冷戦とは何だったのか?本書のこの問いは、今、新たな意味合いを持って問い直されている。2022年2月24日、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。不安、戸惑い、怒り、さまざまな感情が人びとの間で沸き起こっている。本書は、こうした市井の人びとの感情が、冷戦という大きな歴史的な「現実」の構築に重要な役割を果たしていたことを明るみにする。
本書の焦点は朝鮮戦争期である。1950年6月25日、北朝鮮が北緯38度線を越えて韓国に侵攻した。朝鮮戦争勃発のニュースは瞬く間に世界各地を駆け巡り、人びとの間に第三次世界大戦への不安と恐怖を巻き起こした。しかし著者の益田氏によると、第三次世界大戦の危機に対する反応は一様ではなかったという。例えば北朝鮮の軍隊が南進してきていたソウルでは、多くの住民はソウルに留まる選択をした。その背景には「同族だから何もしないだろう」という思いがあったという(67頁)。同じ頃、ニューヨークなどアメリカの大都市では、主婦たちが新たな世界大戦の勃発とそれに伴う物資の欠乏を心配し、生活必需品の買い出しに走っていた(70頁)。また中国では「国民党が広東と大連に上陸したらしい」などのデマが飛び交い(72頁)、日本では再軍備論が突如頭をもたげていた(77頁)。
このように朝鮮戦争勃発が各地で創り出した「リアリティ」には地域差があった。本書はこの地域差に着目する。益田氏によれば、第三次世界大戦に関する言説が爆発的に広がったのは主に東アジア、ヨーロッパ、そして米国などの地域であったという(79頁)。これらの地域に共通していたのは、第二次世界大戦という強烈な体験、その記憶に基づく恐怖、また戦争経験が作り出した国民的記憶の存在であった。この第二次世界大戦の経験や記憶が、朝鮮戦争を第三次世界大戦の前哨戦と捉える見方を作り出し、さらにそれが個々の地域の文脈の中で冷戦という「現実」に真実味を与えていったと益田氏はいう。そこから本書は、膨大な史料の裏付けのもと、中国、米国、日本、イギリス、台湾、フィリピンを事例に、冷戦という「現実」が実際にはローカルな立場から見た世界情勢の理解であったこと、言い換えるならば、「地域特有のレンズ」(90頁)を通じた世界情勢の「翻訳」であったことを丹念に示していく。
益田氏によれば、冷戦という「現実」を現実たらしめた装置の一つが「印象をめぐるポリティクス」であったという(第4章)。この「印象をめぐるポリティクス」においては、「安全保障」や「国防」といった概念の中に、人びとが「脅威」に対して抱く印象を管理することも含まれていた(156頁)。例をあげるならば、朝鮮戦争に参戦した中国には、38度線で停止し戦争を早期に終結させる選択肢があった。しかし中国は38度線南進という強行路線を選択した。その背景には、中国国内における革命的情熱の衰退への懸念(157頁)、そして国内外の人びとの心に中国が与える象徴的な意味合い、すなわち共産中国の大勝利と「美帝」(アメリカ帝国主義)の敗退(159頁)、という印象形成の目論みがあったという。
さらに益田氏はこの「印象をめぐるポリティクス」が、普通の人びとにどう受け止められ、また冷戦の各種のプロパガンダや動員計画に普通の人びとがどう関わったのかを検証していく(第5-6章)。例えば、ソ連が提唱する真実(プロパガンダ)に対する巻き返しとして展開された米国の「真実キャンペーン」の活動には、多くのアメリカ人が参加した。その効果は、カリフォルニア州のある精神科医が、突如として「アメリカが警察国家になってしまった」と嘆くほどであった(191頁)。また中国では、日本の再軍備という新たな現実を受け、「抗美(米)援朝」運動が抗日戦争の記憶と結びつく形で展開されていった。この運動に参加したある中学生は、祖国に対する見方が変わり、「祖国がなければ何もない」という思いに駆られるようになったという(211頁)。このように米国においても中国においても、普通の人々は各種のプロパガンダや動員計画への参加を強要されたのではなく、むしろ国家の利益を守るという名目で自らを動員していた。そこには、社会に存在する隠れた願望、すなわち、一体感への切望や協調心の高揚というべきものが存在していたと益田氏は指摘する(212頁)。さらに益田氏は、これらの動員プログラムの主要な作用は、人びとの間に合意を形成することではなく、社会のどこに「敵」がいるのか、誰が「敵」なのかを明らかにすることにあったとする(191頁)。
そこから益田氏は、個別具体的なローカルな局面において、誰が「敵」として粛清されていったのかを丹念に炙り出していく(7-10章)。米国のマッカーシズムでは、労働組合員、公共住宅計画や国民健康保険制度の推進者、アフリカ系アメリカ人の公民権運動家、フェミニスト、移民、ゲイやレズビアンらが、「非アメリカ的」分子として糾弾されていった(244頁)。イギリスや日本では労働組合員が粛清の主な標的になった。また中国の「鎮圧反革命」運動では、山賊、泥棒、地元のごろつきたちまでもが「反革命分子」として摘発されていった(287頁)。さらに台湾では「反共抗俄(共産主義に反対し、ロシアに抵抗する)」運動の旗印のもと、国民党政府への異論や不満が抑圧され(303頁)、フィリピンでは土地改革と社会正義の実現を掲げたフクバラハップ団が「非フィリピン」活動を行なったとして粛清された(311頁)。ここから見えてくるのは、朝鮮戦争期に各地で巻き起こった国内粛清は、必ずしも特定のイデオロギー(共産主義・資本主義)や政治体制(民主体制・独裁体制)に特徴づけられたものではなかったということである(315頁)。
ではなぜ国内粛清現象が世界中でほぼ同時に発生したのか。また、この世界同時多発的な現象は何を意味していたのか。益田氏はそれを次のように説明する。まず同時多発的な国内粛清現象については、先に述べたように、朝鮮戦争の勃発により人々の間に呼び起こされた第二次世界大戦の記憶が、各地で第三次世界大戦の恐怖を引き起こしたことによって生じたという。そしてこの第三次世界大戦の危機は戦時ムードを作り出し、国内粛清を安全保障と治安維持の名のもとで正当化していった。さらに益田氏は、国内粛清が普通の人びとから支持を得た背景に、「政治」の本質の変化があったとする。それは、総力戦経験を経た社会においては、もはや国民の願望や心情を考慮することなしに政治を執り行うことがほぼ不可能な状況になっていたということである(162頁)。こうして国内粛清は社会的承認と支持によって遂行されていった。
それではなぜ冷戦言説を盾とする「敵」の国内粛清が、各地で社会的承認や支持を得ることができたのだろうか。益田氏によると、そこには混沌とした戦後状況を「安定化」させたい、あるいは「秩序」だった(もっと慣れ親しんだ)「普通」の生活様式に戻りたい、という大衆的な「草の根保守的」な夢や希望が存在していたという(256頁)。この「草の根保守的」な願望こそが、戦後新たに台頭してきた新興勢力(土地改革者、労働組合員、仕事を持つ女性、アフリカ系アメリカ人など)を社会的に抑圧し沈黙させる運動の原動力になっていたという。ここから益田氏は、グローバル冷戦という「現実」は各国の首都中枢部に構える権力者だけでなく、社会における秩序維持と調和形成に意識的また無意識的に関与していた世界各地の無数の普通の人びとも、その参加者の列に含まれていたと結論づける(317頁)。
これまで見てきたように、本書は社会史、外交史、政治史を融合させながら、さらにローカル・ヒストリーとグローバル・ヒストリーの双方の見地から、既存の冷戦の歴史像に揺さぶりをかける優れた歴史研究書である。周到かつアクロバティックな著者の論の運びは読む者を圧倒する。本書の評価については、著者自身が巻末の解題において詳細に論じているが、この解題で指摘されていない点に最後に触れておきたい。本書は大衆感情や社会的通念、噂、またそれにまつわる不安や恐怖を、冷戦によって生み出された派生物ではなく、冷戦の「現実」を生み出した要因として捉えている(5頁)。そこから、市井の人びとを、冷戦論理の実践における受身的な存在というよりは、むしろその主体と見立て、彼・彼女らの「囁き、噂、心情」(12頁)を丹念に拾い上げ検証している。こうした点で本書は、昨今歴史学において注目されている感情の歴史学や、個人の主観性に着目するエゴ・ドキュメント(手紙・日記・回想録など一人称で書かれた史料)の歴史学にも大きな貢献をしている。よってこれは多分に無い物ねだりの指摘となるが、もし本書が感情史のパースペクティブ(「感情体制」や「感情の共同体」など)を意識的に取り込み論考を進めていたなら、グラムシのヘゲモニー概念(暴力的な強制ではなく服従する側の同意を取りつけることによる支配)を鋳直し、民衆の主体性の重層性・複層性・両義性をより深く照射したかもしれない。そこでは恐らく、ジュディス・バトラー(フェミニズム理論・セクシュアリティ研究)が言うところの具体化=身体化された複数的な行為遂行性(パフォーマティヴィティ)などの視点が重要な意味を持つことになるだろう。
いずれにしても、本書は冷戦に関するこれまでの見識を塗り替える画期的な研究であることは間違いない。そして、現在、ウクライナで進行している事態に際し、冷戦という「現実」が改めて問い直されるなか、本書の最後に書かれていた「私たち自身も(中略)日常レベルにおける、いわば権力者なのだから」(327頁)という言葉は、私たち一人一人に対する重い問いかけとなっている。
(「世界史の眼」No.26)
実に興味深い。今後の研究にとって有益だった。