書評:杉原薫著『世界史のなかの東アジアの奇跡』(名古屋大学出版会、2020年)
秋田茂

 日本におけるグローバル経済史研究の代表的論者、杉原薫による待望のモノグラフが、ついに刊行された。序章、終章、三つの補論を含めた全18章、765頁におよぶ大著である。本書は、1996年のロンドン大学歴史学研究所でのグローバルヒストリー・セミナー報告から2020年に至る25年間の、杉原の研究の集大成である。前著『アジア間貿易の形成と構造』(ミネルヴァ書房、1996年)で、近現代アジア経済史研究の地歩を固めて以降、杉原の研究は文字通りグローバル・スケールで展開した。本書には、杉原が京都大学東南アジア研究所時代に文理融合型グローバルCOEプロジェクトで取り組んだ、「生存基盤論」による環境史の研究成果が大幅に反映されている。この25年間で杉原の研究は、オーソドックスな経済史から、環境・エネルギー問題の経済史への統合、環境経済史という新領域の開拓に大きくシフトした。評者自身は、経済史と政治外交史をベースに、政治経済学としてグローバルヒストリー研究に取り組んでおり、環境史や地球環境学には疎いが、西洋中心史観を脱構築して「アジアから見たグローバルヒストリー」の構築をめざす点では、杉原と志を同じくする。以下、評者がカバーする領域の限界をふまえつつも、書評を試みたい。

I 二つの経済発展径路の融合―西洋中心史観の相対化

 歴史学全般における本書の最大の魅力は、第I編「東アジア型経済発展径路の成立と展開」の標題にあるように、工業化を実現するにあたり、(1)従来常識とされてきた、イギリス産業革命以来の「西洋型」の工業化のパターン(径路)を相対化して、東アジアにおける独自の工業化の径路を対置した点と、(2)20世紀後半の東アジアで両者が「融合」して、新たな発展径路が生まれた結果、急速な経済成長(工業化)が実現した点を、膨大な貿易統計データで実証したことにある。これにより、工業化を起点とする近現代世界史において、支配的である西洋中心史観が相対化されて、新たな世界史像が浮かび上がった。

 西洋型の工業化とは、イギリス産業革命に代表されるような、労働力を機械化で代替する過程で大量の資本を投入する「資本集約型」(capital-intensive)工業化である。それに対して、東アジアでは、19世紀後半以降、資本の不足を補うべく、人口の増加に支えられつつ、良質で安価な労働力を活用した「労働集約型」(labor-intensive)工業化が展開した。日本の工業化は、西洋技術の移植と、在来技術の近代化の複雑な相互作用を通じて実現した。さらに西洋型の工業化は、石炭に代表される「化石エネルギー資源」の大量消費を伴う「エネルギー集約型」であったのに対して、東アジアでは、石炭や石油の消費を抑えた「エネルギー節約型」発展径路が主流であった。

 杉原論の独自性は、第3章「資源節約型径路の発見」の標題に示されるように、二つの経済発展径路の対照的な把握だけでなく、(3)工業化の本質が「化石資源世界経済」の発展であったこと、(4)新大陸の無尽蔵の資源を活用できた西洋に対して、資源制約に直面した東アジアは、近世以降の「アジア間貿易」(intra-Asian trade)と自由貿易体制を通じてその資源制約を緩和できたこと、以上のように、土地に関わる資源・エネルギー問題を焦点化したことであろう。資本・労働・土地は、生産の基本的な三要素であるし、杉原の前著が20世紀中葉までのアジア地域間貿易の実態を解明した点をふまえると、生産の三要素論とアジア間貿易論の接合には、アジア経済史家としての杉原の業績が全面的に反映されている。

 ここまでは、基本的に比較史の手法に基づく分析であるが、上記の二つの工業化・経済発展径路が、第二次大戦後の冷戦体制のもとで、「偶然」の結果として(90頁)「融合」することになった。戦後の世界経済・国際分業体制は、軍需・石油化学工業を中心としたアメリカの資本・資源集約型工業化、民需部門主導で繊維・造船・家電・自動車等の労働集約型工業化を進める東アジア諸国、および熱帯アジア・アフリカ・中東産油国のような第一次産品供給国の間の「三極構造」として発達した(図2-6 :103頁)。この過程で世界経済は、「南北格差をともなう世界貿易の二重構造から脱し、資本、労働、資源の三つの生産要素において比較優位をもつ諸地域が、それぞれ資本集約型工業品、労働集約型工業品、第一次産品を輸出するという国際分業体制を発展させることによって新しい発展径路を獲得した」(104頁)とされる。ここでは、グローバルヒストリー研究の関係史的手法が全面的に活用されている。多様な生産面での要素賦存を抱えた、太平洋を跨ぐ「アジア太平洋経済圏」の形成は、冷戦体制のもとでの第二次交通革命を通じた、経済発展径路の「融合」を実現したのである。第9章「アジア太平洋経済圏の興隆」の叙述は、非常に説得的でわかりやすい。

II 生産の三要素論から「生存」のための五要素論へ

 ここまでであれば、従来の経済史研究で支配的であった西洋中心主義、西洋モデルを大幅に修正して、東アジアモデルを組み込んだ、バランスの取れた、生産面を重視する工業化論・経済発展論として解釈できる。しかし、本書の真骨頂は、後半の補論3「熱帯生存圏」と「化石資源世界経済」の衝撃」で示されるように、工業化全史の再検討を行い、生産に関わる資本・労働・土地の三要素賦存論を、人類生存のための五要素論に拡張する、環境経済学・環境史からの問題提起にあると考えられる(図終-6 : 670頁を参照)。

 生存のための要素賦存として新たに加わったのは、化石資源と水である。前者の化石資源は、本書第3章で論じられた「エネルギー・資源節約型発展径路」論につながる。さらに後者の水は、補論1「南アジア型経済発展径路の特質」で論じられ、二径路論を補足する第三の径路としての、生存基盤の確保を課題とする「生存基盤確保型発展径路」論にかかわる。化石エネルギーとしての石炭や石油は、商品として輸入することで移動が可能であり、グローバル化の進展による対外貿易の拡大を通じて、アジアにおける化石エネルギー資源の制約が緩和された。

 南アジア・インドの経済発展でボトルネックになったのは、化石資源の制約よりもむしろ水の確保であり、その問題は、菅井戸の普及を伴った「緑の革命」による食糧増産・自給化の達成により突破された。「水」との格闘が、現代のアジア、とりわけ14億の人口を抱えるインドをつくりあげてきた点については、スニール・アムリスの『水の大陸アジア―ヒマラヤ水系・大河・海洋・モンスーンとアジアの近現代』(草思社、2021年)のような研究でも注目されている。「非貿易財」としての水や土地を、生存のため要素として改めて見直し、生態系の一部として保全することが、不可欠となっている。生態系システムは、工業化、都市化の環境的な基盤を提供しており、「水や土地を生態系から切り離して無理な商品化を図ることも、国際競争力に影響する可能性がある」(670頁)。こうした「生存基盤論」の詳細については、京都大学グローバルCOEプロジェクトの成果として刊行された、6巻本の生存基盤講座を参照するしかないが、杉原の「生存」のための五要素論は、ロンドン大学SOAS時代から積み上げてきた、南アジア地域研究との地道で緊密な研究協力からその発想が生まれたであろうと推測できる。アジア・アフリカ地域研究をベースとした、環境経済学の構築、環境経済史からの問題提起として注目に値する。

III いくつかの課題

 以上、700頁を超える大著の概要をかいつまんで紹介したにすぎない。最後に、いくつかの問題点を指摘して、書評者としての責務を果たしたい。

 第一に、これほどの大著であっても、当然紙幅には限界があるので、25年にわたる杉原のグローバルヒストリー研究の全貌を提示するには限界があったと思われる。経済史研究として、詳細な統計データを提示・分析する数多くの図表が収録されている(図表一覧を参照:図110個、表63個)。だが、それらをもってしても、経済理論やモデルに関係する箇所の叙述には、説明不足が感じられる。あるいは、読者がすでに主要な研究史を理解・把握していることを前提として、議論が展開されている。

 特に、冒頭の第1章「勤勉革命径路の成立」は、考察の対象時期が、1500年から1820年までにおよび、「近世」アジア世界(海洋アジア)の独自性が説明されるが、図表による議論の抽象度(難易度)も非常に高い。21世紀以降に登場したグローバルヒストリー研究の勃興の契機は、2000年のK.ポメランツの『大分岐―中国、ヨーロッパ、そして近代世界経済の形成』(名古屋大学出版会、2015年:原著The Great Divergence, Princeton University Press, 2000)の出版と、杉原自身も中心的にかかわった、グローバル経済史の国際共同研究であるLSEのGEHN(Global Economic History Network)である。それ以来、近世(early modern)、あるいは「長期の18世紀」に関する世界史像は劇的に変わり、現在でも新解釈が次々に出されている。本書第1章を的確に理解するには、「大分岐」論に関する論争だけでなく、速水融とヤン・ド・フリースの「勤勉革命論」(industrious revolution)など、今や経済史研究で常識となりつつある研究史の展開を丁寧に押さえておく必要がある。終章で展開される、「発展径路の三段階」を的確に理解するためにも、第I編には、「大分岐」論関連で、近世の経済史に関する別の章があってもよかったのではないだろうか。

 第二に、本書の画期性が、環境経済学、「生存基盤論」に依拠した環境史の観点からの考察・分析であることは前述の通りである。だが評者のように、杉原の前著『アジア貿易の形成と構造』に惹かれて、アジア経済史研究に関わるようになった者には、本書の環境史の色合いが強すぎる点が気になった。この点は、第III編「戦後世界システムと東アジアの奇跡」で提示された、冷戦と「東アジアの奇跡」との相互連関性、「同じコインの表と裏」という表現に象徴される、冷戦体制と東アジア諸国の高度経済成長との密接な繋がりの評価に関わる。

 第4章「近代国際経済秩序の形成と展開」では、20世紀後半の「開発主義的国際経済秩序」の世界史上の独自性が指摘されている。アメリカ合衆国の覇権性、「構造的権力」とアジア諸地域の工業化との関係性は、歴史学の研究対象として、公開された第一次史料を駆使して、近年急速に研究が進んでいる。杉原も部分的に指摘する、1980年代後半から90年代のアメリカ経済の金融化現象は、金融・サービスと工業化を結びつけて「東アジアの奇跡」を加速した、決定的な要因であろう。また、インド経済の国際競争力が構造的に弱体化した要因も、冷戦体制だけで説明するのは無理がある。やはり、政治経済学の観点から、総合的に考察する必要があるのではなかろうか。

 第三に、同じ問題は、「生存基盤確保型発展径路」を将来的に広めていく上で不可欠な、化石資源と水の安定的確保の問題にもあてはまる。モンスーン・アジア(海洋アジア)における水資源の確保をめぐる軋轢は、南アジアの大河や、インドシナ半島のメコン河開発で、国連や世界銀行、アジア開発銀行などの国際機関を含めて、国際協力・民間協力の焦点となっている。また杉原は、1970年代の石油危機が、メカトロニクス革命と併せて、資源節約的で労働節約的な工業化への転換点となり、「東アジアの奇跡」の技術的革新をもたらしたと指摘し、石油危機の技術面・発展径路面での画期性を強調している。評者も、1970年代の石油危機が、世界システムの一大変革(ソ連を中心とする社会主義圏の衰退、アフリカの経済的停滞、アジアにおける「緑の革命」の進展、東アジアの経済的再興)をもたらした相互連関性について、政治経済学の観点から、国際共同研究を行っている。環境問題と国際政治経済秩序の結びつきこそ、現代においてさらに探求すべき課題であろう。

 いずれにしても、この杉原の大著が、日本の学界から、世界の学界に向けて独創的な問題提起を行ったことは間違いない。欧米の研究者の研究成果を批判的に検討するだけでなく、人類史の未来に向けて、新たにアジア・日本からの世界史像を提示した画期的試みとして、高く評価できる。本書の学術的価値はもちろんであるが、本書で提示された近現代世界史像は、2022年から高等学校で始まる地理歴史科の新科目「歴史総合」のモデルにもなりうる。今後、本書をめぐる議論が広がることを期待したい。

(「世界史の眼」No.15)

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