近代的時間(時刻)認識の特徴は、言うまでもなく無条件の均等性、すなわち普遍妥当性の確立である。ヨーロッパ人の思う「世界」のどこへ行っても,またいつ行っても変わりなく通用する時間の観念ができて、これがある少数の主張でなく「社会」の相当の範囲に広がって実際に行われるようになることである。それが正確にはいつかを知るのは僕には無理であるが。やがてこのことが分からないのは「野蛮人」となるわけだ。
ここで明治に入って直ぐに日本へきたお助け外人の例を挙げよう。かれらは口を揃えて日本人には時間の認識がないと言った。いくら7時に仕事場にこいと言われても平気な顔で昼頃に来て、親方なんで俺がいかんというのと言っているらしい職人を異人たちは見ていた。かれらには理解できんが、職人には無縁の話なのだ。
ヨーロッパ人の主張は、家内手工業、マニュファクチャーから次の段階に移行し始めたときに否応なく「実行」されるようになる。時間認識は当たり前なんだが、それが原則として確立されて長くたったいまに住む我々には、そのことが理解しにくい。従業員が約束の時刻に現れないと企業は躊躇なく状況に応じて彼を処分する。日本社会はこれをほとんど非難しない。
マルクスの労働価値論は無条件に「時間」の均一性を関係者、この場合には資本家が疑いなく受け入れてはじめて有効になる。マルクスが、12時間労働は認めていいが15時間労働は明らかに不当(12時間という労働時間の枠はいいが、15時間を続けて働かすことは不当)というとき、この主張が賛否の対象になる。現実の労働者には理解し難いがやがて受け入れるほかなかった。これが産業革命のもたらしたひとつの重要な「遺産」ではないか。ただし実際にはよく知られているように、労働者は日曜日のほか月曜日はおろか週の前半は飲んだくれていて、後半に「就業規則」を無視して夜半まで働き、補助をする女性と未成年者を巻き込むのだった。これを知っているはずのマルクスが不当な搾取と批判するが、それを読むときに抑えきれない苛立ちを感じるのは僕だけだろうか。
江戸時代で認められていたごくあたりまえの刻(とき)認識はどうなったのか。生きている間に「いつ」誰しもがみんなわかっているのだろうかと疑問を持つのは無駄。夏冬で寝る刻と外で働いたりする刻がまるで違うんだが、この違いはなにかと思う奴は愚か者なのか。人々が生きている間に「とき」をどのように理解していのるだろうかと書いていて思い出した。地図作りに専念したあの人(伊能忠敬)は例外だったに違いない。なぜなら彼は地図を作るために、地表のある点を確定するために天体の動きを正確に知る必要があったが、それには刻ではなく、近代的な時間概念を使い全体の位置を正確に把握して、地表の各点を確定したからだ。つまり地図を作るためには刻ではなく、近代的な時間概念が不可欠だったのだ。
明治になって、お上が何度も公が決めた年月日に従わない奴輩を叱ったのは、例外が僕のいうほどいたことの証拠だろう。ヨーロッパでも当然そうだろうが、僕はその実例はほとんど知らない。日本では遅刻観念の成立、時刻厳守は、社会道徳の第一歩とする明治政府の努力によるが、それを知るにつけ、なるほどこうして「民族の特徴」の形成、伝統の創出がすすむのだなと思う。
2026年7月27日