世界史的な視野で哲学を展望するシリーズの第5巻は、14世紀から17世紀までが対象である。西洋においては、教皇庁がアヴィニョンに移り、その権威に陰りが見え始めた時代から、百年戦争や宗教改革を経て絶対王政が登場するまでの大転換の時期である。なぜこうした時代設定となっているのか、第1章「西洋中世から近世へ」(山内志朗)はそのねらい語る。とはいえ著者自身が述べるように、15世紀西洋の哲学史は「現在でもほとんど解明されていない」し、16、17世紀の近世スコラ哲学は「あまりに錯綜していて手がつけてこられなかった」という状況であってみれば、本書を読むだけで評者のような初学者にも見通しが開けてくると期待するのは少々無理があろう。ここでは「14世紀のオッカムに代表される唯名論が嚆矢となって世俗主義が主流となり、近代への道が開けた」という従来の理解が混乱を招いていること、そして「14世紀から17世紀への西洋哲学の展開は基本的に中世の継承であり、キリスト教神学についても、カトリックとプロテスタントの対立図式で捉えて済ませられるものではない」という点を心に銘記したうえで、続く章の内容を見ていきたい。
第2章「西洋近世の神秘主義」(渡辺優)は16世紀スペインの二人の神秘家アビラのテレサおよび十字架のヨハネをとりあげ、「神という見果てぬ他者に恋焦がれる」言葉を綴った二人の行為は、「知恵を愛する」を意味する哲学(フィロソフィア)のあり方に重要な論点を提起していると説く。第3章「西洋中世の経済と倫理」(山内志朗)では一転して商業による利益をめぐる議論が対象となる。経済活動に伴う蓋然性を認めて利子を肯定する思想が、なぜ徹底した清貧で知られるフランシスコ会急進派のオリヴィによって展開されたのか、近代資本主義の始原が改めて問いなおされる。第4章「近世スコラ哲学」(アダム・タカハシ)は16世紀の3人の神学者をとりあげる。パドヴァのポンポナッツィは魂の不死性は哲学的に証明されないという前提で倫理を論じ、スカリゲルは逆に魂の不死性を擁護した。そしてメランヒトンは古代の自然学を援用しつつプロテスタントの立場から神の摂理を説いた。いずれもアリストテレスやアヴェロエスが理論的土台である。第5章「イエズス会とキリシタン」(新居洋子)は、中国に出向いた宣教師と現地の知識人との議論に焦点をあてる。宣教師たちは哲学書を漢訳するにあたり、ratio(理性)に「霊性」の訳語をあてた。「霊」は「人間の持つ優れた気」を意味したからである。しかし万物の根源は神であるとする宣教師と、「性」(自然的に備わった本性)を物事の根源とみなす朱子学は対立せざるを得なかった。第6章「西洋における神学と哲学」(大西克智)は17世紀までに信仰と意志をめぐる考察がたどりついた地点を示す。罪に慄き、神を信じるからこそ理解したいと願ったアンセルムスに始まり、「信じる」という目的から「知」を解放しようとしたモリナとスアレスを経て、デカルトにおいてついに「意志の自由」の確信に到達する。とはいえこれもまた「意志による信」を論じていると解釈できるということであろうか。第7章「ポスト・デカルトの科学論と方法論」(池田真治)は、ホッブズ、スピノザ、ライプニッツがいずれも、数学的方法に基づく自然哲学の構築というプロジェクトをデカルトから継承していること、そして三者ともスコラ哲学には批判的であったにもかかわらず、原理から世界像を立ち上げる第一哲学に関するアリストテレス的伝統を引き継いでいることを明らかにする。
最後の3つの章はいずれも東アジアが対象である。第8章「近代朝鮮思想と日本」(小倉紀蔵)は、朱子学を基本とした朝鮮王朝時代、特に18世紀以降にどのような「近代的」、さらには「脱近代的」(と後になって評価される)思想が展開していくかをたどる。その基盤の上に書かれた1919年の「三・一独立宣言書」の格調高さに驚嘆せざるをえない。第9章「明時代の中国哲学」(中島隆博)は、朱子学を批判して王守仁(陽明)が説いたのは実は「弱い独我論」というべきものであったこと、そしてその後の陽明学者たちの議論を通じて、明末には公共空間の構想が重要なテーマになっていったことを論じる。第10章「朱子学と反朱子学」(藍弘岳)は、徳川前期の日本で主流となった朱子学に対して違和感を抱いた人たちの動向を主にたどる。中国の郡県科挙体制に生まれた朱子学は徳川政治体制の制度改革に直接用いることはできないと考えた荻生徂徠は独自の儒教学説を展開し、それは大陸の知識人にも注目された。
本書からは、洋の東西それぞれ独自の道筋をたどって近代的世界観・人間観の入り口に近づきつつあったこと、しかし同時に、過去から引き継いだ思想を基盤に人間の生き方をめぐるすさまじい葛藤も生まれていたことが理解されるだろう。(文中敬称略)
(「世界史の眼」No.15)