中国が中東問題に関わってきた歴史的な経緯を振り返っておくのが本稿の課題である。地理的に遠いこともあって、そもそも緊密な関係があったわけではない。1948年のイスラエル建国は、1949年に中華人民共和国が成立する以前の出来事である。一方、イスラエルが1950年1月9日に中華人民共和国を承認したのに対し、中華人民共和国がイスラエルを承認し、正式に国交が樹立されたのは、1992年1月24日のことになった。他方、パレスチナとの間では、1964年にPLO(パレスチナ解放機構)が設立された時から強固な関係を維持し、翌65年には北京にPLOの代表部が開設された。1988年11月15日のパレスチナ独立宣言の直後にパレスチナを承認し、国交関係を取り結んでいる。こうして中国は、イスラエルとパレスチナの双方と国交を結ぶ国の一つになった。
その後、今世紀に入り中国が大国としての外交を志向する中、中東問題への関与も本格化しつつある。そうした中での中国の動向を考える際、留意すべき5つのファクターについて、考えてみたい。その第一は、いうまでもなくアラブの大義を擁護し、パレスチナ独立国家を支持する立場である。第二は、それとも緊密な関係にある中国国内のムスリムへの配慮という問題である。第三に、やはりアラブの大義の擁護と深く関わるアラブ諸国との経済関係を見ておかなければならない。パレスチナとの直接的な経済関係こそ極めて少ないとはいえ、アラブ諸国との経済関係には極めて大きなものがある。第四に、あまり関心を引くことがないけれども、中国のイスラエルとの経済関係がある程度の規模になっていたことにも注意しておきたい。最後に、やはり中国が負うべき大国としての責任も問われるであろう。
1955年のアジアアフリカ会議で新興独立諸国と協力する立場を示した中国は、1956年の第二次中東戦争に際してもエジプト・シリアを支持した。そして、すでに述べたように、1960年代からパレスチナの民族運動に連帯する姿勢を鮮明にしており、パレスチナが独立を宣言した直後にパレスチナを承認し、最も早い時期に国交関係を樹立した。昨年(2023年)6月には、国交樹立35周年を記念し、パレスチナ自治政府のアッバス議長が中国を訪れ、中国政府との間でエールを交換している。多くの欧米諸国や日本が未承認なのに対し、パレスチナを承認する国家は、アジア、アフリカ諸国を中心に、現在100ヵ国以上に達する。そうした諸国の中でも、中国は抜きん出て重みのある存在である。現在のガザの事態に対しても、パレスチナへ何度も緊急人道支援を実施するなど、物心両面で様々な支援を進めてきている。
このように中国がパレスチナをはじめとする中東の民族運動に強い関心を払う背景には、国内に多数のムスリムが居住しているという事実がある。中国政府の説明によれば、現在、国内には、回族、ウイグル族をはじめイスラムの信仰を持つ人々が大多数を占める民族が10を数え、その総人口は2100万人以上に達する。14億人という総人口中の比率こそ小さいとはいえ、2100万人という数自体は決して少ない数ではない。全国に3万5000ある清真寺(モスク)には日々祈りの声が響き、街角にも大学にもムスリム専用の食堂が設けられている。新疆ウイグル族自治区をめぐる複雑な状況も、よく知られている。中東問題に対し中国政府は敏感にならざるを得ないし、その際は常に国内のムスリムの感情を念頭に置かなければならない。
パレスチナの経済規模からして、中国とパレスチナの間の直接的な経済関係は極めて小さい。2022年の貿易総額は1億5600万ドルであった。しかし、石油、石油化学製品の中国への輸入を中心に、中国とアラブ諸国、とくにペルシャ湾湾岸諸国との経済関係は近年急速に伸張しており、2022年の貿易総額は3149億2800万ドルに達した(表1)。中国の2023年の原油輸入量の三分の一は湾岸諸国が占める。中国経済にとって、アラブの石油は今や死活的な意味を持つようになった。
一方、アラブ諸国にとっても、中国の存在には大きなものがある。いずれは枯渇する石油資源の将来を見据え、アラブ諸国は、今、石油依存経済からの脱却をめざし、懸命に経済開発を進めている。それに対し、中国は企業の投資から労働者の派遣に至るまで、さまざまな経済協力を発展させている。UAEだけで30万人の中国人労働者が働いているとの報道もあった。
以上に述べたような両者の相互補完的な協力関係を背景に、2022年秋、アラブ諸国を歴訪した習近平は、11月9日、GCC(湾岸協力会議)と中国の首脳会談に出席した。
しかし、中国とイスラエルとの関係についても注意が必要である。ユダヤ人と中国人は第二次世界大戦の最大の被害者であるとして両者のつながりを指摘する声も時に耳にするとはいえ、1950年代から70年代まで、アラブの民族運動に敵対するイスラエルは、中国にとって距離を置くべき相手であった。
しかし、1980年代に改革開放政策が進展するにつれ、新たな状況が生まれた。中ソ対立が続く中、軍事力の近代化を進めたい中国にとって、イスラエルの兵器産業が魅力を増したからである。COCOMに参加していないイスラエルは、中国に兵器を輸出する際の国際的な制約を受けずにすんだこと、イスラエルの兵器産業の水準が高いものであったこと、なども重要な条件になり、80年代を通じ数十億ドルの取引があったともいわれる(齋藤真言「イスラエルと中国」『みるとす』182、2022年6月)。いわばそうした実績の上に、1990年の湾岸戦争で生じたアラブ諸国の間の不一致を突く形で、1992年にイスラエルと中国の間で国交関係が樹立された。
その後も両国間の貿易関係は拡大傾向を続け、2020年の輸出入総額は153億ドル、2022年は226億ドルに達し、イスラエルの貿易全体の12%台を占めた(表2)。同じ時期の日本とイスラエルの間の貿易額が20億ドル台で低迷しているのに較べ、際だって高い。中国製電気自動車の輸出、中国企業による路面電車の建設、上海国際港務公司によるハイファ港への巨額の投資など、一帯一路政策とあいまって兵器産業以外の様々なつながりが強まっている。イスラエルのネタニエフ首相は、2013年と2017年に中国を訪れた。
このように中国とイスラエルの関係がとみに緊密さを増してきたとはいえ、中国の中東外交の軸足は、やはりアラブ民族運動の側に置かれている。2023年春から、すでにイスラエル向け工業製品輸出に対する規制を強めており、それに対するイスラエルの抗議も撥ねつけたと伝えられる。
2023年11月30日、中国外務省は、「パレスチナ・イスラエル紛争の解決に関する中国の立場」として、全面的停戦の実現など5項目を提案する文書を公表した。提案は、全面的な停戦のほか、市民の保護、人道支援の確保、外交的な仲介の強化、政治的解決の追求を訴えるものであり、紛争の根本的な解決策は、パレスチナ国家樹立による「2国家解決」だと主張するものであった。
また2024年1月15日には、エジプトを訪れた王毅外相が、中国は和平に関してより大規模で権威と有効性を持つ国際会議の開催を呼びかけるとともに、改めてイスラエルとパレスチナ国家の「2国家解決」に向けた具体的な工程表を求めていると述べた。 その一方、イスラエル支援を続けるアメリカには、厳しい批判を展開している。2024年2月21日にも、国連のガザ停戦決議案に対しアメリカが拒否権を行使したことに強い失望を表明した。中国にとってガザ問題はアメリカと角逐を繰り広げる大国としての外交の一環にも位置づけられている。