エネルギーからすべてのものの歴史を語る―デイヴィッド・クリスチャン(柴田浩之訳)『オリジン・ストーリーズ―138億年全史』(筑摩書房、2019年)
橋川健竜

 宇宙の始まりから現在までを、どうやって語るのだろう。ほとんどの読者はそう思いながら本書を開くに違いない。たとえば歴史研究者はほとんどが人間の歴史、それも二千数百年前までのそれに関心を寄せているが、ビッグ・ヒストリーと銘打つ本書の扱う時間は138億年におよぶのだ。その議論は、最大限に広くとらえた歴史学に加えて、少なくとも天文学、物理学、化学、地学、生物学、言語学、考古学、人類学、経済学、政治学にまたがる。分析のかたちをまったく異にする各学問領域の研究成果をただ並べるのではないなら、どう一つに結び合わせるのだろうか。そしてそれを歴史学として世に示すとき、人間以外や生命体以外の歴史と並列される人間の歴史は、どのような歴史として語られるだろうか。

 著者デイヴィッド・クリスチャンは、「エネルギー」を議論の軸に据えることで、また情報をたくわえて活用する能力に着目することで、一貫した議論を展開してみせる。エネルギーは「何かが起こるための潜在性、何かをしたり何かを変えたりする潜在的な能力」(訳書では3箇所に傍点が打たれている)である。エネルギーは放っておくとばらばらの方向に無秩序に作用して消えていくが(熱エネルギー)、特定の方向に誘導され集約されれば、信じられないほど大きな力を発揮する(自由エネルギー)。そしてエネルギー活用のイノベーションを導き出すには、DNA・RNAから今日の科学技術まで、情報を収集して利用する能力が重要な役割を果たす。

 本書では、構造が壊れようとする傾向(エントロピー)を自由エネルギーが押しとどめ、より複雑な構造を組み上げて維持していることが重要視される。本書は宇宙の始まりから地球の形成、生命の誕生、さらに今日にいたる人間の活動まで、すべてを「ゴルディロックス条件」の探求の過程、すなわちより多くのエネルギーを取得する仕組みが作られ、いっそう複雑な構造が可能になる、新たな「臨界」への到達の物語として記していくのだ。

 宇宙の始まりであるビッグバンは想像を絶するエネルギーを解き放った。その奔流が落ち着きを見せたときまでに、電子、中性子、電子やニュートリノなど、最初の構造が作られていた。その後宇宙の温度が下がるまでの間に水素にはじまる数多くの元素が作られ、それも自由エネルギーによって維持される。それらの元素がぶつかりあい、より大きな重力をもつ集塊となっていく気の遠くなるようなプロセスの中で、恒星と惑星が作られる。そして地球では、地球全体が凍りつきかかかるような寒冷期もあったが、温室効果ガスの量が多すぎでも少なすぎでもなかったおかげで、気温の上下変動が液体、特に水分が存在しうる特定の範囲にとどまった。その特殊な環境下で生命が生まれる。生命は慎重に管理された自由エネルギーによって自分の構造を維持して自己複製するが、その中でも細胞レベルの複製エラーは起こりえた。より多くのエネルギーを取り込む能力を高める方向の複製エラーがダーウィンの「自然選択」を可能にして、生命体の進化が進むのである。

 単細胞生物、多細胞生物を経て陸生植物が現れると、光合成の結果として大気中の酸素の濃度が高まり、それを受けて動物の体も大きくなっていく。狩猟採集を経て人間は農耕を営み、植物が光合成によってたくわえていたエネルギーを取得した。ただし農耕を高度化するには、資源を投入して環境を改変する作業が必要になる。こうして農耕は社会階層の分化と国家の出現を促した。また18世紀以来の化石燃料の利用は、地球がたくわえてきたエネルギーの活用であった。産業革命以降の技術と情報処理の高度化の中で、核エネルギー開発も行われた一方、20世紀後半には70億の人口を支える食糧の増産と、以前からは考えられない規模での中間層の増加とが可能になった(グレート・アクセラレーション)。平均寿命がこの100年で2倍に伸びていることが、その成果の大きさを良く示している。

 他方、化石燃料の活用以来の人間の営みは環境への負荷を増すばかりであり、地球温暖化のかたちでひずみが明らかになってきた。人間がこの影響を最小化するにあたっては、富を増大させ続けるため、なりふりかまわずさらに多量のエネルギーを抽出し続けるのではなく、生物圏と共存できる安定した世界を築くことを優先する、という決意が必要ではないか、と著者は示唆する。それによって人間が現今の臨界を超えられるなら、人間には新しい可能性を探索する扉が開く。たとえ遠い未来には、宇宙は恒星が冷えて暗くなり、ブラックホール同士が互いを引きつけあうようになって次第に消えていくとしても。

 本書の部分部分については、多くの読者は、自分の専門領域以外であっても断片的に知識を持っていることだろう。だが、それを長大な時間の流れの中に的確に置いて全体と統合してみせるには、文理の壁を越える、並ならない研鑽が必要だ。それをなした本書はまさに良質の学術的教養書であり、歴史書である。エネルギーと情報に着目することで多数の学問分野を横断し、より複雑な構造の形成とより多くのエネルギーの活用が進んでいく物語を組み上げたクリスチャンの努力と構想力には、感銘を禁じえない。

 自然科学の議論を理解しやすくする工夫でも、本書は抜かりがない。エネルギーと構造の複雑化をめぐる宇宙研究や自然史の論述は、それをめぐる学問研究の発展史と巧みに組み合わされている。よく知られる自然史上の現象や学問発展のエピソードが多数差し挟まれていて、自然科学にくわしくない読者も議論を追うことができる。膨張する宇宙という仮説を天文学が受け入れていく過程も、プレート・テクトニクス理論がソナーなど観測技術の発達に助けられて珍説から定説へと変わっていく過程も、また炭素14を用いる放射性年代測定法の確立も説明される。小惑星が地球に衝突したことで恐竜が絶滅し、哺乳類が台頭したことも、この新説が受容されていく研究史や、発掘によってデータが集積されていく経緯に触れながら語られている。

 歴史学がこれまで対象としてきた時代は、農耕と化石エネルギーの利用を画期とする人類史として語られている。資本主義の発達は、それぞれ別個に発展してきたワールドゾーンどうしの連結にからめて、またエネルギー取得のイノベーションにからめて、比較的多く取り上げられる。他方、19世紀から20世紀のナショナリズムの隆盛など、各国史につながりうる論点は短く触れられるにとどまり、議論は地球温暖化をはじめとする環境問題へと向かう。個々の文明や国家を中心に議論するという、歴史学がしばしば自明のことのように使ってきた枠組みは、宇宙のはじまりから論を起こすならどのように切り替えられるのか。歴史を研究する読者は、本書の発想を噛みしめてみる価値があるだろう。

 最後に、イギリスでロシア史を学んでオーストラリアで教鞭を取ってきた著者ならではの個性も、本書の魅力といえる。近世の国家と起業家の関係について、オランダやイギリスに触れるにとどめず、それとは違った提携関係の例としてイヴァン4世(通称雷帝)の時代のウォッカ製造の話が引かれている箇所などは、ロシア史の専門家ならではといえる。そして、4万年前の生活の痕跡が残るマンゴ湖遺跡(現ニューサウスウェールズ州)が複数の箇所で言及され、ファイア・スティック農業(アボリジナルの持ち歩いた火起こし棒にちなむ命名)が火による環境改変の初期の例として触れられるなど、本書はあちこちで、人類史上の重要な実例としてオーストラリア先住民を引き合いに出している。4万年前にまで及ぶ先住民アボリジナルの歴史とジェームズ・クックの探検(1770年)以降の歴史を、自分たちの歴史として一つの物語に統合しようと試みているオーストラリアの今日の姿も、本書には垣間見ることができる。日本から考えるのとは一味ちがうビッグ・ヒストリーだといえるだろう。

(「世界史の眼」No.1)

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