この書評シリーズの開始に当たって、わたしは、次のように書いておいた。≪第一巻の序章「世界哲学に向けて」によると、これまで欧米中心に展開されてきた「哲学」という営みを根本から組み替え、より普遍的で多元的な哲学の営みを創出する運動が「世界哲学」として呼ばれ、展開しているという。生活世界を対象とする哲学、多様な文化や伝統や言語の基盤に立つ哲学、自然環境や生命や宇宙から人類のあり方を反省する哲学が、「世界哲学」の名のもとに行われようとしているというのだ。≫ そして、編者によれば、「たんに様々な地域や時代や伝統ごとの思索を並べ」ることは退けて、「なんらかの仕方で一つの流れ、あるいはまとまりとして」扱わないと、「世界哲学史」にはならないというのだった。私たちの取り組んでいる世界史といろいろと共通する問題がありそうであった。
書評シリーズの終わりにあたり、ここでは、世界史を考えるうえで、あらためて世界哲学史と共通する問題がないか、あるいは参考にすべき方法がないかを確認するという趣旨から、「別巻」の第1章「これからの哲学にむけて」という座談会を中心に考えてみたい。
Ⅰ 「哲学」の組み替え
これまで欧米中心に展開されてきた「哲学」の組み替えの試みがいろいろな時代において行われてきたという。世界史の観点から注目すべき論点をいくつか拾ってみたい。
古代では、ギリシア哲学が哲学の起源だとされてきていることに対して、それを自明の事として受け止めないで、あるいはそれをたんなる偏見ととらえないで、なぜ後世にギリシア哲学が再評価されたのかを反省し、また古代の同時代の世界のいろいろな思考のワン・オブ・ゼムとしてギリシア哲学を位置づけなおすことが必要だと説かれている。ギリシア哲学を世界史のなかで「相対化」するということであるが、いろいろな時代のいろいろな事象について、こういう態度は必要だと考えられる。
同じく、古代において、ヨーロッパの中の西と東を意識すること、そしてその東をとおしてさらにイスラーム文化圏を含むアジアを意識することが大事だと指摘されている。ヨーロッパのカトリック対イスラームという対立図式ではいけない。たとえば、「ギリシア文明はイスラームを通じて西洋に入ってきた」という際に、ヨーロッパの東であるビザンツを見ておかなければならないとされる。おそらく逆の事も言えるのであろう。古代に限らずこのような観点は必要であろうと思われる。
中世についてみると、まずペリフェリーの意義が強調されているのが興味深い。9-12世紀を考える場面で出て来る議論で、ヨーロッパでも、イスラーム圏でも、東アジアでもかなり大きな政治支配ができて、いわば「中心」が出来る。するとそのペリフェリー(周辺)からユニークなものが出て来るというのである。「経済・政治では統一的な動きが見られましたが、文化的に見ると最先端のものはペリフェリーに現れてくる」と言われる。唐文化の周辺の日本で空海が出たり、キリスト教でもアイルランドやスコットランドに伝統が受け継がれて、それが中央に戻ってくるようなことがあったり、 イスラームも周辺に広がって、アンダルシアやブハラなどで先端的なものが出て来るというのである。「中心部で先鋭化しないような問題が周辺部で現れてきて、そこで問題意識が磨かれていく」とか、「中心部においてはいろいろな多様性が現れてくるけれども、周辺部のもっと個別性が強調される場面で、逆に普遍的なものに対する眼差しが現れてきた」という。 「別のものと出会う場所がなければ新しいことが生まれにくい、周辺部では異質なものに出会いやすく、思考が活性化されるという動きがあるのかもしれません。ですが、異質を生むためには中心が不可欠です。すべてが異質だらけだとそれができない。」このような興味深い議論が続くのである。だが、9-12世紀以外の時代でもこれは言えるのではないだろうか。
中世末期のところで、イエズス会の意義が強調されている。この時期、イエズス会がもたらした情報は、エジプト、インド、中国などに聖書にも書かれていない「古い歴史」がある事をヨーロッパに知らせた。それだけではなく、「イエズス会の人々の世界観はまさに新世界であった」「イエズス会はカトリックの中にありながら近代性を持ち、デカルトへの影響も大きい」「近代の始まりにおいて、イエズス会の貢献度はかなり高かかった」というふうに、イエズス会の再評価が行われている。問題は、これをヨーロッパ中心で処理しないためには、さらに何を考えるべきかということであろう。イエズス会のもたらす情報がヨーロッパ中心の見方に繋がったのだというのでは、あまり意味はないように思われる。
さて、近代に入ると、啓蒙主義が、ヨーロッパ以外の世界を排除していったという指摘が繰り返されている。「18世紀の前半ぐらいまでは、ヨーロッパでは中国の位置はけっこう高かった・・・。ところが、その後大きな変換が起きて、中国やインドはどんどん下に押しやられます。」「そういう構造が突然出てきて、ヘーゲルなどはそれを典型的に現しています。」「つまり、精神がある仕方で展開していく中で、中国のようなヨーロッパの外部はプリミティヴなものとして位置づけられていきます。聖書よりも古いものを何とか処理したかったのだと思います。」カントもそうだった。「啓蒙の構造の中で宗教が周縁化されていくと同時に、ヨーロッパの外部も貶視されていきました。」「理性の発現、精神の展開といった形で自立する図式・枠組み」ができると「その哲学史から外れる西アジア・中国などは当然、地位を失います。」という具合に。
そして、歴史学との関係では、「わたしたちは世界哲学史において歴史を問題にしていますので、どのタイプの歴史叙述を念頭に置くかということは非常に大事です。その際に、18世紀に成立する歴史学をどこかで相対化する必要があると思います。18世紀には、中国を含めたヨーロッパの外部がきれいな仕方で位置づけられていきますが、当時の歴史学はそれを許し、それを哲学が取り込んでいきました。その全体が啓蒙という構造をなしています。」と言われる。
たしかにアジアの「停滞論」は啓蒙主義に始まるが、それまでのキリスト教的「普遍史」に比べ、啓蒙主義がアジアに広い関心を持ち、世界史の中に位置づけようとしたという面は、歴史学ではむしろ強調されているところである。その上での「停滞論」であった。だがこの「停滞論」は単にアジアを「下に押しやり」それを「貶視」したのではないところが難しいところである。このあたりは、これは岡崎の言う「啓蒙主義歴史学」で論じられているところであり、哲学とのきちんとしたやり取りで、「そういう構造が突然出てきて」といった理解は正されていくことが望まれる。
19世紀については「世界哲学史」は何を問題にしているのだろうか。先ず全体的な見方はこうであろう。19世紀は帝国主義の時代で、アジアがヨーロッパと「再接続」されて、高い緊張関係が生まれた。そしてヨーロッパが世界的に支配を拡大し、それへの反発として、イスラームでの原理主義が出て来る、あるいは、啓蒙と理性によって周縁に追いやられていたものがスピリチュアリズムという形で出て来る。そこにヨーロッパへの疑いが深まった。だが、ヨーロッパ自身では、哲学は「中途半端」なものになる。とくに「資本主義と科学技術が発達して世界を征服し、植民地支配で無謀なことをしたというだけでなく、哲学では連動する理念的な動きもあったのではないか」つまり、帝国主義を批判できない思想状況があったのではないかとされる。多分こういう全体の捕まえ方がされていると思わる。世界史としてもうなずける見方である。
そういう中で、個別的問題としては、「古代の発見」という問題が指摘されている。「啓蒙・理性を重視したヨーロッパが向かった先はエジプトのヒエログリフやインドのサンスクリットであり」、ここに「古代の発見」があり、逆に「純粋なヨーロッパ性とはなにか」という問いも生まれたという。それが歴史主義の中で原理主義的な動きにもなっていくというのである。一方で、インド哲学や中国哲学は西洋的なフィロロギー、ヒストリーに改装されてしまったとされる。この点では、「再接続」されたアジアでの哲学的な問題がどう位置付けられるのか、聞きたいところである。
最後に20世紀以降については、「世界哲学史」は何を問題提起しているのだろうか。20世紀以降には、「19世紀にピークを迎えたヨーロッパ的な文明に対する厳しい批判が展開され、人間自体をどう考えたらいいのかが問われてきました。」とされ、イスラミック・ターン、宗教の復権、「ポスト世俗化」、原理主義、ポストモダンといった問題が指摘されている。
その上で、「20世紀における最大の問題は全体主義」で、「理性の行き着く先はファシズムではないか」と問題提起している。ここでは、イスラミック・ターン、宗教の復権、「ポスト世俗化」、原理主義、ポストモダンといった問題と、「理性の行き着く先はファシズムではないか」という問題とを統合的に論ずる場が欲しいところである。とくに、ポストモダンの議論が少し物足りない感じがした。その世界史的意義は何なのか。第8巻を見たが、議論が孤立している感があった。このシリーズの論者たちがその中で育ったから、あまりにも自明なのだろうか。
最後に20世紀後の大問題が示唆されている。哲学は政治や科学技術と距離ができてしまったというのである。全体主義や大量破壊・大量虐殺がおきても、哲学は置いて行かれてしまった。「哲学に語る言葉はない」「哲学は関係ない」のだろうかと問われている。哲学ができることは一体何かというのである。翻って歴史学はどうであろうか。
以上のように、個々の論点を見て行くと、世界史としても共に考えるべき問題が多々提起されていることが分かる。
Ⅱ 大きな方法の示唆
では個々の論点を超えて、大きな方法的な議論で、世界史として学ぶべきところはないだろうか。『世界哲学史』第一巻では、こう言われていた。「たんに様々な地域や時代や伝統ごとの思索を並べ」ることは退けて、「なんらかの仕方で一つの流れ、あるいはまとまりとして」扱わないと、「世界哲学史」にはならない。やや具体的には、異なる伝統や思想に共通する問題意識や思考の枠組み、応答の提案などを取り出して「比較」することを目指す。その一つは、「比較」を歴史の文脈の中で検討することであり、もう一つは、二者か三者の間の比較ではなく、「世界という全体の文脈において比較し、共通性や独自性を確認」することである。その上で、「それら多様な哲学が「世界哲学」という視野のもとで、どのような意味を担うのかを考察するのだ。
これを受けて、第8巻で、伊藤邦武は、「世界の哲学史の各時代におけるさまざまな様相に目を配り、単なる多数の文化や地域の哲学的伝統について、それらを並列的に列挙するのではなく、東西世界や南北世界の中に認めざるをえない、無数の断絶を確認するとともに、その断絶を超えて見出される交流や混合の実相にも光を当てて、それぞれの時代にそれぞれの哲学が独自のしかたで「世界哲学」たらんとした姿を、できるだけはっきりと描き出してみたいと努めてきた。」と述べている。
たしかに本シリーズでは、このような意図はいくらか具体化されているようには見える。そういう努力には敬意を表さねばならない。しかし、「世界哲学史」のポジティヴな姿が示されたわけではない。そうではなくて、本シリーズの最大のメリットは、次のような「全体像の必要性」を認識しあったことにあるのではなかろうか。
編者の一人である納富信留はこう言っている。≪「世界はグローバル化している」などと言いながら、本当に狭い世界・側面しか見えていません。・・・巨大なものを見る視点をある程度確保しなければ、完全に状況のなすがままになってしまう。・・・大きなものを見る視点、さまざまな角度からの多元的な視野・時間軸を持つことは、哲学でなければできないはずです。≫ あるいは、≪『世界哲学史』といって、なにか統一的な、網羅的なマッピングがあるわけではない。「ひとりが全部を見て上からなにか大きなことを言うことはできない。自分が持っている部分を持ち寄り、「ここはどうですか」「ここは使えますか」というような形でいろいろなものを味わいながら、シェアしていくというやり方でしか世界を語ることはできない。・・・しかし、「各自が部分を語るにあたり世界哲学の全体を意識して、それを語ることを目指す」必要がある。≫ そして、≪今回の企画にさいして、「世界哲学史の中で、あなたは自分の研究対象をどのように位置づけますか」という問いを投げかけた。」「いままでそういう問いを聞いたことがある研究者は一人もいなかったのではないか」。例えば、「近代のデカルトを研究している人は、「世界哲学史の中で、デカルトがやったことは何だったのか」とは考えず、「デカルトの『省察』の何ページ何行目にこういう議論があります」という話に終始していた。≫
これは現在の世界史の直面する状況とほとんど同じであると言ってよい。
Ⅲ 危機感の共有
『世界哲学史』からは、哲学の分野においても、歴史の分野と同じような「問題」が生じていることが分かる。最後に、両者に共通している基本的な「問題」を確認しておこう。
一つは、哲学においても、古代、中世、近代という時代区分は動かないのだろうか。
本シリーズはきっちりと古代、中世、近代という時代区分を柱にしている。とくに、本シリーズでは、中世が大きく扱われているが、ヨーロッパのキリスト教世界でつくられ始めた中世という概念は、ヨーロッパ以外の世界でも通用するのであろうか。中世の最後の時期を、ルネサンスや宗教改革や新しい世界の「発見」によってではなく、バロックの時代というとらえ方を提唱しているが、その普遍性は大丈夫なのだろうか。
二つには、ヨーロッパ中心を克服するという意識は分かるが、やはり、結果的には、ヨーロッパ哲学が柱で、アフリカ哲学などはその影に置かれていたり、ラテンアメリカの哲学はコラムで終わったりしている。イスラーム文化圏での哲学の扱いもやや期待外れの間が否めない。非西欧世界はやはり弱いと言わざるを得ない。これは世界史の場合と似ている。
最後に、第8巻で伊藤が述べている二つのことは重要であり、そこには、哲学の危機感がにじみ出ている。まず、かれはこういう。我々人間は、一つは、地球環境などから、地球・宇宙について具体的な知を持ちつつある。同時に、人間・生命について、ヒトゲノムを通じて、具体的な知を持ちつつある。これに哲学はどう対応できるのか、というのである。歴史も同じである。
かれはつぎにこう言っている。西洋はもとより、アジアの哲学やイスラームの哲学、さらにはラテンアメリカやアフリカの哲学を知るようになれば、それは一元論的な形而上学ではなく、多元的形而上学の世界として対応していかねばならない。それはすべての存在を貫通する普遍的な原理としてではなく、多様な隣接的関係、関連を通じて、全体として統一的に認識されなければならない。ここでは、単に多様性を認めるということだけではなくて、また多様なものを単に「比較」するというだけではなくて、「関連・関係」という方法が必要であるというのである。
より普遍的で多元的な哲学の営みを創出する運動が「世界哲学」だというのは、こうしたことまでを指しているのであろう。これを見ると、「世界哲学史」においても方法はまだ模索中であるようだ。「世界史」を考えるものとしては、「比較」に次いで、「関係」や「影響」や「相互作用」や「連動」という面も考えたいところではある。こういう点を座談会では受けてほしかった。
(「世界史の眼」No.17)