世界史寸評
ウクライナ戦争への新たな見方
南塚信吾

 2022年10月22日、セルビア在住の旧友山崎洋氏を世界史研究所に迎えて、セルビアから見た現在のウクライナ戦争について話をしてもらう機会を得た。山崎氏は、ゾルゲの僚友であったヴーケリッチのご子息であり、さすがに情報の入手も一目置くべき所があった。氏との話で、日本のメディアなどでのウクライナ戦争についての言説には強調されない論点がいくつかあったので、それをまとめてみたい。おりから、日本でも寺島隆吉『ウクライナ戦争の正体』1,2(あすなろ社、2022年)や下斗米伸夫『プーチン戦争の論理』(集英社インターナショナル、2022年)などが、それに通底するような議論をしているので、それらを少し交えて整理してみたい。

 山崎氏が開口一番話したのは、日本のマスコミなどでのウクライナ情報がアメリカ一辺倒だということであった。ウクライナのゼレンスキーを英雄視し、プーチンを一方的に悪者扱いしているのは、驚きであるという。セルビアなどではもう少し是々非々の見方をしているというのである。そういう見方からすると、どうなるのか。

 (1) 山崎氏によれば、ウクライナ戦争は表面に現れた事象であり、実質的にはロシアとアメリカの第三次世界大戦だという。2004年の「オレンジ革命」や2014年の「マイダン革命」は、たんにウクライナ国民の民主化要求の表れと見るのではなく、そこへのアメリカの介入を見るべきである。アメリカの目標は冷戦後も残った共産主義体制の打倒である。オースティン米国防長官が、アメリカの目標はロシアの弱体化にあると述べたのは、そのことを意味している。アメリカが実質的に交戦国なのである。NATOのストルテンベルク事務総長は、NATOの加盟国が長年、装備、訓練、指揮に関してウクライナを支援してきたと言明しているではないか。こういうアメリカの対ウクライナ戦争については、キシンジャー、ブレジンスキーの役割を重視すべきである。ほぼこういう議論である。

 これに類する議論は、寺島氏や下斗米氏も行っている。とくに「マイダン革命」が問題になる。寺島氏は、アメリカの一貫した戦略の中で、今回の戦争は起きているのであり、2014年の「マイダン革命」はアメリカの仕掛けたクーデターであったという。のちにオバマ元大統領も認めているとおりである。ヌーランド前国務次官補も、アメリカが40億ドルも投じてきたと発言している。そしてその指令は当時のバイデン副大統領だったと、寺島氏は強調している。下斗米氏はもう少し慎重に多角的に議論しているが、趣旨はこれに通じている。氏はアメリカの対東欧、対ウクライナ政策を歴史的に検討し、アメリカの一貫した狙いを明らかにしている。その中で、ヌーランド発言などを確認したうえで、マイダン革命は、「米国と親NATO勢力が使嗾(しそう)した」、「クーデターまがいのマイダン革命」と位置付けている。100人以上の死者を出した2月の発砲事件についても、「ジョージア系スナイパー部隊」のやったことではないかと示唆している。

 (2) 山崎氏は、「NATOの東方拡大」について、こう指摘する。ロシアは、侵攻に先立ち、アメリカ政府に対し、「NATOの東方拡大の停止」を文書で約することを求めたが、アメリカは拒否した。バイデンが「イエス」と答えれば、戦争はなかったのではないかと。こう簡単ではなかったとは思われるが、「NATOの東方拡大」についての交渉の経過や、そこでの妥協の余地などについては、下斗米氏が詳細に検討して、クリントン政権に始まり、ブッシュJr.政権、オバマ政権が一貫して「東方拡大」を追求してきたことを明らかにしている。そこからは、米政権内部での意見の相違や、米ロの微妙なずれも明らかになっている。とくにジョージ・ケナンなどの批判などを挙げている。とりわけ、「旧ソ連」領の内部にまでNATOを拡大することに、プーチンは強く危惧していたこと、キシンジャーさえも批判していたことが指摘されている。

 (3) 山崎氏は、ウクライナ内部での「ネオ・ナチ」の力に注目している。ウクライナでナチス時代の記章やスローガンが見られるようになるのは、2014年の「マイダン革命」と呼ばれるクーデターの時からだという。「アゾフ大隊」などがそうだ。ネオ・ナチは、運動の暴力的な性格から、數に比して社会に与える影響が大きいというのである。そして、2015年のミンスク議定書は、過激派の準軍事組織とアメリカの反対によって、実現しなかったし、ゼレンスキーは和平を公約して当選し、就任後すぐにドンバスへ視察に赴いたが、過激派の武装集団に追い返され、対話はできなかったというように、過激派=ネオ・ナチの役割を強調した。「過激派の武装集団に追い返され」たという点は確認できなかったが、「ネオ・ナチ」については、寺島氏も、ネオ・ナチの「アゾフ大隊」などは2014年から登場したとしている。下斗米氏も、2014年の「マイダン革命」において、「反政府系の右派センターや「自由」など民族急進派、さらにネオ・ナチ勢力」が武力行使をして、政権を倒したとしている。また、就任当初は和平を目指したゼレンスキーがNATO加盟に舵を切ったのも、「民族右派やネオ・ナチの圧力」があったのだという。

 (4) 山崎氏は、東部ドンバスの問題に特に注目していた。いわく、2014年以後のドンバスでは、ロシア語が公用語の地位を奪われ、人口の2割を占めるロシア人は無権利状態に置かれたと感じ、ドンバスのロシア系住民の反乱がおこった。先述のように、2015年のミンスク議定書は、過激派の準軍事組織とアメリカの反対によって、実現しなかった。またゼレンスキーは就任後すぐにドンバスへ赴いたが、過激派の武装集団のために、対話はできなかったと。同じような議論は、寺島氏もしている。ドンバスへのウクライナの攻撃というのが実態で、キエフからドンバスへの攻撃は計画的であり、過激派集団によるものであり、その際、ドンバスでウクライナ軍と戦っていたのは軍人ではなく炭鉱労働者であったとしている。下斗米氏は、「マイダン革命」後、新政権が、ロシア語を公共圏から締め出したため、ウクライナ語が強制され、ロシア語話者が多い東部ドンバスの二州では親ロ派による武装反乱がおこったこと、また極右派の政権入りに、東部ロシア語話者地域の住民が猛反発して、一部は武装反乱に及んだことを指摘している。そして、下斗米氏は東部の停戦と安定化のためのミンスク合意に注目している。

 山崎氏が東部ドンバスに注目するのは、ユーゴスラヴィアにおいて難しい問題であった「民族問題」ないしは「マイノリティ問題」に通じるからである。このドンバス問題に限らず、氏は、アメリカにとってかつてのユーゴ紛争は今回のウクライナ戦争の「演習場」だったのだと考えている。以上のような山崎氏の、ユーゴ的な観点からのウクライナ戦争論は、日ごろ欧米や日本での議論に疑問を感じているものには、「してやったり」という感じのものであった。

 おりしも、11月18日に、森喜朗元首相が、「ロシアのプーチン大統領だけが批判され、ゼレンスキー氏は全く何も叱られないのは、どういうことか。ゼレンスキー氏は、多くのウクライナの人たちを苦しめている」と発言し、ロシアのウクライナ侵攻に関する報道に関しても「日本のマスコミは一方に偏る。西側の報道に動かされてしまっている。欧州や米国の報道のみを使っている感じがしてならない」と指摘したと報じられている。これはさっそく批判されているが、今回の山崎氏の話からすれば、的外れではないことになる。山崎氏の発言は欧米一辺倒の見方をただすきっかけになるかもしれない。

 なお、山崎氏との対話との関係で寺島氏や下斗米氏の著書をつまみ食いしてみたが、両書は日本での欧米よりのウクライナ観を相対化するのに必読の書であることを付記しておきたい。

(「世界史の眼」No.33)

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への1件のフィードバック

  1. 石井規衛 のコメント:

    私も、ほぼ同意見です。
    マスコミが、問題をロシアとウクライナとの関係に留めて報道しているのは、どこか意図的に思えます。しかも、いわゆる識者の間に、2国間対立を主軸にして考える傾向が留めようもなく広まっていることが、どこか不安です。

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