書評:油井大三郎『避けられた戦争―1920年代・日本の選択』(ちくま新書、2020年)
小谷汪之

 本書は、1920年代、具体的にはヴェルサイユ(パリ)講和会議(1919年)から満州事変(1931年)までの時代に、日本にはその後の破滅的な戦争を避ける機会あるいは可能性はなかったのかという問題を追求しようとしたものである(本書評では、本書からの引用文中の漢数字をすべて算用数字に変えた。引用文中の〔 〕は引用者による補足)。

 この問題意識から、著者は、①ヴェルサイユ講和条約(1919年)、②ワシントン条約(1921年)、③1924年の米国移民法、④中国の国権回復運動、⑤張作霖爆殺事件(1928年)、⑥ロンドン海軍軍縮条約(1930年)、⑦満州事変(1931年)、に焦点を当てる(これらのうち、①~⑤がそれぞれ本書の第1章から第5章をなし、⑥と⑦が第6章をなしている)。これらの節目となる時期に、現実に行われたのとは異なる選択(「オルターナティヴ」の選択)が行われていたならば、破滅的な戦争は避けられていたのではないかというのが著者の歴史への問いかけである。

 この現実の歴史とは異なる「選択肢=オルターナティヴ」がどのようなものであったのかについて具体的に書かれているのは、主として、中国との関係の部分である。第4章「中国の国権回復と米英ソ日の対応」では、イギリスが1925年の5・30事件を契機に中国全土に広がった英貨ボイコット運動に直面して、中国の国権回復運動に理解を示すようになったのに対して、日本があくまでも中国における既得権益に固執したことについて次のように述べられている。

 国民軍革命〔国民革命軍?〕が北京に入城して、中国統一を実現するのは1928年6月のことで、吉野〔作造〕がこの論文を発表した時点〔1927年1月20日〕では、まだ北伐は途上であり、武漢に政府を移動させたくらいの状況であった。それでも、吉野は国民党政府が早晩中国を統一すると予測して、日本政府に対して〔国民党政府の〕承認を提唱したのであり、先見の明があったと評価できるだろう。
 もし、実際に、日本政府が、早い段階で、国民党政府を承認し、国権回復運動に前向きに対応した場合には、日貨ボイコット運動も沈静化し、満蒙権益の一部を残す交渉も可能だったのではないだろうか。(187-188頁)

 しかし、実際には、日本は、国民革命軍に追われて北京を退去、本拠地である奉天(現、瀋陽)に向かった張作霖を奉天直前で爆殺してしまった(1928年6月4日)。これが河本大作など関東軍の一部将校による謀略的行為であったとしても、その結果、張作霖の息子、張学良を国民政府に合流させることになり、日中全面戦争の伏線となった。第5章「山東出兵と張作霖爆殺事件」では次のように述べられている。

 関東軍の暴走の背景として、日本の満蒙利権の死守の考えが、当時の田中〔義一〕内閣や河本〔大作〕などの関東軍幹部に共有されていた点も重大であった。それは裏返すと、国民党政権による中国統一を否定的に、ないしは日本にとって不都合なものと考えることに繋がっていた。(234頁)
 〔他方〕、吉野〔作造〕は、国民党による中国統一が実現した暁には、満蒙の支配は早晩中国本土(ママ)に返還されるのが筋と主張していたのであった。このように、中国の国民党政権を中国の正統政府として承認し、不平等条約の改正や一部利権の返還などが当時の日本政府によって、行われていれば、満蒙利権の一部を継続させて、関東軍などの暴走を抑止する可能性はあったのではないだろうか。(235-236頁)

 以上のような分析を通して、著者は日本が破滅的な戦争を避ける可能性があったのは、次の二つの時期だとする。

 「第一のチャンスは、1925(大正14)10月の北京関税特別会議から第一次若槻〔礼次郎〕内閣が崩壊する1927年4月までの第一次幣原〔喜重郎〕外交の対中政策にあった」(289頁)。この時期は、アメリカやイギリスが対中不平等条約の改定や一部利権の返還に応じる方向に政策転換した時期であり、日本も、「中国の国権回復運動に一定の譲歩を行うことによって、中国の排日運動を緩和させ、満州利権の一部を中国との交渉で確保する可能性はあったのではないか。英国が、漢口や九江の〔イギリス租界の〕返還に応じて、香港を確保したように。そうすれば、関東軍による暴走は事前に抑止できたと考える」(291頁)。

 「第二のチャンスは、1930(昭和5)年5月に、日本が中国の関税自主権を承認した新関税協定を締結した時期である。この協定の締結に続いて、満州利権の一部留保の交渉をする可能性である。この場合は、田中内閣のもとで発生した済南事件や張作霖爆殺事件の後であり、排日運動は満州にも及んでいたので、合意の可能性は、第一のチャンスに比べると、もっと低かったかもしれないが、ゼロではなかったであろう」(291-292頁)。

 以上が本書の概要であるが、本書の特徴をなすのは歴史(過去)の様々な時点において、現実に行われた選択の他に、別のどのような「選択肢=オルターナティヴ」がありえたかを追求するという方法である。「歴史にもし・・はない」というのは巷間に流布した俗説であるが、歴史に「もし」を追求するのは、歴史認識が現在を通して未来を見据えるものだからであろう。未来に向けて、現在ありうる様々な「選択肢=オルターナティヴ」を、歴史(過去)(に照らして秤量しようとするのが歴史認識の一つの方法であるとするならば、歴史(過去)に「もし」を追求することが重要な意味を持ってくるのである。

 本書をこのような歴史的思考実験と評価したうえで、ちょっと引っかかった点を指摘しておきたい。それは、本書評中の何か所かの引用文に出てくる「満蒙権益の一部を残す交渉」、「満州利権の一部留保の交渉」といった文言である。確かに、満蒙利権(満州利権)をすべて放棄すると言ったら、軍部や財界だけではなく、一般国民からも激しい反発が起きていたであろう。したがって、一つの「オルターナティヴ」として、「満蒙権益(満州利権)の一部留保」の線で中国側と交渉するということがありうるということになるのであろうが、そこには何か引っかかるものがある。旨く説明できないが、植民地主義的利権の一部を確保するための交渉、という点にどうしても引っかかるのである。

 最後に一点だけ。本書29頁と41頁に、「賞金」という言葉が出てくるが、これはやはり「償金」(indemnity)とするべきだと思う。

(「世界史の眼」No.6)

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