今、新型コロナウィルスが世界中に広がっている。パンデミックである。しかし、世界の各地に動いていっているのはウィルス自身ではない。いうまでもなく、ウィルスに感染した人間が移動するなかで、ウィルスも拡散し、肺炎にかかる人々が世界の各地で生じてきているのである。人間の移動というものがどのような意味をもつのか、改めて考えさせられる事態に私たちは直面している。そうした状況のもと、昨年(2019年)出版された『人々がつなぐ世界史』を読んでみる意味は大きい。
本書は、編者永原陽子氏による序章につづいて各2章からなる第Ⅰ部から第V部まで(計10章)と14のコラムから成る。第Ⅰ部は交易、「商業のための移動」を対象とし、具体的に扱われているのは、シルクロードにおける商人の活動(紀元後~8世紀頃)と東アジアの海域における倭寇などの動き(14世紀~16世紀)である。第Ⅱ部は「信仰のための移動」を論じており、メッカ巡礼にまつわる思想(18世紀後半~19世紀前半)およびキリスト教宣教師の活動(19世紀中心)が取り上げられる。第Ⅲ部は「学びのための移動」と題され、中世日本僧の中国留学(12世紀~13世紀)と近代化過程におけるオスマン帝国からヨーロッパへの留学(18世紀末~19世紀)とアジア諸地域から日本への留学(19世紀末~20世紀初め)が検討される。第Ⅳ部は「移民」を扱い、中国人(華人)の移動(19世紀~20世紀)とレバノン・シリアからの移民(19世紀末~21世紀初め)についての章が並ぶ。そして最後の第Ⅴ部は「強いられた移動」を論じており、日本が送り出したからゆきさんから慰安婦に至る「性奴隷」にされた女性たちの問題(19世紀末~20世紀前半)とポグロムの結果アメリカへの移住を余儀なくされたロシアなどのユダヤ人の問題(19世紀末~20世紀初め)が論じられる。コラムもきわめて多様なテーマを扱っており興味深いが、残念ながら紹介する紙幅がない。
本書の帯のキャッチフレーズは、「人類の歴史は「移動」の歴史である」となっている。まさにその通りであるが、それだけに人々の移動の歴史に迫ろうとすれば、その対象は無限に広がってくるともいえる。そのなかで何を取り上げて「人々がつなぐ世界史」という一書を編むかはきわめて難しい課題である。上記の内容紹介に各章が主として扱う年代を記しておいたが、時代に着目してみれば、本書では19世紀から20世紀初めにかけての時期に重点が置かれている。前近代における人の移動についてのイメージは、シルクロードや倭寇、中世日本僧についての章(いずれもきわめてすぐれた出来栄えである)からうかがうことができるが、断片的であるという感は否めない。それに対し、いわゆる帝国主義の時代を中心とする時代における人の移動については、扱っている章が多い上に華人やレバノン・シリア移民を対象にした章の包括的な視座にも助けられて、幅広い像が提示されている。
本書は、MINERVA世界史叢書(全15巻刊行予定)の第Ⅱ期「つながる世界史」3巻の内の1巻という位置を占める。他の2巻は「もの」と「情報」を対象としており、「情報」の方もすでに刊行されている。この世界史叢書は野心的なプロジェクトであるが、そのなかでもこの第Ⅱ期は、叢書の性格をよく示している。人、もの、情報の移動ということは(いまひとつ「かね」の移動もあるが)、現在私たちの眼前で進行しているグローバル化の様相を示す要因であり、グローバル化という視座から歴史を振り返ってみる際に鍵となる問題である。その問題を扱って、「新たな世界史の構築」という叢書全体の目的に取り組もうとしているのが、この第Ⅱ期の3巻であると考えられる。
となれば、「新たな世界史の構築」という課題に本書がどこまで迫ることができているかが問題となる。ある土地への定住者を、さらにはそうした定住者が作り上げた国家を中心にすえてきたこれまでの歴史像をどのように揺るがし、それに対するオールタナティブを提示していけるかが問題であるが、本書はそのような方向への手掛かりを確かに提示している。すべての筆者によってそうした課題が意識されていると感じられないのは少々残念ではあるが、大半の章では世界史叙述に新たな位相を切り開いていこうとする意欲が感じられる。まとまった新たな世界史像が明確な形で示されているわけではないものの、これからの世界史(グローバル・ヒストリー)研究に向けての刺激を多く含む論集となっているのであり、一読をお勧めしたい。
(「世界史の眼」No.2)