書評 アンソニー・リード『世界史のなかの東南アジア 歴史を変える交差路 上下』(太田淳・長田紀之監訳、青山和佳・今村真央・蓮田隆志訳、名古屋大学出版会、2021年)A History of Southeast Asia, Critical Crossroads, Chichester: Wiley Blackwell, 2015
高田洋子

 アンソニー・リードは1939年にウエリントンで生まれ、当地のヴィクトリア大学で歴史学修士号を、その後ケンブリッジ大学で博士号を取得した。マラヤ大学歴史学講師、オーストラリア国立大学「東南アジア史」教授、カリフォルニア大学ロサンゼルス校東南アジアセンター初代所長兼歴史学教授を経て、2002年からはシンガポール国立大学アジア研究所所長も務めた。彼はSoutheast Asia in the Age of Commerce 1450-1680, 2 volumes (New heaven and London: Yale University Press.1988/1993)で、東南アジアが「長い16世紀」に、世界の動きに連動して当時の世界で最も豊かな交易社会を築いたとする時代像を、人びとの生活史の視点も入れて生き生きと描いた。今回紹介する東南アジア通史は、この「商業の時代」を中心に、前後の時代から20世紀末までを同じ観点で詳述した大著だ。

 東南アジア地域は、ユーラシア大陸のインドシナ半島部(大陸部)とインド洋の東側及び太平洋の西側に浮かぶ大小無数の島々(島嶼部)から成る。現在11か国6億5千万以上の人口を擁し、自然/民族/言語・文化/宗教他、実に多元的、多種多様な世界だ。そのため東南アジア全体史を一人で描くのはとても難しい。「東南アジア」という地域概念が定着し始めたのは戦後で、本格的な歴史研究が始まってまだ60-70 年位しか経っていない。私の院生時代にはMilton Osborne, Southeast Asia, An Introductory History (1979)が注目され、2013年には第11版が出るほど世界中で読まれた。この通史と比較すれば、本書では近世early modern史と現代史の部分が相当のボリュームになっている。

 全体は魅力的なタイトルのついた20章から成り、各章に5~8つずつの小テーマが並ぶ。古代から現代へと記述されてはいるが、各章で論じられる期間は相互に重なったり、ずれたりと変幻自在だ。読者は、はじめは水墨画のようにぼんやりとした東南アジアの姿が、季節風の風下に世界各地の人びとや ”もの” が集まっては去っていく、交流と危機の時代を繰り返すうちに一つのまとまりある姿が立ち現われ、やがて別々の色合いを帯びて変化する歴史過程をイメージできる。従来の研究成果や、外来者の記録・報告・私的手紙等を多用しながら、基層社会の上に受容された仏陀やシヴァ神、古くからの貿易システムとムスリム商人のネットワーク、イスラーム、カトリック、プロテスタンティズム、儒教原理のせめぎ合いが描かれる。16世紀の世界的な「銀」の流通に伴う長距離交易、世界市場向け香辛料他の熱帯産物とプランテーション生産、交易を独占し「商業の時代」を急速に終わらせたオランダや英国、また近代をもたらすヨーロッパ勢力と華人の世紀、メスティーソとクレオール文化、コスモポリタンな港市の発展と銃砲国家gunpowder kingsの抗争、そして権力者の支配から逃れる高地人たち・・。東南アジア特有の「ナガラ」、「ヌグリ」、そしてマレー世界とヌサンタラ。多様性を受け入れるシンクレティズムの世界が、外来の普遍主義や純潔主義、そして近代主義にまみれることから生じる歪みや自律性の喪失が饒舌に語られる。

 19世紀後半以降の植民地社会は、(近代)国家のインフラ造りの一方で人口が増え、貧困と非自立化peasantizationがすすんだ。かつての欧華都市the Euro-Chinese citiesは衰退して中心都市だけが際立ち、エリートは近代教育を熱望した。さらに現代はネーションが創られると同時にマイノリティーも創られる。食料増産の”革命”を経た1970年代には、環境破壊と政治腐敗という”陰鬱な”コストを払って、東南アジアの経済成長は再び「商業の時代」に回帰した。全章を通して人びとの衣食住、旺盛なパフォーマンス、気候変動、災害・疫病、ジェンダーなどグローバル・イッシューへの言及も議論を補強している。V.リーバーマンのStrange Parallels 、J. Scottのゾーミア論、ギアツのインヴォリューション論も意識される。また、東南アジアでは交易で得られた富がなぜ欧州のように資本蓄積されなかったか考察される。1980年代に活発化した中間層の運動や都市ムスリムの信教心の高揚は、ヴィクトリア時代のイギリス・プロテスタント運動に似ているとの指摘がある。民主主義を欠落した近代主義の日本軍によって規律と軍式動員、支配者と被支配者の一体化が強制されたことは、独立後の権威主義体制や国家による女性への管理・馴化につながった。西欧の ”男性的” 近代主義も家父長制の下の女性らしさを求めていたとリードは述べる。元来東南アジアでは、ジェンダーバランスの中の女性の位置づけは高かった(女性は商業の担い手であり、異なる文化の媒介者だった点を根拠に)。国家の役割は小さく、節度と調和を重んじて結束をはかろうとする行動規範は、世界の中の東南アジアの特徴だとしている。刺激的な議論にみちた本書は、東南アジア史研究の基本文献となるだろう。

(「世界史の眼」No.28)

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