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「世界史の眼」No.63(2025年6月)

今号では、2024年12月に逝去された伊集院立さんを偲ぶ特集を掲載します。松本通孝さんと南塚信吾さんに、伊集院さんを追悼する論考をお寄せ頂きました。また、本年刊行された、油井大三郎さんの著書『日系アメリカ人 強制収容からの<帰還> 人種と世代を超えた戦後補償(リドレス)運動』(岩波書店、2025年)を、上杉忍さんに書評して頂きました。

<伊集院立さんを偲ぶ>
松本通孝
伊集院立さんの想い出
南塚信吾
伊集院立さんの仕事を振り返る

上杉忍
書評 油井大三郎著『日系アメリカ人 強制収容からの<帰還> 人種と世代を超えた戦後補償(リドレス)運動』(岩波書店、2025年)

油井大三郎『日系アメリカ人 強制収容からの<帰還> 人種と世代を超えた戦後補償(リドレス)運動』(岩波書店、2025年)の出版社による紹介ページは、こちらです。

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伊集院立さんの想い出
松本通孝

 2024年の年も押し迫った12月末、突然伊集院さんが亡くなられたというメールを受け取りました。奥様が亡くなられてから数年間、音信不通になっていましたが、やっと開通できたと思ったメールが、彼の他界のお報せでした。

 彼と私は、年は同じで、彼は一浪、私は一年留年しておりましたので、史学科西洋史で卒業年度は一緒でした。しかし学生時代の想い出は殆どありません。一つだけ、うろ覚えですが、そのころ存在していた東大歴研が明治100年をどうとらえるかというシンポジウムを企画した時、彼と二人でシンポジウムでの講演をお頼みするため、犬丸義一さんの家に依頼に行ったことがかすかに記憶に残っています。ただ、講演・シンポに関しては、まったく記憶がありませんので、彼がどのような役割をしていたかは不明です。

 その後、私は、高校の教師として歴史教育の方面に進路を決めましたので、以後のお付き合いは年賀状以外全くなくなりました。

 1970年代の半ば、私が高校の世界史教師として夢中になっていたころ、突然彼から電話がありまして、中村義さんらと中高生向けの人名事典を企画しているのだけど、教育現場の立場で協力してもらえないかとの誘いでした。歴史関係だけでなく、文学、科学、芸術、芸能、スポーツなどに及ぶ総合的な事典の企画でしたが、私は、自分の授業に絶対にプラスになると思い、二つ返事でお引き受けしました。2~3年かかったと思いますが、本当に楽しい編集委員会で、伊集院さんには本当に感謝しております。出来上がった本は、中村義ほか編『コンサイス学習人名事典』三省堂、1978年でした。中高生向けの事典でしたので、短い説明文の中にできるだけエピソードを盛り込むようにという方針で、これは、私が普段の授業で生徒たちに話す余談の貴重なネタになりました。伊集院さんには本当に感謝しております。

 それからしばらくして、1982年ころ、西川正雄さん、吉田悟郎さんらが中心となって比較史・比較歴史教育研究会が発足した時、私は事務局の仕事を手伝うという立場で参加しておりましたが、伊集院さんはその会のメンバーの一人で数回の東アジアシンポの報告者としても活躍されていたと思います。私は裏方でしたので、彼の報告は聞いておりません。シンポジウムの報告集を出すときにも、彼は中心メンバーの一人として活躍されていたと思います。

 時代的には併行しますが、1989年、99年に高等学校の学習指導要領が改訂され、社会科解体、世界史はAとBの教科書が作られるようになりました。この時は、三省堂から西川さんに依頼があり、高校現場から私を含め3名が編集執筆委員として参加することになりました。この教科書は、戦後史を3章立てにし(普通は2章)、しかも今までの西洋中心、中国中心の傾向を打ち破るため、大国の周辺からの叙述を狙った画期的な教科書でしたが、現場の高校の先生方には受け入れられず、結果的には失敗に終わってしまいました。この教科書で近代ヨーロッパを担当されたのが伊集院さんで、西川さんからの難しい要望に頭を悩ましていた姿を思い出します。

 その後も、西川グループの企画は続き、2006年には歴史学研究会編『世界史史料』全12巻(岩波書店)の刊行を開始し始めました。この企画は10年以上に及ぶ企画で、その途中で西川さんが病に倒れ、この仕事を引き継いだのが伊集院さんでした。この仕事は、直接的には各巻の責任者が執筆者への依頼、原稿集め等を分担するのですが、その総責任者が突然伊集院さんになったのです。彼の悩みはいかばかりであったことか、とにかく2012年7月、最後に残っていた第1巻の刊行が終わり、準備期間を含めると10年近くに及ぶ企画は無事終了しました。西川さん時代からの淡い希望であった、もし売れ行きが良かったら、高校生向けに本格的な史料集を出したいなーという夢は、いまだもって実現されていません。伊集院さんは、その後も高校の歴史教育関係の研究会に顔を出し、いずれ実現したいと思われていたと推察しますが、彼の遺志を継ぐ動きは、今のところ出てきていません。

 そのような中で、彼が晩年に取り組んでいたのは、明治以来の歴史教科書の系譜をたどる作業であったように思われます。万国史以来の日本における外国史の受け入れ、日本独自の歴史教育への道の探究に関心を持たれていたようです。それゆえ、歴教協の東京部会の例会にもたびたび顔を出されるようになり、帰る間際になって、ニコッと微笑みながら、難解な問題提起をされ、参加者の皆さんをけむに巻いて、私と一緒に新大塚の駅まで冗談を言いながら一緒に歩いたのが、最後になってしまったなーと、今さらながら残念に思い、彼の生前を偲ぶ次第です。

2025年4月

(「世界史の眼」No.63)

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伊集院さんの仕事を振り返る
南塚信吾

 伊集院立さんが、2024年12月に亡くなった。81歳であった。伊集院さんを偲んで、かれの仕事を簡単に一覧し、そのあと、わたしが一番興味を持っている「万国史」に関係したかれの論文の紹介をしてみたい。

1.伊集院さんの研究の歩み

 伊集院さんは、私と高等学校が同じ(かれが1年下)で、最後はともに法政大学にいたことから、なんとなく親しい間柄であった。かれは学生時代からファシズム、ナチズム、そしてとくにナチスの農民・農業政策に関心を持ち、地道な研究を続けてきた。かれの史料を重視した研究は他人を寄せ付けないものがあった。かれは、ナチスが権力を握った一つの重要な要素は、ワイマル期のドイツにおけるエリートに反発した大衆を巧みに捉まえたところにあるとみて、農民・農業政策の研究でもそれを根底においていたように思う。それと並行して、かれは西川正雄さんを助けるように、比較史・比較教育史の研究に伴走し、また、西川さんを助けて、世界史の史料集の編纂にエネルギーを注いできた(歴史学研究会編『世界史史料』岩波書店, 2006―2013年)。そのような伊集院さんは、2005年に発足した私たちの「戦後派第一世代の歴史研究者は21世紀に何をなすべきか」研究会では、新しい挑戦をしていた。それはドイツ国民国家を考え直す仕事であり、市民社会におけるエスニシティの問題の追及であった。後者はやや未消化であったが、いまから考えるとかれの最後の挑戦であったわけである。

 伊集院さんはまだやり残した仕事もあったのではないかと思われるが、われわれに課題を残していったのかもしれない。

 ご冥福を祈る次第である。

***

 伊集院さんの主な仕事の一覧は以下のとおりである。

1)ファシズムとナチスの農業政策

「ワイマル共和制からファシズムへの移行」『世界史における1930年代―現代史シンポジウム―』青木書店 1971年
「相対的安定期末のドイツ共産党党内論争」『階級闘争の歴史と理論』第3巻 青木書店 1980年
「ファシズムの台頭」『西洋の歴史―近現代編―』ミネルヴァ書房 1987年
「ナチスと農村同盟の地域支配1930-1932」 茨城大学教養部 『紀要』 (20) 1988年  
「ヴァルター・ダレーとヴィルヘルム・ケプラー 1932年ナチ党内における農業派と工業派の角逐」『史学雑誌』 第98篇(3号) 1989年  
「ナチスの農村労働者政策(1930~32年)」 『大原社会問題研究所雑誌』378号 1990年  
「ナチズム 民族・運動・体制・国際秩序」『講座世界史6 必死の代案』 東京大学出版会 1995年
「ドイツ農村の変容とナチス ―ポメルンにおけるナチスの農村労働者政策―」 『社会労働研究』(法政大学社会学部) 第44巻(第3、4号) 1998年  
「ライン農民協会とラインラント農業界の保守的統合―1919~1920年―」『社会志林』 51(3) 2004年  
「ラインラントの農民協会とドイツ革命」『社会志林』 50(4) 2004年  

2)比較史・比較教育

「世界史のなかのヨーロッパ史」 『自国史と世界史』未来社 1985年
「自国へのリアリズムと他国へのリアリズム」 『アジアの「近代」と歴史教育』未来社 1991年
Nationalgeschichte und Universalgeschichte: Zweites Symposium zur ostasiatischen Geschichtserziehung,Internationale Schulbuchforschung: Zeitschrift des Georg-Eckert-Insitituts für Internationale Schulbuchforschung,  12(2) 1990年  
「文禄の役における「自国史と世界史」〜東アジア歴史教育シンポジウムから〜」 第3回韓・日歴史家會議「ナショナリズム:過去と現在」2003.10. 2003年 
「近代日本の世界史教科書における東洋史と世界史の叙述:歴史教育と歴史研究」 『社会志林』 56(1) 2009年  
History Education and Reconciliation : Comparative Perspectives on East Asia, Peter Lang 2012年 

3)新領域を求めて

『国民国家と市民社会』 有志舎 2012年
  「ドイツ国民国家形成とドイツ語の歴史」
  「市民社会とエスニシティの権利」
『われわれの歴史と歴史学』 有志舎 2012年 
  「「市民革命」と東アジア世界」
  「私の歴史彷徨記」

2.近代日本の世界史・東洋史教科書

 伊集院さんの歴史学界への貢献は、もちろんナチスの農業政策のついての一連の仕事にあるのではあるが、狭い専門分野以外での貢献の一つとして、かれの比較歴史教育の分野での仕事を上げることができる。そのような仕事の一つとして、かれの「近代日本の世界史教科書における東洋史と世界史の叙述:歴史教育と歴史研究」(『社会志林』 56(1) 2009年) をとりあげて、明治時代の世界史教育の取り組みの分析における、その意味を考えてみたい。

 この論文の構成は以下のようである。

 Ⅰ 幕末日本の世界史認識・東アジア認識の転換
 Ⅱ 明治日本に於ける世界史教育と東アジア世界という歴史意識
 Ⅲ 歴史教育におけるアジア主義の中国認識と朝鮮認識
 Ⅳ 明治初期の東洋史教育と自前の教科書の作成
 Ⅴ 日清戦争以降の東洋史の教科書
 Ⅵ 戦後の世界史教科書における東アジア世界の問題
 Ⅶ 「東アジア世界」という考え方の意味について

この論文は明治以来東洋史教育が世界史教育の中でどのように芽生え、発展し、どのような問題を抱えたのか、そしてその克服のためのどういう努力がなされてきたのかを探る、意欲的な議論を展開している。東洋史教育と世界史教育との斬り結びがテーマである。その議論は戦後現代にまで及んでいるのだが、中心は明治期にあるので、本稿では明治期を中心に取り上げることにする。

 さて、伊集院さんは、日本における世界史教育は1948年から始まったのではなく、明治期から行われていたと言い、「万国史」の教科書を取り上げている。これはその通りである。ただ、このテーマについては、当時すでに岡崎勝世『聖書vs世界史』(講談社現代新書、1996年)と、松本通孝「明治期における国民の対外観の育成――「万国史」教科書の分析を通して」(増谷英樹・伊藤定良編『越境する文化と国民統合』東京大学出版会、1998年)が出ていたわけであるが、どうしたことか伊集院さんはこれらを見ていないようである。

 伊集院さんは、明治初期の万国史を中心とする世界史教育について、①欧米の成果を取り入れる形で、「万国史」として進められたこと、②この万国史は西洋の歴史であり、東洋史は含まれていなかったことを指摘している。その例として、ギゾー『欧羅巴文明史』やスウィントン『万国史要』が教科書として取り上げられていたことを挙げている。

 大きく言えばこれで間違いはない。しかし、岡崎さんや松本さんも指摘しているように、日露戦争までの明治期に限定しても、世界諸地域の歴史を並べるパーレイ風の万国史から文明の発展に貢献のあったヨーロッパを中心に見るスウィントン流の万国史へと変遷があり、前者においては、世界のあらゆる地域にそれなりの歴史が認められ、アジアの扱いもそれなりに意味のあるものであった。これが1880年代にスウィントン流の文明史的なものになり、アジアが後退していくのである。歴史の動きを主導するのは西洋で、それに関係のないアジアの国々は登場しなくなるのである。天野為之に言わせれば、「世界全体の発達に較著なる関係を及ぼさざるかぎりは」外されるのである。細かく見ると、伊集院さんの言うように「東洋史は含まれていなかった」というわけではない。世界全体の動きをリードする西洋の動きに関係のある限りで、アジアはピックアップされて世界史に組みこまれたのである。アジアに主体性がないという意味では、「含まれていなかった」のである。

 伊集院さんは、日清戦争前後にアジア主義が台頭して、世界史教育は変化したとして、万国史を離れて、東洋史という分野が自立してきたことをフォローしている。たしかにそうである。だが、これまた松本さんも指摘しているように、日清戦争前後のアジア主義の台頭を受けて、万国史においてもアジア・東方を重視した万国史を書くべきであるという強い動きが出ていた。万国史を東洋の拡大と西洋の拡大の二つの動きの総合と見るものであった。ここでは、西洋史の優位という姿勢はなくなっていた。だが、東洋の中で主導的な役割を演ずるのが日本であるという姿勢(それは日清戦争後には強化されたが)が込められていて、松本さんは、これを「日本盟主型」の万国史と位置付けている。この時期の万国史が、アジア主義的な要素を持っていたことを、もう少し見てもいいかもしれないが、ともかく、こういう西洋と東洋のせめぎあいのなかで世界史を考えるという万国史の方向を、伊集院さんがもっと注意しておいてもよかったのではなかろうか。

 伊集院さんは、日清戦争後の時期の教科書については、万国史を離れて東洋史の教科書を検討していた。そして、そこでアジア史と西洋諸国との関係を問題にしていた。いわく、日清戦争後の東洋史の教科書は、東洋史を中国史に集中させるのではなく、中国の周辺地域にも視野を広げ、東アジアだけでなく、南アジア、西アジアなどアジア全域に広がり、さらには、西洋諸国との関係においてアジア史を考えることの重要性を強調していたという。これは重要な指摘である。だが、実は、このような視角はこの時期の万国史の一つの特徴でもあったのである。

 日露戦争後には、歴史は、日本史・東洋史・西洋史に分けられて教育されていくことになる。このような東洋史と西洋史の関係、あるいは世界史の中での東洋史の位置づけという問題は、万国史に代わって「世界史」という方向で追究された。それが坂本健一や高桑駒吉らの仕事であった。ともに東京大学の東洋史の卒業であった。しかし、東洋史の教科書の分析という方向に進んでいた伊集院さんはこれに注意することはなかった。かれは東洋史の内部から世界史につながる契機がないか、その契機はどのようなものでありうるのかを探し続けたのである。戦前にはそれは見いだせなかった。そしてそれは戦後になって「東アジア世界」論として見出されることになるのだった。

 このように、世界に開かれた東洋史を求める伊集院さんの仕事は重要な問題提起であったわけであるが、万国史の流れから離れないでこれを追求した場合に、どういう成果が出ていたのか、大いに興味を掻き立てられる次第である。

(「世界史の眼」No.63)

 

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書評 油井大三郎著『日系アメリカ人 強制収容からの<帰還> 人種と世代を超えた戦後補償(リドレス)運動』(岩波書店、2025年)
上杉忍

 まず本著のタイトルに注目したい。

 「強制収容からの<帰還>」は、収容所からもとの家に「帰還」することを意味しているだけでなく、「自己の尊厳回復」の意味を持たせたくて<帰還>と表現したと著者は述べている。強制収容によって市民権をはく奪された彼らは、アメリカ白人社会への同化政策を押し付けられ、戦後「モデル・マイノリティ」と呼ばれるまでに「成功」したが、戦中・戦後のアメリカ社会の変容の過程を経て、自らのエスニック・アイデンティティに目覚め、黒人やメキシコ系さらに中国系、先住民、第3世界の人々との連帯を通じて米国における人権侵害に立ち向かう「自己の尊厳回復」を実現したのである。

 そして、「人種と世代を超えた」との表題は、人口の1パーセント以下しか占めていなかった日系人が、世界史的な意義を持つ「謝罪と補償」の要求運動に成功したのは、彼らが、世代や立場の違いに基づく日系人の内部対立を克服し、有色人マイノリティ、革新的白人だけでなく、保守的団体までをも含む広範な支持層との連帯を追求しつつ進められたからであることを強調する意図を示している。 

 著者が指摘するこの日系人の戦後補償(リドレス)運動成功の世界史的意義とは、不当な差別や抑圧を受け、その不当性を政府に認めさせ、謝罪と補償を実現した例は極めてまれであり、その後の世界に画期的な先例を示したことにあった。そして著者は「戦勝国である米国でさえ戦時中に行った不正に対して謝罪と補償を行ったのだから、敗戦国である日本は一層、外国人の戦争被害者に対する謝罪と補償に向き合うべきだ」と述べている。

 日系人の一括強制収容が強行された当初、日系人コミュニティーは、その指導的存在だった一世の多くが「敵性外国人」として拘束され、混乱に陥っており、排外的愛国主義の嵐の中で孤立無援の状態だった。本著は、その彼らが、このような世界史的意義を持つ政府による謝罪と補償の要求を実現させ「アメリカ市民」としての人権を回復しただけでなく、例えば、911事件直後のアラブ系やイスラム系の人々に対する排斥に対して毅然として抗議したことに示されているように、外国人の人権に対しても政府が責任を負うべきだとの主張の前面に立つ「トランスボーダーな人権感覚」を身に着けるまでに成長していく過程を追っている。

 従来日系人の強制収容とその終結過程の研究は相当程度丁寧に行われてきたにもかかわらず、リドレス運動とその成功の過程の研究は必ずしも十分でなかったとの問題意識から、著者は30年もの長きにわたってリドレス運動の研究に取り組んできた。しかし、本書ではこの運動だけを切り離して取り上げるのではなく、強制収容以後の日系人の歴史全体の中に位置づけることによって、その積極的な歴史的意義をよりドラマティックに描き出すことに成功している。

 リドレス運動の開始は「難産」だった。著者は、「リドレス運動への壁」として、日系市民協会が「収容」に協力したこと、「収容」を執行した戦時転住局が最後までその「強制性」を否定したこと、そして、日系人内部に深刻な分裂があったことなどの「壁」を例示している。特に、強制収用を「恥」と認識し、収容体験を語ることを封印して来た日系人のトラウマからの解放に長い時間がかかったことも「難産」の大きな要因だった。政府が求める同化路線に従い、モデル・マイノリティとして「成功」した日系人が、戦後冷戦下で赤狩り旋風が吹き荒れ反体制運動全体が圧殺される状況のもとで、アメリカ政府の「強制収容」という戦時政策の違憲性を告発し、謝罪と補償を求めることは極めて困難だった。

 しかし、なぜリドレス運動が開始され、成功までの道を歩むことができたのか。著者は、その成功の要因を次の4点にまとめている。第1にこの「収容」が当局の言うように暴民からの日系人の「一時避難」などではなく、憲法に違反する人権を侵害する「強制収容」であることを明確にしたこと、第2に西海岸で進められた戦後の日系人土地所有禁止住民投票を不成立に追い込んだことに象徴されるアメリカ世論の変化があったこと、第3に白人の強制収容反対派の支援があったこと、そして第4に、日系人三世が日系人コミュニティーの運動の主体として成長してきたことである。 

 本著は3部構成からなっている。第1部では、強制収容決定・実施のあと間もなく始まった中西部・東部への再定住の過程での、「分散的再定住」政策などによる日系人のアメリカ社会への「同化の試み」が検討されている。

 第2部では、日本の敗戦や日系人部隊の活躍による日系人に対する世論の好転を受けて、西海岸での日系人排斥行動が鎮静化したこと、戦中・戦後の西海岸における軍需産業の急成長に伴う社会変動、人種関係の重層化、人種間緊張とその緩和と並行して日系人の西海岸への再定住が本格化したことが論ぜられている。

 第3部では、強制収容から解放された日系人が、西海岸での就業構造の変化などの新しい環境の下で、女性を含めより有利な雇用の機会を得て「成功」し、「モデル・マイノリティ」と呼ばれるまでに地位を向上させたが、それは、強制収容体験を忘却させる効果もあったことが指摘されている。それにもかかわらず、日系人は強制収容の立ち退きの際に強制された不当な財産処分に対する補償要求や、一世の帰化権の実現などの運動に取り組み、ある程度成功したこと、そしてその過程で、強制収容体験の「封印」という制約の下でも、収容所への巡礼運動などを経て強制収容体験が語られ始め、日系人が独自の文化を放棄せず、アイデンティティを変容させたことが述べられている。そして、ベビーブーム世代の三世が、1960年代に多数大学に進学し、当時の黒人運動やベトナム反戦運動を自らの問題として受け止め、それに励まされて多くの日系人が従来の「同化路線」を克服し、アジア系アメリカ人としての自覚を強め、リドレス運動を開始し、ついに成功に導いた過程が描かれている。

 アメリカでは、第1次世界大戦参戦の過程で、非英語圏からのヨーロッパ系移民の「アメリカ化」を推進するため「ホワイト・エスニック」の存在を受容する文化多元主義が主張され、また1930年代に台頭したナチスに対抗するために、黒人やアジア系、ヒスパニック系、先住民をも含む有色人マイノリティのアメリカ社会への統合が語られ始め、人類学者の間では、それまでの同化主義に異を唱えるフランツ・ボアズの「文化相対主義」が広く受け入れられるようになっていた。そして、第二次世界大戦後、黒人公民権運動の洗礼を受け、有色人マイノリティをアメリカ社会の一員とみなす「多文化主義」が建前としては積極的に受け入れられるようになった。本著は、まさにそのような変化の中で日系人のリドレス運動が展開されたことに注目している。

 本著は、そのほか重要な問題を数多く取り上げており、学ぶ点が多いが、評者にとって特に印象深かったことを一つ上げるとすれば、リドレス運動の先駆けとなったのが、1930年代以来の反ファシズム運動の担い手だった「オールド・レフト」と呼ばれる人々だったことである。冷戦下の赤狩り旋風によって一時は窒息させられていた「オールド・レフト」が再び立ち上がり、1960年代の公民権運動・ベトナム反戦運動の中で成長してきた「ニュー・レフト」と呼ばれている人々との融合によってこのリドレス運動が担われたのである。

 近年では、黒人公民権運動を、1930年代からの「長い公民権運動」の歴史の中に位置づけてとらえなおす研究が有力になっているが、それと共通する現象がここでもみられることが印象深かった。冷戦赤狩りによる分断を乗り越えて、黒人解放運動は、今日、BLM運動という新たな段階を迎えている。

 次に、本著の論の進め方について一言ふれて結びにしたい。筆者はプロローグで、明確に論点を整理し、それに基づいて妥協なく徹底した研究史の渉猟・整理を行ったうえで、一部の隙も見せることなく、理路整然と論述を積み重ねている。それは、社会科学的歴史論述のモデルといえよう。本著が、とても分かりやすく、安心して読み進めることができるのはそのためである。同時に、著者は、文学作品や写真集・画集などを丁寧に紹介し、強制収容された日系人に寄り添い、そこから生み出される変革の芽を丁寧に取り上げ本論に編み込んでいる。本著からわれわれは、日系人の苦悩と喜び、誇りを読み取ることができる。

 そして最後に一言。本著を熟読することなくして、今後の日系人の歴史研究やその他の「補償運動」研究を前に進めることはできない。

(「世界史の眼」No.63)

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