このほど(発売は本稿公開の数日後になるが)、リチャード・J. エヴァンズ『エリック・ホブズボーム 歴史の中の人生』上・下(岩波書店、2021年)という本を邦訳した。原書は800頁近くあり、非常に細かなこと(たとえば、ホブズボームが子供の頃急死した父が埋葬されたウィーンの墓地の墓石番号)まで書き込まれた伝記である。イギリス帝国史や国際関係史の気鋭の研究者5人との共訳で、よいチームワークのもと、翻訳作業を始めてからほぼ予定通りの2年間で刊行できた。本書に書かれていることの内、特に印象に残った点のいくつかは「訳者あとがき」に書いておいたので、ここではそれ以外で世界史に関わる問題を三つほど記してみたい。
ホブズボームの仕事は、ヨーロッパ中心主義的であると言われることがよくある。筆者自身も、彼の「短い20世紀」論を批判して「長い20世紀」論を提唱する際に、それを中心的な根拠とした。とはいえ、彼の視野はヨーロッパに限られていたわけでは決してない。とりわけ、ラテンアメリカについて彼は強い関心を抱いており、一時期、彼は世界のなかで社会革命をめざす「人々の目覚め」がもっとも進んでいるのはラテンアメリカであると考えていた。それに対応して、ラテンアメリカの側ではとりわけブラジルにおいて、彼への関心、彼についての評価がめざましかった。ブラジルで彼の著作がきわめてよく売れたことはその指標である。たとえば、『資本の時代』は9万6千冊の売り上げがあり、『極端な時代』(邦題『20世紀の歴史』)は実に26万5千冊売れたいう(著作の出版、販売事情についての説明の詳しさも本伝記の特色である)。ホブズボームとラテンアメリカの関係について、筆者も漠然としたイメージはもっていたものの、ここまでとは考えたこともなく、これは本書に接して最も驚いた点の一つであった。
次は、ホブズボームとアフリカの関係である。ホブズボームには『面白い時代 20世紀の人生』(邦題『わが20世紀・面白い時代』)という自伝があるが、そのなかでごく簡単な言及(「1938年にチュニジアとアルジェリアへの研修旅行に行くことができた」)ですまされている旅についての記述も興味深かった。ケンブリッジ大学在学中の1938年夏にホブズボームは調査旅行のための助成金をもらって、これら2か国(いずれもフランスの統治下にあった)の農業実態調査に出かけたのである。「数冊のノート」を埋め尽くす情報を収集することになるこの旅行を著者はかなり詳細に描いた上で、この旅が「財産を奪われた農村の貧しい人々に関心を抱いた最初の兆し」であったかもしれないと推測している。
この調査旅行をホブズボーム自身重視していたことは、翌1939年に大学院での研究テーマを決めるにあたり、「前の年にすでに進めていた研究作業を踏まえた仏領北アフリカについての博士論文の研究構想を提出」した点にも示されている。しかし、すぐ後に軍務につくことになったため、彼はその研究にとりかかれなかった。実際に博士論文の準備を始めたのは戦後になってからであり、その時には「すでに結婚していたこともあり、長期間外国に出かけてしまうべきではない」と彼は感じた。そのためにイギリス国内で史料調査ができるテーマ(フェビアン協会の研究)を選んだのである。著者が指摘するように、アフリカへのホブズボームの関心は希薄なままに終わってしまったが、もしも彼の研究活動が仏領北アフリカ研究から出発していたら、北アフリカとサハラ以南のアフリカは大きく異なるとはいえ、アフリカとの彼の関わりや彼の描く世界像に変化が起こったかどうか、問いかけてみたくなる。
ホブズボームの関心の中心にあったヨーロッパについては、ホロコーストに対する彼の姿勢が非常に気になった。自身ユダヤ人であり、親戚のなかにはアウシュヴィッツで殺された人もいたにもかかわらず、彼はホロコーストを正面から論じようとはしなかったのである。アメリカの歴史家アルノ・メイヤーが、『なぜ天国は暗黒にならなかったのか』というヨーロッパ史の文脈のなかにホロコーストを据えた本の原稿を彼に送ってコメントを求めた際、「この問題に向き合うことは心情的に非常に困難」とメイヤーに答えている。また、この伝記の読み所の一つは、『極端な時代』のフランス語訳遅延をめぐる顛末であるが、それに関わる部分では、フランスの歴史家ピエール・ノラがホブズボームの友人に対して、この本でアウシュヴィッツは一度しか取りあげられていないと指摘した、ということが述べられている。その友人も、ホブズボームはホロコーストについて「まるで関心を持っていない」と感じていたという。著者は、ホブズボームのように「巨視的かつグローバルな視野をもつ者にとって、ユダヤ人は(中略)戦争における犠牲者のごく一握りにしかすぎなかった」というこの友人の言葉を引くのみで、この問題についてのそれ以上の議論を控えているが、考えさせられる点であることは確かである。
その他にも本書で気づく話題は数多いが、それらを頭の片隅に置きながら、ホブズボームの著作(幸いその多くは邦訳されている)をあれこれ読み返してみるのも一興であろう。