史寸評
歴史総合の教科書を執筆して
木畑洋一

 高等学校における2単位の必修科目として2022年度から導入される新科目歴史総合の教科書執筆に携わった者として、執筆過程で抱いた個人的感想(あくまで私個人の感想であり、教科書出版社や他の執筆者の感想を代弁するものではない)をいくつか述べてみたい。

 歴史総合は、2006年に浮上した高校世界史未履修問題などを背景としつつ、これまでの世界史と日本史を統合して、生徒たちに歴史を主体的に考えさせることを目的とした科目として発足した。日本学術会議による「歴史基礎」という科目の提唱などを経て、文部科学省がこの新科目創設について発表したのは、2016年のことであり、その後教科書作成に向けた動きが始まった。私は高等学校の世界史教科書の執筆に長年関わってきており、そろそろこうした仕事からの引き時かなと思っていたが、新科目の教科書執筆に参加しないかとの誘いを受け、結局引き受けることになった。

 そこでまず困ったのは、科目の、そして教科書の具体的コンセプトがつかみ難いことであった。分っていたのは、近現代を対象としてこれまでの世界史と日本史を融合すること、近代化、大衆化(後に「国際秩序の変化や大衆化」という表現になる)、グローバル化という主題が軸になること、生徒たちが自分自身で考えていく力を身につけていくアクティブ・ラーニングが重視されること、といった点である。しかし、それだけでは教科書作りにとりかかるには不十分であり、高等学校学習指導要領とその解説の発表が待たれた。学習指導要領が発表されたのは2018年3月末であり、解説の方は同年7月に公表された。そして大学と高校の教員から成る執筆者チームによる大童の作業が始まったのである。

 この教科書作成に際してまず大きな問題であったのは、従来の歴史教科書のスタイルである時系列を重視する通史的な叙述を基本にしていけるかどうかという点であった。すでに触れたように今回の学習指導要領では、生徒一人一人が学習している内容について主体的な問いかけをして、そうした問いかけをもとにいわゆるアクティブ・ラーニングを行うことが目指され、その材料となる史料の提示が重視されていた。その方向性をつきつめていけば、史料や問いかけを中心とした全く新しい様式の教科書を作ることも考えられたわけであるが、そうした変化は激しすぎるとして、執筆に携わった高校の先生方の間でも慎重な姿勢が強かった。そこで、基本的なスタイルとしては従来の歴史教科書に似た通史的なものとすることとしつつ、史料は多く選び、史料中心に組み立てる部分も作っていくことになった。

 教科書作成の結果を見てみれば、文部科学省の検定を通って歴史総合の教科書として使われることになった12冊のほとんどが、通史的スタイルのものになっている。大きな変化を期待していた方々からはこの点についての不満の声も聞こえてくるが、私としてはこの路線が妥当だったと考えている。

 ただし、史料は今までの歴史教科書に比べてはるかに多く掲載されることになり、本文や史料について生徒に問いかけ、さらに生徒自身の問いをも引き出していくような設問も、全体にたくさん置かれることになった。こうした史料や問いの適切さは、歴史総合の授業が実践されるなかで問われ、修正を加えられていくものと思う。

 いま一つ重大な問題であったのが、「世界史と日本史の融合」という点である。もっとも学習指導要領にはそうした文言は登場せず、「近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、世界とその中の日本を広く相互的な視野から捉え」ることが、この科目の目的となっている。そのため、従来の科目を前提とした「世界史と日本史の融合」という表現自体がミスリーディングであり、まったく新しいものとして「歴史総合」を考えていくべきだ、という意見もある。そうした考えはもっともであるが、教科書を具体的に執筆していく上では、結局のところ、従来の世界史と日本史の教科書の中身をいかに「融合」させていくかということを考えていく他なかった。私たちの教科書は見開き2頁で一つの節としたが、同一節内で融合した叙述を行うことができる部分は限られており、多くのところで、世界史関係の節と日本史関係の節がパラレルに並ぶという構成に落ち着いたのである。ただ私としては、「融合」がもっと追求されてもよいのではないかという気持ちを抱いており、歴史総合の教科書が改訂されていくなかで将来的にそのような方向性が模索されていくことを願っている。

 次に、「世界史と日本史の融合」という問題に関わって、歴史総合における時代区分の問題に触れておきたい。歴史総合では、全体を三つに区切る大項目それぞれの主題として、前述したように「近代化」「国際秩序の変化や大衆化」「グローバル化」が提示され、各大項目が扱う時期が次のように設定された。

  近代化:18世紀から20世紀初頭まで
  国際秩序の変化や大衆化:第一次世界大戦から第二次世界大戦後の1950年代初頭まで
  グローバル化:1950年代から現在まで

 これらにまつわる論点はいろいろあるが、ここで問題としたいのは、それぞれの始点と終点の設定の仕方である。

 まず近代化部分が18世紀から論じ始められるということは、世界史を軸としていると言うことができる。学習指導要領では、「産業革命と国民国家の形成」が重視されているが、「二重革命の時代」に着目するにせよ、近年議論となっているヨーロッパとアジアの間の「大分岐」論に着目するにせよ(私たちの教科書ではこの「大分岐」論を盛り込んだ)、18世紀は世界史的に見た場合の変化の起点であると考えられる。日本の状況はそうした大きな変化のなかに位置づけられるのである。

 次の大項目は第一次世界大戦から始まることになっているが、これも世界史を軸とした区分、より正確にはヨーロッパ史を軸とした区分である。私は、第一次世界大戦の世界史の転換期とすることの問題点について、ホブズボームの「短い20世紀」論批判という形で論じたことがあるので、ここでは繰り返さない。ただ、日本にとって(さらにアジアにとって)の第一次世界大戦がかつて考えられていたよりも重要であったことは近年いろいろと論じられており、世界のなかでの日本という問題を考える際に、第一次世界大戦がよい素材となることは確かであろう。

 大項目区分をめぐって私が一番問題であると感じたのは、「国際秩序の変化や大衆化」という大項目と「グローバル化」の大項目とが、1950年代初めで区切られていることである。これについて、学習指導要領の解説では、一方で「1940年代後半から1950年代初頭までの時代については、国際秩序の形成の基本理念や、福祉面での国家の積極的な介入の方向性などの連続性に着目し、第二次世界大戦の勃発から一つの中項目として構成した」と、世界史的要因からの理由付けを行いつつ、同時に、「平和条約と日本の独立」という点を強調している。これについては、「世界とその中の日本」への眼差しを養おうとする歴史総合の目的との関連で、第二次世界大戦後、日本が国際社会に復帰することになった時期が大項目区分の中心的目安とされたのではないかと思わざるをえない。指導要領解説が強調する連続性は確かにあるものの、世界史的に見れば、戦後改革、冷戦、脱植民地化のいずれについても重要な画期は第二次世界大戦の終結時期であり、日本についても、この区分では戦後改革の意味が相対化されてしまう可能性がある。

 このようなことをいろいろ考えながら執筆に参加した歴史総合教科書は、すでに高等学校での採択決定も終わり、もうしばらくすると使われ始める。教室現場からの声がまたれるところである。

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「世界史の眼」No.20(2021年11月)

今号では、トロント大学の米山リサさんに、「ラムザイヤー論文の<腹話術>と北米・知の生産のポリティクス」と題して寄稿していただきました。編集部序と併せて掲載します。また、平田雅博さんに、本年刊行されたホブズボームの伝記の翻訳『エリック・ホブズボーム 歴史の中の人生』を書評して頂きました。

編集部序:ラムザイヤー論文とその批判について

米山リサ
ラムザイヤー論文の<腹話術>と北米・知の生産のポリティクス

平田雅博
書評 リチャード・J.エヴァンズ著『エリック・ホブズボーム 歴史の中の人生』木畑洋一監訳、原田真見、渡辺愛子、芝崎祐典、浜井祐三子、古泉達矢訳、岩波書店、二〇二一年七月刊行

リチャード・J.エヴァンズ(木畑洋一 監訳、 原田真見、渡辺愛子、芝崎祐典、浜井祐三子 、古泉達矢訳)『エリック・ホブズボーム 歴史の中の人生』(上・下)(岩波書店、2021年)の出版社による紹介ページは、上巻がこちら、下巻がこちらです。

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