書評 サラ・ロレンツィーニ(三須拓也・山本健訳)『グローバル開発史 もう一つの冷戦』(名古屋大学出版会、2022年)
木畑洋一

 第二次世界大戦終結後1990年前後までの世界史は、冷戦の歴史として描かれることが多い。しかし近年では、この時期に同時に進行していた脱植民地化に重点を置く視点も浮上してきている。評者も『二〇世紀の歴史』(岩波書店、2014年)で、帝国主義世界体制の解体過程を軸としてこの時代の世界史を捉えていくという見方を提示した。冷戦史自体についても、脱植民地化との関連を考慮して再検討するという試みが、O・A・ウェスタッド『グローバル冷戦史:第三世界への介入と現代世界の形成』(名古屋大学出版会、2010年)、同『冷戦:ワールド・ヒストリー』(岩波書店、2020年、本書については「世界史の眼」No.9, 2020年12月、で紹介した)などによって成されてきている。

 冷戦と脱植民地化の絡み合いには、冷戦下の「熱い戦争」と植民地解放戦争の関連、冷戦イデオロギーと脱植民地化をめぐる諸思想との関連など、さまざまな側面があるが、一つのきわめて重要な要因が、旧植民地諸国を対象とする開発援助の問題である。脱植民地化によって新たに独立した国々が経済的に自立し発展していく(経済的脱植民地化)ためには、外からの支援を必要としたが、そうした支援策としての開発援助に、冷戦の東西両陣営にまたがる「先進国」側はさまざまな思惑を抱きながら取り組んでいった。この問題への関心も近年広がっており、そうした問題意識に発する研究として、日本でも、渡辺昭一編『冷戦変容期の国際開発援助とアジア:1960年代を問う』(ミネルヴァ書房、2017年)や秋田茂『帝国から開発援助へ:戦後アジア国際秩序と工業化』(名古屋大学出版会、2017年)などの成果が生まれている。

 本書評の対象である『グローバル開発史』は、この問題にがっぷりと取り組んだ研究書であり、広い視野で冷戦期の開発援助問題に歴史的分析のメスを入れている。原著の副題「一つの冷戦史 A Cold War History」が訳書の副題では「もう一つの冷戦」と若干のニュアンスを加えたものにされているが、本書が行っているのは、まさに冷戦史の見直しであり、訳書の副題はそれにふさわしいといえよう。

 本書の内容の詳しい説明は、本書巻末の「訳者解説」のなかで要を得た形でなされているので、ここではごく簡単な紹介にとどめておきたい。

 まず第1章では、第二次世界大戦までの植民地支配のもとであらわれてきた植民地開発思想と大戦期における開発への取り組みが概観される。第2章からが冷戦期を扱う本論となり、第2章では1949年に公表されたポイント・フォア・プログラムを軸としてトルーマン政権期の米国における経済開発計画の様相が紹介される。次の第3章で開発援助に対するソ連側の姿勢が論じられた後、第4章の対象は再び西側に戻り、1950年代、米国のアイゼンハウアー政権が開発援助に消極的であったのに対し、60年代に入って登場したケネディ政権が近代化論を掲げつつ、援助に積極姿勢を示したことが強調される。さらに、58年のEEC結成に示されたヨーロッパ統合の動きが、開発援助と密接に関わっていたことが指摘される。このEECの問題は、国際機関に焦点を合わせた第5章でも引き続いて取りあげられるが、ここでは他に、西側の機関として経済協力開発機構(OECD)に作られた開発援助委員会(DAC)が、東側の機関として経済相互援助協議会(コメコン)の技術援助常設委員会が、分析の対象となる。国際機関の検討は第6章にも続き、国連での議論や世界銀行の活動が紹介された後、64年における国連貿易開発会議(UNCTAD)の設立が取りあげられる。次の第7章では70年代の展開が扱われ、社会主義圏の見方が改めて論じられた上で、援助の対象とされていた国々による新国際経済秩序(NIEO)の要求が取りあげられる。70年代には先進国において環境問題が浮上し、経済成長への疑義も出てくるが、その状況下での開発援助をめぐる議論を対象とするのが第8章であり、さらに第9章では世界銀行によるベーシック・ニーズという考え方の提唱や人権思想との関連が扱われる。続く第10章で、開発思想が新自由主義によって攻撃され、経済成長が重視される方向が再び強まった80年代の状況を描いた後、終章で援助をめぐる最近の状況に触れながら、著者は本書を閉じるのである。

 以下、本書について評者が抱いたいくつかの感想を述べてみたい。

 本書の特徴としてまずあげるべき点は、開発援助を行う側の思惑と姿勢について、実に幅広い検討が行われていることである。従来の開発援助研究では西側諸国、とりわけ米国やイギリスについてはかなり周到な分析がなされてきたものの、冷戦におけるもう一方の陣営であるソ連や東欧に関しては、十分な検討が行われてこなかったという感がある。それに対し、本書の著者は、ソ連側を扱うに際しては史料的制約が大きいことを認めつつ、その姿勢を明らかにすることに相当程度成功している。スターリンがこの問題に関心を抱いていなかったこともあって、ソ連の関わりが積極化したのはスターリン死後であったが、その場合も、開発問題は帝国支配の遺産であるという基本的な認識があり、援助の対象となる独立国は基本的に西側陣営に属するという見方が継続したのである。

 帝国支配から開発援助へという流れは、著者がヨーロッパ統合の動きのなかに開発援助問題を位置づける努力を払っていることによって、本書ではっきりと看取することができる。「ヨーロッパ統合は、帝国の共同経営のための事業だった」(79頁)といった大胆な言明も、本書の叙述のなかでは十分に生きている。ヨーロッパ経済共同体(EEC)設立時の議論や、その後のEEC、ECの「第三世界」政策は、近年日本でも本格的な研究の対象となり、黒田友哉『ヨーロッパ統合と脱植民地化、冷戦:第四共和制後期フランスを中心に』(吉田書店、2018年)というすぐれた業績などが出されているが、本書は、その歴史的位置づけが説得的になされているのである。

 著者はまた、中国の対アフリカ援助政策も一定の紙幅をさいて検討している。中国のアフリカへの関わりが最近になって出てきたわけでなく、すでに冷戦期から見られていたことは、タンザン鉄道の事例でこれまでも知られていた点ではあるが、ソ連・東欧の姿勢と並べて論じられることによって、それについてのイメージはきわめて明確になった。

 このように、従来の開発援助研究で周縁部に置かれていた主体についての議論がなされている一方、評者の問題関心から若干の不満を覚えた点がある。それは、イギリスやオーストラリアを軸とするコロンボ・プランの扱い方の軽さである。本書の主題を論じる上でこのプランはきわめて重要な意味をもつにもかかわらず、本書での言及は2箇所のみで、しかもその中身に詳しく立ち入ることはされていない。すでにいろいろ議論がなされている対象であるという理由からかとも考えたものの、この欠落はやはり問題であろう。

 それはさておき、このように開発援助にかかわった多様な国々に眼を配ることによって、本書は冷戦と脱植民地化の間の関係の複雑さに光をあてることに成功している。帝国主義の遺産を否定しながらグローバルな冷戦のイデオロギーとして近代化論を掲げた米国と、帝国支配の時代からの継続的要素を強く残しつつ援助にあたった西欧諸国の様相が大きく異なっていたということや、社会主義国が被援助国側の事情にほとんど関心を払わなかったために東南関係が悪化していったことなど、多くの論点が提起されている。評者としては、60年代中葉に米国の政治家のなかに東欧諸国を巻き込んで南の国々を開発する共同戦略を考える者がいたとか(107、123頁)、70年代に東西南三者間産業協力という構想が社会主義陣営の側に存在し、実際に協力活動や東西両陣営の合弁事業のための国家間協定が増えていったとかいう(155頁)指摘にも、関心を抱いた。

 さらに、開発援助に関わった人々が、開発問題をめぐる国際的な知識共同体とでも呼ぶべきものを作り上げていたという著者の指摘も、刺激的であった。本書では、国際連合や経済協力開発機構(OECD)などの国際機関の役割も重視されるが、そこでは「科学的手法に基づく知識共同体が形成」(239頁)されていたのである。本書には、ラウル・プレビッシュとかW.A.ルイスとかいった、この問題に関わるいわばお馴染みの人々に加えて、ECのクロード・シェイソンやフランスのジャック・フェランディなどといった、少なくとも評者にとっては初耳の人々の活動が紹介されている。重要な人物について訳者が「人物紹介」を作成して巻末に置いているのはきわめて有益であるが、望むらくはシェイソンやフェランディなど名前が全く耳慣れない人々も取りあげていただきたかった。

 最後に、本書全体の問題と感じる点として、開発援助が被援助国側に具体的に何をもたらしたかということの扱いがある。被援助国側について相応の議論は行われていることは事実であるし、途上国側から示された「第三世界主義」は、74年に国連の資源特別総会で採択された「新国際経済秩序」(NIEO)にも関わらせながら確かに強調されている。しかし、援助の実態についての踏み込んだ分析にもう少し接したかったという気持ちが読後感として残ったのである。

(「世界史の眼」No.31)

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