本訳書のあちこちにある形容句でいう「世界中で最も有名で広く読まれる」歴史家の仕事を私ももっぱら翻訳を通じて読んできた。中でも『素朴な反逆者たち』『匪賊の社会史』『創られた伝統』は何といっても読んで楽しかったし、世界史関連の『革命の時代』『資本の時代』『帝国の時代』に『産業と帝国』を加えた「長い一九世紀史」の四部作は、書評したり引用したり授業のネタにもしたりしてきた。前から三冊に加えて「短い二〇世紀」を扱った『極端な時代』を含めて「近現代史の四部作」との見方もある。本書にはこれらの著作の出版に至る過程や出版後に寄せられた書評群も紹介されており、ほぼすべて未知だったために興味をそそられた。
とりわけ上記の五点への書評でしばしば繰り返された批判は、「ポストコロニアル」のサイードに代表的に見られるような、ホブズボームの「ヨーロッパ中心主義」的な傾向を指摘するものである(下巻、二二七頁)。ただ「ヨーロッパ中心主義」という意味を視野がヨーロッパだけに限られ非ヨーロッパはまったく触れていないとするのであれば、間違いである。博士論文の計画時に実地調査した北アフリカ(ただしアフリカには南アフリカを除くサハラ以南のブラック・アフリカに関心がなかったのが「盲点」だった)をはじめ、とりわけラテンアメリカ全般には圧倒的な関心を注ぎ(お返しかどうかブラジルで彼の本は売れた)、インド、日本などのアジアにも射程に入れていたからである。「ヨーロッパ中心主義」を非ヨーロッパを視野に入れつつ、起点や基盤はあくまでヨーロッパにおいた「地球規模の歴史」を構想し叙述した、とか「焦点はヨーロッパ」で「その文脈は世界規模」(ハリソンの評価)とかとする方(下巻、一四二、二〇〇頁など)が正しいと言えよう。
ところが、本書がいうように二一世紀の初頭まで、ホブズボームによる「地球規模の歴史」での「ヨーロッパ」の歴史記述を真似する人は出なかったものの(下巻、七四頁)、真似するどころかそれを越えようとする「グローバル・ヒストリー」が出現した。その一つは、ベイリ『近代世界の誕生』(C・A・ベイリ著『近代世界の誕生 グローバルな連関と比較一七八〇-一九一四』、上・下、平田雅博・吉田正広・細川道久訳、名古屋大学出版会、二〇一八年。本訳書に言及はないがホブズボームは本書の仏訳版に序文を寄せている)である。これもホブズボームへの辛辣な批判者の一人として本書に登場するフェミニスト史家のキャサリン・ホールによって、このベイリ著は彼の「一九世紀史の偉大な四部作」を「退場させた」と評価された。
ベイリの専門はインド史だが、読書の幅はホールすら「妬ましいほど」と表現したほど広く、欧米史はもちろん、中国史、日本史、イラン史、オスマン帝国史に及んだ。これらをもとにヨーロッパ中心主義を克服したどころか世界のどこも中心としない「多中心的」な世界史を試みた。同じくヨーロッパ中心主義と批判されることがあり本書にも登場するウォーラーステインもヨーロッパ以外をすべて「周辺」とか「半周辺」として「概念上のごみ箱に放り込む」論者として斥けている。はたしてベイリがホブズボームを「退場させた」かどうかは綿密な検証が必要だが、たとえば、先に触れたサイードがヨーロッパ中心主義との批判内容である、非ヨーロッパの知識人の軽視ないし無視、および非抑圧者、危機に瀕したコミュニティ、被差別者、宗教に基づいた抵抗運動への視点の欠如といったものは、ポストコロニアルに「寛容」の姿勢を取ったベイリがこれらに非ヨーロッパの「歴史なき人びと」「国家なき社会に住む人びと」も加えて、彼の世界史に参加させたと評価されている(ベイリ関係の書誌データは以下を参照されたい。平田雅博『ブリテン帝国史のいま グローバル・ヒストリーからポストコロニアルまで』、晃洋書房、二〇二一年、一一九~一三〇頁)。
歴史の叙述と国家形成を結合させて誕生したのが「近代歴史学」で、個別のネーションの枠組みに閉じ込めずにヨーロッパ全体を基準に議論するトランスナショナルなアプローチを取ったのが彼の世界史だとしたら(下巻、七四頁)、非ヨーロッパを取り込む「真のグローバル・ヒストリー」の出現がそれに取って代わったために、彼は近代歴史学とグローバル・ヒストリーの中間点に位置するというのが私の見方である。
ポストコロニアル絡みのもう一つの今日的な観点としての「ポストモダン」から本書を読むとどうか。本書は「社会民主主義者(上巻、vii頁)」エヴァンズが書いた「終生の共産党員」ホブズボームの評伝である。距離がおかれた分か、むしろ労働党への影響力など「現実的な」政治活動をよく捉えている面があり、仮に同じ共産党員(まず思いつかないが)が書けば別物となっていただろう。ところが、文学理論家の冨山太佳夫によると、エヴァンズはポストモダンに対して「恫喝的な排除の姿勢を取る」歴史家であり、ホブズボームは「ポストモダンの弁護路線に頼るのは有罪の者の味方をする弁護士たち」との「悲しむべき暴言」を吐いた歴史家である。かくして本書はポストモダンを「恫喝」する者による、これに「暴言」を吐いた歴史家の評伝となる(富山太佳夫著『英文学への挑戦』岩波書店、二〇〇八年、三七一頁。ホブズボーム著『歴史論』原剛訳、ミネルヴァ書房、二〇〇一年、序文、エヴァンズ著『歴史学の擁護 ポストモダニズムとの対話』今関恒夫、林以知郎監訳、晃洋書房)。
著者はホブズボームが詩や小説を多読して「文学を通して歴史に取り組むようになった」としながら、彼の意図を汲むかのようにポストモダンへの否定的な態度を本書でも拾っている(下巻、二六二、二九一、三一五頁など)。一方、冨山によると、従来の実証的な歴史学と文学が「調和的な交差」する場が「ポストモダン的な変貌」を遂げた「評伝」である。エヴァンズの当評伝は冨山のいう「評伝」なのか。膨大な未刊行資料を駆使した実証はおそらく当分は余人の追随を許さぬほど見事である。一方、評伝に書かれる人の行動にはすべて実証的な裏付けがあるとは限らず、冨山のいう「資料によっては論証できない動機や目的」を説明する必要もある。
たとえば、多くの頁が割かれている女性関係に関して、この「ひどく醜い男」に惚れる女性があれほどいたのはなぜだったかの部分(下巻、六六頁)は、さしもの著者でもエビデンスを提示しないままの、推し量りかねる女性の恋心の「説明」である。その他「女性が大好きな」本人の各地の売春宿ヘの出入りや既婚女性との「情事」が手紙や日記で「実証」されているが、最初の妻の浮気から自殺も考え、自宅で「堕胎」の手伝いをしたことヘの悔恨、これまた「既婚」の成人学生との間に「非嫡出子」をもうけたことへの生涯にわたる苦悩等々はどう見ても「実証」しきれていない。ここはもはや「事実立脚性」と「論理整合性」に基づく歴史学ではなく「芸術」の領域だからである(遅塚忠躬『史学概論』東京大学出版会、二〇一〇年)。だが、その深部の心性の説明はなされているので、皮肉なことに恫喝したはずのポストモダンの説明の手法をあるいは取り入れた形になったのかも知れない。
いわゆる「偉人伝」でも以前ならばタブーだった同性愛を含むセクシュアリティヘの言及は珍しいものでもなくなった。ただ、あまり私生活に触れなかった自伝『わが二〇世紀・面白い時代』には、ケインズやシュンペーターの伝記に「ベッドの下から」のぞき込むような性生活の描写があることを嫌っている箇所もあるので、自分の評伝に書かれてしまうことなど望まなかったはずである。
ところが著者はエリックの「著作と生活は継ぎ目なく調和しており」、私的な側面も専門家としての側面も「同じ一枚のコインの裏と表」(下巻、五八頁)としていることから、あるいは著作に表れているかもしれないと私が想起したのは『帝国の時代』の「新しい女性」章の中の「性の解放」などだが、書評群の紹介において、著者はホブズボームがたびたび女性やジェンダーヘの視点の不十分さや欠如を指摘されたこと(下巻、一九四~一九五頁)、本書の末尾において「女性の歴史」は氏の知識の「盲点」の一つだったこと(下巻、三一三頁)を指摘して閉じており、生活と著作がいかにして「同じ一枚のコインの裏と表」だったのかはついに不明であった。
終章はホブズボームの著作群を卓抜にまとめながら、世界中でなぜこれほど読まれたかの理由を説得的に示すが、女性の歴史の他にブラック・アフリカと大衆文化というあと二つの「盲点」を敢えて指摘しているのは、これからの歴史家に、これら三つの盲点を突いてホブズボームを越えてみよ、と示唆しているようにも見えた。
(「世界史の眼」No.20)