書評 油井大三郎著『日系アメリカ人 強制収容からの<帰還> 人種と世代を超えた戦後補償(リドレス)運動』(岩波書店、2025年)
上杉忍

 まず本著のタイトルに注目したい。

 「強制収容からの<帰還>」は、収容所からもとの家に「帰還」することを意味しているだけでなく、「自己の尊厳回復」の意味を持たせたくて<帰還>と表現したと著者は述べている。強制収容によって市民権をはく奪された彼らは、アメリカ白人社会への同化政策を押し付けられ、戦後「モデル・マイノリティ」と呼ばれるまでに「成功」したが、戦中・戦後のアメリカ社会の変容の過程を経て、自らのエスニック・アイデンティティに目覚め、黒人やメキシコ系さらに中国系、先住民、第3世界の人々との連帯を通じて米国における人権侵害に立ち向かう「自己の尊厳回復」を実現したのである。

 そして、「人種と世代を超えた」との表題は、人口の1パーセント以下しか占めていなかった日系人が、世界史的な意義を持つ「謝罪と補償」の要求運動に成功したのは、彼らが、世代や立場の違いに基づく日系人の内部対立を克服し、有色人マイノリティ、革新的白人だけでなく、保守的団体までをも含む広範な支持層との連帯を追求しつつ進められたからであることを強調する意図を示している。 

 著者が指摘するこの日系人の戦後補償(リドレス)運動成功の世界史的意義とは、不当な差別や抑圧を受け、その不当性を政府に認めさせ、謝罪と補償を実現した例は極めてまれであり、その後の世界に画期的な先例を示したことにあった。そして著者は「戦勝国である米国でさえ戦時中に行った不正に対して謝罪と補償を行ったのだから、敗戦国である日本は一層、外国人の戦争被害者に対する謝罪と補償に向き合うべきだ」と述べている。

 日系人の一括強制収容が強行された当初、日系人コミュニティーは、その指導的存在だった一世の多くが「敵性外国人」として拘束され、混乱に陥っており、排外的愛国主義の嵐の中で孤立無援の状態だった。本著は、その彼らが、このような世界史的意義を持つ政府による謝罪と補償の要求を実現させ「アメリカ市民」としての人権を回復しただけでなく、例えば、911事件直後のアラブ系やイスラム系の人々に対する排斥に対して毅然として抗議したことに示されているように、外国人の人権に対しても政府が責任を負うべきだとの主張の前面に立つ「トランスボーダーな人権感覚」を身に着けるまでに成長していく過程を追っている。

 従来日系人の強制収容とその終結過程の研究は相当程度丁寧に行われてきたにもかかわらず、リドレス運動とその成功の過程の研究は必ずしも十分でなかったとの問題意識から、著者は30年もの長きにわたってリドレス運動の研究に取り組んできた。しかし、本書ではこの運動だけを切り離して取り上げるのではなく、強制収容以後の日系人の歴史全体の中に位置づけることによって、その積極的な歴史的意義をよりドラマティックに描き出すことに成功している。

 リドレス運動の開始は「難産」だった。著者は、「リドレス運動への壁」として、日系市民協会が「収容」に協力したこと、「収容」を執行した戦時転住局が最後までその「強制性」を否定したこと、そして、日系人内部に深刻な分裂があったことなどの「壁」を例示している。特に、強制収用を「恥」と認識し、収容体験を語ることを封印して来た日系人のトラウマからの解放に長い時間がかかったことも「難産」の大きな要因だった。政府が求める同化路線に従い、モデル・マイノリティとして「成功」した日系人が、戦後冷戦下で赤狩り旋風が吹き荒れ反体制運動全体が圧殺される状況のもとで、アメリカ政府の「強制収容」という戦時政策の違憲性を告発し、謝罪と補償を求めることは極めて困難だった。

 しかし、なぜリドレス運動が開始され、成功までの道を歩むことができたのか。著者は、その成功の要因を次の4点にまとめている。第1にこの「収容」が当局の言うように暴民からの日系人の「一時避難」などではなく、憲法に違反する人権を侵害する「強制収容」であることを明確にしたこと、第2に西海岸で進められた戦後の日系人土地所有禁止住民投票を不成立に追い込んだことに象徴されるアメリカ世論の変化があったこと、第3に白人の強制収容反対派の支援があったこと、そして第4に、日系人三世が日系人コミュニティーの運動の主体として成長してきたことである。 

 本著は3部構成からなっている。第1部では、強制収容決定・実施のあと間もなく始まった中西部・東部への再定住の過程での、「分散的再定住」政策などによる日系人のアメリカ社会への「同化の試み」が検討されている。

 第2部では、日本の敗戦や日系人部隊の活躍による日系人に対する世論の好転を受けて、西海岸での日系人排斥行動が鎮静化したこと、戦中・戦後の西海岸における軍需産業の急成長に伴う社会変動、人種関係の重層化、人種間緊張とその緩和と並行して日系人の西海岸への再定住が本格化したことが論ぜられている。

 第3部では、強制収容から解放された日系人が、西海岸での就業構造の変化などの新しい環境の下で、女性を含めより有利な雇用の機会を得て「成功」し、「モデル・マイノリティ」と呼ばれるまでに地位を向上させたが、それは、強制収容体験を忘却させる効果もあったことが指摘されている。それにもかかわらず、日系人は強制収容の立ち退きの際に強制された不当な財産処分に対する補償要求や、一世の帰化権の実現などの運動に取り組み、ある程度成功したこと、そしてその過程で、強制収容体験の「封印」という制約の下でも、収容所への巡礼運動などを経て強制収容体験が語られ始め、日系人が独自の文化を放棄せず、アイデンティティを変容させたことが述べられている。そして、ベビーブーム世代の三世が、1960年代に多数大学に進学し、当時の黒人運動やベトナム反戦運動を自らの問題として受け止め、それに励まされて多くの日系人が従来の「同化路線」を克服し、アジア系アメリカ人としての自覚を強め、リドレス運動を開始し、ついに成功に導いた過程が描かれている。

 アメリカでは、第1次世界大戦参戦の過程で、非英語圏からのヨーロッパ系移民の「アメリカ化」を推進するため「ホワイト・エスニック」の存在を受容する文化多元主義が主張され、また1930年代に台頭したナチスに対抗するために、黒人やアジア系、ヒスパニック系、先住民をも含む有色人マイノリティのアメリカ社会への統合が語られ始め、人類学者の間では、それまでの同化主義に異を唱えるフランツ・ボアズの「文化相対主義」が広く受け入れられるようになっていた。そして、第二次世界大戦後、黒人公民権運動の洗礼を受け、有色人マイノリティをアメリカ社会の一員とみなす「多文化主義」が建前としては積極的に受け入れられるようになった。本著は、まさにそのような変化の中で日系人のリドレス運動が展開されたことに注目している。

 本著は、そのほか重要な問題を数多く取り上げており、学ぶ点が多いが、評者にとって特に印象深かったことを一つ上げるとすれば、リドレス運動の先駆けとなったのが、1930年代以来の反ファシズム運動の担い手だった「オールド・レフト」と呼ばれる人々だったことである。冷戦下の赤狩り旋風によって一時は窒息させられていた「オールド・レフト」が再び立ち上がり、1960年代の公民権運動・ベトナム反戦運動の中で成長してきた「ニュー・レフト」と呼ばれている人々との融合によってこのリドレス運動が担われたのである。

 近年では、黒人公民権運動を、1930年代からの「長い公民権運動」の歴史の中に位置づけてとらえなおす研究が有力になっているが、それと共通する現象がここでもみられることが印象深かった。冷戦赤狩りによる分断を乗り越えて、黒人解放運動は、今日、BLM運動という新たな段階を迎えている。

 次に、本著の論の進め方について一言ふれて結びにしたい。筆者はプロローグで、明確に論点を整理し、それに基づいて妥協なく徹底した研究史の渉猟・整理を行ったうえで、一部の隙も見せることなく、理路整然と論述を積み重ねている。それは、社会科学的歴史論述のモデルといえよう。本著が、とても分かりやすく、安心して読み進めることができるのはそのためである。同時に、著者は、文学作品や写真集・画集などを丁寧に紹介し、強制収容された日系人に寄り添い、そこから生み出される変革の芽を丁寧に取り上げ本論に編み込んでいる。本著からわれわれは、日系人の苦悩と喜び、誇りを読み取ることができる。

 そして最後に一言。本著を熟読することなくして、今後の日系人の歴史研究やその他の「補償運動」研究を前に進めることはできない。

(「世界史の眼」No.63)

カテゴリー: コラム・論文 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です