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「世界史の眼」No.3(2020年6月)

おかげさまをもちまして「世界史の眼」もNo.3を迎えました。

藤田進
新刊紹介:イスラム国暴力支配をはね返したロジャヴァ革命の記録―ミヒャエル・クナップ、アーニャ・フラッハ、エルジャン・アイボーア/山梨彰訳『女たちの中東 ロジャヴァの革命』(青土社、2020年刊)

山崎信一
論文紹介:茨木智志「歴史的展開から見た日本の世界史教育の特徴」

藤田進さんには、今年2月に翻訳が刊行された大著、ミヒャエル・クナップ他、山梨彰訳『女たちの中東 ロジャヴァの革命-民主的自治とジェンダーの平等-』(青土社、2020年)を評していただきました。青土社の本書紹介ページはこちらです。山崎は、日本における世界史教育の展開を精緻に追った茨木智志さんの論考「歴史的展開から見た日本の世界史教育の特徴」(『歴史教育史研究』17号)を紹介しています。

予断を許さないながらも、コロナウィルス感染症をめぐる状況も少しずつ落ち着いて参りました。世界史研究所は、読者の皆さまを励みに、この問題も含め、今後も多様な論考をお届けして参ります。みなさま、引き続き気をつけてお過ごし下さい。

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新刊紹介:イスラム国暴力支配をはね返したロジャヴァ革命の記録―ミヒャエル・クナップ、アーニャ・フラッハ、エルジャン・アイボーア/山梨彰訳『女たちの中東 ロジャヴァの革命』(青土社、2020年刊)
藤田進

 2011年春「シリアのアラブの春」として始まったシリアの民主化要求運動が、大国の軍事介入と「イスラム国」の凄惨な暴力がもたらした野蛮な戦争と国内外の何百万人のシリア難民の群れに覆われた「21世紀最悪の人道危機」に帰結した事態を前にして、苛酷な状況下において民主主義的なシリア社会の構築に向けた革命的な取り組みが繰り広げられていたのを伝える本が登場した。

 本書は、文化人類学者、歴史家、市民運動家のドイツ人女性たちがシリア北部のクルド人地域に出現した「ロジャヴァ革命」について現地での詳細な聞き取り調査を踏まえて共同執筆したものである。ロジャヴァ革命というクルド人による現在進行形の取り組みを、革命における女性の重要性に焦点を当てて描き出した本書は、クルド人についての内在的理解を深めさせるだけでなく、クルド人を抱えている中東諸国にとってクルド問題がいかに大きな影響を及ぼしているかを知らせしめる第一級のクルド文献である。

 ロジャヴァは、トルコ―シリア国境沿い地域のクルド人住民の多い一帯をさす地名であり、そこには多様なエスニック・グループの住民も住んでいる。シリア政府は1965年にトルコ国境沿い地域を「アラブ人ベルト」とする決定を下し、73年アサド政権は同地域のクルド人村落に隣接した41のアラブ新村をクルド人の土地を強制収容して創設し、ユーフラテス川のダム・貯水池建設で家を失ったアラブ人家族らを入植させ、土地と仕事を与える優遇政策をとった。一方土地を奪われたクルド人農民は「外国人」宣告をされ、自分の財産を持つことも、家を建てることも古い家を修理することも禁じられた。ロジャヴァはシリアの最貧困地帯とされ、「無国籍」のクルド人には身分証明書がなく、市民権を奪われて子供の出生や結婚の登録も出来ず、土地を奪われたクルド人農民の多くはシリアの大都市への出稼ぎ労働を強いられ、子供たちも学校を終えるとシリアの都市で低賃金労働者になった。バース党政権下でロジャヴァはシリアの最貧困地帯とされ、クルド人には差別政策が加えられた。

 ロジャヴァのクルド人女性の多くは市民権を拒絶されたうえ公的な生活からも排除され、伝統的社会の家父長的支配の虜とされて夫や父親に経済的に依存し、家庭内暴力も流布していた。女性の救いの道となったのは、「社会の解放は女性の解放なくしては不可能である」と説くクルド解放運動指導者でクルディスタン労働党党首アブドゥラ・オジャランが1980、90年代にシリアで主宰した草の根運動だった。それに参加した数千人のクルド人女性たちは「自らの人生に責任を持ち、自ら決定できるように努力する」という考え方を育まれ、自らの解放とすべての女性の解放のための闘いを実践しようと決意していった。女性たちは一軒ずつ訪問して家にいる女性に解放のための運動に加わるように説得して回り、草の根で女性たちの組織化をはかっていった。

 2011年「シリアのアラブの春」を迎えたクルド人はクルド差別政策の改善を期した。しかし、アサド独裁政権打倒のため結成された「自由シリア軍」もバース党政権に代わる新シリア政府を標榜する「シリア国民評議会」も指導部はイスラム主義者に占められており、アサド政府と同じように「シリアはアラブ人・イスラムの国家」、「クルド人は外国人」との見解に立っていた。2012年7月、クルド人運動はロジャヴァ地域をバース党政府支配と切り離して「ロジャヴァ三州」宣言に踏み切り、独自の「民主主義的自治」作り=ロジャヴァ革命をスタートさせた。

 「民主主義的自治によるコミューン体制の樹立」構想に沿って、「女性の自由」「エスニック的・宗教的多様性」「労働者階級重視」を根本とする「社会的契約」に基づいた社会作りを目ざし、シリア国家から離脱しない「非中央集権と民主主義」に基づく独自の自治が志向された。

 「民主主義的自治」は、自己防衛手段たるクルド人民防衛隊と3-4割を占める女性防衛隊を備えていた。ただしその軍事力は「社会を防衛するための治安部隊」とされており、「自己防衛」の目的は敵に攻撃の意図を諦めさせることにあるとされた。ロジャヴァは徹底した民主主義をめざし、利潤のための資本主義経済を拒否し、女性防衛部隊の多くは家父長制的な支配をきっぱりと否定した。ロジャヴァはそれ故に「イスラム国」と同盟者に攻撃された。

 2015年1月、コバニを占領したイスラム国との4カ月に及ぶ激しい戦闘で500人の人民防衛隊と女性防衛隊の戦闘員が殺され、ほとんどの家庭も殉教者を出し、都市の建物のおよそ80パーセントが破壊された後に、コバニ市も365村落のほとんども解放された。それ以後もイスラム国占領からのロジャバ諸地域の解放が続き、人民防衛隊と女性防衛隊がエスニシティの混在するロジャヴァ諸都市を防衛し差別のない自治を運営したことによって他の住民たちの支持が拡大し、アラブ人、アラム人、トルクメン人、クルド人は協力し続けることになった。2015年10月、対イスラム国共同戦線と自己統治による民主主義的シリアの樹立をめざすクルド人・アラブ人・アラム人合同の「シリア民主軍」が創設され、翌16年3月「ロジャヴァ・北部シリアの連邦制」宣言で、「非中央集権と民主主義」に基づく解放地域がロジャヴァ3州の外部にまで拡大した。

 本書が描き出した「ロジャヴァ革命」における「民主主義的自治」は、2019年以降トルコをはじめ大国の軍事的干渉によって再び潰されていく方向にあることが危惧される。

(「世界史の眼」No.3)

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論文紹介:茨木智志「歴史的展開から見た日本の世界史教育の特徴」
山崎信一

 茨木智志氏による論文「歴史的展開から見た日本の世界史教育の特徴」(『歴史教育研究』17号(2019年)、1-17頁)は、近現代、すなわち明治以降の近代的学校制度の確立期から現在までの、日本における世界史教育の歴史を扱っている。この論文は、英語に訳され、Minamizuka Shingo (ed.), World History Teaching in Asia: A Comparative Survey (Birkshire, 2019)という論集に所収されている。1 この論集は、アジア諸国の世界史教育を比較・検討したものであり、この論文は、世界史教育の国際比較を考える上でも大きな意義を持っている。

 この論文では、日本近現代の世界史教育を大きく二つの時期、すなわち第二次世界大戦前の「教育勅語」を指針とする教育の行われた時期と戦後の「教育基本法」に基づく教育の行われた時期に分け、さらにそのそれぞれに三つずつの時期区分を行い、合わせて6つの時期に分けて分析を行なっている。以下にその要点をまとめてみる。

 最初の時期は、近代学校教育の開始(1872年の「学制」発布)から、1898年頃までの時期とされている。この時期における外国史教育は、主に欧米言語から翻訳された教科書やそれをもとに日本人の手によって作られた教科書がもとになっており多様であったが、しだいに古代オリエントから19世紀欧米の発展にいたる「西洋史」教科書に収斂されてゆく。第二の時期は、1898年頃から1930年代まで、「東洋史」が提唱された結果、日本史・東洋史・西洋史に三分された歴史教育が展開した時期である。この時期には、制度として取り入れられるには至らなかったが、東洋史と西洋史を融合した世界史が提唱された。第三の時期は、1930年代から1945年の敗戦までの時期で、教育の戦時体制化の中、外国史は「国史」や「大東亜建設」に従属し資するためのものと位置づけられた。

 第二次世界大戦後、日本の教育制度は根底から変化した。その最初の時期は、1945年の敗戦から1955年頃にかけての時期で、教科としての社会科の成立と、科目として東洋史と西洋史に代わって世界史(1949年より実施)が導入された時期であり、世界史教育が開始されるという転機となった時期である。世界史の導入は突然のものであり、また東洋史や西洋史のような学問的背景があるわけでもなかったことから、社会科教育の一環として、単元学習や生徒の自主的な学習を重視した世界史教育のあり方がさまざまに模索された時期でもあった。戦後の第二の時期は、1955年頃から1989年頃までであり、世界史は生徒の学習を促すものから、暗記すべき事項の羅列の色彩を強めた。また、学習指導要領が文部省告示として規定力を強めた。途中1978年の学習指導要領では、ヨーロッパ中心史観の克服も意図されたが限界もあった。またこの時期に、世界史教育者の中から、定型化する世界史にあらがい、世界史とは何かを問う実践が模索された点も重要である。戦後の第三の時期は、1990年代以後の時期となる。1989年の学習指導要領改訂により、高等学校の社会科が解体され、地理歴史科の必修科目として世界史が位置づけられた。

 この論文には、多くの興味深い点がある。まず、外国史教育と世界史教育は同じものではないという点、そして「世界史」という枠組みが、第二次世界大戦後の歴史教育の中である種唐突に始まった点、そしてそれ故に、多くの教育者がそのあり方を試行錯誤しながら模索してきた点である。学問分野としては、戦後においても戦前以来の日本史・東洋史・西洋史の三分が一般的であり、世界史をまず形作ろうとしたのは歴史教育に携わる人々であり、その成果の上に現在着実に広がりつつある世界史研究も位置するのだろう。また、外国史教育・世界史教育が、戦前から現在まで、多くの政治的介入にさらされてきたという点にも気づかされる。それは、自由民権運動抑圧のための小学校からの外国史学習の削除から始まり、1930年代に頂点に達した。そして戦後においても、教科書検定強化や高校社会科の解体などの形で継続してみられている。

 著者は、論文中で「自国史教育と世界史教育は一種の緊張関係にある」と述べている。戦前の外国史教育が自国史教育に従属したものとなっていったことへの反省が、戦後の世界史教育のひとつの出発点であり、いずれの社会においても、自国史教育を行わないという選択肢がない以上、世界史が自国史を相対化する視点を提供し続けることは、今後においても重要であろうと思われる。図らずも、最新の学習指導要領改訂においては、高等学校の世界史が必修でなくなり、代わって日本史と世界史をいわば融合した新科目「歴史総合」が必修科目として位置付けられた。また、学習指導要領において歴史総合の目標として「我が国の歴史に対する愛情」を深めるとあげられたことは議論と批判を呼んだ。日本の近現代には、言うまでもなく大きな「負の歴史」が存在している。そして、それを「負の歴史」として理解する上でも、自国史に従属しない世界史の提供する視点が重要なはずである。

1 World History Teaching in Asiaは、2010年に始まった共同作業の成果である。当時アジア世界史学会の会長をしていた南塚が、アジア各国の研究者に呼び掛けて、賛同してくれた人たちで、開始した。参加してくれたのは、日本から茨城智志(上越教育大学)、吉峰茂樹(北海道有朋高校)、韓国からはSunjoo Kang (Gyeongin National University of Education)、中国はZhang Weiwei(Nankai University)とYang Biao(East China Normal University)、ベトナムはTa Thi Thuy(Institute of History)、シンガポールはSim Yong Huei とChelva Rajah (National Institute of Education)、フィリピンのFrancis Alvarez Gealogo(Ateneo de Manila University)、インドネシアのAgus Suwignyo(Gadjah Mada University)、Satyanarayana Adapa(Osmania University)の皆さんであった。途中で、東京において一回、フィリピンのセブで一回の研究会をおこない、アジア世界史学会のシンガポール大会で中間報告を行ったりして、2017年に原稿を集め、その後、Patrick Manning(ピッツバーグ大学)教授のもとでネイテイヴ・チェックをしてもらって、原稿を完成した。2018年に入稿し、校正段階で、Manning教授らの助言をもらった。また、この間、世界史研究所は、原稿の収集、整理、校閲などで粘り強い作業を続けた。本書は以上のみなさんの協力・助力の産物である。(南塚信吾)

(「世界史の眼」No.3)

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「世界史の眼」No.2(2020年5月)

ここに、「世界史の眼」No.2をお届けします。

木畑洋一さんには、昨年刊行された『人々がつなぐ世界史』に関して論じていただきました。本書のミネルヴァ書房の紹介ページは、こちらです。また、本書を含むシリーズ「MINERVA世界史叢書」は、こちらをご覧下さい。小谷汪之さんには、ダーウィンとマルクス・エンゲルスの関係を鍵に、生物界における進化と人間社会の発展について論じていただきました。

木畑洋一
人の移動から世界史を考える―永原陽子(責任編集)『人々がつなぐ世界史』(MINERVA世界史叢書4)(ミネルヴァ書房、2019年)

小谷汪之
生物界の進化と人間社会の歴史―「ビッグ・ヒストリー」によせて―

新型コロナウィルス感染症により、私たちの暮らしも日々大きく影響を受け、これから先の世界のあり方もなかなか見通せません。しかしこうした時だからこそ、より長期的な、世界史的な視野を持つことが重要であろうと思われます。世界史研究所は、今後も充実した論考をお届けしてまいります。みなさま、どうぞお気をつけてお過ごし下さい。

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人の移動から世界史を考える―永原陽子(責任編集)『人々がつなぐ世界史』(MINERVA世界史叢書4)(ミネルヴァ書房、2019年)
木畑洋一

 今、新型コロナウィルスが世界中に広がっている。パンデミックである。しかし、世界の各地に動いていっているのはウィルス自身ではない。いうまでもなく、ウィルスに感染した人間が移動するなかで、ウィルスも拡散し、肺炎にかかる人々が世界の各地で生じてきているのである。人間の移動というものがどのような意味をもつのか、改めて考えさせられる事態に私たちは直面している。そうした状況のもと、昨年(2019年)出版された『人々がつなぐ世界史』を読んでみる意味は大きい。

 本書は、編者永原陽子氏による序章につづいて各2章からなる第Ⅰ部から第V部まで(計10章)と14のコラムから成る。第Ⅰ部は交易、「商業のための移動」を対象とし、具体的に扱われているのは、シルクロードにおける商人の活動(紀元後~8世紀頃)と東アジアの海域における倭寇などの動き(14世紀~16世紀)である。第Ⅱ部は「信仰のための移動」を論じており、メッカ巡礼にまつわる思想(18世紀後半~19世紀前半)およびキリスト教宣教師の活動(19世紀中心)が取り上げられる。第Ⅲ部は「学びのための移動」と題され、中世日本僧の中国留学(12世紀~13世紀)と近代化過程におけるオスマン帝国からヨーロッパへの留学(18世紀末~19世紀)とアジア諸地域から日本への留学(19世紀末~20世紀初め)が検討される。第Ⅳ部は「移民」を扱い、中国人(華人)の移動(19世紀~20世紀)とレバノン・シリアからの移民(19世紀末~21世紀初め)についての章が並ぶ。そして最後の第Ⅴ部は「強いられた移動」を論じており、日本が送り出したからゆきさんから慰安婦に至る「性奴隷」にされた女性たちの問題(19世紀末~20世紀前半)とポグロムの結果アメリカへの移住を余儀なくされたロシアなどのユダヤ人の問題(19世紀末~20世紀初め)が論じられる。コラムもきわめて多様なテーマを扱っており興味深いが、残念ながら紹介する紙幅がない。

 本書の帯のキャッチフレーズは、「人類の歴史は「移動」の歴史である」となっている。まさにその通りであるが、それだけに人々の移動の歴史に迫ろうとすれば、その対象は無限に広がってくるともいえる。そのなかで何を取り上げて「人々がつなぐ世界史」という一書を編むかはきわめて難しい課題である。上記の内容紹介に各章が主として扱う年代を記しておいたが、時代に着目してみれば、本書では19世紀から20世紀初めにかけての時期に重点が置かれている。前近代における人の移動についてのイメージは、シルクロードや倭寇、中世日本僧についての章(いずれもきわめてすぐれた出来栄えである)からうかがうことができるが、断片的であるという感は否めない。それに対し、いわゆる帝国主義の時代を中心とする時代における人の移動については、扱っている章が多い上に華人やレバノン・シリア移民を対象にした章の包括的な視座にも助けられて、幅広い像が提示されている。

 本書は、MINERVA世界史叢書(全15巻刊行予定)の第Ⅱ期「つながる世界史」3巻の内の1巻という位置を占める。他の2巻は「もの」と「情報」を対象としており、「情報」の方もすでに刊行されている。この世界史叢書は野心的なプロジェクトであるが、そのなかでもこの第Ⅱ期は、叢書の性格をよく示している。人、もの、情報の移動ということは(いまひとつ「かね」の移動もあるが)、現在私たちの眼前で進行しているグローバル化の様相を示す要因であり、グローバル化という視座から歴史を振り返ってみる際に鍵となる問題である。その問題を扱って、「新たな世界史の構築」という叢書全体の目的に取り組もうとしているのが、この第Ⅱ期の3巻であると考えられる。

 となれば、「新たな世界史の構築」という課題に本書がどこまで迫ることができているかが問題となる。ある土地への定住者を、さらにはそうした定住者が作り上げた国家を中心にすえてきたこれまでの歴史像をどのように揺るがし、それに対するオールタナティブを提示していけるかが問題であるが、本書はそのような方向への手掛かりを確かに提示している。すべての筆者によってそうした課題が意識されていると感じられないのは少々残念ではあるが、大半の章では世界史叙述に新たな位相を切り開いていこうとする意欲が感じられる。まとまった新たな世界史像が明確な形で示されているわけではないものの、これからの世界史(グローバル・ヒストリー)研究に向けての刺激を多く含む論集となっているのであり、一読をお勧めしたい。

(「世界史の眼」No.2)

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生物界の進化と人間社会の歴史 ―「ビッグ・ヒストリー」によせて―
小谷汪之

はじめに

 40億年前の地球上における生命の誕生から今日までの歴史といったような、気が遠くなるような歴史を取り扱う「ビッグ・ヒストリー」が話題になっている。しかし、そうなると、生物界の進化と人間社会の歴史とを共に視野に入れた極めて長い射程と広い視野を持つ歴史観が求められることになるであろう。
生物界の進化と人間社会の歴史をひとつながりのものとしようとする考え方は、19世紀半ば頃から、さまざまな形で現れた。それはダーウィン以前の進化の思想、例えばチェンバース『創造の自然史の痕跡』(Robert Chambers, Vestiges of the Natural History of Creation, 1844)などに既に見られるものであり、ダーウィン『種の起源』(1859年)の刊行がそれに拍車をかけた。
 しかし、このような考え方には、危険な落とし穴が潜んでいる。ダーウィンの「自然選択」natural selectionという生物学的概念に対応するものとして、「最適者生存」survival of the fittestという社会学的概念を提唱したスペンサー(Herbert Spencer)の「社会進化論」は、その後、人種差別を合理化する機能を果たすことになった。19世紀末葉以降に現れた種々の優生思想は、進化に名を借りて、人種差別のみならず障碍者差別などさまざまな差別を正当化するものとなった。
 このような落とし穴に陥ることなく、生物界の進化と人間社会の歴史をひとつの包括的な展望において捉える方法はないのであろうか。ここでは、それをダーウィンとマルクス・エンゲルスとの関係の中に探っていきたいと思う。といっても、マルクスとエンゲルス、特にエンゲルスがダーウィンの進化論を自己の学説に何とか取り込もうとしたという一方通行的な関係で、ダーウィンの方はマルクスやエンゲルスの学説に何の関心も持たなかったのであるが。富裕なジェントルマンであるダーウィンの世界には、「亡命革命家」マルクスやエンゲルス商会の「商人」エンゲルスの入る余地はなかったのである。

1 ダーウィン『種の起源』の衝撃

 1850年代から60年代にかけて、マルクスのロンドンの家にしょっちゅう出入りしていたドイツ人亡命者ヴィルヘルム・リープクネヒト(1826-1900)はダーウィンに関わる思い出を次のように書いている(引用文中の〔 〕は引用者による補足。以下同様)。

 マルクスはダーウィンの研究の重要性を最初に認めた人々のうちの一人であった。『種の起源』が出版された1859年―この年は偶然にもマルクスの『経済学批判』が出版された年でもあった―以前に既に、マルクスはダーウィンの画期的な重要性を認識していた〔後略〕。
 マルクスは、特に、物理と化学を含む自然科学と歴史学の分野において、新たに出現してくるすべてのものを注意深くフォローしており、〔それらの分野における〕あらゆる進歩を確認していた。〔中略〕ダーウィンが彼の研究の結論を出し、それを〔『種の起源』として〕世に問うたとき、私たちは何か月ものあいだ、ダーウィンと彼の科学的な成果の革命的な重要性以外には何も話さなかった。1

 このリープクネヒトの思い出に見られるように、マルクスは一時期いわばダーウィンに夢中になっていたし、エンゲルスの方はダーウィンに生涯多大な関心を持ちつづけていた。そこで、後論のために、これら三者に関する略年譜を以下に掲げておく。

1809年 ダーウィン生。父は富裕な医師で投資家。母はウエッジウッド家の出。
1818年 マルクス生。父はキリスト教に改宗したユダヤ人弁護士。
1820年 エンゲルス生。父はドイツの紡績工場主で、エンゲルス商会を設立。
1831年12月 ダーウィン、ビーグル号に私費で乗船し、調査航海に出発。
1836年10月 ビーグル号、帰還。
1839年 ダーウィン、『ビーグル号航海記』刊行。
1859年
6月11日 マルクス、『経済学批判』刊行(Berlin: Franz Duncker. 1000部)。
11月22日 ダーウィン、『種の起源』刊行。Charles Darwin, On the Origin of Species by Means of Natural Selection, or the Preservation of Favoured Races in the Struggle for Life, London: John Murray, 1859.(初版1250部、1860年第2版3000部、1861年第3版2000部、1866年第4版1500部、1869年第5版2000部、1872年第6版3000部、その後増刷、1876年最終版)
1867年 マルクス、『資本論』第1巻刊行(Hamburg: Otto Meissner.初版1000部)。
1873年 マルクス、『資本論』第1巻第2版をダーウィンに献本(「心からの崇拝者カール・マルクス」という署名付)。ダーウィン、礼状を10月1日付で送る(これが両者の間の唯一の直接的交渉である)。
1882年 ダーウィン死去。
1883年 マルクス死去。
1895年 エンゲルス死去。

2 「目的論的自然観」の打破

 『ビーグル号航海記』で、ダーウィンの名前は既によく知られていたからであろう、『種の起源』が出版されると、エンゲルスは早速読んで、次のような感想をマルクスに書き送った(エンゲルスからマルクスへの手紙。1859年12月11日か12日)。

 ところで、いまちょうどダーウィンを読んでいるが、これはなかなかたいしたものだ。「目的論」はこれまである一面にたいしてまだうちこわされていなかったが、これがいまなしとげられた。そのために、自然における史的発展を立証するという、これまでにないほど壮大な試みが行われたのだが、またそのような試みがこれほど成功している例もまたとない。2

 マルクスの方は、このエンゲルスの手紙の約一年後になって『種の起源』を読み、エンゲルス宛に次のように書き送っている(マルクスからエンゲルスへの手紙。1860年12月19日付)。

僕の試練期間――最近の四週間――に僕はいろいろのものを読んだ。なかでもダーウィンの「自然選択」にかんする本。これは、大ざっぱに英語で述べられたものだとはいえ、我々の見解のための博物学的な基礎を含んでいる本だ。3

 マルクスはこのすぐ後にも、ラサール(Ferdinand Lassalle, 1825-64)宛の手紙(1861年1月16日付)に同じような感想を書いている。

ダーウィンの著作はすばらしいものだ。これは歴史的な階級闘争の、自然科学的基礎として僕の気にいっている。〔中略〕ここではじめて、自然科学のなかの「目的論」が、致命的な打撃を受けただけではなく、その合理的な意義を経験的に分析されたのだ。4

 これらの手紙から、マルクスとエンゲルスがダーウィンの学問的貢献としてもっとも高く評価したのが「目的論〔teleology〕的自然観」に最終的な打撃を与えたという点であったことが分かる。「目的論的自然観」とは、自然界のすべての現象にはあらかじめ目的が与えられているとみなす自然観であるが、これを逆転させると、すべての自然現象に目的を与えることのできるのは神しかいないから、神は存在するということになる。こうして、神の「デザイン」による「天地創造」が弁証され、あらゆる生物は「創造」されたときの姿のままに、今日なお存在するというキリスト教学的生物観が生まれる。
 このような「目的論的自然観」に対する批判として、18世紀後半になると、ラマルク(Jean-Baptiste de Monet Lamarck, 1744-1829)らによりさまざまな進化の学説が出されるようになったが、ダーウィンの進化論はそのいわば総仕上げのような位置にあった。それで、マルクスとエンゲルスはダーウィンの『種の起源』によって「目的論」は「致命的な打撃を受けた」と評価したのである。自然界にしろ、人間の社会にしろ、絶えず変化し、弁証法的な展開を遂げてきたとする立場に立つマルクスとエンゲルスは、ダーウィンが「自然における史的発展」を証明したことによって、自分たちの学説(史的唯物論)に自然科学的根拠が与えられたとして歓迎したのである。

3 「自然における史的発展」と人間社会の歴史

 エンゲルスは『反デューリング論』(1876-1878年に雑誌に分載後、1878年に刊行)を書いた後、その一部を抜粋した一般向け「入門書」として『空想から科学への社会主義の発展』を書いた(『反デューリング論』の序説・総論、第3篇第1 章、第2章を抜き出し若干の手入れをして、独立の小冊子としたもので、1880年に作成)。さらに、それらと同時進行的に、未刊に終わった草稿「自然の弁証法」の執筆を断続的に続けていた(1873-1882年)。これら三つの作品において、エンゲルスはしばしばダーウィンに言及している。
 『反デューリング論』では、エンゲルスは次のようにのべている。

 個々の資本家のあいだでも、また全体としての産業と産業、国と国のあいだでも、自然的または人為的な生産諸条件が有利であるかないかが、生死を決定する。敗れたものは容赦なく駆逐される。これは、ダーウィンのいう個体間の生存闘争が、幾層倍にも狂暴なものとなって自然から社会に移されたものである。動物の自然のままの立場が人間の発展の頂点に現われる。5

 ここでは、エンゲルスは資本主義世界を、国籍を持たないインターナショナルな階級としての資本家と労働者が直接的に戦いあう世界としてではなく、資本家同士や諸産業間において激しい「生存闘争」が行われるだけではなく、さらには国家に統合された資本家階級・労働者階級が一体となって、他国の資本家階級・労働者階級と生死をかけて戦いあう世界として捉えている。資本主義世界は「ダーウィンのいう個体間の生存闘争が、幾層倍にも狂暴なものとなって自然から社会に移された」世界であり、そこでは「自然的または人為的な生産諸条件が有利であるかないかが、生死を決定する」というわけである。
 このような観点から、エンゲルスは、「自然における史的発展」と人間社会の歴史を同じ「弁証法的運動法則」によって捉えることができるのではないかという課題意識を発展させた。エンゲルスは『空想から科学への社会主義の発展』の中で、次のようにのべている。

 自然は弁証法の試金石である。そして、近代の自然科学は〔中略〕、自然ではけっきょくすべてが形而上学的ではなく、弁証法的におこなわれているということ、自然は永遠に一様な、たえず繰りかえされる循環運動をしているのではなく、ほんとうの歴史を経過しているのだということを証明した、とわれわれは言わなければならない。この点ではだれよりもさきにダーウィンの名をあげなければならない。彼は、今日の生物界の全体が、植物も動物も、従ってまた人間も、幾百万年にわたっておこなわれた発展過程の産物であるということを証明することによって、形而上学的な自然観に最も強力な打撃を与えたのである。6

 エンゲルスが長期にわたって「自然の弁証法」を書き続けていたのは、このような観点からであった。「自然の弁証法」中の「弁証法」という項目(1879年9月執筆)で、エンゲルスは次のように書いている。

 要するに、自然および人間社会の歴史から、弁証法の諸法則は抽出されるのである。これは、まさに、歴史的発展のこの二つの局面の、ならびに、思考そのものの、最も一般的な諸法則にほかならないのである。詳しく言うと、実質的には次の三つの法則に帰着する:
量の質への急転またその逆の急転という法則、
対立物の相互浸透という法則、
否定の否定という法則。7

 しかし、「弁証法」の後の方では、エンゲルスは次のように一定の留保をつけている。

 生物学においても人間社会の歴史においてもこの同じ法則〔量の質への急転またその逆の急転という法則〕は一歩ごとに確証されているが、我々は、ここでは精密(自然)諸科学からとってきた例証にとどまろう。ここでは諸量が厳密に測定でき追跡できるからである。8
 ここでは、さしあたりただ生命のない物体についてだけ述べることにする。生命のある物体についても同じ法則〔量の質への急転またその逆の急転という法則〕が当てはまるのであるが、この場合その法則は非常に複雑な諸条件のもとに置かれていて、定量的測定がこんにちでもなおわれわれにできない場合が多い〔からである〕。9

 エンゲルスは、自然界においても人間社会の歴史においても同じ弁証法的運動法則が働いていると考えていたのだが、「弁証法」を書いた時点では、その例証を「生命のない物体」に限らざるをえなかったのである。
 『反デューリング論』第2 版(1885 年)「序」では、エンゲルスは次のように書いている。

 私にとって肝心なことは、いうまでもなく、歴史において諸事件の外見上の偶然をつうじて支配している弁証法的運動法則と同じものが、自然のうちでも、無数のもつれあった変化をつうじて自己を貫徹しているということを〔中略〕個々の点についても確かめることであった。10

 この時点(1885年)になっても、エンゲルスは、自然界においても人間社会の歴史においても同じ弁証法的運動法則が貫徹しているということを「個々の点についても確かめること」ができていなかったのである。
 1895年、エンゲルスは、結局、その壮図を実現することなくこの世を去った。

おわりに

 日本におけるダーウィン研究の第一人者、松永俊男は次のようにいっている。

 進化論から特定の立場の社会思想が必然的に導かれるということはない。生物学に基づく人間論や社会論は、しばしば大きな過ちを犯す。生物進化論と社会思想は厳しく区別すべきである。11

 スペンサー以後の「社会ダーウィニズム」が果たした否定的役割を想起するとき、この指摘は正鵠を射ている。しかし、それでは、エンゲルスが「自然の弁証法」などで試みたこともまた同じように否定されるべきものなのであろうか。「ビッグ・ヒストリー」が喧伝される今日、生物界の進化と人間社会の歴史との関係については、改めて検討する必要があるのではないかと思う。

1 Wilhelm Liebknecht, Karl Marx: Bibliographical Memoirs, English tr. by E. Untermann, Chicago: Charles H. Kerr & Company, 1901 (original German ed., 1896), pp. 91-92.
2 大月書店版『マルクス・エンゲルス全集』、29巻409ページ。
3 同、30巻105ページ。
4 同、30巻467ページ。
5 同、20巻282ページ。これとほとんど同文が『空想から科学への社会主義の発展』にも見られる(同、19巻213ページ)。
6 同、19巻201-202ページ。この文章は『反デューイング論』には見られない。
7 『〔新メガ版〕自然の弁証法』(秋間実・渋谷一夫訳)、新日本出版社、1999年、210ページ。
8 同、216ページ。
9 同、212ページ。
10 大月書店版『マルクス・エンゲルス全集』、20巻11ページ。
11 松永俊男『チャールズ・ダーウィンの生涯』朝日選書、2009年、276ページ。

(「世界史の眼」No.2)

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「世界史の眼」No.1(2020年4月)

世界史研究所では、2020年4月より毎月1日に「世界史の眼」と題した論考・コラムを掲載してまいります。第1回となる今号は、2019年秋に邦訳が刊行(原著刊行は2018年)された、デイヴィッド・クリスチャンの『オリジン・ストーリー―138億年全史―』(柴田裕之訳、筑摩書房刊)を取り上げます。

南塚信吾
ビッグ・ヒストリー

橋川健竜
エネルギーからすべてのものの歴史を語る――デイヴィッド・クリスチャン(柴田浩之訳)『オリジン・ストーリーズ――138億年全史』(筑摩書房、2019年)

南塚信吾さんには、ビッグ・ヒストリー研究の流れとその中で本書が占める位置に関してまとめて頂きました。東京大学の橋川健竜さんには、本書の内容に関してより詳細に論じて頂きました。

本書の筑摩書房の紹介ページはこちらです。

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ビッグ・ヒストリー
南塚信吾

 2010年代以降、日本でも「ビッグ・ヒストリー」が盛んに紹介されるようになってきた。これは、ビッグバンに始まって今日までの歴史を扱うもので、これまでの歴史学の射程を気が遠くなるほど拡大して、そのなかでの人類の位置を追求しようというものである。したがって、天文学、宇宙論、物理学、生物学などの自然科学と、考古学、地理学、歴史学などの人文科学を相互した学問分野になる。

 種々の前史をふまえて、1990年ごろにオーストラリアのデイヴィッド・クリスチャンを中心に始まったビッグ・ヒストリーの研究・教育活動は、2010年にはInternational Big History Associationという国際組織を作るまでになった。そして、2013年にビル・ゲイツがこれに関心を持って、デイヴィッド・クリスチャンとともにBig History Projectを立ち上げ、世界各国でのネットを活用した教育に力を入れてきている。

 21世紀に入ってから、世界史では人類「文明」の誕生あたりから現代までのかなり長期的な視野での歴史が注目されてきた。つまり、古代・中世・近代のいずれかの時期の世界史でも、前期代・近代の世界史でも、世紀別の世界史でもなく、それらを超越した通時代的な世界史である。しかし、近年、これをさらに超える長い歴史が提唱されてきている。改めて整理してみると、現在、この大きな歴史を考える方法としては、

  1. 1万数千年前の人類「文明」の誕生から考える歴史
  2. 200万年前のアフリカにおける「人類(ホモ・サピエンス)」の誕生から考える歴史
  3. 40億年前の「生命」の起源から始めて人類の歴史を論ずる歴史
  4. 宇宙の始まりから人類の歴史までを論ずる「ビッグ・ヒストリー」

が併存している。「人類」がどこからきてどうなるのか、地球上の「生命」というものがどこからきてどうなるのか、そしてさらに地球を一部とする「宇宙」がどこからきてどこへ行くのかが問われているのである。これらは、これまでは歴史学の扱う分野ではないと考えられていたが、地球科学や生命科学の発達を基礎に、気候変動や地球温暖化などの問題に直面して、そうではなくなってきたのである。

 21世紀に入ってからの主な著作(邦訳)をあげてみよう。

1.人類文明の歴史 1万3000年前~

  • ウイリアム・H・マクニール『疫病と世界史』佐々木昭夫訳、新潮社、1985年;中公文庫、2007年
    William Hardy McNeill, Plagues and Peoples, 1976
  • ウイリアム・H・マクニール; ジョン・マクニール『世界史-人類の結びつきと相互作用の歴史』全2巻、福岡洋一訳、楽工社、2015年
    William Hardy McNeill, The Human Web: A Bird’s-eye View of World History, with J.R. McNeill, 2003
  • ジャレド・ダイアモンド『銃・病原菌・鉄 1万3000年にわたる人類史の謎』(上下)、倉骨彰訳、草思社、2012年
    Jared Diamond, Guns, Germs, and Steel, 1997
  • ジャレド・ダイアモンド『文明崩壊―滅亡と存続の命運を分けるもの』(上・下)楡井浩一訳、 草思社、2005年
    Jared Diamond, Collapse: How Societies Choose to Fail or Succeed, 2005
  • ジャレド・ダイアモンド『危機と人類』(上・下)、 小川敏子、川上純子訳、日本経済新聞出版社、2019年
    Jared Diamond, UPHEAVALTurning Points for Nations in Crisis, 2019

2.人類の歴史 200万年前~

  • ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福』 (上・下) 、柴田裕之訳、河出書房新社、2016年
    Yuval Noah Harari, Sapiens: A Brief History of Humankind, 2014
  • ジェフリー・ブレイニ―『小さな大世界史』南塚信吾監訳、ミネルヴァ書房、2017年
    Geoffrey Blainey, A Very Short History of the World, 2004

3.生命の歴史 40億年前~

  • リチャード・フォーティ『生命40億年全史』、渡辺政隆訳、草思社、2003年
    Richard Fortey, Life: An Unauthorized Biography, 1997
  • リチャード・フォーティ 『地球46億年全史』、渡辺政隆、野中香方子 訳、草思社、2008年
    Richard Fortey, The Earth: An Intimate History, 2004

4.宇宙の歴史 ビッグ・ヒストリー 138億年~

  • クリストファー ロイド『137億年の物語 宇宙が始まってから今日までの全歴史』、野中香方子訳、文芸春秋社、2012年
    Christopher Lloyd, What on Earth Happened?: The Complete Story of the Planet, Life and People from the Big Bang to the Present Day,2008
  • デヴィッド・クリスチャン『ビッグヒストリー入門―科学の力で読み解く世界史』渡辺 政隆訳、2015年
    David Christian, Maps of Time: An Introduction to Big History, 2005
  • デヴィッド・クリスチャン、シンシア・ストークス・ブラウン他『ビッグヒストリー われわれはどこから来て、どこへ行くのか――宇宙開闢から138億年の「人間」史』長沼毅監修、明石書店、2016年
    David Christian, Synthia Stokes Brown, Benjamin Craig, Between Nothing and Everything: Big History, 2014
  • デイヴィッド・クリスチャン他 (監修)『ビッグヒストリー大図鑑:宇宙と人類 138億年の物語』オフィス宮崎訳、河出書房新社、2017年
    Big History Institute, Big History: Examines Our Past, Explains Our Present, Imagines Our Future、Penguin, 2016.  Forword by David Christian
  • ウォルター・アルバレス『ありえない138億年史』山田美明訳、光文社、2018年
    Walter Alvarez, A Most Improbable Journey: A Big History of our Planet and Ourselves, 2016
  • デイヴィッド・クリスチャン『オリジン・ストーリー』柴田 裕之訳、筑摩書房、2019年
    David Christian, Origin Story: A Big History of Everything, 2018

 こういう流れの中で、今回のデイヴィッド・クリスチャン著『オリジン・ストーリー』が翻訳されたのである。

(「世界史の眼」No.1)

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エネルギーからすべてのものの歴史を語る―デイヴィッド・クリスチャン(柴田浩之訳)『オリジン・ストーリーズ―138億年全史』(筑摩書房、2019年)
橋川健竜

 宇宙の始まりから現在までを、どうやって語るのだろう。ほとんどの読者はそう思いながら本書を開くに違いない。たとえば歴史研究者はほとんどが人間の歴史、それも二千数百年前までのそれに関心を寄せているが、ビッグ・ヒストリーと銘打つ本書の扱う時間は138億年におよぶのだ。その議論は、最大限に広くとらえた歴史学に加えて、少なくとも天文学、物理学、化学、地学、生物学、言語学、考古学、人類学、経済学、政治学にまたがる。分析のかたちをまったく異にする各学問領域の研究成果をただ並べるのではないなら、どう一つに結び合わせるのだろうか。そしてそれを歴史学として世に示すとき、人間以外や生命体以外の歴史と並列される人間の歴史は、どのような歴史として語られるだろうか。

 著者デイヴィッド・クリスチャンは、「エネルギー」を議論の軸に据えることで、また情報をたくわえて活用する能力に着目することで、一貫した議論を展開してみせる。エネルギーは「何かが起こるための潜在性、何かをしたり何かを変えたりする潜在的な能力」(訳書では3箇所に傍点が打たれている)である。エネルギーは放っておくとばらばらの方向に無秩序に作用して消えていくが(熱エネルギー)、特定の方向に誘導され集約されれば、信じられないほど大きな力を発揮する(自由エネルギー)。そしてエネルギー活用のイノベーションを導き出すには、DNA・RNAから今日の科学技術まで、情報を収集して利用する能力が重要な役割を果たす。

 本書では、構造が壊れようとする傾向(エントロピー)を自由エネルギーが押しとどめ、より複雑な構造を組み上げて維持していることが重要視される。本書は宇宙の始まりから地球の形成、生命の誕生、さらに今日にいたる人間の活動まで、すべてを「ゴルディロックス条件」の探求の過程、すなわちより多くのエネルギーを取得する仕組みが作られ、いっそう複雑な構造が可能になる、新たな「臨界」への到達の物語として記していくのだ。

 宇宙の始まりであるビッグバンは想像を絶するエネルギーを解き放った。その奔流が落ち着きを見せたときまでに、電子、中性子、電子やニュートリノなど、最初の構造が作られていた。その後宇宙の温度が下がるまでの間に水素にはじまる数多くの元素が作られ、それも自由エネルギーによって維持される。それらの元素がぶつかりあい、より大きな重力をもつ集塊となっていく気の遠くなるようなプロセスの中で、恒星と惑星が作られる。そして地球では、地球全体が凍りつきかかかるような寒冷期もあったが、温室効果ガスの量が多すぎでも少なすぎでもなかったおかげで、気温の上下変動が液体、特に水分が存在しうる特定の範囲にとどまった。その特殊な環境下で生命が生まれる。生命は慎重に管理された自由エネルギーによって自分の構造を維持して自己複製するが、その中でも細胞レベルの複製エラーは起こりえた。より多くのエネルギーを取り込む能力を高める方向の複製エラーがダーウィンの「自然選択」を可能にして、生命体の進化が進むのである。

 単細胞生物、多細胞生物を経て陸生植物が現れると、光合成の結果として大気中の酸素の濃度が高まり、それを受けて動物の体も大きくなっていく。狩猟採集を経て人間は農耕を営み、植物が光合成によってたくわえていたエネルギーを取得した。ただし農耕を高度化するには、資源を投入して環境を改変する作業が必要になる。こうして農耕は社会階層の分化と国家の出現を促した。また18世紀以来の化石燃料の利用は、地球がたくわえてきたエネルギーの活用であった。産業革命以降の技術と情報処理の高度化の中で、核エネルギー開発も行われた一方、20世紀後半には70億の人口を支える食糧の増産と、以前からは考えられない規模での中間層の増加とが可能になった(グレート・アクセラレーション)。平均寿命がこの100年で2倍に伸びていることが、その成果の大きさを良く示している。

 他方、化石燃料の活用以来の人間の営みは環境への負荷を増すばかりであり、地球温暖化のかたちでひずみが明らかになってきた。人間がこの影響を最小化するにあたっては、富を増大させ続けるため、なりふりかまわずさらに多量のエネルギーを抽出し続けるのではなく、生物圏と共存できる安定した世界を築くことを優先する、という決意が必要ではないか、と著者は示唆する。それによって人間が現今の臨界を超えられるなら、人間には新しい可能性を探索する扉が開く。たとえ遠い未来には、宇宙は恒星が冷えて暗くなり、ブラックホール同士が互いを引きつけあうようになって次第に消えていくとしても。

 本書の部分部分については、多くの読者は、自分の専門領域以外であっても断片的に知識を持っていることだろう。だが、それを長大な時間の流れの中に的確に置いて全体と統合してみせるには、文理の壁を越える、並ならない研鑽が必要だ。それをなした本書はまさに良質の学術的教養書であり、歴史書である。エネルギーと情報に着目することで多数の学問分野を横断し、より複雑な構造の形成とより多くのエネルギーの活用が進んでいく物語を組み上げたクリスチャンの努力と構想力には、感銘を禁じえない。

 自然科学の議論を理解しやすくする工夫でも、本書は抜かりがない。エネルギーと構造の複雑化をめぐる宇宙研究や自然史の論述は、それをめぐる学問研究の発展史と巧みに組み合わされている。よく知られる自然史上の現象や学問発展のエピソードが多数差し挟まれていて、自然科学にくわしくない読者も議論を追うことができる。膨張する宇宙という仮説を天文学が受け入れていく過程も、プレート・テクトニクス理論がソナーなど観測技術の発達に助けられて珍説から定説へと変わっていく過程も、また炭素14を用いる放射性年代測定法の確立も説明される。小惑星が地球に衝突したことで恐竜が絶滅し、哺乳類が台頭したことも、この新説が受容されていく研究史や、発掘によってデータが集積されていく経緯に触れながら語られている。

 歴史学がこれまで対象としてきた時代は、農耕と化石エネルギーの利用を画期とする人類史として語られている。資本主義の発達は、それぞれ別個に発展してきたワールドゾーンどうしの連結にからめて、またエネルギー取得のイノベーションにからめて、比較的多く取り上げられる。他方、19世紀から20世紀のナショナリズムの隆盛など、各国史につながりうる論点は短く触れられるにとどまり、議論は地球温暖化をはじめとする環境問題へと向かう。個々の文明や国家を中心に議論するという、歴史学がしばしば自明のことのように使ってきた枠組みは、宇宙のはじまりから論を起こすならどのように切り替えられるのか。歴史を研究する読者は、本書の発想を噛みしめてみる価値があるだろう。

 最後に、イギリスでロシア史を学んでオーストラリアで教鞭を取ってきた著者ならではの個性も、本書の魅力といえる。近世の国家と起業家の関係について、オランダやイギリスに触れるにとどめず、それとは違った提携関係の例としてイヴァン4世(通称雷帝)の時代のウォッカ製造の話が引かれている箇所などは、ロシア史の専門家ならではといえる。そして、4万年前の生活の痕跡が残るマンゴ湖遺跡(現ニューサウスウェールズ州)が複数の箇所で言及され、ファイア・スティック農業(アボリジナルの持ち歩いた火起こし棒にちなむ命名)が火による環境改変の初期の例として触れられるなど、本書はあちこちで、人類史上の重要な実例としてオーストラリア先住民を引き合いに出している。4万年前にまで及ぶ先住民アボリジナルの歴史とジェームズ・クックの探検(1770年)以降の歴史を、自分たちの歴史として一つの物語に統合しようと試みているオーストラリアの今日の姿も、本書には垣間見ることができる。日本から考えるのとは一味ちがうビッグ・ヒストリーだといえるだろう。

(「世界史の眼」No.1)

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これまでの会員各位のご支援に、あらためて深謝いたします。

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