本書は、在日朝鮮人の歴史家・林哲(Lim Chol)の朝鮮現代史に関わる18本の論考をまとめた研究書である。学術論文から人物評伝、訳書解説、書評、学術シンポジウムの記録、時事評など、多様な形態の論考が一部を除き時系列で掲載されている。しかしこれらからは、一貫して通底する問題意識を読み取ることができる。それはあえて端的に言えば、今日までなおも続く朝鮮半島分断の理不尽さに対する憤りと、再統一への強い希求、ではないかと思う。
本書の目次構成は以下の通りである。(カッコ内の数字は初出年)
第1章 「解放一年史」再考 (書き下ろし、2025)
第2章 朝鮮人民共和国に関する若干の問題 全国人民委員会代表者大会(1945年11月)における議論を中心に(1986)
第3章 第二次大戦後の朝鮮における民主主義民族戦線(1982)
第4章 解放直後の朝鮮における「民主基地論」 統一戦線論を手がかりに(1993)
第5章 歴史をとおしてみる統一国家像 (1993)
第6章 朝鮮の「解放」と中国 (1996)
第7章 独立・統一・「進歩的民主主義」を求めて 夢陽・呂運亨の生涯(1998)
第8章 東アジア冷戦と朝鮮における政治的暴力の起源 解放一年史を中心に(2004)
第9章 済州島「四・三事件」における「暴力」(2002)
第10章 国際関係学による「場」としての東アジア (2009)
第11章 『朝鮮半島の分断構造』と『アメリカのディレンマ』を読む (1985)
第12章 国際シンポジウム「東アジアの冷戦と国家テロリズム」の旅 (2000~2002)
第13章 『現代朝鮮の悲劇の指導者たち』訳者あとがき(2007)
第14章 国際関係論と朝鮮現代史 (2012)
第15章 『朝鮮戦争の起源』訳者あとがき (2012)
第16章 「朝鮮戦争像」の根本的な転換迫る カミングスの『朝鮮戦争の起源』(2013)
第17章 安倍首相の「戦後七〇年談話」について 日韓条約五〇年の観点から (2015)
第18章 亡命運動家鄭敬謨先生の生涯と時代 (2022)
著作目録・解説(鄭栄桓)
あとがき・索引
周知のように、朝鮮は第二次世界大戦中に連合国によって日本からの独立が明言されたものの、日本の無条件降伏(1945年)により、日本軍軍管区を境界(北緯38度線)として南北に分断され、米ソそれぞれの占領を受けた。それからわずか3年後に、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が、分断されたまま樹立されるにいたる。この3年間の朝鮮半島をめぐる国家建設運動や米ソ対立を含む国内外の情勢の変動は、非常に複雑かつダイナミックに急転しており、事象によっては事実関係の確認さえ困難な状況が長く続いている。南ではこの時期の研究は「解放前後史」と呼ばれ、本格化するのは1980年代後半からである。研究が特に立ち遅れた背景としては、朝鮮戦争(1950〜)を経て分断が固定化されて以降、南北が敵対国として互いを排除し合うことで分断体制を維持してきたこと、この時期の研究が南北の国家起源に関わる高度に政治的な問題をはらむが故にタブー視されてきたこと、などがまず挙げられる。
筆者林哲は、「解放直後から一年の時期を分断状況の形成過程において最も重要視」し、1980年代初頭からこれに関わる研究論文を発表してきた。とりわけ建国準備委員会から朝鮮人民共和国(1945)、民主主義民族戦線(1946)へと続く流れを一連の「統一独立国家樹立運動」として把握し、その具体的な歴史像の実証的解明に力を注いだのが、本書収録の第2章から第5章である。筆者はこれらの国家樹立運動が「植民地下で展開された民族解放運動の文脈から理解される必要性」を強調しつつ、樹立すべき国家像の違いから左派・右派の対立が国際情勢をも巻き込み激化する中で、それでも持続的に追求された統一戦線形成の試みに特に注目している。当時、朝鮮人のだれもが分断された国家など想像もしていなかったが、世界的な冷戦構造の深化の渦中にあった朝鮮では、その実現が様々な要因によって妨げられてきた。筆者の「解放一年史」研究は、分断体制下で政治権力によって意図的に無視され、塗り替えられていった歴史の再構築の試みでもある。「筆者は数十年たっても当時示された朝鮮民衆の広範な統一戦線と進歩的民主主義論に支えられた基本意志と希望が、どうして現在に至るも阻まれてきたのかについて今日なお納得しがたい点が多い」(508頁)との筆者の言に、このことが凝縮されている。
朝鮮「解放一年史」の具体的な展開自体、日本でもあまり知られていない。本書のために書き下ろされた第1章は、前提となる研究史や当時の状況、主要な用語の詳細な解説が書かれており、本書全体を読む上での手引きにもなっている。また巻末の鄭栄桓による解説では、時代背景や基本事項の丁寧な説明がなされている。
本書を読みながら興味深かったのは、本書の論考のところどころで、筆者の在日朝鮮人としてのライフヒストリーが交錯して書かれている点である。1946年ソウル生まれの筆者は、朝鮮戦争の戦乱を避けて1952年に家族とともに来日した。来日当時の記憶や、日本社会における学生時代の体験の過程で筆者は、さまざまな「違和感」「疑問」を感じている。それらは朝鮮の分断状況に対する疑問であると同時に、いつまでたっても「朝鮮分断問題に対する認識が皮相的な理解に止まって深められていない」日本人の朝鮮に対する無知・無関心への警鐘にもなっている。確か2000年代に入ってからのことであったが、私は筆者の南北統一に関する講演会(於早稲田奉仕園)で、そのような場面に直接出くわしたことがある。それは、参加者の中のある日本人との質疑応答の場面だった。ある日本人の「統一、統一と言うが、南北で自由に行き来できるようにさえなれば、統一する必要はないのではないか」という質問に対し、筆者林哲は、「あなたがおっしゃる、自由に行き来できるというそのことがまさに、統一、ということなんです」と回答した。このやりとりは後に徐京植も、「(在日)朝鮮人と日本人との分断に対する認識のギャップ」の事例として紹介したことがある。
筆者の分析の特徴として、朝鮮史の個別事象を深く分析しながらも、それらの性格を規定する時代時代の世界史の矛盾の在り方、その焦点としての東アジアの課題が、常に大枠として意識されている(特に第6章、第10章)。90年代に入りソ連をはじめとする社会主義諸国の崩壊により冷戦構造の枠組みは大きな転換を遂げ、もう一つの分断国家であったドイツは再統一された。しかし朝鮮半島の再統一は、少しずつ進展を見せながらも、いまだに展望さえ見いだせない状況が続いている。南北双方で国家の法統性が植民地期の民族解放運動を基盤にしているため、現在でも、1930年代以降の歴史について、南北で歴史認識を共有できずにいる。筆者が何度も強調するように、こうした状況の下での「解放一年史」研究は、大きな困難が伴わざるをえない。
ただし一方で、本書は、筆者が長年研究会をともにしてきた「筆者よりずっと年下の友人たち」が「完成させてくれた」(あとがき)という。鄭栄桓解説のタイトルが「『解放一年史』の種火を受け継ぐ」とあるように、筆者の長年の問題意識が、次代の研究者に意識的に受け継がれようとしているのである。このような「協業に生きている精神こそが認識を発展させる鍵」(あとがき)という筆者の言葉が、本書刊行の意義をより重要なものにしている。
(「世界史の眼」No.73)