はじめに
1 土地レンテ収取者の重層化―剰余収取体制の発展
(以上、本号掲載)
(以下、次号以降掲載予定)
2 ビルトとジャジマーニー―社会的分業関係の発展
3 「ビルトの体系」
おわりに
はじめに
マックス・ウェーバーのアジア社会論は、マルクスなど19世紀までの西欧思想家たちによるアジア社会論とは異なり、今日なお継承されうるものを含んでいる。(注1)
たしかに、ウェーバーのアジア論の中心主題は、アジアにおいて資本主義が成立しなかったのはなぜか、ということであった。ウェーバーは、インドについても、資本主義の自生的な発展の欠如を指摘し、ヒンドゥー教や仏教がそのこととどう関係していたのかということを、『ヒンドゥー教と仏教 宗教社会学論集 世界諸宗教の経済倫理 II』(1921年)の主題としている。(注2)
しかし、だからといって、ウェーバーは「歴史なきアジア」といった19世紀オリエンタリズム的固定観念に縛られていたわけでは決してない。例えば、ウェーバーは、『ヒンドゥー教と仏教』や『一般社会経済史要論』(注3)において、インドにおける社会発展の固有性を追及しようとしていた。インド的な社会発展は、結局、資本主義を自生的に発展させることにはならなかったとしても、インド社会は「停滞」していたのではなく、固有の発展を遂げていたというのがウェーバーの捉え方であった。
独立(1947年)後のインドの歴史学界では、マルクス主義的、あるいはスターリン主義的な歴史発展段階論が強い影響力を持ち、奴隷制度、封建制度といった西洋起源の概念をそのままインド史に当てはめようとする傾向が強かった。しかし、ウェーバーの場合は、そのような機械的インド史論とは異なり、インド社会に固有の歴史変動ダイナミズムを捉えようとしたのである。
ウェーバーにとって、インド的社会発展の固有性を捉えるための一つの手掛かりとなったのはLandrentner、すなわち「Landrente収取者」の重層化という現象であった。Landrenteという言葉は、歴史的文脈においては、「地代」と訳される場合が多い。しかし、「地代」というと、地主―小作関係のような、土地所有者―借地人という一対一の社会関係が想定されやすい。しかし、ウェーバーは、インド的文脈においては、Landrenteという言葉を、もっと幅広い社会的諸関係において、多数の人々すなわち複数のLandrentnerに配分される「土地からの収益(剰余)」を表す言葉として使用している。その点を考慮して、本稿ではLandrenteを「土地レンテ」(単にRenteとある場合は「レンテ」)、Landrentnerを「土地レンテ収取者」(単にRentnerとある場合には「レンテ収取者」)と訳する。(注4)ウェーバーはこの「土地レンテ収取者」Landrentnerの重層化という現象にインド的社会発展の固有性を認めていたのである。
ウェーバーがインド的社会発展の固有性を捉えようとするにあたって、もう一つの手掛かりとなったのは、ビルトbirtというインド社会に固有の言葉であった。ビルトという言葉は、後述のように、ザミーンダーリー・ビルト(ザミーンダーリーとしてのビルト)といった場合には、「土地レンテ収取権」を意味している。しかし、より本源的な用法では、世襲的に定められている範囲の「顧客」に対して世襲的家業に基づくサーヴィスを提供し、その反対給付を受ける世襲的な権益(資産、家産)がすべてビルトと称された。ウェーバーにとって、このビルトという言葉が、インドにおける社会発展の固有性を捉えるもう一つの手掛かりとなったのである。
1 土地レンテ収取者の重層化―剰余収取体制の発展
(1) 土地レンテと土地レンテ収取者
ウェーバーは、土地レンテLandrente、すなわち土地からの収益(剰余)がさまざまな取り分権をもつ人々、すなわち多数の土地レンテ収取者Landrentnerによって分有され、土地レンテ収取者の階層が重層化していくというところに、インド的社会発展の固有性を認めた。『ヒンドゥー教と仏教』の中で、ウェーバーは次のようにのべている。
インド的な発展に固有なのは(Es ist der indischen Entwicklung eigentümlich, daß……)、いろいろな状況において、相互に重なりあう一連のレンテRenteが農民の納税義務を基盤として成立し、土地収益Bodenerträgenから支払われたということであった。本来の農民の上に、つまり土地の実際の耕作者のすぐ上に、一人の、あるいはより一般的には、一団体の土地レンテ収取者たちLandrentnernが存在した。彼らは土地の所有権者Eigentümerとみなされ、上の者に対しては、その土地からの租税支払いの責任を負った。しかし、彼らと国家権力との間には、通例、さらにザミーンダールあるいはタァルクダールと呼ばれる中間介在者がいて、単にレンテの分け前(それは、〔インドの〕北東地方ではしばしば租税額の10パーセントであるが)か、あるいはもっと広範な、本質的に領主的な諸権利を要求した。しかし、時には、この一人の中間介在者ではなく、古来の徴税請負人の他に、ビルト≫birt≪〔の所有〕を通してレンテ収取権Rentenrechtenを与えられた者、あるいは、〔ある村落の〕未納租税の支払いを引き受けることと引き換えに、その村落を購入した≫gekauft≪ことによって、権利を得た領主が存在した。最後に、事情によっては、世襲村長のレンテ要求がありえたが、それは村長に一種の領主的性格を付与した。(Hinduismus und Buddhismus, p. 71. 深沢宏訳、90頁)
直接生産者たる農民たちの上に、「一団体の土地レンテ収取者たち」が存在し、土地所有権者として、納税義務を負っていた。彼らと国家のあいだには、税の徴収・納付にかかわって、ザミーンダールなどさまざまな階層の者たちが介在し、それぞれの職務とそれに付随する取り分を分有しあっていた。それをウェーバーは土地レンテに対する諸権利の重畳と捉え、このような状態がより複雑に、より高度に展開していくところに、インド的な社会発展の固有性を認めたのである。このような認識を踏まえて、ウェーバーは『一般社会経済史要論』では、次のようにのべている。
かようにして、租税徴収権者と農民との間には、租税が請け負われ、さらにこれが下請けせられるという関係を通じて、多数のレンテ収取者たちRentenempfängernが介在するというのがインド的諸関係の固有性Eigentümlichkeit der indischen Verhältnisseである。かくのごとくして、4人とか5人とかのレンテ収取者たちが鎖のごとくつながっている場合は、決してめずらしくない。(Wirtschaftsgeschichte, pp. 37-38. 黒正巌・青山秀夫訳、上巻、93頁)
ここでは、Rentenempfängernという言葉が使われているが、これが『ヒンドゥー教と仏教』におけるLandrentnernと同じなのは明らかである。(注5)いずれにしろ、ウェーバーは、「土地レンテ」の一部を収取する者たちが重層化していく現象に着目して、「インド的発展の固有性」を捉えようとしたのである。
ここでウェーバーは、時代と地域の限定なしに、「インド的発展」あるいは「インド的諸関係」の「固有性」を言っているのであるが、それではあまりに漠然としている。そこで、ウェーバーが、具体的には、どの時代と地域を念頭に置いていたのかということを考えてみたい。ウェーバーは上引の文章で、ザミーンダールやタァルクダールに言及している。彼らが、徴税請負との関係で広範に出現するのはムガル帝国の時代である。さらに、ウェーバーは上引の文章に続く箇所で、マラーター王国に言及している。それらのことから考えて、ウェーバーが念頭に置いていた時代は、主として16-18世紀、すなわちムガル帝国とマラーター王国の創建(それぞれ、1526年と1674年)と、それに引き続くムガルとマラーターの対立・抗争の時代であったということができる。地域としては、両国が領土をめぐって争い合った北インド・中央インドがウェーバーの関心の中心をなしていたと考えられる。
この時代はイギリスによるインド植民地化に直接に先行する時代、すなわち、前植民地期であった。この時代にかんしては、豊富な英語文献が残されているから、ウェーバーはほとんど英語文献のみを用いて、「インド的発展の固有性」を追及することができたのである。
(2) 土地レンテ収取権としてのビルト
ウェーバーの前引の一文に出てくるザミーンダールは、北インドにおける典型的な土地レンテ収取者Landrentnerであった。ウェーバーは、ベーデン=ポーエル『英領インドの土地制度』(注6)を通して、ザミーンダールなど、土地レンテLandrenteに対する世襲的取り分権を持つ階層が重層的に存在することを知ったのである。
この土地レンテに対する世襲的な取り分権は、もともとは、ヴリッティvṛttiという言葉で表されていた。ヴリッティはサンスクリット語で「職業」、「生計(なりわい)」などを意味する言葉(サンスクリット語動詞√vṛt=to be supported by, to live on, etc.から派生)である。それが、16世紀頃までには転訛して、一般にビルトbirtと発音されるようになっていた。そのことを示す史料がI・ハビーブ『ムガル期インドの農業制度』のなかに見られる。この場合ビルトという言葉は土地レンテ収取権を意味している。
17世紀の一文書におけるビルトbirtという言葉の用法は、その言葉が贈与によって形成されたザミーンダーリーzamīndārīを表す言葉であることを示唆している。1669年の譲与文書の発給者は、ある村の「ミルキヤト、ザミーンダーリーおよびチョードゥラーイーmilkiyat, zamīndārī and chaudhurāī」を「ビルトの形」で譲与すると言明している。(注7)
ここに出てくるビルトbirtという言葉は、明らかにヴリッティvṛttiという言葉が転訛したものである。したがって、この史料は、17世紀までの北インドにおいて、ヴリッティという言葉がビルトという発音しやすい、「庶民的」な言葉に転訛して、広く使用されていたことを示している。それは、土地レンテに対する世襲的な取り分権が広範に存在していたことの反映である。
ハビーブは、この史料にかんして、ビルトは「贈与によって形成されたザミーンダーリー」を意味すると指摘している。ザミーンダーリーというのは土地レンテに対するザミーンダールの世襲的な取り分権のことである。したがって、ザミーンダーリーは、土地レンテ収取権一般を包括的に表すビルトの下位概念あるいは部分概念ということになる。それゆえに、ザミーンダーリー・ビルトあるいはビルト・ザミーンダーリーという表現も生まれたのである。
上引の史料中に見られる諸権利すなわち「ミルキヤト、ザミーンダーリーおよびチョードゥラーイー」はビルトの内容を表している。そのうち、ミルキヤトはマレクmalek(所有者)の取り分を意味し、ザミーンダーリーと結合して、ある一定領域(この場合、具体的にはひとつの村)から、一定の土地レンテを収取する権利を意味した。チョードゥラーイーは地域共同体の首長としてのチョードゥリーの取り分である(後述)。これらの諸権利をビルトとして譲与したということは、世襲的な取り分権として譲与したということで、それはこれらの権利がもともと世襲的な権利だったからできたことである。
このビルトという言葉は、北インドでは、19-20世紀になっても広く使用されていた。ベーデン=ポーエルは『英領インドの土地制度』(第一巻)で次のようにのべている。
〔北インドの〕アワド地方においては、ラージャーが彼の家系の若い成員や廷臣に対して、賜与を行うことがあった〔後略〕。この賜与はビルトbirt、あるいはサンスクリット語ではヴリッティvrittiと呼ばれた。
旧来のヒンドゥー王国が活力のある状態にあった限りでは、このような賜与は王の家系の成員あるいは王の家臣に一身の間だけ、その生計のために行われた(ジーワン・ビルトjewan birt)〔後略〕。しかし、ラージャーたちがムスリム勢力と抗争するようになり、権力を剥奪されたり、従属的な地位に落とされたりすると、ラージャーたちがビルトを売却することによって資金を調達するケースが現われる。このことはアワド地方において、明瞭に跡づけることができる〔後略〕。ビルト売却の例を示しているのは〔ゴーンダー地方の〕ウトラウラー国Utraula Stateである。これらの全ての場合に、その村落の経営、ラージャーの穀物取り分の全部あるいは一部分、そして荘園制的諸権利manorial rights(税関、渡船場、地方的諸税)が賜与を受けた者に譲渡された。これらの諸権利の総体はザミーンダーリーと呼ばれ、〔その場合〕ビルトはザミーンダーリー・ビルトと呼ばれた。(Baden=Powell, The Land-Systems of British India, Vol. I, pp. 131-132)
このようなものとしてのザミーダーリー・ビルトの場合、土地レンテには税関や渡船場などからの料金収入も含まれていた。その土地レンテ収取権が一身かぎりの場合には、ジーワン・ビルト(jīvan birt 生涯ビルト、一代限りビルト)と呼ばれた。
このビルトと呼ばれた土地レンテ収取権は、遅くとも17世紀までには、売買可能な物件となっていた。ベーデン=ポーエルは以下のようなビルト売買文書を引用している(ただし、年代は不詳)。
私は、バラモンであるトゥルシー・ラームに、〔ガネーシュプル村の〕ビルトを与えた。彼は、ガネーシュプル村を、貯水池、林、デー地〔カッコ内略〕、parja anjuri, biswa, bondha〔カッコ内略〕とともに永遠に享受する。彼はザミーンダーリー〔取り分〕を享受する〔カッコ内省略〕。彼は、〔これらの権利を〕安心して所有することができる。〔その代価として、私は〕701ルピーを受け取った。(Baden=Powell, The Land-Systems of British India, Vol. II, p. 240, n. 1)
この売買文書においても、ビルトの具体的内容はザミーンダーリーで、ここで売買されているのは土地レンテ収取権としてのザミーンダーリー・ビルトである。
このようなものとしてのビルトが土地レンテに対する世襲的な取り分権であることを、ウェーバーは知っていた。前引の文章の中で、ウェーバーは次のようにのべている。
しかし、時には、この一人の中間介在者ではなく、古来の徴税請負人の他に、ビルト≫birt≪〔の所有〕を通してレンテ収取権を与えられた者、あるいは、〔ある村落の〕未納租税の支払いを引き受けることと引き換えに、その村落を購入した≫gekauft≪ことによって、権利を得た領主が存在した。
ここでは、「ビルト≫birt≪〔の所有〕を通してレンテ収取権を与えられた者」という一般的な表現がとられていて、具体的な事例は明示されていない。だが、次節で述べるように、ウェーバーがビルトという土地レンテ収取権を表すインド固有の言葉があることを知っていたこと、そのことが「インド的諸関係の固有性」を捉える手掛かりとなったのである。
(続く)
※注はまとめて(下)に掲載します。
(「世界史の眼」No.36)