2022年に刊行された『西洋史学』274号に、小川幸司氏による『国際関係史から世界史へ』に対する書評が掲載された。小川氏は長年にわたり、歴史教育、とりわけ高等学校における世界史教育に携わってきており、それに関する著作も多い。また2021年より刊行されている『岩波講座 世界歴史』(第三期)の編集委員を務めているほか、2023年6月には、岩波新書から、「シリーズ 歴史総合を学ぶ」の一冊として『世界史とは何か−「歴史実践」のために』を刊行している。
歴史教育と歴史研究が別のものとして存在するのではない点が指摘されて既に久しく、さまざまな形で議論が展開されるようになっている。とりわけ、「世界史」という枠組みを設定することは、日本においては歴史教育において先行したこともあり、むしろ世界史教育が世界史研究を牽引してきた側面もあるのかもしれない。また、小川氏の述べるように、高等学校のカリキュラム変更(「歴史総合」、「世界史探究」の導入)が、世界史を各国史の総和として描くのではなく、その構成原理を検討する必要を強いているという側面もあるだろう。この書評は、歴史研究と歴史教育のそれぞれの関心が同じ方向性を持つことを確認させるものでもあり、ここに簡単に紹介を試みたい。
小川氏は『国際関係史から世界史へ』の方法論に関して、非常に明解にまとめている。各国史の「並列」ではない、「脱ナショナル・ヒストリーの世界史」のため、連動と関係を重視する中で立ち現れる二つの観点を挙げている。一つは、世界史の垂直軸とも言える、世界史の「傾向」に対する諸地域の反発や受容による「土着化」の動き(小川氏は「傾向」の観点と呼んでいる)であり、もう一つが、世界史の水平軸にあたる、ある地域の緊張の高まりが別の地域の緊張の緩みをもたらすといった、諸地域の有機的なつながり(小川氏による「力学」の観点)である。このうち、「傾向」の観点に関して、小川氏は、ヨーロッパ中心史観に陥らないことの重要性を確認した上で、「土着化」だけにとどまらない「連鎖」のあり方にも視野を向けることを論じている。「傾向」の観点に関しては、その多様なあり方の分析が本論考の主要な部分ともなっている。具体的に挙げられているのは三つの点である。第一は、主権国家体制の東アジアにおける受容(対象書第1章)に関してであり、第二は、支配と被支配の権力関係の動向(対象書第4章、第6章)であり、第三は、「カラーライン」やジェンダー対抗軸といったさまざまな対抗軸の世界的な出現(対象書第3章、第9章)である。さらに、対象書に扱われていない「傾向」を補うものとして、同じ「MINERVA世界史叢書」シリーズの他の巻の存在が挙げられている。
小川氏は全体として『国際関係史から世界史へ』に高い評価を与えている。それは、氏の歴史教育者としての課題や関心に応える点が多いが故でもあるだろう。特に、小川氏の指摘する、世界史教育において抜け落ちがちのアフリカ史、ラテンアメリカ史、東南アジア史、オセアニア史などの重要性や、世界史に「民衆の歴史」を組み込むべきことなどは、世界史教育全体の課題でもあるものだろう。小川氏の書評により、世界史研究の進むべき方向も、より明確になったと思われる。
(「世界史の眼」No.40)