シリーズ『世界哲学史』の最終巻(別巻を除く)となる本書『現代・グローバル時代の知』では、20世紀初頭から21世紀に至るおよそ100年間の思想・哲学の模索が地球規模の広がりで扱われている。具体的には、「長い19世紀」が第1次世界大戦の惨禍によって終止符を打たれた近代の危機に端を発し、グローバリゼーションが地球の隅々にまで浸透した今現在に及ぶ時期の、西洋および非西洋の「世界」を思惟する多様な見取り図が示されている。
しかし、周知のように、近代は手強い。本シリーズが古代、中世、近世、近代、そして現代と西洋近代の時間感覚に即して編まれていることからも明らかなように、西洋近代が作り上げた歴史観・認識の枠組みの外側に立とうとすると、いまだ人文科学の諸分野において、思考の不都合に直面させられる。本書では、この乗り越えがたい近代の桎梏を超えて進もうとする思索の数々を、各執筆者もまた、その困難さを誠実に抱え込みつつ紹介している。
全10章中、前半の各4章は西洋哲学が自身の内部から批判的に、あるいは解体的に西洋思想に対峙していく動向に、後半5章は西洋の外にあって圧倒的なその思考体型の浸透力にさらされながら、独自に思惟することを求めたアジアやアフリカなどの哲学に焦点が当てられる。
第1章「分析哲学の興亡」は、プラトン以降の西洋哲学の根幹にある二元論と向き合う。理解すること、すなわち「分かる」は「分ける」ことに直結していたとする筆者は、多元論にせよ一元論にせよ、「分ける」こと、すなわち二元論がもとにあると指摘する。哲学の科学化を目指した20世紀前半の「ウィーン学団」による論理実証主義も、ヒュームの法則同様、事実と価値・規範を峻別する二元論であった。しかし世紀後半に至り、このいわば「である」と「べき」の共通項として、認識主体(筆者は固有の態度を有する「パーソン」と名付けているが)を据える新たな探求が現れたことを紹介し、伝統的な分析哲学を脱する新たな地平を開示している。
第2章「ヨーロッパの自意識と不安」は、世界大戦がもたらした西洋の没落の意識に、新しく登場してきた大衆による19世紀ブルジョア社会の更新(オルテガ)や、複製技術の進歩による19世紀芸術のアウラの剥奪(ベンヤミン)を対置して論じる。ただ、関連して触れられるフッサールの実証主義批判やハイデッガーの技術批判も含め、たとえばネット社会という身体性を欠いた大衆を抱え込む現代に、それらの議論がさらに展開可能性を有するかどうかは未だ不明と言わざるを得ないだろう。本章で扱われた20世紀前半のヨーロッパ思想を引き継ぐように、第3章「ポストモダン、あるいはポスト構造主義の論理と倫理」は、20世紀後半のフランス思想−おもにドゥルーズとデリダらの思索―を取り上げている。西洋的理性の基盤であった「Aは〜である」という同一性は、すべてが永続する差異化のなかに置かれて、いわば仮象のものへと転倒される。一方で、その要諦は差異による相対化にあるわけではなく、同一性と差異のダブルバインドを請け負う思考の緊張状態にあることが強調されている。デリダに依拠し、日本のゼロ年代の思想界を席巻した感のある「否定神学批判」、さらにメイヤスーによるダブルバインドの縮小・無化の議論は、ポスト構造主義後への展望を示して興味深い。
ポストモダンがもたらしたいわゆる「聖典」の終わりは、かつてのさまざまな「本質」を弱体化ないし無効化する思想的、社会的ムーブメントに場を与えた。その最大級の一つが、第4章「フェミニズムの思想と「女」をめぐる政治」のトピックである「女性」だった。筆者はジェンダーをめぐる政治、特に現在のアンチ・ジェンダー・ムーブメント(日本の性教育をめぐる保守派の反発、ハンガリーのジェンダー研究禁止など)の問題から論を起こし、20世紀後半のフェミニズム思想の展開を辿る。フロイトの生物学的決定論である「解剖学的宿命」を否定するボーヴォワールの社会的決定論(「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」)においては、個々の女性の差異は想定されていなかった。裕福な異性愛の白人女性とは文化的・社会的に異なる場を生きる、70年代のブラック・フェミニズムや近年のポストコロニアル・フェミニズムの視野は、多種多様な「女」を浮かび上がらせてまさに世界哲学的と言えるだろう。
20世紀の思想のフィールドで、特筆すべきものとしては批評の興隆がある。第5章の「哲学と批評」では、ものごとを語る言葉そのものが思考の対象となるこのジャンルが、聖典の解釈という新たな地平を哲学の未来に切り開いたことを明らかにする。欧米の脱構築批評の担い手が聖書の解釈学を底流に持つことはよく知られているが、筆者が主に焦点を当てるのは『コーラン』原典の訳者であり、言語学者にしてイスラーム神学研究の碩学井筒俊彦である。聖典語彙の意味論的分析から、イスラーム共同体内での「意味」の変容へと迫った井筒の批評哲学は難解だが、筆者の議論の道筋はたどりやすく、井筒読解の一助にもなるだろう。続く第6章「現代イスラーム哲学」は翻って、アラビア語では“ファルサファ・イスラーミア・ムアースィラ”となる“現代イスラーム哲学”が日本語で語られる以上、日本文化の一部でしかないと断じる(アラブ・ムスリムに向けて書かれたテキストですら、伝統的イスラーム学者によるそれと欧化主義者・オリエンタリストのそれの間には理解がほぼ成立しないという)。テキストの意味論的場も、イスラーム教の学習と祈りの実践も共有しない我々が日本語で読み語る限りにおいて、“ファルサファ・イスラーミア・ムアースィラ”は理解できないことを前提とすべきだというのである。グローバリゼーションの「世界標準」が英語思考に基づく欧米標準であるとしたら、そのもとで果たして世界哲学なるものにどのような実りが期待されるというのか、という鋭い問いかけが本章では突きつけられているように思われる。
第7章の「現代中国哲学」では、中国古来の思想的伝統と西洋哲学の融合への歩みが紹介される。筆者は、両大戦間期に西洋哲学の論理学を知的背景に、中国思想の重要概念である「道」を論じた金岳霖の『知識論』、『論道』をその嚆矢としてあげている。ただ、戦後共産化した中国では哲学の探究は停滞し、西洋哲学の紹介の復活(=新しい啓蒙期)は80年代に入ってからのことになる。90年代以降はポストモダン思想の研究も始まったというが、筆者によれば「今の中国哲学思想界はまだ力を蓄積する段階」である。一方、アジアにおいて近代化の先陣を切ったと自負してきた日本の状況はどのようなものであったのだろう。第8章「日本哲学の連続性」では、西周によるphilosophyの訳語「哲学」の成立を日本哲学の起点に据えている。「理性」、「観念」、「実在」など、西の学術用語の訳出は787語に及ぶという。西が傾注した「理」をめぐる思索(「超理」、「実理」、「理外の理」を回すのは「物理」ではなく「心理」)は、アカデミズム哲学を確立した井上哲次郎に受け継がれる。彼の「現象即実在論」は現象と実在を表裏一体と考えて、「円融相即」と呼ぶような仏教色を帯びる。井上の教え子であった西田幾多郎も仏教の影響を受けつつ、実在を主観客観以前の知・情・意を一にしたもの、すなわち「純粋経験」と考えた。筆者はここに、日本哲学の連続性を見出す。
さて、西洋近代哲学の大波が寄せるなか、前述のように中国の「道」、日本の仏教など、東アジアの哲学はそれぞれに模索を続けてきたが、東アジアに共有される思考体験があるとして、東アジア的な哲学はありうるのだろうか。第9章「アジアの中の日本」は、その問いに向き合う。近世の東アジア社会に共通する道徳理念には儒教があったが、西洋近代文化の衝撃にさらされた日本や中国が、西洋由来の論理学に対峙するにあたって支えとした思想伝統は、前述の西田や中国の牟宗三のように仏教であったようだ。牟宗三は新儒家の代表的哲学者とされながら、天台宗に密接に寄り添っていた。とはいえ、筆者によれば、実際のところ伝統的な思想文化へ向ける眼差しは、日本において読書人多数の関心を惹くものではなかった(中国では様相を異にするが)と、筆者は述べる。さらに、東アジア各地域では西洋に寄せる関心が突出して、互いに共通する面の多い思想的伝統や近代以降の歴史的経験に目を向けてこなかったと指摘する。共同の探究が今後に期待される所以である。
最後に取り上げられるのはアフリカ哲学である。第10章「現代のアフリカ哲学」は、近・現代にアフリカ諸国が置かれた政治的状況の複雑な反映を描き出す。地中海文化圏に位置する北アフリカには、古代ギリシャ・ローマ期からその哲学的伝統の内部にあった。しかしサハラ以南においては、哲学の名の下に、植民地化以降の強制的な知育を想定せざるを得ない。筆者は、英語圏、フランス語圏、南アフリカに分けてアフリカ哲学の動向を紹介している。特筆すべきは、多分に政治性も帯びるようではあるが、伝統的な宗教、神話、言語などに伺われるアフリカに根ざした思考「エスノフィロソフィー」の展開だろう。例えば、ケニアで心・魂を意味する「オクラ」は英語の個人的なsoulとは別物で、共同体での責務に結びつくものだという。筆者は、アフリカ哲学が「西洋哲学に過剰に寄り添う時代」は終わったと結んでいる。
本巻終章「世界哲学史の展望」はシリーズ全体の終章でもある。ここで筆者は、グローバル時代における“グローバルな哲学的知”の模索が目指す方向を提示する。「世界」が共通の生存基盤であると認めて、そこに住まう「魂」が情報を交換し思考を競い合い、思想的曼荼羅を作り上げること。その中には「離接的」なものと同時に「連接的」なものが含み込まれ、個々の人種や歴史、宗教、文化を超えた広い連結の可能性が示されるはずだと筆者は述べる。これは「世界史」や「世界文学史」の叙述を構想する際にも、きわめて示唆的な提言といえるのではないだろうか。
(「世界史の眼」No.17)