書評:ピーター・N・スターンズ『人権の世界史』(上杉忍訳)ミネルヴァ書房、2022年
鶴見太郎

 20世紀に入り、人権として考慮されるリストは大きく増え、それゆえにそのリストは部分的に採用されたり、地域の固有性(とされるもの)と衝突したり、揺り戻しがあったりと、複雑な展開を遂げている。つまるところ、全世界で人権が十全に保障されるには、いまだ多くの障壁が残されている。そのことは本書を読み進めていくほどに痛感されるが、本書の結論において著者が述べているように、「歴史が問題の整理を助けてくれる」(311)。1945年以降、今日までの状況を扱う終盤の第5章と第6章で描かれている人権リストの拡大と摩擦の増大については、それほど真新しさを覚えるものではない。本書の真価は、むしろそこに至るまでの前史が丁寧に書かれているところにある。

 古くは、ハンムラビ法典から歴史が紐解かれる。人権に関して前近代を見る際に、多くの論者は前近代に人権などなかったと一蹴するか、あるいは逆に、何らかの前近代の伝統のなかに過剰に現代的な人権概念を読み込むかの両極端の傾向を示すと筆者は指摘する(86)。本書はそれに対して、人権概念に機能的には近いものを見出すことで、そのいずれにも陥らないバランスを保っていく。そのため、上記で述べたような、人権概念がある程度は市民権を得つつも、十分に浸透していかないというときに立ちはだかる壁のありかに思いをはせることができる。

 例えば、「目には目を」という、人権意識からは程遠く見えるフレーズで有名なハンムラビ法典では、間違った告発から人々を守ることに多大な努力が傾けられていたという。殺人罪で告発した際に、それを実証できなかった場合に、告発者が処刑されることになっていた(52)。その一方で、身分によって処罰は異なっており、どの身分に対する犯罪かによっても重さには違いが設けられていた(56)。これは、当時の社会の実態を反映したものである。法律は社会とともにあり、その組み合わせによって人びとの権利がどの程度守られていたのかを判定する必要がある。つまり、法律だけを見て権利の有無を判断することには限界があるということである。例えば、子どもの権利に関して、極端な事例としてユダヤ法では、両親は不服従の子に対して死の罰を与えることが許されていたという。しかしこれは即座に子どもが保護されていなかったと結論すべきことではないと著者は論じる。というのも、特に農村社会では、共同体が子どもの躾に関して監視するのが常態であり、今日起こっているような子どもに対するむき出しの肉体的虐待は少なかったからである(58)。

 このように、古代において、今日の人権概念・状況を鑑みて「惜しい」と言える概念・状況を少なからず見出すことができると考えると興味深い。もっとも、人権に向けた萌芽と見るべきか、それとも、それにより実質的な問題がある程度防げたことが、それで防げないマイナーケースを放置することにつながってしまい、人権概念が精緻化されていくことを妨げていたと見るべきか、という問いは残るだろう。だからこそ、今日の人権状況の改善を阻むものが何かを考えるうえで、こうした過去の事例は示唆に富むのである。

 このことに関連して印象深かったのは「義務」との関連である。仏教は「権利」という言葉を持たないが、「義務」という言葉で権利が実質的に保障される場合もあったという。例えば、仏教のダーマでは「夫は妻を支えなければならない」とあり、これを妻が夫によって扶養される権利があるという意味に理解することもできる(研究者のあいだでも意見は分かれるそうだが)(70-71)。

 義務と権利は、何かしらの関係を持つことも多かった。キリスト教圏でも、奴隷であれ、子どもあれ、必要な保護を受けられていない場合は自分自身の義務から解放されるはずだと考えられていた(74)。つまり、今日的な意味での人権の制限は、あくまでも使用者や庇護者がその義務を果たす限りにおいて認められていたにすぎないのであり、上に立つ者もフリーハンドではないとされていた点で、人権的なものが事実上保障されていた場合は少なくなかったといえる。

 それでも、義務とセットになった権利は、やはり人権概念とは異なっている。それはあくまでもパターナリズムに基づいており、ある体制への従属の見返りにすぎない。子どもであれ障碍者であれ、仮に義務を一切果たせなくても、すべての人間に等しく保障されるのが人権概念の特徴である。

 もっとも、このような考え方は近代思想の発明品ではなく、その萌芽はかなり過去にさかのぼることができるようだ。例えば、キリスト教徒は、キリスト教徒仲間を平等な価値の魂をもつ個人とみなし、何らかの保護が与えられるべきだと教えられていた(75)。イスラム教も、すべての人間の尊厳を強調し、少なくとも17世紀まではキリスト教よりも非信者に対して寛大だったという(77)。

 こうした緩やかな人権意識が明確に人権として確立したのは、やはり西洋における個人主義拡大の影響が大きい(100)。ここから、国家に対しても、人権が保障できることをその存在理由とする論理が生まれていく(105)。だがそこから今度は、人権を保障できる国家を称揚する逆向きの論理もまた生まれていった。女性の権利が19世紀に入るまでほとんど議論すらされてこなかったことや、他の諸権利についても議論が始まっただけで十全に適用されたとは決していえなかったことを考えると、それは西洋の支配層に都合のよい自己意識にすぎなかった。

 こうした西洋の自己意識が、非西洋圏を植民地化することを正当化する際にしばしば顔をのぞかせたことは本書でもしばしば言及される。では、このような人権概念の海外進出は、人権状況を好転させただろうか。人権概念が表面的に普及したことは確かである。しかし、例えばオスマン帝国においては、国家と対応する第一義的存在がそれまでは共同体であったのに対して、個人が位置づけられることになった。もちろんこれによって、キリスト教徒やユダヤ教徒がビジネスの分野をはじめとしてより自由に活動することができるようになったのも事実だが、その後帝国は他の面では混乱をきたしていくことにもなった(167)。

 このことは、人権を事実上ある程度保障していた、人権概念にあと一歩の「惜しい」状態を、人権概念が意図せずして破壊してしまった事態と見ることもできるのかもしれない。もちろん、それは人権概念自体に責めがあるわけではなく、もとの状態に無頓着な状態で、なかば政治的にそれを適用しようとしたことが仇となったということである。

 ひるがえって、パターナリズムによって人権保護に近い「惜しい」状態が維持されているのは(もちろん、それによって人権が蹂躙されることもある)、今日においてさえ、なにも非西洋圏にだけとどまることではないだろう。本書を読んで感じられたのは、それを人権概念の普及と取り違えないことが重要であるし、このように、「惜しい」状態が中途半端に続く(つまり多数派の人びとが現状でそれなりに満足してしまう)ことが、十全な人権概念がはかばかしく実効化されていかない背景でもあるということである。

 以上のような壮大なスケールをもつ本書に対して、最後に疑問点を一つだけ挙げておきたい。それは本書ではほとんど登場しない社会主義圏の扱いである。上記のように、人権概念は個人主義に立っているが、自由主義的個人主義に基づく社会制度では人権を十全に保障できないことは常識となっている。経済的な従属関係が人権を阻害するという問題意識を最も強く掲げていたのが社会主義であり、労働という義務を果たす者のみが十全な人権を保障されるという、義務と権利を結びつけてしまう極端な論理さえ、ソ連においては当初論じられていた。本書では人権概念に対して、共同性や地域性を盾に干渉しようとする新興国支配層の論理が紹介されており、個人主義の原則を超えることには慎重でなければならない。なにより、社会主義圏における人権侵害の歴史には重いものがある。しかし、どのようにすれば人権を実質化できるかを考えるうえでは、社会主義圏における論争や経験もまた、何らかの示唆を与えるかもしれないのである。

(「世界史の眼」No.36)

カテゴリー: コラム・論文 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です