書評:茨木智志『戦後教育改革期における高校社会科「世界史」の成立過程に関する研究』(風間書房、2026年3月)
米山宏史

 今年2026年は、戦後の高等学校社会科「世界史」の実施(授業開始)から77年目を迎えている。「世界史」の設置に関しては、その経緯などに未知の要素が多く、不明な部分が少なくない。そうした現状に対して、茨木智志氏(上越教育大学教授)が修士論文以来の多年にわたる「世界史」の成立事情に関する研究成果を集大成し、表記の大著を上梓した。本書の概要を紹介し、その研究成果を共有したい。本書の構成は以下の通りである。

  序章「本研究の課題と方法」
第I部「敗戦以後の外国史教育における歴史科から社会科への転換」  
  第1章「敗戦による歴史科外国史教育の変容」
  第2章「歴史科外国史教育から社会科外国史教育への転換の試み」
第II部「教育行政による社会科「世界史」の設置と対応に見る外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第3章「高校社会科「世界史」科目の設置とその意義」
  第4章「教育行政による社会科世界史教育への対応」
  第5章「教育行政による「世界史」学習指導要領の作成とその内容」
第III部「歴史教師・歴史研究者による社会科「世界史」への対応に見る外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第6章「高校での「世界史」授業における外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第7章「「世界史」準教科書における外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第8章「「世界史」大学入学試験問題における外国史教育から社会科世界史教育への転換」
  第9章「成立過程から見た高校社会科「世界史」成立の意義」
  終章「本研究のまとめと意義」

 本書は436頁からなり、序章と9つの章、終章を置き、全体を3部で構成し、第9章で第Ⅰ部~第Ⅲ部のまとめを論じている。

 序章「本研究の課題と方法」では、研究目的として、戦後の教育改革で成立した新科目「世界史」を歴史科外国史教育(「東洋史」「西洋史」)から社会科「世界史」教育への転換過程に位置づけ、「世界史」の設置理由と成立過程、実践方法、その特徴と意義、達成事項と今後の課題を総合的かつ実証的に解明することを挙げている。次に、通史的な一部の研究や個別な研究が存在するものの、戦後教育改革期に「世界史」設置を位置づけた全体的な考察がなされていないという先行研究の実情をふまえ、「世界史」の成立過程を日本側の史資料と占領軍の史料を併用して探究するとしている。

 まず「世界史」成立の複雑な過程の概略を確認する(1戦前の外国史教育(「東洋史」「西洋史」)、2戦後の外国史教育(「東洋史」「西洋史」)、3新制高校発足(1948年4月)後の社会科外国史教育(「東洋史」「西洋史」)、4社会科「世界史」教育(1948年10月、設置の発表、1949年4月、実施・授業開始、1952年3月、「世界史」学習指導要領の発行、4月、検定教科書の使用開始)。本書は、上記の複雑な「世界史」成立過程を、実に多様な史料の分析や聞き取り調査などを駆使し、緻密で実証的な論証を積み重ねて明らかにしている。

 第I部「敗戦以後の外国史教育における歴史科から社会科への転換」は、2つの章で組み立てられている。

 第1章「敗戦による歴史科外国史教育の変容」では、1945年12月、占領軍の「修身」「日本歴史」「地理」停止指令がすでに1944年7月、米国国務省で決定されていたこと(「日本:軍政下における教育制度」)、逆に外国の歴史や文化を学ぶための外国史教育を推奨し、米国を模範となる外国、次に民主主義国として連合軍加盟諸国を挙げていたこと(1945年9月22日、「降伏後における米国の初期対日方針」)、それに対して、日本の文部省は1945年11月、「国史教育ノ方針(案)」を省議決定し、神話の扱い方の変更のみで皇国史観の脱却を求めなかったことなどを戦後初期の日米の歴史教育観の齟齬として紹介している。また、文部省とCIE(占領軍の民間情報教育局)教育課との協議で「教科用図書委員会」が設けられ、「教科用図書委員会」を通じての文部省主導の「教科書改訂」構想を進めたが、占領軍による教科書発行の許可という壁を打破できずに挫折した。他方で、この委員会のもとに位置づけられた「歴史科専門委員会」のみはいち早く組織されて、文部省による国史と外国史の暫定教科書作成の後ろ盾となり、「歴史科専門委員会」が国史と外国史の暫定教科書の作成に取り組んだ。国史は、文部省が神話の記載に固執しCIEとの合意が得られずに頓挫したが、外国史教科書は、東洋史・西洋史ともに「近世史」以後を全面的に書き直し『暫定中等歴史一・二』(一は東洋史、二は西洋史)として発行された(1946年)。こうして「東洋史」「西洋史」は戦後も存続を果たした。第1章は、戦後直後の混乱期における歴史教科書の作成をめぐる複雑な経緯を詳述している。

 第2章「歴史科外国史教育から社会科外国史教育への転換の試み」では、1946年6月から文部省内の教科課程改正委員会がCIE教育課と協議しながら新しい教科課程の検討を進め、初等・中等教育を貫く社会科の導入を主張するCIEと日本史の通史的系統学習を重視する文部省側の対立がおこり、9月に妥協が成立したこと(第7学年から10学年=中学1年~高校2年までは統合社会科を、第11~12学年=高校1~2年で「人文地理」「東洋史」「西洋史」「時事問題」を開設する)、文部省ではなく若手の歴史研究者が「東洋史」「西洋史」の学習指導要領と教科書を作成し、「東洋史」では従来の中国王朝史にインドや中央アジアを加え、西洋の文化の受容による東洋の近代化を明記し、「西洋史」では西洋文明と民主主義を強調したこと、両者ともに教員の講義式・知識の暗記の歴史学習を厳しく批判し、学習活動の例として生徒自身が調べたり、発表したり、討論したり、報告書や伝記を作成する活動などを提示し、社会科としての外国史学習を志向していたことが考察されている。

 第II部「教育行政による社会科「世界史」の設置と対応に見る外国史教育から社会科世界史教育への転換」は3つの章で構成されている。

 第3章「高校社会科「世界史」科目の設置とその意義」では、「世界史」設置に関わった研究者、文部省の担当者の証言や回想の信憑性を検証したうえで、1948年4月の新制高等学校教科課程研究委員会の発足から、普通教育分科会での「世界史」を含む素案の作成と承認(5月18日)、「新制高等学校教科課程改正案」の文部大臣への提出(8月),「新制高等学校教科課程の改正について」の通達(10月11日)という「世界史」設置の決定プロセスを精査し、「東洋史」「西洋史」に代わる「世界史」の導入の経緯を詳論している。そして、「世界史」設置の意義として、1「国民の共通教養」の提供、2その後の世界史の探究の起点、3「世界史」という名称の普遍性を挙げ、「世界史」と併せて「国史」(1949年度から「日本史」)の導入が歴史科目を2科目に限定したいという意図と相まって「世界史」設置の直接的契機になったことに言及している。私は、上原専禄が同1948年に刊行した『歴史的省察の新対象』(弘文堂、1948年2月)で主張した国史・東洋史・西洋史の三区分の批判と世界史的観察方法の採用の必要性が後付けながら「世界史」設置の理論的な支柱とみなされたという著者の指摘に大きな感銘と深い示唆を得た。

 第4章「教育行政による社会科世界史教育への対応」では、1949年4月の「世界史」の実施から1952年3月の「世界史」学習指導要領の発行に至る時期における行政の「世界史」教育への対応を「世界史」教科書検定基準(1949年3月)や「高等学校社会科日本史、世界史の学習指導について」の通達(1949年4月11日)を分析して明らかにしている。何も準備が整わない状態での「世界史」実施=授業の開始にあたり、文部省が出した上記通達には、社会科歴史学習の目標達成のための留意事項として、社会科の一般目標との合致、現代社会の諸問題の意義の認識、歴史の発展の必然性の理解、歴史の進歩・発展の理解による社会発展に対する自己の責任と情熱、現在の社会・経済・政治の問題解決に必要な能力の発達、学習形態として一般社会科に準拠し、概説の学習に陥らない留意と生徒の自主的学習活動を刺激するための単元学習の推奨などが示されている。この通達は、文部省が高橋磌一(文部省で中学校「国史」教科書編集に従事、のちに歴史教育者協議会第2代委員長(1971~1985年))と協議して作成したとされるが、戦後の新教科 社会科の教育理念と「戦後歴史学」の学風が看取されて興味深い。

 次に、「世界史」実施後、「世界史」検定教科書の使用までの長く複雑な道のりが詳述されている。「世界史」実施初年度には、「世界史」の検定教科書もその他の準教科書も存在せず、教科書『西洋の歴史 (1)』(1947年発行)のみが存在した。そこで文部省は従来の歴史教育を容認し暫定的な措置を取り、「世界史」検定教科書の発行と旧来の外国史教科書(『西洋の歴史(2)』『東洋の歴史(1)』『東洋の歴史(2)』)の刊行をめざしたが、後者は実現できなかった。さらに、文部省は1950年秋、教科書出版3社の「世界史」教科書を公的な了承のもとで準教科書として発行させ学校で使用し、その後、「世界史」教科書検定基準(1949年2月、1950年11月に改訂)にもとづき検定教科書の使用が1952年4月にようやく開始された。「世界史」の実施から検定教科書の使用に至る3年間の試行錯誤のプロセスが著者の緻密な論証を通じて丁寧に記されている。

 第5章「教育行政による「世界史」学習指導要領の作成とその内容」では、「世界史」学習指導要領の作成の経過を検証し、その内容を詳細に分析している。1949年度の編集委員が「新学期に発表すべき試案」(要綱)の作成をめざしたが、東アジア情勢の変化(中華人民共和国の建国や朝鮮戦争勃発に至る東西対立)や米国内の事情(日本の歴史教科書に対する占領軍の責任回避)にともない公表を停止されたという。そして1950年度の編集委員(高校教員が4名、研究者が2名)が作業を受け継ぎ、1949年の暮れに大体の案を作成し、1950年9月に指導要領の中間発表(要綱)を通達し、実施から3年後の1952年3月に学習指導要領が発行された((昭和26(1951)年 )「中学校高等学校学習指導要領 社会科編I(a)日本史(b)世界史」、詳細は国立教育政策研究所教育研究情報データベースで同指導要領を参照)。著者は、「世界史」学習指導要領の「まえがき」(「日本史」「世界史」共通)、「I 世界史の特殊目標」、「II 世界史各時代指導上の参考目標および参考内容」「 III 世界史の参考単元例」を丁寧に分析し、「世界史」最初の指導要領(のちに「官報」で公示され、法的拘束力をもつとされるが当時は「試案」のまま)が「高い理想をもって、社会科としての世界史教育の実現を図るための学習指導の在り方を示そうと努めていた」「社会科「世界史」の出発点を象徴するものとなっている」として評価を与えている。同時に、欧米近代の民主主義の賛美=模範としての西洋、「アジア社会の後進性」、「先進」と「後進」を前提とした安易な比較、日本史を部分的に含みながらもヨーロッパ史と中国史を基本軸にした構成、その結果、東洋史と西洋史の枠をなくすはずの「世界史」、とくにその近代が東洋史と西洋史の峻別を主張している点など、様々な問題点を指摘している。「まえがき」では、教員が教科書記載の歴史的事実を頁ごとに講義することや生徒に歴史的事実の暗記を押し付けることを戒め、歴史的思考力の養成のための問題解決学習を求めていること、「学習活動の例」として「話し合い」「検討」「発表」「報告」「討論」「作文」などが例示されていることは、現在の「歴史総合」「世界史探究」の学習方法との親和性が認められる点で注目に値する。上記の内容が記載された背景には、この学習指導要領の作成に(2名の歴史研究者のほかに)4名の東京都立高校の教員が関わったことの意義と、当時の「初期社会科」の理念の影響があることを強く感じた。

 第III部「歴史教師・歴史研究者による社会科「世界史」への対応に見る外国史教育から社会科世界史教育への転換」は、第6章から第9章で組まれている。

 第6章「高校での「世界史」授業における外国史教育から社会科世界史教育への転換」では、教育行政が具体的な措置を講じないまま実施された「世界史」に対する教員たちの模索と苦労、生徒たちの受け止め、2名の教員(橘高信、上野実義)の意欲的な取り組みが詳論されていて興味深い。とくに、「世界史」実施から4年を経過した1952年になっても高校教員の間には「東洋史と世界史の分離」を希望する意見が少なくなく、「世界史」は、教えにくく、むずかしい科目と見なされ、若い教員ほど苦労したという記録や回想は、学習指導要領が掲げた「世界史」の高い理想と現場の意識の乖離を暗示している。それに対して、学習者の高校生にとって「世界史」への関心は高く、1952年の文部省の調査(308頁、表6-3-2)では生徒数43,193名のうち、「世界史」の履修率は71.1%に達しており(「日本史」65.9%、「人文地理」53.6%、「時事問題」22.0)、「世界史」が高校生に支持され期待された科目であることがわかる。上記のデータから察すれば、のちに「世界史未履修問題」がおこる(2006年)とは、予想さえできないであろう。

 「世界史」が教員には教えにくく、むずかしい科目でありながら、生徒には期待を集めた科目であったという一見矛盾した関係の中で良心的な教員が独自の授業実践を模索していた。その一人である橘高信(東京都立文京高校)が授業を、単元への導入、個人の学習、班の学習、学級全体の学習(発表と質疑)という段階的な発展学習として構想・実践していたことは、現代のアクティブラーニングの先駆けとも思われ、示唆に富む。他方、上野実義(広島大学附属高校)は、「西洋世界の発展を尺度」にして世界史を先史から現代までの6つに分け、「社会、経済、政治、宗教、文化」の5項目の中から各時代の特色を1つ選び、検討するという学習を通じて社会科としての「世界史」を追究した。橘や上野の構想と実践は、「世界史」の草創期の模索として再評価すべきであろう。

 第7章「「世界史」準教科書における外国史教育から社会科世界史教育への転換」では、「世界史」の実施後、未だ検定教科書が存在しない194951年度に活用された「準教科書」(30種50冊)について、その位置づけと資料的価値、発行状況や作成主体、準教科書における世界史の構成や学習の意味が幅広く考察されていて、多くの事実を学ぶことができる。準教科書は、位置づけや基準の曖昧さ、使用状況の情報量の少なさ、体系的な収集・所蔵機関の不在などの点で「世界史」教育史研究で未知な部分が多いという。戦前の「東洋史」「西洋史」検定教科書の執筆者が歴史研究の権威的人物であったことに対して、準教科書では40歳代を中心とする比較的若手の研究者であったこと、さらに、個人の高校教員や日教組近畿協議会などの組合団体、信濃教育会など地域の教育団体などが執筆の主体であったという事実に新鮮な感銘を受けた。新科目「世界史」への当時の人々の期待と課題意識などが強く感じられる事例である。また、「世界史」準教科書には、戦前・戦後の外国史教科書(国定・検定)とは異なり、多くの設問や学習課題を設け、参考文献が掲載されていたことも、生徒の自主的な学習を謳う社会科「世界史」学習の特色として興味深い。

 次に、内容と構成に関しては、「内容の伝達を重視した準教科書」(世界史を1つにまととめたタイプと東洋史・西洋史に区分したタイプなど)や「単元にもとづいて構成した準教科書」など様々な構成が現れたが、西洋史を中心にして東洋史を融合・統合することに苦慮していたこと、そしてモデルとしての西洋近代が世界史学習の主軸になる起点が形成されたことを指摘している。それは、敗戦後のGHQの占領統治が続く中、模範としての西洋近代の大きさと、世界史を構成する作業の困難を示している。

 第8章「「世界史」大学入学試験問題における外国史教育から社会科世界史教育への転換」では、1949年度の「世界史」実施と、同年度に発足した新制国立大学の入学試験の関係を実証的に論じている。「世界史」は新科目であるため、1948年度の選択科目「東洋史」「西洋史」「国史」が受験科目となり、1949年6月に入試が行われた。文部省は「出題方針と問題例」を配付し、社会科の学力検査について、知識の記憶量や些末で特殊な専門的な事項の出題、従来の論文テストを避け、客観的なテスト(組み合わせ法、選択法など)の作成を指示した。また、「問題例」として3つの「テストすべき能力」(A 重要な概念および原則の理解、B データを正しく処理し解釈する能力、C 基礎的な知識や原則を応用する能力)を提示した。しかし、国立大学入試の実施後、全国の高校教員からは、入試とそのための暗記学習が「世界史の学習にわざわいしている」「世界史(学習)の発展にブレーキをかけている」という多くの批判が出されたという。これは、「世界史」実施の初年度からすでに「社会科としての「世界史」授業と入試の試験問題との乖離」が顕在化したことを意味し、現在に至る学校教育での授業と大学入試の関係・接続の困難を実感させる。翌1950年度入試では初めて「世界史」が入試科目になり(「東洋史」「西洋史」は1951年度入試まで残る)、文部省は大学側に「世界史学習上の重要概念(試案)」を「学力テスト出題の参考」として提示したが、高校側(学習指導要領も検定教科書も未発行状態)には提示されず、しかも挙げられた概念が極めて西洋史に偏り、「アジヤ社会発展の特殊性」などが含まれていたと指摘している。ここには、文部省と大学側、高校側との連携の不足、根強い西洋中心史観の刻印がうかがわれる。その後も文部省は大学入試に対する具体的な施策を重ね、1955年度入試対応として「客観テスト」と「論文体テスト」の併用へと方針をシフトさせるが、試験の形式面の改革が先行し、受験生に過重な記憶を強いる出題が後を絶たず、従来の知識偏重を助長する結果を招いたという。著者は「世界史」がその実施とともに大学入試に組み込まれ、「世界史」学習の内容を問う検討と入試問題の検討が別々になされ、教育の理想と入試の現実のはざまに立たされた「世界史」教員の苦悩が「世界史」実施直後に始まっていたと述べている。私は上記の事実を知り、小川幸司氏が名づけた「嫌われる“暗記地獄”としての高校世界史」「苦役への道は世界史教師の善意でしきつめられている」という言葉(『歴史学研究』2009年10月増刊号、のちに『世界史との対話(上)』地歴社、2011年に再掲)を想起し、2006年の高校世界史未履修問題の原点を垣間見たような印象を覚えた。

 第9章「成立過程から見た高校社会科「世界史」成立の意義」では、8章までの考察をふまえ、「世界史」新設の意義を総括している。「世界史」設置は、新制高等学校の発足に伴う新しい教育課程とその理念を実現するための教育的要請にもとづくこと、戦中・戦後直後(1945~1946年)の歴史科外国史教育から社会科「世界史」教育への転換には2つの課題(1歴史科の教育から社会科の教育への移行、2「東洋史」「西洋史」の外国史教育から「世界史」教育への転換)を内包したこと、しかも、社会科の外国史教育(「東洋史」「西洋史」)は形式的で内容が不十分だったため「世界史」教育への転換は一足飛びの飛躍が求められ、「世界史」の実施後、学習指導要領も検定教科書も未発行の「何もない状態」のなか手探りで授業がスタートした事実を再記している。現在の社会科教育・歴史教育が「世界史」の実施期にその目的、内容と構成、方法などを根本から検討していた取り組みに学ぶことが多いという指摘に強く共感した。

 終章「本研究のまとめと意義」では、各章の考察・分析の結果を再度紹介していて、本書の研究の全体像と到達点を理解することができる。従来、未解明の要素の多い「世界史」設置の具体的な経緯と意味をはじめ、敗戦後の外国史教育の状況、教育行政による「世界史」への対応、教員たちの授業づくりと実践、「世界史」の大学入試の諸問題などを一次資料や多数の教科書(準教科書を含む)、回想やインタビュー調査を通じて明らかにした著者の研究業績は極めて大きい。

 最後に、著者は、今後の課題として、当時の授業状況のより広範な追究、未見の準教科書の分析をはじめ、対象を広げ明治期以降の歴史教育、1950年代後半以降の歴史教育の探究を挙げている。本書の刊行を通じて、高校「世界史」の成立過程の諸問題が広く社会に理解されるとともに、著者の今後さらなる研究の進展を心から期待したい。

(「世界史の眼」No.75)

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世界史寸評
米・イスラエルが仕掛けたイラン戦争についてのアラブの論評(2026年3月23日 Palestine Chronicle編集長ラムジー・バルード)
藤田進 訳

2003年のイラク自由作戦の一環としてイラクで展開する米海兵隊(写真:USMC/ウィキメディア・コモンズ)

 3月22日(日)にイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は、世界の指導者たちに米イスラエルによるイランに対する軍事作戦への参加を呼びかけ、テヘランを世界的な脅威として位置づけた。

  「もし誰かが、なぜイランが文明の敵であり、世界全体の敵であり、危険なのかの説明が必要ならば、過去48時間以内にすでに入手できている」と、ネタニヤフはイスラエルの南部都市アラドのイランのミサイル爆撃現場を訪問した際に語った。

 数日前の3月17日、アメリカ大統領ドナルド・トランプはNATO同盟国が戦争に参加を拒否していることを批判し、その立場を「非常に愚かな誤り」と呼んだ。その後、3月20日には批判をエスカレートさせ、彼らが戦いから外れたことを「臆病者」と非難した。 こうした訴えーそしてその後の明らかな消極的姿勢―は、自制や中立に関する公式声明よりも、はるかに、多くのことを物語っている。

 しかし、誇大宣伝を信じてはならない。もしヨーロッパやアラブ諸国政府が、2月28日に開始された米イスラエル戦争が本当に成功する可能性があると信じたなら、多くの国はすでに参加していただろう。

 これは、ヨーロッパや中東の指導者たちが「これは我々の戦争ではない」と主張している中で、厳しい結論に聞こえるかもしれないが、歴史はまったく異なる物語を語っている。スペイン、オマーン、その他いくつかの例外を除き、西側諸国や親米アラブ政権は原則に基づいて導かれることはほとんどなかった。彼らの記録は、リスク、リターン、勝利の可能性によって形作られた計算された日和見主義的なものである。 彼らの現在のためらいを理解するには、時を巻き戻す必要がある。

 1990年から91年にかけてイラクがクウェートに侵攻した際、ワシントンは現代史上最大級の軍事連合を迅速に結成した。国際法の名の下に、国連安全保障理事会の明確な支持のもと、米国は介入を限定的な任務、すなわちクウェート解放として位置づけた。

 その枠組みが重要だった。ヨーロッパ列強や主要なアラブ諸国も熱心に参加した。この戦争は正当で勝てるものと見なされ、アメリカの指導のもとで中東における新たな「ポストソ連秩序」形成の基盤と見なされた。

  しかし2003年までに状況は変わった。アメリカのイラク侵攻はもはや侵略を覆すためではなく、それは「テロとの戦い」というレトリックに包まれた政権交代に関するものだった。今回は、特にフランスやドイツといった主要なヨーロッパ列強が公然と抵抗した。その時、アメリカ国防長官ドナルド・ラムズフェルドは異議を唱える同盟国を「旧ヨーロッパ」だとして一掃し、東欧のより従順な政府グループ、すなわち「新しいヨーロッパ」を高めた。

 1991年の正当性を再現できなかったため、ワシントンは「意志の連合」と呼ばれる、軍事的貢献は限定的だが象徴的価値を持つ国々を含む緩やかで政治的に構築された同盟をまとめ上げた。トニー・ブレア政権下のイギリスは最も著名なパートナーとなり、ワシントンの数十年ぶりに最も物議を醸した戦争にその運命を結びつけた。 しかし、それでもためらいは原則とは一致しなかった。イラクが侵攻され国家が解体されると、同じ国際的な関係者たちが—戦争を支持していたかどうかにかかわらず—迅速に動き、自分たちの影響力を確保しようとした。エネルギー契約が締結され、復興協定が配分され、外国政府が侵攻後のイラクの管理に介入した。戦利品の方が、それに先んじるリスクよりもはるかに魅力的だったようだ。

 アフガニスタンの戦争も同様のパターンを反映していた。9.11以降、米国は対テロと集団防衛の言葉のもと、NATOや数十のパートナー国を成功裏に結集させた。最盛期には50か国以上の兵士が参加した。再び、同盟国は任務が「正当化」され、調整され、戦略的成果が見込めそうな場合にコミットする意欲を示した。

 しかし、イラン戦争はこれらの保証を一切提供していない。 これは、中東における最近の米国主導の軍事作戦の中で最も非合理的で防御に乏しく、最も危険な戦争である。 イラクやリビアとは異なり、イランは孤立しているわけでも構造的に弱いわけでもない。人口は約9300万人、広大な地理的環境、そして長期的な対立を持続させる国内の軍産能力を持つ大きく結束した国家である。 イランは地域内外で標的を攻撃する能力を示しつつ、地域の同盟国やパートナーシップのネットワークを維持し、中国やロシアなどの主要世界大国との強い政治的結びつきを維持している。

  同様に重要なことは、信頼できる政治的枠組みが欠如していることである。国連の権限も、一貫した連合も、明確な最終目標もない。代わりに存在しているのは、衝動的な米国大統領とイランをはるかに超えた野望を持つイスラエル指導部との不安定なパートナーシップである。

 ドナルド・トランプは長年にわたり伝統的な同盟国間の信頼を損ない、世界の経済関係を不安定化させ、予測不能な統治を続けてきた。このような指導の下では、戦争は計算された戦略ではなく危険な賭けとなる。 

 欧州およびアラブ諸国政府にとって、問題はもはやイランに対峙すべきかどうかではなく、ワシントンがそのような対立の結果を管理できるかどうかである。ますますその答えは「ノー」である。

  ベンヤミン・ネタニヤフの目的は限定的でも隠蔽的でもない。これは単にイランの能力を無力化するだけの問題ではない。それは、最終的にはワシントンの最も緊密なアラブのパートナーさえも従属させ、トルコのような地域大国の自治に挑戦するような形で、中東地域の秩序全体を再構築することに関わっている。

 したがって、現在のヨーロッパとアラブ政権の距離を説明しているのは、抑制ではなく計算である。

 もしこの戦争が正当性、勝利の約束、物質的または政治的利益の見込みを持っていれば、馴染み深い連合はすでに形成されていただろう。 もしより予測可能なアメリカ政権――同盟を動員し、介入を法的正当性で隠す能力のある政権――が政権を握っていたなら、対応は異なっていたかもしれない。しかし、この戦争にはそれらが何も与えられていない。

  だから幻想は捨て去らなければならない。ヨーロッパは戦争を拒否しているわけではない。アラブ諸国政府も道徳的変革を遂げているわけではない。彼らはこれまで通りリスクを評価しているのである。

 そして今回の結論は明白である。彼らが戦争に加わらないのは、それに反対しているからではなく、失敗すると信じているからだ。

https://www.palestinechronicle.com/this-is-how-we-know-the-iran-war-is-failing-and-not-for-military-reasons/

(「世界史の眼」No.75)

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世界史寸評
オルバーン失脚の世界的影響―ハンガリー選挙をめぐる報道より(その2)
2026年4月12日―18日
南塚信吾

3.トランプ政権への影響はどうか   

 オルバーンの敗北は米国のトランプ大統領に大きな影響を与えたはずである。オルバーンは、トランプとは対外政策においても、国内の体制整備策においても、共通するところが多かった。またオルバーンはアメリカの右翼に相当なテコ入れをしていた。それらがなくなったのである。トランプは、オルバーンの勝利を願うメッセージを送り、選挙中にヴァンス副大統領をハンガリーに派遣したほどである。読売新聞は、これは内政干渉のそしりは免れないと批判していたほどである(『読売新聞』)。

 「極右の権威主義者ヴィクトル・オルバーンは選挙に敗れた」。「次は11月、議会にいるトランプの追従者たちや『MAGA』の過激派たちの番だ。冬が来る」(Kassam)というのが、一般的な反応であろう。   

 ただ、オルバーンの敗北にトランプはさしたるコメントは出していない。4月14日に、「オルバーンの敗北はあまり気にしていない。新しい首相のピーター・マジャールは好きだ。彼はいい仕事をするだろう」と述べた。オルバーンについては、「もっともヴィクターはよき友人だった」、「かれは移民問題を扱うのにいい仕事をして、人々が国に入ってきて国をだめにするのを防いだのだ」とコメントしただけである(Reuters, April 15, 2026:Hungary Today,April 15, 2026)

 NYT Intは、「トランプ運動は味方を失った」という記事で少し踏み込んだ見方をしている。曰く、オルバーンはアメリカの右翼に大きな影響を与えてきた。トランプとMAGAはDNAを長らく共有してきた。反移民、メディア抑圧、出生率低下への懸念など。スティーヴ・バノンはオルバーンの事を「トランプの前のトランプ」と称したほどである。トランプの支持者の多くはオルバーンを同志と考え、いろいろな考えの生みの親とみなしてきた。タッカー・カールソン(アメリカの保守派のコメンテイター)のインタヴューで見られたように、オルバーンからインスピレーション、多くの教訓をもらってきた。だが、いまや、オルバーンの敗北はアメリカの共和党と右翼に警報を鳴らしている。ロッド・ドレア(キリスト教右派の作家)は、オルバーンと同じことをしていては、2028年の選挙で負けると考えている。今度はかれの敗北から教訓を得るべきだ。とくに経済の停滞と腐敗という点で。次の首相のマジャルも保守主義者だから、保守が退潮したわけではない。オルバーンは、16年の支配の中で、国民との接点をなくしたのだ。そこを教訓とすべきだというのである(Browning)。

 さらに、オルバーンの失脚は、トランプのEU内での影響力にも影響を与えるという。オルバーンの敗戦はアメリカのトランプの欧州右翼との関係を危なくしている。オルバーンがトランプに近く、選挙前にもトランプや副大統領のヴァンスから応援を受けたにも関わらず大敗したことを受けて、欧州の右翼はみなトランプとの関係を再考している。とくにトランプのグリーンランド政策やイラン攻撃が不評であった(Adghirni)。

 このように、アメリカの保守派はオルバーンの敗北から、教訓を学ぶように迫られている。反面、民主党はマジャルの勝利から教訓を得るべきだという議論もある。

4.EUとの関係はどうか  

1)EU側の歓迎

 オルバーンの敗戦を最も歓迎しているのはEU指導部であろう。これまで、オルバーン政権がロシアに対するEUの追加制裁や、ウクライナへの900億ユーロ(780億ポンド)の追加融資に拒否権を行使したことを受け、オルバーン政権とEUの対立関係は新たな低水準にまで悪化していた。その後、オルバーン政権がEUの機密情報をモスクワに提供したとの疑惑が浮上し、ブダペストとブリュッセルの間の緊張は頂点に達した。こういう状況にあったから、EUはオルバーンの敗北とマジャルの勝利を歓迎した。

 フランスのマクロン大統領、ドイツのメルツ首相、スペインのサンチェス首相、ポーランドのドナルド・トゥスク首相、欧州連合(EU)のフォンデアライエン委員長らがマジャルの勝利を祝福することを表明した。フォンデアライエンは、4月12日、「今夜、ハンガリーで欧州の鼓動はより力強く響いている」と述べた。ただ、オルバーンと近い関係にあるとされてきたイタリアのメローニ首相は「友人のビクトル・オルバーン氏に対し、長年にわたる緊密な協力を感謝する」とねぎらいの言葉を投稿し、「今後も野党の立場から自国に尽くし続けるだろう」とした(「対立から結束へ」『朝日新聞』 2026年4月13日)。

 このように大体においてEUは歓迎しているが、マジャルはもろ手を挙げてEUに一体化するかどうかは不明である。かれはEUの対ウクライナ政策に全面的に賛成しているわけではない。マジャルはまた、EUの課す移民割り当てには反対し、国境のフェンスは維持することを公言している。かれの当面の狙いはオルバーンが民主的政治をしていないというので差し止められていたEUからの補助金を入手することである(Komuves)。

2)EU内のオルバーンの遺産

 オルバーンは、非リベラリズムを広めるため、国内では、研究機関としてドナウ研究所、教育機関としてマーチャーシュ・コルヴィヌス・コレギウムを作ったが、2022年にEUの中でも「MCCブリュッセル」というシンク・タンクを作り、ヨーロッパだけでなく世界中から非リベラリズムを研究する人を集め、発信していた。これはハンガリーのマーチャーシュから資金を受けていたが、マーチャーシュはハンガリーのMOLから資金をもらっていた。マジャルはこれらを解散すると宣言しているが、大統領のシュヨクが拒否するかもしれない。それに「MMCブリュセル」はかなりの人脈を作ってしまっている(Smialek)。それに、EU内には、ベルギーのデウェーフェル首相、ポーランドのナヴロツキ大統領、スロヴァキアのフィツォ首相、チェコバビシュ首相など、オルバーンに同調していた保守派が存在する。

 しかし、EUが少しは議論のできる場になったことは間違いなさそうである。

5.ロシアとの関係はどうか 

 オルバーンは、ロシアのプーチン大統領と関係が近く、EU加盟国の全会一致が必要な対露制裁やウクライナ融資などで再三、「拒否権」をちらつかせてきた。それゆえ、オルバーンの敗戦がロシアとの関係にどういう影響を与えるかが注目された。

 今回の選挙では、オルバーンを支持するロシアがSNSなどを通じて偽情報を拡散し、世論工作を仕掛けたと指摘されるが、これも内政干渉だと『読売新聞』は批判していた。

 ロシアへの影響という点では、オルバーンが負けても、ハンガリーとロシアとの関係が切れるわけではないだろうと言われる。エネルギー問題があるから、マジャルは「プラグマティック」に対応しようとしているし、ロシア側もそのようである(Nepszava Peszkov)。マジャルは現在80%をロシアに依存しているエネルギーの入手先を多様化すると宣言しているが、これには時間もかかるはずであり、「ハンガリーはモスクワと完全に手を切ることはできない」と考えられている(Flynn; Sonne)。

 また、ロシアのウクライナでの戦争について、ロシアのペスコフ大統領報道官は、選挙結果を受けてすぐに、「ロシアとウクライナの紛争の先行きとは何の関係もない」と主張した(「対立から結束へ」『朝日新聞』 2026年4月13日)

 ロシアも「プラグマティック」な関係で行こうと言っており、そういう関係がどうなるのか注目される。

6.ウクライナとの関係はどうか 

1)ハンガリー側から見ると

 ハンガリーとウクライナの関係はザカルパチアにいる16万人のハンガリー人マイノリティをめぐって、緊張しているが、オルバーンはそれを強調し、ウクライナのEU加盟への反対につないできた(Méheut)。マジャルもウクライナとの関係はウクライナ内のハンガリー人マイノリティの権利の回復次第だと言っている(Flynn)。マジャルは、ロシアへの傾倒が過ぎるのは批判したが、ウクライナ戦争については語っていない。またウクライナの早急なEU加盟には原則として拒否しているわけでないが、慎重だと観測されている(Méheut;Komuves)。

 Al Jajeeraは、反ウクライナだったオルバーンの敗北は歓迎している。というのは、トランプ―ネタニヤフ―オルバーン―プーチンと繋がっていた反EUの地政学が崩れたからである。この結果、ウクライナへの支援の障害が消え、イスラエルへの支援も消えたのだとみている。しかし、ハンガリーとウクライナの関係については、ロシアとのエネルギー問題があり、ウクライナの中のハンガリー人問題があるので、マジャルはウクライナを全面支持ではないだろうとみる。ただ、ウクライナへのEUの融資は認めるだろうと観測している(Ragozin)。

2)ウクライナ側から見ると   

 ウクライナのゼレンスキー大統領は、マジャルがオルバーン前首相と同様に、同国への武器供与やキエフのEU加盟手続きの迅速化に反対する姿勢を継続すると表明しているにもかかわらず、ウクライナはハンガリーとの協力を進める用意があると述べた。「我々は、両国の利益のため、そして欧州の平和、安全、安定のために、会談や建設的な共同作業を行う用意がある」というのである(Kassam)。 

 たしかに、キエフにとってEU内の最も頑固な敵がいなくなった。EUからの900億ユーロのローンが可能になった。しかし、マジャルはウクライナの全面的な味方ではなく、EU内の他の指導者にもそれ以上キエフを支持することには懐疑的な人たちがいる。マジャルは、ウクライナへの軍事支援の拡大には慎重で、特にEUの早期加盟については反対している(Flynn)。

 Al Jajeeraは、反ウクライナだったオルバーンの敗北は歓迎しているが、まだヨーロッパには、ベルギーのデウェーフェル首相、ポーランドのナヴロツキ大統領、スロヴァキアのフィツォ首相、チェコバビシュ首相など、オルバーンに代わるウクライナ懐疑派がいるという(Ragozin)。オルバーンがいなくなってもこれは変わらないだろうというわけである。

7.イスラエルとの関係はどうなる

 オルバーンの敗北がもたらす影響は、イスラエルのネタニヤフ首相と、同政権の欧州における立場にも直ちに影響を及ぼしている。オルバーンは、欧州連合(EU)内でイスラエルにとって最も信頼できる同盟国としての役割を果たしていた。オルバーンとネタニヤフの政治的関係は、国家主権の重視、移民への敵意、そしてリベラルな国際機関への反対といった、共通のイデオロギー的基盤に根ざしていた(Palestine Chronicle, April 13, 2026)。

 オルバーンの敗北が、即座にイスラエルに対するハンガリーの敵対的な政策につながるわけではない。マジャルは、ガザ問題やネタニヤフ自身について、まだ明確な立場を打ち出していない。だが、ハンガリーは、イスラエルを標的としたEUの取り組みに対して反射的に妨害を行うことはもはやないと見られており、ガザ問題に関するより強固な共同の立場や、より広範な説明責任を求める措置への道が開かれたとされている(Palestine Chronicle, April 13, 2026)。Plestine Chronicleは、イスラエルのネタニヤフを押しているオルバーンが消えたので、安堵している。EUとして動いてくれることに期待しているわけである。 

8.中国との関係

 中国との関係については、NYTなどは語っていなかった。実はオルバーンは「東」への強い関心を持っていて、リベラルの支配する「西」とそうでない「東」との間の架け橋をするのが、非リベラル・デモクラシーのハンガリーなど「中欧」であると主張していたのであった。

9.世界の保守派とリベラル派への影響はどうか

1)保守派の動き

 読売新聞は、オルバーンは、移民やEUやウクライナなどを「仮想敵」とし、敵意や憎悪をあおってきた。同様の手法はハンガリー以外の欧州にも広がり、ドイツやフランスなどで「自国第一」を掲げる排外的なポピュリズム(大衆迎合主義)勢力を伸長させてきた。オルバーンの退陣が、欧州の極右勢力の伸長の変調につながるかどうかを注視する必要があるとする(『読売新聞』)。

 オルバーンの敗北は世界的な保守の動きに大きな意味をもつ。フィデス政権は、ドナウ研究所とマーチャーシュ・コルヴィヌス・コレギウムに世界中の保守派を集めて、支援していた。いまやそれはできなくなるはず。オルバーンのもとでは、ブダペシュトは祖国の政府ではのけ者にされた世界中の保守派のデズニーランドとなっていた(Goldberg  April 14)。オルバーンは、アメリカの保守派と繋がりがあり、彼らを支援していた。例えば、アメリカのキリスト教保守派のドレアをドナウ研究所のフェローに受け入れていた。

 NYTの一コメンテイターは、少なくとも過去20年間、世界的に見てリベラリズムに対する右翼の敵には活力とエネルギーがあったが、今や、現代ポピュリストの先駆者であるオルバーンも、その権化であるトランプも落ち目にあるという(Goldberg April 14)。そうかもしれないが、それでも、ポーランドのナヴロツキ大統領、スロヴァキアのフィツォ首相、チェコのバビシュ首相は保守派であることは無視できないはずではなかろうか。

2)リベラリズムが学ぶべきこと。

 NYTは、オルバーンの敗北からリベラリズムが学ぶべきこととして、保守派のコメンテイターの意見を載せている。

 第一の教訓は、ポピュリズムが台頭する状況下にある西欧の民主主義は、ある種の不安を抱くアナリストが示唆するよりもはるかに強靭であるということ。権威主義的な動きを見せる指導者がいることと、実際に権威主義国家であることとの間には極めて重要な違いがあり、前者の状況から後者へと至る道筋は、「専制政治」と書かれたスイッチを単に切り替えるような単純なものではない。

 第二の教訓は、ポピュリズムに対する最善の政治的対応は、民主主義の危機を理由に、いかなるものであれ人々に既成体制への支持を求めるのではなく、ポピュリズムの具体的な政策要求に対処することにある。

第三の教訓は、冷戦後の秩序の危機は、いわゆる「ポストリベラル」を標榜する知識人とは無関係に存在しているということ。ポピュリズムやナショナリズムという現象は、大量移民、出生率の急落、脱工業化、そしてデジタル化に伴うアノミーという時代に対する有機的な反応であり、保守派の知識人たちはこの反動に便乗してはいるが、彼らが生み出したわけではない。

 最後に、反民主的あるいは非自由主義的になり得るのはポピュリストだけではない。EUというリベラルな政治的枠組みでさえ、時に「民主主義の欠如」に侵されているといわれる。官僚階級が世論を無視し、国家主権を蹂躙するのである。欧州にもリベラリズムの名の下に「ソフトな専制」を行ったり、人権と人間の尊厳に対する冒涜を永続させたりしている諸政府があり、それと同時にポピュリストのオルバーンもいたのである(Douthat)。

 以上がNYTなどの論評である。オルバーンの退場とマジャルの政権発足ののち、数か月して、今回の政変の意味がより明確になってくると思わる。その時の観測はどうなるであろうか。注目しておきたい。

参考文献

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Dmitrij Peszkov: Soha nem voltunk barátok Orbán Viktorral, Nepszava, 2026.04.14
Donald Trump: Orbán Viktor a barátom volt, Nepszava, 2026.04.14
Így fogadták Bulgáriában a magyar választási eredményeket, Magyar Nemzet, 2026. 04. 15
「強権にノー、EU回帰へ=対ロ融和見直し―ハンガリー総選挙」,『時事通信』 2026年4月14日
「ハンガリー総選挙、オルバン首相の与党敗北 16年ぶり政権交代へ」 『朝日新聞』 2026年4月13日
「オルバン氏の退陣で何が変わる? ハンガリー総選挙、3つのポイント」 『朝日新聞』 2026年4月13日
「対立から結束へ ハンガリーの政権交代、欧州首脳が次々に「歓迎」」『朝日新聞』 2026年4月13日
「ハンガリー選挙 欧州極右伸長の流れ変わるか」『読売新聞』2026年4月16日

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Bottoni, Stefano, Orban’s Fall Is an Astounding Achievement, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Bottoni, Stefano, Orban’s fall is an astounding achievement, New York Times International Edition (以下NYT Int) , April 16, 2026
Breeden, Aurelien, Who is Hungary’s next leader? NYT Int, April 14, 2026
Broder, David, For Orban, Trump may be his ruin, NYT Int, April 10, 2026
Browning, Kellen and Goldmacher, Shane, MAGA Absorbs the Loss of Orban, a Kindred Spirit to Trump’s Movement, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Browning, Kellen and Goldmacher, Shane, Trump Movement loses a ally, NYT Int, April 15, 2026
Douthat, Ross , The Four Lessons Liberals Should Consider After Orban’s Defeat, NYT, April 18, 2026
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  (国際版に再録)
  Sonne, Paul, Hungary can’t afford a full break from Moscow, NYT Int, April 17, 2026

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世界史寸評
オルバーン失脚の世界的影響―ハンガリー選挙をめぐる報道より(その1)
2026年4月12日―18日
南塚信吾

 2026年4月12日(日)に行われたハンガリーの国会選挙では、ヴィクトル・オルバーンの率いるフィデス(青年民主同盟)党が大敗し、ペーテル・マジャルの率いるティサ(尊敬と自由)党が地滑り的な勝利を得た。16年にわたって続いたオルバーン政権は終焉した。確定した結果によると、国会の議席199のうち、ティサは141議席を獲得し、フィデスは52議席にとどまった。

 一国の選挙がこれほど世界的に注目を浴びたのはまれであろう。この選挙は、ハンガリー国内だけでなく、アメリカのMAGA運動や世界中の極右勢力の強靭さを試す試金石として、世界中から注目された。彼らの多くはかねてよりオルバーンを模範として、その戦略を模倣しようとしてきたからである(Kassam)。 ニューヨーク・タイムズ(NYT)の国際版(NYT Int)やジャパン・タイムズ(JT)をみると、何度も全面を使ってオルバーン失脚の世界的意味を論じていた。オルバーン失脚の世界への影響はどうか。NYTとJTを中心に内外の報道を取り入れて議論を整理してみたい。

1.オルバーンはなぜ負けたのか

(1)オルバーンの敗因

1)経済不振と腐敗・縁故主義

 オルバーンの率いる右派ポピュリスト政権は、在任期間中、自らの権力を抑制していた権力分立の仕組みを着実に弱体化させてきた。具体的には、選挙法を自らの利益になるよう改正し、国内メディアの約80%を支配下に置くべく工作を行い、司法制度を再編した。(ガーディアン)16年に及ぶ長期政権を築いたオルバーンは、司法介入やメディア統制を通じ、権力を追求しつつ政敵を排除してきた(『時事通信』)。

 このように、オルバーンは、中央地方の政治・司法・文化の諸機関に自分の息のかかった人物を配置して、権力を固めたはずであるが、それでも選挙で負けたのである。

 その理由を読売新聞はこう伝えた。ハンガリーは、ロシア産エネルギーの輸入や、中国からの投資を頼りに経済成長を目指してきた。だが、国内総生産(GDP)成長率が2023年以降、3年連続で1%を下回った。1人あたりGDPはEU加盟国で下位にある。中露に依存し、国家管理を強化する手法が限界を迎えていたのは明らかだ。オルバーン体制で横行した汚職や縁故主義も、経済成長を妨げてきた要因といえる(『読売新聞』)。これは的を射ている。

 筆者の友人で、ハンガリーの著名な画家・イラストレーターであるフェレンツ・バンガが、2025年3月に日本へ来たときに、オルバーンの政治について聞いたことがある。かれは、①物価が高く、生活は苦しくなった。石油はあるが、とても高い。②小学校が教会に売却されて、半数は公立ではなく教会の経営になってしまった。だから教育が一面的になっている。③出版社がどんどんなくなり、経費を削減しようと、出版にさいしてイラストを入れなくなった。④身近にあった小さい商店が消えて、スーパーだけになった。⑤行政、メディア、教育・研究、病院などの管理職はすべてオルバーン派の人間になってしまった。⑥町には警官ばかりが目に付いてしまう。日本はとても少ないので驚きだ、などとオルバーンを批判していた。これが、ハンガリーの国民のレベルでの目線に近いだろう。

 要するに、経済と腐敗・縁故主義がカギであったようだ。ただ、この両者は因果関係にあったという指摘がある。政治での一党支配と家父長的な支配は、ハンガリーの19世紀以来の政治の伝統だから、それで批判が募ったということはない。そうではなくて、経済政策で、自分の周辺の人間に公的な金を流して太らせ、反面国民を貧困にした。特に中産階級が激減した(Bottoni)。

 これ以外に、アメリカのトランプ政権との絆が逆に作用したと指摘するものもある(Broder)。とくにイラン戦争はトランプ政権への評価を下げたようだ。

2)「ポピュリズムのパラドックス」 

 こういう国民を貧困にしたといった問題を、NYTはポピュリズムの問題として論じている。NYTは、ポピュリストがピープルの要求に答えられなかったのだという。「結局、右翼ポピュリズムのハンガリー人先駆者はポピュリストであることを完全にやめたのだ」。マジャルが批判したように、「オルバーンは何年もの間、ハンガリーの人々に関係する問題に注意を払ってこなかった。」「われわれは、かれが医療や教育や生活費について語るのを聞いたことがない」(Higgins)。

 オルバーンはプーチン(2019年)やトランプ(2016年)よリも早くに「リベラル・デモクラシーは盛りを過ぎた」と言った。しかし、かれは負けた。なにが起きたのか。それは政治の基本のことで、「選挙に勝つには人々に人気がなければならない」という基本が示されただけのことだ。日曜日に起きたことは、ハンガリー国民にイデオロギー的な地震や方向転換が起きたということではない。単に人間的なことである。国民は、しだいにおべっかと、大きな宣伝マシーンからの賞賛に甘やかされるようになった強いリーダーを倒したのである(Higgins)。

 オルバーンは「ポピュリズムのパラドックス」に陥って敗北したのだとする説もある。「ポピュリストのパラドックス」と呼ばれる、よく知られたパターンがある。一部のポピュリスト指導者は、「腐敗を一掃し、汚職と闘う」という公約を掲げて勝利を収める。しかし、一旦権力を握ると、彼らは汚職を防ぐための制度を徐々に弱体化させ、その汚職を利用して自らの支配を強固なものにしていくのである(Bennhold)。

3)政治家というよりは「興行主」

 最後に皮肉たっぷりの議論を「ウオール・ストリート・ジャーナル」が載せている。曰く、オルバーンを支持する米国の「オルタナ右翼」も、国際的なリベラル派のオルバーン批判者も決して、長年ハンガリー首相を務めた彼を真に理解していたわけではなかった。本当の独裁者であれば、自分の権力を脅かす選挙を回避あるいは制御する手段を見つけていただろう。オルバーンは結局、政治家というよりは興行主だった。移民、キリスト教、同性愛、世界主義的自由主義、国家主権にロシアなど、オルバーンはどこに熱い議論を巻き起こす争点があるかを知っていた。彼はそれを頻繁に強く刺激した。ナショナリスト的な保守派はそれを大いに喜び、世界主義的自由主義者は激怒した。その一方で、オルバーンは政治機構の構築に精を出したが、それは世界を変えることより、自分の権力を維持することを重視するものだった。

 過去16年の大半において、オルバーンの体制は機能してきた。彼が掲げた大義は、高齢化と人口減少が進むハンガリーにおいて、将来に不安を抱き、移民や文化的変容に脅威を感じる国民の共感を呼んだ。同時に、EUの世界主義的、脱国家的かつ脱歴史的なリベラル思想に対する彼の反対姿勢は、世界中で支持者を集め、それが彼の国内での地位強化に役立った。

 だが、オルバーンは建設者というよりエンターテイナーとして優れていた。広く称賛された彼の家族重視政策も、ハンガリーの人口減少を反転させることができなかった。有能な若いハンガリー人が西欧に移住する状況が続いた。汚職が広がる中、経済は停滞した。ハンガリー人はかつて旧ワルシャワ条約機構加盟国の住民の中でも最も裕福な部類に入っていた。だが現在では、ルーマニア人より貧しい。選挙区の恣意的な改定やメディア操作は、発想力に欠けるように見える指導部に対する国民の倦怠感の高まりを克服することはできなかった(Mead)。

 オルバーンもマジャルもイデオロギー的に大差がないことを考えると、このような見方もあり得るかもしれない。

(2)マジャルの勝因   

1)EUと縁故主義

 マジャルは、なぜ大勝したのか。鍵は、EUと縁故主義に主に求められている。マジャルは、ハンガリーとEUの緊張した関係を修復し、汚職を取り締まり、生活水準を引き上げ、長年放置されてきた公共サービスに資金を投入すると公約した(Kassam;Breeden)。マジャルは現在の体制とはきっぱりと決別すると断言し、とくに公的資金で私腹を肥やす連中は排除すると約束した(Goldberg April 13)と言われている。

 そのうえで、マジャルは独特の運動を繰り広げてきた。2年間にわたり、マジャルは急成長する自分の運動を全国の村々や町の広場、そして都市へと広め、長年にわたりハンガリーに蔓延していた縁故主義や汚職にうんざりしていたハンガリー国民を結集させてきた(Kirby)。私の友人で、元ハンガリー科学アカデミー総裁であった歴史家のベレンドUCLA名誉教授は、マジャルが全国の町や村を回って人々と直に接したことを重視している。もともとオルバーンは地方に強いはずであったが、そこを縁故主義や汚職を批判するマジャルに掘り崩されてしまったのである。

2)二つのポイント

 NYTの編集部はマジャルの選挙キャンペーンの二つのポイントを指摘した記事を載せている。

 一つに、生計に関する問題に焦点をあてたこと。ティサ党は、政府のサービスの非効率を批判、勤労家族の減税、医療の拡大、年金の増額、児童手当の拡大、学校の補助員の給料引き上げを公約、富裕税からの収入とEUからの基金で、これを賄うとした。数家族が国の半分を持っていると言われた。マジャルは、汚職問題を中心的争点とし、それとの関係で、ハンガリーの生活水準の停滞を取り上げたのだ。

 二つに、社会的進歩主義を採らなかったこと。マジャルは中道右派で勝利した。経済的には進歩主義だが、文化的には保守とは言わないが中道である。マジャルは、右派として愛国的シンボルを使った。国旗がその例だ。彼の名前も得している(=マジャルとはハンガリーのことである)。かれはナショナリストだと公言している。かれは農村部を回った。ウクライナのために軍隊や武器を送らないと約束した。LGBTQのデモには出なかった。移民については、オルバーンよりも厳しい規制を主張した。ハンガリー在住のアメリカの保守主義者ロッド・ドレアは、マジャルが勝ったのは、「少なくとも公的には、かれがオルバーンの支持するすべての事を受け入れたからである」という。マジャルは、不法移民に反対し、同性愛にも反対している。選挙は、中道右派と権威主義的右翼との争いだったのだ(The Editorial Board)。

3)「オルバーンでないこと」   

 マジャルの勝利は、イデオロギーや政策体系の故ではないとの声が強い。マジャルの勝利は、オルバーンとのイデオロギー上の隔たりを巧みに最小限にとどめつつ、自身の能力と誠実さに焦点を合わせたことにある(Mead)とか、マジャルは、オルバーンと同じような考えをする保守派であるが、かれはオルバーンほど好戦的でも断定的でもなく、自国ともEUとも仲良くやっていく「人間的な」ハンガリー人であることを約束したのだと言われた。そしてついには、マジャルは医療や教育やEU対策などについて詳しく語ったことはなく、かれの最大の強みは「オルバーンでないこと」だったのだ(Higgins)とされる。これがポイントかもしれない。

2.ハンガリーの国内政治はどうなる  

1)喜ぶ人たち

 『ガーディアン』は、オルバーンの敗北を喜ぶ国民の声を伝えている。「独裁政権や右派のイデオロギー、そういったものはすべて消え去り、私たちはより良い国を作るチャンスを得たのです」。「希望に満ちて、幸せです」。「これからの4年間が、過去16年間よりも良いものになることを心から願っています」。「今後4年間、ハンガリー国民は安全、平和、自由を享受でき、誰にも生活に干渉されることはないだろう」という声である(Kassam)。ハンガリーの地方都市に住むわたしの友人は、地方の文化の維持、育成に熱心に取り組んでいるが、彼は「これで、創造的な仕事ができるようになる」と喜んでいる。

2)そんなに喜んでいいのか

 たしかに、ティサ党が公約してきたように政府のサービスを効率化し、勤労家族の減税、医療の拡大、年金の増額、児童手当の拡大、学校の補助員の給料引き上げは実現していくだろう。富裕税を導入し、数家族が国の半分を持っているという汚職と縁故主義は一掃していくだろう。国民の生活水準の引き上げ、医療制度の改善も約束している。教育関係の改善も実行するだろう。また、対外的には、「同盟国からの信頼回復」や「脱ロシア産エネルギー」を目指し、EUとの関係改善に努めるとみられる。そして、オルバーンのように中国など「東」を重視するよりも、「西」へ回帰することを目指している。

 だが、マジャルはやはり保守派なのである。マジャルはかつてはオルバーンに刺激を受けた人物で、その後汚職問題などを機にオルバーンとフィデスに幻滅してそれを批判するようになった。しかし思想は保守なのである(Goldberg April 15)。マジャルは、難民受け入れには批判的である。また、LGBTQをオルバーンほど毛嫌いすることはないとはいえ、LGBTQには慎重である(Breeden)。対外的にも、ウクライナの「迅速なEU加盟」には反対の立場で、EUなどと一定の緊張関係が続く可能性はある(『時事通信』)。

3)もっと深刻に考える人もいる。

 「ハンガリーの今後の道筋は複雑なものである。フィデス党による経済界、メディア、行政、司法への支配は、広範囲かつ深く及んでいる」とみる人もいる(Kassam)。

 「オルバーンがいなくなってもハンガリーはまだむつかしい状態がつづく」とみるのは、選挙制度の問題があるからである。今回の選挙は独特の選挙システムのおかげである。ティサは投票の53%しか得ていないのに、議席は141も獲った。フィデスは49議席だが、43%も得ている。それだけ非リベラリズムの支持者がいるということだ。ティサの票には中道右派とリベラルと左派の票が混ざっているのであると言われる(Kisilowski)。

参考文献

Orbán Defeated: Netanyahu Loses Key EU Shield as Europe Reopens Gaza Debate, Palestine Chronicle, April 13, 2026
Dmitrij Peszkov: Soha nem voltunk barátok Orbán Viktorral, Nepszava, 2026.04.14
Donald Trump: Orbán Viktor a barátom volt, Nepszava, 2026.04.14
Így fogadták Bulgáriában a magyar választási eredményeket, Magyar Nemzet, 2026. 04. 15
「強権にノー、EU回帰へ=対ロ融和見直し―ハンガリー総選挙」,『時事通信』 2026年4月14日
「ハンガリー総選挙、オルバン首相の与党敗北 16年ぶり政権交代へ」 『朝日新聞』 2026年4月13日
「オルバン氏の退陣で何が変わる? ハンガリー総選挙、3つのポイント」 『朝日新聞』 2026年4月13日
「対立から結束へ ハンガリーの政権交代、欧州首脳が次々に「歓迎」」『朝日新聞』 2026年4月13日
「ハンガリー選挙 欧州極右伸長の流れ変わるか」『読売新聞』2026年4月16日

***

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Bennhold, Katrin, Hungary’s Populist Paradox, New York Times, (以下NYT), April 14, 2026
Bottoni, Stefano, Orban’s Fall Is an Astounding Achievement, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Bottoni, Stefano, Orban’s fall is an astounding achievement, New York Times International Edition (以下NYT Int) , April 16, 2026
Breeden, Aurelien, Who is Hungary’s next leader? NYT Int, April 14, 2026
Broder, David, For Orban, Trump may be his ruin, NYT Int, April 10, 2026
Browning, Kellen and Goldmacher, Shane, MAGA Absorbs the Loss of Orban, a Kindred Spirit to Trump’s Movement, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Browning, Kellen and Goldmacher, Shane, Trump Movement loses a ally, NYT Int, April 15, 2026
Douthat, Ross , The Four Lessons Liberals Should Consider After Orban’s Defeat, NYT, April 18, 2026
  (国際版に再録)
  Douthat, Ross, What liberals should learn from Hungary, NYT Int, April 21, 2026
The Editorial Board, Here’s How to Defeat Trumpism, NYT, April 14, 2026
  (国際版に再録)
  The Editorial Board, How to Stop a would-be autocrat, NYT Int. April 15, 2026
Escritt, Thomas, Simon, Zoltan & Kasnyik, Marton, End of Orban era in Hungary,  JT, April 14, 2026
Flynn, Daniel, Dysa, Yuliia & Bayer, Lili, Hungary vote removes Kyiv’s staunchest foe in EU, JT, April 15, 2026
Goldberg, Michelle, He Was ‘Trump Before Trump.’ Now He’s in Trouble. NYT, April 11, 2026
  (国際版に再録)
  Goldberg, Michelle, Orban was “Trump before Trump”. Now he’s finished, NYT Int, April 14, 2026
Goldberg, Michelle, What Orban’s Defeat Means for the Rest of the World, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Goldberg, Michelle, What Orban’s defeat means for the rest of the world, NYT Int, April 15, 2026
Higgins, Andrew, In Hungary, a populist lost his popularity, NYT Int, April 15, 2026
Jakes, Lara, 4 Takeaways From Viktor Orban’s Defeat in Hungary’s Election, NYT, April 13, 2026
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Komuves, Anita, Once inspired by Orban, Magyar unseats him, JT, April 14, 2026
Landler, Mark , Orban’s Defeat Punctures Europe’s Far Right, but Also Offers It a Road Map, NYT, April 16, 2026 (Updated April 21)
Mead, Walter Russell, The Curtain Falls for Hungary’s Orbán, Wall Street Journal, April 14, 2026,
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Smialek, Jeanna and Ryckewaert, Koba, Will Viktor Orban’s Legacy Lives On in Brussels, Even Without Him?  NYT, April 14, 2026
  (国際版に再録)
  Smialek, Jeanna and Ryckewaert, Koba, Populist vision lives on in Brussels think tank, NYT Int, April 16, 2026
Smialek, Jeanna, Orban Loss in Hungary Is a Big Moment for the E. U. Heres Why, NYT. April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Smialek, Jeanna, New leader in Hungary may bolster E.U. unity, NYT Int. April 14, 2026
Sonne, Paul, Hungary May No Longer Be Putin’s Ally, but It Can’t Afford a Full Break, NYT, April 13, 2026
  (国際版に再録)
  Sonne, Paul, Hungary can’t afford a full break from Moscow, NYT Int, April 17, 2026

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「世界史の眼」No.74(2026年5月)

今号では、南塚信吾さんに、「幕末に於ける対外認識―レザノフ事件とモリソン号事件の影響(その2)」をお寄せ頂きました。(その1)はこちらです。また、南塚信吾さんには、昨年みすず書房より刊行されたフィリップ・テーア『東欧の体制転換と新自由主義―1989年以後のヨーロッパ』の書評もしていただいています。

南塚信吾
幕末に於ける対外認識―レザノフ事件とモリソン号事件の影響(その2)

南塚信吾
書評:フィリップ・テーア『東欧の体制転換と新自由主義』福田宏ほか訳 みすず書房 2025年

フィリップ・テーア(福田宏ほか訳)『東欧の体制転換と新自由主義―1989年以後のヨーロッパ』(みすず書房、2025年)の出版社による紹介ページはこちらです。

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書評:フィリップ・テーア『東欧の体制転換と新自由主義』福田宏ほか訳 みすず書房 2025年
南塚信吾

 本書のドイツ語の原題は『古い大陸における新しい秩序―新自由主義の歴史』である。本訳書のタイトル『東欧の体制転換と新自由主義』から想像されるような1990年前後の「東欧の体制転換」に限られた議論をしているのではないが、議論の中心はそれには違いない。著者は、2010年からウイーン大学の教授で、2020年にできた「転換研究センター」の長を務める。

 本書の章立てを並べても話の構造は分からないので、訳者自身の読み方に従って、書評をしていきたい。

1.1989年以前

 本書は、1989-91年の前に、ヨーロッパの東西において、同じように新自由主義的な転換を迎える素地が準備されていたと主張する。つまり、西欧では、80年代に福祉国家の改革は失敗し、サッチャーのような改革派が新自由主義の方向を取った。一方、東欧では、80年代に国家社会主義の改革を目指す動きがあった。東欧諸国の人びとは、冷戦研究に長らく影響を与えてきた全体主義理論がいうようには、強制的に同質化され、おびえて暮らしていたわけではなく、社会主義の体制を改革しようという動きがあった。しかし、その改革はうまく行かず、結局、新自由主義の方向に動いていった、というのである。

 これは確かにそうだが、東欧では、ソ連のゴルバチョフが東欧支援を停止せざるを得なくなったことの影響、西側で作られた新自由主義の考えがIMFなどによって東欧に植え付けられた経緯などは、もっと考慮しなければならないのではなかろうか。

2.1989-90年代:新自由主義化の第一波     

 1989年にポーランド、ハンガリー、ブルガリア、チェコスロヴァキア、ルーマニアの諸革命、ベルリンの壁崩壊、そして1990-91年に東ドイツの終焉、ユーゴスラヴィアの解体、アルバニアの体制崩壊、ソ連の解体が起きた。本書はまず、このような諸変革によって単一民族の国民国家が形成されたという。それは19世紀後半以来の国民国家形成をいっそう推し進めた国民国家形成の新時代が到来した。単一民族化の原則はこれまでより強かったという。

 東欧の体制転換を本書は「革命」と捉えている。ただ、本書は、1989年は一貫して革命と言っているが、1989-91年全体では「大変革」と言ったり、「革命」と言ったりしていて、読者には混乱させられる。ともあれ、1989―91年は、当時においてはだれも「革命」とは言っていなかった、「革命」はあとから名付けられたのだという。

 諸革命の結果、ヨーロッパでは諸革命の本当の新しさはそれが非暴力的に展開され、「交渉による革命」として進められた点にある。この非暴力性はそれまでのどの革命にもなかったという。そういう革命はいかに展開したか。本書は、旧来の国家社会主義はまだ意味があって、体制内の反対派はその改革を考えていたが、それが実現しないうちに、新自由主義が支配的になっていったと見ている。  

 こうして、東欧での新自由主義化の第一波がやってきた。本書は、東欧のなかでも、中東欧諸国(ヴィシェグラード諸国)と南東欧と旧ソ連を区別している。中東欧では1989-90年に新自由主義化が始まり、南東欧とロシアでの新自由主義化は1990年代半ば以降という。この第一波で、民営化、規制緩和、市場化が行われるが、民営化について言えば、

 この時期には、国家が統制した企業の民営化と郵便・通信・エネルギーなどの民営化が行われた。評者から見ると、90年代初頭の東欧での農業の変革問題が重視されるべきなのではないかと思われる。ポーランドを除いた東欧での生産協同組合の解体、土地の私有化が持ったインパクトは大きかったはずである。

 本書は、東欧での変化は西側世界に種々の影響を及ぼしたという。とりわけ「市民社会」という概念は東から西へ伝播した例であると指摘する。だが、評者は、「市民社会」論は、新自由主義とともに、西から来たのではないかと思っている。

 しかし、総じて西は東の転換には無反応であった。東欧の転換は、「鉄のカーテンの東側だけで生じた文字どおり片面的な革命」であった。西の平和運動や環境運動の活動家たちは動かず、チャンスが活かされなかった。左派の知識人も東欧の革命に懐疑的だったという。その間に、自由は市場での自由になってしまって、種々の改革運動は消えてしまった。そして、西も東も新自由主義が覆うことになった。

3.2000年   

 本書は、2000年ごろに東欧には新自由主義化の第二波がやってきたと見ている。西から金融セクター、不動産への外資が広まり、老齢年金や健康保険などの民営化が行われた。中東欧全体に新自由主義が浸透して、民主化が成功し定着した。南東欧と旧ソ連諸国は新自由主義化の遅れを取り戻したとされる。

 ここで、本書は、新自由主義の四つのパターンを見ている。

  1. 福祉国家的な要素を残した新自由主義体制―ヴィシェグラード諸国
  2. 明確な新自由主義体制―バルト諸国と南東欧
  3. ネオーコーポラティズム型―スロヴェニア
  4. オリガルヒ型―旧ソ連諸国

 旧ソ連では国家資本主義の体制ができたが、それは、「権威主義体制の枠組みに合うように調整された新自由主義のハイブリッド」であったという。

 こういうパターンの違いはあったが、総じて、東欧では豊かな都市と貧しい地方の格差が拡大したことを本書は指摘している。

 だが、本書は、東欧諸国のEU加盟は、この格差を縮小するのを助けたという。2004年と2007年に中東欧、南東欧はEUに加盟したのである。EUは投資をして、東部を飛躍させ、新自由主義化の第二波による格差拡大を緩和させたというのである。ただ、旧ソ連諸国では大衆とオリガルヒとの格差は拡大した。

 ヨーロッパの東西で言えば、2008年までに、東のEU新加盟国は西の既加盟国の経済水準に近づいたとされる。ヨーロッパ全体が新自由主義の下で、経済成長をするようになったのである。その中で、1990年以後の新自由主義的改革の中で主に苦しんだのは、東欧では、高齢者と年金受給者、南欧(イタリアなど)では若い世代であったと、本書は指摘する。だが、本書は農村を見ていないようだ。

4.2008―09年:金融危機  

 本書は2008年のリーマン・ショックに始まる金融・株式市場の危機を、東欧における新自由主義の危機ととらえている。この危機の中で、西欧の投資家による資本の引き上げが興り、国家予算が危機に瀕してIMFが出動することになった。この2008―09年の危機は、EU新加盟国と旧ソ連諸国に、ドイツやオーストリア以上に強力な打撃を与えた。そして、このグローバルな金融・財政・経済危機はEU新加盟国の既加盟国との経済格差の縮小傾向を突然終わらせたのだった。

 この危機への対応を本書は次にように分類している。

  1. 国家支出増で対応―ドイツ、オーストリア、ポーランド、スロヴァキア
  2. 新自由主義型―バルト諸国、南東欧
  3. 場当たり的―ウクライナ
  4. 新自由主義からの離脱―ロシア「国家資本主義」ほか

 ただし、ロシアについては、新自由主義からの離脱と言っても、完全な離脱ではないとしている。チェコやハンガリーはどこに入るのだろうか。

 本書は、2008年以降、ほぼすべてのEU新加盟国は、既加盟国より深刻な不況に陥ったが、速やかに危機を克服したという。それに比べ、南欧諸国(イタリア、ギリシア)は回復が大幅に遅れた。だからイタリアでは、左右のポピュリストが台頭した。

 この際、東部ヨーロッパでは、危機への対応として、大規模な労働移民が起き、これが景気後退の影響を緩和したという。1990年代にはポーランド人の移民が多かったが、2008年以後は、ルーマニア、ラトヴィア、リトアニアなどからの移民が多かったのである。

 この危機が克服されるにつれ、EUをさらに東へ拡大するよう働きかけが行われた(誰によってかは明記されていない)。その例が、2014年のウクライナの「オレンジ革命」であったという。この時、ウクライナでは「民主的に選ばれた」大統領ユーシェンコはEU加盟を打診した。だが、EUは「距離」を取った。EUは無理解だったと本書はいう。ついで、2013-14年にウクライナでは「本当の意味での革命的な状態」がやってきた。この革命運動(マイダン革命―評者)によって、ウクライナでは「持続的な民主主義」が確立したが、しかし、クリミアがロシアに併合され、東部ウクライナが不安定になって、革命に悲劇的な結果をもたらしたと、本書は見る。だが、本書は、ウクライナのEUへの正式加盟の選択肢を排除すべきではないという。「国全体がヨーロッパに位置し、民主的に統治され、かつEUへの加盟を望んでいるのであれば、その国家を拒絶する説得的な理由は何もない」というのである。

 ここに著者の目線がはっきりと示されている。「民主的に選ばれた」とか「持続的な民主主義」が確立したというのは、どうだろうか。例えば、マイダン革命がアメリカの「関与」したクーデタであることは、オバマ自身が認めていることである。ともかく、新自由主義を東方へ広める動きは、停滞した。

5.2016年以後:新自由主義化の停滞 

 新自由主義が深刻な社会的・地域的格差を生んだ。そのために2016年に「反自由主義的転回」が起きた。本書は、新自由主義秩序によって特に悪影響を受けた人びとの反抗が反映したのが、2016年のイギリスのEU離脱(ブレグジット)であり、アメリカ大統領選でのトランプの当選であったという。ハンガリーのオルバーンは「非リベラル・デモクラシー」を唱えて、新自由主義に対抗し始めた。これらに見られるような動きによって、本書は、この時期までに新自由主義化は「停滞」し、まもなく新自由主義と大転換の時代は「終焉」を迎えたという。本書は「停滞」といい「終焉」というが、両者はあまりきちんと整理されていないように思われる。

 本書は、この2016年の「反自由主義的転回」によってもたらされた「一時代の終焉」がパンデミックによって改めて示されたという。パンデミックは新自由主義的グローバル化に根源的な批判を突き付けた。それは、一つには、自然への容赦のない搾取への批判であり、二つには、格差の拡大への批判である。

 本書は、2022年2月24日に始まるロシアのウクライナでの戦争は、「ウクライナに対してだけでなく、自由なヨーロッパ、西側、さらには1989年の諸価値に対する戦争」であるという。しかし、他の諸事件の場合の分析と違って、本書はこの戦争の始まる過程の分析をしていない。新自由主義を東へ進めようとしたことへのロシアの反発は考慮されていない。

 ともあれ、本書は、この結果、新自由主義的秩序はさらに弱体化され、新自由主義的グローバル化は「終焉」したという。ただ本書は、ヨーロッパの新自由主義化をポジティヴに評価し、そのマイナス面は改革で直せるという立場を取っているようである。

 このあと世界はどこへ行くのか。本書はこう見ている。

「ロシアや中国によって喧伝される多元的世界秩序は、寂肉強食や暴力、勢力圏を求めての武力闘争によって特徴づけられるものとなるだろう。これは、19世紀における帝国主義の時代への逆戻りとなるかもしれない。だからこそ西側は、ウクライナがこの戦争に勝利すべく文字通り全力で支援しなければならない。1989年における民主革命の遺産を守ることが重要である。」

 現在の世界の情勢を見ていると、「19世紀における帝国主義の時代への逆戻り」をしているのは、アメリカ、イスラエルではなかろうか。「1989年における民主革命の遺産」とは、新自由主義的グローバル化のことだろうか。しかし、それは「終焉」したと言っているはずであるが、まだ「守る」べき遺産なのだろうか。

 本書では、多くの歴史的事象にかなり細かい周到な検討がされている。しかし、そういう検討がなされていない事象も散見される。それだけに、本書を素材にさまざまな議論をすることができそうである。

(「世界史の眼」No.74)

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「世界史の眼」No.73(2026年4月)

今号では、小谷汪之さんに、連載中の「蓼科の近代史」として、「蓼科の近代史 Ⅰ(下)―満洲開拓と戦後開拓」を寄せて頂きました。また、立命館大学の庵逧由香さんに、昨年刊行された林哲『朝鮮現代史論 解放一年史を問いなおす』(法政大学出版局、2025年)を書評して頂きました。また、世界史寸評として、南塚信吾さんの「アメリカ・イスラエルのイラン攻撃をどう考えるか―主要新聞の社説から―」を掲載しました。

小谷汪之
蓼科の近代史 Ⅰ(下)―満洲開拓と戦後開拓

庵逧由香
林哲『朝鮮現代史論 解放一年史を問いなおす』(法政大学出版局、2025年、511頁、6000円)

南塚信吾
世界史寸評 アメリカ・イスラエルのイラン攻撃をどう考えるか―主要新聞の社説から―

林哲『朝鮮現代史論 解放一年史を問いなおす』(法政大学出版局、2025年)の出版社による紹介ページはこちらです。

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蓼科の近代史 Ⅰ(下)―満洲開拓と戦後開拓
小谷汪之

はじめに
1 茅野市域からの満洲開拓移民
2 敗戦前後の満洲開拓移民
(以上、前号)
3 戦後開拓
4 茅野市域における戦後開拓
おわりに
(以上、本号)

3 戦後開拓

 1945年8月の敗戦時、中国、朝鮮、東南アジアなどに、民間人や軍人・軍属を合わせて約660万人の日本人がいた。そのうち約620万人が1947年末までに帰国した。在満日本人については、ソ連による日本軍将兵や一部民間人の「シベリア抑留」などのために帰還が長引いたが、約60万人とされるシベリア抑留者のうち、50万人近くが1950年末までに帰国した。しかし、1956年にシベリア抑留者の集団帰還が終了するまでの間に、約6万人のシベリア抑留者が死亡した。慢性的飢餓と酷寒という悪条件下での過酷な長時間労働、不衛生な収容所における赤痢や発疹チフスなどの感染病の蔓延、これらが多くの死をもたらしたのである(富田武『シベリア抑留――スターリン独裁下、「収容所群島」の実像』108~109頁)。

 敗戦直後の日本は食糧難に苦しんでいた。そこに海外から600万人以上の日本人が帰国することになったのであるから、食糧難が一層ひどくなることが予想された。それで、政府は1945年11月9日「緊急開拓事業実施要領」を閣議決定した。その「第一 方針」には次のように書かれている。

終戦後の食糧事情及復員に伴ふ新農村建設の要請に即応し大規模なる開墾、干拓及土地改良事業を実施し以て食糧の自給化を図ると共に離職せる工員、軍人其の他の者の帰農を促進せんとす(片仮名を平仮名に変えた)

 このように、「緊急開拓事業」は食糧増産と民間引揚者や旧軍人・軍属の帰農を目的としていた。その目標としては、100万戸の帰農、155万町歩の開墾を「概ね五ヶ年を以て完成すること」とされた。最初、入植地には旧軍用地や国有林野が充てられたが、1946年10月21日に公布された「自作農創設特別措置法」(同年12月29日施行)によって、国家が民有未耕地を強制的に買い上げることができるようになり、入植地の取得が容易になった。

 「緊急開拓事業実施要領」は、1947年10月24日の農林省議により「緊急」の文言が削除され、「開拓事業実施要領」となった。その目的からも食糧増産と引揚者等の帰農が削られ、「開拓事業を強力に推進して、土地の農業上の利用増進と、人口収容力の安定的増大を図り、以て新農村の建設に寄与することを目的とする」と改められた。敗戦後2年以上が経ち、「世の中は落ちついてきた」からであろう(戦後開拓史編纂委員会編『戦後開拓史』全国開拓農業協同組合連合会、1967年、40~42頁)。

4 茅野市域における戦後開拓

 大規模な戦後開拓は広い国有未墾地があった北海道や東北地方で多く実施されたが、長野県各地の高冷地でも行われた。その一例が八ヶ岳東麓の野辺山高原(標高1350メートル前後)の開拓である。1946年、長野県南佐久郡地方事務所は野辺山への入植希望者を募集し、長野県開拓増産隊南佐久支隊を編成した。これが、その後、野辺山の他のいくつかの開拓団と合併して野辺山開拓団となり、1948年には、農業協同組合法(1947年)に基づいて野辺山開拓農業協同組合に改組された。

 「緊急開拓事業実施要領」では、野辺山高原など高冷地の立地条件を無視した画一的な農業政策―米・麦や豆類の生産を主眼とする農業(穀菽こくしゅく農業。菽は豆類の総称)政策―が取られていた。そのため最初は開拓に困難が付きまとったが、後に政策が転換され、高原野菜の栽培と酪農に重点を移して成果をあげた(小谷汪之「高原野菜が生まれるまで―敗戦と野辺山開拓」南塚信吾・木畑洋一・小谷編『歴史はなぜ必要なのか―「脱歴史時代」へのメッセージ』岩波書店、2022年、所収)。

 1950年現在で、現在の茅野市域においては、次の五つの開拓農業協同組合が存在した(諏訪郡全体では22開拓農業協同組合、入植戸数341戸)。

(1)広見開拓農協(豊平村広見、標高1,100メートル)   1950年入植 14戸
(2)中山開拓農協(北山村蓼科、標高1,200メートル)   1950年入植 12戸
(3)池の平開拓農協(北山村柏原、標高1,500メートル)  1949年入植 6戸
(4)玉川開拓農協(玉川村南原山、標高1,000メートル)  1947年入植 42戸
(5)御狩野開拓農協(金沢村下原山、標高950メートル)  1947年入植 21戸
(『茅野市史 下巻』633頁)

 このうち、蓼科湖畔に前掲の「拓魂」の碑を建てたのが(2)の「中山開拓農業協同組合」である。ここでは、この碑文の内容を少し詳しく検討しておきたい。

 第一に、「この開拓用地は湯川・塩沢・両財産区のものであったが、昭和二十四年の緊急開拓措置令により国が買収したものである」という部分について。財産区というのは、1889年(明治22年)の市制・町村制施行に伴って旧来の入会地が再編成された際にできた特別地方公共団体で、旧来の入会権が財産区の土地所有権と認められた。財産区には、多数の区の共有財産区とともに、一つの区の単独財産区も設定された。現在の茅野市域でも、北山村湯川区の湯川財産区、北山村柏原区の柏原財産区、米沢村塩沢区の塩沢財産区など数多くの単独財産区が設定された(『茅野市史 下巻』690~692頁)。このうち、湯川財産区と塩沢財産区の所有地の一部が国家によって買収されて中山開拓農業協同組合の入植地とされたのであろう。ただし、「昭和二十四年の緊急開拓措置令により国が買収した」というのは誤りで、昭和24年(1949年)に、「緊急開拓措置令」といった勅令が出されるということはありえない。中山開拓農業協同組合の入植地は、前述の「自作農創設特別措置法」(1946年)によって国家が両財産区から買収したものと思われる。

 第二に、「苦節十年の後、昭和三十五年[1960年]竣工検査の結果各自の所有となる」という部分について。1958年、「開拓事業実施要領」は「開拓事業実施要綱」に改定された。この「要綱」には、「成功検査」という条項が設けられ、入植後、本州ではおおむね5年後に開拓事業の進展度を検査し、それに合格しなければ、入植地が国家によって買い戻されうることになった(『戦後開拓史』48頁)。中山開拓農業協同組合の場合、入植10年後の1960年に「成功検査」が行われ合格したので、各入植者に土地が払い下げられたということのようである(碑文中の「竣工検査」は「成功検査」の誤りであろう)。

 第三に、「時恰も観光開発の脚光を浴びた当地はその施設の中央に位し、各自よすがを観光面に切り替え開拓の努力は報いられて今日に至る」という部分について。この点について、『茅野市史 下巻』(635頁)には次のように書かれている。

中山開拓地(北山蓼科)は[昭和]三十年代後半に東洋観光事業株式会社などによるレジャー施設へ、池の平開拓地(北山柏原)は[昭和]三十年代前半に観光関係に用地を売却し、ホテルや別荘となって当初のおもかげはなくなった。

 「中山開拓地」(中山開拓農業協同組合入植地)のあった湯川財産区の所有地には、1952年、長野県の土地改良事業として蓼科湖が築造された。蓼科湖は、川の水を一時的に堰き止め、天日によって湖水の温度を上げてから下流に放流する「温水溜池」として作られたのであるが、蓼科湖畔から見える八ヶ岳連峰の秀麗な景観などによって、1950年代後半に入ると観光地化が進んでいった。湯川区(湯川財産区)は、昭和35年(1960年)、「当時トヨタ自販[トヨタ自動車販売株式会社]系の観光企業で[昭和]三十三年[1958年]創立の東洋観光事業株式会社に、高原の三温泉源と温泉および周辺の土地・建物などいっさい、約二〇七ha[ヘクタール]を観光開発用地として時価三億円で譲渡処分を行った」(『茅野市史 下巻』785頁)。その中には蓼科湖周辺の土地も含まれていた。それに伴い、蓼科湖の水面利用、養魚などの権利は蓼科観光協会に引き継がれたが、その後東洋観光事業株式会社に移された。そのような状況の中で、中山開拓農業協同組合の入植者たちも生業を農業から「観光面に切り替え」ていったのである。

 「池の平開拓地」(池の平開拓農業協同組合入植地)のあった北山村柏原区では、戦前の1940年に、同じく「温水溜池」として白樺湖の築造が長野県営水利改良事業として着工された。しかし、戦争の影響による紆余曲折があり、戦後の1946年になって竣工した。白樺湖で温められた水は今でも下流地域の水田を灌漑しているが、それとは別に、冷涼な湖畔では、1950年代、観光地化が進展した。『茅野市史 下巻』の上引の記述は、池の平開拓農業協同組合の入植者たちが土地を観光企業(デヴェロッパー)に売却したように読めるが、そうであったとしても、彼らの土地は柏原区(柏原財産区)の広大な所有地のほんの一部にしか過ぎない。柏原財産区の場合は、基本的には所有地を売却することはせず、財産区自体が貸ボート業やバンガロー建設などの観光開発事業を推進するとともに、観光企業と土地の賃貸借関係を結んで、ホテルなどの観光業を誘致したのである(蓼科湖、白樺湖の位置については図2「蓼科湖・白樺湖関係図」参照)。

 なお、他の三つの開拓地についていえば、「広見開拓地」(広見開拓農業協同組合入植地)は種馬鈴薯の栽培を主としていたが、土壌病害などのために離農者が出て継続困難となり、民間会社に売却された。「玉川開拓地」(玉川開拓農業協同組合入植地)は酪農を中心として高原野菜の栽培も行い、順調に経営を継続した(ただし、後に行政的には隣接する富士見町に編入された)。「御狩野開拓地」(御狩野開拓農業協同組合入植地)は高原野菜栽培を主として、水田も造成され、安定的な経営が行われるようになった(『茅野市史 下巻』634~635頁)。「御狩野開拓地」は、現在では、中央自動車道(中央道)の諏訪南インターチェンジのすぐ西に隣接する地域である。

おわりに

 満洲開拓に送り出され、苦難の末に辛くも帰還した人々の多くが故郷に再定住することができず、再び条件の劣悪な未墾地の開拓に取りくまざるをえなかった。

 本稿が対象とする地域について、この満洲開拓帰還者と戦後開拓入植者の関係を見ると、諏訪郡全体(22開拓農業協同組合)の入植者中、「満洲開拓者三八%、農家子弟三四%、一般転業者二五%、旧軍人三%の割合であった」(『茅野市史 下巻』633頁)。この地域でも、戦後開拓者には満洲開拓帰還者が多かったことが分かる。前述のように、諏訪郡北山村出身の満洲開拓者にも11人の帰還者がいたが、これらの人たちが中山開拓農業協同組合や池の平開拓農業協同組合に参加していたかどうかは文献が見つからず分からない。しかし、前出の野辺山開拓農業協同組合の場合は、満洲開拓帰還者がその中心となっていたことを確認することができる(前掲小谷論文)。

(「世界史の眼」No.73)

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林哲『朝鮮現代史論 解放一年史を問いなおす』(法政大学出版局、2025年、511頁、6000円)
庵逧由香

 本書は、在日朝鮮人の歴史家・林哲(Lim Chol)の朝鮮現代史に関わる18本の論考をまとめた研究書である。学術論文から人物評伝、訳書解説、書評、学術シンポジウムの記録、時事評など、多様な形態の論考が一部を除き時系列で掲載されている。しかしこれらからは、一貫して通底する問題意識を読み取ることができる。それはあえて端的に言えば、今日までなおも続く朝鮮半島分断の理不尽さに対する憤りと、再統一への強い希求、ではないかと思う。

 本書の目次構成は以下の通りである。(カッコ内の数字は初出年)

第1章 「解放一年史」再考 (書き下ろし、2025)
第2章 朝鮮人民共和国に関する若干の問題 全国人民委員会代表者大会(1945年11月)における議論を中心に(1986)
第3章 第二次大戦後の朝鮮における民主主義民族戦線(1982)
第4章 解放直後の朝鮮における「民主基地論」 統一戦線論を手がかりに(1993)
第5章 歴史をとおしてみる統一国家像 (1993)
第6章 朝鮮の「解放」と中国 (1996)
第7章 独立・統一・「進歩的民主主義」を求めて 夢陽・呂運亨の生涯(1998)
第8章 東アジア冷戦と朝鮮における政治的暴力の起源 解放一年史を中心に(2004)
第9章 済州島「四・三事件」における「暴力」(2002)
第10章 国際関係学による「場」としての東アジア (2009)
第11章 『朝鮮半島の分断構造』と『アメリカのディレンマ』を読む (1985)
第12章 国際シンポジウム「東アジアの冷戦と国家テロリズム」の旅 (2000~2002)
第13章 『現代朝鮮の悲劇の指導者たち』訳者あとがき(2007)
第14章 国際関係論と朝鮮現代史 (2012)
第15章 『朝鮮戦争の起源』訳者あとがき (2012)
第16章 「朝鮮戦争像」の根本的な転換迫る カミングスの『朝鮮戦争の起源』(2013)
第17章 安倍首相の「戦後七〇年談話」について 日韓条約五〇年の観点から (2015)
第18章 亡命運動家鄭敬謨先生の生涯と時代 (2022)
著作目録・解説(鄭栄桓)
あとがき・索引

 周知のように、朝鮮は第二次世界大戦中に連合国によって日本からの独立が明言されたものの、日本の無条件降伏(1945年)により、日本軍軍管区を境界(北緯38度線)として南北に分断され、米ソそれぞれの占領を受けた。それからわずか3年後に、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人民共和国が、分断されたまま樹立されるにいたる。この3年間の朝鮮半島をめぐる国家建設運動や米ソ対立を含む国内外の情勢の変動は、非常に複雑かつダイナミックに急転しており、事象によっては事実関係の確認さえ困難な状況が長く続いている。南ではこの時期の研究は「解放前後史」と呼ばれ、本格化するのは1980年代後半からである。研究が特に立ち遅れた背景としては、朝鮮戦争(1950〜)を経て分断が固定化されて以降、南北が敵対国として互いを排除し合うことで分断体制を維持してきたこと、この時期の研究が南北の国家起源に関わる高度に政治的な問題をはらむが故にタブー視されてきたこと、などがまず挙げられる。

 筆者林哲は、「解放直後から一年の時期を分断状況の形成過程において最も重要視」し、1980年代初頭からこれに関わる研究論文を発表してきた。とりわけ建国準備委員会から朝鮮人民共和国(1945)、民主主義民族戦線(1946)へと続く流れを一連の「統一独立国家樹立運動」として把握し、その具体的な歴史像の実証的解明に力を注いだのが、本書収録の第2章から第5章である。筆者はこれらの国家樹立運動が「植民地下で展開された民族解放運動の文脈から理解される必要性」を強調しつつ、樹立すべき国家像の違いから左派・右派の対立が国際情勢をも巻き込み激化する中で、それでも持続的に追求された統一戦線形成の試みに特に注目している。当時、朝鮮人のだれもが分断された国家など想像もしていなかったが、世界的な冷戦構造の深化の渦中にあった朝鮮では、その実現が様々な要因によって妨げられてきた。筆者の「解放一年史」研究は、分断体制下で政治権力によって意図的に無視され、塗り替えられていった歴史の再構築の試みでもある。「筆者は数十年たっても当時示された朝鮮民衆の広範な統一戦線と進歩的民主主義論に支えられた基本意志と希望が、どうして現在に至るも阻まれてきたのかについて今日なお納得しがたい点が多い」(508頁)との筆者の言に、このことが凝縮されている。

 朝鮮「解放一年史」の具体的な展開自体、日本でもあまり知られていない。本書のために書き下ろされた第1章は、前提となる研究史や当時の状況、主要な用語の詳細な解説が書かれており、本書全体を読む上での手引きにもなっている。また巻末の鄭栄桓による解説では、時代背景や基本事項の丁寧な説明がなされている。

 本書を読みながら興味深かったのは、本書の論考のところどころで、筆者の在日朝鮮人としてのライフヒストリーが交錯して書かれている点である。1946年ソウル生まれの筆者は、朝鮮戦争の戦乱を避けて1952年に家族とともに来日した。来日当時の記憶や、日本社会における学生時代の体験の過程で筆者は、さまざまな「違和感」「疑問」を感じている。それらは朝鮮の分断状況に対する疑問であると同時に、いつまでたっても「朝鮮分断問題に対する認識が皮相的な理解に止まって深められていない」日本人の朝鮮に対する無知・無関心への警鐘にもなっている。確か2000年代に入ってからのことであったが、私は筆者の南北統一に関する講演会(於早稲田奉仕園)で、そのような場面に直接出くわしたことがある。それは、参加者の中のある日本人との質疑応答の場面だった。ある日本人の「統一、統一と言うが、南北で自由に行き来できるようにさえなれば、統一する必要はないのではないか」という質問に対し、筆者林哲は、「あなたがおっしゃる、自由に行き来できるというそのことがまさに、統一、ということなんです」と回答した。このやりとりは後に徐京植も、「(在日)朝鮮人と日本人との分断に対する認識のギャップ」の事例として紹介したことがある。

 筆者の分析の特徴として、朝鮮史の個別事象を深く分析しながらも、それらの性格を規定する時代時代の世界史の矛盾の在り方、その焦点としての東アジアの課題が、常に大枠として意識されている(特に第6章、第10章)。90年代に入りソ連をはじめとする社会主義諸国の崩壊により冷戦構造の枠組みは大きな転換を遂げ、もう一つの分断国家であったドイツは再統一された。しかし朝鮮半島の再統一は、少しずつ進展を見せながらも、いまだに展望さえ見いだせない状況が続いている。南北双方で国家の法統性が植民地期の民族解放運動を基盤にしているため、現在でも、1930年代以降の歴史について、南北で歴史認識を共有できずにいる。筆者が何度も強調するように、こうした状況の下での「解放一年史」研究は、大きな困難が伴わざるをえない。

 ただし一方で、本書は、筆者が長年研究会をともにしてきた「筆者よりずっと年下の友人たち」が「完成させてくれた」(あとがき)という。鄭栄桓解説のタイトルが「『解放一年史』の種火を受け継ぐ」とあるように、筆者の長年の問題意識が、次代の研究者に意識的に受け継がれようとしているのである。このような「協業に生きている精神こそが認識を発展させる鍵」(あとがき)という筆者の言葉が、本書刊行の意義をより重要なものにしている。

(「世界史の眼」No.73)

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世界史寸評
アメリカ・イスラエルのイラン攻撃をどう考えるか―主要新聞の社説から―
南塚信吾

 2026年2月28日、アメリカとイスラエルがイランを攻撃した。昨年6月のように核施設に限定した攻撃ではない。政治と軍事の中枢を狙った攻撃で、イランの最高指導者ハメネイを殺害した。この問題をめぐって、ネット上に登場した日本の主要新聞の「社説」「主張」を比較点検してみた。比較したのは、読売新聞(読売と略 以下同様)、朝日新聞(朝日)、毎日新聞(毎日)、日本経済新聞(日経)、産経新聞(産経)、東京新聞(東京)、北海道新聞(北海道)、信濃毎日新聞(信毎)、沖縄タイムズ(タイムズ)、琉球新報(新報)、京都新聞(京都)、神戸新聞(神戸)、西日本新聞(西日本)、上毛新聞(上毛)、神奈川新聞(神奈川)の計15社、各2月28日―3月3日の社説・主張である。このうち、読売新、毎、日経、北海道は二度にわたって社説でこの問題を論じていた。私は、昨年6月のイスラエルとアメリカのイラン攻撃についての各紙の社説などを比較して検討してみたが(本欄にもけ掲載)、それを受け継いだ形で、今回もイラン攻撃についての社説などを検討してみたい。論点は多岐にわたるが、以下では主な論点についてのみ、検討の対象とする。

 はじめに、読売を含め、ほとんどの新聞の社説は、この軍事攻撃を「暴挙」「蛮行」「無法」などと批判している。朝日と西日本は、「大国の横暴」だと批判し、北海道は、「史上まれにみる悪逆」と批判していた。昨年と違って、批判的な姿勢を見せていないのは産経のみであった。

1.国連憲章との関係について

(1)アメリカのイラン攻撃が国連憲章と国際法への明白な「違反」であると厳しく批判しているのは、読売、経済、毎日、東京、北海道、神戸、タイムズ、新報、京都、神戸、西日本、上毛、神奈川である。読売は、「またも国際法無視か」と厳しく批判する。京都は、先制攻撃に「道理がないのは明らかである」と言う。朝日は「違反」という言葉は使っていないが、国連憲章に反するとしており、信毎は、国際法を「無視」していると批判した。例えば、読売は、「国際法に違反する可能性がある攻撃を支持することはできない」と批判していた。とくに神奈川は「「私に国際法は必要ない」と公言してはばからないトランプ氏の行為は目に余る」と厳しい。北海道も同じである。これに対し、産経は、アメリカの攻撃は国連憲章や国際法への違反だという批判はしていない。その主張には、国連憲章や国際法はまったく問題にされていないのである。

(2)この問題は「自衛権」の有無に関係している。昨年6月のイラク攻撃の際に毎日が言っていたように、「国際法上、他国への武力行使が認められるのは、自衛権の行使か国連安全保障理事会の決議がある場合に限定されている。自衛権の行使は、攻撃を受けた後に反撃する場合や、差し迫った脅威があることが前提となるが、いずれにも当たらない。」昨年6月の攻撃の時、トランプ政権は決議どころか、軍事介入につき国連安全保障理事会に報告さえしようとしなかった。前回と同様今回も、安保理の決議などないわけであるから、アメリカに「差し迫った脅威」があったか否かが問題になる。これに関しては、読売、朝日、日経、信毎、北海道、タイムズ、京都、上毛が、イランからのミサイル攻撃は米軍関係者自身が可能性を否定していて、そういう脅威はなかったと論じた。北海道は、「米国に到達可能なミサイル開発」について米国防情報局は実用可能な開発は2035年までかかると評価している」と指摘する。読売は、トランプ政権は昨年6月のイラン空爆で、「核施設は完全に壊滅された」と作戦の成功を誇示していたはずだ。わずか8か月で脅威が復活したとすれば、当時の説明と矛盾する」と厳しく批判する。一方、産経は、当然のことながら、この点を問題にしなかった。

2.アメリカ議会の承認について

 アメリカの攻撃が米議会の承認を得ていない点からも不法な攻撃だとするのは、読売、東京、信毎である。中でも、信毎は、「攻撃は国連安全保障理事会の決議もなく、米国で宣戦布告の権限を有する議会にもはかっていない。攻撃に法的根拠はない。」と批判し、北海道は、「攻撃が米議会の承認を得ていなければ、法治国家としてもゆゆしき事態だ。」と警告している。

3.ハメネイ師殺害と体制転換について

(1)イランの最高指導者ハメネイ師の殺害について、朝日と北海道はこれを「主権の侵害」だと批判し、毎日は「不法な蛮行」と批判し、日経は「常軌を逸している」と批判し、神戸は「法の支配を無視」するものだと批判している。とくに読売は、ベネズエラの時のように、「意に沿わない国家指導者を軍事行動で排除する斬首作戦」をイランでも決行したことに、「驚きと憂慮」を禁じ得ないと批判した。

(2)アメリカとイスラエルが、イランの体制転換を扇動していることについては、読売は「主権の侵害」、北海道、新報は「内政干渉」、信毎、タイムズは「国際法違反」、京都は「主権と自決権を侵害するもの」として、厳しく批判している。やや変わった批判は、東京が体制転換は「難しい」とし、京都が「無責任」だとしている例である。いずれもイラン国内には現体制を批判する動きがあることは認めつつ、体制を決めるのは自国民だという立場から批判しているのである。例えば、読売は、「どの体制を選ぶかは、当事国の主権の問題である。軍事行動で体制転換を図るのは主権侵害にほかならない」と厳しく批判する。一方、産経は「今回の米軍などの攻撃は体制転換の狙いもあろう」と是認しているのが、例外的である。

(3)イランの国内体制について、信毎、京都、新報、上毛を除いて多くの社説が言及し、その脆弱さと経済危機に付け込んでアメリカなどが攻撃を開始し、体制転換を呼び掛けているとみている。読売は、「物価高などへの不満からハメネイ師退陣などを求めるデモが全国に広がっていた」、「イスラムを当地の基本とする体制は、存亡の瀬戸際に追い込まれた」と見ていた。日経は、「米国の制裁でイラン経済は疲弊し、昨年末から経済難に抗議するデモが起き全国的な反政府運動に至った」と、アメリカの制裁の影響を指摘する。また、イスラエルの攻撃の影響も指摘する。「一昨年来のイスラエルとの交戦もあり、イランは弱体化している」と。だから、イスラエルは今を「痛撃の好機」と見、「米国も1979年の在イラン米大使館人質事件以来イランと対立している」ので、イスラエルに同調したという。しかし、イランの国内体制を深堀したような議論はなかった。

3.核協議について

(1)イランとアメリカがイランの核開発について協議をしている時に、しかも次の会議が予定されている時に、アメリカが軍事攻撃に出たことについては、読売、朝日、毎日、日経、信毎、北海道、タイムズ、京都、神戸、西日本、上毛、神奈川は、いずれ厳しく批判をしている。その中でも、読売、朝日、信毎、西日本は、協議はしょせんアメリカなどの「時間稼ぎ」だったのだと非難している。外交を無視して軍事量に頼ったということである。

(2)イランとアメリカの核協議が一定の進展を見せていたにも関わらず、アメリカは協議を捨てて、軍事攻撃をしたとするのが、日経、毎日、東京、信毎、京都である。例えば、信毎は「仲介したオマーンは27日、イランが核兵器製造につながる高濃縮ウランを放棄する意向を示していると語っていた」という。京都も、「イランは核兵器製造放棄の意向で、仲介国オマーンも進展と評価していた」という。東京は、「イランは核交渉で譲歩する姿勢も示していたが、米軍の攻撃で決裂は必至。そればかりかイラン以外の非核保有国が、自衛名目に核開発を加速する懸念は高まる」とユニークな批判をしていた。北海道は、トランプはイランが協議を拒否したというようなことを言うが、「交渉の進展を望まないイスラエルの要求に同調するかのような米国の態度」は理解に苦しむと批判した。これに対し、産経はこの協議の進展を認めず、「イランに核兵器開発の意思があったのは明らかだ」と断じていた。

(3)アメリカはイランが核開発をするのはけしからんとしてイランに攻撃をしたが、これはイスラエルの核兵器保有を認めることと矛盾するとして、核の二重基準を指摘する新聞もあった。北海道は、「イランの核開発を認めない一方でイスラエルの核保有を黙認する態度は身勝手が過ぎるというほかない」と批判し、「親イスラエルの米国の二重基準」だと主張した。一方、読売は、北朝鮮を問題にして、トランプは、「北朝鮮の核開発には目を瞑って「核保有国」と呼び、現状を容認するかのような発言をするなど、二重基準が目に余る」と厳しい批判をしていた。

(4)イランの核開発については、産経がその「放棄」を求め、読売がその「停止」を求めていた。読売は、イランが「長年、透明性を欠く形で核開発を続けてきた責任」を問い、「核武装の意図を否定しながら、核兵器の材料に転用できる高濃縮ウランの製造を続け、自ら危機を高めてきた」と指摘する。日経は、イランが「不透明な核開発への疑念を晴らせずにいる」ことを指摘している。毎日は 「核兵器開発を疑われる高濃度のウラン濃縮活動を停止」せよと言う。一方、北海道は、「そもそもイランの核開発を制限する核合意の枠組みから一方的に離脱し、イランのウラン濃縮再開を招いたのは第1次トランプ政権だ」とアメリカの矛盾を指摘する。日経も「米欧など6カ国とイランは2015年にイランのウラン濃縮活動を制限する核合意を結んだ。この合意から18年に一方的に離脱したのが1期目のトランプ政権だ。・・・今に至る危機の素地をつくった責任の一端は、トランプ氏にある」とトランプの責任を問う。 

4.武力攻撃について

(1)なぜいま攻撃かと問いつつ、読売、日経、西日本は、中間選挙に向けてアメリカのトランプ大統領の支持率が低下傾向にある中、戦争の成果によって支持率を回復させようとしたのだと見ている。また、北海道は、「大統領の支持率が低迷する米国と首相が汚職疑惑を抱えるイスラエルに、関心をそらす狙い」があるのではないかと指摘している。

(2)イランへの攻撃はイランの軍事施設などと政府軍事関係者を狙ったという点ではすべての社説は一致しているが、攻撃が住民をも対象としたことには、すべての社説が一致しているわけではない。西日本、北海道、毎日、京都、信毎、神戸が住民への攻撃を取り上げている。とくに、北海道は、「小学校が標的となり多くの子供の命が奪われた」とし、毎日は、「今回の軍事作戦で約20都市が攻撃され、・・・民間人にも数百人の死傷者が出ており、南部の女子学校では100人以上が犠牲になったとされる」と批判している。

(3)イランは報復として、イスラエルへの攻撃のほか、近隣諸国にある米軍関係の施設などを狙った攻撃を行ったが、これについては、朝日、毎日、日経が、懸念を表明している。朝日は、「地域全体を巻き込む戦争に拡大させ」ないようにすべきだとし、毎日も「イランの混乱が周辺国に拡大すれば状況はさらに制御不能になる」。「すぐにやめるべきだ」と強く主張する。日経は、「報復の応酬」をくい止めねばならないという。アメリカの攻撃を受けたイランの自制を求めるのがほとんどである。

5.原油とホルムズ海峡について

 戦争がホルムズ海峡封鎖の可能性と世界の原油供給に及ぼす影響については、ほぼすべての社説がこれを懸念している。

 その中で、最もしっかりとした議論をしているのは、新報である。「イラン攻撃は世界と日本の経済にも大きな影響を与える。世界の石油消費量の2割、日本への原油の9割が通過するホルムズ海峡が事実上閉鎖された。日本国内の石油備蓄は254日分ある。ただちに不足しないとはいえ、価格の値上がりは避けられない。あらゆる産業に影響が出て、物価を押し上げる。」と問題を指摘している。同じように毎日も「ペルシャ湾・ホルムズ海峡は原油輸送の要衝だ。エネルギー供給を中東に依存する日本への影響も大きい。」「革命防衛隊がホルムズ海峡での船舶の航行を禁じたことで、原油や天然ガスの輸送ルートが事実上封鎖されたとの報道もある。」日経は、「衝突がペルシャ湾の航行や石油施設に影響する恐れから、原油価格には上昇圧力がかかる。世界経済の重荷になりかねない。」「エネルギー供給の停滞が深刻に危惧される。海運大手がエネルギー輸送の要衝であるホルムズ海峡の航行停止を決めた。原油や天然ガスの価格に上昇圧力がかかるなど市場が動揺し、世界経済の重荷となるリスクがある。」朝日は、「ペルシャ湾の出入り口ホルムズ海峡は、世界の海上石油輸送の約4分の1を支える要所だ。攻撃の欧州により、船舶の航行は事実上止まっている。この状態が長引けば、原油価格の高騰など世界経済に大きな打撃となろう。中東に原油の9割以上を依存する日本は、影響を免れない。約240日分の石油備蓄があるが、ガソリン価格の上昇も心配される。先を見通した冷静な対策が求められる。」

 これ以外の読売、産経、東京、北海道、タイムズ、神戸、京都、信毎は、比較的簡単に、ホルムズ海峡が封鎖されれば、原油価格が上昇し、世界経済に大きな影響を及ぼすだろうと警告している。

6.歴史の教訓 

 アメリカなどがイラクやリビアなどを武力攻撃しても、その後には混乱を招いただけであり、そうした歴史を教訓として学ぶべきであるという主張は、多くの社説が述べている。これは昨年6月の攻撃に際しても問われていた問題である。

朝日は、米英などがフセイン体制を倒した後のイラクは泥沼化し、北大西洋条約機構(NATO)軍が空爆し、カダフィ政権が崩壊したリビアはいまも内戦が続いているとし、「歴史の教訓に学ぶべきだ」という。毎日は、イラクでは2003年、米軍の侵攻でフセイン政権が崩壊した後、国内が大混乱し、アフガニスタンでも01年に米軍の攻撃で社会が混乱した。米国にとっては苦い教訓だったはずだという。日経は、「米国はイラクやアフガニスタンに軍事介入し後始末に苦しんだはずではないか。」という。新報は、「米国はかつてアフガニスタン、イラクで体制転換を目指し失敗した」と指摘。神戸は、「米国は2003年、大量の破壊兵器を隠し持っているとしてイラクのフセイン政権を打倒した」と批判、西日本は「米国は2000年代にイラクやアフガニスタンなどで起こした戦争を泥沼化させ、自国も痛手を被った苦い経験がある。トランプ政権は同じ過ちを繰り返すのか」と厳しい。

7.世界の反応

(1)「国際社会」(筆者はこの言葉は嫌いだが)の動きに注目しているのが、北海道、朝日、新報、上毛、西日本である。このうち西日本は「結束」して、アメリカ・イスラエルに「最大限の自制」を求めるべきだとし、北海道は両国の「暴挙を容認してはならない」としているが、朝日、新報、上毛は少し面白いことを言っている。

 朝日は、「法による秩序が力で壊される弱肉強食の世界に戻してはならない。国際社会は危機感を共有する必要がある。ただ、各国の対応は割れている。英国は「紛争拡大は望まない」と表明、フランスは交渉による解決を求めた。欧州連合(EU)は国際人道法の順守を訴えた。一方で、カナダのカーニー首相が米国支持を打ち出したのは、きわめて残念だ。ルールに基づく国際秩序の衰えを指摘し、大国の横暴に対抗する中堅国の結束を訴えたのではなかったか?」としている。

 上毛は、「イラン攻撃について、英国やフランス、ドイツなど欧州諸国も、関係国に自制を促したものの、米国などへの明確な批判を避けた。トランプ氏を刺激したくないとの本音や、第2次大戦下のユダヤ人大量虐殺を背景にしたイスラエルへの配慮がうかがえる」と欧州を批判する。

 新報は、「英、仏、独の3か国は共同声明を出し、イランによる中東各地へのミサイル攻撃を非難し、米国などと協力することで合意したと表明した」。しかし、「国際法違反が指摘されるロシアのウクライナ侵攻に対する姿勢」とは違っていて、これは「ダブルスタンダード」ではないかと迫る。

 それぞれに的確な指摘であるが、興味深いことに、「国際社会」(ここでは英仏独のこと)の対応についての見方が、三社で違っているようである。

(2)国連に期待する声は、極めて少ない。昨年6月との違いのひとつである。まともに論じているのは、毎日のみである。イランへの攻撃を受けて開かれた国連安全保障理事会では、米国やイスラエルを非難する意見が相次いだという。一方、グテレス事務総長は米国、イスラエルの攻撃とイランの報復を非難した後、「はっきりさせておきます。永続的な平和は、真の対話と交渉を通した平和的手段でのみ達成できます」と述べたと言う。

8.日本政府の姿勢について  

 日本政府に邦人保護の措置を求める点においてはすべての社説で異論はない。それ以外の点で日本政府に姿勢に対して、産経を除いて、読売を含めてすべての社説が昨年6月と同じような批判している。

(1)アメリカ・イスラエルの攻撃への評価を回避していると批判するのは、読売(2度)、日経、東京、北海道、新報、神戸、上毛である。日本はアメリカの同盟国であるから批判せよというわけである。タイムズは「暴挙に毅然とした姿勢を」と言い、神奈川は「無批判な対米追従」を改めよと言う。京都は「米国を批判もいさめもしないのは理解に苦しむ」、「米国に追従」するなと注文した。

(2)両国の暴走を止めよというのは、6社である。読売は「憂慮を伝えよ」、北海道は両国を「止めよ」、新報は両国を「説得せよ」、神奈川は「いさめよ」、毎日は「自制を働きかけ」よ、日経は「懸念を明確に伝え、緊張緩和を求めよ」という。

(3)停戦・平和解決・外交努力を求めるのは多い。読売、朝日、日経、北海道、神戸、東京、新報である。例えば、北海道は「責任ある平和外交を」、神戸は「外交交渉を」、上毛は「積極的な対話外交で」、東京「即時停戦を求めるべき」、読売は「事態の鎮静化を米国に働きかけよ」、新報は「国連憲章、国際法を遵守し、国際ルールの下に戻るよう説得すべきだ」と言う。

(4)イランに矛先を向けることによって、事実上アメリカなどを認めているではないかと言うのは、北海道である。すなわち、北海道は「イランに矛先を向けて、攻撃に一定の理解を示した」と批判している。

(5)日本政府の二重基準を指摘するものもある。神奈川は「法を顧みぬ振る舞いをただ座視して」いるだけでは、「ウクライナ侵攻を続けるロシアを批判できなくなる」とし、新報は、これまでロシアを「力による現状変更」だと批判してきたのに、おかしいと疑問を呈している。

まとめ

 今回の攻撃にはイスラエルのネタニヤフ首相のイニシアティヴの重要性が指摘されているが、イスラエルの責任を独自に問う声は意外にもほとんどない。戦争の遠因として、イスラエルの中東全域への「野心」も含め、イスラエルの責任についてはアメリカとは別にもう少し言及があってもよかった。昨年6月には、トランプのアメリカのイラン攻撃は、「イスラエルと一体化した軍事行動を急いだ場当たり的な対応との印象が拭えない」とし、米国はイスラエルに強い影響力を持つのに自制させず、イラン攻撃に加担したと批判した北海道新聞を始めいくつもの新聞がイスラエル批判を展開していたが、今回は静かであった。

 この戦争の影響として、ウクライナでの戦争やガザとヨルダン川西岸でのパレスチナ人のジェノサイドがどのようになるのかといった視線もほしかった。興味深いことに、朝日だけがトランプの提唱するガザの平和評議会に悪影響を与えると述べている。「中東、イスラム諸国がイスラエルの独善に反発することは必至だ。評議会は機能不全に陥りかねない」というのである。平和評議会にこれほどの重要性をもたせているのは、朝日だけである。

 また、この戦争が北東アジアに対して持つ意味を産経は次のように危惧している。イランとの戦争が長引けば、「米国の関与が手薄になり、中国や北朝鮮、ロシアが北東アジアで挑発的な行動に出る恐れもある」というのである。

 昨年6月には、朝日新聞が、「イラク戦争時から未解決な国際問題は実は、中東の混迷だけでなく、米国の暴走に対処するすべを世界が見いだせていない現実だ」と述べていたが、今回も見事にこの現実が露呈したのである。

 総じて、産経は日本の高市政権と同じ論調を取っていることが際立っている。すべてをイランのせいにして、イランの自制を求めている。昨年6月にはやや立場があいまいで会った読売は、今回は、きっちりとアメリカ・イスラエルを批判しているのが注目される。

 最後に一言。日本全体での意見分布という点では、おそらく新聞の情報を参考にする人は1割にも満たないであろう。圧倒的に多くの社説がアメリカ・イスラエルの攻撃を糾弾し、日本政府の姿勢を批判していても、SNSなどの情報による世論はそうではないだろう。このギャップをどう考えるべきだろうか。

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