アメリカの中東戦略に翻弄されるアフガニスタン(1)
2021年米軍のアフガニスタン撤退とタリバーン政権復活をめぐる考察
藤田進

 2021年7月、バイデン米大統領は「我々は国家を建設するためにアフガニスタンに行ったのではない。自分たちの未来と国の運営方法を決めるのは、アフガン人だけの権利であり責任だ」[1]として、米軍を秋までにアフガニスタンから完全撤退させることを表明した。

 2001年タリバーン政権崩壊後米軍が「タリバーン掃討戦争」を開始した中で02年12月、アメリカが信任するカルダイ・アフガニスタン政府はトルクメニスタン・パキスタン両国と、中央アジアのトルクメニスタン天然ガスを輸送するためのアフガニスタン・パキスタンを経由しインドに至るパイプライン(TAPI Pipeline)を建設することで合意し、TAPI建設計画は05年アメリカが参加を表明したことで具体的に動き出した。米軍は06年頃から「くすぶる反米感情を土台に攻勢を強めはじめたタリバーン」[2]に苦戦を強いられ、タリバーンが支配するアフガニスタン南部がパイプライン通過予定地域のため、このときパイプライン建設計画も行き詰った。09年米兵3万人が増派されたがタリバーン反攻阻止につながらず、巨額の戦費拡大と米国厭戦世論の高まりのなかで11年6月オバマ米大統領は米軍撤退戦略発表を余儀なくされた。タリバーンの反攻が高まっていく中で10年6月、カルザイ・アフガニスタン政府はタリバ―ンとの和解路線を模索し始める一方、同年12月のTAPI国際建設計画協定調印を受けてアフガニスタン政府議会も12年5月同協定を承認し、15年からトルクメニスタンで開始されたTAPIパイプライン建設工事は18年2月からアフガニスタンでもスタートした。タリバーン侵攻とパイプライン建設計画が進展する中で、アメリカは2020年11月から翌21年5月にかけてドイツの仲介でタリバーンとの3度にわたる和平交渉に臨み[3]、その結果冒頭のバイデン表明に至った。

 タリバーンに対する事実上の“敗北宣言”である米軍完全撤退表明によって、20年間にわたりアメリカ主導の「アフガニスタン民主化」のもとで築かれてきたアフガニスタン政府と政府軍はにわかに崩壊の危機に直面した。8月15日、米軍が首都カブールから撤退するなかでタリバーン武装勢力が登場するや、「アフガニスタン民主化」の恩恵を受けてきたカブール住民に「タリバーンの恐怖政治」の悪夢がよみがえり、「タリバーンの支配するアフガニスタン」では人権が守られない、女性は解放されない、世界的な「テロ活動」の温床になる等々の言説が渦巻くなかで多くの人々が国外脱出へと駆り立てられ、アフガニスタンは大混乱となった。

 タリバーンがアフガニスタン政権の座につく直前に、スポークスマンのスヘイル・シャヒーンが「アフガニスタン国家権力掌握後のタリバーンにとってTAPIパイプライン建設計画を支援することは重要取り組み事項の一環である」と発言し、この発言はタリバーン政権再登場によるパイプライン建設計画の挫折を危惧してきた計画関係者を安堵させた。タリバーン新政権は諸外国経済使節団と頻繁に交渉していることが報道されており、「女性と民主主義の仇敵」と非難されてきたかつてのタリバーンとの違いが注目された。

 バイデン米大統領は米軍撤退が完了すると、タリバーン政権に対して「民主化」を要求しそれが実現するまでアフガニスタンを経済封鎖すると決定し、アメリカの経済封鎖宣言によって諸外国の支援金やNGOの寄付金・食料・医薬品支援などすべてのアフガニスタン流入が停止した。「民主化」の内容はアメリカが決めることであり、外国占領体制を打破すべくイスラム統治方式を打ち出すタリバーンにとり「民主化」実現は容易なことではない。経済封鎖が長引くにつれてアフガニスタン国民の生活のひっ迫、食料欠乏状態は悪化の一途をたどり、さらに悪いことに、人々には長期にわたる米軍攻撃や大旱魃による打撃が重くのしかかっている。経済封鎖開始から5か月の2022年初頭の極寒のアフガニスタンでは、国民全体が餓死・凍死の危険にさらされた。

 イスラム諸国政府、国連、全世界の市民からの経済封鎖非難と封鎖解除要求の圧力が強まるなかで2022年2月11日、バイデン米大統領はアメリカ国内で凍結されているアフガニスタン中央銀行の準備金70億ドルの半分の35億ドルだけをアフガニスタンにおける人道支援に使うことを許可したが、その一方で残りの35億ドルの取り扱いについて、アメリカ政府が理不尽な理屈を持ち出したことが次のように伝えられている。「2001年の米同時多発テロの遺族らがタリバーンに対する訴えを米連邦裁判所に起こし、凍結資産からの補償金支払いを求めている。この訴訟での判断に備え、残りの35億ドルの扱いは保留されるという。米政府高官は『(凍結されている)準備金は、基本的には過去20年間で米国やほかの援助国が与えた収益のようなものだ』として、人道支援に充てるのは正当性があると説明した。」[4]

 アメリカが20年をかけてもアフガニスタンで実現できなかった「民主化」要求をタリバーンに、実現できない限り経済封鎖を続けるという条件で突きつけ、さらに経済封鎖で戦争の犠牲になった住民を痛めつけた。また米軍アフガニスタン侵攻によってアフガニスタン住民の生命・生活圏を犠牲にした責任は一切問わないばかりか、アメリカの多発テロの遺族にあてるために凍結しているアフガニスタンの資産を流用した。バイデン米政権のそれらの対応は、アメリカが軍事介入失敗後に非軍事的な方法であらたにアフガニスタン介入へ踏み出していることを示唆している。

[1] 「朝日新聞」2021年8月11日

[2] 「朝日新聞」2021年7月14日

[3] 同上

[4] 2022年2月13日「朝日新聞」ワシントン=高野遼

(「世界史の眼」No.25)

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