教職を目指す大学生は、今般のCOVID-19問題をどうとらえたか
吉嶺茂樹

1. はじめに

 今般のCOVID-19問題は、図らずもグローバル経済の問題点や、日本社会に内在していた様々なレベルの問題を顕在化させた。教育現場でも、唐突な一斉休校指示と、しかし、にもかかわらず「新しいセンター試験」を日程通り実施すること(このことが現役生と既卒者との学習機会の著しい不均衡をもたらすことに対する配慮は一切無い:試験自体を少し遅らせる二回目程度では問題解決には全くならない)等々である。社会全体でも、5~6月などの時期には、医療従事者への一方的な差別的発言(海外では賞賛はされども蔑視されることなど考えられない)、いわゆる「自粛警察」や帰省者の実家への張り紙など枚挙にいとまが無い。筆者も教育現場で毎日机やドアノブを消毒しながら、いわゆる「エッセンシャルワーク」の名の下、レジ打ちで毎日毎日、罵詈雑言を浴びせられて心が折れそうだ、と電話してくる勤労生徒たちの顔を思い起こしているところであった。

 さて、そんな筆者が、今年度春学期、ZOOMによる遠隔講義を使って、大学生に外国史を教えることになった。元々はビジネスマンを育てる大学で、教職を目指そうという学生に外国史や日本史を教え始めて10年近くになっていた。なお筆者自身は、通信制高校に勤務していて、遠隔教育については、7年前から国の研究指定を受け、全国唯一の遠隔教育による単位認定までを行う実験をしていた。i但し筆者自身、研究当時はこういう形で全国的に遠隔教育が広範に行われるような事態を想定したことも無かった。4年間行った研究指定の報告書も、はっきり言って「誰も読まなかった」。ところが「図らずも」遠隔教育に対するスキルを持っていたため、講義の実施自体はほぼスムーズに大きなトラブルも無く終えたのであるが、その限界や問題点が改めて理解できたというのが正直なところである。

 本稿では、しかしそうした、筆者が感じた技術的・制度的な問題では無く、これまた「図らずも」「遠隔教育を強制的に受けさせられる羽目になってしまった」学生たちの声に耳を傾けてみようと思う。例年受講生も数名で、家庭的にやっていたのだが、今年は今回の状況もあったのか、公務員志望が多く、受講者数も25名となっていて、昨年度から継続履修している学生自体が目を丸くするというような状態であったことを付記しておく。

2. レポート内容その他について

 教室に学生を集めてのテストが実施できないため、レポートなどによる成績評価が奨励された。筆者の外国史でのレポート課題は次の通りでであった。

 次の資料を二つ読んだ上で、次の2点について書いてください。(1600字以上)

A 藤原辰史「パンデミックを生きる指針」

https://www.iwanamishinsho80.com/post/pandemic

B メルケル首相の国民にあてたメッセージ(ドイツ大使館メッセージ)

https://japan.diplo.de/ja-ja/themen/politik/-/2318804

(1)(本講義が教職課程の外国史であることを踏まえ、外国史<近現代史の通史>を学んだ上で)

 4月以来の、自分の身に起こっている事態を、皆さんは教育現場で言語化して話す必要にたぶん置かれます。そこで、20年後の中学生や高校生に、どのように語りますか。口語体でも文章形式でも良いので書いてください。

(2) 4月以来の皆さんにおこった事態に対する思いの丈とか感想とかを聞かせてください。

の二つである。遠隔の講義だったので、学生の表情や講義中の雰囲気などが画面越しではわかりにくい。どのくらい書いてくれるかなと心配であったが、それは杞憂であった。彼らは彼らなりに自分の身に降りかかっていることを言語化し、冷静に判断し、時に「正しく怒っていた」。以下は、学生たちの言葉からである(適宜内容を変えない範囲で表現を改めた。文責はすべて筆者にある)。

2-1 「20年後の中学生や高校生に、どのように語りますか。」

 多くの学生は、現在のニュースや新聞報道、ネットの情報などから自分の周りで起きていたことを伝えようとしていた。その中で、いくつかのレポートが印象に残った。

2-1-1 「似ていること、違うこと」

 「…当時私は、北海道の大学に通っていて、有数の観光地である小樽でアルバイトをしていましたが、客の8割以上が中国人観光客だったため、バイト先も閉鎖になりました…入国制限によって、今まで賑わいをみせていた街から人が居なくなりました。…部活動が制限され、授業の開始が一ヶ月延期され、そして人生初のオンライン授業が始まりました」「…私は宮城県の出身で、当時宮城で暮らしていましたが、もう震災前の生活には戻れないことを知っています。一見復興したように見える街にも、たくさんの傷が残っています…おそらく、小樽の観光業に関わる人にも、そしてこの国に生きている人たちにも、たぶん同じです…」。

 (吉嶺コメント)東北の震災を経験した学生が、「似ていること、違うこと」と称して、「普通の生活ができなくなること」の意味を考えたレポートである。実際、小樽の状況は深刻であった。筆者は、オンライン講義だったが、高校の職場の都合上、札幌から小樽まで通って大学の教室から遠隔授業を行っていた。その帰り道、人通りの全くなくなった、土産物店がすべてシャッターを下ろした小樽運河沿いは、片側三車線の道路に全く車が無く、「ゴーストタウン」の様相を示していた。

2-1-2 歴史教員を志望している学生が、実際に教科書や資料でどのような図版を用いたら今の状況が伝わるか、という観点から考えたレポートである。

 「…教科書には、『様々なモノ(街の彫刻や、庭に置かれている置物やその他いろいろなもの)』がマスクをつけている写真、…ウイルスの顕微鏡写真、マスク・アルコール等々の在庫切れの写真、ソーシャルディスタンスをみんなが守っている写真(郵便局の外まで受け取りの列にみんなちゃんと並んでいる!)…を使ったら良いんじゃ無いでしょうか。」「なるべく、生徒に『考えてもらう』事によって想像してもらうのが良いんじゃ無いかと思います」

 (吉嶺コメント)このレポートには他にも、「…こうやって、歴史の教科書には、ある史実を伝えようとする写真が考えて使われるという事を改めて自分で考えてみて、ちゃんと教えようと思うようになりました。時間の使い方が重要ですね…」という記述がある。この学生の指摘によれば、「探求すること」が「歴史の勉強を面白くすることは間違いない」。問題はそういう学校現場の活動を後押しするような「入試問題」が出題されていくことであろう。大学入試センターも含めて、である。

2-1-3 自分の身の回りから外へ向けて現状を考えたレポートである。

 「皆さんは、家で過ごすことは好きですか?一人で過ごすことが好きだという方も少なくないと思います。でもそれが1ヶ月、3ヶ月、半年…と続いたらどうでしょうか。それも自主的では無く、国に指示されるのです。Stay Homeと称して…」「…コロナウイルスは、生活様式をがらっと変えました。…通勤通学の方法も変わり、大学は通学の必要がなくなり、オンラインになりました。…通学しなくて良いのは楽ですよね(そう思いますよね)。でも、違うんです。皆さん、体育をケガなどで見学するときにレポート書かされた経験はありませんか?それをほとんど全部の教科でやらされるんです。当時の大学生は命とか経済的な面もですけど、落単の危機にもさらされたと私は思っています(笑)。」「…ジャニオタはコンサートに行けず、世の中のカップルは、デートはおろか会うことも許されず(隠れて観光地にいった芸能人は糾弾され)、コロナ別れという言葉がはやりだし、髪の毛が伸び放題、プリン状態の髪色の人が増え、セルフカット・セルフカラーで自分の技術に落胆する人が増えました(あっ、私のことか<笑>)でも私がこれを皆さんに話していると言うことは、私は生き抜いたと言うことです…」。

 (吉嶺コメント)彼女は毎回の講義感想に実にユニークなコメントをしてきた学生である。他の学生とは少々違う観点から、切れ味鋭い「20年後の高校生への『拝啓…』で始まる手紙のようなもの」という実に面白いレポートを提出してきた。

2-2 「現状に対するあなたなりの思いの丈や感想を書いてください」

 この課題には、外国史(近現代史が中心である)の通史学習を踏まえた、実に様々な、それも長文のコメントが寄せられた。中には5000字を超えるものもあり、総じて「自分の身に起きていることを今、このときに言語化(コトバ化)して残しておきたいという意欲が感じられた。

2-2-1 中国からの留学生のレポートである。少し長くなるが引用したい。

 「先生は3月から7月に起きていることを書きなさいと言いましたが、私は1月の時からもうコロナとの闘いを始めたので、1月から書きたいと思います。…誰も世界で何千万人の感染者が出ることが想像できませんでした。私は武漢が封鎖される初日も、友達からなにを食べに行こうと誘われました。行ったのは家の近くのデパ地下でした。…」「…SARSも大丈夫から今回も大丈夫だと思っていたのでしょうか。そしてその日の夜で、地元に第一例の感染者が報告されました。それにも関わらず、街でマスクをする人がまだ少なかったです。周りで親にマスクをさせるのに苦戦していた若者がたくさんいました。なぜSARSも経験していない若者はマスクを重視しているのに、経験がある大人は重視しないのかを考えるのがなかなか面白いです。そのあと、私は受験のため日本に来ました。…」「…その後SNSを見たら、最初の時とのすごい差が感じました。最初の時、政府を批判する人が大勢いました。しかし時間が経つに連れて、みんなが納得したように見えました。…」「…二週間前、私の地元に新たな感染者が出ました。地元の通知を受けて、他の省が接触者である友達を検査して感染が判明された日、地元のニュースではまだ新増感染者0人と書いていました。…その結果、次の日に町を緊急封鎖したが、二週間で感染者が400人以上になりました。当然、政府のせいばかりじゃなく、マスクが普通に安く売っているがマスクもしなくて集まっていた人々もこういう結果になった原因の一つです。…私たちは一体コロナから何を学んだのが、私は未だに分かりません。しかしこれは中国だけでもないです。」「人は銅を以て鏡と為し、以て衣冠を正すべし。古きを以て鏡と為し、以て興替を見るべし。人を以て鏡と為し、以て得失を知るべし。こういう言葉を話す人こそ貞観の治ができるのか、私たちができるのは本当に衣冠を正すだけのレベルでしょうか。」

 (吉嶺コメント)彼女の戦いは1月から始まり、日本で大学に入学したらオンラインだった、という現実であり、その戦いに対するなんとも言いようのない感情を何度か講義コメントに書いてくれた。貞観政要の「三鏡の教え」を書くことのできる大学一年生が日本にどれくらいいるのか良くわからないが(彼女はしかも地方の出身である)、以て範とすべきであろう。中国嫌い、とか韓国大嫌いとか書いている人々がどのくらい隣国との関係史を知っているか、ということである。ちなみに貞観政要は明治天皇も元田永孚に進講させている。元田永孚は元熊本藩士、教育勅語の選定に深く関わった人物として知られている。

2-2-2「私の本音はこうです」

 「私がコロナによる影響を身に染みて感じたのは、高校の卒業式でした。例年は、保護者はもちろん在校生も参加して、オーケストラ部による演奏で入場するのですが、今年は卒業生だけで、入場曲もCDの音楽という寂しい卒業式になりました。それから、樽商で授業が始まるまでの間、これでもかというほど日々怠け、遊んでいたので、3から5月はそれほど深刻に受け止めていなかったのが本当のところでした。しかし、大学の授業が始まってからは、とにかく忙しかったです。家にいるのに忙しく、授業前の自分の生活ぶりを妬ましく思っていました(笑) SNSなどでも全国の大学生が課題の多さに疲れている情報をよく目にします。疲れているのは大学生だけではなく、小中学生の子供を持つ全国のお母さん方もだと、小4の弟、そして私の母を見ていて感じました。午前授業のために昼食を用意しなければならず、給食の恩恵を改めて感じているようでした。こうして、この状況のなかで、強く感じたことが一つあります。他者に配慮する、全員で協力するなんてことは無理ということです。メルケル首相も安倍総理もおっしゃっていますが、実際、全員が全員、今を生きるのに必死だと思います。他人の命を守るよりも、自分の家庭のトイレットペーパー、マスクの充足の方が大事に決まっています。そう思えるようになるのは、このコロナによる状況が歴史として認識される頃なのではないかなと。これは、あまり世間的には理解してもらえないと思うのですが、国民は今の状況を気にしすぎな気がします。絶滅危惧種に人間が入ってもおかしくないのではと。あと100年後にはコロナでなくとも必ずみんな死んでしまうのだから、とりあえず、旅行させてくれ、コンサート開催してくれというのが私の本音です…。」

 (吉嶺コメント)筆者は、彼女が卒業した高校に以前勤務しており、そうした気安さもあって、毎回のコメントも大学の教員では無いからか、かなり正直な感情を提出してきてくれた。今回のレポートも、「私の本音はこうです」というタイトルであった。

3. おわりに

 過去に行っていた遠隔授業の研究を通じて、その長所と短所を筆者なりに理解した上で、今回大学の講義を行うこととなった。やはりできることとできないことがあるというのが、当たり前ではあるがレポートで確認できた。ただ、前述したように、彼ら学生は、自分の身に降りかかった(彼らのせいではない)状況にどうやって対応するか、試行錯誤をしていて、それは教員も一緒なのだなということが分かり、安心した、という感想もあった。さらにWHOや中国政府の対応を攻撃的に批判するものがもっと多いかと思っていたが、問題はそういう矮小化できるものでは無いという記載が多くて少しほっとしている(ゼロでは無いですが)。政治に対して正しく怒ることが必要だし、投票というのはそういう意思表示なのだということを改めて考えた、というコメントも多かった。彼らがこの経験をどのようにこれから生かしてくれるのか、楽しみに見たいと思う。遠隔講義を15回行った経験から言うと、ほとんどの学生はきわめて真面目に前向きにこの事態を乗り切ろうとしていた。毎回欠席はほとんど無く、時間5分前には続々と「ピンポン」とZOOM待合室のドアが開いた。年度途中から出席を止めた、レポートを提出しなかった学生が5名いたが、それぞれ理由のあることであり、内向きの理由では無い。学生とのこうした関係性を遠隔形式で作ることができると確信できたことが、今回のCOVID-19対応の最大の収穫かもしれない。

註 i https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/kenkyu/htm/02_resch/0203_tbl/1296100.htm

(「世界史の眼」No.8)

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