文献紹介:南塚信吾(編著)、西川正幹(編集協力)『神川松子・西川末三と測機舎-日本初の生産協同組合の誕生』(アルファベータブックス、2021年)
山崎信一

 本書が主として取り上げるのは、神川松子という名の人物である。20世紀初頭に活躍した彼女は、平民社に加わった社会主義者、女性の地位向上を主張する評論家、ロシア文学の翻訳者、生産協同組合「測機舎」の設立者といった、多くの面を持っていた。彼女の女性運動家としての側面は比較的知られているが、その人物像は断片的に理解されることが多く、その他の活動、とりわけ生産協同組合の活動との関わりの中で論じられる機会は多くない。本書は、一つには神川松子という人物のさまざまな事績を統一的に論じようという試みであり、夫の西川末三の植民地官吏としての台湾での体験とも相まって、両者の理想が生産協同組合「測機舎」に結実したことを明らかにしている。

 537ページという大部の本書では、「第一部 測機舎の歴史的意義」において、測機舎の歴史的意義が論じられる。神川松子、西川末三両者の簡単な伝記から、松子と平民社との関わり、末三の台湾体験、ロシア語翻訳者としての松子、当時末三が籍を置いた玉屋商店での労働争議を経て測機舎の設立過程、測機舎への「空想的社会主義者」の影響、設立後の測機舎の状況などが述べられている。そして、本書の紙幅の過半が割かれているのが、300ページを超える分量の「第二部 神川(西川)松子資料」である。彼女自身の手による各種雑誌に掲載された論考、赤旗事件裁判の資料、ロシア文学の彼女による翻訳が収められている。各論考は、平民社時代の『世界婦人』などに掲載のもの、赤旗事件の公判に関するもの、一九一四年以降の女性の地位向上を主張するもの、ロシアの作家イワン・ブーニンの作品の翻訳、トルストイ作品の翻訳に分けられている。「第三部 測機舎誕生関係資料」は、測機舎の設立前後の各種規定や関係する新聞記事をまとめている。以上を見てわかるように、本書には各種資料が掲載されており、神川松子と測機舎の歴史に関して、実際の史料に則して理解が可能となるように作られているのが大きな利点となっている。資料にはそれぞれ、専門家による解説が付されている。

 本書は、2021年の晩秋に刊行されて以降、少なくない反響を呼んだ。『週刊読書人』(2022年2月11日)、『進歩と改革』(2022年2月号)には、書評が掲載され、特にその現代につながる意義が好意的に論じられている。

 本書の刊行には、少なからぬ意味があるだろう。まず、測機舎という日本で最初の生産協同組合の発足から展開にかけての経緯は、純粋に興味深いものである。契機としての玉屋商店経営陣との対立から組合設立への動き、労務出資と金銭出資の組み合わせによる協同組合の仕組みの整備、発足当初の困難の克服といった点は、一つの特異な組織の歴史としての面白さに満ちている。さらに、書評に取り上げられているように、測機舎を、利潤拡大を第一の目的としない現代における「ワーカーズ・コレクティヴ」の先駆者として位置付けることも可能だろう。

 そしてそれに加えて著者が強調しており、私もそれに共感するのは、測機舎の試みが「日本の中の世界史」の一つの実践例として意義を持っている点である。本書が、測機舎の経緯を追うだけではなく、その思想的源泉を同時代の欧米の社会主義思想や協同組合運動の中に追っている点もそれ故だろうし、神川松子の思想形成、西川末三の植民地体験が扱われているのもそうだろう。こうして、測機舎は単なる日本の一生産協同組合としてではなく、この時代の「世界史」を体現するものとして描かれることとなる。

 私は、ヨーロッパのバルカン地域にかつて存在したユーゴスラヴィアの歴史の研究を専門としているが、「測機舎」の生産協同組合のあり方から、第一に連想したのが、社会主義政権下のユーゴスラヴィアで試みられた「労働者自主管理」のことであった。いずれにおいても、「労働者が企業を所有し、経営する」という実践が試行錯誤の中で行われていた。ユーゴスラヴィアにおける労働者自主管理の発展の背景には、ソ連との関係断絶後、ソ連型の国家統制型社会主主義ではない社会主義のあり方の模索があり、出発点は無論測機舎と異なるものだが、その理想としての組織のあり方が非常に類似したものとなっている点は興味深かった。労働者自主管理とその体現したユーゴスラヴィアにおける自主管理社会主義のあり方に関しても、世界史的視野での再検討が必要であろうと感じた。

 最後に、本書は読み物としての面白さにも満ちている。資料に現れる軽快な筆致も相まって神川松子の人物像が生き生きと浮かび上がる。「補遺」として収録されている、西川末三の文章もまた人情味溢れ、二人の魅力を浮かび上がらせる。

 本書を手に取って、神川松子の人間としての魅力、測機舎を巡る波乱万丈の物語に接するとともに、その背後にある同時代の世界との繋がりにも思いを馳せて頂ければと思う。

(「世界史の眼」No.30)

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