本書のドイツ語の原題は『古い大陸における新しい秩序―新自由主義の歴史』である。本訳書のタイトル『東欧の体制転換と新自由主義』から想像されるような1990年前後の「東欧の体制転換」に限られた議論をしているのではないが、議論の中心はそれには違いない。著者は、2010年からウイーン大学の教授で、2020年にできた「転換研究センター」の長を務める。
本書の章立てを並べても話の構造は分からないので、訳者自身の読み方に従って、書評をしていきたい。
1.1989年以前
本書は、1989-91年の前に、ヨーロッパの東西において、同じように新自由主義的な転換を迎える素地が準備されていたと主張する。つまり、西欧では、80年代に福祉国家の改革は失敗し、サッチャーのような改革派が新自由主義の方向を取った。一方、東欧では、80年代に国家社会主義の改革を目指す動きがあった。東欧諸国の人びとは、冷戦研究に長らく影響を与えてきた全体主義理論がいうようには、強制的に同質化され、おびえて暮らしていたわけではなく、社会主義の体制を改革しようという動きがあった。しかし、その改革はうまく行かず、結局、新自由主義の方向に動いていった、というのである。
これは確かにそうだが、東欧では、ソ連のゴルバチョフが東欧支援を停止せざるを得なくなったことの影響、西側で作られた新自由主義の考えがIMFなどによって東欧に植え付けられた経緯などは、もっと考慮しなければならないのではなかろうか。
2.1989-90年代:新自由主義化の第一波
1989年にポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ルーマニアの諸革命、ベルリンの壁崩壊、そして1990-91年に東ドイツの終焉、ユーゴスラヴィアの解体、アルバニアの体制崩壊、ソ連の解体が起きた。本書はまず、このような諸変革によって単一民族の国民国家が形成されたという。それは19世紀後半以来の国民国家形成をいっそう推し進めた国民国家形成の新時代が到来した。単一民族化の原則はこれまでより強かったという。
東欧の体制転換を本書は「革命」と捉えている。ただ、本書は、1989年は一貫して革命と言っているが、1989-91年全体では「大変革」と言ったり、「革命」と言ったりしていて、読者には混乱させられる。ともあれ、1989―91年は、当時においてはだれも「革命」とは言っていなかった、「革命」はあとから名付けられたのだという。
諸革命の結果、ヨーロッパでは諸革命の本当の新しさはそれが非暴力的に展開され、「交渉による革命」として進められた点にある。この非暴力性はそれまでのどの革命にもなかったという。そういう革命はいかに展開したか。本書は、旧来の国家社会主義はまだ意味があって、体制内の反対派はその改革を考えていたが、それが実現しないうちに、新自由主義が支配的になっていったと見ている。
こうして、東欧での新自由主義化の第一波がやってきた。本書は、東欧のなかでも、中東欧諸国(ヴィシェグラード諸国)と南東欧と旧ソ連を区別している。中東欧では1989-90年に新自由主義化が始まり、南東欧とロシアでの新自由主義化は1990年代半ば以降という。この第一波で、民営化、規制緩和、市場化が行われるが、民営化について言えば、
この時期には、国家が統制した企業の民営化と郵便・通信・エネルギーなどの民営化が行われた。評者から見ると、90年代初頭の東欧での農業の変革問題が重視されるべきなのではないかと思われる。ポーランドを除いた東欧での生産協同組合の解体、土地の私有化が持ったインパクトは大きかったはずである。
本書は、東欧での変化は西側世界に種々の影響を及ぼしたという。とりわけ「市民社会」という概念は東から西へ伝播した例であると指摘する。だが、評者は、「市民社会」論は、新自由主義とともに、西から来たのではないかと思っている。
しかし、総じて西は東の転換には無反応であった。東欧の転換は、「鉄のカーテンの東側だけで生じた文字どおり片面的な革命」であった。西の平和運動や環境運動の活動家たちは動かず、チャンスが活かされなかった。左派の知識人も東欧の革命に懐疑的だったという。その間に、自由は市場での自由になってしまって、種々の改革運動は消えてしまった。そして、西も東も新自由主義が覆うことになった。
3.2000年
本書は、2000年ごろに東欧には新自由主義化の第二波がやってきたと見ている。西から金融セクター、不動産への外資が広まり、老齢年金や健康保険などの民営化が行われた。中東欧全体に新自由主義が浸透して、民主化が成功し定着した。南東欧と旧ソ連諸国は新自由主義化の遅れを取り戻したとされる。
ここで、本書は、新自由主義の四つのパターンを見ている。
- 福祉国家的な要素を残した新自由主義体制―ヴィシェグラード諸国
- 明確な新自由主義体制―バルト諸国と南東欧
- ネオーコーポラティズム型―スロヴェニア
- オリガルヒ型―旧ソ連諸国
旧ソ連では国家資本主義の体制ができたが、それは、「権威主義体制の枠組みに合うように調整された新自由主義のハイブリッド」であったという。
こういうパターンの違いはあったが、総じて、東欧では豊かな都市と貧しい地方の格差が拡大したことを本書は指摘している。
だが、本書は、東欧諸国のEU加盟は、この格差を縮小するのを助けたという。2004年と2007年に中東欧、南東欧はEUに加盟したのである。EUは投資をして、東部を飛躍させ、新自由主義化の第二波による格差拡大を緩和させたというのである。ただ、旧ソ連諸国では大衆とオリガルヒとの格差は拡大した。
ヨーロッパの東西で言えば、2008年までに、東のEU新加盟国は西の既加盟国の経済水準に近づいたとされる。ヨーロッパ全体が新自由主義の下で、経済成長をするようになったのである。その中で、1990年以後の新自由主義的改革の中で主に苦しんだのは、東欧では、高齢者と年金受給者、南欧(イタリアなど)では若い世代であったと、本書は指摘する。だが、本書は農村を見ていないようだ。
4.2008―09年:金融危機
本書は2008年のリーマン・ショックに始まる金融・株式市場の危機を、東欧における新自由主義の危機ととらえている。この危機の中で、西欧の投資家による資本の引き上げが興り、国家予算が危機に瀕してIMFが出動することになった。この2008―09年の危機は、EU新加盟国と旧ソ連諸国に、ドイツやオーストリア以上に強力な打撃を与えた。そして、このグローバルな金融・財政・経済危機はEU新加盟国の既加盟国との経済格差の縮小傾向を突然終わらせたのだった。
この危機への対応を本書は次にように分類している。
- 国家支出増で対応―ドイツ、オーストリア、ポーランド、スロヴァキア
- 新自由主義型―バルト諸国、南東欧
- 場当たり的―ウクライナ
- 新自由主義からの離脱―ロシア「国家資本主義」ほか
ただし、ロシアについては、新自由主義からの離脱と言っても、完全な離脱ではないとしている。チェコやハンガリーはどこに入るのだろうか。
本書は、2008年以降、ほぼすべてのEU新加盟国は、既加盟国より深刻な不況に陥ったが、速やかに危機を克服したという。それに比べ、南欧諸国(イタリア、ギリシア)は回復が大幅に遅れた。だからイタリアでは、左右のポピュリストが台頭した。
この際、東部ヨーロッパでは、危機への対応として、大規模な労働移民が起き、これが景気後退の影響を緩和したという。1990年代にはポーランド人の移民が多かったが、2008年以後は、ルーマニア、ラトヴィア、リトアニアなどからの移民が多かったのである。
この危機が克服されるにつれ、EUをさらに東へ拡大するよう働きかけが行われた(誰によってかは明記されていない)。その例が、2014年のウクライナの「オレンジ革命」であったという。この時、ウクライナでは「民主的に選ばれた」大統領ユーシェンコはEU加盟を打診した。だが、EUは「距離」を取った。EUは無理解だったと本書はいう。ついで、2013-14年にウクライナでは「本当の意味での革命的な状態」がやってきた。この革命運動(マイダン革命―評者)によって、ウクライナでは「持続的な民主主義」が確立したが、しかし、クリミアがロシアに併合され、東部ウクライナが不安定になって、革命に悲劇的な結果をもたらしたと、本書は見る。だが、本書は、ウクライナのEUへの正式加盟の選択肢を排除すべきではないという。「国全体がヨーロッパに位置し、民主的に統治され、かつEUへの加盟を望んでいるのであれば、その国家を拒絶する説得的な理由は何もない」というのである。
ここに著者の目線がはっきりと示されている。「民主的に選ばれた」とか「持続的な民主主義」が確立したというのは、どうだろうか。例えば、マイダン革命がアメリカの「関与」したクーデタであることは、オバマ自身が認めていることである。ともかく、新自由主義を東方へ広める動きは、停滞した。
5.2016年以後:新自由主義化の停滞
新自由主義が深刻な社会的・地域的格差を生んだ。そのために2016年に「反自由主義的転回」が起きた。本書は、新自由主義秩序によって特に悪影響を受けた人びとの反抗が反映したのが、2016年のイギリスのEU離脱(ブレグジット)であり、アメリカ大統領選でのトランプの当選であったという。ハンガリーのオルバーンは「非リベラル・デモクラシー」を唱えて、新自由主義に対抗し始めた。これらに見られるような動きによって、本書は、この時期までに新自由主義化は「停滞」し、まもなく新自由主義と大転換の時代は「終焉」を迎えたという。本書は「停滞」といい「終焉」というが、両者はあまりきちんと整理されていないように思われる。
本書は、この2016年の「反自由主義的転回」によってもたらされた「一時代の終焉」がパンデミックによって改めて示されたという。パンデミックは新自由主義的グローバル化に根源的な批判を突き付けた。それは、一つには、自然への容赦のない搾取への批判であり、二つには、格差の拡大への批判である。
本書は、2022年2月24日に始まるロシアのウクライナでの戦争は、「ウクライナに対してだけでなく、自由なヨーロッパ、西側、さらには1989年の諸価値に対する戦争」であるという。しかし、他の諸事件の場合の分析と違って、本書はこの戦争の始まる過程の分析をしていない。新自由主義を東へ進めようとしたことへのロシアの反発は考慮されていない。
ともあれ、本書は、この結果、新自由主義的秩序はさらに弱体化され、新自由主義的グローバル化は「終焉」したという。ただ本書は、ヨーロッパの新自由主義化をポジティヴに評価し、そのマイナス面は改革で直せるという立場を取っているようである。
このあと世界はどこへ行くのか。本書はこう見ている。
「ロシアや中国によって喧伝される多元的世界秩序は、寂肉強食や暴力、勢力圏を求めての武力闘争によって特徴づけられるものとなるだろう。これは、19世紀における帝国主義の時代への逆戻りとなるかもしれない。だからこそ西側は、ウクライナがこの戦争に勝利すべく文字通り全力で支援しなければならない。1989年における民主革命の遺産を守ることが重要である。」
現在の世界の情勢を見ていると、「19世紀における帝国主義の時代への逆戻り」をしているのは、アメリカ、イスラエルではなかろうか。「1989年における民主革命の遺産」とは、新自由主義的グローバル化のことだろうか。しかし、それは「終焉」したと言っているはずであるが、まだ「守る」べき遺産なのだろうか。
本書では、多くの歴史的事象にかなり細かい周到な検討がされている。しかし、そういう検討がなされていない事象も散見される。それだけに、本書を素材にさまざまな議論をすることができそうである。
(「世界史の眼」No.74)