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生物界の進化と人間社会の歴史 ―「ビッグ・ヒストリー」によせて―
小谷汪之

はじめに

 40億年前の地球上における生命の誕生から今日までの歴史といったような、気が遠くなるような歴史を取り扱う「ビッグ・ヒストリー」が話題になっている。しかし、そうなると、生物界の進化と人間社会の歴史とを共に視野に入れた極めて長い射程と広い視野を持つ歴史観が求められることになるであろう。
生物界の進化と人間社会の歴史をひとつながりのものとしようとする考え方は、19世紀半ば頃から、さまざまな形で現れた。それはダーウィン以前の進化の思想、例えばチェンバース『創造の自然史の痕跡』(Robert Chambers, Vestiges of the Natural History of Creation, 1844)などに既に見られるものであり、ダーウィン『種の起源』(1859年)の刊行がそれに拍車をかけた。
 しかし、このような考え方には、危険な落とし穴が潜んでいる。ダーウィンの「自然選択」natural selectionという生物学的概念に対応するものとして、「最適者生存」survival of the fittestという社会学的概念を提唱したスペンサー(Herbert Spencer)の「社会進化論」は、その後、人種差別を合理化する機能を果たすことになった。19世紀末葉以降に現れた種々の優生思想は、進化に名を借りて、人種差別のみならず障碍者差別などさまざまな差別を正当化するものとなった。
 このような落とし穴に陥ることなく、生物界の進化と人間社会の歴史をひとつの包括的な展望において捉える方法はないのであろうか。ここでは、それをダーウィンとマルクス・エンゲルスとの関係の中に探っていきたいと思う。といっても、マルクスとエンゲルス、特にエンゲルスがダーウィンの進化論を自己の学説に何とか取り込もうとしたという一方通行的な関係で、ダーウィンの方はマルクスやエンゲルスの学説に何の関心も持たなかったのであるが。富裕なジェントルマンであるダーウィンの世界には、「亡命革命家」マルクスやエンゲルス商会の「商人」エンゲルスの入る余地はなかったのである。

1 ダーウィン『種の起源』の衝撃

 1850年代から60年代にかけて、マルクスのロンドンの家にしょっちゅう出入りしていたドイツ人亡命者ヴィルヘルム・リープクネヒト(1826-1900)はダーウィンに関わる思い出を次のように書いている(引用文中の〔 〕は引用者による補足。以下同様)。

 マルクスはダーウィンの研究の重要性を最初に認めた人々のうちの一人であった。『種の起源』が出版された1859年―この年は偶然にもマルクスの『経済学批判』が出版された年でもあった―以前に既に、マルクスはダーウィンの画期的な重要性を認識していた〔後略〕。
 マルクスは、特に、物理と化学を含む自然科学と歴史学の分野において、新たに出現してくるすべてのものを注意深くフォローしており、〔それらの分野における〕あらゆる進歩を確認していた。〔中略〕ダーウィンが彼の研究の結論を出し、それを〔『種の起源』として〕世に問うたとき、私たちは何か月ものあいだ、ダーウィンと彼の科学的な成果の革命的な重要性以外には何も話さなかった。1

 このリープクネヒトの思い出に見られるように、マルクスは一時期いわばダーウィンに夢中になっていたし、エンゲルスの方はダーウィンに生涯多大な関心を持ちつづけていた。そこで、後論のために、これら三者に関する略年譜を以下に掲げておく。

1809年 ダーウィン生。父は富裕な医師で投資家。母はウエッジウッド家の出。
1818年 マルクス生。父はキリスト教に改宗したユダヤ人弁護士。
1820年 エンゲルス生。父はドイツの紡績工場主で、エンゲルス商会を設立。
1831年12月 ダーウィン、ビーグル号に私費で乗船し、調査航海に出発。
1836年10月 ビーグル号、帰還。
1839年 ダーウィン、『ビーグル号航海記』刊行。
1859年
6月11日 マルクス、『経済学批判』刊行(Berlin: Franz Duncker. 1000部)。
11月22日 ダーウィン、『種の起源』刊行。Charles Darwin, On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life, London: John Murray, 1859.(初版1250部、1860年第2版3000部、1861年第3版2000部、1866年第4版1500部、1869年第5版2000部、1872年第6版3000部、その後増刷、1876年最終版)
1867年 マルクス、『資本論』第1巻刊行(Hamburg: Otto Meissner.初版1000部)。
1873年 マルクス、『資本論』第1巻第2版をダーウィンに献本(「心からの崇拝者カール・マルクス」という署名付)。ダーウィン、礼状を10月1日付で送る(これが両者の間の唯一の直接的交渉である)。
1882年 ダーウィン死去。
1883年 マルクス死去。
1895年 エンゲルス死去。

2 「目的論的自然観」の打破

 『ビーグル号航海記』で、ダーウィンの名前は既によく知られていたからであろう、『種の起源』が出版されると、エンゲルスは早速読んで、次のような感想をマルクスに書き送った(エンゲルスからマルクスへの手紙。1859年12月11日か12日)。

 ところで、いまちょうどダーウィンを読んでいるが、これはなかなかたいしたものだ。「目的論」はこれまである一面にたいしてまだうちこわされていなかったが、これがいまなしとげられた。そのために、自然における史的発展を立証するという、これまでにないほど壮大な試みが行われたのだが、またそのような試みがこれほど成功している例もまたとない。2

 マルクスの方は、このエンゲルスの手紙の約一年後になって『種の起源』を読み、エンゲルス宛に次のように書き送っている(マルクスからエンゲルスへの手紙。1860年12月19日付)。

僕の試練期間――最近の四週間――に僕はいろいろのものを読んだ。なかでもダーウィンの「自然選択」にかんする本。これは、大ざっぱに英語で述べられたものだとはいえ、我々の見解のための博物学的な基礎を含んでいる本だ。3

 マルクスはこのすぐ後にも、ラサール(Ferdinand Lassalle, 1825-64)宛の手紙(1861年1月16日付)に同じような感想を書いている。

ダーウィンの著作はすばらしいものだ。これは歴史的な階級闘争の、自然科学的基礎として僕の気にいっている。〔中略〕ここではじめて、自然科学のなかの「目的論」が、致命的な打撃を受けただけではなく、その合理的な意義を経験的に分析されたのだ。4

 これらの手紙から、マルクスとエンゲルスがダーウィンの学問的貢献としてもっとも高く評価したのが「目的論〔teleology〕的自然観」に最終的な打撃を与えたという点であったことが分かる。「目的論的自然観」とは、自然界のすべての現象にはあらかじめ目的が与えられているとみなす自然観であるが、これを逆転させると、すべての自然現象に目的を与えることのできるのは神しかいないから、神は存在するということになる。こうして、神の「デザイン」による「天地創造」が弁証され、あらゆる生物は「創造」されたときの姿のままに、今日なお存在するというキリスト教学的生物観が生まれる。
 このような「目的論的自然観」に対する批判として、18世紀後半になると、ラマルク(Jean-Baptiste de Monet Lamarck, 1744-1829)らによりさまざまな進化の学説が出されるようになったが、ダーウィンの進化論はそのいわば総仕上げのような位置にあった。それで、マルクスとエンゲルスはダーウィンの『種の起源』によって「目的論」は「致命的な打撃を受けた」と評価したのである。自然界にしろ、人間の社会にしろ、絶えず変化し、弁証法的な展開を遂げてきたとする立場に立つマルクスとエンゲルスは、ダーウィンが「自然における史的発展」を証明したことによって、自分たちの学説(史的唯物論)に自然科学的根拠が与えられたとして歓迎したのである。

3 「自然における史的発展」と人間社会の歴史

 エンゲルスは『反デューリング論』(1876-1878年に雑誌に分載後、1878年に刊行)を書いた後、その一部を抜粋した一般向け「入門書」として『空想から科学への社会主義の発展』を書いた(『反デューリング論』の序説・総論、第3篇第1 章、第2章を抜き出し若干の手入れをして、独立の小冊子としたもので、1880年に作成)。さらに、それらと同時進行的に、未刊に終わった草稿「自然の弁証法」の執筆を断続的に続けていた(1873-1882年)。これら三つの作品において、エンゲルスはしばしばダーウィンに言及している。
 『反デューリング論』では、エンゲルスは次のようにのべている。

 個々の資本家のあいだでも、また全体としての産業と産業、国と国のあいだでも、自然的または人為的な生産諸条件が有利であるかないかが、生死を決定する。敗れたものは容赦なく駆逐される。これは、ダーウィンのいう個体間の生存闘争が、幾層倍にも狂暴なものとなって自然から社会に移されたものである。動物の自然のままの立場が人間の発展の頂点に現われる。5

 ここでは、エンゲルスは資本主義世界を、国籍を持たないインターナショナルな階級としての資本家と労働者が直接的に戦いあう世界としてではなく、資本家同士や諸産業間において激しい「生存闘争」が行われるだけではなく、さらには国家に統合された資本家階級・労働者階級が一体となって、他国の資本家階級・労働者階級と生死をかけて戦いあう世界として捉えている。資本主義世界は「ダーウィンのいう個体間の生存闘争が、幾層倍にも狂暴なものとなって自然から社会に移された」世界であり、そこでは「自然的または人為的な生産諸条件が有利であるかないかが、生死を決定する」というわけである。
 このような観点から、エンゲルスは、「自然における史的発展」と人間社会の歴史を同じ「弁証法的運動法則」によって捉えることができるのではないかという課題意識を発展させた。エンゲルスは『空想から科学への社会主義の発展』の中で、次のようにのべている。

 自然は弁証法の試金石である。そして、近代の自然科学は〔中略〕、自然ではけっきょくすべてが形而上学的ではなく、弁証法的におこなわれているということ、自然は永遠に一様な、たえず繰りかえされる循環運動をしているのではなく、ほんとうの歴史を経過しているのだということを証明した、とわれわれは言わなければならない。この点ではだれよりもさきにダーウィンの名をあげなければならない。彼は、今日の生物界の全体が、植物も動物も、従ってまた人間も、幾百万年にわたっておこなわれた発展過程の産物であるということを証明することによって、形而上学的な自然観に最も強力な打撃を与えたのである。6

 エンゲルスが長期にわたって「自然の弁証法」を書き続けていたのは、このような観点からであった。「自然の弁証法」中の「弁証法」という項目(1879年9月執筆)で、エンゲルスは次のように書いている。

 要するに、自然および人間社会の歴史から、弁証法の諸法則は抽出されるのである。これは、まさに、歴史的発展のこの二つの局面の、ならびに、思考そのものの、最も一般的な諸法則にほかならないのである。詳しく言うと、実質的には次の三つの法則に帰着する:
量の質への急転またその逆の急転という法則、
対立物の相互浸透という法則、
否定の否定という法則。7

 しかし、「弁証法」の後の方では、エンゲルスは次のように一定の留保をつけている。

 生物学においても人間社会の歴史においてもこの同じ法則〔量の質への急転またその逆の急転という法則〕は一歩ごとに確証されているが、我々は、ここでは精密(自然)諸科学からとってきた例証にとどまろう。ここでは諸量が厳密に測定でき追跡できるからである。8
 ここでは、さしあたりただ生命のない物体についてだけ述べることにする。生命のある物体についても同じ法則〔量の質への急転またその逆の急転という法則〕が当てはまるのであるが、この場合その法則は非常に複雑な諸条件のもとに置かれていて、定量的測定がこんにちでもなおわれわれにできない場合が多い〔からである〕。9

 エンゲルスは、自然界においても人間社会の歴史においても同じ弁証法的運動法則が働いていると考えていたのだが、「弁証法」を書いた時点では、その例証を「生命のない物体」に限らざるをえなかったのである。
 『反デューリング論』第2 版(1885 年)「序」では、エンゲルスは次のように書いている。

 私にとって肝心なことは、いうまでもなく、歴史において諸事件の外見上の偶然をつうじて支配している弁証法的運動法則と同じものが、自然のうちでも、無数のもつれあった変化をつうじて自己を貫徹しているということを〔中略〕個々の点についても確かめることであった。10

 この時点(1885年)になっても、エンゲルスは、自然界においても人間社会の歴史においても同じ弁証法的運動法則が貫徹しているということを「個々の点についても確かめること」ができていなかったのである。
 1895年、エンゲルスは、結局、その壮図を実現することなくこの世を去った。

おわりに

 日本におけるダーウィン研究の第一人者、松永俊男は次のようにいっている。

 進化論から特定の立場の社会思想が必然的に導かれるということはない。生物学に基づく人間論や社会論は、しばしば大きな過ちを犯す。生物進化論と社会思想は厳しく区別すべきである。11

 スペンサー以後の「社会ダーウィニズム」が果たした否定的役割を想起するとき、この指摘は正鵠を射ている。しかし、それでは、エンゲルスが「自然の弁証法」などで試みたこともまた同じように否定されるべきものなのであろうか。「ビッグ・ヒストリー」が喧伝される今日、生物界の進化と人間社会の歴史との関係については、改めて検討する必要があるのではないかと思う。

1 Wilhelm Liebknecht, Karl Marx: Bibliographical Memoirs, English tr. by E. Untermann, Chicago: Charles H. Kerr & Company, 1901 (original German ed., 1896), pp. 91-92.
2 大月書店版『マルクス・エンゲルス全集』、29巻409ページ。
3 同、30巻105ページ。
4 同、30巻467ページ。
5 同、20巻282ページ。これとほとんど同文が『空想から科学への社会主義の発展』にも見られる(同、19巻213ページ)。
6 同、19巻201-202ページ。この文章は『反デューイング論』には見られない。
7 『〔新メガ版〕自然の弁証法』(秋間実・渋谷一夫訳)、新日本出版社、1999年、210ページ。
8 同、216ページ。
9 同、212ページ。
10 大月書店版『マルクス・エンゲルス全集』、20巻11ページ。
11 松永俊男『チャールズ・ダーウィンの生涯』朝日選書、2009年、276ページ。

(「世界史の眼」No.2)

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ビッグ・ヒストリー
南塚信吾

 2010年代以降、日本でも「ビッグ・ヒストリー」が盛んに紹介されるようになってきた。これは、ビッグバンに始まって今日までの歴史を扱うもので、これまでの歴史学の射程を気が遠くなるほど拡大して、そのなかでの人類の位置を追求しようというものである。したがって、天文学、宇宙論、物理学、生物学などの自然科学と、考古学、地理学、歴史学などの人文科学を相互した学問分野になる。

 種々の前史をふまえて、1990年ごろにオーストラリアのデイヴィッド・クリスチャンを中心に始まったビッグ・ヒストリーの研究・教育活動は、2010年にはInternational Big History Associationという国際組織を作るまでになった。そして、2013年にビル・ゲイツがこれに関心を持って、デイヴィッド・クリスチャンとともにBig History Projectを立ち上げ、世界各国でのネットを活用した教育に力を入れてきている。

 21世紀に入ってから、世界史では人類「文明」の誕生あたりから現代までのかなり長期的な視野での歴史が注目されてきた。つまり、古代・中世・近代のいずれかの時期の世界史でも、前期代・近代の世界史でも、世紀別の世界史でもなく、それらを超越した通時代的な世界史である。しかし、近年、これをさらに超える長い歴史が提唱されてきている。改めて整理してみると、現在、この大きな歴史を考える方法としては、

  1. 1万数千年前の人類「文明」の誕生から考える歴史
  2. 200万年前のアフリカにおける「人類(ホモ・サピエンス)」の誕生から考える歴史
  3. 40億年前の「生命」の起源から始めて人類の歴史を論ずる歴史
  4. 宇宙の始まりから人類の歴史までを論ずる「ビッグ・ヒストリー」

が併存している。「人類」がどこからきてどうなるのか、地球上の「生命」というものがどこからきてどうなるのか、そしてさらに地球を一部とする「宇宙」がどこからきてどこへ行くのかが問われているのである。これらは、これまでは歴史学の扱う分野ではないと考えられていたが、地球科学や生命科学の発達を基礎に、気候変動や地球温暖化などの問題に直面して、そうではなくなってきたのである。

 21世紀に入ってからの主な著作(邦訳)をあげてみよう。

1.人類文明の歴史 1万3000年前~

  • ウイリアム・H・マクニール『疫病と世界史』佐々木昭夫訳、新潮社、1985年;中公文庫、2007年
    William Hardy McNeill, Plagues and Peoples, 1976
  • ウイリアム・H・マクニール; ジョン・マクニール『世界史-人類の結びつきと相互作用の歴史』全2巻、福岡洋一訳、楽工社、2015年
    William Hardy McNeill, The Human Web: A Bird’s-eye View of World History, with J.R. McNeill, 2003
  • ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』(上下)、倉骨彰訳、草思社、2012年
    Jared Diamond, Guns, Germs, and Steel, 1997
  • ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊―滅亡と存続の命運を分けるもの』(上・下)楡井浩一訳、 草思社、2005年
    Jared Diamond, Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed, 2005
  • ジャレド・ダイアモンド『危機と人類』(上・下)、 小川敏子、川上純子訳、日本経済新聞出版社、2019年
    Jared Diamond, UPHEAVALTurning Points for Nations in Crisis, 2019

2.人類の歴史 200万年前~

  • ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』 (上・下) 、柴田裕之訳、河出書房新社、2016年
    Yuval Noah Harari, Sapiens: A Brief History of Humankind, 2014
  • ジェフリー・ブレイニ―『小さな大世界史』南塚信吾監訳、ミネルヴァ書房、2017年
    Geoffrey Blainey, A Very Short History of the World, 2004

3.生命の歴史 40億年前~

  • リチャード・フォーティ『生命40億年全史』、渡辺政隆訳、草思社、2003年
    Richard Fortey, Life: An Unauthorized Biography, 1997
  • リチャード・フォーティ 『地球46億年全史』、渡辺政隆、野中香方子 訳、草思社、2008年
    Richard Fortey, The Earth: An Intimate History, 2004

4.宇宙の歴史 ビッグ・ヒストリー 138億年~

  • クリストファー ロイド『137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史』、野中香方子訳、文芸春秋社、2012年
    Christopher Lloyd, What on Earth Happened?: The Complete Story of the Planet, Life and People from the Big Bang to the Present Day,2008
  • デヴィッド・クリスチャン『ビッグヒストリー入門―科学の力で読み解く世界史』渡辺 政隆訳、2015年
    David Christian, Maps of Time: An Introduction to Big History, 2005
  • デヴィッド・クリスチャン、シンシア・ストークス・ブラウン他『ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史』長沼毅監修、明石書店、2016年
    David Christian, Synthia Stokes Brown, Benjamin Craig, Between Nothing and Everything: Big History, 2014
  • デイヴィッド・クリスチャン他 (監修)『ビッグヒストリー大図鑑:宇宙と人類 138億年の物語』オフィス宮崎訳、河出書房新社、2017年
    Big History Institute, Big History: Examines Our Past, Explains Our Present, Imagines Our Future、Penguin, 2016.  Forword by David Christian
  • ウォルター・アルバレス『ありえない138億年史』山田美明訳、光文社、2018年
    Walter Alvarez, A Most Improbable Journey: A Big History of our Planet and Ourselves, 2016
  • デイヴィッド・クリスチャン『オリジン・ストーリー』柴田 裕之訳、筑摩書房、2019年
    David Christian, Origin Story: A Big History of Everything, 2018

 こういう流れの中で、今回のデイヴィッド・クリスチャン著『オリジン・ストーリー』が翻訳されたのである。

(「世界史の眼」No.1)

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エネルギーからすべてのものの歴史を語る―デイヴィッド・クリスチャン(柴田浩之訳)『オリジン・ストーリーズ―138億年全史』(筑摩書房、2019年)
橋川健竜

 宇宙の始まりから現在までを、どうやって語るのだろう。ほとんどの読者はそう思いながら本書を開くに違いない。たとえば歴史研究者はほとんどが人間の歴史、それも二千数百年前までのそれに関心を寄せているが、ビッグ・ヒストリーと銘打つ本書の扱う時間は138億年におよぶのだ。その議論は、最大限に広くとらえた歴史学に加えて、少なくとも天文学、物理学、化学、地学、生物学、言語学、考古学、人類学、経済学、政治学にまたがる。分析のかたちをまったく異にする各学問領域の研究成果をただ並べるのではないなら、どう一つに結び合わせるのだろうか。そしてそれを歴史学として世に示すとき、人間以外や生命体以外の歴史と並列される人間の歴史は、どのような歴史として語られるだろうか。

 著者デイヴィッド・クリスチャンは、「エネルギー」を議論の軸に据えることで、また情報をたくわえて活用する能力に着目することで、一貫した議論を展開してみせる。エネルギーは「何かが起こるための潜在性、何かをしたり何かを変えたりする潜在的な能力」(訳書では3箇所に傍点が打たれている)である。エネルギーは放っておくとばらばらの方向に無秩序に作用して消えていくが(熱エネルギー)、特定の方向に誘導され集約されれば、信じられないほど大きな力を発揮する(自由エネルギー)。そしてエネルギー活用のイノベーションを導き出すには、DNA・RNAから今日の科学技術まで、情報を収集して利用する能力が重要な役割を果たす。

 本書では、構造が壊れようとする傾向(エントロピー)を自由エネルギーが押しとどめ、より複雑な構造を組み上げて維持していることが重要視される。本書は宇宙の始まりから地球の形成、生命の誕生、さらに今日にいたる人間の活動まで、すべてを「ゴルディロックス条件」の探求の過程、すなわちより多くのエネルギーを取得する仕組みが作られ、いっそう複雑な構造が可能になる、新たな「臨界」への到達の物語として記していくのだ。

 宇宙の始まりであるビッグバンは想像を絶するエネルギーを解き放った。その奔流が落ち着きを見せたときまでに、電子、中性子、電子やニュートリノなど、最初の構造が作られていた。その後宇宙の温度が下がるまでの間に水素にはじまる数多くの元素が作られ、それも自由エネルギーによって維持される。それらの元素がぶつかりあい、より大きな重力をもつ集塊となっていく気の遠くなるようなプロセスの中で、恒星と惑星が作られる。そして地球では、地球全体が凍りつきかかかるような寒冷期もあったが、温室効果ガスの量が多すぎでも少なすぎでもなかったおかげで、気温の上下変動が液体、特に水分が存在しうる特定の範囲にとどまった。その特殊な環境下で生命が生まれる。生命は慎重に管理された自由エネルギーによって自分の構造を維持して自己複製するが、その中でも細胞レベルの複製エラーは起こりえた。より多くのエネルギーを取り込む能力を高める方向の複製エラーがダーウィンの「自然選択」を可能にして、生命体の進化が進むのである。

 単細胞生物、多細胞生物を経て陸生植物が現れると、光合成の結果として大気中の酸素の濃度が高まり、それを受けて動物の体も大きくなっていく。狩猟採集を経て人間は農耕を営み、植物が光合成によってたくわえていたエネルギーを取得した。ただし農耕を高度化するには、資源を投入して環境を改変する作業が必要になる。こうして農耕は社会階層の分化と国家の出現を促した。また18世紀以来の化石燃料の利用は、地球がたくわえてきたエネルギーの活用であった。産業革命以降の技術と情報処理の高度化の中で、核エネルギー開発も行われた一方、20世紀後半には70億の人口を支える食糧の増産と、以前からは考えられない規模での中間層の増加とが可能になった(グレート・アクセラレーション)。平均寿命がこの100年で2倍に伸びていることが、その成果の大きさを良く示している。

 他方、化石燃料の活用以来の人間の営みは環境への負荷を増すばかりであり、地球温暖化のかたちでひずみが明らかになってきた。人間がこの影響を最小化するにあたっては、富を増大させ続けるため、なりふりかまわずさらに多量のエネルギーを抽出し続けるのではなく、生物圏と共存できる安定した世界を築くことを優先する、という決意が必要ではないか、と著者は示唆する。それによって人間が現今の臨界を超えられるなら、人間には新しい可能性を探索する扉が開く。たとえ遠い未来には、宇宙は恒星が冷えて暗くなり、ブラックホール同士が互いを引きつけあうようになって次第に消えていくとしても。

 本書の部分部分については、多くの読者は、自分の専門領域以外であっても断片的に知識を持っていることだろう。だが、それを長大な時間の流れの中に的確に置いて全体と統合してみせるには、文理の壁を越える、並ならない研鑽が必要だ。それをなした本書はまさに良質の学術的教養書であり、歴史書である。エネルギーと情報に着目することで多数の学問分野を横断し、より複雑な構造の形成とより多くのエネルギーの活用が進んでいく物語を組み上げたクリスチャンの努力と構想力には、感銘を禁じえない。

 自然科学の議論を理解しやすくする工夫でも、本書は抜かりがない。エネルギーと構造の複雑化をめぐる宇宙研究や自然史の論述は、それをめぐる学問研究の発展史と巧みに組み合わされている。よく知られる自然史上の現象や学問発展のエピソードが多数差し挟まれていて、自然科学にくわしくない読者も議論を追うことができる。膨張する宇宙という仮説を天文学が受け入れていく過程も、プレート・テクトニクス理論がソナーなど観測技術の発達に助けられて珍説から定説へと変わっていく過程も、また炭素14を用いる放射性年代測定法の確立も説明される。小惑星が地球に衝突したことで恐竜が絶滅し、哺乳類が台頭したことも、この新説が受容されていく研究史や、発掘によってデータが集積されていく経緯に触れながら語られている。

 歴史学がこれまで対象としてきた時代は、農耕と化石エネルギーの利用を画期とする人類史として語られている。資本主義の発達は、それぞれ別個に発展してきたワールドゾーンどうしの連結にからめて、またエネルギー取得のイノベーションにからめて、比較的多く取り上げられる。他方、19世紀から20世紀のナショナリズムの隆盛など、各国史につながりうる論点は短く触れられるにとどまり、議論は地球温暖化をはじめとする環境問題へと向かう。個々の文明や国家を中心に議論するという、歴史学がしばしば自明のことのように使ってきた枠組みは、宇宙のはじまりから論を起こすならどのように切り替えられるのか。歴史を研究する読者は、本書の発想を噛みしめてみる価値があるだろう。

 最後に、イギリスでロシア史を学んでオーストラリアで教鞭を取ってきた著者ならではの個性も、本書の魅力といえる。近世の国家と起業家の関係について、オランダやイギリスに触れるにとどめず、それとは違った提携関係の例としてイヴァン4世(通称雷帝)の時代のウォッカ製造の話が引かれている箇所などは、ロシア史の専門家ならではといえる。そして、4万年前の生活の痕跡が残るマンゴ湖遺跡(現ニューサウスウェールズ州)が複数の箇所で言及され、ファイア・スティック農業(アボリジナルの持ち歩いた火起こし棒にちなむ命名)が火による環境改変の初期の例として触れられるなど、本書はあちこちで、人類史上の重要な実例としてオーストラリア先住民を引き合いに出している。4万年前にまで及ぶ先住民アボリジナルの歴史とジェームズ・クックの探検(1770年)以降の歴史を、自分たちの歴史として一つの物語に統合しようと試みているオーストラリアの今日の姿も、本書には垣間見ることができる。日本から考えるのとは一味ちがうビッグ・ヒストリーだといえるだろう。

(「世界史の眼」No.1)

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