『「世界史」の世界史』(ミネルヴァ書房)で、ギリシアの世界像・世界史像についての一章を担当したご縁で、この度完結した『世界哲学史』の古代編について論評するようにおすすめいただいた。『世界哲学史』は、①世界史上の思想文化圏における「哲学史」を俯瞰し、②これまで人類が、通時代的・通文明圏的に、何を哲学の問題としてきたのかを比較し、③思想文化圏相互の影響を問う、という3つの側面を持っているように思われる。近年の潮流を新書でまとめて知り、ソフィストの活動の見直しが進んでいることなど、情報を手軽にアップトゥデートすることができる啓蒙書としても魅力的だが、ここでは、「世界哲学史」が、歴史学の「世界史」へのまなざしとどのように交錯するのかを、西洋古代史研究者による読書ノートとして書き留めておきたい。
第1巻「知恵から愛知へ」では、哲学者ヤスパースのいう「枢軸の時代」、すなわち紀元前5世紀を中心とする数世紀間に、世界哲学上の主要な思想が同時発生的に勃興した状況が、「世界と魂」を共通テーマとして、西アジア、旧約聖書、ギリシア、インド、中国といった地域ごとに描かれる。ここではギリシア、中国、インドという3つの思想文化圏の相互交渉は、この時期には未だ控えめであるが、アショーカ王碑文や「ミリンダ王の問い」のような事例が、ヘレニズム期のインド哲学とギリシア哲学が「翻訳」によって相互に交流していたことを伝えている。大戸千之『ヘレニズムとオリエント』(ミネルヴァ書房)が論じたように、ヘレニズムがギリシア文明の波及ではなく、各地の文化との相互交渉であることは、いまや共通認識といってよい。本書が際立つのは、ヘレニズムという外的枠組に依存するのではなく、あくまでテキスト内部の解釈と「翻訳」に基づいて、体系化された思考がほかの文化圏に移植される様相を検証する点にある。第2巻「世界哲学の成立と展開」では、「善悪と超越」を共通テーマとして、ヨーロッパの思想的基盤が形成される後6世紀ごろまでが扱われる。ローマ帝国でギリシア哲学とキリスト教が交錯し、西アジアでゾロアスター教とマニ教が成立し、インドで大乗仏典が成立し、中国で「古典中国」が成立するなど、思想文化圏の姿がはっきりしてくる。この時期は、ビザンツ帝国でのキリスト教の東方拡大や、インドで成立した大乗仏教と中国の儒教との出会い、プラトン主義哲学の影響など、相互影響が顕著となり、「翻訳」を通じて哲学が「世界化」する時期として描かれ、全体として古代における思想のグローバルヒストリーとなっている。
相互影響への注目だけでなく、「哲学史」を俯瞰し、脱西洋中心的な哲学体系を構築しようとする点でも、本書は、近年の歴史学と通じるところが大きい。本書は、神話や宗教儀礼から発展したものも含む「宇宙を含む世界の全体と私たち自身のあり方」を問う知的行為を哲学とみなす。この極めて広義の対象設定のもとでは、韻文も考察対象から排除されない。古代インドにおける世界と魂を扱う第1巻第5章では、叙事詩「マハーバーラタ」の哲学テクストも含めた、対話的な「哲学の技法」が取り上げられる。また、認識論と並んで、神学も考察対象となる。第1巻では、ヘブライズムへの目配りがなされ、第2巻では、世界を理解するための営みとしての神学が扱われる。大乗仏教も「東洋における哲学という名にふさわしい思想」である。ところが、弁論術を広義の哲学史に含めることが検討されるといった柔軟さをみせながらも、西洋哲学史の殻は固い。ヘシオドスの思想は「数学的素養」に乗っ取っていないので考察対象から除外され、キリスト教学は、窮理という意味での哲学ではないという但し書きつきで扱われる。世界を対象として哲学史を語るために、それぞれの研究領域において哲学の対象範囲をどこまで広げることが有効なのか、執筆者それぞれの判断が問われているのである。
哲学史において哲学とは何かを問うことは、史学史において歴史とは何かを問うことに似ている。かつてギリシア史家村川堅太郎は、中国には自由な探求の学問としての歴史学が成立しなかったと述べた。それにたいして川勝義雄が、司馬遷の例を引いて反論したことはよく知られている(『中国人の歴史意識』(平凡社))。論争の焦点は、司馬遷に自発的探究心と独自の歴史意識を認めることができるのか、という点にあったが、歴史叙述についてのあまりにギリシア中心的な価値評価にも問題があった。今日、ギリシア史研究者のあいだでは、ヘロドトスによる世界像の集成やトゥキュディデスによる批判的叙述といった大歴史家の仕事とならんで、編年体で書かれた各地の年代記や金石文によるローカルな記録行為に注目が集まっている。柔軟で包括的な対象理解が、比較史的な考察を可能とするのである。哲学史も同様であろう。
最後に、『世界哲学史』の構想は、先行する複数の哲学史をひとつに収斂することを目指しているのだろうか。おそらくそうではない。編者は、「世界哲学史」を構想するにあたって、哲学の「始まり(アルケー)」を問いなおす。それは、哲学とは何かを問うことに他ならない。「始まり」を問い直すことで、ヨーロッパ標準の哲学史の規範性を相対化し、「多元的で普遍的な「世界哲学」の起源論」を模索しようとする姿勢を見て取ることができる。『世界哲学史』の「多元性」と「普遍性」が、比較と関係性のもとに、立ち現れることになる。
各思想文化圏に固有の「哲学史」もまた、大乗仏教成立史の批判的再検証(第2巻第5章)が示すように、それ自体がメタな分析の対象である。歴史学の場合にも、各思想圏のなかで形成されてきた史学史の系譜それ自体が批判的な検証に値する。一例を挙げるならば、羽田正は、近代歴史学の成立過程のなかで、マホメット以降の中東が「イスラーム世界」として、歴史を持たない文明を扱う東洋学のなかに投げ込まれ、すでに西洋的な世界史叙述のなかに組み込まれていたエジプト文明やメソポタミア文明、旧約聖書の世界と分断された、と指摘する。『世界哲学史』は、このような史学史上の枠組上の分断に制約されない。エジプト・メソポタミア文明からヘブライズムとヘレニズムへ至る、伝統的な地中海古代史の流れを踏襲しながらも、ギリシア哲学の影響下に、グノーシス派による二元論的なキリスト教が出現し、それがマニ教においてペルシア的な二元論と結合して、中国にまで伝播し、イスラーム化した西アジア内部で生き続けた継けたことが語られる。ミッシングリンクの復元には限界もあるが、テキストに記された思想によって文明をつなぐ手法が、説得的である。
このように単線的でない系譜を描くことが可能となったのは、『世界哲学史』が、共通テーマによって各時代を輪切りにする構成をとっているためである。そこに、既存の世界史のストーリーから個々の事象を切り離そうとする意図を窺うことも許されよう。それは奇しくも羽田正が『新しい世界史へ: 地球市民のための構想』(岩波書店)において、世界史の再構築のために提唱した方法でもある。
ラファエロの描く「アテナイの学堂」が西洋哲学史を体現しているとすれば、これからの『世界哲学史』は、どのような絵図を描くことになるのだろうか。『世界哲学史』の再編は、狭い意味での思想史にとどまらず、受容と伝播をめぐる現行の世界史を書き換えることにつながることが予感される。歴史学研究者の注視が必要となる所以である。
(「世界史の眼」No.14)