国際連合の機関である国連地理空間情報セクション(The United Nations Geospatial Information Section、かつては国連地図セクションThe United Nations Cartographic Sectionと呼ばれた)が作っている世界地図がある。現在インターネットで見ることができるものは2020年10月のもので、以下のサイトにある。
https://www.un.org/geospatial/content/map-world
本稿では、この地図が一般に見られる他の世界地図と違っている一つの点を紹介してみたい。それは、インド洋の真ん中にある島嶼の帰属国名である。今手元にある世界地図帳を開いてみると、チャゴス諸島(イ)、ディエゴガルシア島(イ)と書いてある。ディエゴガルシアはチャゴス諸島のなかの一つの島であるから、ディエゴガルシアを含むチャゴス諸島を領有しているのはイギリスであるということが示されているのである。これは、市販されている他のどの世界地図でも同じことである。ところが、上記のサイトを見れば分るように、国連地理空間情報セクションの作成にかかる地図では、この島嶼について、チャゴス諸島(モーリシャス)Chagos Archipelago (Mauri)と記されており、イギリスではなく、モーリシャスに帰属することになっているのである。一体どうしたのだろうか。
ディエゴガルシアは知る人ぞ知る島であるが、それは米国の軍事基地の所在地としてきわめて重要な島だからである。そこに置かれた基地は、湾岸戦争やアフガニスタン攻撃、イラク戦争など米国が中東地域で行った戦争できわめて大きな役割を演じた。そのため、島の名前を知る人も、島の帰属国は米国であると思いがちである。しかし、実際に領有している国はイギリスであり、米国はイギリスから島を借り受けた上で、そこに基地を建設しているのである。
イギリスはチャゴス諸島を英領インド洋地域(British Indian Ocean Territory、略称BIOT)と呼んでいるが、BIOTが作られたのは1965年であり、米国に貸与するための協定が結ばれたのは1966年のことであった。その後、米国が基地建設に着手するまでに、チャゴス諸島に住んでいた人々は、島から放逐されて、モーリシャスやセイシェル、さらにイギリスで苦しい生活を送ることを強いられてきた。
その問題について筆者は関心をもち、その全体的経緯と、60年代の英米交渉とについてそれぞれ論文にまとめたことがある。[1] それらで扱った時期以降も含めて、チャゴス諸島問題を簡略にまとめてみれば、以下のようになる。
1960年代初頭、冷戦下でインド洋に軍事基地を作ろうと思っていた米国は、インド洋でのイギリス領に眼をつけた。ディエゴガルシアも早くからその候補と考えられたが、問題はイギリス帝国のなかで、チャゴス諸島はモーリシャスの一部とされていたことである。当時は脱植民地化が加速化しており、モーリシャスも独立への道をたどっていたが、チャゴス諸島の帰属をそのままにしてモーリシャスの独立が実現すれば、イギリスにはその島の利用を米国に許す権限がなくなってしまう。そこで英米両国が考えたのが、モーリシャスが独立する前にチャゴス諸島をモーリシャスから切り離し、新たなイギリス領土としてしまうことであった。こうして作られたのがBIOTである。脱植民地化に全く逆行するこの措置をモーリシャスに呑ませるために、米英両国はモーリシャスにお金を支払うことにした。こうしてBIOTを作った上で、イギリスはそれを米国に貸与したのである。
これに伴って島から放逐された人々は、20世紀が終わる頃からその不当性を司法の場で訴えてきたが、イギリスの司法プロセスのなかで途中までは勝訴した彼らの訴えは、最終的には却下されてしまった。2012年には欧州人権裁判所も彼らの提訴を受理しないという判断を下し、解決の道は行き詰まったと思われた。しかし、モーリシャス政府が、独立時のチャゴス諸島切り離しはモーリシャスの脱植民地化を不完全なものにしたとして、国連に提訴したことにより、新たな局面が生まれることになった。2017年、国連総会はその問題についての判断を国際司法裁判所に求める決議を採択、2019年2月に国際司法裁判所は、①モーリシャスからチャゴス諸島が切り離された後、1968年にモーリシャスが独立を付与されたことは、合法的な脱植民地化であったとはいえない、②イギリスがチャゴス諸島の統治を継続したことから生じた国際法のもとでの諸結果(島から放逐された人々を島に再定住させる計画をモーリシャス政府が遂行しえないという点を含む)に鑑み、イギリスはできる限り速やかにチャゴス諸島の統治を終了させる義務を負う、という見解を公表した。
その見解を受けて、2019年5月、国連総会は、チャゴス諸島はモーリシャスに帰属すべきであるとしてイギリスによる統治の終結を求める決議を、賛成116か国、反対6か国の大差で可決した。反対に回ったのは、イギリス、米国という当事国の他にオーストラリア、イスラエル、ハンガリー、モルディヴの諸国であり、日本は棄権した56か国のなかに含まれている。その結果、翌20年に上記の国連世界地図におけるチャゴス諸島の所属表記変更が行われたのである。
これは、チャゴス諸島をめぐる統治の現実が変化したことは意味しない。イギリスは相変わらずBIOTとしてこの島嶼を統治し、米国は重要な基地としての利用を続けている。しかし、国連が脱植民地化という世界現代史の大きな流れにいかに関わっているかということは、ここにはよく示されている。一見短期的・現実的には効力が小さいと思われる国際司法裁判所や国連総会の判断であるが、そこで改めて確認された国際的な規範の力は長期的には強いものになっていくと考えられる。ロシアのウクライナ侵攻をめぐって国連の役割に注目が集まっている現在、国連のこうした面を紹介することの意味はあるであろう。
[1] 木畑洋一「覇権交代の陰で―ディエゴガルシアと英米関係」木畑・後藤春美編『帝国の長い影―20世紀国際秩序の変容』ミネルヴァ書房、2010;Yoichi Kibata, ”Towards ‘a new Okinawa’ in the Indian Ocean: Diego Garcia and Anglo-American relations in the 1960s”, in: Antony Best, ed., Britain’s Retreat from Empire in East Asia, 1905-1980, Abingdon, Oxon: Routledge, 2017.