本書は、1967年より青山学院高等部の教師として世界史の教育と研究に携わってきた松本通孝が、半世紀以上に及ぶ取り組みの中で「伝えたかったこと」を軸に既発表論文を編集し、解題を付して一書にまとめた「自分史」である。
構成は、以下のようになっている。
はじめに
第1章 高校生に近現代史を学ばせたい
1節 1973年―「現代史」「現代社会」構想の立ち上げ
2節 1980年代の歴史教育を取り巻く情勢と「近現代史教育研究会」の立ち上げ
第2章 自国中心主義に陥らないように―比較史の視点
1節 「自国史」と「世界史」
2節 「正答主義」をどう克服するか
第3章 日本における世界史教育の源流
1節 万国史から世界史へ
2節 フランス革命はどのように書かれて来たのか
第4章 生徒とのキャッチボール―生徒の歴史意識をどう育むか
1節 授業内容・方法の工夫、史資料を授業に生かす
2節 「世界史通信」発行の試み
第5章 「歴史総合」とこれからの歴史教育
1節 世界史未履修問題が発した諸問題
2節 これからの歴史教育―「歴史総合」を考える
エピローグ
松本通孝 文献リスト
各章はおおよそ時系列順に並んでいる。各節は、既発表論文が資料として配置され、冒頭に解題が付されている。分量としては資料が本書の大部分を占めるが、必ずしも時系列順ではなく、一部省略もあり、著者の松本以外の文章もある。本文はあくまで解題の方なのである。よって本書は、著者の世界史教育論の形成・発展史としても読めるが、そのようなプロセスを経てきた著者が現在の到達点から再構成した「自分史」として読むべきであろう。
第1章では、まだ現代史が(研究対象としても教育内容としても)重視されていなかった1960年代後半に教師となった著者が、「世界史」と「日本史」を統合した「現代史」を勤務校の必修科目として立ち上げ、それをきっかけに知り合った他校の教師たちとともに近現代史教育研究会を設立するプロセスが扱われる。『歴史学研究』370号(1971年)の特集「国家権力と歴史教育」を批判した「歴史学研究月報」136号(1971年)の論考などの資料からは、著者が「現代史」を、(A)「生徒達の歴史意識、現状認識」を出発点とし、これにはたらきかけるものとして、(B)政府の文教政策による上からの統制に対する批判として、(C)官製の研修会ではなく自主的な「他流試合」を重ねながら、構想・実践したことが理解できる。
50年が経ち、今や学習指導要領によって「「世界史」と「日本史」を統合した「現代史」」である「歴史総合」が設置され、実施されようとしている。これに対し、上記3つの特徴をもって実践してきた「現代史」を、著者は「今から振り返っても正しかった」と、自信を持って対置しているようにみえる。後に第5章に関する評でも触れるように、たしかに著者の試みは、「歴史総合」に取り組もうとする者にとって「役に立」つだろう。ただし、著者がもっとも重視する「生徒達の歴史意識、現状認識」について、具体的にどう把握していたかは不明である。例えば、資料②(1971年)では生徒のレポートを分析しているのだが、そもそものレポート課題が現代史学習の受けとめを問うていることもあってか、生徒の現代史認識そのものは実はほとんど俎上に載せられていない。権力が現代史教育を直接に行おうとする状況にあって、学校における現代史教育が欠如することの危険性はそのとおりだろう。ではどう危険なのか、生徒の認識の具体的な把握と分析なしに、前例のない「現代史」で教える内容の構成はできなかったはずなのだが。資料②では、当時の生徒を「確かに何かを求めてはいるが、彼ら自身ではなかなかつかみ得ず、混とんとした状態に留まっている」と評しているが、これは若き日の著者自身のことではなかったか。
このような著者に、第2章の時期から変化が訪れる。この章では、1982年に設立された比較史・比較歴史教育研究会に参加するなかで、この会のスローガンでもあった「自国史と世界史」という問いを自身の実践的課題に昇華していく様が扱われる。著者にとって、日本の戦争と植民地支配の捉え方が東アジア諸国において異なることを、歴史教育の国際交流の場で、生身の人間の発言として知った衝撃は大きかったようである。重要なことは、この歴史認識のちがいについて、(本章のタイトルは「自国中心主義に陥らないように」ではあるが、)歴史認識が一般的に帯びがちな自国中心主義の問題として済ませず、世界史的に形成された重層的な支配―従属関係の刻印と捉えた上で、支配者側の歴史認識の課題と受けとめたことにあると評者は読んだ(資料⑧「歴史教育と「国民の戦争責任」」、1991年)。
こうして、歴史認識の西洋中心主義が克服すべき課題となる。かつてフランス革命期の農村における「変革主体」を研究テーマとしていた著者が、ここでいう「変革」の西洋中心主義的な意味を問い直し、東欧史の視点から授業を再構成した。その成果が、資料⑨(「「正答主義」克服の試み」、1986年)である。「ポーランド分割とフランス革命」というテーマの実践において、ある生徒は、西欧=「華やか」で東欧=「暗くてじめじめ」という「偏見」を自ら問い直している。「正答主義」の克服というとき、その射程には、(a)ただ一つの正解を求める歴史学習への姿勢(試験のための暗記、教わることを鵜呑みにすること、教師が学びとってほしいと考える価値観の押しつけ・誘導など)だけでなく、(b)そのように身につける歴史認識が帯びている偏見や歪みと、それらに刻印される歴史的な権力的支配構造を問い直すことが含まれているのである。
資料⑨は、「[座談会]歴史学と歴史教育のあいだ」(『歴史学研究』553号、1986年)において提起された、歴史教育における「正答主義」という論点への応答として書かれたものである。ここでの「正答主義」は、(a)の問題として論じられていた。しかし、後の1990年代半ばに、(a)の克服を目指すものとして出てきた藤岡信勝らの「歴史ディベート」は、(b)を問い直すどころか肯定するものであったことで、結局(a)の問題も克服できなかったわけである(資料⑩、2009年)。著者の実践は、「正答主義」論に(b)を立てることで、この陥穽を批判的に乗り越える可能性を先取りしていたといえよう。実は著者自身は、解題においても「正答主義」を(a)の問題として論じ続けているが、評者は著者の実践を「二重の正答主義」論として、世界史教育論史における重要な問題提起であったと受けとめている。
第3章では、1990年代より取り組んだ、明治以降の外国史教科書の研究が扱われる。著者にとっては、自らの仕事をその「源流」にさかのぼりながら相対化する意味を持っただろう。1節の解題では、これらの研究で「伝えたかったこと」を、「その時々の政府の方針と歴史教育との関係」とし、「文教政策の意図を見抜く力を、私達教師の側が持つ必要がある」「政府主導の「正答主義」に対して、どのような距離を置くか」と問いかけている。重要な指摘である。だが、明治・大正期の外国史教科書を丹念に読み解いた諸資料からは、外国史認識がいかに自国史認識に規定されるか、すなわち、世界史を学べば自動的に自国中心主義を克服できるわけではないことなど、より多くの示唆を得ることができる。その上で、フランス革命記述の変遷を扱った2節では、「近代化」の負の側面が明らかになった現在において、革命の理念を「弱者」の側から問い直し、フランス革命の今日的意義を生徒と教師が学び合う授業案として提案している。これまでの研究の成果を実践として具体化した資料⑮・⑯(2012年)は、著者の仕事の集大成に位置するものであり、本書の白眉である。
資料⑮・⑯に至るまでには、世界史の教育論や内容について研究するだけでなく、授業方法についても試行錯誤を繰り返してきた。第4章は、著者が「生徒達の歴史意識、現状認識」にはたらきかけようと取り組んできた授業日誌や教科通信などの試みを扱う。本章の諸資料を読むと、著者が世界史教育を、教科書などの制度的枠組みに依存することなく、生徒と「キャッチボール」しながら、ものの見方や考え方を現実の世界の動きのなかで見直す方法として構想していたことが分かる。
その上で、「伝えたかったこと」を「「ゆとり」教育の是非」としている。「ゆとり」の名のもとに導入された各種の文教政策は、入試制度改革を伴わず、「観点別評価に見られるような教師の仕事をいたずらに増やし」、教育現場のゆとりをむしろ奪っていった。この改善なしにアクティブラーニングを謳っても、豊かな学びに結びつくことはなく、授業は画一化するのではないか。どんな授業方法がふさわしいかは、あくまで「担当教師一人ひとりが考えるべきこと」(資料⑰、2011年)であり、そのためには「教師の創意を保障するゆとり」が必要だ、と主張する。政策提言として異論はないが、仮に「ゆとり」が保障されたとして、教師が発揮する「創意」が「正答主義」を克服するとは限らないだろう。本章の諸資料は、むしろ「創意」の具体的な方向性を示唆しているように思うのだが、あくまで「保障」を主張するところが著者らしい。
最後の第5章では、2018年の第9次学習指導要領改訂によって新設された科目「歴史総合」を中心に、これからの歴史教育の方向性について論じられる。2006年に、必修科目の「世界史」が受験対応等を理由に開設されない高校があることが問題となって以降、地理歴史科教育の改善に向けた議論が巻き起こった。著者は、これまでの研究と実践をふまえた「教師の創意を保障するゆとり」の観点から、「現在の「日本史A」「世界史A」は廃止して、世界と日本の近現代史を扱う「現代史」」の創設を説いた(資料㉑、2008年)。新設された「歴史総合」はまさにそのような科目であったが、しかし著者は、これに危惧を表明する。「近代化」「大衆化」「グローバル化」という概念で近現代史を把握しようとする方法は、政府見解を書かせる教科書検定を通じて、近代化賛美の自国中心・自国礼賛史観を従来以上にもたらしかねない、というのである(資料㉔、2017年)。
著者の危惧には首肯できる。ただ、現実の政治状況において、「現在の「日本史A」「世界史A」は廃止して、世界と日本の近現代史を扱う「現代史」」が科目として創設されれば、ここで危惧されるようなことは、「現代史」を政府の文教政策による上からの統制に対する批判として実践してきた著者ならば、予想できたのではないか。たしかに、通史学習ではなく、「近代化」等の概念を用いて現代的な諸課題の形成と展望を学ぼうという「歴史総合」の方法は画期的ではあるが、現行科目においても追究されていて然るべきことであるし、著者自身もそのように実践してきたのではないか。例えば、本書所収の諸資料で論じられている「国民の戦争責任」や「フランス革命と「弱者」」といった視点は、「近代化」概念による歴史把握が近代化賛美の自国中心・自国礼賛史観に陥らないための切り口に他ならないだろう。著者は本書を通じて、むしろ「歴史総合」の危惧を克服する可能性を描いたのである。
それをふまえた上で、「自分史」の結びに、今後の歴史教育への危惧を述べていることの意味を受けとめたい。エピローグの冒頭、2015年に卒業生から届いた「自分たちが高校の頃に歴史の進歩として習ったいろいろなことや価値観が、最近はいとも簡単に次々に否定されてきているように感じます」との旨の年賀状が紹介される。この「(元)生徒達の歴史意識、現状認識」を受けとめるがゆえに、「現代史」で追究してきた、「今から振り返っても正しかった」とする「価値観」が、「歴史総合」において「否定され」る危惧を検討せざるを得なかった、ということではないか。それは、著者が今なお「(元)生徒達(=「市民」)の歴史意識、現状認識」と「キャッチボール」しながら、世界史教育について考えを問い直し続けていることを意味する。「世界史教師」とは職業名ではなくそのような存在のことを指し、「現場」とは制度的枠組みではなく「キャッチボール」にある―これこそ著者が、「一世界史教師として伝えたかったこと」だったように思われる。
著者は、先の年賀状をきっかけとして、卒業生有志との「世界と日本の歴史を共に学ぶ読書会活動」を続けているという。今後も、末永くお元気で、「現場」からの声を発信していただきたい。
(「世界史の眼」No.11)