世界史寸評
歴史総合の教科書を執筆して
木畑洋一

 高等学校における2単位の必修科目として2022年度から導入される新科目歴史総合の教科書執筆に携わった者として、執筆過程で抱いた個人的感想(あくまで私個人の感想であり、教科書出版社や他の執筆者の感想を代弁するものではない)をいくつか述べてみたい。

 歴史総合は、2006年に浮上した高校世界史未履修問題などを背景としつつ、これまでの世界史と日本史を統合して、生徒たちに歴史を主体的に考えさせることを目的とした科目として発足した。日本学術会議による「歴史基礎」という科目の提唱などを経て、文部科学省がこの新科目創設について発表したのは、2016年のことであり、その後教科書作成に向けた動きが始まった。私は高等学校の世界史教科書の執筆に長年関わってきており、そろそろこうした仕事からの引き時かなと思っていたが、新科目の教科書執筆に参加しないかとの誘いを受け、結局引き受けることになった。

 そこでまず困ったのは、科目の、そして教科書の具体的コンセプトがつかみ難いことであった。分っていたのは、近現代を対象としてこれまでの世界史と日本史を融合すること、近代化、大衆化(後に「国際秩序の変化や大衆化」という表現になる)、グローバル化という主題が軸になること、生徒たちが自分自身で考えていく力を身につけていくアクティブ・ラーニングが重視されること、といった点である。しかし、それだけでは教科書作りにとりかかるには不十分であり、高等学校学習指導要領とその解説の発表が待たれた。学習指導要領が発表されたのは2018年3月末であり、解説の方は同年7月に公表された。そして大学と高校の教員から成る執筆者チームによる大童の作業が始まったのである。

 この教科書作成に際してまず大きな問題であったのは、従来の歴史教科書のスタイルである時系列を重視する通史的な叙述を基本にしていけるかどうかという点であった。すでに触れたように今回の学習指導要領では、生徒一人一人が学習している内容について主体的な問いかけをして、そうした問いかけをもとにいわゆるアクティブ・ラーニングを行うことが目指され、その材料となる史料の提示が重視されていた。その方向性をつきつめていけば、史料や問いかけを中心とした全く新しい様式の教科書を作ることも考えられたわけであるが、そうした変化は激しすぎるとして、執筆に携わった高校の先生方の間でも慎重な姿勢が強かった。そこで、基本的なスタイルとしては従来の歴史教科書に似た通史的なものとすることとしつつ、史料は多く選び、史料中心に組み立てる部分も作っていくことになった。

 教科書作成の結果を見てみれば、文部科学省の検定を通って歴史総合の教科書として使われることになった12冊のほとんどが、通史的スタイルのものになっている。大きな変化を期待していた方々からはこの点についての不満の声も聞こえてくるが、私としてはこの路線が妥当だったと考えている。

 ただし、史料は今までの歴史教科書に比べてはるかに多く掲載されることになり、本文や史料について生徒に問いかけ、さらに生徒自身の問いをも引き出していくような設問も、全体にたくさん置かれることになった。こうした史料や問いの適切さは、歴史総合の授業が実践されるなかで問われ、修正を加えられていくものと思う。

 いま一つ重大な問題であったのが、「世界史と日本史の融合」という点である。もっとも学習指導要領にはそうした文言は登場せず、「近現代の歴史の変化に関わる諸事象について、世界とその中の日本を広く相互的な視野から捉え」ることが、この科目の目的となっている。そのため、従来の科目を前提とした「世界史と日本史の融合」という表現自体がミスリーディングであり、まったく新しいものとして「歴史総合」を考えていくべきだ、という意見もある。そうした考えはもっともであるが、教科書を具体的に執筆していく上では、結局のところ、従来の世界史と日本史の教科書の中身をいかに「融合」させていくかということを考えていく他なかった。私たちの教科書は見開き2頁で一つの節としたが、同一節内で融合した叙述を行うことができる部分は限られており、多くのところで、世界史関係の節と日本史関係の節がパラレルに並ぶという構成に落ち着いたのである。ただ私としては、「融合」がもっと追求されてもよいのではないかという気持ちを抱いており、歴史総合の教科書が改訂されていくなかで将来的にそのような方向性が模索されていくことを願っている。

 次に、「世界史と日本史の融合」という問題に関わって、歴史総合における時代区分の問題に触れておきたい。歴史総合では、全体を三つに区切る大項目それぞれの主題として、前述したように「近代化」「国際秩序の変化や大衆化」「グローバル化」が提示され、各大項目が扱う時期が次のように設定された。

  近代化:18世紀から20世紀初頭まで
  国際秩序の変化や大衆化:第一次世界大戦から第二次世界大戦後の1950年代初頭まで
  グローバル化:1950年代から現在まで

 これらにまつわる論点はいろいろあるが、ここで問題としたいのは、それぞれの始点と終点の設定の仕方である。

 まず近代化部分が18世紀から論じ始められるということは、世界史を軸としていると言うことができる。学習指導要領では、「産業革命と国民国家の形成」が重視されているが、「二重革命の時代」に着目するにせよ、近年議論となっているヨーロッパとアジアの間の「大分岐」論に着目するにせよ(私たちの教科書ではこの「大分岐」論を盛り込んだ)、18世紀は世界史的に見た場合の変化の起点であると考えられる。日本の状況はそうした大きな変化のなかに位置づけられるのである。

 次の大項目は第一次世界大戦から始まることになっているが、これも世界史を軸とした区分、より正確にはヨーロッパ史を軸とした区分である。私は、第一次世界大戦の世界史の転換期とすることの問題点について、ホブズボームの「短い20世紀」論批判という形で論じたことがあるので、ここでは繰り返さない。ただ、日本にとって(さらにアジアにとって)の第一次世界大戦がかつて考えられていたよりも重要であったことは近年いろいろと論じられており、世界のなかでの日本という問題を考える際に、第一次世界大戦がよい素材となることは確かであろう。

 大項目区分をめぐって私が一番問題であると感じたのは、「国際秩序の変化や大衆化」という大項目と「グローバル化」の大項目とが、1950年代初めで区切られていることである。これについて、学習指導要領の解説では、一方で「1940年代後半から1950年代初頭までの時代については、国際秩序の形成の基本理念や、福祉面での国家の積極的な介入の方向性などの連続性に着目し、第二次世界大戦の勃発から一つの中項目として構成した」と、世界史的要因からの理由付けを行いつつ、同時に、「平和条約と日本の独立」という点を強調している。これについては、「世界とその中の日本」への眼差しを養おうとする歴史総合の目的との関連で、第二次世界大戦後、日本が国際社会に復帰することになった時期が大項目区分の中心的目安とされたのではないかと思わざるをえない。指導要領解説が強調する連続性は確かにあるものの、世界史的に見れば、戦後改革、冷戦、脱植民地化のいずれについても重要な画期は第二次世界大戦の終結時期であり、日本についても、この区分では戦後改革の意味が相対化されてしまう可能性がある。

 このようなことをいろいろ考えながら執筆に参加した歴史総合教科書は、すでに高等学校での採択決定も終わり、もうしばらくすると使われ始める。教室現場からの声がまたれるところである。

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