本稿は、1950-60年代に世界史について独特の議論を展開した酒井三郎の「世界史学」の研究のための予備論文である。上越教育大学の茨木智志の主催する『歴史教育史研究』は世界史を含めた歴史教育について地道な研究を発表しており、本論文はそのようなものの一つである。
本稿で扱われる酒井三郎は、1901年(明治34年)に高知県に生まれ、東北帝国大学で西洋史を専攻して卒業後、東京帝国大学の大学院で学んだ。修了後、日本大学、日本女子大学で教えたのち、高知の追手前高校の校長を務め、1951年に熊本大学教授となった。1968年に定年退職したのち、立正大学に76年まで務め、1982年に亡くなっている。この間、『国家の興亡と歴史家』(弘文堂書房、1943年)、『世界史の再建』(吉川弘文館、1958年)、『ジャン・ジャック・ルソーの史学史的研究』(山川出版社、1960年)、『日本西洋史学発達史』(吉川弘文館、1969年)、『啓蒙期の歴史学』(日本出版サービス、1981年)などを出している。
向野正弘の論文は、
- 酒井三郎の「世界史」認識をめぐって
- 酒井三郎の歴史教育に対する覚悟
- 戦後の社会科「世界史」の回顧と現状認識
- 「世界史学」について
- 現在ならびに未来の取り扱い
- 「世界史学」から見た歴史教育構想
- 歴史教育の大綱試案
- 酒井三郎の隘路
- 現代の「世界史」教育への示唆
という構成を取っている。
個々の節の内容は紹介する必要はないだろうが、この中で、とくに紹介しておきたいのは、「世界史学」という概念であろう。酒井は、「日本史に対立するところの外国史の同義語である世界史」、つまり「東洋史プラス西洋史すなわち世界史」という規定を排する。ではどうするか。向野によれば、酒井は、網羅主義の世界史にたいして、「世界史学」に基づく「世界史」を提起しているという。酒井の言葉によれば、「世界史学とは世界を対象とした歴史学」であり、「世界に住まう人間の社会生活の発展を対象とするもの」だという。「世界史学」は、「いわゆる日本史・東洋史・西洋史のたんなる綜合ではない。かつて行われた万国史ではない」。日本史・東洋史・西洋史の「それぞれの歴史の発展の共通な面をとりあげて、世界の共通の史的問題をとりあつかう」のである。だから、「日本史のある断面は、西洋史的問題としてじゅうぶんに意味をもつものであり、東洋史・西洋史においてもまた同様である。かくして日本史即世界史であり、東洋史・西洋史それぞれすなわち世界史でありうるといった世界史史学」を考えているという。だから、酒井は、日本世界史・西洋世界史といういい方もできるのだという。
われわれが考える「日本の中の世界史・世界史の中の日本」という考え方に通じるのかもしれない。また何らかのテーマをもって地球上の諸国を「通地域・通国家的」に考えるという方向を考えていたのかもしれない。
河野は、酒井の「世界史学」という概念は史学史のなかでなお確認しなければならないと注記しているが、概念は別としても、酒井が具体的にどういう歴史を考えていたのかは、興味のあるところである。酒井の『世界史の再建』においては、教育体制と教科書を材料にもう少し具体化されているようだが、向野がどのような理解をしめすのか、是非とも知りたいところである。
(「世界史の眼」No.27)