世界史研究所では、2024年7月にミネルヴァ書房より刊行された、ダニエル・ウルフ著(南塚信吾、小谷汪之、田中資太訳)『「歴史」の世界史』の合評会を、9月16日に行いました。以下にその記録を掲載します。最初に訳者の南塚信吾、小谷汪之両氏から内容のプレゼンをしてもらい、その後木畑洋一、藤田進、油井大三郎、佐藤育子、小山田紀子、杉本諒の各氏にコメントをして頂きました。最後に内容に関して討論を行なっています。(記録:山崎信一)
1. プレゼン 南塚信吾
本書は、①「三〇〇〇年間にわたる過程を通じて、過去を取り戻し表象するための組織的アプローチとしての歴史が、いかに現代世界の教育と文化の主要な一側面へとじょじょに発展してきたか」ということ、②「この三〇〇〇年間を通じて、啓蒙主義以降のヨーロッパとその出先における特殊な形の歴史観が、東アジアやイスラーム世界、そして本書で言及されていない他の諸文化においてしっかりと根を張っていた別のタイプの歴史観に、いかにしてしだいに取って代わっていったのか」ということを描いている。これはたしかに壮大な仕事である。世界各地の歴史の試みに目を届かせてそれを全体像にまとめようとしている仕事は、評価に値する。しかし、それゆえに問題もありそうである。
今回の合評会では、本書の第6章と第7章のみを取り上げるが、それはわれわれに直結する歴史の方法を論じているからである。最初に、翻訳に携わった者として、議論の筋の整理をして、そのうえで気が付いた点をあげてみたい。それらはM)で表記する。
第6章 移行―戦間期から現在に至るまでの歴史学
Ⅰ ポストモダンが現れるまでの(あるいはそれに影響される前の)歴史
(A)歴史の新しい方法
1.アナール「学派」―ウルフはこれを20世紀の歴史学上最も重要な現象と位置づけている。
①ブロックとフェーブルの「全体史」
②戦後ブローデルの「長期的持続」
③70-80年代には小規模な世界へ以降:心性史、日常生活史
→ミクロ・ヒストリー ラドュリー、ギンスブルク
ウルフはここから一般化がどのように可能かという疑問を提示している。
2.歴史と社会科学
社会学:ウエーバーは比較、理念型、主観的要素に注目
経済学:数量経済史
人類学:「構造主義」と「厚い記述」(ローカルで特殊なものへ)
3.歴史と自然科学
歴史の分析哲学が「法則」、「パラダイム」概念を打ち出した。
(B)歴史と政治体制
ウルフは、歴史は独裁制にせよ民主制にせよ政治体制に奉仕してきたという。
・右翼的独裁体制 体制に合致する歴史を要求
→戦後の余波 フィッシャー論争、「ドイツ特有の道」論
・左翼の独裁も歴史家への制約、統制、調整
・民主制のもとでも、歴史家の発言と出版への制約、マルクス主義への迫害があった。
ウルフはポピュリズムに歴史は対抗できるかという疑問を提起している。
(C)戦後の新しい分野
1.インテレクチュアル・ヒストリー 1950年代
1980年代から「文化史」が登場、言語・テキストの意味を問うようになった。
1960-70年代に歴史心理学が「集団的振舞い」に注目した。
2.女性史 1970年代からフェミニズムを受けて拡大し、大学でも地位を得た。
3.ジェンダー史 1980年代から
スコット 過去全体を見直すことを主張
→拡大:マスキュリニティ、ホモセクシュアリティ、植民地とジェンダーなどに拡大。
4.戦後アフリカ史
西欧的進歩のナラティヴが導入されたが、それへの批判も生まれた。
口承伝統の限界と意味が議論された。問題はあるがその意味は疑い得ない。
歴史が植民地権力の道具として利用されることになった。
M)ここの1~4はポストモダンの影響を受けなかったとみているのだろうか。
Ⅱ これ以後は、ポストモダンおよびその影響を受けた歴史学の動き
(D)ポストモダン
1970年代から登場。リオタール『ポストモダンの条件』などがきっかけ。
ただし、E.H.Carrは1960年代に地盤を準備していた。
1.言語論的転回:ポストモダンは歴史の「外」から来た。
言語論的転回は、歴史とフィクションの間の境界線を侵食。
西欧が中心だが、アジアにも拡大し、それは西欧とは違う近代を求める動きに繋がった。
2.ポストモダンと歴史
(1)主張 「歴史は知識の一形式」と言われていたのを、「歴史はナラティヴの一形式」と改めた。とくにH.ホワイト
つまり、歴史の記述とフィクションの間には本質的な相違はない。共に物語を語っているのだとした。
(2)批判 マーウィック、エルトン
(3)ポストモダンの意義
「正統」の解体、脱中心化。構築性を主張。
ウルフは、ポストモダンがとくに西欧の歴史観(直線的)を相対化し、不連続、非互換的な見方を提示したと指摘。
(4)ポストモダンの欠点
都合のいい「他者」を「構築」しているのではないかという批判がある。
左派からは「階級」を軽視していると批判がある。
(5)結論
ウルフは、ポストモダンは文書やテキストは「それ自身で語りはしない」こと、歴史は人間による「人工物」であることを確認したのだとする。
M) このことの論理的帰結はどうなるのだろうか?
(E)ポストコロニアリズム
サバルタン・スタディーズやオリエンタリズム批判を含む。
(1)意義:ウルフは、ポストコロニアリズムは、自分自身の中の「他者」(理性、進歩、西洋)への批判であって、理論ではないと強調。
サイード、スピヴァク、チャタジー
(2)ポストモダンとの重なり
ウルフは、既存の大ナラティヴを不安定化、転覆、脱中心化、「在地化」する点で、また、テキストやナラティヴの読み返しをする点で、ポストコロニアリズムとポストモダンは重なり合うという。
(3)西洋の歴史観の拒絶;例ガンディー
(4)「従属理論」とも重なり合って広がった。
(F)ポストモダン後の動向
1.ウルフは、「モラル上非難すべき立場を正当化する」歴史が出てきたとして、例えば「ホロコースト」を否定する歴史を取り上げる。
2.ウルフは、「歴史はだれのものか」「集団の一員でなければその歴史は書けない」のかという問いが出てきたという。
例 先住民(ネイティヴ)の歴史、オーストラリア「歴史戦争」
3.ウルフは、国民的な「記憶の文化」、「共有の記憶」としての歴史の登場に注目。(1)これは過去への客観的な態度ではなく、過去に直接、感情的につながる歴史だとされる。
(2)批判:あらゆる国民が強い国民的記憶を持っているとは限らない。
ウルフは、記憶と歴史との関係は曖昧なのだという。
(3)しかし、ウルフは、現代のオーラル・ヒストリーは昔のものとは違うという。
それはポストモダンを踏まえた「最上の実物」を提供しうるのだと。
ただ、生存者がいなくなった時にどうするかという問題があるとウルフは言う。
第6章の終わりに
ウルフは、少数の歴史家しか歴史を考えない時代が長く続いたが、今やその終わりにあると言う。そして、これは歴史の終焉なのかと問う。
***
第7章 私たちはどこへ行くのか
ウルフは、ここで現代の歴史の状態をどう見るかを示している。
(A)細分化―多様化・専門化が進んでいる。
これまでにもこういう時には誰かが「統合」をしてきた。ランケなど
しかし、細分化にも意味がある。:新たな主題、見方、活性化を生むという。
(B)「社会性」の欠如
ウルフは、現代の歴史は、権力に対して真実を語るということをしない。未来を予測しようとしないという。だが、「パブリック・ヒストリー」はこうした不安をある程度緩和するのだという。
ただ、ウルフは、「社会性」の欠如を批判したが、考えてみれば、歴史は教育的存在であるか否か、善をなすものであるか否か、これには一致した答えはないのだと言う。
(C)「還元主義」
現代の歴史は過去の人物の糾弾をしなくなっている。ヒトラーやスターリンなど
ウルフによると、その理由は「還元主義」である。つまり、歴史は個別的な「事実(これは議論の対象にならない)に還元可能であり、それら「事実」の解釈は修正されるべきでも、問われるべきでもないという考えである。つまり、歴史を日付、年代などに単純化してしまうのである。
(D)インターネットと歴史
ウルフによれば、SNSは、根拠の乏しい歴史的議論をしている。人々に受けるような議論をしている。
だがインターネットは歴史に大きな恩恵を与えてもいる。例えば、大きな国際プロジェクトを可能にし、史料にアクセスしやすくし、Big Dataを使えるようにしている。
M) ウルフはまだ生成AIの問題には直面していない。
(E)統合形態
現代の歴史では、惑星全体の過去をとらえ直す試みが進んでいる。
1.グローバル・ヒストリー
(1)1960-70年代の「世界史」の波を踏まえて、ここ20年程の間に登場。
―マクニール、ウオーラーステイン等
M) 江口朴朗氏らの「世界史」はどういう位置になるのだろうか。
(2)グローバル・ヒストリーはポストコロニアリズムの影響を受けていて、ヨーロッパの「周辺化」を目指し、異なる「近代化」を提起している。
(3)グローバル・ヒストリーの「修正」の動き
―サバルタン、P.マニング、ル・ゴフ(時代区分)、コンラート(「接触」批判)
2.ビッグ・ヒストリー D.クリスチャン
(1)「人新生」(人類が惑星に有害な影響を与える時代)の概念を提起
(2)文字の意義を相対化
(3)昔の「普遍史」が文字どおり宇宙的になる。
(4)「トランスナショナル史」「絡み合った歴史」を生み出し、「比較」を超えようとする。→古代の「シンプローケ」(内在的連関)に通底
(5)ウルフによると、グローバル・ヒストリーは、「過去を見るための少し広い窓」にすぎない。だが、「目下の深刻な政治的不安定と、起こり得る環境的災厄を前にして」「我々が共有しているものを認識する」という目的に役立つかもしれない。
M) ビッグ・ヒストリーには自然科学、人文科学の相互協力が必要であることを見ているのだろうか。
***
本書のおわりに、ウルフはこう言っている。
(1)啓蒙主義以降のヨーロッパとその出先における特殊な形の歴史観が、他の諸文化においてしっかりと根を張っていた別のタイプの歴史観に、しだいに取って代わっていったが、「この過程は、・・・多くの場合、植民地という形での政治的従属を伴い、そうでない場合には、土着の社会改革家やリベラルな政治家が、西洋に比して遅れているとみなした土着の文明を「近代化」する手段として、改良された歴史学を受容しようという願望を伴った」。
(2)「当然、西洋の歴史観はそれ自体、歴史観の上での「他者」との関わり合いによって深く影響を受けた。だが、それはそうしたオルタナティヴを受け容れたからというよりも(ほぼすべての場合には受け容れられなかった)、「他者」の歴史観に対する理解と批判の結果、何が過去に対する西洋のアプローチの特徴であるのか、なぜそれが優位な立場を要求しえるかについて、一定の自覚を抱かせしめたからである」。
M)つまり西洋の歴史は、「他者」の歴史に影響は受けたが、他者の歴史を受け容れたわけではなく、むしろ自覚を高めたのだと言っている。非ヨーロッパでの歴史の考え方との関係で、ヨーロッパのそれも修正されつつ発展したというのであろう。
(3)「過去六〇年間に世界中で文字どおりの脱植民地化の過程が進んだとすれば、それに並行して歴史学上の脱植民地化の過程、つまり西洋近代の方法論やモデルからの解放の過程も始まった」。
(4)現在「アカデミックな歴史家たちは、・・・ポストモダン的状況の中に堅固に留め置かれている。すなわち過去についてもまた新たな大ナラティヴに対しても懐疑的であり、実際、ますます小さな区別や限定や反例を通じて、一般化に対して反射的に抵抗することが多い。これは大部分の読者が抱く期待とは対立するもので、大部分の読者はいつも両義的であったり傍観者的であったりする態度には我慢がならなくなっている」。
M) 歴史学は一般社会の要求とかけ離れているというのである。
では、歴史には未来は無いのか。ウルフは、歴史の未来への希望はあるという。その根拠は、
① 歴史分野のグローバリゼーションが進んでいること
ウルフは、グローバル・ヒストリーは、諸文明を同等に評価すべきと主張しているのだと言う。
M)これはランケの流れだとウルフは言うが、それよりも、ヘルダーではないか。
② 歴史が社会的に幅広い人気を維持していること
ウルフは、アカデミックな歴史は特権的地位を失ったが、一般大衆の歴史への関心が、今ほどはっきりしている時代はないという。
この②の人びとの歴史への関心について、ウルフはさらに述べていて、現代世界においては、「ほとんど本能的とも言える過去への興味関心が存在する。」という。われわれは現代のすべての問題を「歴史化」しようとする。つまり、その起源やそこに潜む危険などを理解しようとする。だから、一般向けの歴史書はまったく減少していない。歴史は現代の諸問題の起源について、便利な素材を提供しているのであるとする。
ただし、これらの議論が魅力を持つのは、読者の側に、基礎的なリテラシーがあると想定してのことであるとウルフは言う。
最後に、ウルフは、一つの「反事実的」思考を提示して終えている。
もしヨーロッパが世界に覇権を唱えなかったならば、「司馬遷やその後継者によって実践されたような類いの歴史が」世界的に広がっていたのではないか。
2. プレゼン 小谷汪之
(ハンドアウト)
1 『「歴史」の世界史』の「袖書き」
「本書は、ヨーロッパで発達した歴史の考え方、叙述の方法(『歴史』)が、非ヨーロッパに拡大し、そこでの土着の歴史と遭遇したとき、どのような変化が生まれるのか、この相互の『歴史』の『連動』関係を丹念に追う」。
2 『「歴史」の世界史』からの抜粋
抜粋1(382-384頁)
西洋の脱中心化―ポストコロニアリズム
ポストモダンの事業は、同時代の知的運動であるポストコロニアルの研究と重なり、かつ交錯してきた。両者は同一のものではなく、異なる起源と課題(狙い・意図・アジェンダ)を持つが、しかしどちらにも共通するいくつかの特徴がある。ポストモダンと同じく、ポストコロニアリズムも広範な意味を含む用語であり、インドの「サバルタン・スタディーズ」(これは初期にはむしろE・P・ トムソンの「下からの歴史」に対する南アジアの応答であった)やパレスチナの学者エドワード・サイード(一九三五~二〇〇三年)の「オリエンタリズム」批判を含んでいる。中国学者プラセンジット・ドゥアラ(一九五〇年生)が述べたように、ポストコロニアリズムは一つの理論であるというよりは、むしろ自分自身の中の「他者」に対する批判である。この「他者」は、しばしば広汎な「ポスト啓蒙主義」の諸課題として定義され、理性や、進歩や、西洋の文化的・経済的支配の留め難い増大や、国民国家の安定性という虚偽の観念によって特徴づけられるものである。フランツ・ファノン(一九二五~六一年)やC・L・R・ジェームス(一九〇一~八九年)のようなカリブ海の著述家たちによって一九世紀中頃にすでに先取りされていたポストコロニアリズムは、今やサイード(彼の一九七八年の著書『オリエンタリズム』は一つの重要文献である)や、多数の傑出したインド生まれの著述家たち(彼らの多くは歴史以外の分野に属している)に関連付けられることが多い。後者には例えば文学批評家ホミ・K・バーバ(一九四九年生)やガヤトリ・チャクラバルティ・スピヴァク(一九四二年生)、政治学者パルタ・チャタジー(一九四七年生)、そして心理学者で社会批評家のアシス・ナンディー(一九三七年生)らがいる。
批判の道具としてのポストコロニアリズムは、インドや中東の研究において最も広汎に動員されてきており、以下の諸点でポストモダンと重なり合っている。すなわち、両者は、既存の大ナラティヴ(とりわけ植民地権力ないし現地におけるその同盟者によって創造され押しつけられた)を不安定化させたり、転覆したり、脱中心化したりして、それを在地のもの、以前は周縁化されていたものに代えることPostcolonialism as a critical tool has been deployed most widely in Indian or Middle Eastern studies, and has overlapped with postmodernism in having the common goal of destabilizing, subverting or de-centring existing master-narratives (………) in favour of the local and previously marginalized、またテキストや文書を「織り目に逆らって」読み、それが言っていることと同じくらいにそれが言っていないことを見つけ出すことを、共通の目的としているのである。ポストコロニアリズムは、インドのようなかつての植民地に関する研究の視線を、帝国支配者やインドにおけるその後継者たる政治エリートから、従属的立場にある大衆へと向けさせた。ラナジット・グハ(一九二二年生)によって創設されたインドの歴史学のひとつの「学派」であるサバルタン・スタディーズ・グループは、後者の潮流の傑出した一事例であり、独立以前の歴史叙述に対して批判的であるだけでなく、一九四七年以降の歴史の書き換えに対しても批判的であった。彼らによれば四七年以降の歴史叙述も、単に役割を裏返したまま歴史を書いているのであり、在地の政治的エリートに焦点を当てて、人口の十分の九を除外しているのである。サバルタン研究のアジェンダにおいては、従属的で声を発しない人々、在地や地域のものが、国民的なものよりも優先される。この意味での「サバルタン」はアントニオ・グラムシから取られた用語である(=サバルタンは従属的社会集団と訳されることがある)。この集団に関連のある文学理論家の中でもスピヴァクは(彼女はデリダの翻訳もしていて、ポストモダニストとの結節点にもなっている)、サバルタン的アプローチをフェミニスト的主題にも拡大して用いている。近年では、社会史家のスミット・サルカール(一九三九年生)のような一部の古参サバルタン研究者は、この運動がしだいにラディカルになり、ポストモダンと関連を持ってきたことを嫌っている。しかし他の多くの人たちは、マルクス主義的な分析の範疇に背を向けて、植民地主義の言語を脱構築するというポストモダン的関心へと向かっていっている。ある場合には、彼らは西洋の歴史観そのものを、帝国的支配の道具であり、啓蒙主義の進歩観の産物であり、そしてインドの(そして拡張すればその他の旧植民地の)真の意味での過去観に対して「ヘゲモニーなき支配」を可能にするものであるとして拒絶している。真の意味での過去は、一見不可避的に国家へ向かって歩を進めていくヘーゲル的な物語から解放されねばならないのであるIn some cases, they reject Western historicity itself as a tool of imperial control, born of the Enlightenment’s progressivist agenda, and enabling a ‘dominance without hegemony’ over India’s (and, by extension, other colonized countries’) true sense of the past, a sense that must be liberated from the seemingly inevitable Hegelian story of progress to nationhood.
抜粋2(431-432頁)
このことは、学術誌の論考や学識者の会合でしばしば発せられる一つの問いを引き起こす。すなわち、歴史の未来はどのようなものでありうるかという問いである。本書で描いてきたことは、三千年間にわたる過程を通じて、過去を取りもどし表象するための組織的アプローチとしての歴史が、いかに現代世界の教育と文化の主要な一側面へと徐々に発展してきたかということ、またこの三千年間を通じて、啓蒙主義以降のヨーロッパとその出先における特殊な形の歴史観が、東アジアやイスラーム世界、そして本書で言及されていない他の諸文化においてしっかりと根を張っていた別のタイプの歴史観に、次第に取って代わっていったのかということであった。この過程は、それと並行してヨーロッパが世界の他の地域のより広い文化的機構を「征服」していった過程と明白にリンクしており、多くの場合、植民地という形での政治的従属を伴い、そうでない場合には、土着の社会改革家やリベラルな政治家が、西洋に比して遅れているとみなした土着の文明を「近代化」する手段として、改良された歴史学を受容しようという願望を伴った。「近代的」歴史(あるいは一九世紀的な自信を込めて用いられた語彙を使えば「科学的」歴史)の支配において、二つの鍵となる時期があったが、それが両方とも野心的な帝国的膨張の時代と重なっているのは偶然ではない。それは、一六~一七世紀の最初の波と、一九~二〇世紀初頭の第二波であった。そして当然、西洋の歴史観はそれ自体、歴史観の上での「他者」との関わり合いによって深く影響を受けた。だが、それはそうしたオルタナティヴを受け容れたからというよりも(ほぼ全ての場合には受け容れられなかったin nearly every case it did not)、「他者」の歴史観に対する理解と批判の結果、何が過去に対する西洋のアプローチの特徴であるか、なぜそれが優位な立場を要求し得るかについて、一定の自覚を抱かせしめたからである――少なくともヨーロッパ人や、アジアや植民地のその信奉者たちの心の中において――。そして最後に当然のことながら、一九世紀において西洋の歴史観が一見したところ世界的に勝利したように見えた瞬間というのは、この物語の「長期持続」の中ではほんの一瞬のことに過ぎないのであり、過去についての知識を歴史が帝国的に支配するのだという主張は、二〇世紀の間に、文字通りの意味での諸帝国がそうであったのと同じように、内的な不一致や反抗や分離や民主化に曝されてしまっていた。
(報告)
この『「歴史」の世界史』の全体的な点は、南塚さんがコメントされるだろうと思いましたので、私は、一点に限って扱ってみたいと思います。私の疑問の出発点は、『「歴史」の世界史』の袖書きにありました。これは南塚さんの意見をもとに、編集者の岡崎さんが書かれた文章だと思います。ここには、「本書は、ヨーロッパで発達した歴史の考え方、叙述の方法(『歴史』)が、非ヨーロッパに拡大し、そこでの土着の歴史と遭遇したとき、どのような変化が生まれるのか、この相互の『歴史』の『連動』関係を丹念に追う」と記されています。本当にこれが達成されていれば、本書は素晴らしい本になろうと思います。ただ全体を読んだ時、本当にこのように読めるだろうかという点が、私の持った疑問の出発点です。「非ヨーロッパ」の土着の「歴史」とヨーロッパの「歴史」が遭遇した時、お互いにいわばアウフヘーベンし合うような変化が生まれるということが、本当にあっただろうか。この点に私は疑問を感じました。前掲・ハンドアウトの「抜粋1」をご覧頂ければと思います。「西洋の脱中心化――ポストコロニアリズム」という部分です。私自身は、ポストモダンにはあまり関心がありませんが、ポストコロニアリズムには強い関心を持っています。これは私がアジア史研究者であることからくるものだと思います。本書では、ポストコロニアリズムについて、最初にサイードやサバルタン・スタディーズが取りあげられていますが、その次には中国学者プラセンジット・ドゥアラという人の所説が出てきます。彼は「ポストコロニアリズムは一つの理論であるというよりは、むしろ自分自身の中の『他者』に対する批判である」と言っています。これはその通りだと思います。この「他者」は、「『ポスト啓蒙主義』の諸課題として定義され、理性や、進歩や、西洋の文化的・経済的支配の留め難い増大や、国民国家の安定性という虚偽の観念によって特徴づけられる」とされています。こうした虚偽の観念としての「他者」が自分の中に巣食っているというわけです。ポストコロニアリズムの本来の含意は、植民地支配(コロニアリズム)のもとで形作られた自分の中の「他者」を、政治的独立の後にもなお排除できないという点だろうと思います。そう言った意味ではドゥアラの言うことは正しいと思います。
次に、その後の下線を引いた部分に注目して下さい。本書の著者は、「批判の道具としてのポストコロニアリズムは、インドや中東の研究において最も広汎に動員されてきており、以下の諸点でポストモダンと重なり合っている。すなわち、両者は、既存の大ナラティヴ(とりわけ植民地権力ないし現地におけるその同盟者によって創造され押しつけられた)を不安定化させたり、転覆したり、脱中心化したりして、それを在地のもの、以前は周縁化されていたものに代えることを、共通の目的としているのである」としています。ここで、「それ〔西洋近代的なもの〕を在地のもの、以前は周縁化されていたものに代える」ということですが、この点を、具体的に考えた場合、どういったことになるのでしょう。例えば、1996年に、日本で、「新しい歴史教科書をつくる会」というのが藤岡信勝や西尾幹二らによって結成されました。これは、ポストモダンの影響により西洋近代的な思想の自明性が揺らぎ始め、脱中心化されつつあるという状況の中で、それに乗じて新たに動き出したものだと思います。戦後日本においてローカル化され、マージナライズされてきた、戦前的なもの、皇国史観的なものの復活のような面が非常に強いものです。問題はこうしたものを評価できるのだろうかということです。私自身は、こうしたものを評価してしまってはいけないと思います。こうした点は他地域にもあります。インドにおける歴史教科書問題という長く続く抗争もそのような例です。西洋近代思想の自明性が揺らいだ時に、その隙に出てくるこうした動きに対しては、最も注意深く対処しなければいけないと思います。本書の著者が、「既存の大ナラティヴ(……)を不安定化させたり、転覆したり、脱中心化したりして、それを在地のもの、以前は周縁化されていたものに代える」という営みを肯定的に評価したいのであれば、その具体的な例として、「新しい歴史教科書をつくる会」などとは異なる、もっと積極的な意味のある例を示して欲しかったと思います。少なくとも私の知る限り、そういった例は今までなかったと思います。
もう一つの疑問点は「抜粋1」の次の下線の所です。「ある場合には、彼ら〔ポストコロニアリズムの立場に立つ人たち〕は西洋の歴史観そのものを、帝国的支配の道具、であり、啓蒙主義の進歩観の産物であり、そしてインドの(そして拡張すればその他の旧植民地の)真の意味での過去観に対して『ヘゲモニーなき支配』を可能にするものであるとして拒絶している。真の意味での過去は、一見不可避的に国家へ向かって歩を進めていくヘーゲル的な物語から解放されねばならないのである」という部分です。ここにも引っ掛かりました。「インドの真の意味での過去」とは何でしょう。「India’s (……) true sense of the past」ですから、過去に対するインドの本当のsenseということでしょうか。何を言いたいのかが私にはよく分かりません。インドの人が皆同じようなtrue senseを持つとも思えません。なぜここに、trueという言葉が出てくるのかも理解できないところです。そう簡単にtrueと言えるものではないでしょう。ここでも、India’s true sense of the pastが、具体的には何を意味しているのかを書いてくれているとより理解できたと思います。
前掲・ハンドアウトの「抜粋2」に関しては、本書の最後のところですが、南塚さんも言及されました。最後の下線部を見て頂ければと思います。「そして当然、西洋の歴史観はそれ自体、歴史観の上での『他者』との関わり合いによって深く影響を受けた」と書かれています。これも具体的に、何からどういった深い影響を受けたのかが記述されていないと、本当だろうかという疑問を持たざるをえません。続いて、「だが、それはそうしたオルタナティヴ〔『他者』の歴史観〕を受け容れたからというよりも(ほぼ全ての場合には受け容れられなかった)、『他者』の歴史観に対する理解と批判の結果、何が過去に対する西洋のアプローチの特徴であるか、なぜそれが優位な立場を要求し得るかについて、一定の自覚を抱かせしめたからである――少なくともヨーロッパ人や、アジアや植民地のその信奉者たちの心の中において――」とあります。ここでも具体例が入っていると分かりやすいと思います。それがないと、一体何を念頭に置いているのかが理解しにくいのです。
抜粋1と抜粋2をあわせて考えると、袖書きにいう非ヨーロッパの土着の「歴史」と西洋の「歴史」が遭遇した時、どのような変化が生まれ、その相互の「歴史」がどのように「連動」したのかという点ですが、本書を通してそこまで本当に理解できるのだろうかいう疑問を感じました。
3. コメント 木畑洋一
(ハンドアウト)
1 第5章までについて
*ヨーロッパの歴史叙述を相対化していこうとする姿勢
*第3章で、「新世界」との遭遇に力点が置かれる
*女性への着目(たとえば、190ff、303ff)
*通常こうした史学史で重視されることがないニーチェの強調(276ff)
2 第6章について
*アナールの影響力の強調…「全体史」をどう見るか
…二宮宏之『全体を見る眼と歴史学』(1986)など日本での影響力の問題
*歴史と社会科学…ここでマルクス主義について言及しないことの意味
「下からの歴史」の項目でのみマルクス主義を扱うことは部分的
*独裁体制と権威主義体制のもとでの歴史…この項目を立てていることの意味大
中国についての記述の評価を久保さんにうかがいたかった!
フィッシャー論争や歴史家論争はここで扱うべき対象か?
*下からの歴史…家永教科書裁判問題を扱っていること、米国での「左翼の歴史」を紹介していることは大きなメリット
*インテレクチュアル・ヒストリー/心理学…最近の「感情史」への流れ
*女性史/ジェンダー/セクシュアリティ…上述のように本書のメリット(と私は思うものの、フェミニスト歴史家たちはどう評価?)
井上清の他は神近市子だけなのは、やはり日本の状況の紹介不足?
*戦後アフリカの歴史叙述…この項目も大きなメリット
*言語論的転回とポストモダン…こうした動きの影響力は世界の各地で異なったのでは?少なくとも日本では歴史研究の実践上、大きな影響力があったとは思えないが。
*ポストコロニアリズム…先駆者としてのガンディーの位置づけ
*歴史戦争、修正主義、そして「記憶」と「歴史」との疑わしい関係…この項目に最も大きなスペースをとっていることは、著者のスタンスをよく示し、共感。
被征服者や周縁の民の語られずにきた歴史をめぐる「認識論的暴力」問題の重要性
オーラル・ヒストリーについては、ここでの文脈のなかで扱う他に、それ自体、方法論としてより強調されるべきか?
3 第7章について…分かりやすい小見出しにするとすれば
細分化批判への懐疑 / 社会性欠如という非難をめぐる留保 / 単純な「事実」への還元主義と歴史的人物の顕彰問題 / インターネットの功罪 / 歴史の総合の試みとしての世界史の波 / グローバル・ヒストリーからビッグ・ヒストリーまで
4 第7章最後の結び部分について
*歴史の未来の可能性につながる2点…歴史分野の国際化は首肯できるとして、幅広い人気の方は著者のように無条件に肯定できるか?
(報告)
私からは、全体を見て気づいた点に簡単に触れさせて頂きます。対象となるのは、第6章と第7章ですが、第5章までのところをざっと読むと、基本的には本書全体の性格になりますが、ヨーロッパの歴史叙述を相対化していこうという姿勢が非常に強くあることが見て取れます。ヨーロッパの側から出た史学史の本として、評価すべきだろうと思います。例えば第3章では、「新世界」との遭遇をめぐる歴史叙述の問題に非常に力点が置かれています。また全体として、女性のファクターが各所で強調されており、これも印象に残った点です。また、どういった人物が取り上げられているのかに関しても、古今東西のさまざまな人物が取り上げられていますが、例えばニーチェの議論が強調されています。この点なども、こうしたテーマの議論の中ではユニークなのではないかと感じました。
第6章、第7章ですが、第6章の方を節の見出しごとに少し詳しく見ていきます。最初はアナールの影響力から始まっています。まずヨーロッパに着目した時にアナールの影響力を強調する点は、頷ける点です。ただ、どういった点を強調するかは問題になると思います。日本の場合だと、アナールの影響はいろいろあると思われますが、やはり一番重要であったのは、「全体史」に対する問題提起ではなかったかと思います。
歴史と社会科学のところでは、マルクス主義の位置付けが少し気になります。ここではマルクス主義に言及がなされていません。マルクス主義に関しては、「下からの歴史」の項目で触れられていますが、マルクス主義の世界各地の歴史研究への影響力から見て、この項目の中で位置付けがあって然るべきであろうと思います。
次に独裁体制と権威主義体制のもとでの歴史という項目が置かれています。こうした形で項目が立てられていることの意味は大きいと思います。ただここでかなり詳しく扱われているのは中国、特に大躍進から文革の時代です。この辺りの議論をどう見るのかは、久保亨さんに伺いたかった点です。またここで、フィッシャー論争やドイツの歴史家論争が扱われているのですが、ここで扱うべき問題なのかは疑問に感じます。むしろ、歴史戦争の文脈で扱うべき問題なのではないかと思います。
下からの歴史という項目が設けられているのも面白い点です。家永裁判問題が扱われていること、アメリカでの「左翼の歴史」に力点を置いていることは良い点だと思います。
次がインテレクチュアル・ヒストリーということで、心理学の話が出てきます。この本では扱われませんが、最近の流れとしては感情史があり、それにつながる位置付けも十分可能だろうと思います。
次に女性史/ジェンダー/セクシュアリティが扱われます。この問題は第5章までの部分でも扱われています。これは本書のメリットだと私は思っていますが、フェミニスト歴史家たちが本書をどう評価するのかという点は、また問題になるのかと思います。日本に関しても扱われています。井上清が扱われている点は納得できますが、その他には神近市子だけが言及されています。著者は基本的に世界各地の歴史学の状況をさまざまな材料をもとに見ていますが、どうしても限界があるのではないかと感じます。日本の状況についても紹介不足があるのではないかと思います。これは日本側からの発信がどうであったかという問題とも関わるかもしれません。ただし例えば、高群逸枝に関しては、英語やドイツ語でも多くの紹介があります。そうしたことを考えれば、もう少し広くカバーできたのではないかという気がしました。
一方、戦後アフリカの歴史叙述に関しては、詳しく扱われています。こうした形でアフリカの歴史叙述が扱われている点も、私は大きなメリットだと思います。
ポストモダンに関しては、言語論的転回などが扱われます。ただポストモダンを扱う際には、それがどのように世界各地の歴史研究に影響を与えたのかという点は、もう少し議論があっても良いのではないかという気がします。結局はポストモダンが力を持ったのは、先進国の国内であったのではないかと思いますし、日本でも、一つの歴史議論としてはいろいろに議論されますが、それが歴史研究の実践上どれほど大きな影響力を持ったのかという点は、議論の対象になろうかと思います。他の地域でもこうした点に関する議論ができるだろうと思います。
ポストコロニアリズムに関しては、ガンディーが先駆者として位置づけられています。どのようにしてその位置付けが可能となるのかは気になった点です。
最後のところで、歴史戦争、修正主義、そして「記憶」と「歴史」との疑わしい関係として項目を立て、ここに最大の紙幅を割いています。これは著者のスタンスをよく示すもので、共感を覚えて読みました。実際に、被征服者や周縁の民の語られずにきた歴史をめぐる「認識論的な暴力」ということが議論されている点も重要で、なるほどと思わされました。ただ、その流れの中でオーラル・ヒストリーについて出てきます。マルクス主義の扱いに関してもそうなのですが、オーラル・ヒストリーもそれ自体、方法論の問題として強調されることができたのではないかと思います。
第7章に関しては、小見出しを見ただけではわからないところがあり、自分なりに分かりやすい小見出しを作るとどうなるかを考えてみました。南塚さんからも指摘がありましたが、特に「還元主義」のところは、私にもよく分からないところがありました。これを小見出しとしてある程度わかる形にするならば、「単純な事実への『還元主義』と歴史的人物の顕彰問題」となるでしょうか。こういった形になっていれば、もう少しわかりやすかったかと思います。
第7章の最後の結びの部分で、これからの方向性に関して述べられています。一つ気になるのは、「歴史の未来の可能性につながる2点」です。2点として挙がっているうち、歴史分野のグローバル化・国際化についてはある程度首肯できますし、本書自体がそうした性質のものだろうと思います。もう一つは歴史が幅広い人気を博しているという点で、著者はその見方をかなり肯定的に捉えていますが、この点には疑問を感じます。私たちが書いた『歴史はなぜ必要なのか』は、副題に「脱歴史時代」と入っていますが、「脱歴史時代」をどのようなものとして見るかという問題でもあります。歴史が人気があるからといって、それが歴史学の未来につながるのだろうかという点です。この点について、本書は無批判的なのではなかろうかと思います。
4. コメント 藤田進
本書の内容から、そして皆さんの発言を聞いていて思った点は、著者は「世界史」について語ってはいますが一面的ではないかということです。私が「一面的」というのは、「下から」の視点が強調されていながら「下から」は見ていないのではないかと感じるからです。本書では扱われない「民衆」、「人民」、あるいは「階級」という言葉にもとづく歴史の流れ、言ってみれば「人民革命」につながるようなジャンルに著者の目があまり届いていないのではないかということです。
例えば、本書の索引中にマルクス、レーニン、あるいは第三世界についてならばナセル、冷戦期アジア・アフリカ非同盟中立主義のバンドン会議等々、その時々の「人民の歴史」に大きく関わった人物・事柄の項目がほとんど見当たりません。このことから、「歴史」が一部の歴史家の営みの中にあり、歴史が扱うべき人々の九割部分について語ってこなかったという歴史叙述や歴史学理論・方法上の欠陥を本書も引きずっていると感じました。
私が無国籍難民のパレスチナ人の歴史を重視する立場にあるせいかもしれませんが、本書における世界史の構想や展開の仕方では、圧倒的に多数の人々の現実やそこに孕まれているさまざまな問題が抜け落ちてしまうのではないかと感じます。
「今、歴史は人気がある」と言われていますが、一方で歴史書が売れないという現実があります。多くの民衆にとって、「歴史」とは何なのでしょうか。本書で問われているような歴史学の役割や有用性が、人々にはほとんど受け止められていないのは大きな問題だと思います。本書には、第三世界、特にイスラム世界についての言及が多くありますが、具体的な歴史上のタームとしての重要性にとどまっており、それらを深めて行くと世界史的にはどうなるのかというところまでは、歴史的関心・認識が十分届いていないのです。こうした現状のまま歴史の新しい展開を求めても、多くの人々は歴史に目を向けないのではないかと思います。
一方でポピュリズム的歴史理解の方向に人々が持っていかれています。そうした憂慮すべき現状打開に向けて歴史叙述の手は届いているのでしょうか。
かつてヨーロッパの抑圧権力側が社会主義を装った「愚者の社会主義」を打ち立てて民衆を反動側に組織するという企てがなされました。人類史の成果たる社会主義が歪曲されるとともにグローバル自由資本主義がまかり通っている今日、そうした世界の現実を批判しうる世界史であらねばならない。私は本書を前にして、そうした思いを新たにしました。
5. コメント 油井大三郎
I 本書の意義・・・ほぼ世界各地の古代から現代までの史学史の網羅的な書で、その博覧強記ぶりには驚く。また、その翻訳作業は極めて労苦の多いものだっただろうと拝察。
II 本書の問題点
1 前近代における叙事詩的な歴史記述と近代以降の実証的な歴史記述を連続的にとらえている印象が強いが、中世の歴史記述には史料批判が欠如(p.100)との指摘もあるように、時代的な変化ももっと掘り下げた方がよい印象をもった。
2 西洋的な歴史記述と非西洋的な歴史記述の関連や比較が本書の魅力の一つだが、比較にあたっても、時代や社会構造の差などが考慮外に置かれている印象が残る、例.P.222に司馬光の『資治通鑑』が「啓蒙絶対君主のために書かれたヨーロッパの多くの歴史に匹敵」との指摘があるが、11世紀の宋時代の歴史書がヨーロッパの絶対君主時代の歴史書と類似していると考えるのであれば、その根拠を明示すべきだったのではないだろうか。
3 西洋帝国主義の植民地支配と西洋流の歴史認識との関係について・・・「東アジアの改革者の側にヨーロッパのやり方を受け容れようとする意志」があった(p.281)と指摘して、被植民地側が西洋文明の「先進性」を認めることで、植民地支配を受け容れたような記述が多くみられる。それは一面事実だっただろうが、同時に植民地支配が暴力的に西洋文明を押し付けた面の記述が少なすぎる印象をうけた。
4 グローバル・ヒストリーに関連して、著者は、非ヨーロッパ諸国の歴史記述の復権をも意図して本書を書いたのであろうから、当然、ケネス・ポメランツ『大分岐』2000年への言及があってしかるべきと考える。何故なら、ポメランツは、西欧の産業革命以前のアジアの豊かさや自立性を強調しているからである。また、グローバル・ヒストリーの台頭におけるポメランツの影響力の大きさからしても、本書にポメランツの言及がないのは疑問となる。
5 ポストモダンとポストコロニアリズムの関係について・・・本書では両者を双子のように関連深いものとして扱っている。しかし、ポストモダンは、1968年の5月革命などを「挫折」と把握した西欧知識人が、反啓蒙・反進歩を主張し、マルクス主義などの「大きな物語」を否定する思想を展開した。それに対して、ポストコロニアリズムは、第三世界出身の知識人が植民地の独立以降も、西洋では植民地支配の思想的残滓があるとして批判したもので、帝国主義や植民地主義という「大きな物語」を問題にする点で、ポストモダンの思想とは大きく異なる面がある。著者のこの点への言及がない点に疑問が残った。
6 以上、本書に関わる疑問点を列記したが、世界各地の古代から現代までの歴史家や歴史書を史学史的に述べた類書はないので、歴史記述や歴史学方法論を全時代的や全地域的に考察する際には、必読の文献となることは間違いない。訳者のご苦労に敬意を表する。
6. コメント 佐藤育子
私は古代史を専門にしています。第6章、第7章は、私が普段扱っている時代からははるかに後の時代です。個人的な話ですが、読ませて頂きながら、丁度学部から大学院に上がる頃に、「史学史」という授業でいろいろな文献や書物を扱う中で目にした名前に、ここで再び触れることができました。思い出しながら、勉強させて頂きました。
今までに挙がったさまざまな論点は、私自身まだ消化はできていないのですが、これだけ多くの歴史家が登場する中で、木畑先生が言及された高群逸枝の名前が挙がっていないというのは、日本の事情に関して調べきれていないということかと思いました。高群の『大日本女性史』は、学部のゼミか何かで読んだことがあります。
少し古代史に関してお話ししたいと思います。私が今回この場にいるのは、本書の21ページに私の名前を南塚先生が言及してくださったからだと思います。先生には、ディブレー・ハッヤーミームについて質問を頂きました。これは、旧約聖書の「歴代誌」のことです。直訳ですと「日々のできごと」という意味になるかと思います。年代記のようなものです。急にヘブライ語が出てきたということで、私に声をかけてくださったものと思っています。
第1章に関しては、「歴史叙述がどういうきっかけで生まれるのか」に関心を持ちました。古代ギリシアと古代ローマに関するところです。古代ギリシアでは例えば同時代の歴史家とその叙述として、ヘロドトスと紀元前5世紀前半のペルシア戦争、トゥキュディデスと紀元前5世紀後半のペロポネソス戦争が挙げられます。本書でも、ヘロドトスとトゥキュディデスから始まっています。一方の古代ローマに関しては、同時代の歴史、紀元前3世紀以前の同時代の歴史叙述が存在しません。ローマ文学の黄金期である紀元前後は、共和政から帝政に転換する国家再編の時期でした。その時に、自らのオリジン、自分たちはどこから来たのか、自分たちは何者であるのかというのが彼らの知りたいところだったのだと思います。ここで、リウィウスやウェルギリウスといった人々が登場します。「歴史叙述がいつ生まれるか」ということが、古代史の場合、特にギリシアとローマの違いです。
私が専門にしているフェニキア・カルタゴ史に関しては、彼ら自身によって書かれた文献史料は存在しません。つまり、残っているものは、他者が見た彼らに対する理解であるわけです。本書に言及されるヨセフスとポリュビオスは、最終的にローマの庇護のもとに史料を残しますが、この二人がいなければ、フェニキア人の歴史もカルタゴの歴史もわかりませんでした。特にポリュビオスが扱った第一次ポエニ戦争は完本の形で残っており、このポエニ戦争に関する記述がなければ、ポエニ戦争のことも調べることができません。ヨセフスは、ローマの庇護を受けて、壮大なユダヤ民族の歴史である『ユダヤ古代史』を書き記しました。その中でユダヤ民族の古さを持ち出すために、フェニキアの歴史、特にテュロスの年代記に関しても言及しています。この二人なしには、フェニキアの歴史は文献史料からはアプローチできないわけです。そんなことを考えながら読ませて頂きました。歴史叙述がいつ生まれるかということ、そしてそれはさらに遡れば神話と言っていいのかもしれませんが、日本でも例えば、日本書紀や古事記が生まれたのは、ちょうど国家が成熟していった成り立ちの時であり、そこに自分たちのオリジンを求める動きがあったということです。非常に似ているところがあると思いました。
7. コメント 小山田紀子
ここでは、私の研究分野の紹介をさせていただくことで、本書のコメントに代えさせていただきたいと思います。昨年、8年間かかって『植民地化・脱植民地化の比較史』という本を藤原書店から出版しました(2023年)。私が専門としているフランスとアルジェリアの植民地関係と、日本と朝鮮半島の関係を比較するというものです。現在、フランス語版の翻訳を進めています。日本語版の装丁が綺麗にできています。表紙の上は朝鮮の1945年の解放の写真、下は1962年のアルジェリア独立時、総督府の前で人々が喜んでいるものです。裏表紙には綺麗なアーモンドの花の咲く山の写真を載せました。これはプロジェクト参加者のアルジェ大学の先生が新年に年賀状としてくださったものです。花が綺麗だったからというわけではなく、部族が大虐殺された、まさにその場所の写真だということです。私が後で調べてそういった事情がわかり、裏に載せました。
共同研究のメンバーは、日本側が10人、フランス・アルジェリア側が4人で、私が新潟国際情報大学の共同研究として提案して始めたものでした。「植民地責任論」を扱った永原陽子氏の研究に続く具体的な例として進めたものです。南塚先生にも木畑先生にも高く評価して頂きました。中身は、今日のウルフの著書の内容の話と比べれば、入り口の部分ではあります。なかなか具体的な比較はできていないのですが、このような国際学術交流で、日朝関係とフランス・アルジェリア関係を比較するのは初めてだろうと思います。
この共同研究にもつながるのですが、私は学部の卒論から続くテーマとして、対仏独立戦争におけるフランス軍の住民強制移住政策をずっと研究しています。修士課程では南フランスのエクサンプロヴァンス大学に留学しましたが、ここは植民地研究のメッカです。同じところに何十年も経ってからサバティカルで滞在しました(2018-19年)。現地の人々とも交流して、共同研究を組織することができました。ただこれから皆で議論を進めていく段階です。
もともとの私の研究から見ると、ウルフによる本書やこの研究会は、方法論的に学ぶ場です。一度個別具体的な研究を世に出した後で、方法論的な検証をするということになります。自分がどの方法論を用いているのかが必ずしもよくわかっていなかったのですが、ウルフの本書によってはっきりしたことがあります。私は井上幸治先生からフランス史を学びました。井上先生は、日本にフランスのアナール学派を紹介するという大きな仕事をされました。先生の指導のもと、私がどのように方法論を用いてきたのかが、今になって本書によってわかったところがあります。アナール学派のマルク・ブロックとフェーブルというストラスブール派の第一世代と、『地中海』のブローデル、ジョルジュ・デュビーの社会史などです。藤原書店の藤原良雄さんは、井上幸治先生のアナール学派の日本への紹介を目的に編集者をされていた方です。ブローデルの『地中海』の最初の訳は、井上先生の編で新評論から出版されました。その後、藤原さんが独立して、藤原書店を立ち上げました。こうしたつながりがあり、私たちの共同研究の成果は、藤原書店から出版できました。
アナール学派のブローデルは、何巻にもわたる『地中海』が出版されており、百科事典のような感じがします。「長期分析」と「計量分析」、経済とミクロヒストリーを行い、「地域史は必ず世界史に取り込まれてゆく」ということを示しました。「地域史」をまず一次史料を用いて実証研究せねばならないという点が、井上先生の教えでした。南仏のエクサンプロヴァンスに留学しましたが、植民地研究の中心だったこともあり、文書研究やアルジェリアの現地調査も行いました。私のアルジェリア研究は、こうした史料に基づいたミクロヒストリーですが、枠組みとしては、オスマン帝国期から独立までを扱っています。
日本においてもアルジェリア研究は広がってきていますが、この地域を地中海世界として捉えるのか、私のように植民地政策としてフランス・アルジェリア関係を見るのかさまざまです。植民地化の暴力的な戦争と暴力的な脱植民地化の後、今何を目指して研究を進めるのかという点は、まだ先が見えてこない点です。私自身でいま模索しているテーマは、人の移動と帝国の変貌と国民国家の問い直しを、大局的なグローバルヒストリーからではなく、個別具体的なところで分析した上で提示することにあります。
8. コメント 杉本諒
私は高校の世界史の教員をしています。常に世界史をどのように教えるかを考えていますので、本書もそう言った関心から読みました。「歴史」というのがどのようにつながってきたのか、そして自分がなぜ「歴史」を教えるのかのヒントを得たいと思ってのことです。正直に言えば、歴史教育、歴史がどのように教えられてきたのかという点に関しては、まったく記述がありません。そこをもう少し扱って欲しかったと思います。また、歴史家のビッグネームの成果の比較やまとめはなされていますが、それがどのように民衆に伝わっているのかといった点は、あまり議論されていないのではないかと思いました。私の問題関心から中心に読んでいますので、著者の問題関心とは異なるのだとは思いますが、「歴史」を総体で見た時に、歴史教育というのもやはり忘れてはいけない点だと思っています。
歴史教育が何のためにあるのかと言えば、それはネイション形成などに帰するものとなるのだろうとは思います。現在の高校の歴史教育では、グローバルヒストリーを大きく取り入れて教科書が書かれるようになっています。「歴史をなぜ教えるのか」がクローズアップされている状況です。ネイション形成に回収されないような歴史教育を私は志しています。歴史学の問題意識がどのように変化してきて、それが歴史教育にどのような影響を与えてきているのか、この点を深めて欲しいと思いました。現代を扱う本書の第6章、第7章では、歴史学の問題意識の変化が羅列されています。ジェンダー史、ポストコロニアリズム、グローバルヒストリーなどです。ではどういう方向に向かうべきなのか、この点をもっと深めて欲しかったと思います。教員としては、それを受けて、何を目指して生徒たちに教えてゆくかを考えることになります。本書では、現代の歴史学の問題が単に羅列されているだけなのではないかという印象を受けました。
9. 訳者よりのリプライ
南塚
著者に変わって答える必要はなかろうと思いますが、疑問点は明らかにしておいた方がいいでしょう。まず、ポストコロニアルに関する小谷さんの提起についてです。「批判の道具としてのポストコロニアリズムは、インドや中東の研究において最も広汎に動員されてきており、以下の諸点でポストモダンと重なり合っている。すなわち、両者は、既存の大ナラティヴ(とりわけ植民地権力ないし現地におけるその同盟者によって創造され押しつけられた)を不安定化させたり、転覆したり、脱中心化したりして、それを在地のもの、以前は周縁化されていたものに代えること、またテキストや文書を「織り目に逆らって」読み、それが言っていることと同じくらいにそれが言っていないことを見つけ出すことを、共通の目的としているのである。」をどう理解するのかという点です。翻訳を進めながら気になっていた点ではあります。私の理解は以下のようなものです。「インドにイギリスの歴史学がやって来て、それを植民地権力や同盟者が取り入れたかもしれないが、それにより、非常にヨーロッパ的なインド史が形成された。インドにおいては封建社会はこうであり、それに代わり市民が出てきて、国民国家がこのように形成された。」といった形で、インド史の大ナラティヴが作られてきていた。それは現地の権力や同盟者が作って来たものということです。こうしたナラティヴを、ポストコロニアリズムが不安定化させたり、転覆したり、脱中心化したり、在地化するということで、その結果、よりインドに固有の価値、インド的な人の繋がりや社会の構成に即して歴史を考えなければならないということになる、ということではないかと思いながら翻訳しました。
小谷
本書の校閲をしながら、難しいと思ったのは次の点です。ヨーロッパの歴史学を正面から引き受けたのは、「現地における〔ヨーロッパの〕同盟者」ではなく、実際にはマルクス主義的な歴史学者の方だと思います。マルクスの言葉を非常に単純化して、それをそのまま歴史として捉えるという姿勢は、インドのマルクス主義歴史学者にも共通しています。従って、奴隷制、封建制、資本主義といった社会構成体論が、非常に強い影響力を及ぼしました。日本の戦後史学にもそういったところがありますが。「変革の学」であるはずの非ヨーロッパ世界のマルクス主義歴史学がもっとも「ヨーロッパ中心主義」的であるということに、非ヨーロッパ世界の近代思想のイロニーがあると思いました。
それから、藤田さん、杉本さんの議論を聞いていて思った点でありますが、本書はあくまでも「書かれたものとしての歴史」の世界史です。書かれた、「高級な」歴史以外は本書の対象にはならないわけです。例えば、「生きられた歴史」という概念があります。日々、人々がその中で生きている非文字的な歴史世界というものが必ずあるはずです。大飢饉の記憶といった記憶の集積としての「生きられた歴史」です。こういった「歴史」は、本書では対象外になっています。それに対して、藤田さんや杉本さんが求めているのは、こういう意味での「生きられた歴史」なのではないかと思いました。
10. 議論の論点
○歴史教育について
・歴史教育に関してもう少し扱われて然るべきだろう。アメリカの歴史研究者には教育への意識が強いだろう。
・「『歴史学』と『歴史教育』の対話」には意義があるが、両者の埋めがたい溝も明らか。
・大学での「歴史教育」の視点、博学連携の視点も重要だろう。
・研究をするだけでは歴史家の役割としては部分的。研究者が教育的機能を果たすことへの視点を持つことも重要。
○社会運動について
・歴史研究における社会運動の役割への視点が薄いのでは。歴史のダイナミズムに繋がらないのでは。
・歴史研究者の語る歴史と、生きている人間が意識する歴史との乖離がどう埋められるのかが歴史学の可能性だが、そこには届いていない。
・そういった趣旨の本が書かれていないということだろう。
○古代史・中世史について
・現代に述べられている歴史の方法(フェミニズム、インテレクチュアル・ヒストリー、ポストコロニアル、還元主義など)で、古代史・中世史を考えることもできるのではないか?
・古代におけるギリシア中心史観とそれへの反論が存在。西部ユーラシア主義の存在。
・地中海史、西部ユーラシア史を設定すると、ヨーロッパの源泉としての古代ギリシア・ローマ史は否定されるのでは?
・西洋と非西洋の二元化という点ではオーソドックス。ただ、細かい論点は紹介されている。
○歴史への一般の関心について
・著者が広い関心には基礎的なリテラシーが必要としていることは重要。
・日本でも「歴史」には人気があるが、興味本位のものから。大河ドラマも人気だが、評価は難しい。
・より突き詰めて考えるべき点だろう。
○植民地支配の暴力性について
・植民地支配の道具としてのヨーロッパ的歴史に関しては幾度か言及。
・植民地統治の中における歴史教育も重要だろう。
(「世界史の眼」No.56)