月別アーカイブ: 2026年7月

「世界史の眼」No.76(2026年7月)

今号では、小谷汪之さんに、前号に引き続いて「蓼科の近代史」から「蓼科の近代史 Ⅱ(下)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち」をお寄せ頂きました。なお(上)はこちらです。また、桜美林大学の辻村伸雄さんに、今年ミネルヴァ書房から刊行された、シンシア・ストークス・ブラウン(世界史研究所訳)『ビッグ・ヒストリー―宇宙誕生から始まった私たちの物語』を書評して頂いています。

小谷汪之
蓼科の近代史 Ⅱ(下)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち

辻村伸雄
書評:シンシア・ストークス・ブラウン『ビッグ・ヒストリー―宇宙誕生から始まった私たちの物語』南塚信吾ほか監訳、世界史研究所訳(ミネルヴァ書房、2026年)

シンシア・ストークス・ブラウン(世界史研究所訳)『ビッグ・ヒストリー―宇宙誕生から始まった私たちの物語』(ミネルヴァ書房、2026年)の出版社による紹介ページはこちらです。

カテゴリー: 「世界史の眼」 | コメントする

蓼科の近代史 Ⅱ(下)―諏訪鉄山と連合国軍俘虜たち
小谷汪之

はじめに
1 諏訪鉄山の鉱床と鉱区
(以上、前号)
2 諏訪鉄山で働いていた人びと
おわりに
(以上、本号)

2 諏訪鉄山で働いていた人びと

(1)諏訪鉄山の労働者構成

 1944年4月、日本鋼管の子会社として日本鋼管鉱業株式会社が設立された。諏訪鉄山(諏訪鉱業所)はその傘下に入り、軍需会社法(1943年)に基づく軍需事業場に指定された。そのために、鉄鉱石の飛躍的な増産が要請され、徴用や学徒勤労動員や勤労奉仕などさまざまな形で、極めて多くの人々が諏訪鉄山で働くことになった(『諏訪の近現代史』611頁)。

 こうして、1944年8月の時点で、諏訪鉄山では以下のような人数の人々が就労していた(『諏訪の近現代史』612頁、『茅野市史 下巻』525頁。いずれも典拠は日本鋼管鉱業株式会社の社史であると思われるが、原本を見ることができなかった)。

表1 諏訪鉄山の労働者構成(1944年8月)

鉱山作業員
  鉱員          328人
  徴用工         221人
  臨時工          69人
建設作業員
  鉱員          339人
  徴用工         682人
 以上、総計 1,639人

 それ以外に、学徒勤労動員として、立命館大学採鉱冶金科の学生20人と旧制諏訪中学校(現、諏訪清陵高校)の生徒100人ぐらいが採鉱業務などに従事していた。それに婦人会などの日帰り勤労奉仕者を加えると、毎日2,000人以上の人々が諏訪鉄山で働いていた(『諏訪の近現代史』612頁)。

(2)「徴用」された朝鮮人たち

 『茅野市史 下巻』(525頁)には、朝鮮人の「徴用工」に関する以下のような記述がある。

徴用工には兵役に服さない諏訪地方壮年男子のほか、朝鮮半島から青壮年二〇〇名が強制的に徴用され、緑山温泉に収容されて働いていた。

 『諏訪の近現代史』(611頁)にも、次のように書かれている。

既に日本鋼管直営のころから兵役に服さない諏訪地方の男子の中から毎日一〇〇名ほどが徴用工として採掘作業に従事するようになっていた。[昭和]十八年[1943年]には、更に朝鮮人の徴用工二〇〇名ぐらいが緑山温泉に強制収容され、主として採掘現場での作業を担当していた。

 このように、表1の徴用工の中には朝鮮人の「徴用工」200人ぐらいが含まれていたとされているのであるが、この朝鮮人の「徴用工」という表現には注意が必要である。というのは、朝鮮人(当時の行政用語では、「半島人」)を国民徴用令(1939年)によって実際に徴用して、日本国内に「移入」したのは1944年(昭和19年)9月からだからである。したがって、1944年(昭和19年)8月時点の諏訪鉄山には、厳密な意味での朝鮮人徴用工はいなかったはずである。しかし、諏訪鉄山で多くの朝鮮人が働かされていたことは事実である。とすると、このような朝鮮人たちはどのようにして諏訪鉄山に連れてこられたのであろうか

 1939年(昭和14年)7月4日、戦争遂行に要する労働力を計画的に動員するために、「労務動員実施計画」が閣議決定された。「そしてそのなかに、日本内地の炭鉱等に配置するべき労働力の給源として朝鮮半島からの労働者八万五〇〇〇人分が計上されたのである。これが日本帝国による日本内地にかかわる朝鮮人労務動員政策の最初の決定である」(外村大『朝鮮人強制連行』岩波新書、2012年、42頁)。この1939年度の「労務動員計画」以降、毎年度ごとに労務動員計画が策定され(1942年度からは「国民動員計画」と改称)、動員するべき朝鮮人労働者の数が明記された。しかし、実際に動員された朝鮮人労働者の数は計画を下回り、1939年度で3万8,700人(1939年9月から翌年3月までの数)、1940年度では、計画の8万8,000人に対して実際の動員数は5万4,944人であった(外村前掲書、58,72,78頁)。

 1944年8月の時点で、諏訪鉄山で働いていた朝鮮人の「徴用工」というのは実際にはこの労務動員計画(国民動員計画)によって日本に連れてこられた朝鮮人労働者たちだったのであろう。ただし、労務動員計画によって朝鮮半島から日本に連れてこられたのではなく、「私的に」日本に移住していた朝鮮人も動員された。1943年(昭和18年)度の国民動員計画では、朝鮮半島から導入するべき労働者12万人以外に、日本内地在住朝鮮人労働者5万人の動員が計画されていた(外村前掲書、122頁)。諏訪鉄山で働いていた朝鮮人労働者の中には、このような日本内地在住朝鮮人もいたのであろう。

 このように、朝鮮人「徴用工」という表現には曖昧さがあるとしても、朝鮮人たちが諏訪鉄山で働かされていて、差別的な取り扱いを受けていたことは確かである。1995年6月に茅野市大字北山・糸萱公民館で開催された「諏訪鉄山を語りしのぶ会」において、かつて旧制諏訪中学校3年生の時に、学徒勤労動員によって諏訪鉄山関係の工事(花蒔から茅野駅までの鉄道敷設工事)で働いていた人が当時の想い出を次のように語っている。

 また、朝鮮の方々と一緒に働いていたわけです。時間をかけて長い石のノミで穴をあけるのに、まめが破れて血がしたたっていたけれども、それでも強制的に働かせられていた。

 また、発破(はっぱ)[ダイナマイト〕が爆発するときは鐘を鳴らして、我々中学生は早々と後方へ引き下がるわけですけれども、朝鮮から来た人たちはいっこうに下がらせていただけなくて、飛んできた石が頭や手にあたって、血が噴き出しているようなことも目撃いたしました。

 また、畑の中に種をとるために真っ赤になった大きな胡瓜かなんかあったのを、十七歳で徴発されてきたという我々と同じくらいか、あるいは一つだけ年上くらいの少年が、どうしても腹がすいていけないから胡瓜を食べたいということで、私がとってきて、その人にあげたところ、二十世紀梨を食べるように、むしゃぶりついて食べたのを今でも思い出します。(伊藤編『平和を今こそ』92~93頁)

 この「想い出」の最後に出てくる「十七歳で徴発されてきたという」朝鮮人少年は厳密な意味での徴用工だったのであろうか。それとも、労務動員計画(国民動員計画)によって日本に連れてこられた朝鮮人だったのであろうか。あるいは、日本内地在住朝鮮人だったのであろうか。

 朝鮮人「徴用工」たちには、金堀場に建てられた「飯場はんばと呼ばれる長屋があてがわれていた」(『諏訪の近現代史』612頁)。「飯場」の建物は1990年代半ばまで残っていたが、その後、取り壊された(茅野市八ヶ岳総合博物館『紀要』第18号、35頁)。ところが、『茅野市史 下巻』や『諏訪の近現代史』には、朝鮮人「徴用工」たちは「緑山温泉」に収容されていたと書かれている。この「緑山温泉」というのが何を指しているのか、調べてみたが分からなかった。『茅野市史 下巻』と『諏訪の近現代史』がともに依拠していると思われる原資料(おそらく、日本鋼管鉱業株式会社の社史であろう)に、朝鮮人「徴用工」たちは緑山温泉に収容されていたという記載があるのだろうが、これは原資料の誤記あるいは誤認のように思われる(特に、『諏訪の近現代史』は、朝鮮人「徴用工」の宿舎について、611頁と612頁で矛盾した記述をしている)。

 日本の敗戦後、朝鮮人「徴用工」たちは「博多へ引きあげていった」(『茅野市史 下巻』527頁)。博多から本国に帰って行ったのであろう。

(3)北山俘虜収容所の連合国軍俘虜たち

 1945年6月4日、激しさを増すアメリカ軍の空襲を避けるために、東京俘虜収容所(大森俘虜収容所)から247人の連合国軍俘虜が当時の長野県諏訪郡北山村に設置されていた東京俘虜収容所・第6分所(北山俘虜収容所)に移送された(伊藤編『平和を今こそ』52頁)。ただし、資料により、俘虜の人数に若干の異同があり、伊藤編前掲書でも、他の箇所では243人(アメリカ人57人,イギリス人55人、オランダ人91人、カナダ人34人、オーストラリア人4人、その他2人)となっている(40頁)。

 北山俘虜収容所は長尾根鉱床の付近にあったから、連合国軍俘虜たちはそこから標高にして数百メートル高い石遊場鉱区に坂道を登って通っていた。主要な作業は低品位の褐鉄鉱にコークスを混ぜて焼結する作業で、極めて高温の環境での作業であった。以前は、学徒勤労動員された旧制諏訪中学校の生徒たちが行っていたのだが、彼らに代わって、連合国軍の俘虜たちが焼結作業に就かされたのである。

 前述の「諏訪鉄山を語りしのぶ会」には、諏訪鉄山で働かされていた一人のアメリカ軍俘虜が参加していた(彼がこの会に招待された経緯については伊藤編『平和を今こそ』各所を参照)。彼の名前はアルフレッド・マックグルー(Alfred Mcgrus)と言い、1922年10月、アメリカ合衆国オハイオ州で生まれた。1941年1月、18歳でアメリカ陸軍に入隊、フィリピン、マニラ湾口の要衝コレヒドール島の守備隊に配属された。1942年5月7日、日本軍の攻撃によりコレヒドール島が陥落した時、日本軍の俘虜となった。その後、日本に送致され、東京俘虜収容所に収容されていたが、1945年6月4日、北山俘虜収容所に移送された。

 アルフレッド・マックグルーが記憶を頼りに描いた北山俘虜収容所の図によれば、収容所の矩形の敷地は高い塀(TALL FENCE)と空壕(DITCH)によって二重に囲われていて、四隅には照明が設置されていた。その敷地の中に、二棟の俘虜宿舎(POW BARRACKS: POW=Prisoner Of War)と一棟の米・英将校(AMER. & BRITISH OFFICERS)用宿舎が建っていた。BENJO(便所)は別棟で、門のそばには看守たちなど日本人用の宿舎(JAPANESE BUILDING)があった(伊藤編『平和を今こそ』53頁)。

 アルフレッド・マックグルーもこの収容所で起居しながら、諏訪鉄山・石遊場の焼結炉(スメルター[smelter])で「俘虜としての労働を強いられ、食糧難と戦い、のみしらみに苦しみながら、約五〇〇メートルの高低差、四分の三マイルの山道を[石遊場の]作業場に通勤した」(伊藤編『平和を今こそ』76頁)。

諏訪鉄山・石遊場の焼結炉(スメルター)

出典:マックグルー手書きの絵(伊藤編『平和を今こそ』97頁)
図中の英文:IRON ORE SMELTER SUWA PRISONS CAMP 

 1945年8月、戦争が終わると、連合国軍俘虜たちは横浜に集結して、帰国の途に就いた。北山俘虜収容所にいた俘虜たちも、同年9月6日、茅野駅から横浜桜木町に引き揚げた。アメリカ人54人、イギリス人55人、オランダ人89人、カナダ人25人、オーストラリア人4人、その他2人の計229人、1人病院送達であった(伊藤編『平和を今こそ』74頁)。

 アルフレッド・マックグルーはその引き揚げ時の様子を次のように語っている。

 トラックが朝早くに収容所に来ました。それは、九月六日でした。私は三番目のトラックに幸運にも乗ることができました。駅に着いた時、トラックから飛び降りて、それから列車に乗ろうとしました。誰も日本人は付き添っていませんでした。一時間以上そこで汽車が来るのを待ちました。汽車はいっぱい人がいたんですけれども、そこになんとか乗り込みました。汽車に乗っていた日本人の人たちはみんな自分たちを見てびっくりした様子でした。[中略]

 北山で、[俘虜たちのための救恤]物資が[米軍機B29によって]投下されたときに、別にチラシもありまして、そこに「戦争が終わった、今、アメリカ軍が横浜にいる」ということが書いてあったそうです。

 でも、自分たちが茅野から乗って行った汽車は、横浜までは行きませんでした。それで東京で汽車を降りました。どうやったら横浜まで行けるかと聞きました。小さな電車が、たった一台の電車が来ました。それから、乗れるだけその電車に乗って横浜まで行きました。(伊藤編『平和を今こそ』122~123頁)

 当時、連合国軍俘虜とかかわりを持つと、俘虜収容所関係者とみなされて戦犯容疑をかけられる恐れがあったので、北山俘虜収容所の俘虜たちも日本人に敬遠され、ほとんど自力で横浜まで行かざるをえなかったようである(伊藤編『平和を今こそ』123~124頁)。実際、北山俘虜収容所の所長だった人はアメリカ軍の横浜BC級戦犯裁判で有罪とされ、服役した(同、60頁)。

 それから約50年後の1995年6月、諏訪鉄山跡を訪れたアルフレッド・マックグルーは、最初、そこが俘虜生活を送った場所であると信じることができなかった。戦後50年の年月は周囲の状況をすっかり変えてしまっていたからである。しかし、マックグルーが描いた石遊場の焼結炉の絵が、当時旧制諏訪中学校4年生で学徒勤労動員されて焼結炉で働いていた人の記憶と一致したことから、そこがマックグルーの作業していた場であると確認された。また、マックグルーなどの俘虜たちは、夜間、フェンスの緩んだところから収容所の外に出て、付近の畑のジャガイモなどを掘り取って、食べていた。その畑の持ち主と出会えたこともマックグルーの記憶をよみがえらせた(伊藤編『平和を今こそ』100~103頁、147~148頁)。

おわりに

 諏訪鉄山は敗戦とともに一時閉山された。しかし、1948年、日本鋼管は諏訪興業株式会社を設立し、諏訪鉄山の採掘を再開した(1950年、同社は諏訪鉱業開発株式会社と改称)。社長には、日本鋼管鉱業株式会社の諏訪鉱業所(諏訪鉄山)・所長だった高野太治郎が就任した。1950年6月、朝鮮戦争が勃発すると鉄鉱需要が増大し、諏訪鉄山も活況を呈した。従業員は1951年の最盛期には150人を越えた。しかし、朝鮮特需が終わり、諸外国からの鉄鉱石輸入が盛んになると、諏訪鉄山の低品位の鉄鉱石は需要がしだいに減少して、1965年、最終的に閉山となった(『茅野市史 下巻』527~528頁)。

 いま、別荘地やゴルフリゾートとして知られ、鬱蒼とした山林の中に瀟洒な別荘や広大なゴルフ場などが広がる蓼科も、70年ほど前は鉄鉱石採掘場として、裸の山肌を曝していたのである。

(完)

(「世界史の眼」No.76)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする

書評:シンシア・ストークス・ブラウン『ビッグ・ヒストリー―宇宙誕生から始まった私たちの物語』南塚信吾ほか監訳、世界史研究所訳(ミネルヴァ書房、2026年)
辻村伸雄

1. ブラウンの歴史的評価の準備が整う

 ついにブラウンによる初のビッグヒストリーの通史が邦訳された。これで彼女のビッグヒストリーに関する主要著作が出揃ったことになる。シンシア・ストークス・ブラウン(1938–2017)は長年カリフォルニア・ドミニカン大学(Dominican University of California。2000年にDominican Collegeから改称。Dominican Universityとは別の大学であることに注意)に勤めたが、2001年に同大の常勤職を退いた後、晩年の十年間に三度(みたび)ビッグヒストリーの通史を書き残した。

(1)単著『ビッグ・ヒストリー』(原書初版2007年・新版2012年、邦訳2026年)
(2)共著『ビッグヒストリー』(原書2013年、邦訳2016年)
(3)単著『ビッグバンからあなたまで』(原書2016年、邦訳2024年)

 2007年に初めて自分で書き上げた通史が本書である。

 2010年に同大は新入生に対しビッグヒストリーを必修化したことで注目を集めた。

 2013年にはデイヴィッド・クリスチャンとクレイグ・ベンジャミンと共著で大学生向けのビッグヒストリーの教科書『ビッグヒストリー』(邦訳は明石書店)を上梓した。これが彼女にとって二冊目の通史となる。

 この共著も入れると彼女にとって三冊目の通史であり、単著としては二度目の通史となる『ビッグバンからあなたまで』(邦訳は亜紀書房)が図らずも最後の著作となった。

 今回ブラウンが初めてものしたビッグヒストリーの通史が日本で刊行される最大の意義は、上記の既刊の邦訳二冊と併せて、日本語でブラウンの変遷を追い、彼女の仕事を評価するための基盤が初めて整ったということだろう。

 生きている人物は評価が難しい。これからの行動や著作によって評価が変わりうるからだ。対して、物故した人物は動かないので業績が固まっている。全生涯とその帰結を見渡した上で、歴史的に評価を行う営みは、その対象となる人物が没してから始まるのだ。

 今、私たちはブラウンが故人であるがゆえに、その生涯の到達点から過去の全著作を見渡すことのできる時点に立っている。すなわちビッグヒストリーに限って言えば、本書が初期、次に出た共著が中期、遺著が晩期のブラウンのスタンスを表していると見ることができる。

2. 「複雑さ増大の敷居」の良し悪し

 本書に見られる初期のブラウンの叙述が、中期・晩期のそれと明らかに異なる点は、宇宙史・地球生命史・人類史を貫く根底的パターンである「複雑さ増大の敷居」(thresholds of increasing complexity)を採用していない点にある。

 ハーヴァード大学で「宇宙進化論」(Cosmic Evolution)の名のもとにビッグヒストリーを講じた宇宙物理学者のエリック・チェイソン(Chaisson 2001)は、宇宙から地球を経て私たちに至る歴史には、「複雑さの増大」という一貫した傾向が見て取れることを指摘した(とはいえ、そのような一貫した傾向が見て取れる惑星を、私たちは地球以外に知らない点には留意が必要である)。

 これに触発を受けたクリスチャンは、米国のサンディエゴ州立大学でビッグヒストリーを教える際に、ビッグバンから今に至る歴史を区分けする目安として、「敷居」という時代区分を導入し、それは2008年に発売された彼のDVD講義『ビッグヒストリー―ビッグバン、地球上の生命、人間の台頭』(未邦訳)で公にされた。それを見たビル・ゲイツが感激し、ビッグヒストリー・プロジェクトが立ち上がるのである。当然、「複雑さ増大の敷居」は同プロジェクトの骨組みともなっている。

 このように、「複雑さ増大の敷居」はビッグヒストリーを教える上で便宜的に導入されたもの(教授法の一つ)であるが、その利点は、宇宙史から人類史に至るまでを一気通貫する統一的視座から語ることを可能にしてくれるところにあった。

 もちろんクリスチャンにせよ、ブラウンにせよ、このような統一的・一貫的視座を初めから持っていたわけではない。本書の「2012年版への序文」において、ブラウンが同書はビッグヒストリーに通底するパターンを提示していないと述べているのはそのためだ。

 ビッグヒストリーを人間史に自然史を付け足した以上のものにすることを望んでいた2000〜2010年代のビッグヒストリアンたちにとって、それを可能にしてくれる「複雑さ増大の敷居」は願ってもないものであった。かくて複雑さへの着目は一世を風靡する。

 とはいえ、「複雑さ増大の敷居」という時代区分に基づく限り、ビッグヒストリーを描く際の構成は、ある程度似たり寄ったりになってしまう点は否めない。“複雑性ブーム”がひと段落し、その恩恵ばかりでなく弊害も目につくようになった今日から見ると、そのブームに染まる前のビッグヒストリアンたちの著述に、むしろ個性や新鮮さを覚えるのだ。

3. 本書『ビッグ・ヒストリー』の構成

 本書はシンプルな二部構成となっている。

 第I部「時空間の奥行き」は、宇宙が始まってから、太陽と地球が生まれ(第1章)、生命が登場し、進化と絶滅を経て(第2章)初期の人類が登場し(第3章)、彼らが狩猟採集をもとにした高度な社会を営む(第4章)ところまでを描く。

 第II部「温暖な1万年」は、人類の一部がアフロ・ユーラシアで農耕畜産へと移行し(第5章)、最初の都市を建設し(第6章)、都市生活のもたらす苦悩に応じて救済型の宗教が出現し(第7章)、それと相まってアフロ・ユーラシアの大部分を包摂する通商網ができ(第8章)、並行して南北アメリカでも農耕文明が発達するさま(第9章)を描く。次いでモンゴル帝国などによるアフロ・ユーラシアの統合(第10章)、西欧諸国による二つの半球の統合(第11章)が工業化につながるさまを描き(第12章)、「成長の限界」に突き当たる今日の状況を見据えつつ将来を展望する(第13章)。

 第II部は概ね通常歴史の授業で扱われる範囲と重なっており、第I部はその前史に当たる。長らく教員志望の学生たちに歴史を教えてきたブラウンにとって、第II部は慣れ親しんだ内容だろう。対して、おそらくブラウンがもっとも勉強を要し、書くのに苦労したのは第1部であると思われる。本書が二部に分かれているのは、そういう実際的な理由からだろうが、今から見ると、素朴ながらも思い切った構成にも感じる。

 読み味としては、第I部の初めの2章については散漫な印象が否めないものの、第3章「ヒトの登場」に入ると、肩の力が抜けたのか筆の運びが変わってくる。第II部に至っては、ブラウンの世界史の講義を受けているような気がしてくる。そこに奴隷制や人種主義についての記述を端的に織りこむ手さばきは、米国の公民権運動史をもう一つのライフワークとしてきたブラウンならではのものだろう。

 それでは第I部と第II部を通読して見えてくるものは何であろうか。これは本書全体の意義に関わる話である。ブラウンが強調するように、私たちの世界と私たち自身を理解するためには文字記録のない歴史にも目を向ける必要があると言うならば、文字記録のない歴史(第I部)を見ることで文字記録のある歴史(第II部)に対する見方が変わらなければならない。それがないならば、両者を通観する必要はなく、畢竟、ビッグヒストリーなぞあってもなくても同じということになるからだ。

 これに対する著者の応答は、文字通りには「地球の物語とそこに住まう人間の物語を結合してみたときに私が見出したのは、人々が子孫を増やし続けようとして取る行動は、地球の環境とその生命体を深刻な危機に晒してきたということだった」(iii頁)ということになろう。とはいえ、ここで指摘されていること自体は、人間の歴史のみに着目した場合にも気づきうることであり、人間以前の歴史を持ち出す必然性や説得性に欠ける。

 よって評者としてはむしろ「地球はそこに生息するいかなる生命に対しても、長期的かつ永続的な条件を提供してはいない」(32頁)という地球生命史の現実を踏まえると、「地球が私たちに服従を強いる前に、この惑星と和睦する」(367頁)ことが不可欠なのだという点こそが、人間以前の歴史なくしては至れない認識であると指摘したい。

4. 〈環境と宗教の変化の連動〉は類書にない特徴

 次に、以上の背景と概要を踏まえた上で、本書の特徴を考えたい。結論から述べると、既訳の類書にはない本書の真の特徴は、「人間の歴史以降について、政治や経済、環境等に関する〝外形〟的な記載が中心で、思想や観念、宗教や世界観等の変化や革新についての論述がうすい」というビッグヒストリーへの不満(広井2021: 128)に応える内容を含んでいる点にある。というのも、本書は環境の変化に伴う意識や信仰の変化に随所で言及しているからである。評者にとってはそれが一番読んで面白い部分であった。

 例えば、地球は1万7000年ほど前から1万年前にかけて温暖化し、地表を覆っていた多くの氷河が解け、海水面が140メートルも上昇した。これに伴い、世界各地で海岸線と陸橋の水没が起こった。大規模な洪水は8000年前ごろまで続いた。人間の祖先は何千年もの間、洪水を経験し、それが数多の洪水神話に刻まれているというのである(92–94頁)。

 ブラウンは人間の主たる生業が狩猟採集から農耕畜産に移行すると、意識や信仰のあり方も変わったと言う。狩猟採集民は巨大な捕食獣に囲まれて生きており、その生活は不安定で恐ろしいものであった。そのような状況下では野生動物を鎮めることに焦点が置かれたが、農耕に移居する生活では生命そのものの源に敬意を表し、その助けを願うことに焦点が移った。精霊を崇めるアニミスティックな信仰から豊穣の地母神を崇めるような信仰への移行である。同時に人々は森林の伐採や野獣の家畜化について相反する感情を抱き、これで良かったのかと自らを疑うようにもなった。ギルガメシュ叙事詩やアダムとイヴの失楽園の物語には、そうした葛藤や嘆きが残響している(88、124、129–130、180頁)。

  ブラウンの筆はさらに「枢軸時代」と言われる時期の変化に説き及ぶ。人々が小さな農村を離れ、人口の集中する都市で暮らすようになると、新たな種類の宗教が現れた。都市はその繁栄期にあっても不安定で不公正であった。また都市の暮らしはそれ以前に住んでいた村の慣習に反する面があった。選民であっても、都市の暮らしに同化するのか、元いた村の慣習を守るのかという選択を迫られた。都市の中では満ち足りた生活をかなえることが難しいと悟った人々にとって、来世や天国など現世を超越した救済を約束する新たな宗教が慰めであった。何らかの宗教共同体に属することは、村での暮らしの特徴であった相互扶助の機会を人々に取り戻させた。世界各地で進んだ都市化は、それを補完する救済型宗教の普及と結びついていたのである(180–181、210頁)。

 本書では他の箇所でも宗教にふれているが、個人的に一番面白く、本書の読みどころと感じた部分は以上である。

 ちなみに当初、ビッグヒストリーの著作の多くにおいて、思想や宗教の扱いが薄かったのは、学問上の理由というよりは、今なおインテリジェント・デザイン論などが影響力を持つ米国にあって、新興のビッグヒストリーが知識人からの信頼を得るには、「科学の仮面をかぶった宗教」、すなわち疑似科学との印象を持たれないようにすることが先決であり、そのためには思想や宗教を強調しないほうが無難であるという政治的・戦略的判断が影響したと評者は聞き及んでいる。

 もちろん、事はそう簡単でなく、ビッグヒストリーの通史の多くが物質の組み合わせによる複合・複雑化や生物の身体的進化には注目しても、意識や精神となるとほぼ人間の話に終始し、生命史全体における知覚や意識、知性の進化には無関心になりがちな点を思うと、これは方法論的物質主義と人間中心主義の問題でもある。

5. 本書の学説史上の意義

 最後に、評者の研究関心の一つであるビッグヒストリーという分野の歴史ならびにその学説史の上から、本書の意義を二点挙げて終わりたい。

 一つは、ビッグヒストリーという名称は1991年にクリスチャン(Christian 1991)が『ジャーナル・オブ・ワールドヒストリー』誌上で提唱して以降、広まったものであるが、ビッグヒストリーの取り組みやそれに類するものは、それ以前にも以後にも世界各地に存在した。それらを掘り起こし、22世紀以降へ向けビッグヒストリーの思想史を再構築することが評者の研究課題の一つである。

 その点から見ると、本書ではビッグヒストリーの先駆者およびその業績として、マリア・モンテッソーリのコスミック教育(その中心となる著作は『人間の可能性を伸ばすために』として邦訳されている)、クライブ・ポンティング『緑の世界史』、ラリー・ゴニック『マンガ版 地球の歴史』(原題は本書にある通り『マンガ宇宙の歴史』)、エリック・シュルマン『時間の簡潔な歴史』(未邦訳)と複数のものが挙げられている点が参考になるし、シュルマンの著作以外は日本語でも読める。翻訳大国にいるありがたみを感じる次第である。

 もう一つは、一般に「産業革命」と呼ばれる変化を、ビッグヒストリーの中にどう位置づけ理解するかをめぐり、クリスチャンとブラウンの間には実に面白い対照と交錯が見られるが、そのことが本書によって日本の読者にも見えやすくなったということである。冒頭で言及した初期・中期・晩期の順に説明しよう。

 1)初期の段階では、クリスチャンもブラウンも「複雑さ増大の敷居」という時代区分を用いていなかった。

 クリスチャンは、『時間の地図』(未邦訳)において、西欧では18世紀から19世紀前半に近代に至る敷居がまたがれたとし、それを経済・政治・文化が三位一体をなす革命と捉えた(Christian 2004: 437–438)。「私たちはこの変容の真っ只中にいるため、その特徴を客観明朗に見てとることは難しい。ゆえに、それを記述するのに『近代革命』(Modern Revolution)という曖昧な呼び名でよしとしたい」(Ibid.: 335、評者訳)とクリスチャンは書いている。彼にとって産業革命はこのより大きな革命の経済面のみを指す語であり、政治面ではフランス革命が、文化面では科学的態度の普及がその変化を代表するものであった(Ibid.: 437–438)。

 他方ブラウン(本書第12章)によれば、1750年頃にイングランドで始まった、化石燃料、工場制度、製造経済への転換は、ヨーロッパ社会単独ではなくアフロ・ユーラシアと両アメリカの交流がもたらした地球規模の現象であり、それには前段としてアフロ・ユーラシアが統合され、次いで東西の半球が互いに結びつくことが必要であった。ゆえに、このように長い緩やかな変化を指すには「産業革命」よりも「工業化」(industrialization)という言い方が相応しいと言う。

 両者を比べると、ブラウンは工業化を通常より長い時間軸の中に位置づけ、クリスチャンはそれをより広範な社会の変化の中に位置づけたと言える。

 2)中期はクリスチャンとブラウンがベンジャミンを含め合同で大学生向け教科書『ビッグヒストリー』を作った時期である。ここで大事な前提は、クリスチャンがその前に「複雑さ増大の敷居」という時代区分を導入し、本書の改版時にはそれに従わなかったブラウンも、それを受け入れ、三人の共著がこの時代区分に沿って書かれたということである。

 それでも、この教科書は章ごとに起草者が異なるため、よく読むと、起草者によるスタンスの違いが整合されないまま残っている(注)。

 この共著において、共通暦1000〜1700年を扱う第10章はクリスチャンが起草したものであるが、同章を読むと「第8の敷居のことは、あえて曖昧に近代革命と呼ぶことにする」(Christian, Brown & Benjamin 2013: 216=2016: 254、評者改訳)とあり、近代に至る変化を政治面・文化面も含めて多元的に捉えるスタンスは「敷居」導入後も保たれていることがわかる。

 これに続いて共通暦1700〜1900年を扱う第11章は、ブラウンが起草したものであり、そこでは「産業革命を第8の敷居と見なす根拠は、それが人間社会に引き起こした急速な変革にある。〔…〕この変革の基底にあるのは石炭と石油の燃焼である」と書かれている。敷居8の指すものがクリスチャンとブラウンで違うわけである。その上で、産業革命の本質を「製造・輸送・通信において、人力・畜力に代わり、化石燃料を系統立てて利用するようになったことを受けて起きた様々な変化」のことであるとブラウンが喝破し定義しているのは興味深い(Ibid.: 244=288、評者改訳)。

 ここには敷居8をあくまで政治・経済・文化の三重革命と捉えるクリスチャンと、そのうちの経済(産業革命)に焦点をしぼるブラウンとの違いが見て取れる。

 3)晩期はクリスチャンとブラウンが共に「複雑さ増大の敷居」の時代区分に則って自身の通史を書き改め、世に問うた時期であるが、ここまでに述べた違いと変遷を踏まえると俄然面白くなる。

 ブラウンは、遺著『ビッグバンからあなたまで』(原書2016年)において、敷居8を論じる際に工業化に焦点をしぼる立場は変わらないものの、同書第1章で敷居7を「農業の出現(有機エネルギー)」、敷居8を「工業化の出現(化石燃料エネルギー)」とし(Brown 2016: 12 =2024: 42、評者改訳)、同書第9章で農業を、同書第10章で工業化を論じる際に明らかにエネルギーを軸足に置いている。

 その上で、敷居8を論ずる第10章を「地球一体化 敷居8(1500–2000年)」と題し、本書『ビッグ・ヒストリー』においても人間史を描く際の軸であった地球一体化(globalization)を
 ステップ1 世界システム
 ステップ2 産業革命
 ステップ3 20世紀
の三段階に分け、工業化つまり産業革命をその中間段階に位置づけ直している(Brown 2016: Chaps. 9–10=2024: 第9–10章)。原点に立ち返り自身の史観を刷新したとも言えるだろう。翌2017年に彼女は世を去った。

 残されたクリスチャンは、ブラウンに感化されたのか、近著『オリジン・ストーリー』(原書2018年)において、敷居8を経済面(産業革命)に特化して捉える彼女の路線をさらに突き進め、そのエネルギー源たる化石燃料に着目してそれを「化石燃料革命」(fossil-fuels revolution)と呼ぶようになる。近代革命という大づかみながらも総体的な概念を捨て、エネルギー重視の立場を鮮明にしたわけである(Christian 2018: Chapter 10=2019: 第10章)。

 ところがそれが、なんでもエネルギーの流れに還元し、それをどう汲み出し管理するかが社会や統治のあり方を規定するならば、政治の役割や人間の主体性はどこに見出せるのかという批判(Hesketh 2021)を招くことになる。

 クリスチャンとブラウンは初期においてはそれぞれ比較的独立にビッグヒストリーを論じた。二人が協働する中期に入ると、ブラウンはクリスチャンの「複雑さ増大の敷居」を受容するとともに、その8番目の敷居を論じるに当たって経済面を重視し、晩期にはその根底にあるエネルギーに叙述の軸を置いた。ブラウンの中期から晩期にかけての変化を(当人の意識は別として)一番受け継いでいるのはクリスチャンである。こうした相互の影響も、本書を踏まえてこそ見えてくることなのである。

むすびに

 以上で明らかな通り、既存の訳書に本書が加わることで、それらの読み解き方は幾重にも広がり深まりうる。類書と読み比べながら味読されることをおすすめする。

 なお、カリフォルニア・ドミニカン大学の新入生向け必修科目がビッグヒストリーとは違う内容に変わってしまって久しいが、同大でビッグヒストリーを教えたい教員向けに行った夏季講習(summer institute)に参加した、フィリピンのホーリー・エンジェル大学(Holy Angel University)の同僚たちによって、ビッグヒストリー教育の火は受け継がれている。ホーリー・エンジェル大では毎年数千名の全新入生にビッグヒストリーの履修が義務づけられており、同大の受講生は今や、世界でビッグヒストリーを学ぶ大学生の一番大きな割合を占めている(Tsujimura 2025)。ブラウンが灯した火は今なお燃えつづけているのである。

 教科書『ビッグヒストリー』(邦訳は明石書店)の各章の起草者については、著者の一人であるクリスチャン教授にご教示いただいた。ここに記して感謝するとともに、後学のため共有する。
 序章:クリスチャン
 第1章:クリスチャン
 第2章:ベンジャミン
 第3章:ブラウン
 第4章:ブラウン、クリスチャン、ベンジャミン
 第5章:ベンジャミン
 第6章:ブラウン
 第7章:クリスチャン、ベンジャミン
 第8章:ベンジャミン
 第9章:ブラウン、クリスチャン
 第10章:クリスチャン
 第11章:ブラウン
 第12章:クリスチャン
 第13章:ブラウン、クリスチャン

参考文献

Big History Project: 現在のサイト(https://www.oerproject.com/Big-History)と教材は2026年7月28日に利用不可となり、同日以降は新しいサイト(https://www.oerproject.com/Big-History-Project)と教材に移行する。

Cynthia Stokes Brown Collection on the previous Dominican University of California website: https://scholar.dominican.edu/cynthia-stokes-brown-collection/ [カリフォルニア・ドミニカン大学の公式サイトは新ウェブサイト(https://www.dominican.edu/)に移行しており、旧サイト上にアーカイブされているブラウンのオンライン文庫はいずれ無くなるおそれがある。見られるうちに魚拓をとるなど保管をおすすめしたい。]

Brown, Cynthia Stokes (2016) Big History, Small World: From the Big Bang to You, Great Barrington, Massachusetts: Berkshire. [本には2017年出版と印字されているが、実際に出版されたのは2016年6月である。証拠として同年7月に刊行された国際ビッグヒストリー学会の会報Origins, Vol. VI, No. 7, p. 11 (https://cdn.wildapricot.com/56234/resources/Documents/Origins/Origins_VI_07.pdf)を参照のこと。]ブラウン、シンシア・ストークス (2024)『ビッグバンからあなたまで――若い読者に贈る138億年史』片山博文、市川賢司訳、亜紀書房。

Chaisson, Eric (2001) Cosmic Evolution: The Rise of Complexity in Nature, Cambridge, Massachusetts: Harvard University Press.

Christian, David (1991) “The Case for ‘Big History’,” Journal of World History 2 (2): 223–238.

Christian, David (2004) Maps of Time: An Introduction to Big History, 1st edition, Berkeley and Los Angeles, California: University of California Press [2nd ed., 2011].

Christian, David (2008) Big History: The Big Bang, Life on Earth, and the Rise of Humanity, 8 DVDs, The Great Courses, Chantilly: The Teaching Company.

Christian, David (2018) Origin Story: A Big History of Everything, London: Allen Lane. クリスチャン、デイヴィッド (2019)『オリジン・ストーリー 138億年全史』柴田裕之訳、筑摩書房。

Christian, David, Cynthia Stokes Brown and Craig Benjamin (2013) Big History: Between Nothing and Everything, New York: McGraw Hill. [本には2014年出版と印字されているが、実際に出版されたのは2013年8月である。証拠として同年9月に刊行された国際ビッグヒストリー学会の会報IBHA Members’ Newsletter(後にOriginsに改称), Vol. III, No. 8, pp. 2–3 (https://bighistory.org/Origins/Origins_III_08.pdf)を参照のこと。] クリスチャン、デヴィッド、シンシア・ストークス・ブラウン、クレイグ・ベンジャミン (2016) 『ビッグヒストリー――われわれはどこから来て、どこへ行くのか 宇宙開闢から138億年の「人間」史』長沼毅日本語版監修、石井克弥、竹田純子、中川泉訳、明石書店。

ゴニック、ラリー (1993)『マンガ版 地球の歴史――ビッグバンからアレキサンダー大王まで』武者圭子訳、心交社。

Hesketh, Ian (2021, December 16) “What Big History misses,” Aeonhttps://aeon.co/essays/we-should-be-wary-about-what-big-history-overlooks-in-its-myth

広井良典 (2021)『無と意識の人類史―私たちはどこに向かうのか』東洋経済新報社。

モンテッソーリ、マリア (2018)『人間の可能性を伸ばすために―実りの年6歳〜12歳』新版、田中正浩訳、青土社。

Novak, Philip (2015) “Big History at Dominican” in Richards B. Simon, Mojgan Behmand, and Thomas Burke eds., Teaching Big History, Oakland, California: University of California Press: 311–317.

ポンティング、クライブ (1994)『緑の世界史』上下、石弘之、京都大学環境史研究会訳、朝日新聞社。

Tsujimura, Nobuo (2025, November) “A Torch is Passed: In Remembrance of Ma. Rubeth Ronquillo-Hipolito,” ABHA Newsletter2, Asian Big History Association.

(「世界史の眼」No.76)

カテゴリー: コラム・論文 | コメントする